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08/21/2009

小説は書き続けてナンボ、と、言い続けてるのだけど

8月20日(木)

さて、小説講座の生徒さんのことでアレコレ悩むのも仕事のうち、なのだが。

作家になりたいと言いながら、どうして、さっさとあきらめる人が多いのだろう。

小説を書くってのは、トントン拍子にうまく書ける……なんていうのはむしろ少なくて、多かれ少なかれ、みんな、何らかの苦労はしているものだ。もちろんひょっとして、世の中には、一日何十枚でも、何の苦労もなく書けるという人がいるのかもしれないが、小説講座の生徒さんを見ている限りでは、まあ、そういう人はまずいない。

実際、シロウトが楽に書いても、それを他人が読んで面白いとは限らんし。

たいていの人は小説を書くことができる。作品はとにかく書けば書くほどうまくなるもので、それは十数年、生徒さんを見てて、ほとんど確信をもって保証してもいいくらいなのだが(ただし、小説講座の生徒さんの事例だけなので、一般の人がそうかどうかは知らない)一方で、最初っからうまく書ける人もいないのだ。

だから、問題は、うまく書けなくても、とにかく書き続けられるかどうか。

あとは、他人に読んでもらって、もし何か意見を言われたとしても、必要以上に落ち込んだり、むやみに自己嫌悪にならないこと。あまり落ち込みすぎると、書き続けるのが困難になるし。

いや、這い上がることができるのなら、いくら落ち込んでもいいのよ。とにかく書き続けること。そして、何を言われても、とにかく人に見せて読んでもらうことを続けること(商業出版をめざすのなら、こっそり書き続けるよりは、絶対に人に見てもらった方がいい)

たった一つ、これだけのこと。

なのだが、ただ、なぜかそれがなかなか難しいんだよなあ。なんか、ホント、一度は作家になりたいとか、言ってたのに。どうしてみんな、あきらめがいいのか、それが不思議。

ホントあきらめがよすぎる、ってどうなんかなあ。やるだけやってみたらいいのに、なんでか作品を書き続けるのって、そんなツライのかな。最初っからうまくいくはずと考え過ぎなんじゃないのかなあ。

それとも、うまくいかないと、何か自分を否定されたような気がして、プライドとか何かがジャマするのかな。

08/20/2009

小説を書くこと自体、恥かいてナンボ

8月19日(水)
朝から小説講座の事務所。あれこれ空まわりの多い一日。

生徒さんの作品を見ながら、ふと「もっとたくさん恥をかこうよ」とか、思う。

そういえば、「どんだけいっぱい恥かいたか。それがないと作品なんか、よくならへんで」
と言ってくれた先生がいたっけ。シナリオの先生だったっけ。

運営的には5年前に独立したのだが、うちの小説講座は、大阪シナリオ学校から受け継いだもんである。だから、今は、いろんなプロの小説家さんたちにお世話になっているのだが、シナリオ学校時代には、いろんな講師の先生にお世話になった。放送作家とか、映画監督とか、漫才作家さんとか。そういう先生たちの話を色々聞いて、本当にいろんなことを学ばせてもらった。分野は違っても共通することはけっこうある。

生徒さんの中には、よく「私が書いた作品は、人にまだ見せられませんから」とか言って、作品をなかなか提出しない人がいるけど、失敗することにも意味があるのだから、書いた以上はとにかく提出した方がいいのである。一生懸命に書いたつもりでも、どうしても面白い作品にならない。そう思っても、今はそれが自分の実力なんだから、それはそれで人に読んでもらうしかないのである。恥なんて、かきまくればいいのよ。できるだけいっぱいの人に読んでもらったらいいやん。たとえプロだって、恥なんて、かかずにいられないんだから。

うむ。恥なんか、いっぱいかいてなんぼ、なのじゃよ。

いや、うまく書くことも大事だけど、ころんでも、むちゃくちゃでも、あとでみたら恥ずかしくっても、とにかく書くことが大事なのである。転ぶのを怖がりすぎると、もう歩けなくなってしまう。何もしなければ、転ばなくて済むけど、そんなことをして、仕方ないのだから。

転ぶ人を見てると、怖いかもしれないし、それなら作品なんか他人に見せないほうがラクみたいに思うけど、でも、最後は、恥をいっぱいかいた人の勝ちなのである。

まだまだ恥をかいた数が足りないだけなのよ。

08/19/2009

人生いろいろ

8月18日(火)
小説講座の事務所は、今日から、休暇明けです!

丁稚どんはせっせと印刷作業。卒業生が来て、なぜかタロット占いとか。生キャラメルのおみやげあり。おいしゅうございました。

4時に、私の個人的な客が来て(隣との境界線問題がまだ終わってない〜)、6時頃までロビーで会話。7時過ぎまで仕事。

ふう。人生、長いんだから、落ち込むこともあるさ〜。
みんなも、がんばろ〜。公募落ちがなにさ。

バタバタあって、帰宅後。届いていた「ゆうパック」を見たら東京の芦辺先生から。
あれれ何。あ、DVD2枚だ。
おお、先日、見損ねた森江春策だ〜。わーい!! 
ちょうど落ち込みモードだったんで、嬉しさ倍増。

ホント人生、山あり谷あり。苦あれば楽あり(ちょっと違うか)

