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10/31/2008

テンパってる?

10月30日(木)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

今日は、一人でひたすら事務作業。週末に入学式&授賞式なんで、ちょっとアセり気味。仕事って、長時間あれば、必ずはかどる、ってもんでもないな。

ところで、テンパってる、って言葉、最近ほとんど聞かないが、そろそろ死語なんかな。

10/30/2008

落選通知の発送業務

10月29日(水)
朝から外出。夕方から、小説講座の事務所。

今日は、せっせせっせと、大阪ショートショート大賞の落選通知の発送業務。

なにせ応募総数305編のうち、入選2編、佳作2編をのぞいた残りの301編がすべて落選なのだ。あたりまえといえば、あたりまえだけど。そもそもコンテストなんて、受賞者以外はみんな落選なんだよな。つまり、ほとんどが落選なのだから、皆さん、ホントあんまり落ち込む意味はないんだよ。とくに今回は、実は、予選通過かどうかもほとんと僅差。最後まで30編以上が残ってたぐらいだから(一次通過は、その半分になったけど)、実質的には、落選と受賞作でも紙一重なのだ。実は、たぶんほとんど差がないのだよ。

今年とくに突出したような優秀な作品ってのはなかったはずだし、うちのコンテストは、なにせたった5枚なので、運のよしあしというか、かなりアタリハズレがあるしね。

発送は、半分ほど用意して、あとはスタッフにまかせて帰宅。

10/29/2008

気になると仕方ない

10月28日(火)

夜、久しぶりに「8時だヨ!全員集合」のビデオを見て、あらためてこれってライブだったのだなあと思い、『8時だヨ!全員集合の作り方』という本を再読してしまう。いや、今それどころでないくらいアレコレ忙しいんだけどな。

それにしても、あいかわらず仕事も勉強も集中力がない。ほら、コピーライターは、集中力より日頃の散漫力が大事だったりするから(むろん言い訳)、もっとサクサク仕事がはかどる方法はないかしら。

学生時代でも、試験前になると、日頃やりもしない部屋の掃除とかしだしたりして。ふー、そういう性格って、なかなか直らないもんなのね。

10/28/2008

そろそろ入学式だなあ

10月27日(月)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

大阪ショートショート大賞の選考が終わって、今年は、受賞が決まった4名のうち、3名が近畿圏内で、1名が関東圏。すでに受賞者には、電話連絡をしたのだが、とりあえず2名は授賞式に参加してくれるらしい。うちの賞はほんの小さな賞なので、賞金もほんの数万円。授賞式といっても、華々しくホテルで立食パーティなどというものではなく、入学式が始まる前の会場で、合同でやるようなアットホームなものであるが、受賞者が誰も来ないとなると、そういう式でも実施ができないので、やはり誰か一人でも来てくれるのは嬉しいのだった。

大阪ショートショート大賞は、年1回しかやってないのだが、ほぼ3週間で選考をしているので、かなりあわただしいコンテスト。なんだかんだで、今年で十年目。ぽちぽち問い合わせなどがあるのだが、電話では言わないことになっている。ま、一応、発表は入学式の日。毎年、応募全員には、その前日までには結果が着くように送付してるけど、なんか毎年バタバタやってるなあ。

そろそろ授賞式の準備もしなきゃ。

10/27/2008

小説とは関係のない休日(歩いていこう)

10月26日(日)

どこかの誰かの文章で読んだ記憶があって、たしかコクトーだか何だかが言ったらしいのだが、
「散文は踊りではなくて、歩行である」
というのだそうだ。

おそらく詩なんかだと、美しく踊れば済むのに、散文だと、目的地までテクテク歩くのである。多少の寄り道をしてもいいだろうが、基本的には目的地まで歩くものらしい。言うまでもなく、小説も散文の一種なので、やっぱりたぶんテクテク歩くのである。いや、テクテクか、スタスタかは、わからんけど。

ただ歩くのは面倒だから、できたら時には走りたいとか、いや、ただ歩くだけなのは目立たないから、踊ってみせたいとか、あれこれあるかもしれないが、読者という客を連れて、それなりの距離を移動するとなると、やっぱり歩いて連れていくしかないのかもしれない。むろん道々、飽きないようにする必要はあるにせよ。

自分の頭で考えているお話はたぶん面白いに決まっているのだから、できれば小説を書くというような面倒なことをせずに、できれば「どこでもドア」でもあって、一気に連れていければラクなのに、などと思っている人もいる人もいるかもしれないけど、このテクテク歩いていって、一体どんなところにたどり着くのだろうかと楽しみにしているのが読者なのである。だから、たぶん一気に結末が読みたいわけでもなければ、やたらに寄り道したいわけでもない。

たぶん、踊らない、走らない、寄り道しない、ワープしない、途中でほったらかしにもしない。
どこかわからないけど、とにかく一緒に歩いていくのである。とにかく最後まで。

しかし、考えてみたら、踊るより、走るより、ただ歩くってのは、それほど難しいことでもないような気もするのに、なんでこんなにも難しいのかなあ。


10/26/2008

小説とは関係のない土曜日(有馬温泉)

10月25日(土)
小説講座の事務所は、めずらしく、お休み。

来週は、小説講座の入学式なのだが、めずらしく土曜日なのに、本日はお休みなのである。

朝から外出。有馬温泉の駅前に集まって、あれこれ現地実習。最後は、金の湯へ行く。なんと全員の温泉代は、引率の教授のおごり。はい、もちろん先生に言われた通り、ちゃんと五感を使って、しっかり調査いたしましたよん。

帰りしな、たまたま先生と電車で一緒になったので、梅田で飲むことに。そこで初めて知ったのだが、どうやら、私と同じ小学校の先輩だったらしい。年齢はちょっとばかし上なのだが、今、うちの双子の娘が通っている学校である。

当時は、寝屋川はもうすっかり汚れていたし、おそらく水質汚染ではもっともピークだった頃である。その寝屋川のそばで育ったのにもかかわらず、海外の調査で、東南アジアとかの河川でボートに乗りながら、
「昔の寝屋川も、こんなんやったんかな」
とか考えられるって人は、かなり貴重かもしんないぞ。もともと用水路が多かった地域で、たぶんつい昭和30年代までは、ここらもそういう風景が広がっていたのだろうけど、そんなこと今はみんな忘れてるだろうからねえ。大阪市内の寝屋川って、東京で言えば、飯田橋あたりのコンクリート堤防の神田川みたいなもんで、どう見ても、のどかな風景にはほど遠いのだが、改修されたのは戦後になってから。昭和ヒトケタ生まれの徳庵育ちの人の自伝を読んだら、子供の頃、寝屋川でよく泳いだとか書いたあったよん。昭和30年代までは、水質もそれなりによかったのである。

また、優秀な女性科学者なので、子育てと研究との両立の苦労話とか、いろいろなことも聞けて、個人的にはめちゃくちゃラッキーであった。話は面白かったし、ついでに、お酒にもけっこう強い人だったよと、先日の講演会で会ったSF作家の先生たちに自慢しちゃおうかと思ったりする。ま、でも、よく考えたら、ほとんどワーキングマザー的な話題ばっかだったような気もするけど。深海研究とか、SF作家の先生がそそるようなものは、これっぽちも話題にもなってなかった気もするので、そこは羨ましいと思ってもらえないかもしれないけどね(私はけっこう酔っちゃってたみたいなので、ちゃんと覚えてないだけかもしらんが)

とにかく、めずらしく小説講座のお休みの土曜日。なかなか濃ゆい一日でした。

10/25/2008

たんなる過失ではない交通事故

10月24日(金)
朝から外出、昼から小説講座の事務所。

駅前の銀行に用事があるのだが、先日の引き逃げ事件があったので、野田阪神から道路沿いに歩くのがしんどい。野田阪神から事務所まで、15分間ほど歩かなくては行けないのだが、めちゃくちゃ長い距離にポツポツと赤い筋が見えてしまうからである。それでも梅田から野田阪神までの距離に較べたら、かなり短いのだけど。めちゃくちゃ遠い距離である。なんつーことするんだホントに。あらためて頭に来る。

そんなわけなので、野田阪神から歩くと気が滅入ってイヤになるので、わざわざ別の銀行で用事を済ませて、玉川の駅で降りて、事務所まで歩いていくことにする。ところが、ぼんやり歩きながら、事務所のすぐ近くまで来た時、一瞬、凍りつく。そこの道路を見て、「えっ、遺棄されたってのは、ちょうど交差点の所ではなかったのか?」とびっくりしてしまって、頭が混乱する。なにせテレビ報道などは見てないし、新聞を読んでいただけなので、つい昨日まで、遺棄されたのはてっきり大通り沿いだと思っていたのである。なにせ実際、大通り沿いのところに花束の山が置いてあるのだ。だのに、もしかするとそれは違うのか。ええっ、わざわざその角を曲がったのか。いや、まさか。いや、まさかそれはないやろ。頭がパニックになる。

