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09/26/2008

植物園の自然林で一日過ごす

9月25日(木)
小説講座の事務所は、日、月、木曜、お休みです。

事務所はお休み。
私は、植物園の自然林にて実習。斜面でずり落ちそうになりつつ、植物実習。やっぱ、樹木の同定ってのは、ちょっと難しい。

09/25/2008

12期は生徒募集中、専攻科は今年も2クラス募集

9月24日(水)

「エンターテインメントノベル講座」は、現在、12期募集中。専攻科は、今年もA、Bの2クラスを募集。Aクラスは、プロ養成クラスだから、長編指導もする。Bクラスは「実力養成クラス」で、50枚短編中心。専攻科は、「エンターテインメントノベル講座」の卒業生向けに作られたコースだが、Aクラスにするか、Bクラスにするかは、本人希望(卒業生なら入学審査はない)

ところで、この50枚という枚数は、入学後、初めて書いたという人がけっこう多い。初心者で、これまでせいぜい10枚くらいしか書いてなかった人も多いけど、一方で、長編ばかり書いていたので100枚以下などは書いた事がない、という人もかなり多い。どうも、どっちかになるようだ。

50枚という枚数は、30枚くらいの短編と違ってそれなりに構成力も必要だし、けっこう難しい。作品指導には、ちょうどいい枚数である。長編と比較すると、同じ期間では作品数が多く書けるし、その分、作品指導も多く受けられる。講師も負担が少なく、構成や文章もしっかり見ることができるし。

だから、この50枚くらいの短編というのは、とりあえず書いて練習をするには、いい枚数ではないかと思う。とくにプロ作家志望で、専攻科に進学するような人には、Aクラスでも、Bクラスでも、とりあえず50枚短編を5本ってのがオススメ。

しかし、実際、50枚短編を5本も書ける人はかなりマレ。プロ志望の人は、とにかく早くデビューしたいので、とりあえず長編を書きたがる。50枚短編などは書きたがらない人の方が多い。

とにかく早くプロになりたい、という気持ちはわかるから、仕方ないとは思うけど、人によってはあせって長編を書いても、しんどいだけなのではないかと思う人もいる。そういう人は、結局、遠回りをしているだけなような気がする。まだ長編を書くだけの構成力や表現力がないので、最後まで書けなかったり、書けたとしても、文章も構成も自分でもさほど満足いくような作品にはならなかったりする。そんでもって、本人が落ち込んだりするし。

長編が得意ならそれでいいけど、長編は講師にも負担がかかる。短編なら、講師に注意されてもすぐ立ち直れるみたいだが、長編指導は、本人にもかなり精神的な負担がかかる。

しかし、一方で「もうそろそろ長編にもトライしたら?」という人もいるので、なかなかややこしい。数十枚の短編はいいが、長編になるとなぜか構成がボロボロになるという人もいるしなあ。

そろそろ専攻科も、進級の時期。今月で、修了する人もいれば、進学する人もいる。
(専攻科は、年度が終わって進学しなくても、とくに「卒業」とは言わない。専攻科での「卒業」は、プロデビューのこと)

小説を書くのは誰でもできるけど、プロになるのはけっこう難しい。誰かに読んでもらえるような作品を書く、それだけがやっぱり難しい。でも、やっぱり書き続けることだけが、最低条件だと思う。

09/24/2008

パン派か、ごはん派か。朝食と食育

9月23日(火)

このところ、「朝食」が、ちょっと面倒。夫はパン派なのに、子供たちがごはん派なのである。

うちでは、結婚以来、夫の好みでなんとなくずっとパン食。彼は、朝食は必ず食べるのだが、コーヒーにパン、あとはせいぜい卵かサラダ、何か一品ベーコンかハム、チーズでもあればもう上等という感じで、けっこう適当である。なんなら、うまいジャムでもあれば、パンとコーヒーだけでも可。

夕食には、かつて新妻(十数年前の私)が、栄養成分表を2冊も買わなくてはいけなかったほど、栄養バランスなどにうるさい夫なのだが、なぜだか朝食は軽く済ませたいらしい。

ところが、どういうわけか子供たちはごはん派。ごはんだとみそ汁とか作らなくちゃいけないし、おかずもけっこうちゃんと用意しないといけない。しかも、下の双子の娘も、姉は「梅干し派」、妹は「納豆派」とか、双子のくせに微妙に好みが違うので、ちとばかり面倒である。

近頃の子供たちは、小学校でもしっかり「食育」の教育を受けているらしく、「朝ごはん」にはみんなうるさいのだ。でも、夫はあいかわらずパンがいいという。毎朝、弁当作りもあるので、両方を用意するのは面倒だ。正直どっちかにしてほしいんだが。

幸いなことにうちの子供たちは、自分の食事の支度くらいは自分でやる子たちである(たんにそれだけ食い意地が張っているだけなのだが)。冷蔵庫から卵を取り出して、さっと自分の朝ごはん用のオムレツぐらいは作る。「朝飯前」である。小5の娘たちも、朝、自分の顔さえちゃんと洗わないくせに、フライパンをくるっと回す方のは手早い。ま、これは、ただ、まだ「色気より食い気」な年頃、というだけかもしれないが。

子供らが通う小中学校では、「食育」教育がたいへん盛んである。給食の献立表にも、かなり凝ったメニューが並んでいる。とは言うものの、近頃の子供たち、あいかわらず家庭によっては「ぜんぜん関心なし」という子もかなりいるらしい。栄養士が頭をひねり、手間ヒマかけた給食も「こんなのキライ。マズイ」と言って、ほとんど食べない子もけっこういるらしい。ほんでもって、そういう子の中には、週に何度かの夕食がファーストフードという子がいるのだそうだ。

味覚は、文化であり、あるいは教養である。ま、こういうのは、家庭とか教育の問題というより、ただの不幸だと思うが。

ところで、うちの子供たちも、そろそろファーストフードやファミレスに大喜びしてた年齢でもなくなってきた。ま、どうせうちの夫はもともと外食はあまりしたがらない人だし、ファーストフードやファミレスもキライなので、別にいいんだが。

私自身は、若い頃、外食チェーンに勤めていたこともあり、とくに否定もしないつもりだし、とくにキライでもないが、とくに奨励をするつもりもない。ただ、そういう大手の外食チェーンはどうせ肉も野菜もすべて外国産だということはよく知っている。どのみちファミレスの食事は、工場生産の2次加工品である。ま、たぶんそもそも外食で2000円以下の食事に多大な期待をしてはいけないと思うけど。

食べるものはなるべく国産で、加工品や冷凍品などもできるだけ買わない。そういう主義なら、手作りの他の選択肢がないだけである。

だから、冷凍食品なんかもあんまり買わないのだけど、このあいだも冷凍の魚を買ったら、「あ、これは外国産!」と娘たちにチェックされたりする。そんでもって、社会科のノートにまで書かれて、学校に提出された。たまたま食べ物の産地を調べるのが、ちょうど社会科の宿題だったらしい。ま、もともと納豆や梅干しなどの加工食品は、ちゃっかりラベルをチェックするタイプだけどね。

料理は、たとえば美術や音楽など、芸術と同じくらい重要な文化である。小説を読んで人生が豊かになるのと同じくらいに、料理は人生を楽しくする。

うちはお抱えシェフもおらず、連日、高級レストランに通えるほど金持ちでもない。でも、芸術もそうだが、料理も他人の作ったものを楽しむだけではなく、自分でも創造できた方が楽しいだろうと私は考える。実際、食事は毎日のことだから、プロのつくったちゃんとした上質のものばかりを食べたくても経済的にはそうもいかないし、そうなると、自分で作った方が確実ってこともあるけど。だから、子供たちにはかなり小さい頃から、料理のたびによく味見をさせて、色んな食材や調味料の味を覚えさせたり、包丁やフライパンなどもにぎらせた。

そんなふうに、何がどう調理されているのかを考えさせたりしたものだが、最近になって、どうも、あれは母親の私にとって、自分で自分の首をしめるような行為であったような気がしてきた。世の中のお母さんの中には、炊事を一身に引き受けて、家族には台所に入られるのも嫌う人がけっこういるのだが、あれはあれで、そういう意味があったのだろうな。

私は、毎日、いきあたりばったりで食材を組み合わせてテキトーに料理をすることが多いので、うちの夕食は、ほぼ連日「創作料理」状態である。めちゃくちゃ多種類のスパイスを組み合わせたり、食材の調理法もめちゃくちゃなのだが、そういうかなり凝ったものでも、教育の成果か、子供たちは「味」や「作り方」をかなり当てられる。つまり、手抜き料理も、それなりにお見通し。でもって、小5の双子の女の子というのは、けっこう口がキツイ。やたら食い意地が張っているのは、教育の成果なのか、それとも遺伝なのか。