たいへん感謝! 
ありがとうございます。

ドラマ化おめでとうございます。
シリーズ化するともっといいんだけどな。


08/18/2009

ほとんど宣伝費のない小説講座

8月17日(月)
小説講座の事務所は、8月17日までお休みです。

一応、今日までは夏期休暇中なのだが、ほんのちょっとだけ出勤。

そろそろ秋の生徒募集なので、資料請求もチラホラ。しかし、なにせうちの小説講座は、ほとんど宣伝をしていないので、たまたまネットで検索したとか、そういうパターンで存在を知った人が資料請求をしてくるくらい。あと多いのは、友達の紹介とか、いわゆる口コミ。

そのせいか、よく
「じゃあ、知る人ぞ知る、っていう講座なんですね?」
と言われたりするのだが、いや、それはどうなんでしょう。そうなんですかね。

このブログも、ひょっとしてたまたまなんか検索してて、たどり着いたという人が読むことがあるかもしれないが、実際、どこにもリンクもしてないから、よほど運のいい人(いいのか?)なのである。まあ、ごく少ないアクセス数から考えても、どうせ一部の生徒さんしか読んでないと思うけど。

なんでちゃんと宣伝して、生徒をわんさか集めないのかと言われると困るわけだが、まあ、非営利でなんとかやっている小さな講座なので。

なにせ年1回だけの募集しかなく、少人数制のクラス。それに、あくまでも一応、プロ養成というのがコンセプトなので、あんまりたくさん入学生があっても困るわけで。いや、まあ、どうせ来ないと思うけど。

どのみちどうせお金をかけて宣伝したところで、世間では、本気でプロ作家志望という人は実はそれほどは多くはないもんだと思うのよね。いや、モノ書きになりたいと言うのは口で簡単なんだけどね。ホンキでプロ志望というのは、そんなに多くないと思うし。

そもそも小説を書くからと言っても、誰しもが小説講座に来るとは限らないもんだと思う。まったく金のかからない公募マニアとか、同人誌の方がやってて楽しいだろうし、そもそも小説なんて一人でも書けるもんだし。

誰だって、ちょっと将棋が好きだから、とか、ちょっと料理を作るのが好きだから、という理由では、必ずしもみんなプロをめざしたりしないものだし。

小説講座に入学して一番いいことは、仲間とか、講師がいるので、自分の作品が客観的に見れるとか、自分のレベルがわかるようになることなのだが、それって一方で、「自分が一番うまいと思えなくなる」ということだったりするのね。たぶんこれが人によっては一番面倒なことでもあるみたいで。

小説講座に入学した生徒さんのほとんどは、数ヶ月もたてば、自然に、自分のレベルがだいたいどれくらいかは見当がつくようになってくる。

そうなると「正直、自分ではけっこううまいと思ってるのに、なぜかデビューできない」と思っていた人ほどしんどいらしい。プライドのない人なんていないしね。プロをめざす以上、同人誌とか、ネットとか、とにかく楽しく気楽に書けるってわけでもないので。

で、それに耐えるのは、「それでもとにかくプロ作家になりたい」とかしかないわけで。

そんなふうに恥をかいても、泥臭くても、汗臭くても、とにかく書きたいなんて、まあ、みんな、よほどのモノ好きだと思うわけで(いや、ホメてますって)

なんで小説講座なんか十数年もやっているのかと言われれば、それなりの大きな社会的な意義とか、必要性があると思うから続いているわけで、そのことは、私よりもたぶん生徒さんとか卒業生とかの方が、よほど実感として語れそうな気もするけど。

ただ、生徒さんがたくさん集まりすぎる必要はないけど、それなりの人数が集まってくれないと開講もできないからなあ。

この時期、毎年、今年は開講できるかなあと、そういう心配ばっかしてる。でも、なんだかんだで、小説講座も十数年、似たような人数でずっと開講できているのだけど。

それでも来年のことはわからんからなあ。

08/17/2009

小説とは関係のない休日(まだまだ盆休み)

8月16日(日)
小説講座の事務所は、8月17日まで夏休みです。

夫と子供たちは、朝からプールへ。私は、今日も自宅の仕事部屋。ラジオで「SFヒーロー三昧」を聞きつつ(16時間の番組中、たぶん10時間くらい)、仕事&家事。夕方、近くのアウトレットパークにて買い物。

朝日新聞の連載小説が面白い。女性の蒔絵師が主人公の時代小説だが、職人をめざす女性の悩みなどが書かれており、創作にとりつかれた人々への洞察など、描写がきめ細かい。ひとごとと思えないところもあったりする。

うちの小説講座にも作家をめざす生徒さんがいるけれども、どんな分野でも、真剣に創作をめざすというのはたぶん似たようなところがあるように思う。やはりどこか魔にとりつかれたようなものでもあったりする。とくに天才タイプなら、必ずしも平穏な暮らしと両立するとは限らない。

小説もそこそこ慣れれば、たいてい誰にでも書けるものだし、プロをめざさなければ、書いていてただ楽しいだけなので、なにも苦労して無理にプロをめざさなくてもよさそうなものだが、一方、せっかく苦労して仕上げたものを誰かに読んでもらいたい、できれば広くいろんな人に読んでもらいたい、というのも、また当然の願望。

書いたものを誰にも見られずに終わってもいいというのは、やっぱりどこか自分をごまかしているようなところがある。たぶんどこか誰かに読んでもらいたいというのは、きっとあるのだから。

創作の悩みというのは、かなりやっかいで、世間では、なんだかクリエイティブとか、自己表現とか、なんだかカッコイイもののように言うみたいだが、これはこれで実はかなりややこしい。本気でとりつかれたら、ワクチンも効かない熱病のようなものなのかも。

08/16/2009

小説とは関係のない休日(お盆、亀、フェルマー)