実際、私が交通事故の現場を見たのは、これが初めてではないのだが(直後に見たことも数回もある)、そういうのはぜんぜん違う。考えてみれば、ふつうの交通事故は、たんなる事故で、あれは故意ではなく過失だったのである。やっぱりこれは、それとは、まったく違うのだ。こんなに悪意のあとがはっきり見えるようなものを見たことがない。今週は、あんなに雨が降ったのに、ついさっきのように見える。そう言えば、実は、道路に染み込んだ血というのは、ゴシゴシと意識的に消さない限り、そうそうすぐには消えないものなのだった。それは知人がバイク事故死をした時に知ったことだが、すっかり忘れてたのだ。いや、忘れていたいよそんなこと。

しかし、これ、ホントに。まさかそんなハズないよね。

すっかり頭がパニックを起こして、混乱を起こしてしまう。あらためて、あまりの凄惨さに衝撃を受ける。いくら酔っていたとしても、前後不覚な状態では、こんなところまでやってこれない。人によっては、ベロベロに酔っていて、人だと気づかなかったのではないかと言う意見もあるのだろうが、これを見る限り、どうやら、それはまず絶対にありえない。おそらく意識ははっきりしていたのだ。何が何でもとにかく逃げようと。誰だかわからないが、それははっきりしてる。ほんでもって、少なくともこの近くに車で何度か来たことがある人に違いない。

道路に残った血の跡に、悪意のあとを読み取って、すっかり寒くなる。
あたらめて、これは絶対に許せないなと思う。お願いだから、早く捕まってほしい。

これがミステリ小説なら、どんな極悪な犯人でも、名探偵が最後に捕まえる。現実では、なかなかそうはいかないけど、それでも何とか捕まってほしい。どうやっても納得できない死に方というのはきっとこのことである。

10/24/2008

雑草の花を抱えて、毎日しあわせ

10月23日(木)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

若い頃の恋愛沙汰は、どっかで聞いた話だが、すっかり遠い花火である。ま、この歳になると、恋だの、モテるだのモテないだの、なんだのは、たいていどうでもよくなる(私だけかもしれないが)

しかし、前も言ったが、「イイ男がいるなあ」と思うようなことは、けっこうよくある。単純に「あー、いいな」という感覚なのである。これは、毎日、しょっちゅうである。いや、単に惚れっぽい体質なのか、あるいは守備範囲が広いのか。

それは知らんけど、まあ、幸せな体質なのかも。それともたまたまものすごーく運がいい環境にいるのかもしれない。いや、そう思っておこう。たぶんそうだ。

なにしろ講師の作家の先生たちも揃ってイイ男だし、うちは生徒さんも社会人ばかりなのだが、こっちもけっこういるしさ(いや、ホントだってば。誰「そんなのどこにいるの」とか言ってるのは)。さらに今年は、休日や午前中などにいくつか講義を受講させてもらっているのだが、ここの先生たちが揃ってイイ男だったりするのだな、これがまた。いやいや、マジで。私の場合、たいてい「声に惚れる」のだが、いろんなタイプがよりどりみどりなのである。いやあ、大学の講義って楽しいよな。講義を聞きつつ、喜びにふるえる私。純粋な学問的動機で通いはじめたはずなのだが、もはや不純な動機との境界があいまい(そうなのか)。いや、知的快感。でも、でも、だって、男はやっぱ声なのよ声っ。

でも、これって、自分が既婚者なんで、もう恋愛に発展しないな、という安心感があって、あれこれ悩まないからかもしれないよな。だいたい恋愛の悩みの何割かは、自分が好きになってもらえるかどうかという点にあるような気がする。あれやこれや、すべて棚上げにして、ただミーハーに楽しいのは、きっと私がオバサンになったおかげであろう。専門学校の学生も全部かわいく見えるしさ。

いや、ほんとオバサンになるって楽しいよなあ。よく「ああ、若い頃に戻りたいわ」などという人がいるらしいが、あの心境は、私にはよくわからん。ああいう、真剣に惚れたり惚れられたりというというのは、けっこうしんどいもんである。「大人の恋」ならともかく、若い頃の恋愛なんぞ、私はもう一度やれと言われてもやりたくはないぞ。あんなの、余裕がなくて、周囲も見えてなかったし、とにかく、もう充分である。それよりは、心の片隅に、まるで小さな雑草のような片想いの花をわんさか咲かせてる方が幸せ。日頃は気づかぬかもしれないが、道の片隅にぷちぷちといっぱい咲いてるのでありまするよ。

ああ、オバサンになって、本当によかった。

10/23/2008

作家になりたい、という本当の動機

10月22日(水)
朝から外出。夕方から小説講座の事務所。

一口に「作家になりたい」という人と言っても、よく聞けば、その内容もいろいろである。

「何が何でも絶対なりたい」という人から、「できればなれたらいいな」という人、「別に専業作家になりたいわけではなくて、書いた作品が本になって売れれば嬉しい」とか、「まあ、どっちみち無理だけど、一冊くらい出せないかな」とか、よく聞けば、意気込みも、なりたい欲求の程度もけっこうバラバラだったりする。

中には、本が好きだし、作家さんに会いたいので、自分もできればなってみたい、みたいな人もいる。まあ、書いたことがない人だったりするけど、これも気持ちはよくわかる。

ところがまれに「本も読まないし、べつに小説を書くのが好きなわけでもないが、ぜったい作家になりたい」という人がいる。

うちの小説講座は、どう考えても「日頃、ほとんど本も読まず、作品も書かない」なんて人はたぶん入学しても何の意味もないので、なにせ受講費もかかるわけだし、こういう人が入学して来ることはほとんどないのだが、ただ、うちに問い合わせなどをしてくる人の中には、こういうタイプではないかと思われる人がいる。

聞いてみれば、こういうタイプの「作家になりたい」というのは、
「有名になって、世間を見返してやりたい」
とか、
「今の仕事ではパッとしないので、他のことで金儲けをしたい」
とか、
「作家というのは、何かカッコよくステイタスがあるからなってみたい」
とか、そういうのが動機らしい。

まあ、動機としては、必ずしも完全に間違っているわけでもないし、なりたい動機なんか、何でもかまわないと思う。「作家になって、異性にもてたい」とか、大いにアリでしょうな。

けど、問題なのは、それなりにちゃんと読める小説を書かないと、出版社というのは、商業出版などしてもらえないということである。一応、出版社も商売なんで、ぜんぜん売れないものを出すわけにいかないのである。で、それなりに読める小説をちゃんと書くというのは、それなりに技術も努力もいる。

それなりに「技術と努力」というと、「えーっ。大変だ」と思うかもしれないが、どんな職業だって、それなりの努力も技術も必要なのだから、作家だってプロならプロのレベルというのは、それなりに必要なのは当然である。ところが、なにせ小説というのは、まず書くのがけっこう思った以上に面倒である。長編というのは、やったことがある人はほとんどいないだろうが、何も考えずにただ書き写すだけでもものすごい時間がかかる。書くには頭がいるし、ちゃんと書こうとすると、けっこう煮詰まったりすることもあるので、ただ書き写すよりはずいぶん時間がかかる。

さらに、おもしろく読めるようにするにはかなり技術もいるのである。そんな思いをして書いても、売れる本は売れるるが、売れない時は売れないのだ。印税生活は、サラリーのように安定した生活ではない。

つまり、早い話、作家ってのは、思っているほどには、それほど割のいい商売ではないのである。というわけなので、たんに有名になりたいとか、がっぽり儲けたいとか、そういう目的なら、なんならマンガ家を志望する方がよほど効率はいいように思う。最近は発表されないけど、あの長者番付でも、作家とマンガ家では売れている人でもヒトケタ違うのである。日本の作家で、誰にでも作品名や作家名が知れ渡っている人が何人いるのだろうか。たぶんマンガの方が、世界的に見ても今やよほど有名かもよ。

だから、親切に「そういう目的なら、漫画家の方がよろしいかもしれませんよ」などと言ったりすると、
「いや、漫画家になるのは、絵が描けないといけないわけで、ほら、難しいじゃないですか。だから小説」
などと言う。ふーん、そうですか。

でも、小説は、とにかく日本語になってさえいればいい、ってわけでもない。文章ってのは、書けば誰でもそれなりには読めるのだが、ただ読めるから、すぐに面白いとは限らんのである。日本語がとりあえず書けるから、作家の方が簡単だろう、という根拠にはならんのである。

