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03/31/2008

正体不明の影の支援者、その正体

3月30日(日)

昨日、父の家から、例の父の友人に、あの攻撃的な「内容証明」をファックスする。今のところ、個人的な相談に乗ってもらっている、影の相談相手である。

電話がかかってきて、先に父が少し話をする。
「じゃあ、今度は、弁護士で、出してみますか」
ということを言ったらしい。あとは、説明された父も、よくわからない。

てことは、弁護士さんを紹介してくれるというのかな、と思ったが、どうも、なんだかそうでもないらしい。
「これから考えますから、ちょっと待っててください」

しばらくするとすぐ、「こういう返答をしたらいいのじゃないか」というファックスが送られて来た。どうも1時間足らずで考えたようだが、なにしろ早い。どうやら、こうした展開も、最初から「想定内」だったようだ。それにしても早い。「やはりこう来ましたか」みたいな、読んでいたみたいな反応である。私には、法律関係ってのは、あいかわらずよくわからないが、よほど達者な人なのだろう。

それよりも驚いたのが、こんな感じという、その内容よりも文体である。先日、私たち夫婦で出した連名の「内容証明」とは、まったく文体が違うってところだ。なにせ今度は、まるきり弁護士の文体なのである。もちろん同じ人が作ってくれたはずなのだが、なんだか同じ人とは思えない。

つまり、前回もらったファックスのは、よくわからないが、「行政書士とか司法書士が私たちの意見をくんで作ってくれたような文章」である。でも、これだと、よくわからないが、どう見てもおそらく弁護士の文章である。温和だがちゃんと反証があることもあげてあるし、よく考えられた文章である。たぶん。いや、法律のことはあいかわらずよくわからないのだが、ちゃんと裁判とかになった時のことまで予想したような。

うーむ。一体、何者なんだ、この人。

父に聞いても、父自身が、この友人の職業がよくわからないようで、
「今はほとんど引退しとるらしいが、なんや法律関係の仕事をしとったらしい。まあ、今でも何や書類とかは作っとるみたいやけど」
とか、
「よおわからんが、同窓会では、アイツはめちゃくちゃ優秀やで、仕事はできるらしいで、と、みんながゆうとった」
としか言わない。職名を聞いたことがあるそうだが、どうも本人がよくわからんらしい。
父に聞いても、さっぱり要領が得ないのである。
しかし、
「けど、とにかくワシのクラスで、勲章をもろたのはアイツだけなんや」
というからには優秀なことは確かなんだろう。地方に住んでいて、あくまでも個人的な相談の範囲なら、アドバイスはもらえるようだが、どうも仕事としては受けてもらえないらしい。なんだかさっぱりよくわからん。

ただ「弁護士さん?」と聞くと、「いや、それとは違うらしい」などと言うので、もしかすると、かなりベテランの行政書士か司法書士なのかと思っていたが、この文章を見る限り、シロウト目にもわかるくらい、どうみても弁護士っぽい文章である。そのうえ、あちらからの「内容証明」は、わざわざ刑法何条とか、「法律を知ってるもんね〜」みたいな内容が含まれていたのだが、かなり荒っぽい感じがするのに、こちらにはそんなことも書いてなくて、ただやんわりと反論だけが書いてある。

あいかわらず、法律にはシロウトの私だが、文章についてならわかる。この人は、もしかすると、かなり頼りになるのかもしれないぞ。そりゃ、わからんけど、でも、なんつーか、「医学のことなどさっぱりわかんないけど、このお医者さんならきっと信頼できる」っていう感じに似ている。

それから、父に電話がかかってきて、
「それじゃ、さっそく月曜日に動ける人はいますか」
と言われたらしい。父には、ちょっと意味がわからないようだ。「私が行く」と言って、電話をかわってもらう。落ちついた感じで、優しそうな穏やかな声である。なんだか老学者みたいなイメージ。父の同級生なんだから、70歳代のはずだが。
「なるべくお金がかからない方法を考えてみましたのでね。これを持って、今から連絡する先に行ってください。先方には私から話をしておきますので」
と言う。意味がわからない。どうも弁護士を紹介してくれるわけでもないようだ。

月曜日? 
しかし、土日は、ふつうの弁護士事務所も休みだろうから、それならたぶん個人的に知っている人がそこにいるのだろう。土日だから自宅に電話しないと、月曜日までに話がつけられない。どうも、ただ弁護士を紹介するってのとは違うらしい。何をするつもりなんだろう。どうもよくわからない。

電話を切ってからも、言われた意味がわからないので、ちょっと考え込む。いい弁護士さんを紹介しましょうとは言わなかった。どうやら先日も、「まだ頼まなくていい」などと言ってたらしいのだ。
「刑事事件は時間がかかりますしね」
うーむ。一体、何者なんだ、この人?

その時、相手から来た内容証明をもう一度、読み返して、「あっ」と気がついた。

郵便局の消印である。
裁判所の中の郵便局から、これは発送されているのだ。内容に気をとられていたから、そこまで気がつかんかった。だったら、これを作ったのが弁護士なのかというと、もちろん、これはまだ決まったわけではない。裁判所の中の郵便局なら、誰でも入れるはずなのだ。ま、弁護士の中にもいろんな人がいるから、ああいう業者のために協力する人だってたくさんいるんだろうが、民事調停などを拒んだわけでも済んでないのに、あきらかな弁解とすぐに決めつけて、すぐさま刑事告訴を連発する宣言を送りつけてくるような弁護士なんているんだろうか。いたとしたら、ちょっとヘンである。少なくとも優秀な人ではない。たくさん裁判を経験してたら、少しでもツッコまれそうな文面は書かないだろう。

あ、もしかして。
これって、やっぱり「ただ弁護士が書いたようにみせかけているだけ」なんだろうか。
そして、このもらったファックス、とくに最後の行が、とくに何だか妙である。
「……このような行為は、素人の私どもにはむしろ恐怖をおぼえる……」
なんで、どう見てもこんな弁護士みたいな文章で、わざわざ素人の私ども……。

どうも、なんか、何かしら考えがあるようだ。ホント、一体、何者なんだろう。そう思っていたのだが、やっと、この人の職業がわかった。

どうやら、公証人、らしい。

03/30/2008

11期の前期課題の指導日

3月29日(土)

あれこれ忙しいけど、やはり仕事もしなくちゃ。
今日は、小説講座の講義。

11期は、前期課題の作品指導日。遅刻者がいて、ちょっとハラハラしたが、なんとか全員参加。今年は、あまりヘタな作品もなく、みんな個性を発揮していて、面白い作品ばかり。堀先生と青木先生が、どの作品もきちんとホメてくれる。長所を伸ばすのが上達のコツですね。30分以上延長して、全部で2時間半びっちり。ま、このクラスは、わりと平均値も高いけど、偏差も小さい傾向があるようで、けっこう似たような実力みたいである。作品によって、いい時と悪い時というのもあるみたいだけど。

一般の見学も来ていたのだが、3人とも気に入ったようで、そのうち2人は、入学願書を提出して帰ったし、もう一人は、飲み会まで参加。もっとも、こちらの人は、秋からの小説講座の入学希望だそうで。

今年は、春からめずらしく2コース募集をしたせいで、ちょうど人数が分散してしまい、残念ながら、どっちのコースも開講が決定していないのだ。今のところ、不開講の確率が70%くらい。

願書を提出していった2人は、第1希望と第2希望と書いて、どっちも申込み。「どちらか一方でも開講しますように〜」と祈られる。いや、私も祈りたい。しかし、今の状況では、2人というのはかなり大きな数字。夜の隔週コースなら、かなり無理すりゃ開講できるかなあ。けど、生徒数ヒトケタってのはどうも。

飲み会は、専攻科もいっぱい。11期の講義がかなり延長したせいで、1時間ほど遅れて行ったら、田中哲弥先生が専攻科のキレイどころにしっかり取り囲まれていた。ほんでもって、男性陣は、テーブルの両端。どう考えても、この席の配置には何らかの意図が働いているとしか思えないよん。うちの講師の作家さんたちで独身なのは、かなり少ないのだ。

オヤジが元裁判官っていう生徒さんに、例の資料の一部を持って帰ってもらう。ま、あれだけじゃわからんだろうけど。

03/29/2008

二つの内容証明、その文章力

3月28日(金)
朝から小説講座の事務所。

あいかわらず、身に覚えのない刑事告訴で、あれこれ調べモノ。

午後から警察へ行く。2回目の「上申書」提出。原稿用紙換算で、約36枚である。自分自身でも長過ぎると思うが、せっかく書いたので一応、出してみる。前回、提出したのは、あわててたせいで、データも保存してないが、それが、18枚。あわせて、54枚。たぶん、書き過ぎである。

「上申書」というのは、どうやらまったく証拠にはなるもんではないらしく、その代わりに、自分の思ったことを書いていいようだ。よくわからんけど、なんだか形式とか枚数制限もないらしい。ま、こんなに長いと見ただけで誰も読みたくなくなりそうだが、とりあえず、読んでもらう権利はあるそうだし。
(あいかわらず、法律関係の手続きとか、まだよくわかってなかったり)

1回目は、なにせパニック状態だったからあわてて書いたけど、2回目はやや落ち着いたので論理的に書きたいことが書けた。書きたいことは書けたからホッとする。
あんまり関係ないらしいし、誰に聞いても「そんな無茶な刑事告訴は、不起訴だろう」とか言われるものの、こんなバカバカしい無実の罪っていうのもあることだし、万一でも起訴されると。何にしても、夫は公務員である。家族もいる。

でもって、鶴見警察に提出しに行ったら、受付に女性刑事さん。先週、夜中に泣きながら「どう考えても、工事を指示したのは所有者である父か私」などと説明した時にいた人である。
じゃあ、その場で提出しようとしたら、「いや、刑事課まで内線してあげますから、ぜひ持って行ってください」とのこと。なんか親切。刑事課の部屋まで行き、提出しに来ただけなので、すぐに帰ろうと思ったら、「もうすぐ担当者も帰ってくるから、せっかくだから待ってたら」と言ってくれる。すでに何度も足を運んでいるせいか、同情的な感じ。それともなんだ仕方ない人だなと思っているのか知らないけど。

でも、私はどうしても納得できないんだがなあ、何度も考えたけど、やっぱ、どう考えても、これって非道だし、こっちは無罪だよ。それなのに、このままじゃこんなありえない罪で、訴えられるってのは納得できねえ。そりゃ、告訴があれば、警察が捜査をしなくちゃいけないのはわかっているが。やっぱ、ありえないでしょう。しかし、なるほど、こういう時のために「上申書」って制度があるのだなあ。今は被疑者の妻だから。

すぐ帰って来ると言ったわりには、かなり長く待って、やっとこの事件の担当者だという若い男性に会う。夫や父は話したことがあるけど、私が会うのは初めて。電話の声の印象通りの人だ……ふーん。ほんでもって、どうやら何かムリヤリ押しかけて待っていたように思われたようで、ちょっと迷惑そうである。おい、それは誤解だぞ。ホントは提出したらさっさと帰ろうとしてたのに、他の人たちが親切で「もうすぐ帰ってくるから、待ってたら」と言われたからただ待ってただけなのに〜。って、思ったけど、ま、一度は会えてよかったかな。うっとおしいことは確かなんだろうから仕方ないな。けど、そんな露骨にイヤそうな顔をしなくても。

少しだけ話をする。
「これでもう送検するから、あとは検察に行ってくださいね。民事で話し合って解決しないと、あとからいくらでもやられると思いますよ」
と言われる。そりゃ、警察はそう言うだろうけど、こっちは話し合いをするつもりはいくらでもあるのだが、相手がいきなり刑事告訴してくるんだってばー。どうして、そこがわかんないのよ〜っ。ぷんぷん……と思うけど、本人に言ったってわからんよねえ。警察の人には、被疑者にされちゃう人の気持ちはわからん。連中の証言を鵜呑みにしてるんだろうしなあ。

わかったわよ、もう来ないわよ。でも、私が来たくなくても、また何かあるかもしんないけどね。ほんならまた来るわよ〜(こういうパターンだと、連中は、また別の刑事告訴を次々してくるもんらしいから。なにせ刑事告訴はタダなのだ。乱発しようとすれば、いくらでもできる。悪質業者ならね)けど、なんだか、この人にだけはもう担当して欲しくないなあ。個人的に。

いや、ま、たぶん被疑者は私じゃないけど。
どうも夫は、「有罪なら公務員はクビ」と毎回脅されたみたいで、ちょっと嫌ってるみたいだしねえ。しかし、なんで、そんなこと言うんかなあ。そういう習慣なんかな。気を使って、そんなわけない。たぶん、そういう捜査テクニックなんでしょう。

だから正直、この刑事さんは、考えていることが今イチわからない。少し年上くらいの男っぽい感じの刑事さんのが来て、「奥さん、もういいでしょう」みたいなことを言う。なかなかの男前。こっちの刑事さんの方がよほど優秀そうな気がする。どこがどうとはわからんけど。若い刑事さんをかばうような言い方だし、先輩らしいが、まあ、せっかく調べられるなら、こんな人だったらよかったのに。いや、そんなこと別に警察に言っても仕方ないことくらいわかっているので、あとは検察。

でも、調書の取られ方を聞くと、どう考えても、有罪だとしやすいように書いているような傾向があるもんなあ。なによ、そりゃ、父は老人だけどさ。…古いブロック塀を撤去しただけで犯罪なんだったら、ワシも共犯か?… 「老人は無理です」

それって、なによ〜、ぷん。無理って何っ。失礼な。ま、老人だけどさ。たしかに72歳だけど、ブロック塀の所有者は、父なのよ。でもって、実際の発注者もホント父なんだからっ。夫は、門柱と柵の工事をやることしか頭にないのよっ。そんでもって、父なんか、自分のせいで、婿がありもしない犯罪で被疑者になってしまって、さらに「共犯」にもしてもらえなくて、どんだけ落ち込んでると思っているのよ。これでまかり間違って、もしも有罪なんてことになったら、うちの父はヘタするとたぶん死んじゃうよ。いやマジで。そういうタイプの人なんだから。

そりゃ、警察は、器物損壊くらいどってことないだろうけどさ。

どうせせいぜい起訴猶予とか思ってるかもしれないけど、こんなずさんな捜査をされるとは思わなかったわ、ぷんぷん。まあ、この刑事さんには悪気気はないみたいだけどなあ。この人、頭から境界線上のブロック塀は「共有物」だと決めつけてるみたいだし。本人には、そんな偏見があるとはどうも気づいてないみたいだから、おそらく悪気はないのだろう。しかし、夫や父の調書の取られ方を聞くと、あきらかに「被疑者に不利」に書いているフシがある。無意識なんかもしれないけど。

人に聞くと、警察の人は「民法」にはさほど詳しくないし、そういうものなのだそうだ。ふーん、そういうものなんかなあ。ホント、いい人生勉強になるわねえ。ふう。それにしても、こんなふうに取り調べ担当者に「偏見」があると、「真実」って調書に書いてもらえないものなのらしいのね。

帰宅すると、夫が「これ、来た」と『内容証明』を持ってくる。
私が開けてみる。
ざっと目を通すと、あまりに好戦的な内容で、ゲロゲロする。
とくに、「枡の境界損壊罪でも刑事告訴を準備」という文字を見て、すっかりげんなり。まあ、この段階であきらめてくれるわけはないのだから、予想通りと言えば、予想通りなんだけど。それにしても、この文章はひどい。えらいのにひっかかった。だから、言ったでしょう。まったく話にならないのは、あっちなんだってば。ホント、話ならいくらでもするつもりはあるんだってば。ホント、こんなことするなよ〜。とことんタチ悪い。

しばらく、また落ち込む。

しかし、気をとりなおして、もう一度、その文章を読んでみる。なんだか、ちょっと妙な感じがするのだ。私は、法律のことは知らないが、文章については、これでもかれこれ二十年近くプロのはしくれ。もちろん、法律関係の文章なんかチンプンカンプンなのだが。でも、なんか、気のせいか、この文章はかなり雑である。

脅し文句に見えるように書いているフシがあり、一見、まるで弁護士が書いているように見せているような感じである。送り主名は、業者だが。待てよ。ちゃんとした弁護士がこんなウカツな書き方をするだろうか? たとえば、「ブロック塀が危険だという姑息な言い訳」?
ふーん。でも、よく考えたら、これは決めつけである。つまり 『危険』じゃないという証拠はないわけなのに、この書き方はない。そう考えたとしても、もうちょっと違う書き方をするんじゃないの、ちゃんとした弁護士がこんな文章を書くか? 悪徳弁護士?