「食育」も、場合によっては、ちょっと考えもの。何事も、ほどほどにした方がいい。そら、食事は、ちゃんと食べた方がいい。でも、毎日毎日、食事を作るのは面倒。

09/23/2008

小説とは関係のない休日(植物園にて植物採集)

9月22日(月)
小説講座の事務所は、日、月、木、お休みです。

事務所は、休日。私は、お勉強。

朝から京阪電車に乗り、私市にある植物園へ。本日は、生物(植物)の野外実習に参加。

午前中は先生の説明を聞きながら園内をまわり、午後からは各自、好きなのを十ほど選んであちこち切りまくり。休園日なので、人もいない広い園内。天気はほどほど。アシスタントの学部生が「開園日だと全員に腕章をつけてもらわなくてはならないし、ちょっと面倒なんですよ」と言っていた。たしかに見学者の目の前で花がついている枝をばっさり切るなんてのはかなり気をつかいそう(植物の同定が課題なので、花とか実つきの枝を採集するように言われている)

植物採集なんて小学校以来、すっかり童心。

新聞紙にはさんだ標本を乾燥機に入れてもらい、仕上がりを楽しみにして帰宅。

09/22/2008

小説とは関係ない休日(買い物)

9月21日(日)
小説講座の事務所は、日、月、木、お休みです。

今週の26日から30日まで、5日間ほど出かける予定なので、足りないものを買い出しに行く。
数年前に話題になった某ミステリ小説を読んで、あれこれ再考察をする。

09/21/2008

小説仲間と楽しい教室実習

9月20日(土)
夕方から、小説専攻科&11期の講義。

本日は、教室実習。生徒さんが書いた作品を題材にしてもらって、グループであれこれ文章の書き直しなどをやってもらう。

うちの小説講座では、作品指導でもどちらかというと、細かい文章チェックはほとんどせず、題材やストーリー、キャラ、アイデアなど、あるいは構成などが重要視されている傾向があるのだが、一つ一つの文章表現など、基礎もやっぱり大事だなと思う。

教室実習では、初めての試みだが、みんな結構いろんな表現をしてたり、かなり盛り上がったグループもあったらしい。個性的な生徒さんが多く、こういう実習でもなかなか勉強になるなと思う。しかし、これも専攻科のクラスが和気あいあいとしていて、かなりいい雰囲気だからかも。

何にしても、創作仲間がいるってのはきっと励みになると思う。

09/20/2008

ありふれた日常

9月19日(金)
終日、外出。小説講座の事務所には入れず。

本日は、専門学校で非常勤講師のお仕事。今日は補講日。でもって、前期の最終講義。
私の担当している講座では、前期がストーリーの発想法の実習とアニメの解説。後期は、名作映画で学ぶアイデア。とくに前期は、実習が多いので、授業中はけっこうずっと立ちっぱなし。今はこちらの都合にあわせて、週1回、1〜6限連続にまとめてもらっているのだけど、6コマ連続ってのはかなり大変。でも、学生さんたちも熱心なので、けっこう楽しい。後期は、10月中旬から。

09/19/2008

言葉は役には立たないかもしれないが

9月18日(木)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

近くのブースの某団体さんにプレゼン資料を見せられて、意見を求められる。お安い御用である。役に立つかどうかわからんけど、とりあえず気がついたことをアレコレ言う。十数年、広告屋をやっていたので、マーケティング知識とか、プレゼンのコツみたいなものは少し身についているらしい。ま、小説講座では、直接、役には立たないけど。

私がコピーライターになったのは、今からもう二十年近く前。交通事故にあって身体を壊し、リハビリのあいまに大学に戻って、モグリ学生のようなことをしていたら(卒論が未完成なのも気になっていたから)、先生に「ブラブラしてるなら、ここへ行ってみたら」と紹介されたのがコピーライター事務所。最初はアルバイトのつもりで行ったので、たぶんあまり仕事熱心ではなかったと思う。今から考えたら、よくもこんなのをアシスタントとして採用したものである。当時はバブルだったし、たぶん忙しかったのである。結局、ここには2年在籍しただけで、広告代理店に転職したから、せっかく採用してもらってもたぶん業績にはほとんど貢献しなかったはずである。実は、手間がかかる社員だっただけではなく、最後は社長とケンカしてその日のうちに辞めたのである。考えてみれば、無茶苦茶である。

しかし、貢献はほとんどしなかったが、得たものは大きかった。

当時、コピーライターであった社長から聞いて覚えているのは、こんな内容である。
「いいコピーって、どうやったら書けるんですか?」
「どうやったら書けるって? うーん、どうやったら書けるというのは、言われへんねんなあ。どうやって書いてるかって言われてもわからんし、どうやったらええかなんて、そんなん無いんとちゃうか。オレかて、毎回、ただ一生懸命に考えて、骨を削って書いてるだけやしな」

「骨を折る」とはよく聞くが、「骨を削る」というのはあまり聞かない。ま、実感なんだろうけど。

社長はヘビースモーカーで、よくショートピースの吸い殻を灰皿に山積みにして、徹夜明けの顔で原稿用紙を手渡してきた。その姿はなんだか寿命を削って書いているように見えたけども。

でも、とりあえずそれから十数年、私が何とかコピーライターの端くれを続けられたのは、「骨まで削る」ってことであったかもしれない。実際、長年やってみて思ったのだが、ふつうの人というのは、コピーは「だた思いつくもの」だと思い込んでいるようで、あらゆる可能性を考えて、大量にコピー案をひねり出し続けて、考えて考えて、さらに考え続けたあげくに「思いつく」のだ、ということは、あまりよく知らない。

つまり、まず、とにかく考えだした量が多ければ多い方がいい。また広告ってのは、マーケティング戦略などから、コンセプトなりメッセージなりはすでに決まっている。つまり「書くべき内容」はほぼ「このあたりで」くらいには決まっているわけだから、コピーライターに求められているのは、ただ「文章で表現するにはどうするか」だけである。

そういうほんの一行をずっと考え続けるってのは、普通、かなり難しいものなのである。つーか、実際、私も今でもしんどい。何百パターンもの可能性を考え続けるのは面倒くさい。ただ、実は、これには簡単なコツがある。人間、同じことを考え続けるとたいてい飽きるのである。だから、ずっと考え続けるのではなく、単に、それを断続的にやればいいのである。

つまり、マラソンのように走り続けようとするとしんどいから、ほんの2〜3分全力疾走して、あとはダラダラ歩き、またしばらくしたら、ほんの数分全力疾走するんどえある。しんどくなったら、すぐにまた歩く。歩く時は、どんなにゆっくりでもダラダラでもいいから、とにかく止まらないのがコツである。これを数十回繰り返せば、誰でも考えられる。最後はダッシュでもいいけど。

ただ、そういう「肉体的」な面もあるのだが、私は、精神的なところに「骨」を感じることの方が多い。広告コピーを書いていて痛感したことは、人間は、書いた人が本音で書いたかどうかは本能的に見抜くらしいことである。とくに広告てのは、どこか「ウソじゃないのか」と思われているところがあるから、どんなにカッコイイ言葉を並べても、書き手がそう思ってないようなことは、けっして届かない。なにせ「広告」というのは、世の中に随分あふれてしまっているので、受け手ってのは、広告を見る事にすっかり「熟練」してしまっている。クライアントからして、手塩にかけて育てた我が子のような製品については、誰よりも愛し、熟知もしているのだから、それなりにカッコイイだけの言葉にはごまかされないのである。

だから、口でごまかせない相手には、正直に言うしかない。書き手の体温は、読み手に伝わる。なんなら、自分の弱みも見せてしまう。自分の弱みを見せるような人間に対して、これをこれっぽちも理解もしないということは、ふつうの人はまずできないもんだからである。

ところで。

最近は、小説講座だの非常勤講師だので忙しく、すっかり広告の最前線からは遠ざかっている私だが、時々、生徒さんから提出された小説作品を見ながら、ふと「なんか違う」と思ったりする。

私自身は、小説なんて書かないからよくわからないけど、文章量がやたら多い小説は、もし例えるなら、時間無制限の総合格闘技のようなものではないかと思う。どんな戦い方でもいいから、読者をノックアウトすればいいんだから。文章を使う限り、ありとあらゆる手が使えるし、何を使ってもいいから、相手に届けばいいのである。

体力と知力の限りを尽くして、もちろん戦略も戦術も抜かりなく、である。

まだデビューもしてない新人なのだから、カッコよく書くのなんか、どのみちクソくらえである。考えて考え過ぎれば、濃く、暑苦しいかもしれないが、新人なんてのは、それくらいでちょうどいいのではないかと思う。どうせ濃いものは薄めれば済むが、もともと薄いものをすぐに濃くはできないのである。煮詰めて煮詰めて、それくらいでちょうどいいのではないか、と。

