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02/29/2008

作家志望とセリフイメージ

2月28日(木)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

例年なら2月は28日が月末のハズだが、今年はまだ一日ある。この「あと一日」ってのが、「得した気分」になるか、「損した気分」になるか、ってのは、その人の立場による。勤め人だと得した気分?
ちなみに、私の場合は、得した気分。

それにしても、きっと2月29日生まれの人って、今日で還暦とかになっても、「でも、私はホントはまだ15歳なのよ」なんて冗談を言ってるんだろうな……などということを、4年ごとに毎回思う私だった。思えば、これって何度目なんかな。

ところで、気のせいかもしれないけど、小説講座に入ってくるような人は、一見、社交的に見えても、実はけっこう「人見知り」だったりする。いや、人見知りかどうかというのは、案外、本人の気持ちの持ちようだったりするらしいし。周囲はそうは思ってなくても、実は、人見知りだと自分では思っているとか。いや、実際はどうかわからんが。

とりあえず見かけよりは、繊細なタイプが多いような気がする。

だもんで、講師からの指導も、どうも思っている以上に繊細に受取る傾向があるように思う。とくに一年目の人は。おそらく作者本人が自覚しているよりも細かいことを気にしてることがある。

入学してくる生徒さんは、それまでに自分の作品をプロ作家などに直接見てもらう機会がない人がほとんどだ。だから、講師指導をもらっても、それが生まれて初めての評価だったりして、それでどうも指導内容をそのまま受け止めるのが難しいこともある。

口では、
「いくらビシビシ言ってもらっても、ボクは平気ですから」
と言ってる人でも、ホントに言われれば、まったく平気かというと、これはかなり難しい。講師の先生たちも、専攻科クラスぐらいになるとそこそこ厳しいけど、「この人はかなり厳しく言っても大丈夫だ」という人かどうか、本人の顔色を見て話をされることがある。

せっかく作品指導をしてもらっても、それをちゃんと受け止めるのには、それなりの慣れがいる。とくに入学して間もない生徒さんは、まだ誰かに自分の作品を読んでもらうのに慣れてないので、心の中で反発したり、失望したり、いろいろ忙しいらしい。

ま、だいたい「何を言われても平気」なんていう人がホントにいるわけがないのだが。
(いたらいたで、そっちの方が問題)

しかし、作品指導を聞いた生徒さんの中には、ちょっとかるく言われただけでひどく落ち込む人もいる。講師の先生は、作品についてコメントをしているだけなのに、なんだか自分自身が全否定されたような気がする人もいるらしい。入学して間がない生徒さんは、それだけ、作品と自分自身とが一体化したように感じているのかも。

ま、こういう人でも入学して半年くらいたつと、他のプロ作家の話を聞いたり、何回か作品指導を受けたり、他の生徒さんの指導の様子を見たり、友達からコメントをもらったりして、自分の作品についての客観性がいくらかもてるようになるのが普通である。そうなると、やっと「客観的評価」を納得する。

人によっては、最初から「すんなり納得」という人もいるけど、「先生の指導ではあのように言われたけど、どうも納得できない」という人は、実はそれほどめずらしくない。教室で講師に直接反論するような人もいるけど、そんなことを言わないタイプの人も多いから、あとでこっそり「あの指導内容、ちょっとひっかかっているんだけど……」なんて話を聞くこともある。もっとも、うちの生徒さんで、「講師指導を受けたけど、言われたことがまるっきり不満」って人はまずいないから、ちょっとひっかかることがある程度だが。

確かに、うちの講座には複数の講師がいるし、生徒さんもいろんなタイプがいるので、たまたまタイプが合わないということはある。確かにある。ちょっとはあるかもしれない。でも、たいてい原因はそっちじゃないような気がする。

「なんかちょっと納得いかない」
とか
「ああ言われたけど、なんかピンとこない」
と生徒さんが言う場合、どうも私が聞いたケースでは、他の原因がありそうである。

確かにうちの小説講座は、複数のプロ作家に講師をお願いしているので、いわゆる単独の講師がずっと面倒を見てくれるようなスタイルではないから、講師は生徒さんの性格までは把握していないことが多い。先生たちは、作品だけを見て判断する。生徒それぞれのレベルを細かく見てくれて、作品指導をしているわけではないから、必ずしも「わかるように説明してない」こともあるかもしれない。講師によっては、「これは何を書きたかったの?」と細かく質問をしたりすることもあるけど、やっぱ、毎週つきあっているわけじゃないから、それほど個人の事情がわかっているわけではない。

指導をしてもらう場合、一見これは不親切なような感じもするかもしれないけど、プロ志望としては、むしろイイ面がいっぱいある。作品だけを見ていて、本人の性格をそれほど考慮に入れないってのは、客観的な判断はしっかりできるわけだし、そもそも小説コンテストでは、作品だけで判断されて、本人の人間性なんてのはまずまったく考慮されないわけだし(入社試験じゃないんだから、人柄は考慮されない)、実際に商業出版されたとしても、読者がいちいち作家の人間性を確認して買うわけがない。ある程度、売れてくれば作家買いもあるだろうけど、新人作家のエンターテインメント小説なんて、「面白そうだから買って読む」

そういう意味では、プロデビュー向けの小説講座というコンセプトなので、そこんとこは仕方ないのである。とは言っても、専攻科まで進学すると、何回も同じ先生に作品を見てもらうので、顔を覚えてもらえることが多いが。でも、たいていの場合、それでも作品だけで判断する。

で、生徒さんが「ちょっとひっかかる」「ピンとこない」という場合、いくつかのパターンがあるようで、まず多いのが、
「講師が言っているレベルが、おそらく本人がわかっているレベルよりもちょっと高いので、何を言っているか、なんとなくわかったつもりだが、実はよくわかってない」
あるいは、
「こういうところを指導して欲しいというところを言ってもらえなかった」
である。

ただし、この後者の場合、どうやら作品に対する評価不足、というよりも、なんか、本人のいわゆるセリフイメージ(?)と客観的な評価のどこかに何かしらズレがあるケースみたいである。

というのは、たとえば「文章がけっこううまく、構成があまりうまくないタイプ」の人でも、なぜだか自分は文章がまだうまくないと思っており、
「文章にも問題があると思っているのに、そこんとこは講師の先生は何も言ってくれなかった。なんか構成の話ばっかりで」
と言ったりする。

「私って、こういうタイプの人なのよね〜」みたいな話には、たいていなんか、どこかズレを感じるよなあ。ああいう感じでもないが、ま、やっぱ、みんな、なんか、たぶんセルフイメージみたいなのがあって、むしろ自分の気にするところを言って欲しいわけよね。

何にせよ、なんだか、ホント、繊細な人々なのである(もともと小説を書くような人は、真面目なタイプが多いというのもあるかもしんないけど)

そりゃまあ、あんまりにもヒドイ短所は直した方がいいと思うけど、実際、短所を直すというのは、何らかの原因があったりしてかなり困難なのに較べて、長所を伸ばす方が労力的にはものすごーくラクである。どっちみち、小説なんて、個性がかなり重視されるような分野だし。長所が目立つようになれば、おそらく短所なんか目立たなくなるし、たぶん勝手に直ると思うような気もするし。

しかし、それには自分自身の、他の人にはない「長所」がわかってないといけないわけで。
理屈はカンタンだが、実際にはそいつが一番難しいのだよなあ。いや、ホント。

02/28/2008

まだまだ多忙ですが、少しは余裕

2月27日(水)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

ところで、今の家に引っ越して、2ヶ月半。ようやく慣れて、片づけなくちゃいけない段ボール箱も、あとほんの数箱。このところ、やっとこさ、花を飾る余裕が出てきた。しかし、花を生けようとして、花瓶の底をのぞいたら、すっかりガサガサになった黒い葉っぱがこびりついてたよ。最後に花を飾ったのはいつだったかも思い出せないぜ。でも、やっと、花のある生活になったよな。

まだ仕事はごちゃごちゃしていて、やっぱり忙しいことは忙しいのだが、今週は、おかげさまで夕食のメニューにも微妙に変化あり。先月までの体調不良による連日の手抜きメニューから、かなり復活したぞ。ふっふっふ。

「蒸し鶏の五目寿司、水菜とベーコンのスープ、ポテトのめんたいマヨ焼き、マカロニサラダ」
「いわしの柚しょうが煮、ソーセージと野菜のスープ、グリーンピースの卵とじ」
「サバのカレー焼き、豆腐と白菜と鶏肉の煮物、あさりと三つ葉のすまし汁」
「山芋と根昆布のマグロ丼、トマトサラダ、三種きのこと野菜の煮びたし、胡瓜の蛸わさびあえ」