ふーん。まだ、わからんけど、法律に詳しいだけのヤツかもしれへんという気がするぞ。

それにしても、あの連中、たぶん、ここに住んでるわけじゃないので、あのブロック塀がホントに危険だったことを知らんのだろう。だから、ホントに危険だというのは言い訳だと思ったのだ。しかし、残念なことだが、あいにく、危険だった証拠ならいっぱいあるだよん。まず、築35年だし、鉄筋なしだし。これはちょうど撤去途中にパトカー通報してくれたので、ちゃーんと証拠写真がある(ホント、あとで告訴されてたら、この証拠もなくなってたところだったわ。ここだけは助かったぞ)
しかも、連中の所有地が更地にする時に、かなり土砂を削ったから土台もぐだぐだだもん。

落ち着いて、よく読むと、ちょっとばかり荒すぎる文章だ。もし、これが弁護士なら、そんなに優秀じゃないな。いや、たぶん弁護士じゃないんじゃないかなあ。だって、弁護士がこんなウカツな文章、書く? わかんないけど、これは「こっちには弁護士がついているぞ」みたいに見せかけてくるだけみたいに見える。

そう思って、もう一度、ちゃんと読んで見ると、かなりその可能性が高いような気がしてきた。うーむ。長年、私が文章のプロをしていたのが、こういう時に役立つとは。

私たちが先に出した内容証明の文章を読み返してみる。
父の友人で、法律関係の仕事をしていたという例の「影の人」からアドバイスを受けて、夫と私の連名で書いたものだ。書いたって言っても、その人に書いてファックスしてもらった「文案」を言われるままにワープロでそのまま打って、内容証明にして出したものだ。その文章は、まったくスキがない。

あとで、民事になった時にも、不利にならないよう、実に慎重な文章である。私のようなシロウト目にも、こっちの方がたぶん「うまい」んじゃなのかな。裁判にもちこんでも不利にならないような、すっとした書き方で、論理的である。もちろん法律的な書き方なので、私が日頃、接しているような文章とはまったく違うものだが、とにかくこっちの方が「うまい」らしいことくらいは、なんとなくわかるぞ。だって、ソツがないもん。とにかく「後でツッコまれないように書いてある」もんね。で、あっちは、たぶんかなり荒っぽい。ま、なにせ目的が「脅し」だから。

つまり、文章力だけ見ると、なんだか、大人と子供である。今のところ、もちろん、私たちは、ありえない刑事告訴をされてしまって、ただ不利なだけなのだが、どうも、私たちの味方になってくれている「父の友人」は、父が「なんか知らんけど、優秀やって同窓会でみんながそう言ってた」と言ってたが、どうもかなり頭のいい人らしい。それを考えると、少しはホッとする。

それにしても、父が電話で相談しただけで、さっとこんなファックスを作ってくれる友人というのは、一体どんな人なんだろ。

03/28/2008

ご近所さんとは、仲よくしようね

3月27日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

この忙しいのに、あいかわらず、慣れない法律のお勉強。
今、たまたま隣が事故物件になったため、その家を買った業者から、いきなり無茶な刑事告訴をされちゃっているわけなのだが、父の友人はものすごく有能な人のようで、とりあえず安心。

たしかにエライ目にはあっているのだが、今のところ、これで刑事告訴が起訴されちゃう可能性は、きわめて低いようだ。よくわかんないけど、たぶん「盲腸にかかって、運悪く死んじゃう確率」くらいみたいである。わかんないけど(まだ何か言ってくる可能性が大きいみたいだが)、ま、あんまり余計な心配はしないでおこう。

ただ、私が心配してたご近所さん。
昨日、またちゃんと母に確認したところ、どうもこの人はそれほどまで悪い人ではないようだ。どうも母や父からの情報は、以前も何かあったかして、やはり少々偏見が含まれているらしい。でも、夫もそういう態度をされたのだから、ま、そういう人ではあるのだろうけど。

ま、困ったところはあるようだが、それとこれとは別だろう。

例の業者との間で、どういう話があったかどうか、知る由もないが、さすがに警察まで呼びつけろと言ったわけではないはずだ。ま、パトカーが来たとしても、まさか本当にそれで刑事告訴されているとは思ってないだろうしね。そんなことする人はそうそういないもん。でも、今回は、そういう業者みたいなんだよね。

ご近所さん自身は、どうもここまでこっちが困っているのもわからんようである。ふう。

ま、すでに何らかの悪意はもたれているようだから、知ったとしても「いい気味だ」と思われちゃうかもしれないし、どっちみち頑固な人のようだから、話せばわかる人ではないみたいだけど、それにしても、ここまで深い悪意はないみたいである。どうも境界線については、そもそもかなり誤解が原因にあるようだし。
ま、普通の人は法律なんか詳しくわからんもんだからな。
ああ、ほっとした。どっちにしても、こっちの方が長引くだろうからなあ。

やはり、かなりアレなのは、やっぱ、業者だぞ。

しかし、「ご近所のばあちゃんネットワーク」もたいしたもんだ。こういう、いざという時に頼りになるのは、友達とご近所づきあい。やはり、ご近所の人とは日頃からちゃんと仲よくしておこう。

たしかに私も、いつも仕事が忙しいので、それほど親しくつきあっているわけではないから、今回ちょっと反省。
だって、今はどうしても、ほとんど母だけが情報源なのだ。

もし実家が近くになければ、こういう情報はほとんど入ってこない。でも、高齢者である母は、近所の友達がそれなりにいる。しかも、35年間、ここらへんで住み続けている母の情報量はすごい。

ふーん。ご近所づきあいってのは、こういう時に安心なのだなあ。なるほど。想像もしなかったが。
「多少なりとも気に入らないことがあっても、近所の人とは、日頃からちゃんと挨拶をかわして、仲よくしておきましょう」
とくに、共稼ぎの家庭や単身者は、もともと近所と井戸端会議をする習慣がないもんな。うちは、実家が近いので母の「おばあちゃんネットワーク」もあるし、3人の子供たちが地元の小学校へ通っているので、なんとなく情報は入ってくるけど。

ま、中2の息子からの情報はほとんどないのだが(男の子だし)、双子の娘たちは女の子だからか、あちこちの話をやたら聞いて集めてくる。子供からの情報はアテにはならんけど、地元の小学校で毎日過ごしているわけだから、友達もみんな地域の子どもたちである。帰宅後も近所を走り回って遊んでいるので、私たち大人よりも、場合によってはよほど地域に詳しかったりするのだ。それに、うちの子たちは双子のせいか、けっこう顔も知られているようだし。やたら愛想もいいみたいなのである。

とにかくやっぱり困ったのは、いきなり民事の交渉もせずに、平和に暮らしている市民をいきなり刑事告訴してくるような業者。むやみやたらに、人を刑事告訴なんか、しちゃだめなんだよ。
(でも、これも世間ではよくある手みたいである……そ、そうなのか)

昨日まで、民事と刑事の違いさえよくわからんかったのだが(今でもそれほどあまりわかってないが、「器物損壊罪ってのは、「親告罪」っていうことだけはわかった)、読んだ本に書いてあったもん。
「いきなり刑事で訴えることをせず、まず民事で交渉しましょう」
ちゃんと民事交渉もせず、こんなふうに、むやみに法律を駆使して刑事事件を起こしたりしちゃダメなのである。
(そりゃ、あたりまえだわな)

いきなり刑事告訴してくるような業者は、たしかに怖いが、あんまり心配しないでおこう。一時は、さすがにあわてたのだが、今のところ、有能な専門家に相談してもらってるわけなので、それほどオタオタしなくてもよさそうだし。それにしても、この忙しいのに、まったく迷惑なことである。ぷんぷん。

ほんでもって、あいかわらず、法律用語なんか、ホント、ちんぷんかんぶん。

03/27/2008

生徒募集もそれなりに

3月26日(水)

午前中、某議員の事務所で、「地籍調査」の依頼をしてみる。どうやら、例の刑事事件が起きた背景には、そもそもの土地が事故物件だったということと、どうもこの地域の地籍調査が終わっていないという遠因もある。一応、今後の住民の安全のために、お願いだけはしておく。もっとも、すでに紛争地となった我が家には、まるで関係のないことかもしれないが。

小説講座の生徒募集についての事務がたまりにたまる。
ふう、事務局の私がこんな状態ではのう。


03/26/2008

日常業務もそれなりに

3月25日(火)
午後から小説講座の事務所。

でも午前中は、あいかわらず例のバカげた不当な刑事事件のため、あれこれ雑用。

警察でどのように調書をとられたかとあれこれ夫や父に聞いたので、それを整理してみる。しかし、まったくこんなつまらないことがどう考えても犯罪になるとは全く思っていない彼らの証言。どうやら、きちんと言うべきことをあまりちゃんと言っていないようである。警察からは「もはや取り調べは終わった」と言われているので、今さらどうしようもない。あとは、警察に「上申書の書き直しをしたい」と言っておいたから、それを提出するくらいである。

あれこれ調べてみると、やはりあの古いブロック塀に共有権などなく、さらにそのことは業者が認めていたという客観的事実があった。だから、この訴えは明らかにおかしい。しかし、うちの夫や父は、それをちゃんと述べてはいない。どうしようもない。

ま、日頃、平和に暮らしている健全な市民ってのは、ある日突然、刑事事件に巻き込まれるとは思ってもみない。まして、いくらなんでも、こんな無茶苦茶なことで刑事事件として取り調べられるはずなんかないと思っている。まして、72年間ただただ真面目にまっとうな人生を送ってきた父や、人を疑うことをまったく知らない高校教師の夫では、まるきり無理もないのである。ま、それほど人のいい彼らだから、こういう事件に巻き込まれてしまったのだろうけどねえ。

昼から、小説講座の事務所に出勤。スタッフの人たちや作品を提出しに来た生徒さんたちと、あれこれ話をする。今回の一件については、「そんなアホらしいことは、起訴されるはずがありません」ときっぱり言われる。ああ、そういやすっかり忘れていたけど、たしか親戚中、ほとんど法律関係者なんだったっけ。貴重なご意見である。「ま、聞けば聞くほど、よくある話ですけどね」
そりゃ、そうなんだろうけど。

しかし、法律関係の方には、こういう話は「まったくよくある話」なのだろうが、私はこれまで健全な世界に住んでいたので知らなかった。うちの夫なんか、あらゆる意味でまったく平和な職場だしなあ。

3時前になって、スタッフに
「今日、25日ですよ。もしかして、給与の振込を忘れてませんか?」
と指摘され、あわててネット振込をする。この一件で、数日間、ちょっと仕事がおろそかになっていたんだけど、なるべく気持ちを切り替えよう。

03/25/2008

事件の真相

3月24日(月)

平和な家庭を営む一人の善良な主婦(もちろん私のことだぞ)が、ある日いきなり巻き込まれた、何とも奇妙な刑事事件。

ある日突然、自分の夫が、なぜか刑事事件の被疑者として警察の取り調べを受けなくてはいけないハメになる……という今回、珍事件である(いや、もしかして、こんな話、世間ではしょっちゅうあるのかなあ)

ま、不条理な事件のため、今日も、仕事を休んで調べもの。
(小説講座の事務所はどっちみち休みだけど。ちょうど生徒募集期で、今日も休日出勤の予定だったんだが……すみません、明日からはちゃんと出勤するからね)

もともと法律関係には詳しくないので、ちょっと調べるのにかなり一苦労。
どうにも法律というのはややこしいな。
なるほど、苦境というのは、人生勉強になるもんである。

関係者である夫などにもまたまた話を聞く。

しかし、そのおかげで、ちょっと意外な真相(?)が見えてきた。
ミステリ的に言えば、なんとまあ意外なところに黒幕がいた……という感じである。

でも、夫には、
「だからオレは、最初から『本当にタチが悪いのは、ホンマはあの人や』って何度もゆうとったやろ!」
と言われる。
父にも、
「だから最初から、裏で指示してるのは、あの人やってゆうとったやろ」
と言われる。

あ、ごめんごめん。
それ、たしかに何度も聞いてますわ。
でも、今までは
「えーっ、なんぼなんでも、まさかそこまでせえへんやろ。そんな人おらんやろ」
とまだどこかで思ってたから。

だから、私にとっては、意外な真相である。

つまり、あまりに胡散臭いので、業者がとにかく悪いヤツだと思い込んでいた……が、どうも、ある意味、「ただ利用されていただけだった」わけである。

やはり例の巧妙な罠ではないが、おそらく、そういうものに近いのは、実際にあったわけなのである。

さて、そもそもこの事件。

背景に土地の境界線ラインという民事トラブルがあって、そのために業者が自分に有利に交渉を進めようとする目的でありえないような刑事事件を告発しているのだ……ってのは、誰が見てもわかりきったことではあるのだが。

実は、この業者は、単純に自分に有利だからその境界ラインを認めさせようとしているのではなく、どうやらそれとは違った目的で、その境界ラインを無理矢理に認めさせようとしているらしい。

で、ここまでむちゃくちゃなことをやっているわけである。

ところが、彼らが話していた言動からして、実際のところ、たとえ自分が所有する土地がいくらせまくなっても、またどこが境界になっても、業者にしたらどうも本心ではどうでもいいらしい。事故物件だからというのもあるだろうが、実は、とにかく早くどっかに売ってしまいたい。だから、そんなもん、どっちでもいいみたいなのである。
正直なところは、どんな形でも何でもいいから、とにかく早く「筆界認定」がとれれば、どうでもいいらしい。ちょっとややこしい。

そう、筆界認定。

しかし、この「筆界認定」で、どうしても法的事実ではない境界ラインで、何が何でも認めさせなくてはいけない理由が他にあったわけなのである。

これまで私は、このうさんくさい業者が単純に自分に有利だという理由で、ここまで無茶をやっていたと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。本当の理由は、実は、別なのだ。

さて、ここで登場するのが「筆界認定」である。

「筆界認定」
もし不動産関係の仕事をしていたら、この「筆界認定」という言葉についても、日常的によく知っているだろうし、また一度でも土地を購入したことがある人ならわかるだろうが、私自身は、正直、あまり耳慣れた用語ではない(てか、そんなもん今回はじめて認識したぜよ。実は、問題になっているうちの敷地は借地のままなのである)

要するに、隣接する土地の所有者の双方が「確かにここが境界ですよ」と口頭などでなんとなく認めてたというだけではなく、ちゃんと正式に(つまり法的に有効な形で)認めたものである。
ま、具体的には、書面ね。
(私はこれまで一度も見たことがないので、実際どんなものなのかまだ知らないんだけど。誰か一度見せてくれないかなあ)

ところで、この不動産業者。

再三、これを認めろと要求してくる「筆界認定」の境界ラインだが、なぜだか妙なカタチにして要求してくるらしい。しかも、むしろ違いの大きな南側については、まったく要求して来ない(つまり法的な測量結果のままでいい)のに、わざわざせまい、普通に考えたら、ホントどうでもいいような、北側ほんの10センチだけを何が何でも認めろと要求し、
「とにかく頼むから認めてくれ。そうじゃないとウチがすごく困るのだから」
とまで言ってたそうだ。
(うーむ。この業者、よほどせっぱつまっていたらしい。ちょっと不憫である)

そう、たしかにこれは妙である。

ちなみに、いくらこの業者に脅されても、そのわずか10センチをわざわざ断っていたのは、それだと土地の形状がちょっとくびれた妙な形になってしまうからである。

もともと一直線だった境界ラインが内側に曲がるのがイヤだったからだけらしい。ま、たしかに妙なカタチにはなってしまう。どうも占有も認めてもいいよと言ったらしいのだが(なんなら、つまりそこに壁を作ってもいいよとまで言ったらしいのだが、どっちみち、境界ラインぎりぎりまで建物が建っているわけじゃないだろうし、家と家との間になるので、どっちでもいいのである)、ただ所有権の変更は、そんなカタチで認めなたくなかっただけらしい。

たしかに相手は転売して更地にしてたし、わざわざそんな変なカタチで認めなくちゃいけない理由はどこにもないし、わざわざ「筆界認定」をしたいのは、売りたい業者だけである。すでに長年住んでいる住民たちにしたら、必ずしも「筆界認定」が必要ではないわけである。なんならうやむやで何年住んでようと、お互いがそれでよければ、別に誰も困らない。しかし、不動産業者は違う。

筆界認定がとれてないような土地は、あきらかに財産価値が低い。それだと、隣との境界線トラブルがある可能性がある、ややこしい土地だと思われるからである。

さて、この場合。

現況の状態とちゃんとした法的な境界線がほんのちょっとだけ違うわけである。

具体的には、間にあるブロック塀の中心が境界だと思われていたのだが、古い住宅地だから、実はそんなに正確なものではなくて、ちょっとだけわずかに東側にずれている。このことは、複数の測量業者によって再三確認されている(結果的に3回も測量されている)

そういう場合、「じゃ、すでにある境界ブロックを取って、正確な位置にしなくてはいけないのか」というと、これは実際はそういうことはなくて、すでに今そういうことになっているのなら、別にそれでもかまわないわけである。

つまり、長年その状態で使用している場合は、通常は、おそらく使用権だか占有権なんだか、よくわからないがたぶん認められる。たぶん(どうも、これもケースバイケースみたいだが)

ところが、この使用の実態に関わらず、土地の所有権は、こういう占有だとか、あるいは両方が口約束をしたとか、そういうもんとは一切関係がない。つまり、土地の所有権そのものは変わらないのである。

つまり、こういうことらしい。

たとえば、法的にはAの土地があり、ここにBが自分の土地だと思って、長年にわたって住んでいた。
A自身も、ずっとそこが自分の土地だとは知らなかったのだが、ある時、きちんと測量してみたら自分の土地だとわかった。この場合、すでに長年住んでいるBを単純に強制的に追い出したりすることはちょっと難しい。ところが、Bは、長年住んでいるとか、あるいは知らなかったとか、認められていたという理由をもって、所有権そのものを変えることを主張することはできない。

土地の所有権は、そういった理由なんかでは変えられない。
もし変えられるとしたら、双方が「筆界認定」をした場合のみである。

この筆界認定なら、法的にも有効。

つまり、お隣さん同士で、長年にわたって住んでいた場合、ある境界ラインが本当の境界ラインとは違うということは、わりとけっこうよくある。
で、このように法律上の所有者とは違う使われ方をしていても、別に問題はないし、もしちゃんと調べて、実際は違うから仮に境界を直せと言われても、もしその間にすでにブロック塀などがあれば、コレ自体の共有権もあるだろうし、まあ、無理に直す必要もないわけである。たぶん、そのまま住み続けていても、ほとんど問題がない(正確にいうと、これもケースバイケースみたいだが)

とにかく、長年に渡って住んでいたとか、口約束があったとか、あるいは何らかの契約があったとかしても、それが「筆界認定」ではなかったら、やはり本来、そこは自分の土地でないわけなので(もちろんこれは正式な測量で確かめられるわけである)、その所有権の変更も主張することはできないわけである。

土地というのは、所有権そのものと、そこを使用する権利とかは違うわけだから、ちょっとややこしい。

さて、結論から言うと、今回のケース。

なんでこの業者が、ほんの少ししか面積は違わないうえに、そんな妙な形にしてまで、なんで無理矢理、それを認めさせようとして、これほどアセっていたのかというと。

そうしないと、この売地の北側にある敷地の別の住民が「自分も筆界認定を認めないと言っているから」である。

ちなみに、この人ってのが、事件当日、わざわざ業者を電話で呼びつけた人。

うーむ。なにせ近所ではもともと評判がそれほどいいわけではない人なので、うちの夫などが「全部あの人のせい」と言っていても、どこか「まあ、それはそうかもしれないが、悪印象だけでそれを決めつけるのも」と思っていた部分がどこかにあったのだ。

どっちかつーと温厚な性格の夫さえ、
「この先、何があっても、一生、あの人とは二度と口をききたくない」
というような人なのだが。
(何を言われたか知らないが、どうも相当に失礼な態度だったらしい)

つまり今回の件はどうやら、そもそも民事トラブルそのものも、この人が原因であって、さらにこの刑事事件そのものも(つまり警察を呼びつけたこと)、どうもこの人が業者を呼びつけたせいである。
(この業者とこの人の間に直接どんなやりとりがあったのかはわからないが、電話があったことは警察でもちゃんと証言しているらしい)

というわけで、業者が「ぜんぜん巧妙じゃない」というのも、どうやらホントらしいのだが(むしろかなりアレだったことがわかった)、しかし、ある意味「巧妙な罠」であったというのも、あながち間違ってはいないらしい。どうやら毎日ホントにうちを見はってたみたいなのである。近所だから、充分可能なのである。

そういえば、うちの玄関で私がご近所の他の人と話をしていたら、その家の窓のカーテンが不審な感じで動いたりしたことがあって、なんだか妙だなと思っていたのだ。そして、たしかに母までが「近所の人と雑談しながら歩いていたら、なんか立ち聞きしていたみたいなので驚いたわ」と言っていた。

しかし。
長年、あーゆー人だったわけだから、そういうこともあるんだろうと思っていたもんなあ。

うーむ。しかし、ややこしい。
それに、これは近所の人だから、ある意味、ただの業者よりもむしろ面倒なことである。

ホント、迷惑するよなあ。ふう。

03/24/2008

イザという時には

3月23日(日)

例の一件。

さらに急展開。いよいよ、かなり楽観的(たぶん)
やはり困った時は、じたばたして、あちこち相談してみる方がよいようだ。

父が、幼なじみだか、元同級生だかの、古い友人に会って、いろいろ話をする。
今はとっくに引退しているが、長い間、法律関係の仕事をしていた人で、すばらしい業績もあり、どうやらおそろしく優秀な人らしい。

状況を説明すると、あっさり。
「まあ、どうせ不起訴、せいぜい起訴猶予だろうけど、教職だというのもあって心配なんだったら、とりあえず原状回復しておけば」
と言われる。

壊したブロック塀をもとあったようにまた作ってしまえばいい、らしい。

なぬ!
そういう手があるのか。

で、それで相手側が「そんなことやるな」と文句を言ってくるなら、別に無理にやらなくてもいい。とにかく、あらかじめ内容証明で相手にその件を書いて送って、警察にもコピーを持っていっておけばいい。そうすれば、とりあえず「原状回復の意思を示している」ことになるし、それをすることに法律上の問題はなく、これなら刑事事件の起訴もまずないだろうという話。