つまり、カッコよく書こうとしなくていいよ。ま、それだけなのだが。

文章で人に思いを伝えるのはかくも難しい。

09/18/2008

秋の小説講座の準備とか、公募の事務とか

9月17日(水)
朝から小説講座の事務所。

小説講座は、絶賛、生徒募集中。願書は、今日は一通もなし。今年は、最初の申込が早かっただけなので、例年はこれからなんだけどね。入学式は、まだかなり先(11月1日)だし。

その代わりに、大阪ショートショート大賞の応募作がチラホラ。生徒さんからも「ボクも応募していいんですか?」との電話で問い合わせあり。応募資格の規定がないので、もちろん在籍生でも誰でも応募してかまわないのだが、慣習上、専攻科の1年目以上の生徒さんには遠慮してもらっている。基礎レッスンコースやエンターテインメントノベル講座の在校生には、べつに遠慮してもらってない。

なぜ専攻科の生徒さんには、応募を遠慮してもらってるかというと、正直、こちらの賞の応募作の全体レベルはそれほど高くないので、専攻生が作品をばんばん応募しちゃうと、最終候補に何本も残ってしまうだろうからである。大阪ショートショート大賞の選考は選考委員に委任してあるし、別に生徒かどうかは関係ないのだが、選考をいくら平等にしていても、うちの在校生ばかりが受賞しちゃうと、一般の人から見ると不信感をもたれてしまうかもしれないので。

ところで、以前、講師にも来てもらった堺三保先生の、ロサンゼルス映画修行日記(9/17あたり)。
http://sampo.cocolog-nifty.com/fiawolcocolog/

いろいろ勉強になるなあ。しかし、写真とかもめちゃくちゃカッコイイよなあ。ふう。

09/17/2008

小説を書きたい人と作家になりたい人

9月16日(火)
小説講座の欠席資料発送など。丁稚どんにアレコレ事務作業をしてもらう。

ところで、よくある話だが、作家になりたい人がなるためには、どうすればいいか、ということについて。

こうすればいい、ああすればいい……そりゃいろいろあるだろうけど、まず、とにかく小説を書かなきゃダメだと思う。とやかく言っても、とにかく小説を書くこと。だって、小説を書かない人は、作家じゃないだろうし。いや、名乗るのは勝手なんだろうけど。

(作家になりたがる人が小説を書きたがらない……ということがあるのかというと、それはおかしいと思うし、うちの講座ではさすがにほとんどいないんだけど、広い世の中にはこれがけっこういるみたいなのである)

作家は小説を書くものだと思うけど、小説を書くからと言って作家ではない。いや、作家かもしれないけど、とりあえずたぶん職業作家ではない。うちの小説講座には、小説を書く人がいっぱいいるわけだけど(てか、生徒全員が何かしら書いているわけだが)、今はプロデビューをめざしている段階だから、こういう人は、まだ作家とは言わない。

でも、作家ではないけど、やっぱり、そこには実は、本質的な違いはないような気がする。ちょっとうまくは言えないが、デビューするかどうかというのも、私には、どこかそういうもんじゃないかと思っているところがある。プロになれる人は、プロになれる準備ができた人だ、というような感じがどこかにあるのである。プロと同じような書き方と考え方を獲得してたから、デビューできたというか。いや、ちょっとうまく言えないな。

しかも、それが何なのか、よくわからない。

でも、それって、たぶん小説を書くという作業の中で、身につけるもんなんだろうとも思う。

ところで、ほんの一作や二作書いただけで、なかなかうまく書けないってのは、あたりまえではないかと思う。ほんの1〜2回、うまくケーキが焼けたとしても、それですぐにプロのパティシエになるわけではないという、それだけのことで。やり続けなければ、わからない、ってこともあると思うし、とりあえず、メゲたりもするけれど、書くのが好きだということの他に、必要な才能なんてあるのかな、と。

09/16/2008

小説とは関係のない休日(敬老の日は動物園へ)

9月15日(月)
敬老の日なので、義母を連れて家族で外出。義母は、敬老パスがあるから、地下鉄も動物園もタダである。子供たちと動物園をブラブラして、カバのおしりを眺めたり、羊にエサをやったり。ゾウの春子さんもお達者で。のんびり遊んでから、スパワールドへ。のどかな敬老の日でした。

09/15/2008

小説とは関係のない休日(それなりの休日、それなりの人生)

9月14日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜、木曜お休みです。

天気のいい日曜日。長男は、朝から模試。夫と双子は、近くの緑地へ。弁当持参でピクニック。

昼から、私は長男といっしょに梅田の「進学展」へ。まるで受験生の母みたいな気分を味わう。(てか、受験生の母なんだが)

夕方、帰宅してから、自宅の屋上庭園にてバーベキュー。私は、どちらかというと魚料理が好きなので、日頃はあまり肉を食べないし、うちで肉といえばせいぜい鶏肉だったりするのだが、夫は子供たちはやっぱり焼き肉が好きなのであった。義母たちもあわせて11名なので、100グラム千数百円の特選和牛から70円の超お買得トリ肉まで、十数種類の肉を用意する。イカ、エビなど海鮮もあわせ、長ネギ、にんじん、しいたけ、キャベツ、ナスなど野菜も十数種類たっぷり。その他、厚揚げ、お餅、おにぎりなど用意しておく。タレは、市販のもの二種類、あとは、梅肉ポン酢味、黒ごま味噌味、ニンニクしょうが味を手作りしてみた。

最も安価な鶏肉は、カレー風味のたれに漬け込んでタンドリーチキン風に。結局、それが一番うまかったと言われた。特選和牛の立場がない。てか、味がちゃんとわかってるんでしょうか。どうせタレの味でごまかされるのなら、そんなに高い肉買わなくてもよかったかな。そのあとアイスを食べたり、DVDを見たり、ゲームをしたり。義母たちはそのまま我が家に泊まる。

新婚の頃は、毎週のように、週末ごとに友人などがやってきて夜遅くまで飲んでいたものだが、最近は、自宅で大人数でワイワイする機会は親戚が中心。実家が近くて、他の兄弟もみな近くに住んでいるので、盆や連休ごとに親戚で過ごすという習慣になっているから、毎月のようにそういう機会があるのは仕方ないのだが。

で、つい一昨日、夫に買ってもらった結婚記念日のワインを飲みながら、ふと考えた。

たいていの主婦が一度は考えてみるようなことなのだが、つまり、
「もし、十数年前に結婚をせうず、もし今も、子育てとか、家事とか、夫の親戚づきあいとか、こんな手間ヒマがかかることがないような『独身』だったら、今よりももっとちゃんと働けていて、プロとしていい仕事ができていたりするのだろうか」

ただ、それだったらそれで、いくら時間があってもただダラダラしてただけだろうという気もする。ほんでもって、今頃アラフォーだから、このまま一生、出産や育児を経験しないという決心もつけられず、どんなに仕事の業績があっても、やっぱり、けっこうもんもんとしたりしてたかもとも思う。しかも、私が独身だったからと言って、そんなに立派な仕事ができていたとは限らんし。

多くの親が実感しているように、どんな素晴らしい業績でも、たった一人の子供の存在にはかなわない。だから、べつに子供を産んだのを後悔するわけはないし、なんだかんだで、こんな3人の子供に恵まれて、それなりに好きな仕事も、好きな遊びもかなりできていて、毎日、家族とにぎやかに過ごせるのはやっぱり有り難いことなのだろうとも思う。

だから、とくに不満もないんだけど、それでも時々、ふと「もしかして、別の人生もあったのかな」と思ったりはする。もし独身だったら、とかね。あるいは、もし他の誰か別の男性と結婚していたら、とか。

どういうわけか、私は休日の家族団欒のたびに、ふとささやかな違和感を感じて、なにげに、そんなことを思ってしまうタチらしい。いや、ほんと、別に不満はないんだけどな。

私の場合、平日は仕事などで大勢の人と接し続けていて、休日でも家族で過ごすから、プライベートで一人きりになる時間はあまりないせいもあるけど。

でも、時々ふと思う。この微妙な違和感は何なのかと。

ま、けど、私の場合、結婚相手がたまたま誰であっても、どっちみち結局、似たような人生になりそうな気もするんだけどね。

09/14/2008

そろそろ卒業の小説講座で、あれこれ作品指導

9月13日(土)
夕方から、小説講座(11期、専攻科)の講義。

専攻科のクラスは、五代ゆう先生。4編を作品指導。ほのぼの系からファンタジー(?)まで、バラバラな作品4本。そろそろ今年の講義も終わりなので、専攻科のクラスでも本日の参加が最後という人もいたりする。