それに、もしも、それで小説を書く方がずっとラクだとしたら、理屈で言えば、誰でもできるわけで、その分だけ、プロ志望の数が増えるわけだ。ライバルが増える計算だよん。

小説は、おもしろくない本を読むのが苦痛になることがよくある。つまらない本は、つまらないマンガより、よほど苦痛なのである。でも、面白い本ならすらすら読めるのである。リーダビリティには色々な面があるけど、とにかく日本語表現の技術上問題は、重要である。

パッと書いて、作家になれれば、誰も苦労はしない。でも、なりたい気持ちがあって、好きなことを忘れなければ、たぶん人によっては、努力は努力じゃないと思う。

ま、どうせ作家なんて、結局、好きな人しかやれないだろうと思うのは、どっちみち続けられないからである。

10/22/2008

ひき逃げ事故らしい

10月21日(火)

夜、帰宅して夕刊を見ると、悲惨なひき逃げの記事があり、とても驚く。どうも遺棄された現場(福島区吉野)が、なんだか、うちの事務所のすぐ近くらしいのだった。事故というより、殺人と言ってかまわない行為みたいだが、早朝となると目撃者が少ないだろうなあ。スーパーがあり、その横にはファミレスがあって、昼間は人通りの多い道なんだけどね。でも、早朝の4時とか5時というのは、もっとも人通りが少ない時間帯だもんなあ。

かなり以前だが、私も、交通事故にあったことがある。もっとも私の場合は、車に乗っていたので、ひき逃げじゃなくて、当て逃げである。あれも早朝の5時頃だったんだよねえ。当時、レストランで働いていた私は、遅番の仕事の帰りだったのよね。衝撃音で近所の人がすぐ家から出て来たそうなんだけど、目撃者は誰もいないのである。相手はそのまま逃走して、見つからなかった。

赤信号で停車してたら、後ろから猛スピードで走って来た車がそのままブレーキも踏まずにぶつかってきた。ヘッドライトがまぶしいなと思った瞬間には、ふっとんでたから、私にもナンバーも車種すらもよくわからない。ちなみに、右車線をとびこえて電信柱に頭からつっこんだ私の車は、前も後ろもガラスが割れて、くの字に曲がってしまって、廃車になった。私は、その時の後遺症の頚部捻挫(むちうち)が原因で、結局、仕事を辞めた。しかし、ひき逃げされると補償などは何も受けられない。請求相手がいないので、医療費も何も請求できないのである。

私の場合、幸い、通勤途中だったので、医療費は労災が使えたのだけど、相手が逃げると、どうしようもないのである。ま、相手がいても財産がなければ、請求できないことも多いらしいのけど。

犯罪被害者は悲惨である。でも、ホント早くつかまるといいと思う。


10/21/2008

小説とは関係のない休日(脳ミソの洗濯)

10月20日(月)
小説講座の事務所は、日、月、木曜お休みです。

朝早くから外出。昼過ぎまで講義を受講してから、専門学校にて夜まで非常勤講師のお仕事。
朝から学生、昼から講師。

しかし、ぜんぜん違う分野だから、かえって頭が疲れなくていいな。今日は、「古第三紀」から、1950年代のアメリカ映画まで。頭が疲れたり、悩みがあったりしても、すっぱり何か切り替えをしたかったら、やっぱり無理矢理、別のことを考える時間を作ることが一番効き目があるもんですなあ。なんつーか、脳ミソの洗濯みたいな。

日頃、専門学校のマンガコースで映画解説をやったり、小説講座の事務局をやってたりすると、もはや私にとって、小説、マンガ、映画は、趣味であって趣味でない、みたいなところがある。いや、ま、趣味は趣味なんですけどね。しかし、一応まんべんなく見なきゃいけないわけでもあるから、結局、自分の好きな作品だけ気軽に見てればいいってわけじゃないし。

デスクワークで、スポーツの趣味をもつ人も気持ちもわかる。あれも何かに集中して、無理矢理、他に何も考えられない状態になるのが気持ちいいんじゃないかしらね。

10/20/2008

小説とは関係のない休日(鳥アニメ)

10月19日(日)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

ありふれた休日。たまりまくった家事をかたづける。スーパーで買い物。それにしても今年の秋は、くだものが安い。あとは、いつものように図書館。昼から新大阪へ移動。

夜、80円セール中のレンタルビデオショップ。専門学校の講義準備のため、字幕チェックの必要があって、DVD『お熱いのがお好き』など。さらに読書感想文のために、なぜか『ハッピー・フィート』もまた借りる。私はとくにペンギン好きというわけではないし、とくに感動した作品ではないのだが、それでもこのアホらしい短足タップダンスの画がたまらん。ある意味、意外なほどよく出来過ぎているので、せっかく画がここまでアホらしくてもけっしておバカ映画ではないのがちょっぴり残念だったりするよ。鳥アニメの傑作。つーか、ちゃんとしっかり鳥の生活してて、かつ映画の主役をやれる「鳥」は貴重。ビックバードも、ウッドペッカーも、人気キャラだが、ありゃ人間の暮らしをしてるからなあ。鳥のタレントだから、貴重な鳥タレ、なんてね。

10/19/2008

大型書店では、けっして油断してはいけない

10月18日(土)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

めずらしく講義のない土曜日。

小説講座の事務局をやりはじめて、早くも十数年。毎週、土曜日の夜にある講義がある。実際には、一番講義回数が多い「エンターテインメント講座」でも年に35回しかないのだが、それ以外に専攻科や文章教室だけある日もあり、なんだかんだで、私が休める土曜日は年に数回、ほとんどは、夏休みか、年末年始だが、春と秋にも2週間ほど休みがある。

たいがい入学募集期なので、春夏の休講日には、私自身が休むことはないけど、夜の講義はないので、夕方までで仕事は終わりである。ちなみに、うちの事務所があるここ、大阪NPOプラザは、平日は9時半過ぎまで開いてるのだが、土曜日は6時閉館なので、残業したくてもできぬのである。

というわけで、昼から、先月参加した現地実習の報告会を聞いたあと、そのまま梅田へ移動。久しぶりに古本屋とかジュンク堂で4時間ほどぶらつく。しかし、久しぶりの大型書店ってのは、やっぱり危険である。戦場のように油断がならない。気がつけば、サイフから金がなくなる。

なるべく散財しないようにと、あらかじめ用心してサイフの中は少なめだったのだが、やっぱり紙幣はすべて消えて、気が付けばコインの数まで検討してる私。おまじないのように、「本当に欲しければ、あとでアマゾンで買えばいいのだから」と唱えながら、誘惑の銃弾が飛び交う戦場をくぐりぬける。一方で、「カードを使えばまだ買えるじゃない」という悪魔のささやき。日常、交通費をほとんどピタパカードで支払うようになったので、いくら現金をもたないようにしても、カードを持ってないわけにいかないのである。ぬぬぬ。

戦いつつ歩き回り過ぎたので、さすがに疲れて安いコーヒーを一杯飲んで、11時頃、空腹のまま帰宅。帰宅が遅くなるはずなので、夕食は食べて帰ると言ってたのだが、サイフには、500円玉すらない。家にはやっぱり何もなくて、夜中に一人、冷凍庫の御飯をチンして、お茶漬け食べてる愚か者。アマゾンも危険だが、書店はもっと怖いな。しかし、年に数回、ほんのたまの土曜の夜なのに、他にすることないのか自分。

そういや、先日、古生物の先生が『フルハウス生命の全容〜四割打者の絶滅と進化の逆説』(S.J.グールド)を紹介しながら、
「すごくいい本です。買って損はありません。よく、一食抜いても買ってソンはない、などと言いますが、これなら二食抜いても、元はとれます」
と笑っていた。うーむ、「二食抜いてもフルハウス」。名言かもね。

個人的には、グールドの著書はハズレがないように思うけど、あれは初心者向きだし、古生物や進化学に興味がある人にとっては、コストパフォーマンスがかなりいい方なのかもね。

さて、書籍は高いか、安いのか。

得られる知識量や知的快感を考えれば、相対的には安いとは思うのだが、私のように経済的な余裕があるわけではない人間は、その分、何かしら金銭的に削るところを見つけなくてはいけない。で、てっとり早く、食いもんを削る、着るもんを削る、遊び金を削る。ほんでもって、読むための時間を作るために、テレビを削る、寝る時間を削る、遊ぶ時間を削る。人づきあい、美容、家事。削れるもんはことごとく削るのである。

ホント、本とは、理不尽な恋人。手間のかかる子供。こちらが惚れた弱みにつけこんで、やたらに金と時間を食う。しかし、ハマる人にしかわからん快感でもあるので、ホントに困ったことである。