8月15日(土)
小説講座の事務所は、8月17日まで夏休みです。

夫と子供たちは、朝から鶴見緑地で虫捕り、昼からは墓参りと近くの温泉へ。夏バテ気味の私は、一人で自宅。

水槽から脱走して、2日ほど行方不明だった亀(ミドリガメ君、3歳)を私の仕事部屋の本棚の下で発見。数ヶ月前、ハムスターが脱走したときもこの近くだった。もっともハムは、開いていた引き出しに入り込んで、古いレシートを噛み砕いて巣らしきものをつくってたけど、亀は本棚の横の電気コードにうずくまってじっとしてただけ。

高1の息子は、夏休みの宿題に「小説1冊、評論など1冊」の読書感想文を書かなくてはいけない。先日、書店で文庫を2冊買わされた。小説は「蝿の王」とノンフィクションは「フェルマーの最終定理」だった。なんだか微妙なチョイスだなと、念のため「大丈夫?」と確認したのだが。で、やっぱりフェルマーは今まだリビングにほったらかし。もひとつは「最初から暗いしなあ」。だからゆうたやん。

08/15/2009

小説とは関係のない休日(盆休みは家族集合)

8月14日(金)
小説講座の事務所は、8月17日まで夏休みです。

実家の両親を招いて、夕方から自宅の屋上にてバーベキュー。妹の家族、弟の家族も来て、総勢15名。孫7人と両親を囲んで記念撮影。食後は、義妹の手作りゼリー食べたり、家の前の路地で線香花火をやったり。

最近、軽音に入った高1の息子が、ギターを欲しがっていると言ったら、弟が十数年ぶりに実家からひっぱりだしてきた。まだ置いてあったのか。わりといいギターで、そのまま使えたから大喜び。

08/14/2009

小説とは関係のない休日(あわら温泉など)

8月12日〜13日
小説講座の事務所は、8月6日〜17日までお休みです。

夏休み。夫の実家の墓参りで、一泊二日。サンダーハードであわら温泉に移動。駅から塩屋海岸近くまで、大型車を借りて大人子供11名で移動。東尋坊の遊覧船観光など。温泉旅館に泊まり、翌日は芝政ワールド。とってもファミリーな夏である。

08/12/2009

小説を書くのが好きな人しか続かない

8月11日(火)
小説講座の事務所は、8月6日〜17日までお休みです。

夏期休業中なのだが、例によって出勤。一人コツコツ事務作業。公募ガイド社から電話など。

今日たまたま事務所にあった古い生徒作品を見た。専攻科の生徒さんのものである。生徒さんの提出作品はだいたい1年くらいは保存しているけど、それ以上のものは廃棄している(全部合わせると百以上あるので、保管しておく場所がないのである)。たまたま作品集が捨てられずに残っていたのである。

しかし、文章というのは、書けば書くほどうまくなるものだな。つくづく思う。書き続けるってことが大事なんだよなあ。

それにしても、途中ですぐにあきらめてしまう人の多いこと。多少のうまいヘタなんかより、ホント、書き続けるかどうか、ってことだよなあ。

で、きっと「あきらめない」ってことこそが才能なんだろうなあ。

ってことは、つまり、やっぱ、好きだってことなんだろうな。つまり作家になって有名になりたいとか、金儲けしたいとか、ま、それもあるのかもしれないが、それよりも何よりも小説が好きというのがないと、やっぱ、続けられないもんなあ。

なんか、わかりやすいな。

08/11/2009

小説専攻科への入学希望

8月10日(月)
小説講座の事務所は、8月6日〜17日までお休みです。

あれこれ、しなきゃいけないことばかり。ふう。

また一般の人から、小説専攻科への入学希望の問い合わせメールがあった。

小説専攻科というのは、エンターテインメントノベル講座の卒業生向けのクラスなのだが、一般の人からの問い合わせもけっこう多い。卒業生向けなので、それを説明すればいいのだが、まれにそれで済まないことがあるので、つい用心してしまう。

たまたま先週、何年か前かの卒業生からも専攻科への問い合わせメールがあったのだが、この場合は、まずまったく悩むことはないからいいのだけど。もともと卒業生なのだから、入学資格もあるしね。

一般の人にはとりあえず「エンターテインメントノベル講座」への入学をオススメしている。小説専攻科の応募要項の「入学資格」にも、「エンターテインメントノベル講座卒業生(または講師推薦者)」と明記してあるのだが。

しかし、そこに「(または講師推薦者)」という表記があるので、たいていそれで問い合わせされるのである。一応、卒業生限定ではないことになるわけなのだが、それが書いてあるので、一般からも入学できるように思うらしいのである。でも、実際のところ、今の専攻科の生徒さんは全員が卒業生で、講師推薦者で入学したという人はいない。「講師推薦者」というのは、出版社の編集者とか、作家の人から、直接推薦をもらえる人のことなので、つまり、もともと面識がある人に限られている。そういう知り合いがいないなら、実質的に一般からの入学は難しいのである。

なぜ一般から専攻科への入学をほとんど受けつけていないかというのは、一つには、やはりレベルの問題なのである。専攻科は、一応プロ養成のコースで、特別講義や合同講義以外には、レクチャーもほとんどない。作品指導が中心なのだ。これが問題なのである。レクチャーはやはり必要なのである。実際、卒業生の場合、すでに1年間、十数人のプロ作家からレクチャー講義を受けていて、さらに2度の講師指導も受けている。その人たち向けのカリキュラムなので、その講義についていけるかかなり難しい。