11期の教室では、短編6本の作品指導、講師は小森健太朗先生。11期は、10月4日の講義で卒業なのだが、やっぱり、まだ書き慣れてない初々しい作品ばかり6編。基本的なところをわかりやすく説明しながら、一つ一つの作品についての問題点(視点や文章表現など)を指導してもらう。

講義終了後は、いつものように飲み会。ヒッチコックにアニメにと華麗なる夏休みを送っていたらしい小森先生のDVD購入歴を五代先生に言いつけたら、こちら負けず劣らずの目もくらむような特撮DVD生活を送っているらしいのであった。ふう。たしかに作家さんたちは資料代だし、経費だものね。みんな大人買い〜。うらやましい生徒さんは、さっさとプロデビューして、確定申告で経費にしてもらいましょうね。

ところで、小森先生には、具体的な例をあげて説明してもらったので、生徒さんには大変わかりやすかったらしい。くっきりとした小説世界を描くには、読む人に理解してもらいやすく、意味が多義的にとられるような表現を避けて、「あいまい表現」を減らす方がいい、という指摘など、小森先生ファンの専攻科の某生徒さんにも聞かせてあげたかったような。11期生たちにも、
「今まで自己流で書いていて、どんな表現が悪いか自分ではわからなかったけど、今回先生に言われてみて初めてわかった」
などと、けっこう好評。

終了後、「ホント私の作品なんか、まだまだなんですよねえ」とため息をつく生徒さんがいたので、
「大丈夫、そういうような初歩的なことは、ちょっと指導を受けるとすぐ直るよー」
と言っておく。初めての講師指導は、実は、横で聞いている私もけっこう緊張する。専攻科の生徒なら、もう心配ないんだけど。何度か受けると、講師からのアドバイスや他の生徒さんの感想も、ひとつの意見として客観的に聞けるようになるけど、はじめて作品指導を受けるような生徒さんの中には、過度に神経質に受け止める人もまれにいるからねえ。

必要以上に深刻に考えてしまう人もいるし。今回は、5人ともけっこうタフそうだったからいいけど、それにしても、一人だけ欠席した人がいたのが気にかかるなあ。電話でもなんか妙な雰囲気だったし。

私の経験上、初歩的なミスは、本人が「やってしまっている」ということに自分では気がついてないのが一番の原因だったりするから、ほんの1〜2回、講師指導を受けたらすぐ直ることが多いと思う。だから、あんまり心配してないのである。てか、毎年、本科の修了課題じゃ、みんな、こんなもんだしなー。でも、専攻科になる頃には、なぜかそれなりになる人がほとんどだし、あんまし心配ないよー。文章の細かい部分なんかは、慣れもあるし。

細かい文章表現「ダブリ言葉」とか「あいまい表現」とか)は、ほんの一回でもいいから、ちゃんと文章がわかっているような人に注意されて、本人がちょっと読者に読みやすいように配慮する、というだけで、けっこう直るもんみたいなのだ。いっぺんには直らなくても、何作か書いて注意を受けてれば、少しずつ直るしね。ま、「視点の統一」などは、本人は「自分ではやってるつもり」だったりして、あまり気がつかないこともあるけど。

とにかく、ホント毎年、小説講座では、みんな同じようなトコで、同じような指摘を受けたりしてるのよ。

うちの小説講座は、10月開講なので、9月が卒業。「なにがなんでもプロに!」と意気込んで入学してきた生徒さんの中には、そろそろ自信喪失したりして、あきらめモードになりかけている人もいる。実際には、一年でものすごくうまくなっている人がほとんどなのだが、小説講座の生徒さんというのは、どういうわけか、自分がうまくなったというのは、よくわからないものらしい。自分ではわからないうえに、他の生徒さんの作品とか、プロの先生たちの話とか聞いて、「うわあ、私なんか全然まだまだムリだ〜」と思っちゃうようだ。

私は、「やっと物心がついた状態」と呼んでいるのだけど、これって別にヘタになったわけではなくて、実際、実力的には明らかにうまくなっているのだが、なぜか本人がそう思ってしまうのである。

どうも初心者から中級者くらいになると、けっこう皆、通過する段階のようなもんらしい。

でも、今まで一人でコツコツ書いていたときは、自分がうまいのかヘタなのかわからなかっただけだし、読者が読みにくいかどうかも考えずに、ただ自分が書きたいように書いていただけなので、今やっとそれに気がついただけとも言えるんだけどね。

書きたいように書いている時には「もっと書きやすかったし、もっと早くラクにいっぱい書けた」りするのだが、こうして物心がついてしまうと当然ちょっとは書きにくくなるからね。

1年間のエンターテインメントノベル講座を修了して、専攻科に進学する人は、毎年、だいたい半数くらい。あとの人は、あきらめたり、自分のペースで書くつもりだったり。専攻科は、わりと学費は安く設定しているので、プロ志望の人はほとんど残るみたいだけど、今年の卒業生が何人進学するかはわからない。

ただ、小説講座に十数年かかわって、個人的につくづく思うのだけど、プロ作家になるには、書き続けるということがたぶん一番大きな要素で、才能があるとかないとかってのも、結局、そこのところしかないような気がする。たぶん書き続けられるかどうかである。

ほんの1本か2本、書いただけで、「才能がない」とか、あんまり考える必要はないと思う。どうせちゃんと書いていれば、たいてい技術的にはそれなりにうまくなる。だが、それが待てない人がどれだけ多いことかと思うと、もしあきらめずに、間違った努力さえしてなければ、プロ作家になる確率は、実はめちゃくちゃ高いのではないかと思ったりする。

09/13/2008

扇風機の中心で、愛をさけぶ双子

9月12日(金)
午後から小説講座の事務所。

今日、スーパーで買い物をしてから帰宅してみると、小5の双子の娘たちが、リビングの扇風機の真正面に並んで正座して座りこんでいた。二人して「ぷわん」とか「ぶおん」とか「くわー」とか、なにやらヘンな言葉を繰り返している。ちと、奇妙な光景である。

「何やってんのん?」
と聞いたら、振り返って声を揃え、
「ねこバス!!」
と言う。どうやら扇風機に向かって、『となりのトトロ』で「猫バスのドアが開くところ」の効果音を練習しているらしい。そう言われてみれば、そう聞こえなくもない。

「でもママ、これ、けっこう難しいねんで」
「でも、それ、扇風機がないとできへんねんな」
「せやねん。あ、でも、コレやったら、扇風機がなくてもできるねんで」
と、やってくれたのが、「駆け抜ける猫バスの中で聞く、メイちゃんを探すおばあちゃんの声」。

「メイちゃーーぁぁぁーーん」
二人で分業してちゃんとドップラー効果を演出。一卵性双生児だから、かなり声質が似ているので、これは一芸。

ただし、彼女たちの顔は、メイというよりは、むしろジムシー(@未来少年コナン)

でも、そんな芸をそんなに熱心に練習しなくてもいいのでは。

それにしても、どこの子供でも子供はみんなこんなにアホなんか、それともウチのガキどもだけなのか、そこんところがちょっと気になる今日この頃。あと、頼りは『毎日かあさん』だけだな。

09/12/2008

小説家の嗅覚とありふれた職業病

9月11日(木)
毎週のように講義を聞いていると、つくづく思うのだが、プロの作家とか、編集者というのは、やはり文章の読解能力にやたら優れている。うちの小説講座は、一応、プロ作家養成で、初心者の人もけっこういるけど、ほとんどの生徒さんは、それなりに本好きである。それでも、やっぱりプロの平均値(うちは、講師が毎週替わるので、十数人いるので)と生徒の平均値を較べると、極端な差がつくだろうと思う。

まして、あまり本を読まない人から較べたら、たぶん数十倍。ほとんど、犬の嗅覚と人の嗅覚くらい違う。

作品指導でも、書いた本人が気づかないようなところまで読んでしまうもんなあ。ま、それを毎日、仕事にしてるんだから、あたりまえなんだろうけど。こういう人たちは、仕事でも小説を書いて、趣味も読書だったりするし。

ところで、私自身は、別に小説家でも編集者でもないので、それほどではないのだが、ただ、職業柄、やっぱり、一般の人よりは文章を大量に読むだろうし、それなりに気になるタチである。

で、なんとなく、今日は、プロファイリングをしてみた。

何かというと、先日、デジカメで撮影してきた、あの「意見書」である。例の境界線トラブルで、法務局に提出されたもの。あちら側から提出されたものとしては、この前に、この筆界特定の「申請書」があり、さらに以前、刑事告訴してきた時に、うちが出した「内容証明」に対する返答(内容証明)の3通があるのだが、どうも、これらの書類の文章を詳細に分析した結果、文体はかなり違うのだけど、漢字の使い方とか、送り仮名とかで、どうもこれは全部、同一人物が書いたらしいと推測できるからである(まあ、違う可能性もあるが)