10/18/2008

あと数日まるで戦場のような

10月17日(金)
朝から外出。昼から小説講座の事務所。

今日もせっせと事務作業。こう忙しいと、ついスタッフにも仕事を指示する口調が荒っぽくなってしまうな。ほんでもって、作業ミスされるとムッとなるよん。原因が指示ミスなのは明らかで、つまりは私のせいなのだが。しかし、今は落ち込む時間さえないので、それが幸いである。いやいや、反省する時間がないわけではないけどね。

どっちみち脳内メモリが少ないので、失敗も覚えてられないトクな体質なんで、あまり悩んだことない、というよりあまり長く覚えてられないが。脳内バックアップも、ハッピーな記憶だけとっておくことにしてるしな。

しかし、例年、入学式の直前の今の時期がもっとも忙しいのであった。開講準備や、コンテストの選考事務が重なるからね。で、毎年思うのだが、こういう作業は、もっと余裕を持って進めるべきだなあ。とほほ。でも、前もってやっとける作業も限界があるしなあ。

忙しい時期にはやたら忙しく、暇な時期はやたらヒマというのが、サービス業の宿命。けど、どうせ、忙しいのもせいぜい月末まで。

10/17/2008

まだまだ資料請求あり

10月16日(木)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

あいかわらず締切を過ぎたのに、パラパラと資料請求あり。どうせ今年の開講は11月なんで、多分11月上旬まで受け付けているだろうから、まだ大丈夫ではあるのだけど、なんだか遅い反応だなあ。ま、うちは、ほとんど広告をしていない講座なので、たまたまネット検索で見つけるか、あとはたまに図書館に配布されたチラシを見つけるとか、くらいしか、知る方法がないので、見つけた人はラッキー(?)である。まあ、ここまでギリギリになると、入学する人も少ないけど。

10/16/2008

作家になれる才能なんてありません、って?

10月15日(水)
朝から外出。夕方から説講座の事務所。

化石と遊んでから、事務局にてコツコツ事務作業。公募の選考事務もあり。数の調整がけっこう大変。

あいかわらず、まだ資料請求などチラホラ。もともと小説講座は、年1回の生徒募集しかないので、締切を過ぎてからも入学する人が例年けっこういるのだが、今年は、入学式が11月1日といつもよりちょっと遅いので、まだ期日的には余裕がある。まだ余裕。

ところで、どういうわけか、あいかわらず作家志望の人は、やっぱり「自分に才能があるかないか」ということを気にするものである。

結論から言って、たぶんそんなこと(隠された才能があるのかないのか)なんては、きっと誰にもわからないから気にしても仕方ないと思う。

私にはもちろんわからんし、たぶんどんな大作家でも編集者でも、わからない。いや、もう「出来てる人」ならそりゃ別だろうけど、まだ作品をあまり書いたことすらない作家志望者の才能を見抜く、なんてことは、たぶん難しい。

そりゃ、書いた作品があれば、
「これなら、もうすぐにでもデビューできそうか」
とか、あるいは、
「これなら、プロデビューするためには、もう少し努力しなくちゃいけないだろうな」
くらいはわかるだろう。

けど、それでもあとどれくらい努力すればいいか、なんて全然わからない。

「努力すれば、デビューできますか?」と聞かれれば、どのみち誰にでも、「努力をしても無理」ということにはならないはずである。たいていの人は、実際、何作か書けばうまくなるし。
まだ、作家志望というのは、俗に「化ける」という人がけっこういる。「化ける」ってのは、努力してもなかなかうまくならなかった人が突然うまくなるということなのだが、小説を書く人の中にはそういう人もいる。とにかく誰にどんな才能があるかなんて、全然わからない。

才能の有無などというのを何故、気にするのだろう。いや、まあ。そりゃ、気持ちはわかるけどさ。

でも、一番怖れるべきことは、書き続けられるかどうかだと思う。

たとえ「あなたには才能がありません」と言われても、それでも書き続けられる人こそ、たぶん才能がある人だと言えるんじゃないだろうか。

ああ、そうか。作家志望の人は、なぜかいつも「私には才能があるのだろうか」というのを気にするものだなと思っていたのだが、あれって、もしかして「たとえ否定されても絶対あきらめないぞっ」ということを自分で確認したいだけなのかしらん。

10/15/2008

小説講座のゆく年、くる年

10月14日(火)
朝から外出。昼から小説講座の事務所。

小説講座は、生徒募集(締切延長)中。ファックスで、申込書1通。なんか、やっぱり今年は30代〜40代が多いみたいだなあ。
ショートショート大賞の選考事務。
雨の中、火曜スタッフの丁稚どんに、天満橋まで教室代を支払いに行ってもらう。

専攻科の生徒さんで、某ミステリ系新人賞の最終選考にも残っていた人からメール。継続して何年か在籍する人も多い専攻科だが、彼女は、この秋からは継続しないそうだ。すでに一昨年から編集さんにも直接作品を見てもらったりしている人なので、もう別に継続しなくてもいいんじゃないかな、と私も思ってたけど。ただ、まだデビューしたわけではないのがちょっと気になる。それと、彼女は、専攻科の中にもファンがいるくらいなので、きっとその人たちが残念がるでしょうな。

彼女は、すでに6年在籍し、専攻科でも長編作品を多数提出してきた。最近では何を書いても一定のレベルがあり、デビューも目前で、他の生徒さんのお手本みたいな立場になっている。ただここだけの話、正直、最初入学された頃は、それほど目立った才能を発揮していたわけではなかったと思う。やはり小説は、まず作品を書き続けることが一番大事なのであった。

ただ、小説なんて、基本的には一人で書けるものである。うちの専攻科の学費は安いし、継続生はさらに継続割引で低料金にしてあるから、経営的に見てもどっちみちほとんど赤字だから、ちゃんと書けるようになった専攻科の人はどんどん修了してもいいと思ってはいる。だが、やっぱり、まだデビューが決まったわけではないというのは、ちょっと気がかりである。イイ線までいっても、なんだかんだでデビューできない人もけっこういるし。そこは、心配なものはやっぱり心配。まあ、親ごころ、と言いますか。

なにせ、専攻科を辞めた人は、なぜか急速に書かなくなる傾向があるのである。どういうわけか、不思議だが。

もう大丈夫だろう、きっとすぐにデビューできるだろうと思っていた人でも、1年くらいはがんばっていても、1年たってデビューのメドが立たないと、どうもペースが落ちてくるようである。しかも、なぜだか本人は、それに気づかない。
「いや、長編はちゃんと書いてますよ。ここ1年ほどちゃんと書いてます」
などと言うのだが、この『ちゃんと書いている』は、つまり、1年以上、何か同じ長編にかかりきりで、どこにも応募はしてないという意味だったりするのである。どうも専攻科を辞めた人は、月日がたつのが遅くなるらしい。

だもんで、専攻科を辞めて、1年以内でデビューできなかったら、もうたぶんプロ作家にはなれない、というジンクスが。

だから、「今年から専攻科を継続しません、これまでお世話になり、本当にありがとうございました」
と言われるたびに、
「どうか絶対に、1年以内にデビューしてください」
と言うことにしているのだ。それ以上、私には何も言えぬのである。所詮、小説を書くのは本人だけ。まして小説講座を辞めてしまえは、もはやできることも限られている。

生徒さんたちは、この言葉の意味がよくわかっているだろうと思う。

そもそも専攻科は、作品指導が中心のクラスで、「エンターテインメントノベル講座」とは違い、修了とか卒業というのはとくにない。1年ごとに継続更新する人はそうするだけで、継続しない人はそのままサヨナラだったりするのである。

本科は「修了証」もあるけど、専攻科では修了証もない。「卒業」もない。プロデビューして講義に出席しなくてもよくなった時に、「ご卒業」と呼ぶくらい。それ以外は、更新がなくなるだけで、教室に来なくなっても、「サヨナラ」とか、「フェードアウト」とか、そんな感じで呼ばれる。あるいは「出版デビュー」ならぬ、「一般デビュー」(作家になるのをあきらめて、一般の社会人として仕事に専念すること)という言葉もあるけど。

作家になることだけが、人生における成功ではないのだから、「それ以外の人生を進む決心がついた」というのも、メデタイことではある。むしろ、あきらめたような、あきらめてないような、ずるずるした状態が続く方がけっこうしんどい。つまり、辞めるのは、ある種のメデタイことではあったりもするが、とりあえず夢をかなえた人はメデタイ。なにせデビューには、かなりの努力は必要なのであった。

年1回、秋開講の小説講座なので、10月が年末年始。

ゆく人、来る人。あれこれあって、新学期である。

10/14/2008

小説とは関係のない休日(すっかり秋)

10月13日(月)
小説講座の事務所は、日、月、木、お休みです。

ありふれた休日。自宅の仕事部屋で過ごす。山積みの本とパソコンのキーボードと終日おつきあい。

このところ、うちの夫はすっかり「いとう化」している(いとうせいこう『ボタニカル・ライフ』的な生態/植物生活をもつ人種になること)