どうせ、私の場合、どんな手抜きメニューでも、作る時間が実質的にさほど変わるわけではないのだが(手抜きでもそれなりに作っても、どっちみち夕食で20分くらい)、精神的な余裕がないと、『複合作業』ができないので、同時並行で作れないからメニュー数が減るし、ちょっと余裕ができたら、「魚料理」「煮物」が増える。わかりやすいのであった。

手抜きメニューが続くと、肉とかカレーとか、カンタンなメニューが増えて野菜が減るので、なんだか早死にしそうな感じになって、気持ちの余裕がますますなくなるし、そういう忙しい時に限って太る。体力的に弱っている時に限って太っちゃうのが一番困るよね。丸々太っちゃって、やつれもしないんで、ぜんぜん同情もされねえよ。

02/27/2008

文章教室の募集で、あれこれ事務作業

2月26日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

あれこれ事務作業。11期の欠席者へ、発送など。

春からの生徒募集は、ポツポツ資料請求が来るけど、いつもに較べればあまり多くない。ま、うちの小説講座の生徒募集は、年1回、秋しかないので、どっちかというといつも秋が多いのだが。春は文章教室しか開講しないんで、もともと春の方がかなり少ないんである。

しかし、入学希望者数が開講人数に達しないと、開講できない。だいたいこの春は、文章教室は「昼・夜」2コース募集である。これだけ資料請求が少ないところを見ると、2コースそれぞれに入学希望が分散してしまって、このままだと2コースのうち、どっちか不開講になるかもしれない。ここ数年、秋は小説講座に入学者が集中するから開講しないこともあるけど、春の講座は不開講になることはなかったんだけどなあ。

半年前から開講するのを待っている人がいるので、さすがに不開講になると困るのだが、もう2月も終わりだしなあ。春募集は、あちこちのカルチャーセンターなどでも色んな生徒募集があるし、小説講座と違って、文章教室はわりと軽く入ってくる人が多く、締切後にあとから入学してくる人もほとんどいない。

同じようなコースを2クラス募集すると、どっちかに生徒が集めることがあるので、覚悟の上ではあるのだが、このままだとぎりぎりまで気を使いそうで面倒だなあ。

02/26/2008

小説とは関係のない休日(朝ドラのキャラ萌え)

2月25日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

「ちりとてちん」のツンデレキャラ「四草」を演じている人がスタパに出るらしいので、ミーハーな私もしっかり録画。どうやら、あまりのメール量に番組のサーバーが落ちたらしい。視聴率はそれほど高くないらしいのだが、あいかわらず熱いファンが多いらしい。ファンサイトの盛り上がり方があまりに面白いので、そっちの方が面白いくらい。むしろ最近、ファンサイトをのぞくために見てる気がする。それにしても、そういう若い女性ファンは、なぜか「電王」ファンだったりもするような……。

うちの長男は、今回の朝ドラにはほとんど興味をしめさないが、小4の双子の娘たちは、一週間分まとめて録画を見ている。で、姉は「私も四草さんがオモシロイ」、妹は「いや、小草若がカワイイ」。ほんでもって、「友だちは、草々さんがカッコイイってゆうとった」

まったく、女ってヤツは……。

02/25/2008

小説とは関係のない休日(あっち側とこっち側)

2月24日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

先週、見学に来た人から、入学を断念するというメールが届いた。
入学するとなると、かなり遠方からの通学になり(新幹線プラス在来線)、年齢的なこともあり、会った印象ではかなり大変そうだろうな心配していたから、内心ちょっとホッとした。いや、正直なところ、まだ一目会っただけなのだが、この人はなんかちょっと違うなという感じがしていたので、それでホッとしたのであった。

なんか違うな、というのは、なんというか、「なんかこっち側の人じゃないなあ」という、そういう感覚である。どこがと言われても、なんか、ちょっと説明が難しいけど。

この人は、すでに他の分野で本も出版されたりしているらしく、きっと書くことにはたぶん何の問題もないんだろうなと思ったのだけど、なんかどっか違う感じがする雰囲気の人であった。なんつーか、うちの生徒や講師の先生たちと、どこか感じが違う……しかし、説明が難しいな。なんとなく、感じが違う気がしたのだった。

わざわざ献本してもらって言うのは何なのだけど、書いたものも後日読ませてもらって、ますます「やっぱ、違うんとちゃうかな」と思っていたのだった。

うちの小説講座は、プロのライターとか編集者の人もめずらしくなく、中には他の分野でノンフィクションの本を出していたり、中には、(純文学系の)賞を受賞してデビューして一度、本を出したことがあったりする人までいたりするので、本を出版したことがある人が入学してくることはそれほどめずらしいことでもないんだが。

ま、たぶん、その人の雰囲気である。
でも、何を見て、なぜ、そう思ったのかが自分でもよくわからんが……。

ただ、こういうのは、一見ではよくわからんもんだからな。必ずしも当らないことも多いけどね。

こういう話をすると、きっと実際に小説講座に通っている生徒さんたちにしか絶対にわからんと思うが(このブログはさほどアクセス数もなく、読んでいるとしてもほとんどが生徒さんらしいのだが、たまに熱心に読んでいるというメールをもらうことがある)、なんというか小説講座の生徒さんには、ある種の独特の「雰囲気」があるのである。

少なくとも1年以上通っている専攻科の生徒なら、きっとなんとなく「ああ、わかるわかる」と言ってくれると思うが、そういう「雰囲気」ってのは、講師の先生たちにもある。いや、もっとわかりやすいかな。なにせ濃い。

そう言えば、講義のあとの飲み会で、このような会話を聞いたことがあったな。

ある生徒さんが、こういう話をする。
「あのヒトって、意外と『こっち側』の人だったんですよねー。びっくりしちゃった」
「こっち側の人?」
「ほら、ちゃんとした会社に勤めているみたいだし、いつもワンピースとか来てて、なんか、ほら、めっちゃ普通じゃないですか。なんで、こんなお嬢さんがこんなところに来てんのかなあと私ずっと思ってたんですよ」
「ちゃんとした会社……って。いや、うちの生徒さんって、フリーターもいてるけど、けっこうみんな、公務員とか、教員とか、一流会社勤めだったりするよ。みんな普通のお勤めしてて、けっこう普通の人やと思うけど」
「いや、違いますよ〜。ゼッタイ普通じゃないですよ。私も入学するまで、どんな人が来てるんやろと思ってましたけど、ほら、なんか、みんなアレじゃないですか〜」
「アレ?」
「そうですよ。あの人かって、先週までは、『なんでこんなカタギのお嬢さんが、こんなとこ通ってるんやろ』と内心、私、ずっと思ってたんですけどね」
「カタギ? ? こんなとこ?」
「で、先週の飲み会で、初めてゆっくり話をしたんですけど、あの人って、実は、めちゃくちゃ妖怪、詳しいじゃないですか! もう、めちゃくちゃ盛り上がりましたよ!」
「妖怪?」
「なんだ〜、この人も、こっち側の人やったんや〜って、私、やっと納得しちゃいましたよ〜」

こっち側って、どっち側?
……ってことは何。

あ、もしかして、これって「オタク」ってことかな?

SF、ミステリ、ファンタジー、ホラー、ライトノベル、歴史小説、時代小説……などなど。
こういう講座では、ちょっぴりオタクっぽい……くらいは、さほどめずらしくない。ってか、たいていの人は、何らかの傾向はある。アニメ、特撮、怪獣、新撰組、戦国武将、名探偵……。いや、私、妖怪は詳しくないけど、吸血鬼なら好きなんだけどね。いやいや、狼男ならソソられるけど……。

ま、だいたいプロ作家の先生たちからして、なんか、みんな、それらしかったりするもんなあ。いや、誰とは言わないけど……。いや、少なくとも、プロ作家ってのは、なんか、みんな、めちゃくちゃな「小説おたく」だったりするよな。それもたいてい、ケタ違いの。

生徒さんたちは、よくこんなことを言う。
「いや、入学するまでは、自分ではけっこう本はよく読んでいる方だと思っていたんですが、まだまだ甘かったですよね。講師の先生たちに較べたら、全然、レベルが違うし、ビックリしましたよ。あの人たちって、ちょっと異常なくらいですよ。やっぱ、違いますよね……」

ああ、でも、その、カタギじゃないっていうのはなあ……。

02/24/2008

教室課題の指導など

2月23日(土)
午後から小説講座の事務所。

本日の講義は、11期のクラスのみ。講師は、堀晃先生。

今日は、課題作品について、ひとつひとつ指導していただく。あるテーマで、生徒さんたちに800字程度の文章を書いてきてもらい、その描写について指導してもらうもの。一つの作品というよりは、あるシーンだけという感じ。その書かれた内容や文章表現について、一人一人の長所と短所をとりあげて、わかりやすく解説。堀先生は生徒作品の長所を見つけるのがとてもうまく、なにより愛があるのよね。どの作品についても、「うまくなって欲しい」「デビューしてほしい」という気持ちが込められていて、まずちゃんと褒めてもらえるところが有り難い。描写のポイントについて、色々わかりやすく説明してもらう。どれもシンプルなことだけど、実際にやるのはけっこう難しい。でも、そういうものかもしれない。シンプルなことが一番、重要なことだったり。