ま、どれも、あの不動産屋さんが自分自身で書いたとは思えないから、誰かが書いたものに違いないのだが。

けど、これは、ちょっと興味深い。なにぜ内容証明は、どう見ても弁護士が書いたような内容なので(民事、刑事で争うつもりだと書いてあったりするし、裁判所内部にある郵便局の消印である)、これはやっぱ妙な感じだな。筆界特定の申請書なんかは、たぶん行政書士か司法書士で充分だろうから、それをわざわざ弁護士なんかに依頼しないだろうしなあ。

それに気がついて、あれこれ細かく文章分析してみた。つまりプロファイリングの真似事をしてみた結果、下記のような推測になったのだが。

「書いたのは、たぶんどれも同じ人物。3通のうち、申請書の文体がもっとも書き慣れたような文章なのと、どうも判例よりは不動産取引の知識に長けているようなので、職業は、おそらく行政書士、あるいは司法書士。漢字や送り仮名の選び方などから、年齢は、たぶん30代から40代後半。たぶん男性。自分の法律知識にかなり自信があり、依頼主のために、法を駆使して目的を遂げさせることに関心が高い自信家。弁護士という職業に微妙な反応をしているように見えるので、一時は司法試験をめざしたことがあるのかもしれない(不動産取引をメインにやってる弁護士もいるから、自分自身が弁護士だからという可能性もあるが……でも、やっぱ、ちょっと違うような気がするなこれは)」

……って、とこかな。ま、当ってるかどうか、全然わかんないけど。

ちなみに、最後の文章は、どうも聞き取りしながら、事務かなにかの女性がワープロに打ち込んだような形跡がある。

しかし、もはや自分の家の境界線問題より、相手の不動産屋より、この文章を実際にまとめたのがどんな人かというようなことに興味をもってしまう、つーのも、なんつーか、ある意味、私も職業病ですな。

09/11/2008

人目に触れる機会があるたびに、磨かれて美しくなる

9月10日(水)
午後から小説講座の事務所。

本日は、小説講座の願書一通。これで2名目。今度は、男性。今年は、なんだか入学申し込みが早い気がする。ただ、資料請求の数は少なめだから、最終的な入学者数は、今年もちょっと少ないような気がするんだけどね。

あ、フライングKさんも入学ありがとう!

あいかわらず、自分自身のブログには、文字化けして自分ではコメントがつけられないので、この場で御礼(どうもバグらしいけど、使ってるのが古いマックなのでよくわからん)

さて、基礎レッスンコースの小説作品について、スタッフとなんだかんだと相談。ある生徒さんが一度書き直してから提出されているのだが、指摘されたところは修正しておらず、別のところをかなり書き加えてあって、これだと前の作品の方がむしろわかりやすいのである。

文章教室は、小説講座より初心者が多いのだが、他人から感想や意見を聞き慣れてない人は、言われた意味を取り違えたりすることがけっこう多いから、こういうことがまれに起きる。この修正原稿は、どうも先週、私が言った感想に過剰反応した結果ではないかと思われるフシがある。たぶん「説明不足」のせいである。反省反省。

これでも私は、小説に意見を述べるのは、きわめて慎重なつもりだったりするのだが、もちろん意見を聞かれれば言う。日頃、小説の作品指導をするのは、プロ作家なので、必ずしも必要な場面は多くないのだが、でも、こうして相手の理解度に合わせて、わかりやすく説明するのが難しい。むしろ下手かもしれない。しかし、私の立場では、ピンポイントでここをこう書けというわけにもいかないし、「ここらへんが面白いけど、このへんがわかりにくいかも」くらいしか言えんから、自分で考えてもらうしかないのである。

うちの講座は、入学して数カ月は、いろんなプロの作家さんが週替わりに来て話をするスタイルで、作品指導をするのはやや遅い時期からである。それは、数カ月あれば、作品指導を受けてちゃんと理解できるレベルまで成長すると思っているためである。作品指導も、受け手の理解度にかなり左右される。小説の作品指導を聞くには、それなりのレベルが欲しいところ。

うちの講師は、プロが活躍されている作家ばかりなので、ある意味、講師としてはプロではない。また、毎週入れ替わりに違う先生が来るので、ずっと同じ先生ではない。だから、生徒さん一人一人にあわせて指導するのではなく、提出された作品だけで判断することになっている。プロ作家というのは、そういうもんだろうから、それでもいいと思うのだが(読者は、作家と顔見知りだから買うわけではない)、ただこういうスタイルだと、せっかくプロからアドバイスされても何を言われているのか、あんまりわからんという人もたまにいる。とにかく一度書いた作品を修正する時は、自分の作品の強みや売りを考えて、効果的な書き直しをしようね。とくに指導を生かすために、「売り」を考えてみてね。指摘されたところをただ盲目的に直してもダメだよん。美人の秘訣は、自分の魅力を知ることから始まるのよ。

しかし、小説講座じゃなくて、文章教室の作品だからなあ。小説講座は、プロ作家養成というコンセプトだが、文章教室の場合はそうではないので。

けど、それなりに文章がうまい人ほど、けっこう落ち込みやすかったりするので、ちょっとややこしい。

09/10/2008

小説講座のありふれた年度末

9月9日(火)

スタッフの丁稚どんにお願いして、欠席者発送とデータ入力。うちは、9月が年度末なので、作品印刷も次の締切日(11月)までないのである。あとは入学式準備とか、ショートショート大賞の受付とか。

09/09/2008

旅人の心を暖めるのは、温かい言葉であってほしい

9月8日(月)
午前中、病院にて健康診断。昼、法務局へ。午後からは、小説講座の事務所にて事務作業。

事務所にて、基礎レッスンコースの生徒作品を読む。なかなか面白い。まだ書き慣れているわけではないから、なんとなく初々しい感じが何とも言えない。修了課題指導が楽しみである。

ところで、現在、我が家は、隣の敷地との「境界線問題」でややこしい。ホント住民同士なら、こんなにモメないと思うのだが、相手は例の不動産業者さん。

それで今日、法務局で、筆界特定に関する「意見書」を閲覧して、つくづく思ったのだが、どうにも法律家の書く文章というのは、読んでいて心がすさむ。それは、うちからそれ以前に提出した意見書に対して、根掘り葉掘り、細かくアラ探しをした文章が延々と続くもので、何項目もの「反論」だったりする。なにせ「攻撃」するのが目的である。まあ、読んでいてしんどいもんである。ふと、心ならずも法廷紛争に巻き込まれた人の気持ちがよくわかる。ただ、それなりに日頃はほとんど読まない種類の文章なので、それなりに興味深いところもある。

たぶん書いたのは、相手方の顧問弁護士さんなんだろうが、えらく長い文書である。細かいひとつひとつに対して、いちいちツッコんでいる。法律家というのが、いつもこういう文書ばかり書いているのだとしたら、なんだか性格が悪くなりそうである。

ちなみにうちが提出したのは、名義人である父が提出した意見書で、本人が書いた手書きの文章を私がワープロで整理清書したもの。とくに法律家に依頼したものではない。だから、わりと主観的な普通の文章である。でも、相手が提出した意見を読むと、どうやら、あれを「法律家が書かせた文書」だと誤解しているような気がする。

なぜなら、うちの意見書の中で、「私も年金をもらう年齢なので……」と書いた文にわざわざツッコんでいるところがあるからである。文面的には、きわめて丁重に書いてあるが、要は、「年金ってわざわざそんなことを言って同情を引こうしているだけだろう。金も持っているに決まってるし、まったく卑怯なヤツである」(実際に書かれているのは、もっと丁寧な文体だが、意味的にはこういう内容)というようなところである。

父は73歳で、年金をもらう年齢であることは明白な事実だから、よりによって、こういうところをわざわざ反論するというのは、ちょっとヘンな感じがする。読んでいて、思わず苦笑してしまったくらいである。

この父の意見書は、そこんとこは、「そんなわけで弁護士さんに頼んだりしてないので、法務局できっちり測ってほしいと思っています」というような文章なのだが、気のせいか、どうもそこにご立腹なのではないだろうかと思う。

これは想像で、ただのウラ読みなのだが、どうもなんとなく「ウソに決まっている。シロウトがこんな文章を書けるはずがない」と思ってるわけである。いや、気のせいかもしれんけどね。

以前、裁判所内の郵便局のスタンプを押して内容証明を発送したことがあったのだが、あれにおそらく「効き目」があったのだろうな。ちなみに、あれも父の友人にアドバイスをもらって、私がワープロで打ったものなので、弁護士さんなどはまったく関係がない。