もう秋なのに、まだ植木鉢の数が増え続けている。ベランダの鉢の移動も激しい。おまけに水草の下で泳ぐメダカの数もいつのまにか増えている。玄関に置いてある水槽のネオンテトラの数も増えていた。

そろそろおとなしくなるはずの秋なのに、妙なことである。
(園芸好きは春先にはそわそわするが、秋冬は比較的おとなしいものなのである)

10/13/2008

小説とは関係のない休日(一日遅れの誕生日)

10月12日(日)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

天気のよい休日。夫と子供たちは、釣り竿を持って海へ。
海はもちろんキライではないのだが、海釣りはどうも苦手である。淡水か、磯遊びなら好きなんだけど。だもんで、私は、同行せずに一人でお留守番。

こんなことなら、小説講座の生徒さんたちとのキャンプの方に参加してもよかったかなあ。しかし、主婦というのは、とりあえず「家にいて、家族の帰りを待っててあげる」ってのも役割のうち。

だから、一人でおとなしく家事をかたづける。どうせ海釣りは、私が家族と一緒に行かないのはいつものことなので、子供たちは何も言わない。ごめんね。母さんは、どっちかというと、山が好きなのよ。船は好きだけど、海釣りは苦手なの。

ところで、この十数年間、家を空けるような数日ほどの旅行はなるべく控えるようにしている。仕事とか、遊びとか、かなり好き勝手やってるようだが(実際やってるけど)、これでも気持ち的にはかなり家族優先なのである。(ま、年1回、一週間ほど東京に滞在したりしてるけど、それも別ね)。

でも、なるべく地方へ出かける時も、夜行バスで日帰りするとか、これでもけっこう気を使っているのである。近所に住む実家の両親からも、見つかると「ちゃんと主婦業やってるの!」と怒られるしね。たとえどんなに大切な仕事であっても、あまり何日も主婦が家を空けるのはよくない、ってのがうちの親の考えである。その点は、どうも夫も異論がないようだし。

私自身も、一応、何日も家を空けて夫に家事負担をさせる気はない。彼は手先が器用な男だし、炊事、洗濯、掃除も、いつも私よりも上手にこなせるのもよくわかっているのだが、なにせ美術教師の仕事以外にも、なにせダンス出演だの、稽古だの、やたら忙しい男なのである。だから、つまらない家事をさせて、夫の活動のジャマをしたくない。

というよりも、そのせいで、将来、
「やりたいように活動ができなかった、才能が発揮できなかった」
などとあとで文句を言われるのがイヤなだけである。言わないとは思うけど。

ところで、才能とか、仕事って意味では、それを夫婦単位で考えると、両方が中途半端になるよりは、どっちかの才能に投資した方がよほど効率はいいかもしれない。どうも、夫の周囲にいる美術作家やダンサーなどという人種は、それなりに活躍している人ってのは、やっぱり奥様がマネジャーで二人三脚とか、あるいは奥様が公務員で経済的には全面協力、みたいな人が多いようだ。

だから、それに較べると、私のように「自分の仕事はあるのに、収入自体は少ない」というのは、芸術家の妻としてはちょっと、というか、かなりイマイチかもしれない。これくらいの年齢になると、結局、もう専業になるか、辞めるかの二択ってパターンになってしまうことが多いから、兼業で家事負担までやる人はきわめて少数派。つまり、それだけで、ライバルから見ればハンディキャップみたいなもんである。

夫のやっている舞台は、ただでさえ客の少ないと言われる前衛芸術らしいのだが、それなりにファンもいるみたいだし、なんだかんだで活動も儲かりはせんがほとんど赤字もないらしい。商業的にかなり厳しい世界で、世界的に見ても難しい分野だが、それなりに認めてくれる人も多いことはえらいことである。まあ、二十年近くやってるわりにはイマイチかもしれんが。ま、どのみち私には、まったく理解のできない分野の芸術なんで、なんとも。

午前中、家事。午後から近くの図書館。
私は、日頃3ヶ所の図書館へ、だいたい週3回くらい通っている。近所の図書館は、ネットで文献を取り寄せ可能なので便利。今日も取り寄せた本が4冊。私は、図書館ではほとんど小説は借りないが(小説はたいてい購入してる)、毎週平均十冊くらい貸し出し。どんなに忙しくても図書館なしでは生きていけない。

夕方から自転車に乗って、近くアウトレットブロッサムへ。モンベルで、これからの季節の調査用に何か冬物でも買おうかなと思っていたのだが、結局、買わずこの夏、軽登山靴も5年ぶりに買い替えたし、あとは、いい雨具が欲しい。。無印良品で小物を買う。

スーパーで買い物。店先も、すっかり秋らしく果物がいろいろ並んでいる。ぶどう、カキ、リンゴ、ミカン、イチジク、今日はめずらしいアケビも(私しか食べないので、買わないけど)。夏は、火を使うのが暑くて料理は面倒なところもあるのだが、秋は料理をするのが楽しい。読書の秋、食欲の秋だ。

夜、釣った魚34匹(10センチにも満たない小魚ばっかり)をおみやげにして、家族が帰ってくる。夫の片手にケーキの箱。今日は、一日遅れの私の誕生日である。子供たちから、ささやかな誕生日プレゼントをもらう。ペンケース、ノート、ペンなどなど。

やっぱり家族には何かをしてあげることよりも、もらう方が多いような気がする。そんなありふれた休日。

10/12/2008

文章講座も、今日で修了。来月から新学期

10月11日(土)
朝から外出。11時過ぎから、小説講座の事務所。夕方は、基礎レッスンコースの最終講義。

中3の長男は、朝から志望校の体験見学会へ。双子の娘たちは、父親に連れられてサーカスへ。出勤途中、駅前にある赤い大きなテントから、楽しげな音楽がもれていた。聞いた話では、演出といい、いわゆる昔ながらのサーカスなのだとか。最近は色んな派手なパフォーマンスもあるようだけど、これはこれで子供には貴重な体験かも。

昼、入学希望者が直接、申し込みに来館。まったくの初心者だけど、大丈夫でしょうかと聞かれる。まあ、例年、だいたい3分の1が初心者、3分の1が自力で書いてみたけど、途中までしか書けなかったとか、あまりうまくいかなかったという人、残る3分の1が、あちこちの公募に応募してみたけど、なかなか選考に残らなかったという人である。

どうもこれまで私の見たところ、まったくの初心者という人ほど、実は、あまり心配がないものである。こういう人は、最初から自分がうまくないと思っているので、小説講座でもほんの5枚とか、10枚の課題を書いただけで、「あら、自分でもけっこう書けるじゃない」と嬉しくなるようで、本人も「意外にやれば、けっこう書けるもんだな」と思って、わりとトントン拍子にうまくなっていくのである。だから、私は初心者です、という人は、毎年ほとんど心配したことがない。なにしろ不思議なもので、それなりに課題さえ提出してもらえれば、半年、せいぜい1年もあれば、その程度の差は、すぐに追いついてしまうのである。

しかし一方、入学までにかなり書いてきたという人は、講座に入るまではあまり何も考えずに自分の書きたいものをガンガン書いてきた人が多い。むしろ、こういう人の方が、入学して2〜3ヶ月目くらい、だいたい1月頃にちょっとしんどい時期があったりする。

つまり、これまで「ただ書きたいものを書きたいように書いてただけ」だったのに、「読者が読みやすいように書く」とか「読者に負担がかからない書き方」とか、今までちょっと違う考え方で書かなくてはいけなくなるので、それまで「何も考えずに」サクサク書けたのに較べて、ずいぶん書きにくくなってしまうらしいのである。しかし、それまでは、あまり苦労せず、長編もラクにさっさと書けたという記憶があるので、頭を使って短編を書くのがけっこう大変らしい。ま、それも春頃には慣れるみたいだけど。

郵便で、昨日、電話があった人の申込書も届く。今年の入学生は、ちょっと男性が多いのかなあ。20代、30代、40代とちょうど世代もバラバラである。ある世代にあまり集中しない方が教室の雰囲気もいいことが多いのでいい。ま、どっちみち小説講座は生徒さんの年齢はほとんど関係ないけど。最初っから話題に共通項があって、ジャンルもけっこう限られてるからな。

3時過ぎにスタッフが来て、天満橋にエル大阪に移動。基礎レッスンコースは、最後の講義。今日は、7階で大阪シナリオ学校の入学式(オープニング記念講義)もあるので、レッスンコースの授業が始まる前に、挨拶に行く。講演前の高見先生から、台本集の見本をいただく。

