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11/02/2008

今年も、小説講座を開講しました

11月1日(土)
朝から小説講座の事務所。夕方ら、「第10回大阪ショートショート大賞受賞式」&「第12期エンターテインメントノベル講座入学式」

朝からバタバタと、あれこれ事務作業。
ショートショート大賞は、今年は久しぶりに300編を越える応募総数があったのだが、大賞は該当作なし。けど、入選2作、佳作2作なので、受賞者数としては4名。今までで一番多い。今日は、そのうち3名が出席。うちは交通費を支給してないのだが、東京からの参加者もあった。選考委員の堀先生から、選評などを話してもらう。

うちは小さなコンテストだし、受賞式も単独ではやっていないので、引き続き、そのままの会場で年に一度の入学式を実施する(春に開講する文章講座などもあるのだが、あれはクラスごとの開講だけで、合同の入学式はやってないのである)

今日、開講する12期は、ほぼ例年通りの人数である。専攻科も、昨年卒業した11期が十数人進学したけど、その分、専攻科から進学しない人もいるので、ほぼ同じ在籍者数。ま、専攻科は、在籍だけしてて、自分の作品指導日以外は、まったく参加しない人もけっこういるので、いつもは半分くらいしか出席数ないけど。

12期とは、これから1年間、ほぼ毎週、教室で顔を合わすことになるので、おいおい名前も覚えることになるだろうけど、今年も、20代前半から40代後半まで、バラバラな世代。色んな職業の人がいるらしいが、作品も今のところまだ見てないし、文章教室から進学した人以外は、ほとんどが初対面なんで、全然わからない。

入学式が終わってから、いつもの飲み会。例年、入学式のあとの飲み会は、それほど人数が多くないハズなのだが、めずらしく入学したばかりの12期も何人か来たりしたので、それなりの人数になる。小さな中華屋だから、ほとんど貸切り状態。ちょっと想定外。

うちの小説講座は、いろんな作家の先生が週替わりに来て講演をしてもらう形式なのだが、飲み会に参加する先生が多いので、生徒さんも夕食がてら参加する人も多い。ただ、やはり毎週のことなので、先生が同席しないと参加人数が減るもんなのである。ま、専攻科は、毎週じゃなくて、月に2回ほどしか講義がないせいか、先生がいてもいなくてもあんまり変わんないけどね。

受賞者のうち、1名が飲み会にも参加されていたのだが、専攻科のテーブルにいて、話しかける余裕もなし。人数が多いと、あまりうるさいので、ちょっと離れると声も届かなくて仕方なし。生徒さんたちとは、どうせ、なんだかんだで毎週、教室でも会うし、たまたま話せなくても別にいいんだけど、受賞者と会うのは一度きり。受賞者が残るとわかってたら、たとえほんの10分でもいいから、先生にも参加をお願いするんだったんだけどなあ。なにせこう飲み会が騒がしいと、どうしても声が聞こえないので、2〜3人のグループに分かれてしまうしねえ。受賞式でもバタバタしてて、ゆっくり話をする機会すらなかったし。ま、毎年、そうなっちゃうんだけどね。

初対面の12期生のテーブルでは、自己紹介など。あとで聞いた話だが、文章教室から進学して、今日12期に入学したばかり生徒さんが、どうも早くも児童小説系のコンテストで佳作受賞らしいとのこと。前回、他の生徒さんが佳作をとった賞だが、今のところ、児童小説は受賞があっても、なんだかんだで出版ができていないケースが続いているので、これだけ揃ったら、一度、作家さんに紹介してもらうかして、編集者の人にあらためて相談した方がいいかもなあ。せっかく受賞しても発表できなかったら、なかなかしんどいだろうし。何度も最終に残ったりしてたら、それなりに目立つはずだけど、あとあとプロとして生き残ることを考えたら、賞なしデビューよりは賞付きデビューが理想的。だが、相談できる先輩や編集者がいるってことも重要だったりするしな。賞をとるってことも大事だが、要は、そのあとだからなあ。