ちなみに、法務局でも、「こういうことはうちに提出されてもあんまり関係ないので、こういうのは裁判所でやってください」と言われたくらいで、これは裁判ではないから、意見書でお互いアレコレ言っても、所詮は仕方ないのである。法務局では筆界の特定をするものなので、今回のようなケースでは、意見書はどうも参考程度にしかならんものらしい。測量が決定的なのである。だから、今回などは、例の人(父の友人)にも相談せずに書いて、いきなり提出したのだ。もちろん、私がかなり整理したので、文章的なチェックはしてあるんだけどね。

それなのに、こんなに長々とツッコんで来るとはめずらしい。しかし、弁護士だとしたら、あまりにウカツな感じだし、もしかしたら、これって行政書士か司法書士なんかもなあ。でも弁護士だとしたら、どう考えても、「大人」じゃないな。

法律のことはよくわからない。法律家が書く文章もよくわからない。どのみち、私がわかる文章は、攻撃ではなく、温かい文章だけである。だいたい私なんかコピーライターだったので、ハッピーを語るのが商売なのだ。しかし、「北風と太陽」のように、最後に人の心を動かすのは、そういうもんじゃないのかなあ、と思う。いや、そう信じたい。

旅人の体を暖めるように、文章で人の心を暖めたい。私がどうせ書くなら、そういう文章を書きたいし、読みたい。

ま、やっぱ、法律の文章って、よくわからない。

09/08/2008

小説とは関係のない休日(ベタは、予測と期待値)

9月7日(日)
小説講座の事務所は、日、月、木曜お休みです。

『ベタドラマ2』(サスペンスドラマは、なんだかんだあっても結局ラストは崖 編)を見て、私が発見したベタの法則。
(1) いわゆる「ベタ」にも色々ある。
ベタと呼ばれるものの種類には、「省略、配置、設定、習慣、絵柄、展開」などがある。またそのうちストーリー展開でも、「もっともベタ」「まあまあベタ」「それなりにベタ」「よくあるベタ」「ベタだけどめずらしい」などと何パターンもある。
(2)ベタ(展開)は、予測ラインであり、かつ期待値である。
ベタな展開は、予測ラインであり、期待値でもある。基本になる「期待値」なので、それより下は「つまらない」。つまり「意外な展開」になる場合、もともとの予想ラインの値がどこかによって、おもしろいかどうかが決まる。
(3)ヘタよりベタ。
ベタなストーリー展開には、たいへん強い満足感があり、ヘタな展開よりは、ベタの方がよほど興奮する。ベタな展開を避けて失敗するよりは、それを利用した方がよい。
(4)ベタを使いこなせれば、たぶんどんな話でも充分作れる。

09/07/2008

そろそろ年度末の小説講座

9月6日(土)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。夕方から、小説専攻科&11期の講義。

朝、ちょっと早めに自転車で事務所へ。事務作業をかたづけてから、昼から、『海と地球の研究所セミナー「深海の熱水と生物たち』に参加。このところ何かとお世話になっている益田先生の講演など、1時から5時までの特別講座あり。

ちょっと遅れて行ったら、会場はすっかり満席。後ろの方に座ったら、前の方の席には、なんだかどことなく見覚えのある後ろ姿。休憩時間に探したら、やっぱり作家の都筑先生。ほかにも林譲治先生や院生など、他の知人にもちらほら会う。5時に講義が終わってから、自転車でダッシュ。エル大阪には、5時半着。

本日の作品指導は、青木先生。11期と専攻科の合同講義なので、席が足りなくなったらどうしようかと思ったのだが、専攻科の欠席者が多く、まだ空席あり。毎年、年度末の9月は、急に出席が多い時もあるし、わかんないから教室予約に迷う。

専攻科は、作品指導をメインにやっているプロ志望の卒業生向けのコースで、もともと欠席が多い。毎回半分以下。自分の作品指導の時にしか来ない人もいるし。継続生が多し、継続受講だと学費が安いので、とりあえず在籍だけ、という人もいるのである。社会人ばかりなので、みんなマイペースである。早くプロになりたい人は、バリバリ作品提出。それなりの人はそれなりに。

今年は、専攻科も11期も、10月4日が最終講義。そろそろ完全に教室に来なくなっている人もいるけど、カメでもウサギでも、とりあえず走り続けることが大事。最初っからうまい人もいないわけだし、ちゃんと書いて、それなりに人の意見も聞いて、ある程度、続かないと、やっぱ、うまくならんからなあ。

講義後、いつものように飲み会。青木先生を囲んで、ビール片手に小説談義。
今日、作品指導を受けていたある生徒さんが、
「今度は、ファンタジーでも書こうかなあ」
と言い出したので、みんなでブーブー。ま、「ファンタジーでも」という「でもしか」態度では、ファンタジーが好きで、ファンタジーを書きたい連中にはブーイングされて当然である。しかし、この生徒さん、かなりうまい作品を書く人で、今回もまた面白い作品を提出していたのだが、どうにも器用貧乏というか、なんでも書けるだけに、なんでも書きたがる人なのである。まあ、気持ちはわかるし、うまい人に限って、わりとそういう時期もあるものなので仕方ないものでもあるのだが、こういう人は、なかなかコレというのが決まらないらしく、
「かなりよく書けていて、作品上どこにもとくに問題はないのだが、どこか、コレという魅力に乏しい」
みたいなことを作品指導のたびに言われるハメになる。

こういうレベルになると、それはそれで、けっこう本人も苦しいらしい。しかし、講師の先生たちも「こうしたら、どう」とも言いにくい。文章表現だとか、構成だとか、テクニック上の問題点なら、指摘しやすいのだが、そうではないからである。

そういう悩みを抱えていても、一方で、創作仲間からは、
「いいですよねー。私なんか、まだそんなこと、先生たちから一度も言ってもらったことないですよ」
とか言われちゃったりして、あまり理解されなかったりするのである。つまりハタから見ると、モテすぎて困っている美男美女のようなものだから、さほどの同情もされないのである。ま、無理もない。

なにせ色々なタイプのものがそれなりに器用に書けるってのは、あちこちの女と適当つきあいながら、「やっぱ、みんな好きだし、オレって、誰か一人に決められないんだよね」と言っている男のようにも見えるからなあ。

ま、あれこれつきあってみてから決めるというのも悪くはないとは思うが、一方で、一人一人と真剣につきあってれば、それほど多くの人とつきあえるはずはない、というのが恋愛関係である。ただ、まだ運命の人に出会ってないだけ、という解釈もできるわけだけどな。

でも、「次は、ファンタジーでも」の「でも」ってのは、やっぱし、あんまりよくないかもよー。

とにかく、今さらまた浮気なんかしてないで、さっさとデビューしてよ、と思ったので、青木先生にお願いし、中華屋の片隅で、またまた個別面談。今の専攻科は、全体的なレベルは高く、いつ誰がデビューしても不思議ではないという状態なのに、今年は最終止まりが多くて、一人のデビューもなしである。みんな、さっさとデビューしてよね。

09/06/2008

ヘンな美術、ありふれた思い出

9月5日(金)
午後から小説講座の事務所。金曜スタッフとあれこれ事務作業。

美術教師をしている夫が、今日、学生たちを連れて展覧会を見てきた、と、『駄美術』の図録を持って帰ってきた。だじゃれのような美術である。ふーん、美術界にもなんだか田中啓文先生のような人がいるのだな、と思いながら図録を眺めていたのだが、最後に書いてあるプロフィールによると、どうも、これは私の高校の時のクラブの後輩みたいなのであった。ずっと会ってないんで、確かなことはわかんないけど。

同じクラブに私の妹もいて、同じ歳だったはずだから、聞けば知っているのかもしれないけどなあ。卒業してからも、よく集まっているようだし。そういえば、やたら個性的なメンツが多く、美大進学率がやたら多かった学年だった。妹自身も美大だったしな。まあ、でも、この「感性」は、あの連中の雰囲気には似てるような気もするなあ。と言っても、べつに美術部ではなく、新聞部なんだが。

私の通っていた学校は、文芸部や映画部などがなかったので、新聞部は、8ミリで映画を作ったり、文芸誌を作ったりしていたし、マンガを描いているのもいたりして、何でもアリの部活動だった。当時は、部員数も50人という大所帯。部活はほぼ毎日、掛け持ちも不可。

毎日、編集会議といいつつ、なんだかボードゲームとかトランプばかりしてたような気もするが、夏休みには8ミリ映画、春、秋には雑誌発行。週刊で新聞発行してたし、それなりに忙しかった。ありふれた公立高校で毎週大ニュースがあるわけでもなく、アンケート特集とか、他校訪問とか、オススメ料理とか、ほとんどが「読み物記事」だったんだけど。

