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03/12/2011

主人公の年齢も考えてません

2011年03月11日

専門学校でも、小説講座でも、けっこうな量の生徒作品を読んでいるので、主人公の年齢がさっぱりわからんのは、わりとよくある話である。(まして他の登場人物は)

年齢なんかわからなくてもストーリーに関係なきゃいいんだが、問題は、それで途中で疑問がおきる場合である。

若い男性で、最初、卒業旅行をつい最近のことだとか言うので「大学か高校を卒業したばかりなんだろうな」と思ってたら、いきなり小学生の娘が登場し、「なんだそれなりの歳の男性だったのか」と思ったりすると、同級生がまだ大学生だったとか。留年しているとは言え、「うーん、一体何歳なんだ!?」と思ったり。

また、「まあたぶん中年のおっさん」とか思ってて、定年にはまだだいぶ間があるとか言っているのに、いきなり大学生の孫が登場したり(そりゃ不可能ではないのだろうが、かなり早婚だぞ、それは)、結婚2年だと言っているのに、そこに5歳の子供がいて(これって連れ子なのか、再婚か?)と思ってたら、どうもそういう話ではなく、ただの作者のミスだったとか。

まあ、その程度ではいくらでもある。

専門学校の学生でも、生徒作品はこういうパターンがめちゃくちゃ多い。作者に「この子、何歳くらいのイメージなの?」と聞いても、「年齢? ええっと、少年です。とくに考えてませんね」 とか言われる。

とくにマンガだと、少年が主人公というパターンが多いのだが、少年といっても、5歳から15、16歳までいるわけので、わりと年齢幅がある。ちなみに、マンガだから絵をみればだいたいの年齢くらいわかるだろうというのは、まったく甘い。絵だってうまいとは限らないのが生徒作品。

とりあえず「少年」と決めただけで、年齢をちゃんと考えてない作者が多いので、彼の行動に一貫性がなくなる。こういう作品だと読者も読んでいてもよくわからない。だって、作者だって考えてないんだから。 しかし、5歳と15歳では、いくらなんでも10歳もひらきがあるし、主人公の場合は、あれこれ行動するから、作者が年齢を考えてないとボロがけっこう出るものだ。

厳密に決めてなくても,とりあえず「だいたい11、12歳くらい」と決めておいてくれれば助かるのだが、ただの「少年」なんてのはわりと要注意である。

ちなみに,小説では「主人公が何を着ているのかもよくわからん」ということもある。女性で、通勤途中でハイヒールで走っていたので、ずっとそのままスーツかスカートくらいだろうと思ってたら、いつの間にか、スニーカーにジーンズだったりするとか(どこでいつのまに着替えたんだよ!)

読んでる方は「あれれ、いつ着替えたんだ!?」と思うよね。

まあ、しかし、生徒作品でそれくらい気にしてたら、その先がとても読めなくなるので、「まあいいか」とは思うよ。でも、読んでいる人がまったく気がついてないわけではない。どこかに矛盾があるというのは、ちゃんと読み返さないと原因がわからないから,手間がかかるからたいてい原因追及はやらないが、「なんとなく変だなあ」とは思ってしまうものである。これがちょっとだけなら別にいいが、どんどん重なってくると、わからなくなる。そもそもマンガとか小説なんていうのは、もともと虚構の話なので、こういうのがあまり多いと、なかなか落ち着いて面白く読めなくなってくる。

で、主人公の年齢に限らず、こういったミスの多くが、「作者が、もともとあまり考えてない」というのが原因なのだが,せめて主人公の年齢とか,今着てる服装くらいは,ちゃんと考えていて欲しいものである。

03/11/2011

小説講座のよくわからない作品

2011年03月10日

専攻科の「修正依頼」を出しまくっているので、今週はほとんどそれにかかりっきり。まだ連絡とれてない生徒さんも多いのだが、なんか憂鬱になってきた。

5月提出分は長編の〆切なので長い作品も多いだろうし、こんなに手間がかかることは絶対ムリだなあ。個人的なことだが、5月14日から4週連続で「学会発表」をやる予定だし、こんなに手間がかかることはムリだと今からわかっている。そろそろ自分一人でやるのが限界かもなあ。かと言って、お手伝いを頼める人もいないし。