むろん今後、民事訴訟もあるかもしれないが、それは刑事事件とは別なので、こういう文面を入れておいたらと、わざわざその書き方まで詳しく教えてもらった。

そうか、なるほど、という内容である。
さっそく私がワープロにて作成。

なにせモノが美術品だとか貴重なものじゃなくて、ただのブロック塀だから、たとえ器物破損の事実があっても、もう一度新しく作ってしまえば、問題がないらしい。
ふーん、そういうもんなのかあ。

ブロックを20個ほど積めばいいだけである。
ま、塀だから塗装もしなくちゃいけないので、数万円はかかるだろうが。

しかし、そんな簡単なことでいいとは。
まったく気づかなかった。

だって訴えられるなんて、なにしろ初めてだし。法律は、シロウトだし。
さすがはプロ。やはり専門家の意見は大切である。

てか、どうやら、こういうことって、やはりちゃんと有能な人に聞くべきみたいだ。

実は、他にも相談したりしたのだが、あまり有効な意見は得られなかったのだ。
「いくら自分の土地であって、すでに大部分壊している古いブロック塀でも、法律上、モノ自体に共有権を主張することはもしかすると可能かもしれない(つまり器物破損が成り立つ可能性がある)」
と言われただけである。

なるほど、教訓。
イザとなった時、「聞くべきものは、有能なプロ。持ちべきものは、いい友だち」

しかし、一昨日までビクビクして泣いたり、途方にくれていただけだったのだが、これでかなり立ち直った。
というか、これまで夫やせいぜい父ばかりだったし、私は部外者だったから、詳しい情報がちゃんとわかってなかったせいもあるようだ。まあ、なにせ相手のファッションがあまりにもアレだったりして、私が怖がって直接、話をしたこともほとんどなかったせいもある。だいたい父などは、何度か口汚い言葉でいろいろ言われたりしてたし。

内容証明なんか送ると、さぞかし怒りだすだろうなあ。

でも、やっぱ、泣いてばかりはいられないよね。

というわけで、夫には、
「今後、もし何があっても私が対応するから、私にまかせて」
と言ってみる。

すると「え、そう? そうしてくれる? ほんなら助かるわ」と嬉しそうな声。

なにせ自分自身はやたら仕事が忙しいし、それに自分の妻は、たしかにすぐ泣いてしまったりして感情的なところがあるのだが、いざ本気になるとやる性格だろう、とも思っているのであった。それに、何度か警察に呼ばれて調書をとられて、かなりメゲてもいるのである。ただでさえ、もともと芸術家的体質の彼には、ややこしい法律用語がぜんぶ外国語に聞こえているらしい。
「なんやとにかくややこしくって、ホンマよくわからんねん」

そして、父にも、
「また何か言ってきたら、この件は、全部、娘にまかせてあると言っといて」
と言っておく。

「それはいいけど、あんた、感情的になりなや。危ないかもしれへんねんやから」
と、母に言われる。

この感情的になるなというのは、私がついさっきまで泣いていても、怒りだすと急に相手を怒鳴りつけかねない性格だということを指していたりする。

もちろん、せいぜい気をつけることにするけど、しかし、今の状態で、女である私にもしも何かしら直接危害を加えるようなことがあったら、逆によほど覚悟しないとあかんということくらいは、わかるだろうからむしろ何もできないだろう……あ、あの人だったら、わからんかな。わからんかも。

それにしても、いくら自分の土地ではなく、しかも古いブロック塀であっても、法律的には半分の共有権があるはずだときちんと主張しているらしいから、相手にたぶん弁護士だか、何か法律に詳しい人がちゃんといるのだろうな。あーゆー人たちにいろいろ協力するくらいだったら、ちょっとどうかと思うような人かもしれないが。

でも、
「ま、今のところ、弁護士もいらないでしょう。それなりの費用もかかりますからね」
と言われたみたいだし、民事訴訟になっても、法律的にはこちらにはまったく問題がないらしい。とりあえず民事は今のところ別だから、刑法などをもう一度ちゃんと読んでおく。

私、刑法なんか生まれて初めて読んだよ。だって、法学部とかじゃなかったし。

ほんでもって、夫や父に話をあらためて聞き直して、改めて色々とよくわかったことがある。
よく聞くとまだまさかと思う意外な話もいっぱい出てきた。
どうも、まだまだすごい話があるみたいである。

なるほど私は、まだ断片的にしか知らなかったのだと思う。
恐怖は、人の判断力を狂わせるものである。

さて、パトカー3台が出動したという今回の一件。

ちなみに、これも今頃になって、気がついたのだが。
器物破損くらいなら、ふつうに通報したら、たぶん3台もいっぺんに来ないと思うのだが。

警察に通報したのは、もちろん例の社員だったわけだが、一体どんな言い方をしたんだろう。

大工さんの話では、
「お巡りさんたちがいっぱい、ものすごいいきおいで駆けつけてきたんやけど、現場を見た瞬間、その顔に、おいおい、なんだ、こんなつまらないことで呼びつけられたのか、とロコツに書いてあるみたいで、ほんま、めちゃくちゃ気の毒だったでえ。ワシらもビックリしたけど」
という話である。
「長年、大工やってるけど、こんなむちゃくちゃな話、はじめてやで」
大工さんは、仕事を4時間半くらい休んで、警察で事情聴取を受けているのであった。

たしかにブロック塀をみたお巡りさんたちが気の毒である。

そう。
それは暮れもおしせまった、昨年の12月25日、クリスマスの昼のことであった。

ほんま、えらいことするよなあ。つくづく、とんでもねえなあ。

03/23/2008

ぜんぜん巧妙じゃなかった

3月22日(土)

午前中、郵便局によってから、昼から出勤。

例の一件。

夜になって大工さんと話をすると、事態は一変。
今、めちゃくちゃ楽観的な状況である。

この人はブロック塀を撤去した大工さんで、うちの新築工事もやってくれた大工さん。とても明るく、きさくな感じの人で、腕もいい棟梁なのだが、その人の話を聞くと、夫から話を聞いていただけとはちょっと様子が違っていて、今回の一件、かなり楽観的だったようだ。

しかも、結論から言えば、「ぜんぜん巧妙じゃないぞ!」なのである。
めちゃくちゃ、ほっとした。
ちょっと一安心。

さて、どういうことかというと。
ブロック塀を壊す工事の際、夫は「工事に立ち会っていた」のだが、といっても、工事中、ずっと外にいたわけではなくて、実際には家の中にいた。

夫は、
「そこへ例の不動産屋の社員が来て、オレを怒鳴りつけてから、すぐに社長に電話し、それから警察を呼んだ」
と言っていた。

社長ではなく、社員。

ちなみに、この社員には、私は会ったことがない。
夫からは、この社員「社長と似たりよったりのチンピラ風だった」とは聞いていたのだが、私は直接見たことはない。私が見たことがあるのは社長だけで、これは「ミナミの帝王」か「ナニワ金融道」みたいなファッションの人。

で、私は、夫の話を聞いて、私は、こう解釈してたのである。

まずやってきた社員が家の前の工事を見る。そんでもって、玄関あたりまでやってきて、夫に怒鳴りつけ(大工さんたちにも声くらい聞こえたろうが、はっきりとはわからないかもしれない)、それから社長に電話で連絡をとってから、警察を呼ぶ。本当に「すぐに警察に電話した」というのだから、たぶん何か意図があるのだろうな、と。

ところが、実際、大工さんに聞くと、微妙にちょっと違うらしい。

やってきた社員は、まず大工さんたちを怒鳴りつけたのだそうだ。そんでもって、その大工さんが家にいた夫を呼びに行き、大工さん達の目の前で、また夫に口悪く怒鳴った、だとか。

それを聞いて、私はかなりほっとした。てか、めちゃくちゃほっとした。

だいたいどんなケースでも双方の意見は食い違うはずなので、いくらそれまでにも脅迫的だったとしても、信用してもらえる保証はないはずだからである。どう言ったはずとか、こう言ったというのはどちらも信用できないから、客観的な証拠にはならない。何を言われても、どちらも証拠がないのである。で、相手が巧妙だったら、少なくとも警察でも自分に不利なことは言わないし。

でも、第三者がいる前で、相当、口悪く怒鳴ってたのだ。
それも、大工さんがビビるほど。
そして当然、この大工さんは、警察で調書はとられている。

そりゃよかった。
なんだそうなら、それなら今回の件、かなり大丈夫だろう。

そんなら、どう考えても、巧妙じゃないな。

大工さんにその社員もチンピラ風でしたか、と聞いてみる。
いや、チンピラ風っていうか、ありゃあチンピラそのもんみたいやったで、めちゃくちゃ口は悪いし、どうみてもちょっと普通やなかったで、という話。

夫は、立て続けに面倒なことがおきて必要以上に神経質になっていたようだし、まず自分の心象を話すから、どうも自分に不利で悲観的な情報ばかりを私に言っていたようだ(だから私もつい悲観的だったのであるが)

大工さんからアレコレ話を聞くと、どうも今回の件、どうも何かウラがあるというよりは、相手側は、ただ発作的に腹をたてて、やけくそで警察を呼びつけた、というのが真相らしい。
どうも、そういう感じである。

いや、まさか、そんなヤツだったとは。
しかし、父の話をまた改めて詳しく聞くと、やはりどうもその可能性が高い。

どうも、この不動産屋ってのは、「わざわざややこしい物件を買って、一儲けを考えていたようなヤツ」というわけではどうもないようなのである。どうも、もしかすると、本当に知らずに買ったか、あるいは、相当に甘く考えて買ってしまっただけらしいのである。いくらなんでも、そんなウカツなやつがいるとは思わなかったので、私はありえないと思っていたのだが、
「どうもホンマに事故物件と知らずにどっかにつかまされた」
という可能性がかなりあるらしい。

いや、そんな、アホな。
(あとで調べたら、これもそれほどアホでもなくても事故物件を不動産屋がつかまされることはあるそうで、けっこうしょっちゅうある話らしい)

でも、もしそういうヤツなら、もし警察で何を言われても大丈夫だ。たぶんバレるから。
警察もプロなんだからね。

おそらく「何も考えてない」……ホントにただのヤケクソ。
わからんけど、たぶん。
(ま、そういうヤツの方がやっぱりタチが悪いっちゃ悪いよね……)

しかし、それでもそんなことってあるのかなあ、転売されたといっても、どうやら間に一件だけ入っただけらしいのに、(家の転売された状況は、法務局に行って調べればわかるのである)なんでそんなにヤケクソになるんかなあ。だって、そんなことをしたら、余計こじれて売れなくなるだけやん。

……と思ったのだが、これも今頃、思い出した。

もともと隣の家に住んでいた家族、その中の親戚の一人がたしか不動産屋だったのだ。家を売った人である。ふーん。なるほど。きっと事故物件をごまかして高く売る方法ってのが何かあったんかもしんない。ま、こりゃ憶測だけど(ま、何にしても今は憶測しかできんが)

どうやら少なくとも、巧妙なことはまったくない、みたいだなあ。
まだ、わかんないけど。

ちなみに、世間では、何かちょっと考えられないことをする人がいると、
「どういう理由でそんなことをするんだろう。何かきっと隠れた理由があるんだろうな」
と一般には思うものなのだが、しかし、実際、どうも理屈にあわないような行動をする人は、ホントにただヤケクソで何も考えてないっていう……いや、まあ、実際そんなもんかもしれないが。

ふーん、ってことは、弁護士も必要ないくらいなんだろうな。

あー、ほっとした。
それでもヒドイ脅迫目的であるのは明らかだけど、事件そのものは楽観的。

ただ、まあ、これも法律に詳しい人によると、起訴だとか裁判というのは、こればっかりはホントにわかんないもんなんだそうで、99%そんなことないだろうと思っても、まったくありえないってことはないそうだ。ふーん、そういうもんなんか。法律ってよくわからんな。

ま、それにしても、そうだとすれば、きわめて可能性は低くなりそうである。

あとは、万一の場合の勤務先関係の「処分」関係だが、これもちゃんと詳しく調べると、そんな心配はきわめて少ないようだ。公務員の刑事訴訟はたしかに問題みたいなのだが、業務上かどうかでも大きく違う。業務上ってのは仕事に直接関係するか、仕事中という意味なので、これはかなり軽い訴訟でも処分例もあったりして、ちょっと驚いたのだが、この一件は完全にプライベートだし、どうも大丈夫なようである。

ややこしいなあ。
そんなん、詳しく調べなわからんが。

ま、こういうのは、ちょっとシロウトの私にはよくわかんないとこがある。たとえば、今、うちの夫が電車の中でスリにあって、サイフかメモ帳かをとられたら、本人が被害者ではあるのだが、職場では多少「処分」を受ける可能性がある。

というのは、彼のケータイかメモ帳に、おそらく生徒たちの連絡先が入っていたはずだからである。高3の担任とかやってると、どうしても生徒の自宅に電話する用事がひんぱんにある。たとえば、欠席が多い生徒に連絡をとるとか、その親に連絡をしようとか。すると夜にしかいなかったりして、勤務中だけでは無理なのである。

そのうえ、うちの夫なんか、出席率がもうギリギリの生徒に、毎朝モーニングコールを頼まれたり(なんか家庭の事情で、親が不在らしい)

よく新聞なんかで、生徒の個人データをいれたパソコンを盗まれたり、試験用紙をいれた鞄を置き引きにあって、そういうのが問題になっているのを見ると、
「アホやなあ。うかつすぎるよなあ。そんなもん仕事先から持ち出さずに、置いとけばいいのに」
と私なんかは思うのだが、夫に言わせると、生徒の個人情報を勤務先からまったく持ち出さないというのは、現実問題としてかなり無理らしい。とくに今は警備がうるさくてあまり遅くまで残業はできないうえに、やたら制度が変わったりするから、それにつれて会議も増えてるそうで、その結果、テストの採点とかレポートを日常的に自宅に持ち帰ってやらざるを得ない先生もけっこういるそうだ。

いくら気をつけていてもスリにあう可能性がゼロではないわけだが、それでもおそらく個人情報の漏洩だから多少の処分を受ける可能性はある。ま、ちょっとしたもんだろうけどね。

「昔とちがって、今、そういうのはめちゃくちゃ厳しいんだよね」

世間の常識から考えると、ちょっと腑に落ちない処分事例も色々あり、たとえばセクハラなんてのも、かなり微妙な、ちょっとした発言だけでも、場合によってはだめみたいである。昔はいいが、今はかなり厳しいってのもあるみたいだ。よくわからん。

しかし、これがプライベートか勤務中かどうかでは話が違う。まあ、これはあたりまえか。

それにしても、夫がやたら悲観的だったのは、実は、訳の分からない事態にあって、精神的に追いつめられてたせいだけだったようだ。

一見、それほどとは見えなかったから、あんまり気づかんかった。

何度も警察に行ったりするのは、忙しい夫にはしんどかったのだろう。ただでさえ、忙しい三学期だし。

しかも、私も知らんかったが、どうも夫は、「人間というものは、話せばわかる」と思っている人間で(なにせ教師だから)、いくらファッションがアレで、言動も問題があるヤツでも、あれもきっと悪いヤツじゃないと思っているので、そんな相手に「こんな理不尽なことをされてしまった」というのが最大のショックだったようだ。

口ではそうは言わないので、これも憶測。
ま、男だから。

けっこう平気そうに見えて、実はかなり傷ついているというのは、あるのかも。しかし、嫁はんにもわからんつーのはどうなんかな。ま、それほどの自分のことをあれこれしゃべるタイプではないからねえ。

しかし、たしかに悪いヤツじゃないかもしれないが、世の中には、アホな人もいると思うけどな。

03/22/2008

困った時にも書くことは、考えること

3月21日(金)

警察での一件で、昨夜からずっと寝つけず、明け方まで起きている。

朝9時半に、警察の担当者から電話。
丁寧だが、どこか冷たい感じのする若い男性の声。

今から警察に行くから、話を聞いてくれませんかというと、
すでに調査が終わった件だから、あなたの話を聞く必要はないし、忙しいから電話で聞くとのこと。

少し話をしてみるけど、けんもほろろ、な感じ。
「あなたが関係した客観的な証拠がなく、ご主人の器物破損行為も明白だから」
などという。

それでも話していると、「上申書」でももってくれば受けつけるという。

「上申書」?

なるほどと思って、とりあえず、昼までにあわてて書いて持って行く。
あわてたので、かなり内容にまとまりがないが。

昼から仕事へ行く。

夜、さすがに少し落ち着いてきて、パソコンで、いろいろ調べたりする。
それから、これまでの経緯を整理して、もう一回、よく考えてみようとする。

あれこれ書いているうちに、かなり冷静になってきて、今まで気づかなかったことがアレコレ見えてくる。
冷静に考えてみると、この一件にはやっぱり何かしら奇妙な点がいくつかあるような。

なるほど、「書く」ということは、考えを整理するということである。

まず昨日、私が大きな精神的なショックを受けた直接的な理由を今あらためて考えてみると(ま、もともと断続的に精神的な苦痛はずっとあったのだが、昨夜はもっと特別)おそらく「父との会話」なのである。父との会話の中で、私はショックを受けたのだが、それは、
「父もなぜか共犯さえもならなかった」
ということなのだった。

実は、もともと問題になっている古いブロック塀というのは、私の父の所有物で、うちの夫のものではないのである。で、ブロック塀が危ないから、「柵」と「門柱」の工事の際に上部だけ除去しておいてくれと言ったのは、この父であり、さらに私なのである。だいたい所有者である父が指示しなければ、そもそも夫だって勝手に工事をするわけがない。まあ、工事の際にも危ないからどけましょうと大工さんも言ったりしてたが。

で、この大工さん。実は、この工事の施工をしたのは、父が紹介した工務店である。こういったことをあわせて考えれば、最初から父の指示があって、夫はただ当日、門柱の工事のために、たまたま立ち会っただけであることが明らかである。だから、少なくとも父は共犯になるんだろうなと、私は考えていたのである。ちなみに、本来、最終的にブロック塀の撤去を指示したのは私なので、本当の主犯は私のはずなのだが、これは今のところとりあえず警察としては認めてもらえそうにないのである。

つまり、ブロック塀の所有者は父であり、父の指示もあきらかなのだから、父が「主犯」ないしは「共犯」になるんだろうなと、私は考えていたのである。こういった状況をあわせて考えたら、ふつうに考えて、夫だけが単独で被疑者になれるはずがない。

それなのに、父が共犯にさえならないのは、常識的に考えると、ちょっと妙なのである。たしかに相手に訴えられているのは、今のところ、夫だけなのだが、父こそがブロック塀の所有者であり、実際に工事をした工務店も父の紹介なのだ。何度も言うけど、夫は、たまたま立ち会っただけである。

私自身は、感情的になりやすい、落ち込みやすい性格だから、たとえ「主犯」であっても、取り調べやらになかなか耐えられないだろうし、夫や父に「おまえは出なくていい」と言われても当然なのだが、なぜ父まで共犯にならないのだろうか。