手回し輪転機を2時間くらい回し続けて印刷して、そのあと、その束を抱えて、放課後、教室の机の上に一枚ずつ置いていく作業、「新聞配達」をする。

そんなことをしなくても、どさっと渡して、ホームルームの時にでも配布してもらえばいいのだが、そんなことをすると同時に配布する他のプリント物にまぎれてしまうのである。一緒に折り畳まれてカバンの中に入り、そのまま読まないままゴミ箱行きになる。それでは、読んではもらえる確率が減る。面倒でも、放課後一枚ずつ各自の机の上に配っておくと、朝、登校した時に読まれる確率が高くなるのであった。自分の机のうえに広げてあるので、ついなんとなく、気になる記事があると、けっこう読んでしまうのである。「朝刊」効果。一学年に11組もある学校だったので、それなりに手間のかかる作業なのだが、部員数もかなりいたから、手分けしてできたのだった。

編集方針は、
「どんなにくだらなくても、ほんのささいな記事でもいいから、おもしろく読ませたもん勝ち」
いちおう高校新聞なので、それなりの自主規制はあったんだけど。

思えば、
「読んでもらうためなら、どんなつまならい努力でもやってみる」
という雰囲気はあったよな。

「せっかく書くのだから、とにかく一人でも多くの人に読んでもらう」
「内容よりもむしろ、興味をひくタイトル、イラスト、デザイン、ほんでもって一行目。まず、見た目」
「最初の一行を読んだら、何が何でも最後の行まで読ませる。どんな手を使って書いてもよし」
「市販の新聞や雑誌を真似して、ばんばん人のテクニックをパクろう」
などなど。

今よくよく考えたら、けっこう意味深いことを言われていたもんだ。
でも、実際に作っていた新聞は、今イチだったような気もするけど。

しかし、人間って、子供の頃や若い時に体験して、「楽しかった」と思ったことを、それ以降も「楽しかった」とやるようになるものかもしれないな、とか、思ったりする。私も、大学卒業してからも外食産業に就職したりしてマスコミ志望でもなんでもなかったのに、ひょんなことからコピーライターになって、今、このような仕事をしていたりする。で、なんだかんだで、なんとか生きのびてるのだった。

いや、ま、私の場合、進歩がないだけかもしんないけど。

大人になったら、全然、関係ない、ちゃんとした「仕事」をやってて、「そういや、そんなこともあったよね。なつかしいよな」っていう人もけっこう多いだろうし。人にも、虫みたいに、完全変態タイプとか、脱皮するだけなヤツとか、いろんな成長をするヤツがあるのかも。

なんだかんだで、面白いと思ったことがやめられない。

たぶん作家なんてのも、そんなような仕事なんじゃないのかなあ。

09/05/2008

気分は、ちょっと落ちそうな空中ブランコ

9月5日(木)
午前中、自宅の仕事場で作業。昼から、小説講座の事務所。

三角の旗がついたサーカスの赤いテントを横目に、地下鉄にて事務所に出勤。今朝は、チケット売り場のところのテントができていた。駅前にもポスターが貼られている。興行は、今週末からのようである。

事務所に着くと、ちょっと、びっくり。
「第12期エンターテインメントノベル講座」の願書が届いていた。例年、小説講座の申込は、わりと遅くて、ほとんどの人が締切直前に申込をするし、定員より少なければ、締切後にも申込ができるので、締切日後に入学する人もけっこういる。まして、今年は1週間ほど入学式が遅いので、この時期に申込があるのはめずらしい。締切日よりも、1ヶ月も早い申込である。わーい。

こうして、開講を心待ちに待っている人がいるってのは、やっぱり嬉しいな。

まして、ちょうど今日はプライベートで、多少気分が滅入っていたところなので、ちと嬉しいタイミング。

実は、今日、外出した時に、家の前に測量士さんたちがいた。このところの雨で数日遅れていたらしいのだが、例の「筆界特定」の件で、今まだ測量の続きをしているのである。この若い測量士さんたちは礼儀正しく挨拶をしてくれるのだけど、その姿を見ると、私は、例の不動産屋さんのことを思い出して、少なからず気分が滅入ったりするのである。例の不動産屋さんというのは、私の中では、ひそかに『ミナミの不動産道』と呼んでいる(彼らのファッションが、『ミナミの帝王』と『ナニワ金融道』に出てくる人に似てたから)例の業者さんである。

しかし、プライベートがやっかいだと、仕事もちょっとしんどくなる。いや、ホント仕事は好きなんだけどね。

また、そのあと地下鉄のプラットホームで、ケータイに法務局からも電話があったのであった。「相手側から意見書が提出されたので、閲覧に来てください」という内容。コピーはできないので、デジカメなどを持って来てくださいということである。どうもなんだかかなり長いものらしい。やはり一筋縄ではいかない人たちみたいだし、どうせ何かしら提出してくるのはわかってはいたが、もしかすると、けっこうヒドイことが書かれているんじゃないかと思うと、さすがに滅入る。いくら頭ではわかっていても、滅入るものは滅入るのである。

なんというか、そういう文章を読むというのはえらくしんどいもんである。以前、内容証明を受取ったときも同じように思ったのだが、だいたい私なんか、仕事柄、日頃、生徒作品など大量の文章を読んだり、また書いたりはしているが、そういう、つまり、なんというか、
「きわめて法律的な配慮にふくんで一見丁寧な表現をしているが、本質的にはかなり攻撃的な文章」
という感じの文章を読んだ経験はほとんどないのである。

いや、ホント、それを思えば、広告や、雑誌や、小説の文章なんか、本質的にはめちゃくちゃ愛に満ちてるよね。いやいや、ぐちゃぐちゃのホラーやミステリでもね。なにせ、最終的な目標が「読者へのサービス」だもん。

それに人間関係にしても、愛と誠を大切にしたわかりやすい信頼関係しか知らないもんだから、こういう人々とのつきあい方がわからない。ま、そりゃ、法律関係者なんかは、こんなことも仕事のうちで日常茶飯事なんだろうが。

しかし、医者だって、自分自身が病気になればまた別で、わかっていてもそれなりに動揺するらしいと聞くから、いくら弁護士や裁判官でも、いざ自分自身のことになれば、多少は混乱したり、メゲたりはするのかな。

いずれにしても、何を書かれているかわからないし、たぶん反論とか書かねばならないだろうから、来週また法務局に行かねばならないだろう。またまた面倒である。

てなわけで、まだまだ続く、境界線トラブル。今回の法務局の調査で、めでたく筆界が特定されたとしても、筆界と境界は違うものらしいから、筆界とは別に、境界について民事裁判などを起こされる可能性はあるらしい。筆界と境界って、どう違うのか、あれこれ説明はしてもらったが、実はやっぱしよくわかってないのだった。ふう、マイホームって、大変じゃのう。

しかし、隣の家の娘さんとおばあちゃんが亡くなって、今年でもう十年になる。思い出すのもせつない事件なので、いつもいつも思い出しているわけではないが、こういうことでもないと、人は日常の間にどんなことでも忘れていく。今、隣の敷地には、家も何もなく、ただオレンジ色の仮柵で覆われていて、雑草のあいだには、石ころと雨に濡れてボロボロになった住宅会社のチラシが散乱している(不動産業者と販売業者は別らしい)

ネコジャラシなどが生いしげった、ガランとして何もない場所を見るたび、ふと、ちょっと胸が痛くなる。

そんなわけで、気分は上がったり下がったり。

09/04/2008

小説講座の事務とガムランと200海里問題

9月3日(水)
平和な小説講座の事務所にて、今日もあれこれ事務作業。

発送作業しながら、スタッフと雑談。
この秋、どうも文章教室の講師で来られていた編集者の原先生と生徒さんたちが「神楽見学ツアー」に行くつもりらしい。『別冊太陽 神楽』を見ながらスタッフと話してたら、なぜかガムランの話になる。どうも若い頃、ガムランの演奏チームにいたことがあるらしい。うちは、色々と体験豊富な人材が多いよなあ。

あとは、くりーむしちゅー『ベタドラマ』のDVDの話など。あれは、きわめて鋭い示唆に富んでいて、たいへん貴重なものだから、作家志望、漫画家志望にはきっと有益。あらためて、色々とストーリー作りというものを考えさせられるし、ある意味、「ベタ」というものの持つパワーにも感動するぞ。