今から5月の心配をしても仕方ないか。

今回、とくにAクラスの作品がイマイチだったのが、私には一番ショックだったもんなあ。うーん。

いつもならまずそんなミスはしないハズの生徒さんも、今回は冒頭シーンから「なんじゃそれ」な描写をしてたしなー。なんつーか、正直、そこまで裏切られた感がしてしまったのな。

「ブルータスおまえもか」(ちょっと違う)


03/10/2011

あっさりお蔵入りだと

2011年03月9日

先日からずっと生徒作品と格闘し、昨日から修正依頼を何通もメール送信。昼間、事務所でも、何人かケータイに電話してみるが、うちの生徒は社会人が多いので、ほとんど出ない。 ああ、修正依頼なんて、ホント、そうそうするもんじゃない。だから、なるべく修正依頼とかやりたくないのだがな。

そして怖れていたことが。

メール送った一人の生徒さんからは「もういいです。あれは、お蔵入りさせてください」とのメールが。 聞けば,日頃の彼の作品から見ても、あきらかにかなり出来の悪い短編で、どうもあやしいなと思っていたのだが、どうやら十年前に書いた旧作をそのまま出したらしい。やっぱり旧作だったのかー。けっこういるのだ、こういう生徒さん。

いや,いくら旧作でも,それを出してもいいけど、自分でもまずいと思ってるなら、多少は書き直して出すのが礼儀でしょ。 いくら忙しくても、短編なんだから少しくらい直せるはずなのに。

でも,理由はともあれ,たとえ作者本人でも安易に作品を見捨てるのは許さないよー。せっかくの作品、最後まで責任もってくれ。

そりゃ、確かに、私,ここがよくわからないと40カ所くらい指摘したけどさ。けど、これ、半分は自分でもわかってたみたいだし。

そもそも私がそれだけの箇所をメールに書いて指摘するだけでも、いったい何時間かかったと思っているのだー。それをあっさりお蔵入りだとーー。なめんじゃないのよー。私の労力までムダになるじゃん。そんなこと許されないのよ。

一度,書いたものは書き直せ〜。拾ったペットはちゃんと飼え。生んだ子供は責任をもって育てるべし。

自分で書いた小説を見捨てないでね

3月9日(水)
何人かの小説専攻科の生徒さんにメール。修正依頼をするのはいいのだが、修正原稿がいつ提出されるかが心配。うちの小説講座は、社会人ばかりなので、みんないい大人だったりするのだが、わりと落ち込みやすい人が多いのだ。

作家志望だから落ち込みやすいタイプが多いのか、そういうタイプだから小説を書くのか、そこんところは私にはわからんけど。

だいたい修正依頼がちゃんとわかってもらえるかどうかが心配。たいていの場合、それは設定上の矛盾とか、文章上の技術的な問題なのだが、なぜか、それを何カ所か指摘すると「じゃあこの作品はもういいです」とか「それだと根本的に全部書き直さないとダメですね」と、すぐ言い出す人が多いのね。

でも、なぜなんだろう。不思議だ。

なんか、ちょっと納得いかないのよね。

なぜ何時間もかけて書いたものを、ちょっとくらい私に指摘されたぐらいで、自分でほおり出してしまうようなことができるのかなあ、と。そりゃ私は作家でも編集者でもなく、ただの小説講座の事務局スタッフに過ぎないので、こんな私に指摘されるのが気に入らないのかもしれないけども、それならそれで貫いてくれればいいんだがなあ。

自分の作品をわりと簡単に見捨てられる人がけっこう多いのは、いったいどういうことなんでしょうなあ。それだけ自分に自信がないのかな? しかし、自信がなくたって、書きたいなら書いていいと思うんだけども。

いったん書いてしまってから、本当はそれほど書きたい作品でもなかったと自分で思っちゃうのかなあ。でも、そもそも最初から書きたくないものを最後まで書くはずもないので、何かあったはずなのだけどねえ。

たぶん本人が書いているうちに忘れてしまうんじゃないかなー。小説って、書きあげるのには、けっこう時間がかかるので、きっと、その間にそれがいったい何だったかわからなくなるのだ。