昨日も、そのことを父に聞いてみた。
「お父さん、本当に、警察でちゃんと話をしたの?」
「したで。もちろん、ちゃんと説明したで。あの塀が危ないから、門柱の工事をするねんやったら、ついでにどかしといてくれ、って、ワシがゆうたって。ほんで、今、敷地の境界線でゴチャゴチャ言われとるから、ややこしいから、下3段だけは残して、上だけどかしとけって。ワシがゆうたって、警察でも説明したで」
「ほんなら、なんでやろ」
「わからん。ワシがちゃんと承認したってゆうたんやけどな」
「え、承認?」
「うん、なんか調書、書かれてたからな。承認って」
「え、ちょっと、お父さん。『指示』したっていうのと、『承認』したっていうのとでは、ちょっと意味が違うねんで。そういうこと、わかってる?」
「え、違うんか?」
「全然ちゃうやんか」
「そうか? どこが違うんや。でも、ワシも、『工事してエエ』と思とったんやから、ちゃんと承認しとるやろ」
「いやいや、お父さん。指示したっていうたら、お父さんが主導的に指示ってことやけど、承認したってのは、ただ認めただけやって意味や。ぜんぜん違うと思うで。立場が逆転してしまう」
「そうなんか? そんなん、ワシには、さっぱりわからんわ。ただ、警察の人が『承認されましたよね』ってゆうから、はい、しました、ってゆうたんやから」
「たぶん、それやから、共犯にもならへんかったんやわ」
「いや、でもな。ワシも、それはおかしい思ってんわ。ほんで、警察の人にゆうたんや。こんな古いブロック塀をちょっとどけただけで、犯罪なんやったら、『ほんなら、ワシも、これで共犯なんですわな』って、ゆうたんや。でもな、『それは無理ですね』って、ゆわれたんや。警察の人に」
「は? 無理!? 何が無理?」
「なんか知らんけど、老人は無理やって」
「えっ、老人やから無理?」
「うん。なんか知らんが、ワシは老人やから共犯ってのは無理なんやと」
「え、ちょっと待って。お父さんが年寄りやから共犯は無理やって言われたの? なんで?」
「そんなん、ワシは、知らんがな。せやけどな、警察の人がそう言いはったんや」

……という会話が昨日あったのである。その時は、自分だけでなく、父すら共犯にならなかったという事実だけで、精神的に負い目がある私は強いショックを受けたのだが。

しかし、これ、今、冷静に考えてみると、もしかするとこういうことなんじゃないだろうか。

警察としては、おそらく私の父が高齢者だから、わざと、あるいは、無意識にハズそうとしようとしたのかもしれない。どうもそんな気がする。しかし、それは、もしかすると、高齢者だと検察とか裁判で肉体的な負担が大きいだろうということで、無意識に善意で考えたためかもしれないのだ。

ということは、一方で、起訴される可能性がかなりあるということでもある。

ふつうに考えれば、これくらいの軽微な過失である。刑事事件であっても、せいぜい不起訴か、あるいは起訴されても猶予とかがつくもんかもしれない。私は、法律にはまったくうといし、そもそも今は相手の言い分が全くわからないから何とも判断できないけど、しかし、とにかく起訴される可能性はある。

で、夫の職業が高校教師でなければ、たとえ起訴されてもそれほど問題にならないかもしれない。しかし、どんな軽微な過失だったとしても、おそらく刑事事件で起訴されたら、公務員である夫は、おそらく停職くらいにはなるはずである。そして、高校教師というには、一般的に見て、社会的な信用がかなり重要な職業なので、たとえどんなに軽微な過失であっても、起訴猶予がついたとしただけでも、充分にダメージになるのである。

ここまで考えて、もう一つ。

もっと重要なことに気がついた。いや、今までぜんぜん気がつかなかった方がおかしいんだけど。

夫の話では、問題のブロック塀の工事がはじまってすぐ、不動産屋がとんできて、『なにやっとんねん、警察呼ぶぞ』と、来るなりいきなり言ったのだそうだ。問題のブロック塀というのは、念のため、最初から下3段は残しておくつもりだったわけだから、撤去するつもりだったのは、せいぜい10〜20個だろう。それを撤去するのに何分かかるんだろう。

たしか夫の話では、「まあ、工事が始まって、たぶん20分くらい、せいぜい30分以内だった」と言っていた。しかし、例の不動産屋の事務所は、たしか市内にあるはずなのだ。それなのに、なんで20分で来れるんだろう。たまたま近くにいたのか? まるで見てたかのような素早さである。いくらなんでも、ちょっと早すぎるんじゃないか。

「近所の人から電話で教えてもらったんや」と言っていたそうなのだが、実は、この近所の人からの連絡というのも、思えば、ちょっと妙なところがあるのだ。

実は、この人、うちとも敷地が隣接しており、さらに隣の敷地とも隣接している。また、この人は、うちと不動産屋さんとの境界線問題を知ってから、急に自分の敷地とうちとの境界線について、いろいろと言ってきた人なのである。また、これは何年も前の話だが、反対側の敷地に住む人とも10センチくらいの境界線のことでちょっとしたトラブルがあったという人なのだ。ちなみに、この人、どうやら不動産関係の仕事をしているらしい。

そういうことか。

つまり、夫が公務員であり、とくに高校教師という社会的な信用を重視される職業であることを知っていて(もちろん知っている!)、おそらく計画的に、わざわざ、狙っていたのである。こういう立場なら、どんな軽微な過失でも、少しでも起訴か起訴猶予になる可能性があるというだけで、精神的な苦痛は充分に与えられるわけだから。(実際、私にはものすごく心労)

そう考えれば、他にも思いあたることがある。

隣の敷地はずっとただ更地のままで、囲いもせずに、ほったらかしにしていたくせに、この事件のあと、急に隣の敷地に囲いができたのである。工事現場で使うオレンジ色の簡易な柵だが、なんであわてたように急に作ったのだろうと思っていたのだ。

たぶん、こういうことである。隣の敷地は更地で、まったく囲いもされてなかったために、毎日のように近所の子供たちが遊んでいた。さらにこのブロック塀は、ほんの縦1〜2列だけ細長く残されていた。このような状況だから、子供たちがボールを当てたりして、危なくて仕方なかった。で、ブロック塀そのものは、うちの敷地内にあり(まあ、まだ敷地境界がモメているので、敷地内ではなく、境界線上だと言われるかもしれないけど)、しかも玄関の真ん前にあたるため、近所の人からも「うちの塀」だと認識されていて、遠回しに注意を受けていた。さらに門柱と道路側の柵の工事も、その塀がそのままではジャマだから、工事するのが困難だった。

こういう状況だから、うちの新築工事が完成してからも、門柱と道路側の柵の工事は進んでなかったのだが、すでに居住している住宅に、いつまでも門柱も外灯もないというのは、あきらかに不便である。しかも、うちは以前、庭に置いてある自転車が盗難にあったし、さらに寝ている間に1階に泥棒に入られたことさえあるので、道路側の柵もないと防犯上も不安。加えて、子供たちが遊んでいる更地を囲いのまま放置して、そこで老朽化したブロック塀が日常的に危ないとなれば、あとは遅かれ早かれ、うちが工事をせざるを得ないというのは、おそらく時間の問題なのである。しかも、相手はそれまで塀の所有権を主張したことはなく、8割がた撤去した時に何度来ても何も言ってなかったのだ。つまり、うちが「自分の塀だから、撤去しても大丈夫だ」と認識していることもよくわかっている。

これって、利害関係にある人に対し、公務員という職業を利用して、わざと狙い、軽微な過失につけ込んで刑事告発して、それによって精神的な苦痛を与えるという、巧妙な脅迫的行為なのだろうな。しかも、かなり計画的な。

少し冷静になって、状況分析をしてみたが。

しかし、どう考えても、あいかわらず夫だけが不条理な刑事告発を受けていることは事実。

しかも、私には今どうすることもできないらしいというのも、また事実だったりする。

03/21/2008

警察署で、つい泣いてしまった

3月20日(祝)
いつもなら子どもたちと楽しく過ごしている祝日だが、今、私の気分は最低。

夫は、
「仕方ないよ。ちゃんと暮らしていても、人間、こういう目にはあうこともあるものなんだよ、きっと」
と言って、昼からは、子どもたちを連れて買い物へ行く。なんだかんだで、タフな人なのかもしれない。

そりゃ、考えてみれば、世間では、どこぞの痴漢の冤罪事件で、エライ目にあわされた人もいたらしいし、これくらいありふれたよくある話なのかもしれない。いや、冤罪なんかにくらべれば、今回の件はこちらにも多少は非があったことなのかもしれないわけだし。

なににしろ、当事者の気分というのはただごとではない。

でも、とくに今回のことは、私がもともと原因をつくったに違いないから、めちゃくちゃ心理的にツライのである。

子どもたちと夫がでかけてしまった後も、落ち込んだまま、ずっと一人で家に閉じこもる。

先週は、さすがに少し苛立っていた彼だが、もともと穏やかなタイプで、今回の件も私のせいだとはまったく言わない。それが、むしろかなりしんどい。

夜になって、実家に相談に行く。驚いたことに、実家の父も、警察に呼び出されたらしい。そう言えば、だいたいうちを建てた工務店も、私の父の紹介だったのである。その工務店の担当者が、
「危ないから、早くあの塀を撤去しましょう。別に問題はないでしょ」
と言ってたのだ。

まあ、そもそもアレって、ずっとうちの塀だと思ってたから、問題があるなんて,誰も夢にも思わなかったもんねえ。

父と話しているうちに、どうにも耐えられなくなってくる。

で、9時頃、とうとう家を抜け出して一人で警察に行く。

原因をつくった私自身がなぜかまったくの部外者になっていて、ぜんぜん「当事者」ではないというのがどうにも耐えられないのである。

とくにあの塀の件は、ずーっとジャマに思っていて、頼み込んだのは私である。だいたいただでさえ、壊れかけた塀に、近所の子どもたち(中学生の男子グループ)がサッカーボールをぶつけてあそんでいたのである。道路側の塀もないから、すぐ近くの長屋に住む小さい子(5歳くらい)だってしょちゅううろうろしている。危なすぎる、のである。

それに家が建っても、庭がそのままなのを見て、近所の人まで、
「どうするの」
と、言ってくる。だいたい玄関のまん前である。
ほっておいたら事故になって、そっちの問題が起きかねない。

だって、そもそも私が犯人になるべきことなんだから。

しかし、せっかく決心して行ってみたら、あいにく鶴見警察署は、今ちょうど建て替え工事中。横にプレハブの事務所があって、そこに明るく電気はついているのだが、入っていいものか、ちょっと迷う。かといって、精一杯決心して、なんとか駐車場まで来たのに、ここで引き返すのもイヤだし。

で、警察署に入っても、うまく説明できず、どうにもわかってもらえるかわからないので、つい涙声になってしまう。私は、自分のことだけなら耐えられるのだが、誰かがからむとつい涙が出て泣いてしまう。メンドクサイ性格だが、こんな話は、平気な顔で話せるもんでもない。

それで心配したのか、女性の刑事さんにかわってもらって、ようやく話を聞いてもらえることになった。しかし、まだちゃんとうまく話をできないうちに、急に中年の男性が横から入ってきて、
「その件はね、もうすでに両方から話を聞いて調べがついていることなんですよ。それに今は、その件を扱っている担当者がいないしね。とにかく今日は帰ってね」
と言われる。

「じゃ、私はどうすればいいのですか。もともと私が言い出した件でこんなことになってしまっているのです。全部、私のせいなんですよ」
と言うと、
「ま、そういうことは、もし調べて必要があれば、奥さんに後日連絡しますよ。必要があればね」
と言われる。

しかし、すごく決心してわざわざ警察までやってきたのに、きちんとうまく説明もしてないうちに、
「はいはい、とにかく帰って」
みたいに言われると、めちゃくちゃ困ってしまう。

どうしたらいいかわからずに、
「あの、それは、そちらから電話をもらえるってことなのですか?」
と聞いてみると、
「いや、必要があれば連絡しますってことです。必要があればね」
と言われる。

「あの、私の話を聞いてくれるんですよね?」
と言ったのだが、
「いや、それも、必要があれば」
と言う。

うーん、よくわからないが、どうも追い返したいだけ、という感じもする。

ま、ややこしいことには違いないんだけど。
そりゃ、考えてみたら、もうとっくに夜中だもんねえ。
それ、つい今まで、ぜんぜん考える余裕がなかったけど。

しかし、先週からずっとあれこれ心痛が続いている私には、明日、仕事帰りにちょっと寄って冷静に話をするっていう余裕はたぶんないしなあ。

しかも、どうやらこの調子では、私の話ってのは、ちゃんと受けとってくれないつもりみたいなのである。
もしかすると、まったく相手にされてないのかもしれない。

どうしたらいいのだろう。

「必要があれば、連絡します」
では、いつまで連絡を待てばいいかもわからないので、かなり困ってしまう。そりゃ、担当者がいないと、誰だってどうしようもないんだろうけど、せめてもうちょっと話を聞いてくれればいいのに。

しかし、どうすれば。

すると、気をつかったのか、若い女性の刑事さんが、
「じゃ、明日、電話してもらいますね。朝9時以降になりますけどいいですか」
とやさしく言ってくれる。

ようやくホッとして、
「もし電話がしてもらえるのなら、直接、私のケータイがいいです。夫は、ここに来ることを快く思ってませんので」
と頼んでみる。

明日、ちゃんと電話かけてくれるのかなあ。

原因をつくっただけに、私は、ちゃんと当事者になれたら、それだけでずっと気がラクである(だって、ホントは、主犯なわけだし)

ちゃんと「犯人」と認めてくれなくても、せめて夫婦で「共犯」にしてもらえないかしら。だって、このままじゃ、あまりに耐えられない。

実は、私の実家の近くに、今の家を建てるってこと自体、そもそも夫は長年、ずっとイヤがっていたのである。なにせ男としては、妻の実家の側には建てたくないらしい。一応、長男だしね。

それなのに、この土地を借地にして、建ててもらったのは、仕事をしている私が実家に子供をみてほしいから、それを無理矢理、頼み込んだからである。

ああ、全部、私のせいだしなあ。

けど、それも前途多難みたいである。

「犯人」なのに、犯人にもなれないとは。
ある意味、せっかく夫がかばってくれてたわけたのに、こういうのは変かもしれないが。

しかし、この1年あまり、例の不動産屋の人にずっとビクビクして暮らしてたのに、この先、また何年も裁判とか、やんないといけないのかなあ。

夫の職場にはすでにちゃんと相談しているらしいのだが、なにせ固い職場なので、それも心配。それが相手の狙いなんだろうけどなあ。

03/20/2008

事態はさらに深刻に

3月19日(水)
朝から小説講座の事務所。遅くまで事務作業。

例の不動産屋の件で、今、かなり深刻な事態になっている。

しかも、これは私の責任である。もしかすると、ある意味、私が毎週土曜に、小説講座などの仕事をしているせいかもしれないのだから、個人的にはめちゃくちゃ落ち込んでいる。

実は、夫が、例の不動産屋から「器物破損」で訴えられて、
「刑事告訴されるかもしれない」
というのである。

例の不動産屋の件は、ますます深刻になってきたのであった。

「で、オレが刑事事件の被告になると、公務員だからたぶん停職処分を受けることになるだろう、と警察の取り調べで言われたよ。場合によっては、仕事も辞めなくちゃいけないよって」
と言うのである。

がーん。

ずっと、きちんと暮らしていて、ちゃんと善良な市民のつもりであったのだが、まさか、こういうことになるとは。

それに、実は、この「器物破損」……

わずか一列残っていたブロック塀の撤去なのだが、実は、早く取り壊してくれと頼んでいたのは本当は私なのである。だって、壊れかけたブロック塀が一列だけ支えもなしで立っているだけだし、近所の子どもたちがわざとサッカーボールなどを当てるもんだから、危なくて仕方なかったのである。

うちの玄関の真ん前にあるし、住宅が完成しても門を作ることもできなかったので、再三、私が早く撤去したがって、すごく頼んでいたのだった。うちの夫は境界問題がこじれていることもあって、もともとあまりやりたがってなかったのだが、住宅を建てる時に、すでに8割以上撤去していたのを見ていても、その時は何も言ってなかったし、うちの工務店に相談したら、もう撤去しても問題ないだろうと言っていたので、とうとう撤去してもらったのである。ところが、急に、例の不動産屋がやってきて、
「器物破損やぞ」
と言われて、告訴されてしまったのである。

ずっとビビってたのは、こっちなのに。

平日なら、私が工事に立ち会うべきだったのだが、なにしろ見かけからしてちょっと怖いし、結局、工事が土曜日になったので、私の代わりに夫に対応してもらっていたら、なんとまあ、その結果がこの状況である。ああ、どうしよう。

彼は今、高校教師だし、公務員なので、これが刑事告発されると停職処分というのはどうも事実らしい。で、もちろん検察で不起訴になる可能性もあるけど、こんなことでも場合によっては、起訴されてしまう可能性もかなりあるらしい。

うーん。まさか、こうなるとは。

これまでの経緯から考えると、相手はそれらをわかってて、わざとイヤがらせで訴えてるようである。

夫は、
「まあ、あの土地は、なにせ事故物件だからなあ(自殺の一件のこと)。なかなか売れないんで、どこか八つ当たりでもしたい気持ちはわからなくはないけど、こんなエライ目にあわされるとはなあ」
と言う。

けど、私は、そんな「気持ちがわかる」なんてことはホントまったくないのである。なんでこんなことをするのかわからない。まあ、境界線でごねているわけだから、なにかしらのメリットはあるのだろうけど。

しかし、私が言い出したことで、今、夫だけが訴えられているのがツライ。これって、ホント、かなりしんどい。

昨年のテレビ出演で家の新築が知られてしまったりしたので、知人にお祝いを言ってもらったりしたのだが、ちょっと泣きたくなる。なんだかんだで、庭なんか、まだまったく手つかずだし。

実をいうと、先週の「はじめての家出」も、コレのせいである。

正直、告白すると、私は、二十代前半に、かなり深刻な自殺願望があって、もともとひどく落ち込むと、夜、じっとできずに徘徊するクセがあるのだ(もともとは死に場所を探すためだが、繁華街を徘徊するうちに自殺願望がおさまる)、ま、当時もたいていは夜明けまでには帰宅するから問題はないので、最初から外泊するほどじゃないんだけど。

というわけで、正直、今かなり心理的にギリギリなので、ホントは、仕事どころではなかったりする。
でも、夫には「気にしてもしょうがないから、気にするな」と言われているので、ちゃんと仕事はするのである。

日中はなるべく気にしないようにはしてきたつもりだけど、「おまえは気にするな」と言われることで、なんだか余計に追いつめられたようなツライ気分である。


03/19/2008

今日から新人スタッフ

3月18日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

今日は、ニューフェイスあり。新人スタッフに来てもらって、はじめて事務補助をしてもらう。

現在、小説講座などの講義がある土曜には、とくにお手伝いスタッフがおらず、私一人で担当しているのだが、4月からアシスタントスタッフを募集することになったのである。

当面、土曜日の夕方、わずか3〜4時間のアルバイトである。しかし、できればたまに平日も一日くらい来てもらえるとありがたい。わりと簡単な業務である。けど、こういうのは、案外、なかなか引受けてくれる人がなかったりする。勤務時間が短いから、金銭的にはわずかにしかならないわけだし、土曜日の夜だから主婦では無理である。なんだかんだで、なかなかやってくれる人がいないのだ。

実際、事務所でやる事務作業というのは、コピーやら郵便発送だとか、ものすごく地味な作業だけだし、講座運営というのも、一見、ものすごくラクそうに見える。いや、実際、たいした仕事はない。教室運営も、当日は先生に教室に来てもらって、講義をしてもらえばいいだけだから、誰でもできそうな作業(手を抜けば、いくらでも手を抜ける)