今回は短い課題なので、ワンポイントアドバイスだけなので、ちょっと物足りない人もいるかもしれないけど、3月末には前期課題の作品指導もある。このクラスもそろそろ作家の先生たちの話を聞くだけじゃなく、作品を書いたり、指導を受けたりする時期である。

講義後、いつもの飲み会へ。ある生徒さんが持ってきた作品についてアレコレ話など。

02/23/2008

小説の作品指導は、自分のよりも他人のが参考になるものでやんす

2月22日(金)
昼から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

修正してもらった作品もすべて揃ったので、小説講座の前期課題の「作品集」を印刷・製本する(実際にしたのは、金曜のお手伝いスタッフだけど)

うちの講座では、ここ数年、前期課題の作品指導はいつも対談形式でやっている。つまり、講師二人に生徒作品について、あれこれ対談をするのである。参加する生徒には、あらかじめ「作品集」を配布しておいて、それぞれの作品を読んでおいてもらう。以前は、ずっと高井信先生と草上仁先生で、仲がいい先生たちだから息のあった対談だったのだが、残念ながら転居などがあって、昨年から青木先生と堀先生という組み合わせになっている。編集者である青木先生と作家の堀先生も、なかなか名コンビである。前期課題は、15枚以下のショートショートなのだが、考えてみたら、かなり贅沢な作品指導である。なにより、お二人とも生徒の個性を見抜くのがかなりうまいのである。

うちの講座は、毎週いろんなプロ作家が十数人、週替わりで出講される形式だから、お二人とも日頃から生徒さんについて、あれこれ知っているわけではない。だけど、先生たちの話を聞いているとわかるのだが、驚くほど読み方が深いのである。私は、毎週、生徒とは顔をあわせているので、どっちかというと、先生たちよりよほど生徒個人については、よく知っているはずなのだが、それでも毎回、私自身がちゃんと読み切れてなかったことに気づかされてちょっと驚く。前期課題は、あえて全員の作品を2時間でやってしまうので、一人あたりはかなり短いコメントだが、その先生たちの読み方は私が認識する限り、かなり的確である。つまり読み手として、それだけ熟練しているということなのだろうが。

なにしろプロのキャリアが違うから仕方ないんだけど、こういう人たちは、作品だけを読んだだけで、たぶんくんくんと匂いを嗅いでわかるのかもしれないなあ。

ところで、前期課題の指導は、このようにクラス全員の作品を一度にやってもらっている。ショートショートだし、うちの講座は少人数制なので、せいぜい20人くらいしかいないから一度でやれるのだが、これには大きく二つの理由がある。一つは、まず入学したばかりの生徒は、講師指導によって受ける影響はきわめて大きいから。うちの小説講座に入学した生徒さんの多くは、プロ志望なのだが(「何が何でもプロ派」から、「できたらいいな派」まで色々だけど)、それゆえに、けっこうナーバスなのである。まだ自分の能力に自信とかないし、プロになりたいけどなれるんだろうか、なんて思って思っているので、こうした頃は、ほんの些細なコメントでもやたら比重かけて受け止めてしまいがちなのである。ほんのちょっとほめられたり、少しだけ注意されても、思った以上に深刻に受け止める人が多く、なんだかこっちが驚くほどだったりする。なんつーか、あまり冷静に聞けないらしく、他の人がほめられていたりしても、それも落ち込んだりする。作品指導を受けるというのは、どうも「慣れ」が必要なのである。つーわけで、けっこう慎重なんである。

なんてことを説明すると、生徒さんの中には、
「いや、自分は、いくら厳しく言われても平気です。プロをめざしているので、どんどん厳しく言ってください!」
という人は多い。だが、これはあんまりアテにできない。もしホンマに一回目から厳しく言われたら、たぶんほとんどのヒトが落ち込む。てか、作家志望って人は、たいていそういうタイプである。そりゃ、落ち込んでも、もちろんちゃんと這い上がってくる人は、そのうちちゃんと這い上がってくるだろうけど、そんなことをすると数ヶ月はロスをしてしまうから、後期課題を書くのに間に合わない。それは困るのである。誰が困るかというと、私がである(ってことは、講座運営上の都合だけなのだが)

だから、こうした対談形式だと、講師も二人いるので、無意識に一人が厳しく言っても、もう片方がフォローしたりするし、全員一度に短い指導をもらっているので、たとえ厳しく言われたとしても、自分だけじゃないのである。

まあ、作品指導も、何度か聞いていくうちに慣れてくる。とくに自分のではなく、他人の作品指導を聞いたりするので慣れてくる。なにしろシロウトの書いた作品だし、講師に指摘されそうな部分は、みんな同じようなところだったりする。実は、作品指導の講義というのは、こういう、「人のフリ見て、我がフリ直せ」が一番効き目があるのである。自分の作品について、あれこれ指導を受けても、実際のところ、どうも「その作品」については、そりゃよくなるかもしれないけど、また次の新しい作品を書くとなぜか同じミスをしている。なぜか不思議なのだが、どうもそういうもんらしい。

それよりも、他の人の作品を客観的にみて、「前半はいいけど、後半ちょっと面白くないなあ。どうやったら面白くなるかなあ」と考えたり、「ああ、ここんトコをこうすればいいのに」と思ったり、「あ、こうすればいいのかな」と自分で気がつく方がいいようだ。しかし、そんなことに気がつくには、「読み方」について、勉強しなくてはならず、そのためには、それほどうまくない他人の原稿をプロ作家の先生たちがはたしてどういうところに気をつけて読むのか、というのを何度か聞いてみるのがてっとりばやい。自分の作品について、完全に客観的になれる人はまずいないが、他人の作品は、冷静に読めるので、欠点とかも、おそらくよく見えるのである。

というわけで、とくに前期の作品指導というのは、自分の作品にコメントをもらうというよりは、他人の作品についての講師のコメントを注意深く聞いておく方がずーっと勉強になる。だいたい日頃、うまい小説はいくらでもたくさん読めるが(本屋に行けばたくさん売っている)、そこそこうまくないという作品を読む機会なんて、そんなにないのである。ヘタな作品というのは、やっぱり面白くないし、ちょっと読みにくかったりする。最初のうちは、たぶん「なんか変だな」と思っても、どこを直せばいいかわからないが、先生たちのコメントを聞いているうちに、なんとなく「ああ、こういう作品は、こういうところに気をつけたらいいのだな」とか、わかってくるもんである。

……なんて話を毎年、生徒さんたちに教室で話をしているのだが、なぜか自分の作品コメントにしかまったく興味がなくて、作品集を配布しても、他の人の作品はほとんど読まないなんて人が毎年1〜2人はいる。後期の課題になると枚数が多くなるので、だいたい8〜9回くらいに分けて指導があるのだが、こういう人は、たいてい自分の作品指導の日しか来なくなる。でも、正直、これはかなりもったいない。

ちなみに、前期のうちは、生徒同士の合評をしたりするのにも、実は私自身はかなり慎重である。というのは、どうも生徒さんのコメントというのは、ちゃんとした的確なものもある一方、ちょっと的外れなものもある。で、専攻科ぐらいになってくると、講師の作品指導コメントも何度も聞いているし、そうなると、さすがに聞く方も「どういうコメントが的確な指摘で、どういうコメントならアテにならないか(とりあえず聞くだけでいい)」がわかってくるのだが、まだ慣れてない人は、どうも他の人からの指摘を聞き流すことができないので、気にしなくていいことまで気にする傾向があるのである。これもそのうちわかる人はわかるのかもしれないけど、むしろ時間のロスだから、半年ほど我慢してもらっているのである。

そりゃ、小説講座に入学したばかりの人は、一刻も早く自分の作品指導をしてもらいたいのはわかっているのだが、そういうわけで半年ほどはちょっと微妙なのである。だいたい半年もたつと、毎週、プロ作家のレクチャー講義も聴いているわけだし、なんとなく、
「そうか、商業出版をめざそうとしたら、こういう作品じゃないとダメなのか」
くらいにはわかってくるので、このほんのちょっと待つ方が案外、やっぱり早道なんである。

結局、自分の作品をいいものに直すには、「自分の作品をある程度、客観的に見れる」ということだけじゃなくて、「小説を読む技術」が必要で、この「読み解く技術」というのも、創作にはかなり重要なものらしい。