だとしたら、書きたかったことを思い出してもらわんとなー。

とりあえず、専攻科の生徒さんは、自分でできる範囲までがんばって書いたものを再提出してね。

03/09/2011

自分の小説なんだからちゃんと考えて書いてくれ

2011年03月8日

昨日は、小説専攻科の作品締切日。3月の提出作品数は、11月1月よりもやや少なめ。例年の3月分から見てもかなり少なめである。長編も2本だけ。生徒数は増加してるんだから、そんなハズはないんだがなあ。

てことは、みんな、やっぱ、長編はまとめて5月に出す気か。

たまたま急ぎの事務作業もなく、提出数が少なかったので、印刷作業などを丁稚どんにおまかせしてから、すべての提出作品をカバンに入れて、隣のファミレスにたてもこり。昼食のついでにドリンクバーを頼み、それから2時間ほどかけて、全部の作品を読破。へとへとに。それでも長編だけはさすがにかなり「とばし読み」しましたが。

今回、急いで読破しているののは、今回こそは事務所からの「修正依頼」を出すためである。「修正依頼」とは、講師指導の前に、事務所で気がついたところだけでも、あらかじめ直してもらうためにやるものである。

わざわざプロ作家の講師に指摘されるほどでないような、誤字や脱字、簡単な内容的「矛盾点」などを事前に直してもらう作業なのだが、この「修正依頼」をすると書き直してもらう期間がかかるので、実は、必ずしも簡単に「依頼」しにくい。生徒さんの場合、いつ修正作品が提出されるかの保証がないし、ちょっと指摘しただけで「それなら、もういいです」みたいなことを言う。私としては直せると思ったはずの指摘でも、それじゃいいです、なんていってさっさと自分の作品を捨ててしまう生徒さんはかなり多いのだ。

作品総数が少ないと指導日の調整も難しくなるから、そっちの事情で、依頼しにくい。とくに今年は作品数が少なくて、まだ数人しか出してないのだった。

未熟だからと言って、落ち込まなくていい

2011年03月8日

ここ数年、専門学校で講師をやるようになって、やっと教える側の気持ちが少しはわかるようになってきた。 教える立場になって知ったことは,学生がいくら未熟だからと言って、それを理由に教える方が腹を立てるとか、まして幻滅して見捨てるということはまずほとんどない、ということである。 まあ,たまには優秀な学生しか興味がないという先生もいるかもしれないが,たいていの先生はそうなのである。

自分が学生の頃、そんな話を先生から聞いても、
「でも、そんなことはキレイごとで、先生たちも、ホントは優秀な学生が好きに違いない」
と思っていたのだが、実際に「教える側」になってみたら、やっぱりそんなことはない。そりゃ教師もいろいろなタイプがいるから、優秀な学生以外は嫌いだという極端な人もどこかにいるのかもしれないが、たいていの教師は、そんなことはないのだった。

非常に優秀な学生もいれば、そうでない学生もいる。ただ、たくさんの学生を何百人と見るとわかるのだが,結局「非常に優秀な学生」というのは、確率的に言えば、100人に一人ぐらいしかおらず、たいていの学生は,「まあまあ」とか「ふつう」だとか、それがほとんどなのだ。なぜか、私も,学生の立場にいると,まるで一部の優秀な学生が頂点にいて、なぜか能力別にだんだん底辺が多くなる「ビラミッド型」みたいな気がしていたのだが、もちろん教師から見たら、それはだいぶ違う。

実際の成績分布は、「ピラミッド型」というよりは、真ん中あたりが極端に多い。つまり「正規分布」である。 たいていの学生はできが悪いといっても、まあ、せいぜい「ぼちぼち」とか「ほどほど」程度なのだった。

ちなみに、もともと「ものすごく優秀な学生」というのは滅多にいないが,しかし,実際そうなるとすでにこっちが教えるまでもないくらい優秀なので、もはやほっとけばいいだけである。とても「楽」だ。こういう学生は、めずらしいから話題にはなるし、もちろん期待はするけど、まあ、ただ、それだけの存在である。一方,極端に優秀じゃない学生もまれにいるけど、そこまでの場合は、本人の能力とかやる気の問題というより、背景に何か家庭の事情だとか,簡単には解決できないような複雑な事情があることが多いから、たんに能力の問題とは言えない。

