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06/30/2011

せつない思い

2011年06月29日

正直、言うと。

生徒作品を読む時、私は、どこか、せつなくて、しんどくて、けっこうツライ。

だって、たいていの場合、それを本人に直接言うか言わないかは別にして、読むからにはこの作品をどうすればよくなるかを考えなくてはいけないからで、それがかなりしんどい作業だからだ。 さらに,いつも思うのは、その思いをしても,本人にあっさり作品を見捨てられることもあるからである。

なぜ生徒さんは、自分の作品なのに、この他人の私よりもずっと早く、なぜ先に自分の作品を見捨てることができるのだろうか。

しばしば,作品の修正について聞くと,「ああ、アレもういいんです」とか、「アレはちょっと書いてみただけですから」とか。 「え、マジで?」と思うくらいに,いとも簡単に言う人がいるのだが。それはなぜなんだろう。

なんといってもそれは不思議でならない。

あんなにさっさとあきらめてしまえるのなら、なぜ最初から書いたりができるのか。 他人の私が、それを聞いただけでこんなにせつないのに、一体なぜなんだ。

もしかすると、それが恋にも似ているせいなのかもしれない。さっさと醒めることができる人は、そんなものなのかもしれない。 だが、私は、どうにもよくわからない。

だから、しょっちゅう取り残されたような気分になる。

06/28/2011

作家デビューする人,しない人:気持ちをどうか忘れないように

2011年06月28日

専攻科で何年かたつと,さすがにたいていの人はそれなりの作品を書けるようになる。それで何割かの生徒さんは,コンテストで最終候補だとか,そうでなくても1次選考とか2次とか,それなりに成績も出してくる。もちろん何年在籍してても,在籍年数というよりは,作品を書いた量に比例しているところがあるので,遅い人はそれなりだけど。

でも,生徒さんの中には、うまくなっているにも関わらず,しかも口では、たしかに「プロになりたい」「デビューしたい」などと言いながら、なぜか自分で自分自身にブレーキをかけている人も多い。そして、そのことに本人が気がついていない。

たぶんブレーキの一つは,本心では「まだプロ作家になりたいと思っていない」ことだろう。

つまり本音では、まだデビューしたくない。でも,自分ではそれを認めていない。だいたいうちの専攻科にもなると、さすがに作家さんの話もいくつか聞いているから、プロの厳しい現実もよくわかっている。なので、「自分は、デビューしても、ちゃんと締切を守っていけるのか?」 「はたして、デビューしても、本当に書き続けることができるのだろうか?」などと不安になる。

実際、そんなことは、やってみなくちゃわからないし、だいたいデビュー前からそれを心配しても仕方ない気もするのだが、内心それを本気で心配している人も多いのだ。 でも,たぶんこれは、自分の作品に「自信」があるなしの問題ではなくて、おそらく「覚悟」があるかないか、という問題だろう。 だいたい人間は、本気でやりたければ、たとえ自信がなくても、覚悟なんぞは、いくらでもできる。

しかし,こればっかりは本人以外,まったくどうしようもないわけで,私としては,ただ待つしかなかったりするものなのだった。

06/27/2011

落ち込んでも、上を向いて歩こう

2011年06月26日

本日、あれこれあって、実は、かなり落ち込み気味。
今、他人サマの悩みなど、のっている心境じゃない。

けど、落ち込んでもやってしまったことは仕方ない。

しかし、やるかやらないか、やる前にごちゃごちゃ悩むよりは、やってしまって後悔する方がいいはずである。 やらない後悔よりは,やって後悔しよう。そう、コケてしまっても、それがなんぼのもんじゃ。安全圏ばかりを狙って、ちゃんと勝負しない人生なんてくそくらえ。

06/25/2011

自分の長所を決めつけることはすべきではない

2011年06月24日

木曜は職場は公休なのだが、火曜日に仕事が片付かなかったりしてアレコレやることがたまっていて、朝から小説講座の事務所。火曜は、小説講座の生徒さんが事務所に来たので、創作相談にのったりして5時間もかかったしな。スポ根コーチか。

いつも講師に「文章はうまいが、あまり面白くない」というようなことを言われているので、自分でも何とかしたいとの相談なのだが、これがなかなか難しい。 「文章はヘタだが、なかなか面白い」と言われたら、これは簡単に直しようがあるが「それなりにはよく書けているが、内容がつまらない」というのは、けっこう難しいのだった。 本人も困るのだろうが、本人に相談された方もけっこう困る。書き方の問題なら簡単なんだけどま。