てなわけで、今年も「前期課題・作品集」配布いたしますんで、生徒諸君は、ちゃんと読んで、じっくり考えたりしてくださいまし。

02/22/2008

文章講座の生徒募集、アッハ

2月21日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。夕方に戻って、また9時半まで事務作業。

そろそろ春の生徒募集の時期。資料請求のメールもチラホラあり。

春は、小説講座の開講はなく、文章教室「ライティング講座」のみの募集。こっちは、半年間の初心者向けの講座で、「なんか書いてみたいけど、何をどう書いていいかわからない」という人向けの講座である。去年は、めずらしく男性の若い生徒がかなり多かったのだが、土曜の昼のクラスだし、たいていは女性が多い。いわゆるOL、主婦、定年退職者とか。秋開講の小説講座へ編入すると、学費割引があるので、秋の開講を待つついでに受講する人もいる。なんだかんだで、半数くらいは小説志望。あとは色々。

今のライティング講座は、プロのライターや編集者によるレクチャー(現場の話を聞く講義)と教室実習とが半々ある。昼の講義だし、定員15人以下だから、なんとなくほのぼのとしたクラスである。「ライティング講座」は、作文からエッセイ、ルポ、編集、小説、シナリオと、「書く」という仕事を広く浅くまんべんなく体験できるように設定したコースなので、ある分野に対するプロ養成をめざす講座ではない。だから、一応、プロ養成というコンセプトの小説講座と違って、担当する側にとっては、なんとなく気がラクなコースである。

ちなみに、プロのライター志望の方には、問い合わせがあっても、
「本気で、ライターとか、編集者になりたいのなら、うちじゃなくて、『大阪編集教室へ通った方がいい」
と言っている(あそこなら、編プロへの就職斡旋もしている)。実際には、ライター募集とか仕事の話もたまにうちにも来たりするのだが、そういうのも全部、他の学校へ話をふっている。小説講座や文章教室に通ってみたいなと思っている皆さんは、各講座の特性を理解して、自分のニーズにあった学校を選びましょう。

ところで、新聞を見たら、笑いを測る機械のことが紹介されていた。アッハという単位で、腹膜の振動を測るらしい。なんだか、それは他のいろんな測定機と組み合わせて、色々測ってみたいような。

しかし、あいかわらず面白いことを考える先生である。実は、20年近く前、私がコピーライターになったのは、この先生に紹介してもらったのがきっかけ。大学を卒業して、いったんは外食産業に就職したのだが、交通事故で身体を痛めて辞めてしまい、ブラブラしていたついでに、ここのゼミを受講させてもらっていたことがあったのだ。卒業生ではないのだが、ゼミ発表もさせてもらったような覚えもある。たしかグールドの「シャム双生児は一人か二人か」というエッセイをネタに、個体と社会の境界みたいなテーマで話をさせてもらったような。

(卒論は、実は、ストリップ劇場のフィールドワークがテーマで「男性の性欲と風俗産業」。風俗産業を「触覚的刺激」と「視覚的刺激」でサービス分類。卒論としての出来が悪いので、何とも言えないけど、どっちかというと、たぶん産業分析のつもりかな。ま、社会学部だったんで)

そういや当時から、どうも「笑いを測る機械をつくる」という話は出ていたような気がするな。誰でも考えるだけなら考えることだろうから、気にはとめてなかったけど。とにかく「興味があるもんなら何でもいい」という好奇心の塊みたいな先生がいっぱいいたので、私にはとても楽しい大学生活だったが、なんか最近、スケートで知られてたりして、母校の宣伝がやたらうまくなったような気がして、個人的にはそっちにちょっと驚いてたりする。たしか当時は、合コンでは2番目に敬遠されるという、やたらやぼったいイメージの大学だったような気がするんだけど、今はどうなんだろな。

02/21/2008

小説の描写と記載のための観察自体の理論依存性

2月20日(水)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

先日、小説創作とは全く関係のない本(都城秋穂『科学革命とは何か』)を読み返していて、ふと思ったのだが、小説の「描写は理論に依存する」……のではないかしらん。理論ってのがハマらなければ、思想かも。すなわち個性かな。なら、そんなん、あたりまえやん、と言われるかもしれないけど、そこの間には、「観察」があるわけで。いや、科学の「観察は理論に依存する」というところを読んでいて、なんとなく、ふと思ったので。

描写というのは、おそらく「それをどう見るか」という「観察」に依存する。「観察」は、理論に依存する……なんかちょっとレベルが違う気もするけど、ま、どうせ学術論文ではないから、別にいいんである。

生徒さんからよく聞く悩みなのだが、「描写がうまく書けません」という話がある。

小説創作に関する悩みは、一見同じように見えても、ひとつの原因に集約されないことも多いので、これも人によって違うんだろうけど、この「描写」がうまくできない問題は、「書けばいい内容とかイメージはわかっているのだがどう書けばいいかがわからない」と、本人が思い込んでいるのが原因ではないかと思うことがある。

つまり、あるイメージとか書きたい内容がちゃんとあって、「それが何かははっきりわかっているのに、書けないのは、それを表現する文章が思いつかないだけである」というのは、それって、もしかすると本人の勘違いなのではないかということなのである。つまり、そもそも「それが何かがはっきりわかっている」ということ自体が間違いである可能性もあるんじゃないのかな、ということなのだ。

たしかに「もやもやしたイメージ」というのはあるだろうし、小説の場合でも、たいていの人はビジュアルのイメージを頭に浮かべて書くことが多い。こういうのは、そのまま文章にしたいと思っても、なかなかうまく書けない。でも、なんつーか、こういう生徒さんと話をしてると、本人は「頭の中でははっきり見えている」つもりなのに、なんかほんまに見えてんのかなあ、と思うことが多い。見えてない感じがするのである。実際、たとえばあるシーンだとかがうまく書けないと言うので、
「じゃあ、まとまった言葉にならなくてもいいから、どんな景色か、なんとか説明をしてみて」
みたいな話をちょっとしてもらっただけで、なぜだか妙にツジツマが合わなかったりすることが多い。いや、ツジツマが必ずしもあってないとダメなわけじゃないんだけど、「ちゃんと見えている」にしては、かなりヘンな感じがすることが多いのである。たいていの場合、なんかわかってないから書けないっていう可能性の方が高かったりするし。

正直、生徒さんの「自分の頭ではちゃんとできている」とか「頭の中でははっきりわかっている」というのは、ストーリーにしても、キャラクターにしても、あるシーンにしても、私はあんまり信用できないなと思っている。

もしも本当にイメージがはっきりしているなら、確かにうまく書けないという感じは残るだろうけど、まったく書けないもんでもないみたいである。てか、そういうのって、むしろ書いてから初めてはっきりするもんだろうと思うけどな。たぶん感覚的には小説創作って、そんな感じじゃないのかな。

とにかく「どう書くか」は、「どう見るか」という観察による。小説の場合、必ずしも「現実」を書いているわけじゃないけど、頭の中の風景であっても同じである(実際、一から作っているというよりは、体験やこれまでに見た景色を積み木みたいにして新しい怪獣をつくってるみたいだけど)。

小説は「視点」を設定することがほとんどだから、これもあたりまえと言えばあたりまえだけど(でも、あいかわらず「神の視点」にこだわる生徒さんもいるし)。小説は芸術だし、そういう概念はないだろうけど、「記載のための観察自体の理論依存性」つまり早い話が「見ること自体も、人により場合によって違う」。小説って、この違いとか、感情移入とか、空想力なんかを活用してるわけだしさ。

「熟練した岩石学者は顕微鏡によって一目で無意識的にいろいろな鉱物を鑑定することができるが、その教育を受けていない素人は何物も鑑定できない」

「顕微鏡で鉱物や岩石を観察する場合に、新しい鉱物をみつけるのが上手な人と下手な人とがあって、その差はたいへん大きい。この差の主な原因は、上手な人はこれこれの鉱物がでてくるかもしれないという予想(これも一種の理論である)をもって観察するが、下手な人は顕微鏡をただ機械的にみているだけであることにあるらしい」

しかし、なんですなあ。こういう本を読んでも、ふと小説創作にあてはまるような気がするというのは、私の目もすでにアレなんでしょうなあ。人は探し出したいものを「見つける」ものなのである。

そう思うと、再読だからかもしんないけど、なんかもったいない読み方をしている気もする。

02/19/2008

課題作品集、ラジオ番組の制作依頼、コントライブ

2月19日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

欠席者に資料発送。11期の前期課題「作品集」の印刷準備など。
11期の作品集は、昨年よりは本数が少ないのだが、やはり2分冊になりそう。ある生徒さんの作品、やはり気になる点があるので、電話連絡をとって、金曜までの郵送で修正版を送ってもらうことに。