とにかく教える側になってみれば、学生が未熟なのは、ほとんど「あたりまえ」なので、それ自体はどうのこうのと思わない。まあ、一度教えればさっとできる優秀な子も、何度教えてもうまくいかない子もいて、しかし、何百人も学生を見てればその程度はとくにめずらしくもない。だからそれで本気で腹を立てるとか、あきれかえるとか、そういうことはまあそうそうない。まあ、何十年も教員をやって、何千人もみてれば、十年に一人というくらいの子もいるのかもしれないが。

だから、教える側がムッとしたり、がっくりしたりするのは、学生が未熟なせいではなく、本人にやる気がないのでこっちがバカにされたような気になることがあるからである。これは、教師泣かせで、この場合、いくら努力しても,なにもかも、まるで底に穴のあいた袋のように、何もかもが漏れていくだけなように思えてしまう。

先生にとって「自分がやっていることがばかばかしい」とか「むなしい」とか思ってしまう。

ある先生の話では、「小学生と違って,ある程度の年齢の学生は,本人がその技術が自分にとってほんとうに必要だと思わない限り、身につけようがない」のだそうだ。、たしかに小さい子供のうちは、本人が訳もわからずに強制的にやらせてもそれが身につくのだそうだが、それができるのは、せいぜい中学生までらしい。

高校生でもそうなのだから,社会人向けの小説講座で、もし本人が学んだり、身につけられたりすることがあるとしたら、それは「本人が必要だと思っている技術」だけなんだろうなと思う。

教える側が、生徒を見捨てることは意外とないものである。本人があきらめないかぎり、どんな技術でも、それが技術なんだったら、いつかは身につけることはできるはずである。だから自分が未熟だからと言って、それで落ち込む必要はさほどないと思う。むしろ,やる気までなくしてしまうと、教える側にもかなりダメージを与える。自分を信じて立ち直るべきである。

作家志望というのは「作家というのは、特別な才能のある人間で、自分にもそういう才能がきっとある」とどこかで思いたいのかもしれないが、もしそういう人間がいるなら、それは小説講座に入学とかする前にさっさとデビューしてるだろうし、とにかく、そんなふうに自分に極端な才能があるかないかを悩むよりは、そんな暇があるなら、さっさといわゆる必要な技術とかがあれば、それを身につけてしまった方がいいんじゃないかなあと思うんである。それは、かなりの部分は努力次第で何とかなるものなのだ。

とにかく未熟だからと言って落ち込まないでほしい。そんなヒマがもったいない。

自分の小説なんだからちゃんと考えて書いてくれ

3月8日(火)
小説専攻科の作品締切日。3月の提出作品数は、11月1月よりもやや少なめ。例年の3月分から見てもかなり少なめである。長編も2本だけ。生徒数は増加してるんだから、そんなハズはないんだがなあ。

てことは、みんな、やっぱ、長編はまとめて5月に出す気か。

たまたま急ぎの事務作業もなく、提出数が少なかったので、印刷作業などを丁稚どんにおまかせしてから、すべての提出作品をカバンに入れて、隣のファミレスにたてもこり。昼食のついでにドリンクバーを頼み、それから2時間ほどかけて、全部の作品を読破。へとへとに。それでも長編だけはさすがにかなり「とばし読み」しましたが。

今回、急いで読破しているののは、今回こそは事務所からの「修正依頼」を出すためである。「修正依頼」とは、講師指導の前に、事務所で気がついたところだけでも、あらかじめ直してもらうためにやるものである。

わざわざプロ作家の講師に指摘されるほどでないような、誤字や脱字、簡単な内容的「矛盾点」などを事前に直してもらう作業なのだが、この「修正依頼」をすると書き直してもらう期間がかかるので、実は、必ずしも簡単に「依頼」しにくい。生徒さんの場合、いつ修正作品が提出されるかの保証がないし、ちょっと指摘しただけで「それなら、もういいです」みたいなことを言う。私としては直せると思ったはずの指摘でも、それじゃいいです、なんていってさっさと自分の作品を捨ててしまう生徒さんはかなり多いのだ。