しかし、一般の人にお願いするというのは、けっこう難しいのである。ちゃんと講座のことがわからないと、生徒さんからのカンタンな質問にも答えられないし、講師の顔も知らない。内容についてもよくわかってないから、結局、手伝ってもらうといっても簡単ではなく、もし手伝ってもらうとなっても、たぶん慣れるまで1年くらいかかってしまうのだ。

しかし、小説講座も、今年で十年目。ずっと毎週土曜の講義は、私が教室の担当をしてきて、これまでに休んだのは十年間でわずか2回だけである。そんでもって、下の双子の娘がちょうど十歳だ。3人の子どもたちを抱えて、自分でもようやるわと思う(たぶん本当にエライのは代わりに子守りをしてた夫かもしれないが)

経営的にはそれほどラクではないし(もともと営利団体のつもりがないので、運営費もギリギリ)、独立して3年間はとにかくなんとか私一人でがんばろうと思っていたのだが、おかげさまで無事、独立して4年目になった。もともと小説講座そのものは、十年やっていて、一度も赤字を出してないわけだから(まあ、黒字もあんまりないが)、なんとか続けていけるメドは立っているのだけど。

しかし、もともとフリーランスでライターをやっていた私としては、小説講座の事務局でずっぽり常勤をやっていると、正直さっぱり自分の仕事はできないうえに、かといって、ここの事務所の人件費がたんまりあるわけでもないから、収入的にはがっくり減ってしまって、個人的にはそろそろかなり苦しいのであった。

というわけで、そろそろ私の代わりができるようなスタッフにちゃんと手伝ってもらいたいなと思っているのだが、現在、来てもらっている他のスタッフは、できるだけ印刷だけの仕事がよくて、講座の担当はあまりやりたくないらしい。

ま、一応、それなりの人数を相手にする仕事だから、接客業というほどではないが、好き嫌いはあるかもしれない。やっぱり多少の慣れはいるかもしれない。でも、うちの講師の先生とか生徒さんは、基本的にみんないい人ばかりだから、私なんか毎週土曜日は「気持ちはデート気分」で会えるのが嬉しいくらいなんだけどね。

しかし、思えば、私も十数年前、最初に「大阪シナリオ学校」の「演芸台本科」の講義を担当した頃はかなり気疲れした覚えがある。

何が気疲れするかと言うと、実は一番の不安というのは、ちゃんと講師の先生が来てくれるかどうかなのである。教室を運営する立場としては、講師が遅れてきたらどうしよう、欠席したらどうしよう、が一番の心配である。幸い、今やっている小説講座は、この十年、まず予定変更はほとんどないのだが、実は「演芸台本科」や「脚本科」は、直前の変更がけっこう多い。

うちの小説講座も同じなのだが、シナリオ学校でも「講師は現役バリバリの現場のプロ」にこだわって、そういう忙しい人にちょっと無理を言ってお願いしているのである。小説講座の講師の先生たちはみんな作家さんばかりなので、急な予定変更ということはまずないけど、「演芸台本科」や「脚本科」の先生たちは、忙しい放送作家とか、映画監督とか、テレビディレクターばかりなので、講義が変更になることがしばしばある。たとえば、スタジオの撮影が思った以上に時間的に伸びたとか、あるいは、ロケから帰って来るつもりが渋滞に巻き込まれたとか。

あるいは、めずらしいケースだが、特殊な事情(突発的な出来事)があったとか。実際、あるタレントが不祥事を起こして、そのタレントが出ていた番組で収録済だったものが放送できなくなってしまい、大急ぎで別のものを撮影して番組を作らなくちゃいけなくなった……ということがあり、講師としてきてもらう予定だった放送作家も「明後日の夕方には放送する予定だったヤツが急に放送できなくなった」ということで、急に局に呼び出されて、急ぎの番組制作。で、講義が来れなくなったということがあった。

しかも、これがけっこう有名な人気タレントだったので、関西のテレビ局のあちこちに影響が出てきたようで、うちの講座に来てもらっている他の講師の多くも思いっきり影響を被ってしまい、代講者がなかなか見つからない。たしか、「明後日の講義にも、たぶん来れそうにない」と電話を受け取ってから、あちこちに電話をかけまくり、やっと代講してもらえる講師を見つけた覚えがある。

こういう場合、休講してしまうのが一番ラクなのだが、うちの生徒さんたちは、ほとんど社会人で、遠方から週一回、仕事の都合をつけて来る人が多いので、直前に急に休講するというのはかなり難しいのである。メールや電話で連絡をとろうとしても、全員つかまるとは限らないし。

その点、小説講座の講師の先生たちは、ほとんど専業作家で、よほど出版バーティとか重なったりすれば別だろうが、まず予定変更というケースがほとんどないのでものすごくラクである。

しかも、シナリオ学校の頃は、
「ある番組でスタッフが足りなくなったんだけど、生徒さんの中で、誰かやる気のある人を紹介してくれないかな。明後日までに連絡ほしいのだけど」
とか
「こういう番組をやりたいので、誰か台本を書ける人がいれば、急いで紹介して欲しいのだが」
とか
「番組で新しいコーナーをやるので、このタレントで何か面白い企画をたてて、できれば企画書が来週までに欲しい」
なんかも、急な連絡だったりすることが多いので、これも大変だったよな。

小説って、そういうのがほとんどないもんね。ライターでは「紹介」ってのがあるけど、そこまで急なのは滅多にないし。それに演芸とかシナリオのクラスだと、なんだかんだで見なくちゃいけないテレビ番組とか映画とか舞台の数も、並大抵な量じゃなくなるからけっこう大変。講師をお願いする関係で、一応、その放送作家などが関わった番組はちゃんとおさえておく必要があるのだが、毎週、違う講師が週替わりに来るので、その分、チェックしとくべき番組が増える。実際、創立50周年を越えるシナリオ学校の講師や卒業生が関係するものとなると、信じられないくらい、めちゃくちゃいっぱいあるのである。

それに較べると、小説講座の講師なら、せいぜい本を読むくらい。もちろん二十人ほど現役のプロ作家ばかりなので、毎月のように講師の本が書店に並んでいるから、それなりに全部読むのもかなり大変だけど、それでも絶対量は少ない。大阪制作のテレビ番組のすさまじい量に較べれば、まだ量がな少ない。

というわけで、私にとっては、小説講座の講座運営の仕事は、シナリオとか演芸台本科に較べれば、よーっぽどラクなのだが、なかなかやってくれる適任者がいないのだった。

というわけで、新人スタッフにとても期待している。丁稚どんもそうなのだが、かなり作品を読む力があるタイプの人だと思うので、私があれこれ判断に迷ったりした時に、ちょっと相談にのってくれそうなところも期待。

せめて半年、続いてくれるといいけどな。

03/18/2008

小説とは関係のない休日(継続申請のこと)

3月17日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

先週、大阪NPOプラザの継続使用申請の面談があった。

うちの事務所があるのは、「大阪NPOプラザ」という公設民営のボランティア施設で、NPOの活動支援施設である。ここには、いろいろなNPO団体が入居している。今、使っているのは、インキュベータースペースという、20〜30団体が入っているところで、4月からも継続使用の申請をしているのである。

今年度からは「サポータ−制度」ってのもあるので、2階のサポーター団体の人と一緒に面談を受ける。小説講座の運営をやっているので、ちょっと妙な団体と言えばそうなのだが、うちはこれでもボランティア団体というか、非営利団体なのである。
(作家育成なんて事業は、マトモにやればやるほど、どうせ儲からないと思う。しみじみ……)

人材育成、ほんでもって文化育成、国際貢献……(これはまだやってないが)

直接、人を癒したりするようなことはないが、小説家は、人を楽しませたり、笑わせたり、泣かせたりして、結局、間接的には、この団体は人々の役に立っている……ハズである。

それはデビューしたらって? 
うん、だから、そのうちね。

なので、面談では、
「こういう人材育成は、とても長期的な視野がいります。長い目で見てください!」
と、主張しておく。

一緒にいたサポーターの人も、
「いや、おもろい団体やと思いますよ。こういう人らもおらんとあかんのとちゃいますか」
と、熱く主張してくれる。

「それに、この人も毎日がんばってはるみたいやし」
「ほほう。なるほど、おもしろそうな団体ですね」
「そうですわ。この人も、なんや、おもろい人ですわ」(私のことらしい)
「ほんと、日頃の活動の話を聞くと、けっこう面白くて、まるでそれも小説みたいな…」
「ええ、そうですわ。ここ、小説みたいな団体ですわ」
……

なんだかんだで、きっと今年も、継続申請は認められると思う。

03/17/2008

小説とは関係のない休日(通信制大学)

3月16日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

通信制大学の話。

先日、ある少年に「通信制大学」の話をしたと、夫に話すと、なぜだか急に不機嫌になって、
「オレなら、通信制なんか、ゼッタイに生徒に勧めへん」
と強い口調で言う。彼は、高校の美術教師で、今行っている学校はまったく違うのだが、これまでに、やや「しんどい」ところに勤めた経験があり、生徒をちゃんと学校に出席させて、3年間なんとか卒業させるのにかなり苦労している。高校で苦労している彼が言うには、卒業生を見る限り、親の経済的な負担を別にすれば、実際、卒業という点だけ見れば、四大、短大、専門学校という順番で「ラク」なのだそうで(つまり四年制大学が一番ラクに卒業できる)、そういう立場から見れば、通信制大学は「ありえない進路」なのだそうだ。

「そんなもの、よほど強い意志がない限り、ちゃんと卒業できるわけがない。たとえ学費が安くても、卒業できなきゃ、ドブに捨てるようなものだ」

そりゃ、ま、通信制大学のいくつかは、卒業率が1割を切っているよね。

しかし、そこまで言わんでも。

ちなみに、私が通った高校は、のんびりした雰囲気で知られる、なんつーか、2流くらいの進学校だった。公立の共学校だったのだが、まるで学園ドラマみたいな、実にのほほーんとした学校であった。だから、高校の卒業が難しいという状況は、正直のところ、なかなか実感としてはよくわからない。私が通った高校は、当時の卒業率はおそらく98%以上である(他の選択肢もあるような今とは、だいぶ状況が違うが)。

生徒数も多い高校だったので(なにせ一学年500名以上)、それなりに、いろいろな生徒はいた。そう言えば、自殺をした生徒もいたし(直接、面識はない子だったので、実はよく知らないのだが、授業中抜け出して、高校の隣のマンションから飛び降りた)、複雑な家庭の事情があったりして、経済的な理由でバイトが忙しくて学校に通えない高校生もいたが、それでも、それほどは多くなかった。

あまり認めたくはない事実だが、親の経済状況というのは、どうしても子供の学力に影響する。勉強どころではない家庭環境というのは、あるところにはたくさんあるのだが、小中学校でも私立だとか、高校でも進学校だとか、そういうところには、そういう苦労なんか知らない子が集まるもんなのである。私は、ずっと地元の公立だったのだが、小中学はまだそういう子どもたちもかなりいた。

おそらく今の子は、もっと格差社会に生きている。小学校からずっと私立で育てば、そもそもそんな子とは最初から友達にもならない。ってことは、最初からまったく知らないから平気、なのかもしれないな。

ちなみに、ただ知識として知っているのと、現実に友達としてつきあったりというのはどうもかなり違うようで、実をいうと、ごくまれに「子供の頃から私立育ち」の友人と話していると、私はたまにものすごい違和感を感じることがある。おそらく本人にはこれっぽちも「差別」しているつもりなんかないと思うが、社会認識とか「ちょっとそれは違うんじゃないか」と思ったり。しかし、まったく知らずに生きている人にいちいち説明するのも大変だしなあ。そういう人には、たとえば貧乏も現実ではなくて、なんつーかただの知識というか、抽象概念だったりするしな。いや、概念というか、テレビ画面のむこうの世界。なるほど、いくら学歴が高くても、仕事ができても、お嬢様育ちはお嬢様なんだなあと思ったり。

世間を知らないことを本人が知らないから別にいいのだろうけどなあ。きっと学歴社会でそんなこと知らなくても生きていけるように、わざわざ親が高学歴をとらせているのだろうな。そういや、日本の高級官僚もたぶんそういう人たちが占めているのだろうし、だから、いつまでたっても一般の人から見て、なかなか生きるのがラクにならず、さっぱり社会がよくならないように見えるのはきっとそういうわけなんだろうな。

私自身は、公立だったし、公立でよかったと思ってる。そりゃ、ちゃんと思慮深い人はいくらでもいるだろうが、私なんか単純だから、もし私立だったりしたら、今頃よほど世間知らずな、鼻持ちならない考え方の持ち主になってたろうし。

さて、それはそうと、通信制大学は、たしかに卒業率は悪い。が、それにはそれなりの理由がある。まず学費が安いし、入試もないので、安易に入学する人もけっこういる。偏見かもしれないけど、全日制の大学なら、とりあえず毎回、講義に出席して、そこそこ真面目に受けていれば、先生が単位をくれることが多い。
(真面目に出席してるのに、もし学生たちが理解できないんだったら、先生の教え方が悪いだけかも)

よほどサボらない限り、卒業はそれほど難しくない。通信制では、リポートを書くのも一人でやらなくてはいけないし(これは人によっては手伝ってもらえるけど)、テストも一発勝負。出席点とかないし、ダメなもんはダメ。それより何より学習スケジュール管理も自分でやらないといけないし、資料も自力で探さないといけないし。最低限のスクーリングもとらなくてはいけないから、働いている人なら職場に頼み込んで、休みをとらなくてはいけない。けっこう大変なのだ。

しかし、通信制でも大卒の資格はとれる。もともと書くことがそれほど苦ではないのなら、リポートを書くのもそのうち慣れるだろうし、実際、フリーターをしながらスクーリングに通って大卒の資格をとり、院に進んでから、教職についた子なんかも知っているので、人によってはオススメである。がんばれば、全日制の大学よりずっと安い学費で、卒業できるわけだし。むろん学歴がいらない職業もいっぱいあるから、必ずしも学歴にこだわらなくてもいいけど(だいたい小説家でも学歴はいらないと思うが)、しかし、大卒しか受けられない会社もあるし、やっぱり学歴が必要な職業もある。

通信だろうが通学だろうが、有意義に送ろうと思えば、やはり本人の心がけ次第ではないかと思う。いや、なんとなく通信制大学に長年在籍して、なんとなく卒業してしまった私が言うのは何だけど。

03/16/2008

小説を書く人の気持ち、読む人の気持ち

3月15日(土)
朝から小説講座の事務所。夕方から、専攻科、11期の講義。

11期のクラスは、教室実習。4月から後期授業が始まると、ほとんど実習もなくなる。今日の参加者は少なめだが、正直、人数が少ない方が実習はやりやすい。

専攻科のクラスは、本日はダブル長編。両方ともファンタジー系で、講師は五代ゆう先生。ただでさえ忙しい社会人が多い小説講座。とくに専攻科のクラスは、自分の興味のあるジャンルしか出席しない生徒さんが多い。今日はファンタジー長編だけだから、出席者はやや少ない。指導作品を事前に読んで来て、先生の指導を聞くのだが、長編だと読んでくるのがツライというのもきっとあるでしょうな。

講義前、教室の前のロビーで、先生とちょっと話。
「今日の生徒さんは、二人ともすでに大量に書いているプロ志望なので、今のうちに気がついたことがあれば、ビシっと指摘してあげてくださいね」
とお願いする。

「今日は、両方ともかなり書けている人だから、どっちみち、ちょっと厳しい指導になってしまうと思いますよ」
と笑う先生。講師の先生は、たいてい、ちょっと作品を見れば、まだ初心者なのか、それともすでにかなり書いている人なのかはすぐわかる。

実は、作品指導では、初心者の作品の方がホメられる。まだ本人が書き慣れてないので、講師の先生はもっと色々書いて欲しいと思うらしく、いいところを見つけて、ちゃんとホメてくれる。で、そこそこ書けるようになった人の方がつい厳しくなる傾向にあるのだった。這えば立て、立てば歩めの親心? 

しかし、多少言われるとすぐ「へこむ」心配もあるのが小説講座の生徒さんたち。2人の生徒さんのうち、女性の方はすでに作品指導も慣れているので心配ないが、もう一人は専攻科に入学したばかり。だいたい気のせいか、こういうのは若い男性の方がメゲやすいのである。しかも、この人は講義後の飲み会にも来ない人なので、私にはフォローしようがない。まあ、しかし、たぶんこのまま長編を何作も書き続けていると、たぶん労力がもったいないので、やっぱり一度は「試練」はくぐった方がいいだろうしなあ。これまでに提出された作品を見る限り、これは私の推測だが、おそらくうちの小説講座に入学前にかなり自分で書いていた人だろうし、たぶんちょっと妙なクセがついている。文章的にはほとんど問題がないのだが、なんつーか、やたら内容が……。たぶん展開とかプロットとかがたぶんかなり甘い……。

しかし、センスはいいし、年齢的にはまだめちゃくちゃ若いので(たぶん専攻科の最年少)、前途有望なんだけど、ここで足踏みしだすと後がしんどいしなあ。
(小説講座の担当者ってのは、こういうところで心労を重ねたりするのだった)

飲み会で、「専攻科の作品指導は、どうだったんかなあ」などと心配をしながら、11期のクラスのテーブルにいると、ある生徒さんから、
「私も、入学前にやたらたくさん書いていたんです。それで、なんかヘンなクセがついてるかもしれないと不安なんです。私、他の人の作品を見ても、あんまり文章のウマイヘタがわからないんです。作品集を見ても、みんな、それなりに面白いなと思っちゃって。どれがうまいとか全然わからない」
などと、相談される。

いや、別に、大量に書いて悪いということはまったくないわけで、私は、むしろ「とにかくたくさん書いた方がいい」と思っている。ただ、もしも問題があるとすれば、やたら書くだけで、まったく見直さずに書き続けてしまい、もはや「書き手の書きやすいように書く」クセがすっかりついてしまって、「読み手が読みやすいように書く」ってのが困難になってしまった、というタイプの人だけである。

しかし、たぶん料理を作るのが趣味というタイプの人なら、せっかく作るなら、やっぱり人に食べさせたくなるだろうし、まあ、たいていは食べてくれるような人がいるもんだろうと思う。でも、小説って、必ずしもみんな「食べてくれる」とは限らないからなあ。小説だと、たまに「誰もゼッタイ食べれないようなマズイ料理」をせっせと作っている人がいるのかもしれないもんな。まあ、料理だと、いくらマズくても食いもんは食いもんって面はあるのだが、マズイ小説ってのは……どうしようもないもんな。

うちみたいな小説講座に入学していないなら、やはり自分の周囲に、ちゃんと読んでくれる人がいた方がいい。「小説」で、こういう「うまいヘタがわかる」というのは、やはりある程度の読書量のある人で、しかも読書傾向が似ている人(ものすごく大量に小説を読んでいるけど、ミステリはほとんど読まないという人もけっこういる。もし、そういう人にミステリを読んでもらっても、おそらく適切な意見は得られないハズである)

たとえば、好きな服を好きなように着たい。普通の人なら別にそれでいいと思うのだが、やっぱり、人前に立つ機会が多いとか、仕事として人と接するという立場だと、どうしてもどう他人に見られるかを考えなきゃいけないわわけである。