私が思うに、作品指導は、誰でもとにかく指導を受ければいいというわけではなくて、「受ける人の態勢」が整ってないとあまり効果がないように思う。場合によっては、せっかくのいい指導でも、もし受ける人がちゃんと理解できなければ、逆効果になることさえある。それくらい私は慎重に考えている。

ごくたまに、まったく知らない一般の人から、「とにかく作品を読んで意見を欲しい」というメールをもらったりすることがある。基本的にお断りはしていないのだが、創作相談というカタチで直接会って口頭でやることになっているだけなので、いきなり送りつけられてもできない(どうしても誰かに読んでもらいたいというのはわかるので、事務所まで持ってこられたら読むくらいはする)

とにかくいきなり批評しろと言われても、私には難しい。本人の理解できるレベルがよくわからないからである。コンテストの下読みなら、ただ作品を判断すればいいだけだが、うちは創作支援のためのボランティア団体だし、本来の目的はそっちなのだから。

それに、もしプロの編集者とかにいきなり作品を見てもらっても、たいていの一般の人はそれが理解できるレベルにないんじゃないかなと思う。少なくとも、何回か、そういう人会ってみて、私はそう確信している。そりゃ、そう言う機会があれば、編集者も相手に合わせて、それなりにはわかるようには説明してくれると思うけども。

一人でコツコツ小説を書いていると、とにかく早く誰かに指導を受けたいと思うかもしれないが、まあ、それは自分にあった指導を受けるべきである。かなり違うかもしれないが、泳ぐのが好きでできればうまくなりたいなと思っている人が、いきなりオリンピックの強化合宿に行くとか、あるいは将棋好きがいきなりプロ棋士ばかりのところに行くとか(うちの専攻科のレベルはそこまではないと思うが……)、ま、とにかく、いきなり作品指導だけ受ければいいというもんでもない。場合によっては、うまくなる可能性よりもツブレてしまう可能性だってある。つまり「落ち込むだけ」で辞めてしまう可能性とかあるし。

ちなみに、「どうしてもいきなり専攻科に入りたい」と言ってくる人のうち何割かは、どうも話をしていると、自分の書く作品をただとにかく読んでもらいたいだけで、プロ作家の話とか、そんな講義をチンタラ受けるのは面倒だという雰囲気がにじみ出てる人だったりする。うちの先生たちは、一応プロ作家ばかりなのに、そこをちょっとバカにしている感じの人は、どのみち指導を受けたってちゃんと聞けないはずなのに。とくに私小説志望の人は、ミステリもSFもホラーも読まない人もいて、講師の著書一覧を見ても、まったく読む気にならんらしい。うーん、それってどうなん。

でも実際、入学したばかりの人というのは、指導を受けても話を半分くらいしかわからないのである。いや、ホント。わからないだけならいいのだが、むしろ問題なのは、それでも本人は「わかったつもりになる」ことである。つまり、「意味がわからないということが本人にわかってない」ことがしばしばあるからで、意味を誤解して理解してしまうことがしばしばある。

しかし、エンターテインメントノベル講座に入学して、だいたい半年ほど、いろんなプロ作家さんの話を聞いたりして、前期課題指導などを受ける頃になると、ようやく、そんなに「わかってない」感じではなくなってくる。こうなると、作品指導を受けてもちゃんと意味がある。

こんなことを言っても、一般の人にはなんでそうなるのか、たぶんよくわからないと思うが(専攻科の生徒さんたちなら、自分たちのことなのでわかっていると思うけど)、ホントにそうなのだよん。専攻科の生徒さんだって、本科の時に聞いた講義の意味が2年目くらいになって、ようやくわかったという人もいるくらいなのである。いや、もちろん、本科向けの講義なので、その場でも言っていることくらいはわかっているつもりなのだが、やっぱ、創作というのは、いくら話を聞いて「わかったつもり」でもホントは仕方ないのである。そう。「わかった」と「わかったつもり」は、かなり違いがある。

そんなわけで、学費も安いのでいきなり専攻科に入学したいという人は、毎年けっこういるのだが、毎回ちょっと困惑する。電話で「すでに自分のレベルは高いはずなので、どうしても専攻科に」と言われたりすることもあるが(ただ書けるレベルと指導を受けられるレベルが違うだけなのだが、それを説明するのが難しい)、それって、断るのがホント難しかったりするし。

で、
「では、作品審査をしてレベルが高かったら、講師にも見てもらって推薦もとりますから、50枚くらいの短編を送って下さい」
と言うと、半分くらいの人は「わかりました。じゃあ、すぐ送ります」と言って電話を切るのに、まず滅多に送ってこないし。いや、これはちょっと不思議なんだけど。とりあえず送るくらいすればいいのに。不思議。

そもそも小説講座に通うヒマがないなら、無理に入学する必要もないわけだし、それに、すでにレベルが高い作品を書いていて、本科らら通う気なんてないのなら、それならやっぱり入学せずに、一人でせっせとコンテストに応募してれば、そのうち確実にデビューできるはずだし。

たぶん、小説講座に入学して、さらに専攻科に進学しようという人は、それだけでかなり特別なヒトなのだ。簡単に言えば、「やっぱり小説を書きたい」という人で、「できれば商業出版したい」という気があり、たぶん「どうせなら一人で書くよりは、講師にコメントをもらったり、仲間と励まし合ったりしたい」とか、あるいは「職場や周囲には、あまり小説を好きな人がいないのだけど、ここに来れば、話ができるから」とか。

少なくとも卒業生なら、「やっぱり講師の指導をもらうのはものすごく違う」ということはわかっているはずで、だからこそ、講師の先生も、ヘタッピとか訳わからんとか、そういうのも含めて、ちゃんと読んでくれるわけだし。