基礎レッスンコースは、教室実習。講義のあとの教室で、みんなでお菓子をつまみながら閉館時間まで雑談。さらに中華屋に移動して、遅くまでアレコレ話。このクラスは、大半の人がエンターテインメントノベル講座に進学するのだが、今日で修了という人もいて、メルアドの交換などもしていた。

社会人になると本を読まなくなる人は多いし、周囲に読書好きがいるとは限らなかったりするから、世代を越えて、こういう友人ができる機会はけっこう貴重。

さて、これで基礎レッスンコースも修了し、11月1日の入学式まで、講義はお休み。
もっとも、それまでに入学の準備とか、ショートショート大賞の一次選考の事務処理とか、落選通知の発送準備とか、もちろん忙しい。おっと、決算処理もせねば。毎日、忙しいなあ、ふう。

10/11/2008

小説講座の募集締切を延長

10月10日(金)
朝から外出。午前中、火山のビデオ見せてもらって(いつ見ても、すごいなクラフト夫妻)、午後からは、小説講座の事務所へ。

今日は、秋に開講する小説講座(12期)の入学締切日。
願書はちらほらあるけど、電話はあまり鳴らない。明日、申込書を送るつもり、という人が一件だけ。本日で定員割れになったから、しばらく入学申し込みを延長にすることになる。まあ、入学式が11月1日なので、まだ半月以上あるのだけどね。

うちの講座は、社会人向けの小説講座なのだが、いわゆるカルチャーセンターで一番多いらしい専業主婦とかシニアの層は、実は、うちではかなり少数派である(いることはいるけど、割合としてはやや少ない)。たぶん講義が土曜の夜ということもあるのだろうけど、仕事や家庭でかなり忙しいはずの、20代後半から40代前半という年齢が多いのである。

そのせいか、入学するかどうか迷って、かなり決心が必要だった、という人が多いらしくて(まあ、よく考えてたら無理だったかもしれないけど、いきおいで入学できた、という人もいるけど)、毎年、けっこう締切後の入学希望者も多いのだった。まあ、既婚者も多いしね。

年によっては、半分くらい締切後の入学生だったりすることもあるし。ま、でも、もともと少人数制だし、募集も年1回しかやってない。どのみち非営利団体なのだし、ほとんど宣伝費もかけてない小さな学校だから、少ない入学生を誠意を込めてサポートするので精一杯である。

ま、少数でもいいから、さっさとプロデビューして、何人か人気作家にでもなってくれれば、それが宣伝になるはずなので、それを期待しよう。ほんでもって、プロ作家の卒業生講師の割合を増やすのが夢(これぞ「サケの放流方式」)

放送作家の高見先生から、演芸作家協会の新しい「漫才台本」ができたとのお知らせ。

うちの小説講座でも、ひそかに人気がある漫才台本集、第三集である。これは、シナリオ学校の演芸台本科(現在は、放送台本科)という特殊なクラスで使うためのテキストで、演芸作家協会だけの非売品なので、一般ではまず手に入らないきわめてレアな台本集である。

漫才の台本集ってのは、実は、非常にめずらしいもので、基本的にはよほど有名なコンビのネタ以外はほとんど市販されてない。もともと漫才台本は、「時事ネタ」「アテ書き」(その演者にあわせて書かれた台本)なので、落語台本と違って汎用性も再現性もないから、どのみちほとんどのネタはすぐに消える運命にある(だいたい一般の人は、漫才台本というものがあることも知らない)

でも、「お笑いの勉強」にはわりと便利である。うちの生徒さんにもわりと人気があるし、たぶん資料的な価値もかなり高いと思う。小説講座の生徒さんは、台本を読むのに慣れてないとは思うけど、コツは、まず「テーマ」に注目して(台本だと、タイトルが書いてあるので、何がテーマがわかりやすい)、あとは、それぞれの発想とか、展開とか、構成(ネタの並べ方とか順位とか。だいたい同じテーマに沿って、後半が盛り上がるように種類の違ったギャグをうまく配列されている)とか、細かく見ると、かなり勉強になると思いますぜ。

とくにテーマは、笑いを作る仕掛けとなるアイデアなので、ちょっと注目してみようね。そのテーマを見て、自分でギャグとか考えてみると、構成のよさとかわかるよん。

小説もそうなんだけど、演芸台本も、何を見ても、どこがウマイのかヘタなのかが最初のうちは全然わからんかったりするんだけど、それも見なれてくると、けっこうわかってくるもんなのよ。で、そうなってから、やっとシロウトとプロの差が激しいもんだってわかったりするけどね。

小説も書きはじめた初心者は、プロの文章を見ても何がウマイのかもわからんのだけど、ちょっと慣れてくると「ああ、何気なく、するっと書いてあるみたいだけど、実際はこういうテクニックを使っているのか、すごいな」と思うようになる。気楽に楽しくすいすい読める小説ってのは、どうやら書くのは気楽にすいすい書けるもんじゃないという……ま、あたりまえなことのだが。

でも、それがわかってくるようになると、もう初心者じゃないだろうけどね。

さて、今回も、欲しい生徒さんには格安で特別にご提供。(一般の方は、関西演芸作家協会か、大阪シナリオ学校にご相談くださいまし。すでに第三集だけど、第1集と第2集も在庫があるみたいだし)

10/10/2008

デッサンの描き方、小説の書き方

10月9日(木)
今日も、あちこちでノーベル賞の話題。今日は、クラゲの話など。

ふと、医薬とか分子生物学とか植物生理学とか、あーゆー雑誌にカラーページが増えたのも、GFPのおかげかもしれないなと思う。最近の専門書だって、やたらカラーが美しい。もしかしてクラゲのおかげ。

ま、DTPの普及でカラー製版代が安くなっただけかもしれないし、いくら美しいビジュアルでもどっちみち私には内容がほとんど理解できてないのは一緒だけど。

中3の息子は、現在、中間テスト中である。彼の学校では、5教科だけではなくて、音楽、技術、体育、美術のペーパーテストもあるらしい。今日は美術のテストで、写生の問題が出たそうな。

そこで息子は、夕食時、高校の美術教師である父親に、
「なあ、あんなテストって、どうやって点数つけるの?」
と質問。

「そんなもん知らん」
「知らん……って、パパだって、美術の先生やろ」
「オレは、写生なんかテストに出さんよ。写生なんか遊びでするもんや」
「ふーん。でも、デッサンとかテストでするんやろ」
「そら、デッサンは成績つけるよ」
「デッサンって、見たまま描けば、いい成績?」
「デッサンってのはな、あれ、見たまま描いたってあかんねん」
「え、デッサンって、見たままをできるだけそのまま描いたらええんとちゃうの?」
「あかんあかん。そこんとこ、うちの生徒もよく間違えるけど、デッサンって、見えたままを描いたらええんと違うで」
「じゃ、どう描くん?」
「見えたように描くんじゃなくて、見えるように描くねん」
「それって、一緒やんか」
「ぜんぜん一緒やないやろ。自分が見えたもんをそのまま描くんじゃなくて、そこにあるように見えるように、そう見えるように紙に描くねん」
「うーん、ようわからん」
「たとえば、ほら、ものすごーく真っ白い部屋に、ものすごく真っ白い机があって、そこに真っ白いものが置いてあって、しかもめちゃくちゃ明るかったら、たぶん真っ白にしか見えへんやろ。それをそのまま見たまま描こうとしたら、ほとんど何も書かれへんし、真っ白にしかなれへんやろ?」
「まあ、そうかなあ」
「でも、そこにモノがあるように見せようとしたら、ちゃんと線とか描かへんと、でけへんわけやろ。でも、そんな線とか、そんなもんホントは全然どこにもないわけやろ。でも、その方がリアルに『ある』ように見えるねん。つまり、自分が見えたもん、そのまんま描いても、そこにモノが『ある』ようには人には見えへんねん。わかった?」
「うーん、ようわからん」
「でも、モノは三次元で、紙は二次元やろ。どっちみち三次元のもんを二次元に表現せなあかんわけやろ。だから、そこにあるように『見える』ように、ちゃんと表現をせなあかんねん。だから、ぜんぜん『見えたままを描けばいい』ってわけじゃないねんで」
「ふーん。でも、なんか、ようわからん」
「ま、どっちみち、描く人がちゃんと見えてなかったら、ちゃんと描かれへんけどな」

日頃は、日常会話もわかりにくい芸術家の夫にしては、相当にわかりやすい説明だと思うが(さすがに高校で教えているわけだしな)、残念ながら、息子は、わかったようなわからないような顔であった。

小説講座でも、自分のアタマの中にある物語をそのまんま書いたのにぜんぜん伝わらない、という人がけっこういる。きっとこれもデッサンと一緒で、そんなことをしてもなかなか伝わらないのである。たぶんそのまま描いてもダメなのである。「見えたままを描く」のではなくて、読む人に「見える」ように描く。だから、テクニックが重要なのだ。ただ、ある意味、あたりまえだが、これはわからない人にはなかなかわからんもんらしいので、人によってはちょっとアタマで理解するのは難しい。