まず、小説はそこそこうまいくらいでは、プロ作家にはなれない。

たとえば、お菓子作りの上手な主婦がいたとして、それがケーキ店を開きたいとなると、そこには何かしら大きな違いがあるわけよ。 プロになるってのは,つまり「商売」ってことだからね。だから、つまり「商売感覚」というか。「作り続ける」ための体力とか気力などもいるわけで。

さて、こういう「うまいけど,プロとしてどうかな」と言われてしまうタイプの作品は、わりと「純文学系」だったりする。日常ドラマで、意地悪く言えば、ほとんど何も事件らしいことが起こらない。あるいは、よく見れば、幼児虐待やら失業やらそれなりに悲惨らしいことが起きているのだが、それがなぜか淡々と書かれていることが多いのだった。 それなりに読めるけど,読み終わっても、「ふーん」という感じである。それでもコンクールの下読みなどすると、 ちょっと読めないくらいひどいものがけっこう応募されてくるから、それに較べると「そこそこは読める」だけでもかなりマシなのではあるのだが,どうも「頭だけで、テキトーに小手先で書いている感じ」がして、「ああ,うまいな」とは思っても,ワクワクしたり,めちゃくちゃ感動,みたいなこともない。

しかし、こういうタイプの作品だと、どこが問題なのかを指摘しにくい。まあ,たいていの場合,クライマックスとか盛り上がらないことが多いけど,とりあえずそこを直せとは言えるかもしれないが。

とりあえず,小説というのは、誰でも書いてればそのうちそれなりに書けるようになるのだが,その分,競合商品が多いから、「魅力がない」と言われるのが一番困るのである。

ところで、講師に「こういうふうに変えてみたら?」と言われても、「自分はそういうことはできない」と、あまりよく考えもせずに一瞬にして断る生徒さんもいる。

いや、いくら個性が大事,自分らしさが大事と言っても,せっかくのアドバイス,一瞬くらい,検討してもらってもよさそうな。

そりゃ、自分の「強み」で勝負すべきなのだが、なぜ自分の「長所」を早々と決めつけるのだ?

自分自身の長所を知るということと、決めつけてしまうのは、また別である。 よくわかってないのに「決めつける」と、もはやプロとしてはまったく使い物にならないくらい、狭くなりすぎるかもしんないじゃん。

自分の「強み」は知っておくべきだが、もし、決めつけてしまったら、たぶんその人は、そこから伸びることはできないし、結果的に時代のニーズにあわせてうまくニッチを見つけられないので、そういう人は結果的に「成功率」が低くなる。

むしろ、もしプロ作家になるつもりなら、いつも新しい能力、あるいは能力の新しい使い方を発見しつづけなくてはいけないと思う。それがまあ、クリエイティブというものだし。

プロで活躍するというのは、戦場の最前線で戦い続けているようなもの。そして,それは何を言っても、実践経験に勝るものはない。 だから、「どうやったら面白いのか」ということに発想の転換ができるかできないかは,ずっと自分の可能性を広げられるかどうかにかかかっている。長所や個性は大事だが,これだけと自分で決めつけてしまうことはかなり危険だと思う。

06/21/2011

将来やりたいことのために、今やらないことを決める

2011年06月20日

中学の同級生からメールが来た。来月、30年ぶりの同窓会をやるらしい。

まあ、土曜だからどっちみち仕事だし、なにせまだ院生もやってる私は、ぜんぜんそういう気分じゃないんだがなー。私、同窓会は、60歳過ぎてからでいいんだが。40代の同窓会って、あれこれ面倒くさそうで嫌である。

さて、最近、家事もいいかげんで、仕事も遅れがちだが、研究生活もヤバい。
2011年06月20日

忙しい時期に必要なことは、「本当にやっておきたいこと」のために「やらないこと」をちゃんと決めておくことだろうと思う。 まず「絞り込む」のだ。 何が何でもやりたい、ということがある場合は、むしろ「やらないことを決める」というのが大事なのである。

実は、自分が何をやりたいかということを絞り込むのはけっこう難しい。何かをやるために「何かをあきらめる」のはもっと難しい。

だが、とにかく何かやりとげたい場合、自分の能力と時間が限られているなら,やりたいことだけに労力を絞り込む方法しかない。私に限らず、誰だって結局、泣いても笑っても一日24時間しかないのだ。私も、自分の能力が平均以上にあるとは思ってないから、もし本当にやりたいことがあるのなら、そのために自分の労力は出来る限りしぼって、集中投入するしか手がない。人並みの能力なら,それなりの努力。そのためには,できるだけ時間は有効に使わなくてはいけない。