つまり、ネットとか、同人誌とかで、好きに書くには何も問題はないけど、もしも商業出版をめざすとなると、最低限の数の理解者が必要になるわけ。でも、それでも、たぶん商業的に成り立つ程度の数があればいいわけなので、必ずしも全員に面白いと言われなくてもいい。そう考えたら、どの程度の「うまい文章」が必要かというのは、かなり微妙な問題と思う。

しかし、職業作家とすれば、たぶん誰だって、
「めちゃくちゃ売れなくてもいいかもしれないが、できればそれなりには売れたい」
(ま、それなりに売れなきゃ、もう出版してもらえんし)
と思うハズで、なるべく多くの人に読んでもらえるようにはするもんだよね。

とにかく、うちの小説講座では、どんな文章がいい文章かと言われたら、たぶん「ちゃんと読んでもらえて、面白いと言ってもらえそうな文章」がいい文章。だから、とりあえずめちゃくちゃウマイ必要はないかもしれないけど(それにこしたことはないと思うが)、少なくとも読みにくいのはマズイ。

どっちみち、自分の作品については、なかなか客観視できないだろうけど、他の人の作品を見てもどれがウマイかどうかわからんという場合は、もしかすると読書量の問題かもしれないけど。でも、11期も、どうせ後期はずっと作品指導をするんで、そのうち慣れてくると思うよ。

たぶん誰でも「見る目」はすぐに慣れてくる。もちろん実際にやれるかどうかは別としてね。

03/15/2008

鎖国と大大阪、野崎詣りと大阪論

3月14日(金)
午前中から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

新聞によれば、江戸時代の「鎖国」……っていうのが最近、日本史の学者さんの間で見直されているのだそうだ。「鎖国」というと、諸外国からまるきり隔たれていていたイメージがあるのだが、実際にはけっこう「開かれていた」と考える方がいいんだとか。江戸時代の文化などを見ると、たしかに「鎖国」というのも、どうも何か違うみたいだなあと思っていたので、そっちの方がしっくりするな。

で、ふと思ったことがある。

小説とは何の関係もないのだが、実は私、この2年ほど、ずっと『野崎詣り』に関心があった。
(ちょっと長くなりそうなので、関心のない人は読まないでね)
と言っても、上方落語『野崎詣り』ではなくて、関心があったのは、江戸時代に盛んだったというこの風習そのもの。当時は、徒歩と船での日帰り参拝。大阪の有名な行楽行事であったらしい。もちろん今でも「野崎まつり」ってのはあるにはあるのだが、まあ、こういっちゃなんだが、かなりローカル(大東市民には有名)

しかし、江戸時代の「野崎詣り」は、近松門左衛門『女殺油地獄』、近松半二『新版歌祭文』にも出てくるし、わりと有名だった(らしい)。『女殺油地獄』には、「徳庵堤の段」というのがある。野崎詣りの場面である。昭和初期に流行した流行歌「野崎小唄」にも歌われている。「野崎詣りは、屋形船でまいろ……」

さて、私が「野崎詣り」に関心をもったのは、この「徳庵堤」というのが「うちのすぐ近所」だと気がついたからである。ほんの数年前である。落語を聞いたことがあったし、女殺油地獄も知ってたが、徳庵堤が「どこか」なんていちいち考えたりしなかった。だって、「野崎」とか「徳庵」は、どこにでもあるありふれた地名だろうとしか思ってなかったのである。

(だって、誰でも子供の頃から知っているものというのは、みんなが知っていると思い込むもんだよね。ちなみに、私は「放出」は、「ほうしゅつ」と読むのだと教えられる前に、先に「はなてん」と呼ぶと思っていたので、あれが「難読地名」だとは言われるまで、まったく気がつきませんでした。だってカンタンな漢字だし。でも「杭全」は、難読だと思う)

その「徳庵堤」が、実は、自宅のすぐ近くの堤防であるというのを知って、私はかなり驚いた。だって、今はものすごい高い垂直のコンクリート堤防だからだ。4〜5メートルもそそりたっており、外見だけなら「刑務所の塀」という感じで、およそ美しい川岸という感じではない。ものすごく威圧感があり、しかも、私が子供の頃、当時このあたりの川は思いっきりヘドロだったのである。今はもうそれほどひどくはないけど、ちょうど高度成長時代の汚染のひどい時期には、ものすごい異臭がする川だったのである。真っ黒い川面に、ボコボコとガスを吐いてたからなあ。まあ、大阪の川はもともと流れがないので(河床勾配がものすごく低いのである)、当時、大阪中の川は、みんなどこもそんなもんだったはずだが、ホント泥の川である。

こんな川で、どうやったら、風流な「野崎詣り」が!? 屋形船!?

だから、けっこう驚いた。だって、違和感、ありまくりだもん。だいたい、このあたりは高度成長期に開発された住宅地で、地域の歴史に詳しいような高齢者と同居してる家庭も少なかったし、郷土史など誰も教えてくれない。
だから、
「こんな川で、野崎詣りができるわけないやん。なるほど、江戸時代にいくら盛んだったとしても、これだけ川が汚れたりしたら、すっかり忘れられた風習になってしまっても仕方ないなあ」
と思ったのだ。

つまり、なんとなく「川が汚れた」、だから「船遊びは無理」と思っちゃったわけ。

しかし、どうもそんなに単純なもんではない。データによれば、川の汚染は昭和になってからだが、それほど汚れが目立つわけでないようなのである。どうやら水質汚染が進んだのは、せいぜい昭和30年代かららしい。野崎詣りが衰退したのは、明治末期から大正だから、こっちの方がかなり先である。

そこで考えたのは、「鉄道」である。「鉄道ができた」から、「舟運が衰退した」)。ご存知のように、現在の大阪ではかなりの川が埋め立てられて、江戸時代に盛んだった舟運が衰退してしまっているのだが、これは、大阪にある川のほとんどが「人工水路」で、もともと商業的な交通路として作られたからで、鉄道や自動車が入ってくると極端に狭い市内の川は埋めるしかなかったという、大阪ならでは土地事情があったみたいなのだが、だが、しかし、これもどうも寝屋川周辺に関してはちょっと状況が違うらしい。

大阪では、市内の舟運は、なんだかんだで明治末期から急速に下火になったようなのだが、寝屋川では河内の低湿地帯を中心にあいかわらず舟運が盛んで、かなり遅くまで(どうやら戦後まで)、鉄道よりはむしろ舟運が盛んだったらしい。ま、「国鉄」の商売気がなかっただけかもしれないけど。

でも、あれこれ考えてみると、「野崎詣り」の衰退原因は、どうやらやっぱり鉄道らしい。ただし、野崎への鉄道路線(国鉄)ができたせいではなく、どうも南側の路線(近鉄)のせいらしい。

要するに、鉄道(近鉄)ができて、石切や奈良への参拝が盛んになったので、歩いて(または船で)日帰りコースだった野崎がどうやら相対的に衰退したらしいのである。ちなみに、有名な『野崎小唄』も、野崎詣りが下火になったので、宣伝のために野崎観音の氏子たちが依頼して作ったものらしい(未確認ですが)。この流行歌のヒットは、昭和初期だが、この時点ではすでに衰退しかかっていたのである。

ちなみに石切神社は、今でも参詣客が多く、神社前には百近い店(妖しい雰囲気の店もあり)、おそらく野崎観音よりは、年間を通しての参詣客が多いと思う。

てことは、ある意味、神社どうしの宣伝合戦、あるいは「国鉄」対「私鉄」の宣伝の結果とも言えるわけよね。

ところで、この「野崎詣り」だが、江戸時代の後期から急に盛んになったものらしいのだが、この背景にも宣伝合戦があったようだ。「西国巡礼」が盛んになったのが背景にもあるのかもしれないのだが、これはちゃんとデータがないので、実証はできていない。

で、何が言いたいかというと。

私たちは、ふと何かを見て、たとえば「文化の衰退」とか、あるいは「自然破壊」について嘆いたりすることがある。

たとえば、山の中の観光道路を車で走って、その道路の周囲にある木が妙に変色していたり、枯れているのを見たりする。

すると、
「ああ、道路のそばの木だけがやられている。きっと排気ガスだな。これこそ、自然破壊だな。嘆かわしい」
と思ったりするわけだ。
(むろん自分自身がまさに今、その道路を走っているってのは、とりあえず棚にあげておく)

ところが、自然破壊とか、環境破壊というのは、そんなに単純なものかというと、そうとも限らない。つまり、そもそもそれが何が原因で枯れているか、というのは、実はちゃんと調べてみないとわからないのだ。

さらに言えば、そもそも何が「自然」なのか、という問題があったりするのである。つまり、たとえば杉ばかりが植えられている山というのは、もともと「自然」とは言えないかもしれないのである。そういう山は、そもそもかなり「不自然」である。どこの広葉樹林帯かという問題もあるだろうけど、普通に考えれば、日本の近郊ならそういう自動車道が走っている山のほとんどがたぶん植林されているわけで、ってことは、すでに大規模な「自然破壊」の成果としての青々とした山だったりするわけである。

つまり、何が自然破壊かというのは、ちょっとややこしい。

で、「伝統の破壊」とか、「文化の衰退」についても、そういうことが頻繁に起こっているような気がする。とくに「大阪」なんかは、やたら「文化がない」とか言われていたりするのだが、これもどんなんかなと思う。カンタンに決めつけられているような気がする。ま、ケンミンなんとかっつー番組でも、大阪って、日本の中の特別なコーナーだったりするしな。あ、ピエロ役?

ところで、新聞によれば、「天下の台所」という呼び方も、「大阪市史」を編纂するために後年作られた言葉らしい。実は、私は、『大大阪』という言葉には、なんか「鎖国」に似たような、どこかちょっとした違和感とか、うさんくささを感じていたりするのである。いや、ノスタルジーはわかるのだけど、なんか、その言葉の裏に複雑なものがありそうで、そんなに単純なものでもないんじゃないかなと思うのである。

私は、なんか「大大阪」も、どうも違うのじゃないかとどこかで思ったりしている。いや、「『大大阪』みたいなもんは、実はなかったんじゃないのか」とは、まったく言ってない。だが、なんとなく、どこか「なんかちょっと違うかもね」「そんなに単純なもんじゃないかもね」くらいには疑問を感じているのである。

昭和初期の活気あふれる大阪。でも、明るいイメージだけじゃなくて、どこか軍国主義的な都市計画の匂いがする。そんなふうにずっと思っていて、私はどこかに違和感がある。これって、おかしいのかなあ。でも、「大阪に誇りを持とう。かつて大阪は『大大阪』と呼ばれていたのだ」みたいな話を聞くと、やっぱりうーん、と思ってしまう。そんな単純なものなんかなあ。なんか、どっか、違うんとちゃう?

大阪ってのは、たぶんノスタルジーよりも、何か違うものを大事にする傾向があるんだろうし、そういう「過去よりも今」とか、「歴史? そんなもんどうでもええわ」みたいな「態度」そのものには、なんとなく「伝統」すら感じてしまうが、それでも郷土史を教えるのに、なんか「大大阪」っていうのも。いくらバカバカしくても、「吉本」と「タコ焼き」と「グリコ」しかないって思われても、その代わりに「大大阪」ってのはどうよ、と思う。それって、ちょっとわからない。ああ、もしかして「東京」になれ、ってことか。

「誇り」ってのも、色々あってもいいと思うのだが、東京一極集中では、それも許されんのかな。

私は、大阪の文化論とか読むと、時々、ふと頭の中に、杉だけが繁っている山の光景が浮かぶことがある。「枯れてもいい」っていう生き方はないのかしら。

03/14/2008

ふとした家出の顛末

3月13日(木)
朝から小説講座の事務所。夜、9時半まで残業。

昨夜、深夜の地下鉄の駅構内で、さんざん迷った末、
「次に来た電車が、北行きだったら、深夜バスで東京に。南行きだったら、ミナミの『温泉』に行く」
という、いいかげんな決心をし、御堂筋線のプラットホームの階段を降りてみた。はたして、はじめての「家出」は、どっちにころんでも「温泉」なのである。

それから20分後。ミナミの24時間温泉施設で、一人のんびり湯船につかる私。ささやかな理由により、都市型温泉施設はなるべく利用しない主義(深層ボーリングによる温泉施設の乱立にやや懐疑的な立場だから)なのだが、ここは一番大きくて、草分け的な存在だし、一度くらい来てみようと思っていたから、ちょうどよかったのであった。「千円キャンペーン」中なので、深夜料金を入れるとあわせて2千円である。

しかし、平日のせいか、広い館内、女性用のフロアにはほとんど人がいない。リクライニングチェアが並んだリラックスルームには、学生っぽい数人のグループがしゃべっていたが、かなり空いている。さあて。たしかこの施設は、かろうじて黒字だったはずなのだが……とつい考える。思わず、人件費、光熱費など収支を推測してアレコレ計算してみる。

で、この時点でも、まだタクシーで自宅に帰ろうかしらなどと、しばし逡巡する。しかし、リラックスルームで見た「NHKスペシャル」(太陽電気パネル会社再建のヤツ)が面白かったので、つい深夜までテレビを見て、そのままウトウト。ふと気がついたら、もう7時半。

あわてて、もう一度湯船につかってから施設を出て、周辺をブラブラ歩く。天王寺まで歩いていくと、いわゆる簡易宿泊所だったはずの建物から若い女性が出て来たので、一瞬、驚く。看板を見ると、料金表にハングル。最近、東京でも外国人客が増えているそうだから、このあたりも多いんだろうなあ。

ゆっくり朝食を食べ、それからのんびりと出勤。ああ、自分だけのために使う朝って、気持ちいいのね。

毎日、家族のためにあわただしい朝を過ごしているので、一人だけで朝食を食べるだけで、なんか冒険した気分。実は今日、中2の息子の学校はお休み(卒業式があるため)。つまり今日は、「弁当」を作らなくていい日なのである。ね、母親というのは、「ふと思いついて家出」でも、ちゃんとそういう日を選んでいるのである。たまたま、じゃありません。いや、ほんとだってば。

ちゃんと仕事をして、夜遅くに帰宅。
「ママ、おかえり。家出、どうやった?」
と子供たち。
夫はちょっとばかり不機嫌だったが、どうやら1〜2日くらいならプチ家出しても、うちの家族はどってことなさそうだなあ。

次は、やっぱ、箱根かなあ。

03/13/2008

ふと思いついて家出

3月12日(水)
朝から小説講座の事務所。

夜、帰宅後、夫の機嫌がめちゃくちゃ悪い。日頃から穏やかで、滅多に機嫌が悪くなることもないような性格である。その彼がめずらしい。息子が眼医者に行かなかったとか。ささいなことで、どなったりする。こんなこと、数年に一度あるかないかである。職場でよほど問題か何かがあったのかと思ったのだが、どうも例の隣の敷地のややこしい不動産屋の件らしい。またもや警察に呼び出されたのだ。(イヤがらせで反対に警察に訴えられてしまっているのだ)

警察署というのは、よほどイヤなところらしい。前回も、いきなり取調室に入れられて高圧的に脅されたりしたんだそうだ。ま、そういうのも、うちの生徒さんたちなら、ミステリ志望だったりして、「ええっ、取り調べられたんですか! うらやましい! 私、取調室に一度入ってみたいんですよ!」などと言い出しかねないけどね。でも、あいにく、うちの夫は、ミステリなんかほとんど読まない人なんだよね。

例の件というのは、
「壊れかけた塀が危ないし、自宅も完成したので、そろそろ大工さんに取りのぞいてもらってね」
と私が言い出し、大工さんに庭の工事をしてもらってただけである。いつもなら、私が自宅にいたかもしれないが、その時はたまたま土曜日だったので夫が工事に立ち会っていたのだが、急にやってきた不動産屋が、
「その塀は、うちのや。誰に断って取り壊わしとんねん! 器物破損で訴えるぞ」
と言い、ホントに警察を呼びつけたらしいのである。もともと隣とは、10センチほど境界ラインでモメているので、おそらくイヤがらせだろうと思う。

しかし、けっこう大変である。

で、めずらしく数年に一度くらいの機嫌の悪さ。いつもけっして怒鳴ったりしない穏やかな人間がめずらしく子供にささいなことで当ったりする。ふと、これでこれほどのストレスなら、冤罪なんてのは大変だな、なんて考えたり。

そんなふうに機嫌の悪い彼を見て、ふと、フランク・キャプラの映画『素晴らしき哉、人生!』を思い出す。人のいい主人公がいよいよ追い込まれて、さすがに家族に当たり散らしてしまうシーン。あれを思い出したのだが(そういや、彼は片耳が聞こえにくいという共通点あり)、あいにく私は人間的にできてないようで、理由がわかっていても、あの良妻のようにはふるまうのが難しい。

なんだかんだあって、夫が仕事部屋にこもってしまい、そっと気にしないように子供たちとテレビを見ていたのだが、見終わってからもどうにもこっちの気分が落ち込んでくる。日頃、滅多に怒鳴られたりしたことがないものだから、たまにされるとちょっと頭に来るのである。子供たちを寝かしつけてからも、どうも寝る気になれない。

で、いきなり思いついた。突然だが、家出することにする。

あまりにもいきなりの思いつき。結婚以来、初めての家出である。

そこで、上着を着て荷物をもって、子供部屋へ行き、すでに布団に入っていた小4の双子の娘たちに別れを告げる。
「出てくるわ」
「ママ、こんな夜遅く、一体どこ行くん!?」
「ちょっと家出すんねん」
「えっ、なんで?」
「ほら、さっき、パパとケンカしたやろ」
「ケンカ? ああ、あれ? え、もしかして、リコン!? ママたち、別れんの!?」
「いや、そういうわけやないけど」
「じゃ、帰ってくるのん?」
「うーん。ま、そのうち帰ってくるよ」
「帰ってくるん? 帰ってくるんやったら、ほな、別にええけど、家出しても」
「そう?」
「うん。でも、なるべく早よ帰って来てな。だって、私、学校の制服のボタン、ちょっととれかかってるねん」
「ボタン?」
「まあ、まだ、ちょっとゆるくなってるだけやから、明日とか、大丈夫やと思うけど」
「ふーん」
「ほな、ママもがんばりや」
「……じゃあ、自分たちでちゃんと学校行きや」
「うん。大丈夫」
「じゃ、もう行くわ」
「うん。できたら、おみやげ買って来てな」
「えっ、おみやげ? あんな、コレ家出やねん。旅行じゃないねん」
「うん、わかった。じゃ、何も買わんでええわ。できるだけ早よ帰って来てな」
「うん、じゃあ」
などと話をする。

ふと、なんとなく切迫感がなさすぎるような気もしたが、それでも家出である。そっと玄関を出る。
門を閉めた時、夫の部屋からかすかに音が聞こえてくる。どうやらDVDでも見てるらしい。どうも『毒薬と老嬢』らしい。うーん。これは、よりによって、フランク・キャプラの、どうしようもなくバカバカしいコメディである(傑作。かなりブラックなんで、人によるけど)

彼は、私と違って、滅多にコメディなんぞ見ない人である(このDVDも、私のもの)

こういうものを見ないではいられない気持ちなのかと思う。

だもんで、一瞬、ものすごーく悪い気もしたが、私はもう荷物を持って玄関を出てしまったのであった。せっかく初めての家出である。すっかり気分はその気なので、これでやめるのもなんだよな、と思う。よく考えてみれば、それほどとくに腹を立てているわけではないのだが、一応、何もかもイヤになった気分というか、面倒くさくなったというか。ま、ちょっぴりだけど。