しかも、そもそもアタマの中の空想の世界だから、きっと実在のモノよりちょっと難しい。あるものをあるように描くのではなくて、ないものをあるように描くわけだから。ま、最初の頃は書きたい情熱だけでアタマがいっぱいだから、そんなこと考える余裕もないだけってこともあるけど、しばらく何作か作品を書いて、講師のプロ作家や仲間に話を聞いているうちに、少しずつわかってくる。それがわかれば、あとはやっぱり努力。

え、どこまで努力すればいいのかって? 努力しても努力してもキリがない? そりゃ、プロでもキリがないのに、アマチュアにすぐにできてたまるかい。ま、でも、やればけっこうできるもんよ。何らかの方法はあるしね。

10/09/2008

ノーベル賞とショートショート大賞

10月8日(水)
朝からあちこちでノーベル賞の話題。天気の代わりにノーベル賞。

今日は、腕足類の化石とスキンシップをとってから、遅めに小説講座の事務所へ。スタッフがパソコンに向かい、せっせとショートショート大賞の受付事務をしていた。締切が6日消印有効だったから、もうそろそろ一段落だと思うが、本日到着分だけでもけっこう山積み。あきらかに例年よりもかなり多い。スタッフが「今年はきっと多いと思っていたんですよ」と言う。どこかに妙な能力があるらしいから、きっと予知でもしていたのだろう。

小説講座の生徒募集について、問い合わせなど。そう言えば、昨年度の生徒さんは、20代後半から30代半ばまでにめずらしく集中していて、それ以外の人がほとんどいなかったのだが、今年は、まず40代が数名。30代も多くて、20代は少なめ。うちは社会人向けの講座なので、もともと生徒さんも大学生から定年後までという幅広い年齢層なのだが、一番多いのが20代後半から40代前半。しかし、毎年、微妙に平均年齢は前後する。

忙しい社会人の生徒さんは、入学するかどうか、かなり迷った挙げ句に入学したという人がけっこう多い。たとえ初心者でも、あるいは新人賞に応募してもなかなかうまくいかなかった人でも、どっちにしても、ある意味、みんなけっこう確信犯的である。まあ、就職して何年もたつと、なかなか本好きが周囲にいなくなったりして、そんな話ができる仲間ができるだけでも嬉しいという生徒さんもいるけどね。たとえばSFとか、ミステリとか、ホラーとか、あるいはマンガとか、アニメとか、ライトノベルとか、映画とか、時代劇とか。

「小説を書きたい」とか、「こっそり書いてる」とか、職場でも家族にも言えない人もいるけど、うちじゃ全員みんな「小説を書きたい人」だからなあ。

つまり
「自分より本や小説を読んでいる人に、最近、あまり会った事がない」
という人でも、うちに入学すれば、
「そんな人は、いくらでもいるのだ」
という事実を知るのである。少なくとも講師である作家の先生たちは、皆そういう人ばっかし。

さて、また、ちと小さな心配事あり。まあ、なるようになるわと開き直り。一難去ってまた一難。人生、山あり谷あり。人生万事塞翁が馬。

夕方、帰宅。夕食後、今日行われた小学校の運動会のビデオを見る。夫が「コレをこのようにちゃんと写すのがいかに大変だったか」と延々と自慢する。小5の双子の娘たちは、写真を見ると角度によってはたまに肉親でも見分けられないほどよく似ているのだが、ビデオで撮ると全然違うから見分けやすい。姉の動きは活発だがガサツ。妹はおっとりしているが、きっちりした動き。性格も、姉は外向的で活発な性格、妹はおとなしくて几帳面な性格で、ソーランの動きにもその違いがよく現れるのであった。

10/08/2008

小説コンテストには、小説を応募しよう

10月7日(火)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。

山のようなショートショート大賞の応募作の受付で、スタッフは大忙し。なにせ昨日の消印有効で締切。

今年は、応募作品数が思ったよりも多く、急遽、一次選考の体制の変更対応をする。うちのコンテストは、審査期間が実質3週間とめちゃくちゃ短いので、事務もかなり忙しい。

しかし、受付をのぞいてみると、応募の封筒に作者のコメントとか、本人の思いを書いた手紙を同封されるケースがけっこうあるようだ。他のコンテストは知らないが、うちでは手紙などを同封されても、公正な審査のため受付段階ですべてハズしてしまって、作品だけにしてしまうから、作品以外にいろいろ手紙とか同封されても仕方ないのである(ま、たぶん他のコンテストでも同じような対応だろうと思うけど)。なにせ受付では、作品番号をつけて応募の受けつけをするだけだし、この時点では作品はまったく読まない。で、そこで手紙などをハズしてしまうのだ。

また、このコンテストは、「窓をテーマにしたオリジナル小説」(応募規定にもちゃんとそう書いてある)の賞なので、「これは小説ではありません。それを前提に読んでください」と言われても、これは対応にかなり困る。本人がとりあえず「小説」ですと言うのなら、実際には実話だろうが、何だろうが受けつけるのだが、「小説ではない」と言われると、一応、『規定外』ということになってしまう。だから、そう言って応募されると困るのである。

むろん「実話をもとにした小説」ってのはあるし、もし内容がすべて実話であっても、いくらでも応募してくれていいのだが、しかし、それは「小説」としての応募が前提で、「これはあくまでも実話であって、小説ではありません」と言われてしまうと、受付としてはちょっと困ったことになる。だって、「小説」ではないわけだから、規定外として審査ができないのであった。

どうもかなり特殊な事情があり、どうしても「実話」として読んで欲しいらしく、同じような作品をあちこちに送っているらしい。だが、気持ちはわかるけど、これはどうしようもないのであった。どうしても実話として読んでもらいたいと言ったって、うちは小さな小説講座だもの、たとえ読んだってどうすることもできない。出版社やら新聞社などなら何か対応できるかもしれないけど。

やっぱり小説ってのは、何を書いても基本的にはオーケーだけど、「フィクション」ってのが前提だしなあ。

対応に困った受付スタッフから、どうしたらいいですかと相談を受けて、かなり考えたあげく、結局、長文の手紙を添えて作品を返却することにする。かれこれ十年目のコンテストだが、こんなふうに作品を返却したのは初めてである。事情が事情なだけに今回は仕方ない。このまま黙って受けつけるのもどうかと思うし。

さて、今年の応募数は、どうやら例年の5割増し。毎年、わりと応募数が増減する。理由はわからないが、テーマにもよるようだ。「窓」というテーマは、わりと書きやすかったのかも。

そのほかの事務作業。小説講座の願書は、本日は一通もなし。問い合わせ電話は、数件あったらしいし、締切は今週末だから、まだまだ応募はありそう。ま、例年、締め切りすぎてもパラパラと申込があったりするし。小説講座は、入学するまでどうしようかとけっこう悩む人が多いのであった。

10/07/2008

毎日楽しいけど、毎日忙しい

10月6日(月)
小説講座の事務所は、日、月、木曜お休みです。
……なのだが、午後から小説講座の事務所。

朝から外出。午前中、生物学の講義を聞きにいく。アミノ酸など全くわからん私にはちょっと難しすぎるが、話は面白かった。マイコプラズマを描いた特製キャンディをもらう。なかなか面白い先生である。教室で後ろに座っていた学生が、『深海のyrr』を読んでいる。「ソレ読んだよ」と言ったら、ニヤっと笑った。

図書館で進化学の本を借りる。趣味のお勉強もけっこう忙しい。火山に進化学、古生物、測量、堆積学。

夫には「そんなもん何が面白いのかさっぱりわからん」と言われる。しかし、映画も小説もマンガも、専門学校や小説講座のせいですでにお勉強(まあ、もちろん趣味でもあるのだが)、つまりアレはアレで一種の「仕事」化しているので、純粋な趣味と言われればこっちだけなのよね。ま、講師のSF作家さんたちとか、SF志望の生徒さんとは少しは話題があうから、それはそれでいいんとちゃうかな。

つーか、あいかわらず夫のやってる現代美術とか、前衛舞踏の方が、私には何がおもろいのか全くようわからんのだがな。

いや、小説を学ぶ皆さんは、コンテスト入賞、プロ作家という夢があるから、今のところ、それはただの趣味ではありません。先行投資。もちろん「プロになるのはあきらめて、好きな作品をこっそり書くだけで満足」というのなら、ただの趣味と考えていいと思いますけどね。