しかし、エンターテインメントノベル講座も、めでたく12期が開講。これもご協力いただいている先生方のおかげである。感謝感謝。

うちの講座は、年1回の募集で、少人数の講座。基本的に非営利団体で、無借金主義なので、運営が悪化したら、その時点で、次の年の開講がなくなって翌年解散することになっている。だから毎年、「今年は運営するけど、来年のことはわからんよ」と言っているわけなのだが、これでまた一年、少なくとも来年までは継続することになったわけである(学費前納が原則なので、つまり開講したら必ずそのクラスが卒業するまではやることになっている。要するに、開講によって、あと1年、事務局が継続されることが確定する)

そんなふうに1年1年積み重ねて、なんだかんだで11年。長かったような、短いような。

でも、なかなか「卒業生作家がうじゃうじゃ大活躍中じゃよ」というわけには、いかないもんだなあ。大阪シナリオ学校は、うじゃうじゃ卒業生が活躍してるけど、ありゃ、脚本科50年以上、園芸台本(放送台本)30年以上の実績があるからなあ。うーん、せめて15年、20年はかかるのかなあ。ここ1〜2年でバタバタっとデビューしそうな気配はあるのだがなあ。

11/01/2008

子育てと小説家志望の体質

10月31日(金)
夕方から小説講座の事務所。9時過ぎまで作業。

このクソ忙しい最中に、小学校の参観日。小5の双子の娘である。母は、つらいよ。

でも、たまには母親らしいこともせんと。そういや参観日も、夫や実家の母に押し付けて、1年くらい出ていなかったのである。だが、父親や祖母が参観日に学校に来るのは、娘たちには大不評なのである。それで、「次は、ぜったいママが来てや!」としつこく言われていたのである。

けど、これは、べつに母親に見てもらいたいわけではなく、うちの夫や実家の母が来てもらいたくないだけである。彼らは、それなりに教育熱心な方なので、参観でかなり熱心にチェックするのである。とくに実家の母は、授業中に何回手を挙げたかとか、何回目に挙げたタイミングが遅かったとか、このあたりでよそ見をしてたとか、教室のあのあたりに座ってた子は、こんなにハキハキ答えていただとか、色々とチェックして、あとで数日間ずっとうるさいらしいのである。その点、ママ(つまり私)は、いっつも細かいこと言わんので、ほったらかしなのでいいのである。しかし、どうも私がかなりほったらかしの放任主義的なせいで、見るに見かねて、夫や実家の母があれこれ言うようになっているみたいだが。

しかし、私自身は、とくに放任主義とは思ってないつもりなんだがな。だいたい放任主義ってのは、よく考えてみれば、ものすごく大変である。放任で、子供を育てるのはけっこう難しいような気がするのよ。「ほったらかし」と「無関心」とはちょっと違うように思う。日頃、子供とつきあいながら、同時にほったらかす、というのは、正直、難しいもんなあ。私には、目の前にいる子をほったらかすって方が、つべこべ口を出すよりもよっぽど疲れると思う。

私は仕事でも、小説講座の事務局の運営や専門学校の講師業などをやっているわけだが、何がしんどいかというと、このアレコレ口を出したいというのをぐっと我慢するってのがけっこうしんどい。大量にしゃべらなきゃいけないってことも多いから、それはそれでしんどいけど、口を出せば早いのに出せない時はけっこうツライ。

以前ライターとしてあちこちの取材で、色んな人にインタビューをしてて思ったのだが、人間というのは、本質的には、自分の知っていることを誰かになるべく教えてあげたいという、基本的な姿勢があるように思う。たぶん社会的集団生活において、身についた素晴らしい習性なんではないだろうか。おそらく本能的に。

そう、日頃、思っているくらいなので、たぶん誰でも、むしろ口を出さないように我慢する方がよっぽど難しいのである。だから放任主義なんて、とってもできっこない。

そういえば、夫が、以前、こんな話をしたことがある。
「口で説明するのは簡単だけど、本当は、わかってもらうのが一番重要。口で説明すると、その場でわかった気になるだけで、本当はわかってなかったりするから、あとで困ったことになる。ただ、やれない子とか、わかってない子とか見ると、こっちもやっぱり面倒くさいかったり、なかなか我慢ができないし、手っ取り早く口で説明しちゃいたくなるんだよな。でも結局、教師で、『ああ、この人は、プロの教師なんやな』って思う人は、やっぱり待つってのがうまいんだよなあ。なかなかオレにはできんけど」