ま、どっちみち、あの子供たちは、母親が2〜3日おらんでもたくましく生きていくだろうしな。

で、とりあえず地下鉄の駅まで行ってみる。駅についたら、とりあえず電車が来たので、とりあえず電車にも乗ってみる。

しかし、どこに行けばいいのか、まったく行くアテがない。なるほど、こういう時、妻というものは、このようにどこも行くアテがないものなのだな、などと思う。

もしかすると、これって、「実家に帰ります!」と言うような場面なのかもしれないなあ。しかし、あいにくうちの両親は、いったん嫁に出した娘を、たとえいかなる理由があろうとも、けっして泊めてくれるような親ではない。ケンカしようが、たまたま遊びに来ただけだろうが、どっちでも無理である(事実、私は結婚以来、一度も実家に泊まったことはない)。うちの父にしたら、たとえたった一泊でも、大切な家族をほったらかして嫁が一人で外泊するというのはけっして許される行為ではないのである。

ちなみに、毎週土曜の夜、仕事をしている母親の代わりに、父親が子供たちに夕食を食べさせているという事実も、今でも、父は快く思っていない。たとえ週1回でも、主婦が不在で、夫に料理を作らせるってのは、うちの親にしたら、「まったくもって全然よくない行為」なのである。なので、今でもたまに実家に行くと、
「男が仕事に専念できないのは、妻の責任。文句も言わずに、ちゃんと料理を作ってくれるダンナ様によーく感謝しなさい(おお、まったくだ)。オマエのせいで、ダンナ様に恥ずかしいぞ」
などと言われる。
しかし、なんだかんだでこの小説講座も十年もたつのに、なかなかしつこい親である(どっちが)

さて、どこに行ったらいいのかわからないが、とりあえず地下鉄である。御堂筋線に乗り換えて、とりあえず梅田まで出ることにする。乗換駅に着いてから、どうするか、ちょっと考える。サイフを見たら、幸いなことに2万円ちょっと入っている(私はあんまり現金を持ち歩かないので、万札が1枚しかないことも多い)。これなら、泊まろうと思えばホテルに泊まれるなあ。安いビジネスホテルならば、2泊できる。どっちみち、クレジットカードもあるけど。

ふーん、専業主婦だとこうはいかんかも。いやいや、けっこう主婦の方がちゃんとイザという時のために貯め込んでたりするんだろうな。

さて、時計を見ると、そろそろ夜11時である。ホテル泊もいいが、今から電車かバスの夜行に乗れば、けっこう遠いところまで行けるかも、と、ふと考える。今からでも、JRバスの東京行きにならゼッタイに間に合うな(11時台でも、JRの東京行きなら10分おきに出ている)。平日だから、たぶんまだ空席があるだろうし。

しかし、とくに用事もないのに、東京まで行っても仕方ないよなあ。どっか、他に夜行はないのかなあ。東京かあ。朝、東京に着いてから、箱根か、伊東か、熱海とか、温泉でもつかってから帰ろうかなあ。今、手持ちが2万円だから、バスなら東京まで往復できるし、箱根とか行って(小田急だっけな)、どっか日帰り温泉代くらいでちょうどピッタリなんだが。いきなりの臨時出費で2万円ってのは痛いが、結婚15年にして、記念すべき初めての家出なんだから、それくらいは許されるということで。

しかし、それだと往復。じゃ、当然、二泊になるよなあ。主婦が「ちょっと行ってくるわ」で気軽に家出して、いきなり二泊ってのはどうなんだろうなあ。常識的に考えて。いや、家出がすでに非常識だから、それくらいは別にいいのか。考えてみりゃ「家出」で二泊ってのは、むしろ極端に少ないよね。

しかし、本気でどうしようもなく腹をたってるわけでもないし、思いつきで家を出てきてしまったので、ここは一泊くらいで帰るべきなんじゃないかなあ。中2の長男は、何週間でもほったらかしても何とでもやるだろうが、なにせ下の双子の娘はまだ小4だからなあ。それに、どうせ箱根とか、温泉とかに行くんなら、なんとなく、東っつーか、むしろ西がええがなあ。中国地方、できれば九州、とにかく西っていうんなら、ウキウキ気分なんだけどなあ。いや、家出でウキウキ、ってのはおかしいか。

しかし、この時間帯じゃ、もうフェリーもないよなあ。九州行きのさんふらわあ、南港から神戸六甲に寄るヤツ、確か22時半くらいだったっけ。電車の夜行は、最近、まだ何があるのかさっぱりわからん。安いのはそろそろ18切符の期間だから、どうせ席がとれんかもしれんし。

うーむ。いきなり思いついて出てきただけだから、ホントどこへ行っていいのかさっぱりわからん。なるほど、家出も大変だなあ。あ、今思い出したが、そうそう、明日、私、仕事あるんだった。いろいろ予定もあって、急に休むとなるとちょっとややこしいんだった。うう。

そうか。いきなり家を飛び出しても、もし出てきたのが夫の側だったら、「実家に帰る」わけにはいかないのだな。仕事があるから。つまり、男ってのは家庭でイヤなことがあっても、仕事まで完全に捨てる気でもなきゃ、住んでいる町を離れられない。ビジネスホテルに泊まるか、どっか飲み屋に行って時間をつぶしたり、この機会を利用して、親しいママとかに「追い出されたんだよ。泊めてもらえないかな」なんて、ダメもとで頼んでみたりするわけだな。いや、たぶん。

しかし、どうする!?
乗換駅で、あれこれ悩む、夜11時なのであった。

03/12/2008

小説専攻科の作品締切、3月分

3月11日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

本日は、小説専攻科の締切日。

専攻科は、小説講座「エンターテインメントノベル講座」の卒業生向けのクラスで、プロデビューをめざして作品指導を中心とした授業を行っている。奇数月の第二火曜、2ヶ月おきに作品締切があり、生徒から提出された作品に合わせて、講義スケジュールを決めている。

で、本日の合計10編。在校生数から考えるとめちゃくちゃ少ないのだが、長編もあり、事前情報などからなんとなく今回は提出数が少ないような気がしてたんで、まあ、予想通りである。4〜5月は、どうせ講義日も、もともと数少なく計画してたしね。たぶん5月にバタバタと出すことになるのだろう。うちの講座は、毎年10月入学で、9月末が卒業。9月は締切はなく、あとは5月と7月だが、7月提出は100枚以下しか提出できないことになっている。つまり長編は、5月までに書かなければいけないのである。

生徒諸君、とくに今月に提出しようとして、できなかった皆さん。さらに、できれば5月は長編を提出しようと思っている諸君。

5月提出予定の人は、今からゴールデンウイークに家族旅行などの予定を入れておくことをオススメする。いや、旅行の予定は、むしろ入れておくのである。なぜなら、今からゴールデンウイークをアテにしてると、またまた間に合わずにとうとう提出できないということになりかねないからだ。だから、家族や恋人には、今から「ゴールデンウイークに一緒に旅行に行こう」と宣言しておこう。そして、「ちゃんと小説を完成してから行く!」と言っておくのだ。そう、もし完成しなければ、もちろんキャンセルしなくてはならないのである。

もちろん、もしそんなことになれば、家族や恋人のひんしゅくをかうことは間違いなし。もしかしたら、二度と家で書かしてもらえなくなるかもしれない。かなり危険である。しかし、そう言っておけば、きっと3〜4月に小説を執筆していても、たぶん少しは理解は得られるだろう。日頃、執筆時間のために、「家族サービス」が削られて、ブウブウ文句をいっていた子供たちも、たとえば仕事に疲れて、今日はさすがにビール飲んで寝ようかな、と思っていたのに、
「あれっ、パパ! なんで今日は書かないの? なんで!? ちゃんと間に合うの!? 今、どのへん!?」
などと、毎日うるさく言ってくれること、間違いなし。いや、たぶん。

次回の標語。
「ゴールデンウイークまでに完成させて、旅行に行こう!」

ん? 何、そんな金がないって? 
何を言う。今は「先払い」かもしれないが、そのうち賞金ゲットだぜ! 

……いや、ま、それはそうと。

入学して半年、まだ作品提出がない生徒に対しては、そろそろ色々心配になる頃である。作家志望の人は、仕事や家事が忙しく、しかもけっこう繊細だから、書けなくなったりすることがある。一度書けなくなるとますます精神的に追い込まれたりして、さらに書けなくなったり。私としては、せっかくだから皆にプロデビューしてもらいたいし、これまでの例だと、やっぱ、書き続けてさえいれば、なんとか書けるようになるもんである。でも、小説って、自分んからすぐにあきらめちゃう人がけっこう多いんだよね。

「短編」でも何でも、とにかく書いて、書いて、書き続けて欲しいのだが、しかし、みんな社会人なんだから、こればっかりは強制もできないし。

でも、いつかは、たくさんの人を感動させるような、面白がられるような、驚かせるような、泣かせるような、笑わせるような。

きっと、できると思うんだけどな。レッツ、プロ作家デビュー!

03/11/2008

文章教室の資料請求とか

3月10日(月)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

あれこれ作業がたまっているので、やむなく休日出勤。文章教室「ライティング講座」「基礎レッスンコース」の資料請求がちらほら。見学希望もチラホラあるんだけど、代わりの小説講座も、今週は教室実習だし、あとは29日くらいしか見学できないしなあ。作品集は、用心して、いくらか余分には作ってあるのだが。

明日は、専攻科の作品締切。今日までに届いているのは、4編。
はたして何編届くかな。

03/10/2008

小説とは関係のない休日(スケート)

3月9日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

ドラゴンボールの妹に誘われ、子供たちを連れて、スケートに行く。私の妹のところには、6歳の双子の息子がいるのだが、妹夫婦は、二人ともどっちかというとインドアな体質。アウトドアやスポーツは苦手らしく、体力があまった息子たちのために、こういう時は、いつもうちの小4の双子の娘たちを誘うのである。つまり「子守り要員」ね。4歳違いの双子だから、ちょうどいいのである。

日頃からインラインスケートで遊んでいる娘たちは、彼らの両手を握って、後ろ向きに滑ってやる程度にはうまいし、中学生の長男もいたので、ほったらかしても大丈夫。てな、わけで、私はブラブラ一人で滑っていたのだが(そんなにうまくないんだけど、滑るのはわりと好き)、帰り際になって、妹が転倒。子供たちなら、コロコロ何度こけても平気だが、大人が転倒するとダメージがキツイ。しばらくしたら、右手が腫れてきたので、病院でレントゲンをとってもらうことに。しかし、日頃、ほとんど運動してないのに、オバサンがいきなりほとんど休憩なしで、5時間も滑ってちゃいけないと思う(それは私)

03/09/2008

小説講座も、もしかしてハイテク化

3月8日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から11期の講義。

11期クラスの講師は、青木治道先生。うちの小説講座は、二十人近い講師が週替わりで講義をしてくれる形式なのだが、ほとんどがプロ作家なので、編集者なのはこの青木先生だけ。作家と編集者、小説について話をしても、考え方や感じ方がだいぶ違う。今月末、29日に前期課題の作品指導があり、この青木先生と堀先生で対談をしてもらうことになっている。作家と編集者という立場の違いで、生徒作品にコメントしてもらうのが楽しみである。

ところで、今の11期のクラスには、ノートパソコンで「ノート」をとっている人がいる。二人もいる。この小説講座も十年になるのだが、そう言えば、教室でパソコンを打っている人を見るのは、今年が初めてである。そのせいか、まだちょっと見慣れない。

そりゃ理系の学会とかでは、ぜんぜん珍しくもないだろうし、もしかすると大学の教室でも今はあたりまえの風景なのかもしれないけど、小説講座の教室ではめずらしい。いや生徒さんのほとんどは、パソコンを使って書いた作品を提出してくることが多いから、ほとんどの人が使えることはわかっているのだが、なんだかちょっと面白い。てか、なんとなく妙な感じがする。やっぱ、見慣れてないだけかも。

ところで、うちの教室では、必ずしも全部の生徒さんがノートをとっているわけではない。実をいうと、中にはまったくノートをとらない人もいるし、2時間ほど話を聞いて、3行くらいしか書いてない人もけっこういる。

ま、理由はカンタンで、うちの講師の先生たちは、知識や情報を整理して、それを系統立てて説明するというよりは、むしろどっちかというと、自分の経験などをざっくぱらんに話したりすることが多いからである。もちろん「ホラーの書き方」で、ホラーの歴史について説明したり、ホワイトボードを使って、ストーリー構成の説明をすることもけっこうあるんだけど、まあ、そういうのは、レジュメが配布されてたり、どっかの参考図書に載っていたりするのを講師の先生たちもよく知っているので、どっちかというと個人的な創作ノウハウとか、「こうやって書いてみたら、意外とうまくいった」とか、何かしら自分の体験談を話してくれることが多い。生徒さんたちも、そういう話にはすごく興味があるし。

そんなわけで、必ずしもノートをきっちり書いている人ばかりでないし、それに一人一人、書きとめている内容がかなり違うということが多い。つまり、ノートを全くとらないって人はめずらしいが、講義中ずっとしっかり書き続けている人もまためずらしいのである。

私はたまたま教室の外にいて、講師の話があまり聞けなかったりして、あとで生徒さんたちに「どんな話をしてた?」と聞いたりすることがあるのだが、3人に聞けば、たいてい3人とも違うことを言ったりするのである。ノートを見せてもらっても、みんな、それぞれ違うことを書きとめていたりする。

同じ話を聞いても、受ける人によって、印象がまったく違っている。実際、同じ話を同時に聞いて、それぞれまったく逆の「教訓」を得ていたりすることさえある。しかも、どっちの解釈も間違いではなかったりする。

それに……もしかすると、これは偏見かもしれないが(ズバリ偏見なんだが)、どうも「作家志望」(つまり生徒さんのほとんど)というのは、どうも人の話を聞いているようで、どこか聞いてないところがある(気がする)。いや、ちゃんと話を聞いてないわけじゃないのだが、なんつーか、夢想にちょっと腰まで浸りつつ聞いてる……みたいなところがどっかにある。

思うに、たぶん小説講座の生徒さんの多くは、学生の頃も、教室で先生の話をマトモに聞いているフリをして、頭の半分か、あるいは片隅で、何か妙なことを考えていたようなタイプだろうと思う(え、違う?)

ちなみに、プロ作家の先生たちも、人の話を聞きながら、もしかしたら本当は、頭の中で思考がとびまくっているんじゃないかと思うことがよくある。いや、ちゃんと話をしたりしてるんだけど、気のせいか、作家さんたちって、人と会話する時に、なんとなく、ほんのちょっとだけ、微妙に「ここにいない」感じがするのである。思うに、おそらく頭のどこかの片隅に、長編か、あるいは何か妙なもの(?)が「駐在」していて、きっと「マルチタスク」状態なんだろうと思ったりするのである(かなり偏見)

いや、でも、なんか、そういう思考のクセのようなものがあるんじゃないのかなあ。うちの講師の先生たちは、何かしら締切を抱えていて忙しい人ばかりだから、完全な「OFF」状態ってのは滅多にないだけかも。むろんココにいないわけではないのだが、どっか頭から離れないものも持っている。

で、私が教室でパソコンを使っているのを見て「面白い」と思ったのは、それにしては、一見、マトモにノートをとっていて、「ちゃんと打ち込んでいる」ように見えるからである(ノートパソコンだから、打っているのが教室の後ろからよく見えるのである)。やっぱ、ちょっと珍しい。だって、なにせ、講義中、ずっとバリバリノートをとっている人そのものがそれほど多くないんだし。

で、ふと、久しぶりにちゃんと地上にいる人を見たなあ、という感じがする(いや、感覚的なものなので、どこがどうということは説明しにくいけど)。あ、小説講座の生徒さんにしては、「効率的な感じ」がするから珍しいのかな。ビジネスマンとかなら多いんだろうけど。いや、なんとなく小説講座の生徒さんって、「時間管理に厳しくて、少しの時間もムダにしない」というよりは、「せっかくの貴重な時間だから、しっかり夢想に耽ってます」みたいなタイプが多いような気が(これまた偏見)

とにかく、こういうタイプの人は、小説講座ではちょっとめずらしい。いや、この講座は、いろんなタイプの人がいるから面白いんだけどね。でも、ま、この講座に来るぐらいだから、やっぱ、ちゃんと地上に両足が完全についているかどうかは疑問だが(どっか片足、浮いてたりして。カカトだけとか)

それはそうと、この二人の生徒さんは、私の予想では、きっとまだ一度も長編は書いたことがないにちがいないと思うんだけど、さて、どうだろう(今までこういうタイプの人は、なぜだかショートショートだけしか書いたことがないというタイプが多かったのだ)

で、長編を書き始めたら、一体どうなるのかな、と思ったり。長編を抱えていても、ちゃんと完全に地上に両足がついている感じがするもんなんかな。

03/08/2008

アマゾンは危険、カードはもっと危険

3月7日(金)
昼から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

このところ、通勤に「定期券」ではなく、Pitapaというクレジットカードを使うようになり、このせいか、本屋でもクレジット買いをするようになってしまった。いかんいかん。ただでさえ、ついサイフがカラになるまで買う傾向があるのに(電車賃ギリギリまで、使ったり)、しかし、カードでは制限なしである。危険である。いかんいかん。

とりあえず、本屋に寄ったら、アマゾンはなるべく2週間は見ないように(……といっても、所詮はただの自己規制)

ところで、たまに、
「そんなに毎週、図書館へ行って、何冊も借りているくせに、それで新刊書店に行って、何買うんですか?」
と言われることがあるのだが、図書館で読む本は私の場合たいてい専門書だし(小説は買うことが多いんです)、新刊書店で買う本ってのは、だいたい図書館にはたいてい置いてないような本だし。ほら、甘い物は別腹ってゆーでしょう。いっぱい買っても、いつの間にか、足りなくなっちゃうんだよん。

とにかくカードは危険。
(アマゾンは、カートに入れて置いて、なるべく即日発注しないようにしてる……)

ところで、本というのはまとめて何冊も持つと実に重いよね。ハードカバーだと、さすがに何冊も買うわけにはいかないから、レジの前に気がつくけど、文庫はけっこう買えてしまうので、結局、文庫の方が高くついたりしません?