前期課題の作品指導は、青木治道先生と堀晃先生の対談形式の予定である。プロ作家とベテラン編集者の二人に、直接、作品を見てもらえるせっかくの機会なので、ちょっとしたところだけはあらかじめ修正してもらうことに。一応、プロ作家養成のコースなので、同人ネタみたいなパロディとか、あるいは「続く」みたいなことを書かれた作品を提出されるのは困るのである。もしもそういう作品が提出されても、やさしい先生たちは一応ちゃんと読んではくれるのだが、やはり商業出版でプロをやっているような先生は、そういう作品というのは、本気では指導してくれないもんなのである。てか、そういう作品なら、そもそもちゃんと指導しても仕方ないし、そんな必要がないし。

で、この生徒さんの作品は、独立した短編なのに、なぜか「続く」という書いてあって、もしかすると講師の先生がそこんところが気になるかもしれないから、やっぱり削ってもらう。連作短編のつもりらしいが、登場人物も設定も共通しているものでもないらしいし。小説講座の生徒さんの中には、わりと連作短編というパターンも多いのだが、それぞれ独立して読めるようにしてもらわないと、あまり創作の勉強にもならないからなあ。雑誌なら、不定期連載という感じ。

某制作会社で、番組ディレクターをやっている人(大阪シナリオ学校の卒業生)から電話あり。春から始まるラジオ番組のコーナーで、3〜4分の朗読ドラマの原稿を書いてくれる人はいないかという話。予算がないので、どうやらノーギャラらしいのだが、なるほど、それくらいの仕事は生徒さんにはちょうどいい勉強になる。週1本だけらしいし、元ネタも提供されてくるらしいから、それをうまくまとめるだけである。しかも最初の面談以外は、とくに局にも行く必要もないらしいし、なんならメール入稿でいいらしいから、うちの生徒さんみたいな社会人の人でも片手間にできそうである。

でも、こういうのは、シナリオ学校の生徒さんの方がいくらでもやりがる人がいそうな話だ。聞けば、演芸科の担当者とは面識がないらしい。そういや脚本科の生徒さんは、映画とかドラマ志向だし、プロ志望はシナリオコンクール狙いが多いから、こういう小さい仕事はやりたがらないかもしれないなあ。ちょうど今日、夕方からその演芸科がらみのコントライブに行く予定だったから、私から伝えておくことにする。

で、7時から、B1角座にて「蝶美蝶子コントライブ」。大阪シナリオ学校の生徒さんの台本で、コント7本(ライブで4本、ビデオで3本)、たしか演芸作家の大池先生のゼミ生だと聞いているが、木村佳史・演出のおかげもあるのか、予想よりはずっと面白かった。若い生徒さんが書いているわりにネタはベタだったのだが、客席も満席だったみたいだし。でも、できれば漫才も聞きたかったかな。

日本橋あたりで、かるく食べてから帰宅。

02/18/2008

小説とは関係なくもない休日(ハナシをノベル)

2月18日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

夕方から、中之島公会堂の「ハナシをノベル」に行く。作家たちが新作落語を書いている落語会である。うちの講師の先生たちも参加しているイベント。このところ、しばらく土曜の開催だったので、私が行くのは久しぶり。

今回の新作落語は、井上雅彦・作『いらちのお化け屋敷』、浅暮三文・作『ぴゅうするる』の2作。新作落語の初演なので、完全に「客」として受け身で聞くというのは難しいかもしれないのだが、いろんな意味で「落語とは何か」とか「小説と落語の違い」とか「話し言葉と書き言葉の違い」とか、毎回あれこれ考えさせられて、個人的にはおもしろい。生徒さんが何人か来てたようだが、話はできず。

『いらちのお化け屋敷』は、なんとなくバラバラした感じだけど、何度かやってこなれてきたら面白いかも。江戸落語的なところがあったり、妖怪にホラー愛を感じてしまいましたわ。個人的には、『ぴゅうするる』がかなりお気に入り。とくに前半、真ん中あたり、「おっ」という感じ。残念ながら後半はくずれてしまったみたいだけど、案外、八天さんって、メタ話も似合うのかも。同じ動作が繰り返されるので、そこの仕草が面白かったら、けっこうウケるかも、と思ったり。落ちていく世界は、なんか『マテマティカ2』の「イッシー人」が地下世界に入っていく映像を思い出したり(「イッシーすごろく!」)

しかし、小説なら、いくら不条理でもそれなりに理にあってないとなんか気持ち悪いのだが、落語だと同じ不条理でもなんかちょっと感じが違う。小説よりは、感覚表現がやりやすいからなあ。なんか不思議。きっと話し手があるからなんだろうな。話し手が平気で話していると、どんなむちゃでもなんかそうかなと聞けてしまうし、反対に、ちょっと話し手が不安になっただけで、途端に聞きにくくなる。小説だには、そんな話し手の声のトーンとか調子とか強弱とかリズムとか、いろいろなもんが全然ないわけで、そういう意味ではホント全然違うもんなんだよなあ。そりゃ、違うのは、あたりまえなんだけど。

落語会が終わってから、打ち上げにもご一緒させてもらう。牧野先生、我孫子先生、北野先生たちと一緒のテーブルで、ファンならヨダレの面白い話をあれこれ聞く。
(……と書いて、今、一瞬、大量の牧野修ホラーファンが全員だらだらヨダレをたらしている図……という、恐ろしい映像が浮かんだ……なんと邪悪な)

小説とは関係のない休日(修学旅行の朝)

1月17日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

今日から、中2の長男が修学旅行。二泊三日でスキーなんだそうだ。新大阪に朝7時45分、直接集合である。最寄り駅から新大阪までは、地下鉄で40〜50分ほどかかる。「修学旅行のしおり」を見ると、6時20分〜6時50分までの時間に4本ほど電車があるらしく、そのどれかに乗るようにと指示されている。

「ほんでな、新大阪まで友だちと一緒に行くつもりやねんけど、近くの公園に、5時40分に集まることにしてるねん」
「え、5時40分? 地下鉄の駅までゆっくり歩いても10分やん。一番早くても、6時20分に乗ればいい電車やのに、なんで5時40分?」
「ほやかて、ほら、誰か遅れてきたら困るやん」
「誰かって? 何人で行くの?」
「5人やねん。だから、5時半には家を出るわ」
「それもなんで10分前? 公園も、1分で行けるやん」
「ええねんええねん」

で、前日は小説講座の講義があったので、私が帰宅したのは深夜12時頃。風呂に入ってから、即刻、弁当を作りはじめて、深夜2時に作り終わる。なにしろ遠足の日だけは、いつもめちゃくちゃ早く起きるあのアホのことだから、5時半に出発するつもりなら、おそらく4時には起きてくるはずである。布団に入った途端に起こされたらたまらんから、と、とりあえずコタツで仮眠をとっていると、案の定、やっぱり3時50分に目覚ましが鳴る。いつもなら目覚まし時計が2個さんざん鳴っても起きないくせに、今日は一個が鳴っただけで、さっと音が止まる。ほんま、こういう時だけ、やればできるのであった。
(あとで聞いたら、ホントは妹たちからも借りて、目覚まし6個を仕掛けていたらしい)

ほんでもって、はりきって朝食を食べる息子。しかし、20分ほどで準備ができてしまい、4時半には時間をもてあますことに(あたりまえだ)。で、ずっと部屋をウロウロしている。
「やっぱ、ちょっと起きるの早すぎたかな」
「あたりまえや。昨日、何時に寝たん?」
「早く寝なあかんと思て、7時には布団に入ってん」
「7時? そんなに早く布団に入って、ちゃんと寝られる?」
「寝られへん」
「あたりまえや。急にそんな早く寝れるわけないやん」
「結局、11時まで寝られへんかったけどな」
「アホやなあ」
「なあ、5時になったし、友だち、そろそろ迎えに行こかなあ」
「なんでやねん。やめとき。5時に起きても間に合うんやから、きっとまだ寝てるで」
「5時15分くらいやったら?」
「それより、ちょっと落ち着いたら。まだ30分もあるのに、リュックも背負わんでええやろ。いや、そのカバンも持たなくてもええって。それより、忘れ物ないかチェックしたら」
「それは昨日、なんべんもした。最後にパパにチェックしてもらって、もうこのままにしとけって。もう触るなって言われた」
「またカバンから出したら、わざわざ忘れるからやろ。なあ、ホントなんでアンタさっきから、ずっとピョンピョンはねてるん。ちょっと、じっとしたら?」

落ち着かないらしく、動物園のクマのようにうろうろする息子。ほんま、どんだけ楽しみやねん修学旅行。まあ、親としては、行くのを嫌がっているよりはずっといいけどなあ。でも、なんか子供っぽすぎへんかなあ、こんなもんなんかな、中2って。やっぱ、うちの息子だけアホなんとちゃうかなあ。