つまり、信頼関係、ってこと。それが持てないと、どんなものでも指導ってのは難しいと思うのだ。

08/10/2009

小説とは関係のない休日(めずらしくテレビ連続視聴)

8月9日(日)
小説講座の事務所は、8月6日〜17日までお休みです。

夜、めずらしく連続テレビ。『ダーウィン』『イッテQ』から、『NHKスペシャル〜海軍400時間の証言』『ETV特集〜毒ガス被害と闘う医師』『知る楽〜不滅の歌謡曲』『映像09〜完治しない血管の病と闘う3歳』

私としては滅多にしない連続視聴。たまたま見たいのが、重なっただけだが、めずらしい。いつもNHKスペシャルとかETV特集などまず見ない夫も、その2本はめずらしく一緒に見ていた。

ETV特集は、私の母の実家が三原市なので、それだけでつい感情移入して見てしまった。小さな頃、夏休みにフェリーに乗って「おばあちゃんち」に行ってたことを思い出した。しかし、さぞかしツライ思いばかりをしてたに違いないけど、これこそ自分の使命だという仕事と出会えたことはすごいことだと思う。

08/09/2009

小説とは関係のない休日(ありふれた家族旅行、なぜか熱海)

8月6日(木)〜8月8日(土)
小説講座の事務所は、8月6日〜17日まで、夏期休業中です。

6日から沖縄へ家族旅行の予定だったのだが、台風8号の影響で飛行機が欠航。納得できない子どもたちを連れて空港へは行ったものの、しっかり「欠航」の表示が。生まれて初めて飛行機に乗るはずだった小6の双子の娘たちは、生まれて初めての欠航。いや、私も欠航ははじめてだけど。

だいぶ前から楽しみにして、ウキウキと旅行の用意をしていた子どもらの落胆はひどく、立ち直れないようなので、そのままどこかへ旅行へ行くことに。せっかく荷造りもして仕事の休みもとったわけだから。で、空港で昼食をとり、新大阪まで戻って、そこの旅行代理店に行って当日予約をすることに。

そうなると、双子の立ち直りは早い。こういう場合、女の方が現実的なのかも。長男は、がっくりした様子ですっかり無口。もともと今回の沖縄旅行は、彼の高校の志望校合格の祝いを兼ねていたわけだし。

空港レストランでローストビーフをつつきながら、まったく納得いかないという感じで、なんで飛べへんのかなあ、昨日やったら飛んだのになあ、とブツブツ。
「今からどんなとこに行きたい?」
と聞くと、怒ったように、
「台風の近くには行きたくないから、とにかく東か北」
と言い、
「とにかくまだ一度も行ったことがないところ」
とむっつり。

新大阪に行って、店内のパンフレットを見て検討し、とりあえず「熱海」に行くことに。関東の人には有名すぎて今さら何それという感じだろうが、大阪からの家族旅行ではまずあまり行かない所。
「そんならいっそ草津温泉の方がいい」
と息子は言うのだが(なんでかわからんが、なんか草津に行ってみたいらしい)、熱海ならなんなら海水浴もできるしね。双子は「泳げたらもうどこでもいい」と言うし。

「ほら、台風で沖縄に行けへんかったから熱海に行った、てゆう方がベタやし、あとあと『笑い』をとれる思い出話になるやろ。な。これから沖縄に行くたびに、一生、笑い話にできるねんで。しかも将来、アンタが大人になって、恋人連れていくとか、子どもたちを連れて行くとか、そんときにもネタにできるねんで」
とか、うまいこと言って、ようやく説得。

ま、その時点ですでに2時過ぎなので、新幹線で行けて、駅から近い熱海がとりあえず移動するのにラクなのである。旅館が多いので、当日予約でもどこか空きがあるはずだし。

そんなわけで、沖縄旅行のはずだったのだが、なぜか熱海の旅館にいきなり一泊。当日予約だったけど、オーシャンビューのかなり広い部屋がとれた。まんまるお月さまに照らされた美しい海を見ながら温泉につかったり。

しかし、夕食時もまだ立ち直れてなかった息子は、浴衣で刺身をつつきながら、まだ納得いかないというように、
「ああ、なんでボク、こんなところで、こんなことしてるんやろなあ」
とブツブツ。
「おかしいなあ。今頃、沖縄におるはずやったのになあ。ボク、生まれてはじめて、台風がキライになったわ(どうもそれまでは台風が楽しみだったらしい)」

翌日どうするかも決めていなかったが、午前中のんびり海水浴。海岸で砂山を作りながら、子どもたちはもう一泊どこかに泊まりたい、ぜったい帰りたくない、明日ディズニーランドに行くなどと言う。いくらなんでもいきなりディズニーランドはどうかな。夏休みはかなり覚悟してないと疲れるだけなので、なんとか子どもたちを説得し、「箱根」へ行って、ケーブルカー&ロープウェイ&黒たまご&海賊船に乗るという黄金ルートをすることに。こっちも私以外は誰も行ったことがないので。

関東では、箱根が「ファミリーでお出かけ」の定番かもしれないが、なにせ大阪在住だとまずここまで行かない。関西のファミリーは、箱根じゃなくて、白浜で海水浴して双子のパンダを見るのが王道(たぶん)こういう機会でもないと、彼らも家族では箱根に来ないだろう。もっとも将来、自分の家族を持った時にはわからないだろうけど。