彼は、私から見ればチャラチャラした気楽そうなただの美術教師だが、さすがに20年近くも教師業をしているので、ま、私よりは、それなりの経験はあるのだろう。確かに、その子のことがちゃんとわかってて、言うべき時に言ってあげるべき言葉を言ってやり、また時には、口を出したいのをぐっと我慢して黙って見守るってのは、かなり大変なことだと思う。

ところで、「わかった」と「わかった気になる」というのと、どこが違うのだろう。

たぶん「わかった気になる」というのは、厳密に言えば、たぶん「説明されたから、ただなんとなく理解できた気になる」という状態。で、「わかった」というのは、たんに言われたことを理解したというのではなくて、たぶん本人の中で「あ、そうか!」という、小さな「発見」とか「感動」とかが生まれた状態なのではないかと思う。

最近、専門学校や大学の学生たちとあれこれ話をしていて、こういう「発見」をしやすい体質というか、発見をしにくい体質というか、そういうのがあるらしいと思うようになった。しかもそれは、学校での成績とか、知識量とか、そういうものと必ずしも比例しないもんだなあ、と思う。どうやら、成績とか、ほとんど関係がないらしい。いわゆる成績がよくて、センター試験でも高成績をとったらしい学生も、いちいちそういう面倒なことを考えたりもせず、とにかく要領よく知識を丸覚えをする主義の人もいるし、自分で「発見」したことを面白がったりする人もいる。

成績がよくても悪くても、どっちのタイプもいるらしい。しかし、どうもそういうのは、子供の頃からそういう発見とか感動の面白さをどれくらい知っているかどうかというものに影響するらしい。ただ、そして誰でもいくつになっても、心が震えるほどの大発見をするかもしれないから、またわからんけど。

教えられたことをただ暗記したり、指示されたことを正確にこなしたり、あるいは、必要なことを要領よくこなせるタイプの人は、ある意味、社会人としてうまくいくと思う。しかし、どうも小説を書くとか、あるいはライターになるとか、絵を描くとか、いわゆる創造性を重視するような仕事となると、どうも「手っ取り早く理解する」というよりは、そういう自分の中で「発見」するとか、「感動」するみたいなところを積み重ねていける人の方がやっぱり向いているような気はする。

もしかすると、そういう人は、むしろ「要領よく物事を理解する」にはあまり向いてないかもしれないが、ちょっとした小さなことの中にも一つずつ「発見」をすることができるかもしれないのだ。本や人に教えられた知識だけではなく、テレビで見たペンギンの子育てだとか、あるいは、近所のお祭りだとか、立ち寄ったレストランのメニューとか、通勤電車で隣の席に座った人の様子だとか、そういうところにもある種の「発見」をたくさん見つけることができる人なら、そんな見つけた小さな発見とか感動を、できれば誰かにも伝えたいと思ったりするだろうから。

ほんでもって、「そんなもん、わかってる」と思っているよりは、いろいろ考えても実はなかなかよくわかんなくて、やっと「わかった!」という人の方が喜びも理解の深さもぜんぜん違うのではないかと思ったりするのである。

思えば、小説講座でも、妙なもので、なかなかうまく書けなくて悩みまくった人の方が効き目があるみたいである。同じように講師の話を一緒に聞いていても、「ふーん、そういうものなのかあ」と思うだけの人と、「あ、そうか!」という人がいるというのは、おもしろい現象なのだが、たぶんそういうものなんだろうな、と思う。伝わる人には伝わるというのもあるし。

でも、今はわかんなくても、数年後、急に「ああ、あの時、あの作家さんが言っていたのは、このことだったんだな」と思うこともあったりするから、教育というか、人が成長するというのは、ホントわかんないもんである。とりあえず、「待つ」ってことが大事なんだろうなあ。イラチの私には、ちょっとしんどいけど。

ま、どっちにしても、愛がなくちゃ、かなあ。

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