などというやりとりをしてたら、ピンポンと玄関に友達がやってきた。見ると、5時20分。
アホ息子の友達も、やっぱ、そうなのであった。類友である。

「じゃ、行ってくる!」

新大阪発の新幹線は、たしか8時過ぎの発車のハズなんだけどなあ。

ほんま、こんなアホばかりをまとめて修学旅行に連れていかねばならない中学教師ってのは、ホント偉大な職業だよなあ。

02/17/2008

小説家志望もいろいろ

2月16日(土)
朝から外出。昼から小説講座の事務所。夕方、小説専攻科と11期講義あり。

専攻科の講義は、作品指導3編。講師は、五代ゆう先生。本日は、ボーイズラブとか、パロディ小説とか(初音ミクねた)、かなりディープなラインナップである。いやあ、小説ってホントいろいろな内容があるんですよね。とにかく内容的にけっこうアレでナニなので、ミステリとか時代小説志望とかの生徒さんたちはかなり欠席するだろうなあと思っていたのだけど、まあまあの出席率だった。いや、思っていたよりは。やっぱり皆さん、勉強熱心です。

結局、前回よりほんの少し少ない程度の出席率。半数くらいか。しかし、出席してても、内容的にはさっぱりついてけず、講師指導のコメントも何を言ってるかわからないという脱落者も多数あったようだけど、五代先生の親切で丁寧な解説(?)もあったそうだし。

11期のクラスは、北野勇作先生。ご自身の体験談とか創作法を丁寧に話してくれるし、わかりやすい内容なので、いつも人気のある講義である。後半は、自作の短編を発想から解説。文章表現で注意したところなどを具体的に説明してもらう。

見学者一名参加あり。この時期の見学者は、春から開講の「文章教室」(ライティング講座)の入学希望者だったりすることが多いのだが、この人は、小説講座への中途入学希望。もっともかなり遠方在住みたいだから、入学されるかどうかはわからない。名古屋からの通学者が、専攻科にも一名いるので紹介をしておく。福井からの通学者は、雪のせいでかなり遅刻。遠距離通学は、ホント大変である。福井からの生徒さんは、今夜は、友だちの生徒さんの家に泊めてもらうらしい。みんな励ましあって、がんばろうね。

講義後、いつものように飲み会へ。専攻科のテーブルの方を見たら、講師の五代先生のむこうにBL組が集結して、飲み会でも妖気を発していた(ように見えた)。一方、まだ入学して数ヶ月、まだ前期指導も終わってない11期のテーブルは初々しい雰囲気(?)で、SFファンチームによる「ジユーイシ」話など。

帰りしな、会計をしようとして、ちょっとした割カンのミスあり。あとから来た人が頭数に入っていて、一口も食べてないのに同額で割カンになってしまったらしい。安い店だし、ふつうに腹一杯、中華料理を食って、ビール飲みまくっても千円ちょっと。講義後の8時から飲み始めて、遅い人は11時半頃まで飲んで議論してたりするので、最終的には1500円くらいになることもあるけど、この日は1100円。

しかし、飲み会も数人ならいいけど、専攻科と本科あわせると数十人いるので、各自の食った量にあわせて会計してたら、ものすごくややこしくなるのよね。だもんで、毎回たとえ一滴も飲めなくて餃子1個しか食ってない人でも割カンで会計してるんでごめんしてね。まあ、酒が飲めない人で、割カン負けをしたくない人は、腹一杯、食いまくってくださいまし。料理の量がてんこもりの店なので、あの店で2千円分食えるヤツはいないだろうが。割カンもビールだけで、ビール以外のアルコールは各自実費だから、飲む人でもそんなには何百円も飲めないはずなんで。

うちの講師の先生たちは、たいていわざわざ残ってくれて、親切に生徒さんの質問に答えてくれたりする。ま、そう考えたら、これも私にとっては一種の仕事のうちなのだが、飲み会の会計もけっこう神経使うんよね。金銭的に苦しいフリーターの人もいるので、毎回の会計は、何が何でも1500円以下にしておきたいので、安くついたときはちょっと百円くらい多めに集めたり、人数が多いと店長が5%くらい会計バックしてくれるので、それをコツコツ貯めておいたり。

でも、プロ作家さんの創作話、ぶっちゃけ業界話なども聞けてかなり貴重な機会。仲間との意見交換もできるし。とにかく、みんなが機嫌よく飲んでくれれば私はそれでよし。で、この中華屋が、後年、小説界の「トキワ荘」になるとかならないとか……だといいんだけどね。

02/16/2008

子供の参観日、男女参画社会と家事分担

2月15日(金)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

午後から仕事を休んで、双子の娘たちが通う小学校へ。参観日である。隣どうしの教室だったのだが、ちょうど真ん中あたりの廊下に立つと、両方ともそれなりに見える。ずっと廊下でウロウロ。

どっちかつーと、私はワーカホリックなタイプだから、仕事を休むのはイヤなのだが、娘の参観日は親の義務である。ホントは、息子の時はほったらかしで、参観日にも行かないこともよくあったのだが、彼の場合、ちゃんとプリントも親に渡さないで、参観日も当日まで忘れてたりするから(そういや、当日の朝8時まで遠足なのを忘れてて、あわてて弁当を作らされたこともあったっけ……)参観に行かないのも、必ずしも私のせいばかりではない。

夫も「参観日に行きたい」と毎回言っているのだが、なかなか仕事を休めないらしい。土曜参観でもない限り、やはり平日の参観は難しい。教室を見ると「父親」が来ているのは、ほんの一人二人である。男女平等とか、父親の育児参加とかが叫ばれていても、現実というのは、ま、こんなもんである。まして、この地域は、共稼ぎ世帯が少なく、どっちかというと専業主婦がいる家庭が多いらしい。実際、今日、二つの教室で見かけた男性は、たった一人だけ。あとはみんな母親。

世間の父親が、たとえ育児に参加したくても参加できない事情はよくわかる。専業主婦がばっちり家事をやっていて、夫は仕事だけという家庭がけっこうあるので、共働き家庭というのは、男が家事や育児を手伝うのには、ある種の「障害」のようなものがある。長時間労働だとそもそも無理だし、たとえ休もうと思えば休めても、社内にかなり厳しい出世競争があったりすると仕事を休みたがる人は少ないだろう。そういう仕事なら、おそらく家事や育児を手伝おうとしたら、社内での出世をある程度あきらめなくてはいけないかもしれない。競争が厳しければ厳しいほど、専業主婦に支えられて、仕事だけに専念できる男性の方があきらかに有利である。

まあ、公務員とか、さほど評価の差が激しくなかったりするとまた別なんだろうけど、仕事での評価がいくら低くてもいいという男性はやっぱり少ない。職場環境にもよるし。広告業界とか、長時間勤務はあたりまえだったしな。10時より早く帰宅するヤツはいない。深夜11時から打合せやったり(笑)

私の場合、長男を生んでからも、しばらくは会社勤めをしてたのだが、毎晩、帰宅が遅くなって、夫に
「うちは、父子家庭か」
と言われたので、フリーランスになったんだよね。

まあ、家庭内の収入と労働効率を考えたら、場合によっては、稼ぐのと家事とは、分担してしまった方がいい場合もあるかもしれないけどねー。

私自身、もしも独身で子供も生まず、仕事にずっと専念できてたら、業績が何パーセントかアップ……してたかもしれない。そりゃ、たぶん今よりはアップしてただろうが……けど、人間って、拘束条件があった方がかえって集中したりするしなあ。

私は仕事は好きだし、今まで辞めたいと思ったことはほとんどないのだが(子供がたとえ熱をだしても)、育児と仕事を両立するのは確かに大変であった。双子たちが小さかった時は、たしかに体力的にも時間的にもしんどかった。

けど、ぜーんぶもう忘れたもんね。いや、相当忙しかったんだろうけど、子育てって、ツライことはなぜか全部忘れてしまうものなのよ。なんつーか、学生時代の楽しかった運動部のようなもんで、つらかったことも過ぎれば、みんないい思い出。

うちの子供たちが大人になる頃には、ちょっとは変わってるんかなあ。

02/15/2008

バレンタイン合戦で大騒ぎ

2月14日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

専門学校に行くと、教室には甘い香り。昼休みが終わってからの教室で、学生さんたちが大チョコレート交換会を繰り広げていたらしい。女子たちは、まるで大イベントのようにワイワイとバレンタイン合戦を楽しむ。男子もついでに「おこぼれ」をもらう。今時の女性は、バレンタインなんぞなくても、愛の告白でも何でもやれる。やはりバレンタインデーは、女子同士の楽しいチョコ交換会である。

もしかして女って、イベント好きなのかも。むろん、そうじゃない子もたくさんいるだろうけど。でも、ふと「これって、何かに似ているな」と思う。気のせいかもしれんけど、なんだか、ちょっとバーゲンの高揚感に似ているな。