こちらも当日予約だったのだが、かなりいい旅館。安めの部屋にしたせいか、2人がベッド、3人は和室部分に布団に寝ることになったのだが、ベットで寝たいという双子のニーズにもちょうどぴったり。旅館のプールで泳いだり、散策したりして、翌日は、箱根観光。「湖で、一度アヒルに乗ってみたい」という彼女らの願いも適えてスワンボート(アヒルではないのだが)にも乗せてやる。なぜか汗まみれになりながら、足でこぎまくる息子。よく晴れて、富士山も見えて、すっかり観光日和なのであった。

ともあれ、帰りの新幹線に乗る頃には、子どもたちはすっかり「ま、これはこれで、面白い旅行だった」という雰囲気になっていたので、ホッとした。それにしても、また冬か春にはリベンジをしないと。

08/07/2009

小説講座の事務所は、一応、夏休み中なのだ

8月6日(木)
小説講座の事務所は、8月6日~17日まで、夏期休業中です。

一応、今日から夏休み。なんだかんだで、事務所にはけっこういたりするだが、問い合わせはメールが確実なので、問い合わせなどはそちらによろしく。もちろん在校生は、いつも通りケータイに直接ご連絡してね。

あ、夏休み以外でも、相談日である火曜日しか、事務所の電話にはほとんど出てない気もするけど。

08/06/2009

小説講座における適性と自然淘汰

8月5日(水)
うちの小説講座は、在籍期間が10月~9月である。(正確には、10月下旬から10月上旬)

そろそろ8月。次の9月は、卒業月。そろそろ年度がわりの季節である。

今年も、すでに来年度の専攻科への進学を決めている人もいたりするから、何割かの人が残るのだろう。専攻科の継続は、毎年、平均すると、たぶん5~6割くらいである。去年は、7割くらい。エンターテインメントノベル講座から専攻科に進学するのは、多い年だと7割くらいいるけど(昨年度は、修了課題を提出した人ほとんどが進学したのでかなり多かった)、こっちも平均すると5~6割くらい。

専攻科への進学は、早くから決めている人もいるけど、寸前まで迷っている人がけっこう多い。毎年、何人かの生徒さんは、続けようかどうしようか、かなり迷ったと言う。専攻科の学費は、かなり安く設定してあるし、プロ作家をめざすなら、講師指導を受けないよりは受けた方がいいはずなのだが、そうして迷う気持ちもわかる。小説を書くのを止める理由はいっぱいあるし、一方、書き続けるための理由はそれほど多くはないものなのだ。

作品を書くのは面倒だし、専攻科の講義にも出なくちゃいけない。いや、専攻科の講義は隔週しかないし、自分の作品指導の日にしか来ないとか、月1回とか、数ヶ月に1回出席するだけでもいいのだが、仕事も家庭もある社会人にとって、土曜の夜にわざわざ教室に通うのは面倒なものなのだ。

だから、中には、専攻科に進学せずに自力で小説コンテスト応募をめざすつもりという人もいるのだろうけど、実際には、進学しない人は、作家になるのをあきらめてしまうことがかなり多いらしい。

正直、仕事をもっていたり、家庭があったりすると、たった1~2年で長編を書くことは難しい。エンターテインメントノベル講座では、基本的に短編指導が中心だから、長編指導までやっていない。実際、長編指導は、専攻科だけしかやっていないのだ。

ホントは、よほどうまい人が入学してきたら、いきなり長編指導をやるつもりは一応あるのだけど、まあ、なかなかいきなり長編指導は難しいのである。なぜ難しいかといわれると、これは、ちょっと説明が難しい。実際、どう難しいかというのは、それがわかっていれば、指導もできるようなものだからである。いや、たぶん専攻科の生徒さんたちなら、すぐにうなづいてくれるだろうけど。とりあえず説明すると、入学したばかりの人が講師に指導を受けても、その意味がわかるレベルにまだないからである。1年間、講義を受け続けたら、たぶんその意味がわかると思うんだけどね。

しかし、長編が書けないと、コンテストでも応募して出版デビューというのも難しい。

つまり小説講座に入学してきた人のうち、半数くらいの人は結局、長編一作も書かずして、たった1年で見切りをつけてしまう。そういう人の中には、ああ、もったいないな、と思う人がずいぶんいるのだけど、こればっかりは、どうしようもない。なんといっても、これは、本人次第なのだから。

他人に読ませるような小説を書くのは、かなり面倒な作業なので、続かない人がいるのは無理もないのである。もちろん何も考えずに小説を書くってのは、誰にでもできるのだけどね。

専攻科に進学してきた人々を見ていると、どうも入学時のレベル差とか、意欲の差とか、そういうものとは違う何か別の要素があるらしい。

実際、小説講座に入学してきた人のうち、「絶対にマジでプロ志望」という人は、必ずしも多くない。「まあ、できればプロ」とか、「一冊でも出版できたらいいなあ」とか、「まあ、とりあえず書いてみたい」くらいに思って入学してきた人がけっこういる。今は、コンテストで残っているような人でも、なんとなくやめられずに専攻科を続けていたという人もいるのだ。
「ここで、時々、他の人と小説の話をできるだけでもいいかと思って」とか、なんとなく続けてきただけで、なんとなくうまくなったり。つまり、それなりに書き続けていればそこそこうまくなるものなのだった。

反対に、何が何でもプロデビューをしたい、と意気込んで入学してきても、さっさとあきらめる人はあきらめる。最初からそれなりにうまい作品が書けていても、そのあと書き続けられるかどうかには、それほど関係がない。ま、書けないよりは最初から書けたほうがいいけど。そりゃ自信もつくし。でも、やっぱり関係がない。そこそこ書けるくらいは、続けさえすれば、誰でも書けるので。