夕食後、寝室でのんびり本を読んでいたら、階下から小5の娘の声が聞こえてきた。
「あのさ、パパ。200カイリって、何?」
「は?」
「だから、200カイリって、何?」
「え? 200海里? それ宿題?」
「うん、200海里って、言い換えたら何やったっけ?」
「え? それは、何って……ほら、海里やから、なんつーか、ええっと、マイルとキロは違うし、えーと、何キロってこと?」
「ちゃうちゃう。ほら、言い換えるねん」
「ええっ?」
「だから、200海里って、言い換えたら何?」
「そんなん、わからんって」

そこへ、お茶を飲みに来た中3の長男。
「あ、兄ちゃん。200海里って、言い換えたら、何? パパは、わからんて」
「200海里?」
「うん」
「ああ、それ、『排他的経済水域』やろ」
「あ!」
「だから、排他的経済水域」
「そうそう、それ! わかった! じゃ、パパ、兄ちゃん、ありがと!」
バタバタと自分たちの部屋に戻って行く子供たち。

どうやらリビングに一人残されたらしい夫は、
「ハイタテキカイイキ?」
と言い、バサバサと新聞をめくりながら、なにやらリズムのある言い方で、
「そんなん、美術教師にはわかりまへんわ〜。社会の先生に聞いて〜」
と、独り言のように、つぶやいていた。
それが、まるで言い慣れたような言い方なので、もしかすると、勤務先の高校でもたまに似たようなことがあるのかもしれないな、と思ったりする。

ちなみに、美術にはあきれるほど詳しくても、政治経済には見事なほどまったく関心のない男なので、その質問はおそらく無理である。しかし、あれじゃ高校の美術の先生はできても、中学の時事問題どころか、小学校の先生も一日でも無理かもなあ。

しかし、子供たちも成長すると、質問もややこしくなってくる。
子供たちから、父親として、そんな質問をしてもらえるのも、きっとあとわずかである。

09/03/2008

小説の才能を咲かせましょう

9月2日(火)
朝から外出。小説講座の事務所には入れず。

丁稚どんから電話。欠席者発送のための作品が足らないらしい。人数分よりかなり多めに印刷しているはずなのに変だな。専攻科の出席簿は、各自で記入してもらっているのだが、1〜2人でも記入もれがあると、こんなふうに混乱することがあって、けっこう面倒である。

小説講座も、そろそろ年度末。今年の入学式は、11月1日である。残り数回、作品指導がんばろう。それにしても、今年度は、しっかり最終選考まで残りながら、なかなかデビューにこぎつけない、っていうパターンが多かったなあ。ま、その分、来年度に期待! しかし、才能が育つのを待つというのは、なかなか大変。やきもきするし。

育てると言えば、いとうせいこう『自己流園芸ベランダ派』を読んで、夫が影響されたらしい。家に帰ると、ベランダの鉢植えがまた増えてた。帰宅途中、「芙蓉」を衝動買いしたようだ。でも、どうやら彼の理想は「森のようなベランダ」らしいから、これでもまだまだ足りないのである。

どんなものでも、あきらめず、ずっと思い続けていれば、いつかきっと願いは叶う……と、私はいつも思っているのけど、なんかやたらに増え続ける鉢を見ると、やっぱり、なんとも言えない気分になるな。

09/02/2008

それぞれの新学期

9月1日(月)
昼から小説講座の事務所。

近くのブースに入居している団体さんに、広告について相談など受けたりする。ま、これでも私、十年以上コピーライターをやってたりするんですね。

さて、今日は、小中学校の始業式。

ひさしぶりに学校に行った子供達に、夕食を食べながら、
「どう? 久しぶりのクラス、どうやった? みんな変わったことあった?」
と聞いてみる。

小5の双子の娘たち。
「校庭のジャングルジムの色が変わってた。赤と青で、めっちゃ派手! びっくりした」
「うちのクラスは、AちゃんがBちゃんになってた。めっちゃびっくりしたで」
「それ意味わからんけど」
「髪、すごい切りやってん」(AちゃんのヘアスタイルがBちゃんと同じになったという意味らしい)
「ふーん」
「びっくりするやろ」
「ぜんぜん。髪くらい切るやろ」
「するって!」
「わかったわかった。兄ちゃんは?」

おしゃべりな娘たちと違い、中3の長男は、学校のことなど面倒くさがって、あんまり話さない。「べつに」と言うだろうと思ったら、
「ああ、ボクのクラス、転校生が来たで」
「へえ。今頃?」
「サーカスの子らしい。12月までおるんやって」
駅前にサーカスが来るのは、たしか5年ぶり。うちの息子がその子と同じクラスになるのは初めてなのだが、前の時にも転校生だったそう。ちなみに、前に同じクラスになった子たちは全員よく覚えているそうだが、本人はちょっと思い出せないようだったらしい。そりゃ、何度となく転校しているのかもしれないし。

しかし、どうも「季節はずれの転校生、サーカスの少女」などと聞くと、なんつーか、発作的に、児童小説的な、あーゆーパターンとか、こーゆーパターンとか、やたら想像しちゃうなあ。

夜、テレビでは福田首相の辞任会見。

色々ありそうな、それぞれの新学期。

09/01/2008

落語、スイカ、線香花火、テルミン、夏の終わり

8月31日(日)
小説講座の事務所は、日・月・木曜、お休みです。

あいかわらずのありふれた日常。今日は、夏休み最終日。朝ごはんを食べてから、子供たちは父親に連れられて近くの緑地へ。虫捕りなど。
帰って来てから、夫が、
「よし。今日は、一日ぜったいに夏休みらしいことをするぞ〜」
で、何をするのかと思ったら、
「夏休みらしく、家でダラダラ一日のんびりする!」
「そんなことなら、一年中いつでもできるやろ!」
でも、やっぱ、なんか違うらしい。寒くなってしまうと気分的に違うらしいのである。

しかし、まあ、そういうコンセプトなんだったら、昼は、やっぱ、ヤキソバかな。ほんでもって、おやつはアイスか、かき氷。やっぱり、スイカ。……で、とりあえず、昼食はラーメン。私は、あまりラーメンなどは作らないのだが、そのおかげで、うちではラーメンがごちそうなのである。子供というのは、いつも家であまり食べられないものが「ごちそう」になるのだ。安上がりだぞ。

今日は、かつおと昆布茶で作った和風ベースであっさり味噌スープを作り、甘辛に炒めた鶏ひき肉、もやし、ネギ、コーンをトッピングしてみました。

昼食後は、自転車を走らせ、『ハナシをノベル』を聞きに行く。今日は、昼2時から。ちょっと遅れて行ったら、客席は大入り満席。いつもの倍くらいの人数かな。日曜の昼というのもあるのかもしれないけど、今回のチラシのせいかも。これは、うーん、めちゃくちゃカッコイイではありませぬか。わざわざスタジオで撮ったらしい、めっちゃカッコイイ写真。皆さん、写真映りがよろしいようで(笑)

いや、もともと男前ではあるんですけどね。

さて、今回は、作家の森奈津子先生と放送作家の安田昌子さんという、両方とも女性作品の落語だったのだが、いつもと雰囲気が違っていて面白かった。お局様ぶりが妙にハマってて笑える。安田さんは初対面だと思っていたのだが、トークを聞いてたら、どうも顔に覚えがあるような気も。どこかでたしかに会った事があるようなのだが、どうも思い出せない。植島ゼミ出身なんだったら、もしかして何年も前なんかなあ。年代的に考えると、まだ私もごくまれに顔を出してたりしてた時だし。しかし、なにせ当時はめちゃくちゃいっぱい色んな変わった人がおったからなあ。

しかし最近、ホントなんか人の顔とか、名前が覚えられない。困ったもんだ。先日も、地下鉄の駅ですれちがった人に、
「あ、お久しぶり!」
と言われ、
「あら、こんなところで。あ、じゃあ、急いでるから、また!」
と言って、とりあえず別れたのだが、実は、いまだに名前が思い出せない。いや、顔はたしかに覚えているんだけどね。あれは一体、誰なんだか。

帰宅途中、古本屋に寄り、十数冊ほど収穫。夕食は、オムライス。私は、オムライスの卵って、すごく薄くて、チキンライスをラグビーボール状にしっかりパツンパツン巻いてあって、スプーンでプチっと破るような「薄皮タイプ」が好きなのだが(なにせ「正当派オムライス」という感じがするから)、最近の流行りは「ふわとろタイプ」らしく、今日の家族のリクエストも全員「卵は、ふわとろ」であった。これは卵をしっかり泡立て器でよくまぜるのがポイントなのだが、最近は子供達がやってくれるんで、それはそれでいいんだけど。

夕食後は、玄関先で線香花火。それから、セスジスズメガの幼虫の写真見て、キャーキャー言ったり。テルミン(『大人の科学』のヤツ)で遊んだり。

ありふれた夏の終わりでした。

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