なんかアホらしいけど、ほのぼのと平和な光景である。

家に帰ると、夫のパソコンの横には、チョコの箱を何箱も積み上げてあった。一応、私も、小さなチョコとおしゃれなブックマークを渡しておく。妻には期待はしてないだろうが、なんにもないとそれはそれで寂しいらしい。男ごころは複雑。


02/14/2008

バレンタイン前夜

2月13日(水)
朝から小説講座の事務所。

夜、自宅に帰ると、玄関ドアを開けるなり、なんだかコゲくさい臭いがする。中2の息子がチョコレートケーキを焦がしていた。彼は、夕食くらいは作れるので、完全に食えないほどの失敗するのはめずらしいが、そう言えばケーキを焼くのははじめてだったのだ。クッキーなら焼いたことがあるはずだが。

先日から、うちでは小4の双子の娘たちが「友チョコ」作りで毎日、大騒ぎしていたのだが、まだうまく作れないので、あれこれ兄に手伝ってもらっていたのである。といっても、どうせクッキーを焼いて、そのうえに板チョコを湯煎してかけて、ココアやホワイトシュガー可愛く飾るだけ、なのだが。
で、彼も何か作りたくなって、ケーキを焼いてみたらしい。彼は、昨年もたしかクッキーを焼いたり、チョコを作ったりはしていた。ちょっとやってみたくなっただけで、とくに誰にあげるとか、そういう「野心」はとくにない……はずである。ま、最近は、女の子も、とくに好きな男の子にあげるというような意味はほとんど失われているみたいで、女の子同士でチョコ交換会がスタンダードらしい。

娘たちに、
「好きな男の子とか、あげるんとちゃうん」
と言ったら、
「昔は、そうやったんやろ。ママたちの時」
と言われてしまった。

いや、昔……つーか、まだそういうもんと思っている人はけっこういっぱいいると思うんだけどさあ。

「あーあ、ちょっと失敗やったなあ」
「ま、誰でも失敗はあるよ」
「兄ちゃんだけ、ケーキとか作ろうとするなんて、ズルいわ」
「そうや、兄ちゃん男やのに、ヘンやろ」
「べつに男でもええやん。ボク、作りたいから作ってるねん。だいたいパティシエかって、男やねんで」
「えっ、そうなん、ママ」
「パティシエ? ああ、そら、女も男もおるやろけど」
「でも、ボク見たテレビでは、男やったで。どっちかつーと、男の方が多いんとちゃうの」
「ま、そうかもなあ」
「ええっ、そうなん!? コックは男が多いけど、パティシエはみんな女やと思ってた」
「いや、それは、たぶんないんとちゃうかな。やっぱ、男の人が多いかもな」
「えー、そうなん。ほんなら私、パティシエになるん、やめとこ」
「あんた、いつからパティシエや。このあいだまで、花屋さんになりたいってゆうとったやん」
「いや、毎日ケーキ食べられてええかなーと思て」

毎年、バレンタインが来るたびに「日本て、平和だなあ」と思うのであった。ええなあ、チョコレートひとつで幸せになれて。

02/13/2008

そろそろ春募集

2月12日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

せっせと事務作業。欠席者発送などなど。

4月開講予定の文章講座に、入学資料請求がちらほら。ネットからの資料請求が数件。「文章教室」の新しい時間割の印刷はまだしてないので、発送は来週になりそうである。

運営サポーターの人の意見では、文章教室の生徒数を増やすため、もっと広く宣伝をした方がいいという話なのだが、私自身は、採算性よりもむしろ「少人数制」にこだわりがあったりして、あいかわらず宣伝はあまりしていない。春開講の「文章教室」の定員は15名だが、こっちのクラスは初心者向けだから、一人ずつの能力を把握して、文章もちゃんとみるとしたら、これくらいが限界である。

うちはいくら非営利団体と言っても、寄付金で運営しているわけでも、助成金を得ているわけでもないので、さすがに赤字じゃ続けられなくて、講座の運営費くらいはなんとか捻出しなくていけないのだが、でも、個人的にはやっぱり少人数でやっていきたいなあ。採算性が低い要領が悪いやり方ってのは、わかってるんだけどね。

02/12/2008

小説とは関係のない休日(やっぱり書けばいいってもんでもない)

2月11日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

夕方頃から、ちょっと外出。

一昨日、小説講座の生徒さんから「読んでみてもらえますか」とあずかった作品(短編)をちょっと読んでみる。それなりに書き慣れたような感じはするけど、何度も読み直さないと意味が分からない部分がけっこうたくさんある。ちょっと意外である。なぜかというと、これまで教室で提出してもらった自由課題では、ここまでめちゃくちゃ変な感じじゃなかったから。なんだか妙である。うーん、もしかするとこれって旧作なのかな。小説講座に入学した生徒さんは、ほんの一ヶ月くらいでもなぜかかなり上達するのだが、自分が上達したことはわからないらしく、けっこう旧作も平気で提出してくるのである。

うちの小説講座の場合、とくに前期はプロ作家のレクチャーがメインで、前期課題指導までは、最初の3ヶ月ほどはきちんとした作品指導をしていないのである。代わりに「自由課題」という「作品集は作って配布するが、とくに指導はしない」という、ちょっと妙な課題がある。だが、なぜだかこの作品集で、他の生徒さんの作品を見たり、講師の話を聞いたりしているうちに、一ヶ月くらいたつと不思議にそれなりにうまくなるのである。たぶん直接的には、作品集になるということで、「他人の目を意識して書くようになる」というだけかもしれないが、それだけでもかなりうまくなるものなのである。人によっては、泳げないのに、いきなり海に出てきて、おりゃと突き落とされたみたいに感じられる人もいるみたいなのだが、ま、この方が短期上達が早いし、理屈ばかり学んでも書けるもんでもなし、どのみち実践しつつ、ケーススタディもしつつ、話も聞きつつ、という方がわかりやすいのである。

どんな人でも入学して1ヶ月くらいで、自由課題を書くだけでもうまくなる。むろん上達スピードはひとそれぞれだけど。でも、なぜかそれは自分ではわからないらしい。

とりあえず、ほとんど推敲されてない作品みたいだから、やっぱり旧作なのかもなあ。

何カ所か、文章がわかりにくいのは、いわゆる「ねじれ文」というヤツだからである。まあ、こういう文章を一度書いてしまっても、推敲時に自分で直せばいいだけなんだが。

もし「推敲しないのがクセになってしまっている」と、ちとばかり問題である。この人は、たしか入学までにすでに何編か書いていたと言っていたはずなので、ちょっと心配になる。こういう人は、少しばかり時間がかかることがあるのだ。文章の妙なクセがついてしまっているというよりは、この「推敲しない」というクセが困るのだ。いきなり面倒くさく感じられるみたいだから。

小説講座の場合、講師指導もあるし、生徒同士の目もあるので、言ったように、なぜかほっといてもそのうち格段にうまくなる。だから、たいていは、
「とにかくたくさん書けばいい」
と言うのだが、しかし、これは前提として、「入学までにあまりたくさん書いたことがない人」の場合である。入学までにすでに小説をかなり書いていた人の場合は、むしろすでに妙なクセがついていることがあったりするから、たくさん書けばいいってもんでもなかったりする。こういう人の場合、一番、困るのが「書いたら書きっぱなし」で、自分の作品を「推敲しない」というクセである。

あたりまえだが、「ただ大量に書くだけでは、本当はうまくはならない」のである。おそらく人に読んでもらうのも、ある程度は重要なのである。できるだけちゃんと読む能力がある人に。

そりゃ、別にプロ作家をめざしているわけでもないというのなら、いくらでも自分の好きに書けばいいのだが、少しは「他人に読ませる」つもりというのなら、「どう書けば、もっとよく伝わるか」ってことは、常に頭に入れて書いた方がいいので。

ところが、自分でコツコツ書いてきたという人の中には、
「自分にとっては書きやすく、他人にとっては読みにくい」
という文章を書くクセがついてしまっている人がいる。ちなみに、うちの小説講座では、同人誌やネットで小説を発表してたという人は、意外にそれほど多くないので(1〜2割くらいかな)、あんまりよくわからんけど、
「同人誌とか、ネットで発表してたなら、それなりに、人には読んでもらっていたはずなのでは」
と思うような人でも、なぜか文章に妙なクセがあって、かなり読みにくい文章を書く人がいるので、こういう場合も要注意である。どうも「ただ読んでもらえばいい」ってもんでもないみたいだけども。