結局、小説講座の生徒さんを見る限り、書き続けていけるかどうかは、なんだかんだでも、「小説が好き」かどうかにかかっているようで、それを見ると、なんとなく、ふと、適性とか、自然淘汰、という言葉が思い浮かんだりするのだった。

08/05/2009

小説講座の事務所は、8月6日~17日まで夏期休業です

8月4日(火)
朝から小説講座の事務所。

昼から村上先生が来館されて、丁稚ドンにも印刷をいろいろ手伝ってもらう。終日ごたごたしてて、事務作業はさほどはかどらず。先週の欠席者への資料発送など。

一応、うちの事務所は、今週の8月6日~17日まで夏期休業。もっとも実際には、問い合わせや資料請求などもあり、たぶんわりと出勤しているはずだけど。

ただし、大阪NPOプラザの休館日があり、13日~16日は確実にお休み。

08/04/2009

小説の文章表現〜悩める男が一人そぞろ歩きをする

8月3日(月)
午後から小説講座の事務所。

文章表現についてのちょっとした一考察。

ある生徒作品で、なんとなくひっかかった表現。ある登場人物がおり、現在の自分の置かれている状況や将来について漠然とした不満や悩みをもって、少しもんもんとした毎日を送っている若者らしい。で、その人物が花見の席に呼ばれたのだが、華やかな宴席から一人だけ離れて歩き回る場面がある。

「そぞろ歩き」をすると書かれている。そこで、私は、微妙にひっかかったのだった。悩める若者が一人で「そぞろ歩き」というのがちょっとぴんとこなかったわけで。

で、「そぞろ歩く」というのは、あらためてどういうイメージなのかなと思ったり。あと、「気もそぞろ」という状態と「思い悩む」というのは、はたして似ているのかなと思ったり。

しかし、かといって、どういう表現がいいのかはよくわからないんだけど。歩きまわるとか、うろついたという表現もちょっと違うというのはわかるし。

小説の文章表現というのは、「とにかく正しく書けばいい」というもんでもないわけで、いろんな表現がありうるから、間違っているというのものない。だから、何が一番ふさわしい表現なのかはよくわからなかったりする。正解はないのだが、不正解もあまりないので。

でも、たとえこれがベストという正解がなくても、大事な場面だったら、どういう表現が一番読者に伝わりやすいのかということを頭をひねって考えないわけにはいかないのだった。

08/03/2009

オセロのように文章がうまくなること、想像力のこと

8月2日(日)
小説とは関係のない休日。あれこれ雑事。

先日、小説講座の生徒さんと話をしてて、思ったこと。

●文章は、まるでオセロのように、ある日、うまくなることがある。

生徒さんたちの作品には、けっこう欠点のようなものがある。だいたいにおいて、それは指摘されないと本人は気がつかない。講師などに指摘されて、はじめて気がつく。

そこで、すぐに直せるものが半分くらい。あとの半分は、本人がわかっていても、なかなか直らない。たぶん、身体に染みついたクセのようなものである。この残った欠点のようなものは、本人の個性に近いものなので、本当になかなか直らないのである。

だが、そうして苦労しているうちに、ある時、条件さえそろえば、くるりとひっくりかえって、その長所を輝かせるようなものになることがある。まるでオセロのようにすぐ横にある長所がハサみこんで、間に並んでいる欠点をひっくりかえしてしまうのだ。つまり、たいていの人は長所の方が伸ばしやすいものなので、作品の長所が何かをよく考えることが実は欠点克服にとってもかなり重要。

●最初からあるものと考えて、かえって想像力の翼を広げないことがある。

小説作品がイマイチな人は、どうも想像力がイマイチである(むろん、ただの私の意見だけど)
でも、小説を書く人は「文章がうまくない」と言われてもあまり怒らないが、「想像力が足りない」と指摘されると、たいへん動揺したり、反発して怒りだしたりすることが多い。

なぜなら、そういう人にとっては、「文章力」は持って生まれた「生まれつき」のものではないが、「想像力」は自分に生まれつき備わっているはずの才能である。つまり、「想像力」は、努力して身につけるものではなく、また日常的に訓練して向上するような能力でもない。「作家になれる人には、生まれつきの想像力があるはず」。だから、「想像力」がないと言われることは、「作家になる才能がない」と同じである。だから、それを指摘されると傷ついたり、たいへん怒ったりする。

でも、それってホントにそうなのか? 想像力の翼を広げて大空を飛ぶのに、はたしてホントにまったく訓練が要らないのか? 生まれつきの能力で、いつだって飛べるのか?

もちろん、ここでの「想像力」というのは、文章を書くのに必要な「想像力」のことで、私にはやっぱり、そんなものが生まれついて備わっている能力だとは思えないのだけど。

たぶん、小説を書くための想像力は、「ちょっと夢見がちな性格」だとか「あれこれ想像しちゃうタイプ」だとか、その程度のものでは実はまったく足りないのだ。そう、それくらいの能力は、それなりには誰にでもある。たとえ、周囲ではめずらしいくらいに「空想的な体質」だったとしても(それくらいの傾向がないと、そもそも小説など書こうとも思わないだろうが)小説を書くのには、それよりもずっとずっと「想像力」が必要なので、実際、それくらいではまだまだ足りないのである。

つまり、小説の世界を作り上げ、一人一人の登場人物を生き生きと描くために必要な想像力は、ほっといても生まれつき誰でもできるものではなく、たぶん、そこそこの訓練が必要なのである。