03/07/2008

落ち込んでるヒマがもったいないから

3月6日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

うちの小説講座は、コンテストに応募する人が多く、最終候補に残ったりする人もいるのだが(今、ちょうど残っている)、先週、たまたま小説コンテストの落選メールが何人かから来たので、ふと思ったこと。

小説を書くのに必要なものは、たぶん原稿用紙とペン……むろん今はほとんどの人がワープロを使っているかもれないけど……それくらいしかいらない。ただ、プロになりたいなら、たぶんそれに加えて、きっと「プロになりたい」とか、「いい作品を書いて、たくさんの人を読んでもらうぞ」というような「気持ち」があった方がいい。言い方を変えると、「志」……みたいなものが必要かもしれないと思う。だって、やっぱ、「なれたらいいなあ」くらいじゃ、なれないでしょう。。やっぱ、「なりたい」じゃないと。「宝くじ」じゃないんだから。たまたま、ってのは、ないと思うし。きっと作家志望の数って多いから。

でも、「気持ち」だけじゃダメだよね。「技術」と「忍耐」もいるもんね。
けど、「なりたい」って言う人は多いけど、実際にやるヤツって少ないんだよね。

中には、なんで一作や二作、ちょっと書いてみただけで、「私にはきっと才能がないんです」って、くよくよ悩んだりする人もいるしね。なんでかな。
プロ作家は、最初っから、サクサクかるーく書いてると思う? いや、きっとそんなことはないと思うよん。

そりゃ、天才型の作家もいるだろうけど、やっぱ、プロだって皆、けっこう苦労して書いてると思うよ。で、何年も仕事やっていて、すでに大量に書いているプロでさえ、あれこれ頭をひねって、考え抜いて書いているに違いないものを、まだ慣れてないはずのシロウトがさくさく軽く書けるわけないよ。むしろ軽々とラクに書けたとしたら、「ちょっと待てよ」、ちょっとヘンかもしれないし。

とにかく「思ったようにうまく書けない」というのは、たぶんあたりまえ。趣味で書くならいいけど、商業出版でヒトサマに読んでもらおうなんて思えば、ある程度、クオリティは必要なんだから、あちこち気を使って構成を考えたり、文章表現を工夫したりするわけで、そうそう軽くサクサクとは書けないもんである。

とにかく、今はいちいち落ち込んでも、仕方ないと思う。精一杯、今の実力で書いてみて、ダメだったら、また次を書けばいいと思う。頭を使って、技術を磨いて。運もあるけど、ちゃんとやれば、いつかは運もめぐってくる。あとは忍耐。あきらめが悪いってのも才能だ。

いや、ほら、どうやっても、オリンピック出場をめざしているスポーツ選手よりは、作家になる方がチャンスは多いだろうしさ。

「落ち込むな」なんて言っても、仕方ないんだろうけど、やっぱ、つい言っちゃうよな。いや、ホント、まだ落ち込むには早すぎる。

03/06/2008

新学期とキャラクター学用品、頼まれたがな

3月5日(水)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

昨日、めずらしく妹から電話がかかってきた。
「ちょっとお願いがあるんやけど」
「お願い?」
めずらしく「お願い」らしい。

姉妹としては、けっして仲が悪くない、どっちかというと、仲はいい方だと思うが、なにせ妹も忙しい兼業主婦である。6歳の双子の息子を抱えてフルタイムで働いているので、滅多に合うヒマもないし、電話もよほど用がない限りかかってこない。今回も、思えば正月以来である。
「お願いやねんけど、ドラゴンボールのナフキン、買ってきてくれへん?」
「はあ?」
「ほら、うちの子たち。春から小学校なんやけど」
「そうか、4月からピカピカの1年生か」
「今、いろいろ揃えてて、給食ナフキンも買おうと思ってんけど、ドラゴンボールの、どこにも売ってへんねん」
「ドラゴンボール?」
「うん。正月にそっちの近くのスーパーへ行った時に、たしか見かけてん。その時に買っておけばよかったんやけど、どうせどこでも売ってると思って、その時は、買えへんかってん。けど、あれからあちこち探してもどこにも置いてないねん。だから、もし、まだ売ってたら買っといてくれへん?」
「ふーん。わかった、今度、行ったら買っとくけど、なに、ドラゴンボールじゃないとあかんの?」
「うん」
「ドラゴンボールかあ」
「うん、あの子ら、日頃、テレビ見てないし、他のキャラクターは今イチやから」
「あれって、今、放送してたっけ?」
「しばらく前に再放送やってたし、実は、私の友達から何十本もビデオもらって、ほとんど見てるねん」
「何十本?」
「友達がすごいファンで、ずっと撮りためてたビデオがあって、それを山ほどもらってん。十年分くらいあったかも」
「十年分? それ、全部、見たの?」
「わからんけど、何年分もあったよ。全部見るの、けっこう大変やったでえ」
「大変って、アンタも全部見たんかい」
「そら、子供のために、お母さんも一緒に見なあかんやろ」
「そんなもんかなあ」
「ほんま大変やったで。毎日2本ずつって、ノルマ決めて、コツコツ見たがな」
「アンタ、仕事、けっこう忙しいんやろ」
「そやねん。だから、保育所から帰って、晩御飯を食べて、風呂までにゼッタイ2本ずつって、毎日コツコツ見たがな。ホンマ、大変やったでえ」
「……はあ」
「だから、頼むわ。ドラゴンボール!」

妹は、今は某デパートで販売促進の仕事をバリバリやってるキャリアウーマンで、一見、すっかりいい母親みたいなフリをしているのだが、姉の私は知っている。実は、アレは中学生の頃から『アニメージュ』を何年も定期購読し、アニメマラソン(オールナイトでアニメばっかり見るイベント)とかに行きまくってた元アニメマニアなのである(当時は、「おたく」という言葉はなかったんだよん)。無理して息子たちの趣味にあわせたというよりは、むしろ自分の趣味に双子の息子たちの趣味を強引に一致させたに違いない。ゼッタイ「英才教育」だぜ(どんな英才教育)

ドラゴンボール。しかし、今さらと思ったのだが、まだ新学期フェアで、キャラクターグッズが売られているところを見ると、まだまだ現役なのかな。けっこう息が長いな。

専門学校で非常勤講師などしてるので、マンガコースの生徒さんたちの「スタンダード」につい関心がある。「スタンダード」というのは、その年代で、かなりの割合の人が見ている共通のアニメとかマンガ、ドラマなどのことである。どうしてそういうものに興味があるかというと、私の講義では、ストーリー構造の説明とか、キャラクターの設定についての説明をすることがあるので、たとえば、
「このキャラクターの位置づけは、『しんちゃん』でいうところの「みさえ」と同じで」
とかいうように、説明するときの「例」として使えるからである。

「これは、オフィーリアが置かれた立場と同じで……」
とか言っても、そらほとんど誰もわかりまへんからなあ。

さて、ある世代でもほとんどの人が「わかるわかる」という共通認識となると、それなりの「ヒット作」じゃないとダメである。しかも、むろん世代にもよる。広い世代で共通なのは、せいぜい「サザエさん」「ドラえもん」くらいしかないのである。ちなみに、私の世代は、ウルトラマンとか、仮面ライダーなど。こういうのが共通認識。当時は、今と違ってビデオやゲームもないので、小学校のクラス中の男子は全員見てたもんな。マンガ雑誌なども今と較べるとそれほど多くの種類がなかったし、アニメも放映される数が少ないので、選ぶほど数もなかったはずで、結局、放映されているものは何でも見てたような子が多かったのである。

ところが、今は、ほぼ全員が見てるような番組はなかなか少ない。マンガコースと言っても、たいていの人は、自分の好きな傾向のアニメとかマンガしか見ないし、深夜アニメまで入れたら、今は全部見るってのが難しいほどいっぱい放送されている。『名探偵コナン』くらいは、ずっとやっているから見てるだろうと思っていたら、女の子の4割は見たことがないとか、一回くらいは見たことがあるかなとか言う。(それでもさすがにコナンなら、まったくわからないという人は少ないけど)

で、今の専門学校生の世代だと、しんちゃん、ヒカルの碁、ハガレン、ドラゴンボール。ちょっと前だと、スラムダンク。ほぼ全員が見てるというレベルだと、映画じゃ、ディズニー、ジブリ系。これくらいかな。他にもあるけど、ルパン3世なんかもわかるし……。

4月には小5になるうちの娘たちは、そろそろキャラクターグッズなどには興味のない年頃。彼女たちは、セーラームーン世代ではなくて、どれみ世代だ。今の小学生なら、『ゾロリ』かな。ちなみに、中2の長男は、なぜか子供の頃もさほどキャラクターグッズにハマらなかったので、私は、男の子キャラクターにはうとい。

今、何が流行っているのかな。
「春の新学期・学用品フェア」売り場、ちょっとのぞいて来んとなあ。

03/05/2008

あいかわらずコツコツ事務作業

3月4日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

ちょっとのんびりした火曜日。11期の前期課題は、すでに印刷されて、今月末に作品指導待ちだが、専攻科の作品締切は、来週である。嵐の前の静けさ(?)である。残りの短編を印刷。

とは言え、今は、4月開講の生徒募集時期。春の開講は、ライティング講座と基礎レッスンコースだけで、小説講座の募集はないので、問い合わせはそれほど多くはないんだが、見学希望がちらほら。時期的に、文章教室の見学ができないので、小説講座に来てもらって雰囲気だけ見てもらうことしかできないんだけど。

03/04/2008

小説とは関係のない休日(やっぱ、上方落語)

3月3日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

昨日、ミーハーな私は、NHK大阪の朝ドラのセット公開を見に行ったのであった。めちゃくちゃ並んでいたので、けっこうビックリした。うちからはけっこう近いので、昼からブラブラと気軽に行ったのだが、セットを見るだけにこんな長い列ができてたのに驚いた。たしかに無料だけどね。それよりも驚いたのは、私のうしろにいた一人の女性がものすごく真剣にバシバシ写真を撮りまくっていたことであった。もちろんそこに俳優さんがいるわけでもなく、ただのセットなんやけど。

私の友人も、「朝ドラ」なんか見てない人がほとんどなので、ホント誰が見てるんやろなあ、と、ずっと思っていたのだけど、どうもハマる人だけハマるタイプの朝ドラだったらしいなあ。私の場合、たまたま「芋たこ」「どんど」、大阪シナリオ学校出身のシナリオライターが続いたので、朝ドラを見る習慣がついてしまってたし、お笑い系が好きなんで、ずっと見てたけど。

しかし、3月で放送が終わったら、何を楽しみにすればいいのかしらん。

そっか。「笑酔亭梅寿シリーズ」か。

03/03/2008

小説とは関係のない休日(誕生日とひなまつり)

3月2日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

今日は、息子の誕生日。義母も、2月28日が誕生日である。だもんで、義母をさそって、自宅で昼食会。ひなまつりだし、寿司を作ろうと思っていたら、「昨日、おばあちゃんちで食べた」というので、考えた末に鍋にする。近くに住む義母は、日頃は一人暮らしなので、あんまり鍋は食べないだろうと思ったからなのだが、けっこう外食もしているらしい。

リビングに飾っていた雛人形を見て、義母が、
「うちはずっと男の子しかいなかったので、欲しかったんだけどね」
などと言う。
「昔は、私のもあったんだけど、子供の頃、地震で家ごと埋もれちゃって」
義母は、石川出身。一瞬、40年前の新潟地震を連想したのだが、子供の頃なら、きっと「福井地震」なんだろうな。昭和23年。

うちの人形は、私が生まれた時に父が買ったもの。一応、5段あるのだが、ちょっと変わっている。人形のデザインがバラバラで、揃ってない。どうもお金がなかったのか、それぞれ別々に買いそろえていたらしい(普通の店ではバラバラでは売ってないから、わざわざ松屋町で探して買ったそうな)

そろそろ子供たちも、人形を出すのが面倒になってきたみたいなので、春に生まれる弟のところの第2子が女の子だったら、これももうあげてしまおうかと思っていたのだが。

でも、そしたら、なんか、小さい飾り雛でも買ってもいいかな。

03/02/2008

また最終候補に残ってるらしい

3月1日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から、小説講座の講義。

「11期エンターテインメントノベル講座」は、田中哲弥先生。「笑い」をテーマに、いろいろな話。わかりやすい例で、いろんな笑いのパターンなどを説明してもらう。お笑いがメインの作品を書きたい人は、そんなにたくさんいないようだけど、シーンによってちゃんと笑わせたいという人が多いようで、皆、熱心に講義を聞いていた。

ま、実際、人を笑わせる文章を書くってのはかなり大変だけどね。ネタの問題もあるし、文章テクニックの問題もあるし……(生徒作品の場合、アイデアは悪くないけど、書き方がマズイってのがかなりよくある)

専攻科の教室では、小森健太朗先生がミステリの作品指導。長編と短編の2編だったのだが、長編にたっぷり時間をかけたそうで(私はずっと11期の教室にいたので、残念ながら聞いてない)、本人も「めちゃくちゃ参考になりました」、ミステリ志望の生徒さんたちにもかなり好評。

今、生徒さんの一人がある賞(ミステリ)の最終候補に残っているとのことで、めちゃ期待。ああ、受賞してくれないかなあ。最近、せっかく最終候補に残ったりしたものの、受賞なしというケースが続いたので、そろそろ朗報が聞きたいよう。みんな、けっこうイイ線まで行ってたりするのに、デビューまでのあと一歩がなかなか難しい。

そんでもって、バタバタと一気にデビューが続いてくれたらいいなあ。

03/01/2008

「誤読」でなけりゃいいけど

2月29日(金)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

アクセス数は少ないし、読んでいるのはほとんど小説講座の生徒さんというブログなのだが、たまーに面識のない一般の人からメールが来ることがある。かなりまれだけど。なにせ「あんまりアクセス数が増えたら心配」などとし書いたりしたので、排他的だと思われているのかもしれない。でも、ホントに絶対に読まれたくなければ、mixiという手もあるわけで、読まれて困るものを公表してるわけでもないし。ま、どっちみち、別にたいしたことを書いているわけじゃないんで。どうせ小説講座の担当者の、ただの平凡な日常。しかし、文字ばっかりで、写真もイラストもない長文ブログだから、読む人にはどう考えても親切ではないと思うが……。

ところで、先日、えらく長ーいメールが来た。あんまり長文メールだったので、一瞬、「おっ、ややこしい人か!?」と期待した(?)のだが(作家志望の人の中には、ちょっとばかり「困ったさん」がごくたまにいるのである)、そうではないらしい。このブログのファンなのだそうだ。「全部、読みました」……書いた私でさえ、ほとんど読み返さないのに(誤字が気になるから読みたくない)、変わった人である。

で、用件と言えば、
「ぜひ一度、ブログで『誤読』について、とりあげてください」
ということらしい。ちょっと意図がよくわからんけど。この人、モノ書き志望なのかな。
いや、これはただの日記で、とくに小説について語り合うなどということはないのだが(私のぼやきが小説のことばかりになるのは、仕事柄、たまたま仕方ないだけで……)

で、誤読……!?
うーん。それは、私には、よーわからん。

一応、小説講座の教室で、「誤読」というのが話題になるかどうか、ちょっと考えてみたが、うーん、あると言えばあるんだろうけど。いや、あるかなあ。「誤読」ってのがうちの小説講座で話題になるってのは、あんまりないような気がするが。どうかなあ。あるかもしれないけど、滅多にないような。

もちろん「誤読」という単語を生徒さんたちが使わないというわけではない。でも、使うのは、たいていこんな感じ。
「あのね、私の誤読かもしれないけど、さっきの作品って、もしかして、こういうつもりで書いたんじゃない?」
とか、
「誤読だったら悪いんだけど、あの主人公って、私はこういう性格じゃないかと思ったんだけど」
とか。

どうも小説講座の飲み会で、「誤読」という単語が出る場合、
「誤読だったら悪いけど、あなたの作品って……」
という、なんつーか、枕詞というか、なんだか、そういう使われ方が多いような気がする。

ま、うちの小説講座の飲み会ってのは、
「クラークの作品を読んでみたいけど、まずどれから読むべきか」とか、
「今、平安時代で小説を書いているのだが、この地域のいい資料はないか」とか、
あるいは、
「BL小説とやおい小説は、どう違うのか」とか
「1時間くらいで人を殺せるいい薬はないか」とか
はたまた
「ガンダムのどのシリーズが必見か」とか。

そういうふうに色んな話題が出ますが、「誤読」ってのは、どうかなあ。そういや、あんまり話題にならないかも。

なにせうちの小説講座は、講師もプロ作家ばっかだし、生徒もプロ志望っていう、つまり「書く側」の人間ばっかりだし、だいたいエンターテインメント系の小説ってのは、「わかりやすく書く」ってのが基本形なんで、なるべく誤読するような書き方をしないように気をつけている人が多いから、もちろん「わかりにくい書き方」が問題になることはあるが(これはしょっちゅうあるが)、しかし、これは「誤読」ってのとちょっと違う気もするしなあ。エンターテインメント系の小説って、だいたい誤読させないように書くだろうし、誤読するようなものを書く方がむしろ悪いという……。

そりゃ、もちろん読者のレベルがめちゃくちゃ低くて、ちゃんと書いているのに読めないということはあるかもしれないが、商業出版ってのは、ある程度の読者数を必要とするもんなので、そうなると割合の問題かな。どっちにしても、エンタ−テインメント小説ってのは、わかりやすく面白いもんが売れると思うし。

ただ、「伏線がどの程度わかりやすいか」って問題だったら、ちょっとは話題になるかも(でも、「誤読」とはそもそも問題がかなり違う気がするが)

でも、読者ターゲットとかジャンルにもよると思うけど、生徒作品の場合、
「誰一人まったく気がつかない『伏線』は、もうすでに伏線になってない」
なんてことが多いんだよね。で、この伏線の「ころあい」とか「加減」の問題なわけだろうけど(もちろんこの「わかりやすさ」は、読者ターゲットに合わせて考えるわけだけど、一般読者の認識レベルをある程度予想するのは、プロなら当然やる。もちろん外すこともあるかもしれんけど、少なくとも予想はする)

しかし、それって、たぶんうちの生徒さんの場合、たぶん「このへん」って、なんとなくわかってるんじゃないかなあ。入学してすぐは無理だけど、作品指導を何度か聞いてりゃ何となくわかるからなあ。少なくとも専攻科などで、何度か作品指導講義を受けている人ならわかってるんじゃないかなあ。なんとなく。

口では説明しにくいだろうけど、何度か他の人の作品指導を聞いてりゃ、「なんとなくわかってくる」。しかし、これは説明しにくいよな。何度も作品指導を聞いてりゃ、うんうん、ってわかるんだけど。

しいて言えば、伏線ってのは、たいてい娯楽小説では、わかりやすぎるくらいにわかるようにそれなりに書くし、意外な真相があって隠すように書く場合でも、普通の読者レベルで、9対1か、8対2で、何割かにはバレる程度とか、作品ごとになんか「ほどよい加減」があるような。本格ミステリなんかだと、「普通のミステリ読者にはわからないけど、プロ作家など数人にはバレる」というのがほどよいレベルとか、さ。

しかし、考えてみれば、こういうのは、微妙な「塩梅」だよね。それこそ、何度かやってみて、「これくらいで、まあ、ほどほど」みたいな感覚だし、ちょっと説明はしにくいなあ。実際、講師の先生だって、
「ここんとこ、もうちょっと大胆にはっきり書いておいた方がいいよ」
みたいなことを言ったりするけど、これもかなり感覚的な表現だろうし。そりゃ、「もうちょっと派手に」とか、言われても、初心者にはなんのこっちゃわからんだろうけど、それでも専攻科の教室では、皆なんとなーく同意はしてるみたいなので、たぶん皆それでわかってるんだろうと思う。口では説明できんけど。

書かれた文章と話し言葉とでは、伝わる情報量がまったく違う。「テープおこし」のバイトをしたことがある人はそうそういないと思うが、そもそも話される文字量もケタが違うし、ニュアンスってのは伝わらんからな。だいたい「文章」って、そういう不自由なところはあるのよね。ま、それが長所でもあるんだけど。

そういえば、だいぶ前にも、
「小説講座に通いたいけど、北海道に住んでいるので残念です。うらやましい」
というメールをもらったことがある。

毎週、プロ作家の講師がわざわざ2時間も話をしてくれるというのは、まったく有り難いことだよなあ。

あ、それにしても、なんで「誤読」をとりあげて欲しかったんかな。ちょっと読めないな。

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