作品総数が少ないと指導日の調整も難しくなるから、そっちの事情で、依頼しにくい。とくに今年は作品数が少なくて、まだ数人しか出してないのだった。

でも、このところあまりいい状態の作品が提出されてないから、3月提出分はさすがに「修正依頼」だそうと思っていたのだった。

こういう依頼をするのは、本人にそれぞれちゃんと説明しなくちゃいけないので、実は、けっこう面倒くさいのだが。

で、結局、「とりあえず読める」「とりあえず書きたいことまたはストーリーがわかる」「内容的な矛盾点がほとんどない」というレベルに設定したら、依頼を出さずに済みそうなのは、今回は、歯科助手を描いた1作品のみ。

ううう。なんてこったー。

03/08/2011

作家志望と「ねばる」という才能

2011年03月7日

小説講座の生徒作品には、もったいない作品が多い。

私は、生徒作品には、よほど本人から聞かれない限り、あまり感想や意見を言わない。作品指導は講師の先生たちにまかせているし、私自身が作家でも何でもないので、どのみち私に指摘されても仕方ないからだ。 しかし、講師指導の依頼をしないといけないので、最低限できるだけ全部の作品に目は通すことにはしている。その際、「うーん、このへんの描写がよくわからないなー、いったいこの状況って、どうなってるんだろう」と思うこともかなり多い。

だが、それを生徒さん本人に言おうと思うと、これはかなり慎重にやらねばならない。というのは「あの部分って、どうなってるの?」と聞いても、反対に「えっ、どうしてわからないんですか?」とムッとされたり,「書き方が悪かったんですかね」と落ち込まれるなんてこともけっこうあるからだった。

ヘタすると、「もういいです!」とか、「逆ギレ」とかする人もけっこういるので、要注意である。

そうでなくても、必要以上にがっくりされて、「そんな欠陥があるなら、もういいです」と本人がさっさと作品を見捨てたりする危険性もある。私としては、ただの「部分修正」を求めているハズなのだが、なぜか本人が、作品全体をさっさとあきらめることも多いのだ。ひーん。

だいたい、どのみち生徒作品だし、プロのじゃないんで、いきなり完璧な作品など書けるわけもないわけだし。だから、どうやったらあまり読んでて気にならないくらいに、矛盾なく読めるように修正しようよという話なんだけどね。

とにかく「ねばってくれ」


春の生徒募集の準備中

3月7日(月)
春の生徒募集がもうすぐ始まる。しかし、このところ、なぜか小説講座の資料請求が多い。うちの小説講座は、秋開講しか生徒募集をしてないので、今、資料請求が来るのはめずらしいのだけど、先日も見学希望の人があったり、事務所に相談に来たり。

03/06/2011

小説は、まずわかるように書く

3月5日(土)
今日は小説専攻科の授業がないので、14期の講義のみ。本日の講師は、青木先生。うちの小説講座は、プロ作家さんばかりなのだが、20人近くいる講師の中で唯一の編集者である。青心社の社長で、ベテラン編集者の青木先生は、専攻科の作品指導などでもいつのお世話になっている。当時、生徒さんだった福田和代さんも、専攻科での作品を書き直して出版したのがデビューだったのだ。彼女は、わずか数年で、連載数誌、超売れっ子作家になってしまったけど、これも青木先生のおかげである。まあ、ご本人にそういえば、「いや、作品がよかったからですよ」と言われるだけなんですが。授業では、前半は出版界の実情など、後半は、出版社としてはどんな作品が欲しいかという話。とにかく小説は、まずわかるように書くのが大事ということに、ついついうなづいてしまう私。生徒作品は、読んでもさっぱり何が書きたいのかわからんもんんがけっこうあるからなあ。

終わってからは、いつもの中華屋で飲み会。

03/05/2011

ぱそこん買って、久しぶりにブログ更新

3月4日(金)
自宅で、7年も使ってきた古いパソコン。ついに新しいのを購入しました。これでやっとココログにアクセスできる〜。これからは、ブログもマメに更新できるよー(たぶん)

あまり古すぎたので、ココログにアクセスできなくなり、もちろん動画なんかも見れなかったのだが、これでスイスイだー。

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