もし人よりも何か特別なことをしたければ、絶対にそうである。

だから、そのための見直しは、早くやればやるほどいい。「本当の本当に、何が何でもやりとげたいこと」以外はなるべくやらないこと。その方が「やりたいこと」の成功率が高くなる。「自分の時間」というのは,本当にかなり限られた時間なのだ。

だが一方で、幸いなことに「本当の本当に、何が何でもやりとげたいこと」って、本当は,きっと誰でもかなり少ないものだ。

とにかく「何が何でもやりとげたいこと」だけにしぼらなければいけない。 料理の調味料と同じで、スパイスとかあれこれたくさんあればあるほどいいというもんでもない。それがたくさんあっても、すべてちゃんと使いこなせる人はほとんどいない。だからアレコレあるよりは、むしろ少ない調味料で、うまく工夫する方が結局よかったりする。

「何かをあきらめないために,何かをあきらめること」

ところで。

今、もしそれを「やらないこと」に決めれば、あっという間に時間が捻出できるだとうと思っているのは、「ネット」なのだけど。

まあ、こればっかりは切ると生活に困るからしなー。

06/20/2011

今頃になってようやく衣替え

2011年06月19日

ふと気がつくと、もう梅の季節になって、買い物に行くと店先にも青梅とかシソとかホワイトリカーが並んでいる。昨日,実家の母が「昨年の残りなんだけど、作ってもあんまり飲まないから残った」と古い梅酒をもってきた。うちの母は「梅を漬けるのに失敗すると、家が燃えてしまう」という迷信を信じていたそうで、勤め先を定年してヒマになってから,ようやく梅を漬けるようになったのだ。

私も、「3人の子供たちの世話がラクになったら、ゆっくり梅でも漬けてみよう」と思っている。やっぱ、当分は無理だなあ。

06/18/2011

小説講座の欠席発送

業務連絡

>小説講座の専攻科の皆様
6/14発送分の到着が遅れると思いますので、よろしくお願いします。(6/21までに到着しなかったらご連絡ください)

06/03/2011

なぜか「想像力」の出し惜しみ

2011年06月02日

いつも小説講座の生徒さんたちは、なぜかあまり「想像力」を「鍛えよう」としない。 たぶん彼らは「想像力」のようなものは、「自分には生まれつきあるから大丈夫」と思っているに違いない。

そりゃ、小説を書きたいとか、マンガを書きたいというような人は、ふつうに考えれば「空想的」ではあるのは確かである。 でも、一般の人々の中から見れば、多少は「そういう傾向」というだけで,そうなのであって、それはそのままプロとして通用するレベルではない。 プロになるには、まだ足りないのだ。

てか、想像力なんて、なくて困るが,なんぼあってもありすぎて困ることはない。たいていはまだまだ足りないからである。 あれも「一種の才能」なんだろうが、実際には,才能というよりは「やる習慣があるかないか」である。日頃の「習慣」とか、日頃の「訓練」によるもので訓練される。つまり先天的な力とか、生まれつきの才能ではない。

だから、毎日、少しずつ気をつけて、ちょっと鍛えれば備わる程度の能力なのである。

でも、生徒さんは、なぜかやらない。だって、生まれつきに「備わっている」と思っているから。でも,プロ作家になるには,並大抵のレベルでは「まだまだ足りない」のだ。いくらあっても足りないくらい。

しかし、小説講座の生徒さんは「文章がまだちゃんと書けてない」と言われるのはいいのだが、「あまり空想力を使ってないでしょう」と言われるとなぜか「絶対にそんなことはない」と反論することが多いのである。

こういうのはかなり時間をとって細かく説明しないと納得してもらえない。

先日も、ある専攻科の生徒さんに頼まれて、ぜひ作品を見てほしい、わざわざ私のコメントが欲しいというので、そこに時間をとって説明した。どれくらい伝わったかよくわからないが。

一般に、読者にわかりにくい文章というのも,うちの講座だと、さすがに日本語能力とか、文章力の問題というのはあまりなく、おそらく空想力をちゃんと使ってないのが問題じゃないのかと思うような「妙な表現」が原因であることが多いのだけど。

なせかプロ作家と違って、生徒さんはいくらでも「空想力の手抜き」をする。

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