事務所にて、あれこれ事務。資料請求者への発送など。小説講座(12期)の願書1通。

ショートショート大賞の応募作が山積みになっているのだが、まったく手がつけられず。9月が年度末なので、けっこう忙しいのだが、今日もバタバタして、あっという間に、NPOプラザの閉館時間なのだった(なにせ月曜日は、閉館時間が早いノダ)

ぼやぼやしてるうちに、今年が終わりそうな。

10/06/2008

小説とは関係ない休日(雨ふり、ケータイ)

10月5日(日)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

天気が悪く、予定していた小学校の運動会は中止。水曜日に延期だそうだ。小5の双子の娘たちはがっくり。ランドセルをかついで登校。
長男が通う中学校の運動会も、2度延期になったし、今年は何かと雨にたたられるな。

スーパーに買い物に行ってケータイを忘れたのだが、雨で面倒だから昼から取りに行ったら、ちょうど間の悪いタイミングで小説講座の生徒さんから電話があったらしい。しばらく欠席していた専攻科の人だが、家庭でかなり色々あったようで、来期は通学できないそうだ。子育てや在宅看護など、みんな色々大変である。ただ、小説を書くことは、一人でも家でもずっとコツコツ書くことはできるので、本人があきらめなければ、きっと書き続けることはできるだろうと思う。「少しずつでも書き続けて、来年、家庭が落ち着いたら、またぜひ専攻科に通いたい」とのこと。「またぜひ来てね」と言っておく。

うちの小説講座は、社会人向けの講座なので、みんな、仕事とか家庭とか、けっこうアレコレ抱えている。職場の事情もあるから、たまに忙しい時期もある。ただ、社会人のいいところは、人生を長い目で見れることである。2〜3年くらい書けない時期があっても、ほんのちょっと、細々と何かしらでも書き続けていれば、なんとか続けることはできるのである。ウサギとカメ、ではないけど、コツコツしてれば、それなりに追いつくし。

天気のいい日もあれば、悪い日もある。でも、ずっと雨ばっかり降り続けるわけじゃない。ま、そういう日もあるけど、いつかはまたきっと晴れるものなのである。
ま、たぶん、そういうことである。


10/05/2008

今日は、小説講座(11期)の修了日でした

10月4日(土)
朝から外出。夕方から小説講座。

本日は、11期&専攻科の最後の日。講義は、短編&ショートショートの作品指導である。講師は、堀晃先生。入学希望者の見学1名。
うちの小説講座は、毎年、秋募集しかないので、毎年、この時期が卒業である。修了生のうち、何割かは、専攻科に進学するのだけど、継続しない人は今日が最後。

11期の皆さん、修了おめでとう。パチパチ。1年間お疲れ様でした。

とくに修了式などはしないのだが、講義後、本日の講師である堀先生に「修了証」を手渡してもらう。

11期も、誰が進学するのかよくわからんのだが、なんだかんだで、割と出席率はよかった。皆勤賞はたったの一人だったのだけど、なにせ年35回、土曜、全員が社会人という状況では、できるだけ出席しようとしても、ほんの数回は休んでしまうことが多い(生徒さんの多くが、20代後半から50代くらいまでなので、仕事だけではなく、知人の結婚式に出席しなくちゃ、というのもあったりする)。今年も、仕事の都合などで、途中で来なくなった人も2人ほどいるけど、ま、1〜2割は仕方ないのである。

講義後、11期の生徒さんたちは、ワイワイと集まって、アドレスの交換や遊びに行く相談など。職業もバラバラ、年齢もかなりバラバラで、小説好きと小説創作という共通項だけがある集団。

小説講座は、毎週土曜日なのだが、春、夏、秋、冬、たいてい2週間ずつ、休講になる日がある。今年の秋は、11月1日の入学式まで、しばらく講義はお休み。その間、生徒さんの中には、仲間同志で合宿をするグループもあり。夜通し、酒を飲んで、あれこれ作品について話をしたり。私も、今年もどこかのグループに混ぜてもらうつもりで楽しみにしていたのだが、なにせ先日から何かと家を空けまくっていたので、どうにも家族の許しが得られず。この連休、まだテントの空きがあるそうなので、参加希望者があれば、ぜひ。キャンプ場なので、たぶん費用もかなり安価。

基礎レッスンコースのクラスは、今日は、林千代先生に作品指導をしてもらう。こっちは、来週、修了式。

講義後、いつものように中華屋へ行く。11期、専攻科、基礎レッスンと3グループに分かれ、小さな店をすっかり占領してガヤガヤ大騒ぎ。

今年は、最終候補に残ってもおしくも受賞できなかったり、と、ほんのちょっと、あと一歩でデビューならずという感じの人ばかりだったのだけど、来期はぜひドバッと一気にプロデビューしてもらいたいなあ。いや、絶対にそうしてもらわんとね。

10/04/2008

ショートショート大賞の受付事務とか

10月3日(金)
午後から小説講座の事務所。

うちは9月が年度末なので、そろそろ決算事務もしなくちゃいけないのだが、忙しくて経理事務は後回し。とりあえずスタッフには、ショートショート大賞の受付をしてもらって、あれこれ書類整理。小説講座の生徒募集もあるし、今年も10月中旬までバタバタしそう。今年は、入学式が11月1日とちょっと遅いので、1週間ほどは余裕があるけど。

ショートショート大賞への応募について、電話の問い合わせ数件。小説講座に申し込みをして、もし入賞したら「特待生」制度が使えるらしいが、振込み学費はどうなるのか、という話あり。もちろんその場合は、返金できますと伝えておく。もっとも、小説講座には申し込むかどうか、かなり迷っているみたいだが。

「ショートショート大賞」は、応募資格不問で、誰でも応募可。ただし、実は、うちの専攻科の人には、一応、遠慮してもらっている(強制ではないが、自粛してね、ということ)

というのも、うちの専攻科のレベルはかなり高い方なので、専攻科の生徒さんが応募されると、やたら最終候補に学内の人ばかりが残ることになるってのは、たぶん間違いないからである。そうなると、ちゃんと公平に審査していても、一般から余計な懸念をもたれるかもしれないから、ちょっと困るのである。

受付をしてくれているスタッフが「昨年よりは応募作が多いみたいですね」と言う。今年は、「窓」がテーマなのだが、どうも書きやすいテーマと書きにくいテーマというのがあるのかもしれない。

10/03/2008

木曜は、お休みなので

10月2日(木)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

これから半年、私は毎週木曜、趣味のお勉強の一日になりそう。終日あれこれ講義を受ける。やっぱ、授業をする先生の立場より、教えてもらう方がラク。

統計学はたしか20年前にも大学でやったはずだが、すっかり忘却。「心理測定法」とか「社会調査」でも似たようなことをやったような気がする。忘れたよ。コピーライターをやってると、マーケティングデータをよく使うから、それなりにはわかってはいるはずなのだが、理論とか、ホント全部忘れた。

一番期待してなかったけど、植物進化の話がかなりおもしろかった。

10/02/2008

小説講座の願書と夢

10月1日(水)
4時頃から小説講座の事務所。

5日間ほど留守にしていた間、気がかりだったのは、小説講座の願書の数である。で、今日、事務所に行って、スタッフに見せられたのは、5通。とりあえず、これで開講のメドはたったかな。ま、小説講座は、年1回、秋しか募集がないので、定員に達しなくてもほとんど不開講にはしないのだが(でも、来年度の募集がなくなる)

この秋は、文章系のコースの募集がないので、「12期エンターテインメントノベル講座」のみの募集。例年よりはかなり少ないのだが、締切は来週だから、まだよくわからない。小説講座は、毎年けっこう締切ギリギリまで悩む人が多いからなあ。生徒さんの中には、3年ほど悩んでからやっぱり入学したなんて人もいる。ま、たいてい「もっと早く入っておけばよかった」とか言うけどね。アレコレ悩むくらいなら、早くやってみた方がいいかも。プロ作家志望というのは、なかなか孤独なものなので。小説を書くのは、所詮は一人。だが、仲間がいたり、講師の苦労話などを聞いたりするのは、精神的な支えにはなる。継続は力なり。

どうも小説ってのは、世間では「ちょっと書いてみて、うまくいかなくて、すぐにあきらめる」ってパターンが多いようだな。ただ、「さっさとあきらめがつく」ってのも、それはそれで要領のいい生き方ではあるかもしれないから、どっちが幸福かどうかはよくわからんが。

でも、生徒さんたちの顔を見る限り、みんな楽しそう。夢があるというのは幸せな生き方じゃないのかな。願書の数は、夢の数。


10/01/2008

雨、雨、雨

9月26日〜30日

5日間、山ごもり。
PHSなので、電話連絡とれず、申し訳ありませぬ。

5日間のうち、初日がどしゃぶり。3日目も雨、最終日も雨。
まともに動けたのは、2、4日目のみだった。体力的にはラクだけど残念。

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