でも、想像力は、訓練で身につけるものだと思われていない。だから、それを鍛えないといけないとも思われていない。だから、つい怠けてしまう人が多い。おそらく「考えること」を怠けているのだ。

しかし、小説を書くんだったら、やっぱり読者が今、何を感じているのかも想像してほしいわけだし。

読者と同じことを思い、読者と違うことを考える。

オセロのようにパタパタとひっくり返すためにも、やっぱり「想像力」の力がないとダメなような気がする。

08/02/2009

夏休み前の明るい長編指導

8月1日(土)
朝から小説講座の事務所。昼から、作品印刷など。
夕方からは、小説専攻科の作品指導、4期基礎レッスンコースの講義。

専攻科のクラスは、堺先生の作品指導。
長編作品2本(たぶんライトノベル系)。二人ともわりと作品にあれこれ詰め込んじゃうタイプなので、とくに全体の構成を見てもらえるといいなと思っていたのだけど、しっかりホワイトボードに図解入りで解説されていた。わかりやすい講義で、生徒さんたちにもとても好評。

ただ、長編の作品指導の日は、いつも専攻科の出席者数はかなり少ないのだが、本日もやや少なめなのでちょっと残念。ま、うちは社会人向けの講座だし、とくに学費の安いこの専攻科は、とりあえず在籍しておいて、年にほんの数回だけ出席するという人もいるくらいで、とくに8月の上旬は、毎年、出席率が悪い。ま、卒業間際の9月になると、出席率はけっこう高いんだけど。

でも、自分の作品指導よりも、むしろ他人の作品指導を聞くことの方が勉強になりやすいものなので、がんばって出席してほしいなあ。小説の場合、結局、誰でもそれなりに枚数を書けば、たいていそれなりにうまくなるものなので、マイペースだろうが、何だろうが、とにかく書き続けることも大事なのだから。

つまり、なかなか作品が書けなくても、授業を受けるだけでも、それなりの効果があるはずなので。とりあえず講師や他の生徒さんたちから刺激を受けることも、モチベーションを保つのに役立ったりするので。

さて一方、基礎レッスンコースは、修了課題の説明会。このクラスは、在籍期間が半年だけで、しかも隔週しか授業がないので、あっという間に8月。もうそろそろ修了課題を書かなくてはいけないのだった。1年くらいするとうまくなるのは簡単だけど、半年というのは、目に見えてうまくなるには短すぎるので、そこがちょっと大変かも。

でも、とにかく「書くこと」が大切。まずは作品を書き上げること。その次に、書き直せばいい。で、自分の客観的に見ること。もちろん自分の作品を見るのは、自分ではなかなかできないから、できれば誰かにしっかりと見てもらうこと。それを続ければ、誰だって、それなりには書けるようにはなるものだ。

そりゃ、プロとなると、そこそこ書けるだけではなれないのだけど、実際、そこまでやれる人はあまりいないので、そこからは競争率はそれほど高くないから、とにかく書き続けてみる。それで、書くことがどうしても苦痛なら、それから考え直してみればいいわけだし。

いや、ホント。まずは、書いてみるのが大事だと思うよ。

08/01/2009

小説とは関係のない土地トラブルの後日談

7月31日

さて、どうでもいい私事。一昨年からモメている隣地との境界の件。
あんまりドラマチックな展開もないんだが。

つい先日、例の不動産業者の取引先である測量士から電話あり。所有者が変わったので、境界プレートをつけるから立ち会ってくれとのこと。

ふーん、売れたのか。隣の土地。しかし、例のブロック塀の残骸が、まだうちの家の前に残されて今も手がつけられないでいるのだが。それも、まったく忘れて売ったんだろうなあ。なんつーか。ふう。

そりゃ、業者など、離れたところで暮らしているんだしね。

人の家の玄関前に、くずれたブロック塀が2年もほったらかしであっても、彼らは忘れることができるもんなのだろうよ。でも、私らは毎日毎日、ずっと目にしとるわけだよ。まったく。

筆界特定が降りた途端、さっさと売ったのだろうなあ。仕方なく電話で、
「門柱がまだ仮設のままで困ってるし、ブロック塀をどうするか決めたいのですが」
と言ってみるけど、なんか、うちは知りませんよ、それはそれで別に業者とやればいい、みたいなことを言われる。そりゃ、測量会社に言っても仕方ないんだけどね。

今も、ほんの数段だけ残っている古ぼけたブロック塀。去年、あれを撤去しようとしていきなり刑事告訴とかされたわけだから。

また告訴とかされても困るし、せめて一筆とか書いてくれないと、いつまでも触れないまま。結局、うちの敷地内というわけになるのだが、ブロック塀は所有権がどっちにあるかわからんしねえ。境界が認められても、土地の所有権とブロック塀の所有権は、また別なので。

徹底的に争う、訴訟をするという、そういう内容証明を送りつけてきたのに、すっかり忘れてんのかなあ。刑事告訴なんて、結局、善良な住民に対するただの脅しなんだろうが、とにかく土地が売れればあとは知ったことじゃないのね。

とりあえず、こっちでも数日考えさせてくれと言って、電話を切る。ふう。結局、筆界特定も、うちの主張通りに認められたのだけど、新しい所有者も、善人か悪人か、はてさて。いい人だといいなあ。

しかし、ブロック塀の交渉は、新しい所有者とやらないといけないんだろうなあ。いや、ホント、土地の境界線つーのは、ホントに面倒ですな。

まあ、どんな面倒も体験でも、小説講座の生徒さんたちに、どこかで小説のヒトコマとか、ま、何かの役にも立てば、これも貴重な経験。
(でも、たちそうもないけどなあ)

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