で、こういうクセがついている人は、経験上「ほっといても、うまくなる」ことは少ない。まあ、なぜかこういう人は、「自分が公募に落ち続ける理由がわからん」みたいで、結局、一度書いた作品を手取り足取りかっちり赤ペン状態で、細かく修正してもらって、いちいち説明を受けないと「どこが読みにくいのか」がわからないみたいなのである。小説講座を十年やってきて、どうもそうらしいなと思っているのだが、こういう人は、どうも自分の文章に酔うくせがあって、他人には読みにくい文章を書きがちなのである。

ところが、このように一度ついてしまった荒っぽい「書きグセ」を直すのは、かなりしんどい。
「今までは、もっとずっとラクにサクサクと、いくらでも書けたのに、いちいち神経を使って書くのは大変だし、書くのがしんどい」
のである。しかし、ま、それはある程度は仕方ないんだけど、しんどいらしいのである。

プロでもそんなにはラクには書いてないと思うがな

エンターテインメント小説で、商業出版となると「文芸」という、まあ、ある種の芸人みたいなことをやっているわけだから、「お客さま」を喜ばせないとダメだし、いくら面白い話、感動的なシーン、いいアイデアを思いついたとしても、それが伝わらなくちゃ意味がない。

でも、ま、初心者の場合、この「推敲」ってのが何をすればいいかがまだわからないせいもあるしなあ。

しかし、ちょっと工夫したり、ほんの少し表現を変えるだけで、見違えるように作品がよくなるという経験を何度かでもすると、そのうち自分でも嬉しくなるんだけど。伝わるのは嬉しいもんね。

とにかく、やみくもに大量に書けばいいってもんでもない。たくさん書いて、なるべく人に読んでもらった方がいい。きっと料理みたいに、誰かに食べてもらって、毎回「おいしい」と言われれば、それだけで嬉しくなるし、もっと作りたくなるし、工夫もしたくなる。その方がすぐにうまくなる。コツコツ一人で書くのもいいけど、やっぱ、誰かに読んでもらおうね。

02/11/2008

小説とは関係のない休日(昨夜の雪をかきあつめ)

2月10日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

めずらしくまだ積もったままの雪。朝から子供たちがおおはしゃぎ。
「だってこんなの、生まれて初めてやもん!」
大阪では、11年ぶりの積雪だそうだ。あちこちから残り少ない雪をかき集めて雪合戦したり、昨日作った雪だるまを補強したり。

市内はせいぜい7センチほどだが、近所の公園にもあちこち小さな雪だるま。ちょっと土っぽいところが微笑ましい。ま、雪の多い地域に住む人から見たら、「なんやそれ」なんだろうけど。

02/10/2008

小説講座の退学届と入学希望

2月9日(土)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。夕方から11期の講義。

夫が横浜での公演のため、早朝から外出。諸事情により、私は午前中、自宅待機である。

めずらしく雪。

本日の小説講座は、11期のクラスのみ。雪がめずらしいので、事務所の近くの公園で子供たちがはしゃいでいる。数年ぶりの積雪。「こうなると、今日の出席者はかなり少ないかなあ。今日は講師のない教室実習の日だから、ただでさえ欠席者が多いしな」と思いながら、天満橋の教室へ。欠席者は9名。思ったよりは、まあまあの出席率かも。教室実習は、簡単なアイデア発想練習。合評みたいなことをほんの少しやろうかと思ったりもしてたのだが、なにせ前期課題の作品指導をまだなので、ご本人たちは気がついてないが、生徒さんは自分の作品や能力について、ややナーバスな時期である。コメントも慎重にならざるを得ない。前期課題は、堀先生&青木先生の対談形式による作品指導だが、これが終わるまで、生徒同士の合評もちょっと微妙。

10月に開講して、すでに3ヶ月なのだが、例年ならそろそろ辞める人が一人二人、出てくる時期。うちの小説講座は、少人数制だし、わりと卒業率はいい方だろうと思うのだが、さすがに忙しい社会人が多いし、毎週土曜ってのはけっこう大変なので、半年くらいで辞める人も年に1〜2人いるのである。学費は全納原則だが、半期ごとの学費精算なので、3月までに辞めると学費返金もする。もちろん後期に入ってしまうと学費返却がないのだが、3月までに辞めると後期の学費返却する。だから、退学届は2〜3月に出る(後期に入ってから来なくなる人もいるけど、そういう場合は、うやむやでフェードアウトである)。

なんだかんだで、毎年、1〜2人、前期の今頃に退学届が出る。去年は、一人。そういや、一昨年も一人。今年も、今月になって退学希望が一通。

入学して、全員がずっと通学してくれればいいのだが、色々な事情で通学できない人ともいるのは仕方ない。この人は入学以来、ずっと欠席が続いている人で、どうも土曜日に仕事があってどうしても出席できなくなったらしい。自由課題が一度提出されたことがあるが、わりと面白い作品を書くので楽しみだったのだけど、これも仕方ない。残念なことだが、社会人向けの講座なので、そこそこ面白い作品を書ける人でも、仕事や家庭などで、書き続けることができなくなる人は多い。

小説がうまくなる最大のコツは、「長く書き続けられる」ことのようである。他の小説講座ではよく知らないが、うちの場合、入学時に多少の「うまいヘタ」の差があっても、そんなものはそこそこ半年か1年、せいぜい2〜3年くらいで追いついてしまう。それよりも「なんとかして、仕事や家庭のやりくりをして、書き続ける」という能力があるかないかの方が、ずっと重要みたいだなあ。

そういや、作家になるには、ちょっとばかり不器用なくらいがいい……なーんてことを誰か、講師の一人が言ってたことがある。小説なんて書くのは、それなりに長時間かかるし、プロデビューしても収入が不安定。そんなものを仕事にするより、要領よく会社勤めができるなら、そっちの方がよほどいい……よね。ま、うちの生徒さんの場合、「二足のわらじ」のプロ志望が多いから、あんまり二者択一では悩まない人も多いみたいだけど。やっぱ、書くのが面倒くさくなっちゃったら書かないよね。

退学希望の人がいる一方で、今週になってから、なぜか入学の希望あり。うちの小説講座は、年に一回秋しか開講してないので、今頃、入学希望が来ても、次の秋の開講を待つしかないのだが、定員以下の場合は、中途入学は受け付けているので、秋まで待てない場合、4月からの文章教室を受講してから秋に編入する人もいる(そういや、去年も、2月入学の人がいたなあ)

まあ、単発講義が多いので、講座の途中からでもついて行けないということはないし。まあ、中途入学せずに、春からの「文章講座」を受講してから小説講座に編入する人もいるけど(学費割引があるので)

とにかく毎年、2月頃に中途入学する人が1名くらいいるものなのだが、どうもこの人、かなり遠方在住である。来週、とにかく見学に来るみたいなのだが、この住所だと、確か名古屋からさらに30分くらいはかかるハズである。たまたま数年前、おそらくこの近くだろうと思うのだが、このあたりから通っていた若い男性の生徒さんがいたので、見覚えのある地名なのである。この男性は、文章講座を受講してさらに小説講座にも進学した人だったから、かれこれ一年半ほど通学していたのだが、
「新幹線はいいんですが、名古屋からの電車があまりないから、そっちの方が大変なんですよね」
などと言っていた覚えがある。通学できるかどうかは、きっと電車のダイヤにもよるだろうな。

とりあえず見学してから入学するかどうか決めたいみたいだけど、そう言えば来週の講師は、北野勇作先生である。うちの講座の場合、毎週、講師が変わってしまうので、教室の雰囲気も毎週かなり違う。北の先生のSF大賞受賞作『かめくん』などは、うちの生徒さんでは、半数の人がめちゃくちゃ絶賛で、半数はスミマセン訳わかりません……みたいだったりするから……どんなもんでしょうな。話はいつもかなり面白くて、とくにSF好きにはめちゃくちゃヨダレが出る講義なのだが、個人的な創作ぶっちゃけ話もしてもらえるので、まれにカルチャーショックを受ける人もいるみたいだからなあ。見学に来る一般の人は、めったにプロ作家など見たことがないので、あれやこれやで、びっくりする人もいるのである。いや、どっちみち個性的な先生が多いんだけどね。

それに、どのみち通うとなると、おそらく新幹線通学である。ちなみに専攻科には、昨年まで東京からの通学生も在籍していたり、今も滋賀やら福井やら名古屋からの通学生もいるんだけれど、11期はそこまで遠方からの通学者はいないな。

あんまり宣伝もしてない小さな小説講座なのだが、けっこう遠方からの通学者がいたりする。たぶんプロ作家さんで十数人もいる講師が魅力なんだろうけど、それだけ「本気で書きたい」って人がいるってのが、私には嬉しい気がする。


02/09/2008

できないことより、できること

2月8日(金)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

毎週金曜に来るお手伝いスタッフの人が、この1月から英語のやり直し勉強を始めたそうだ。ラジオ英語を聞き始めたらしい。だけど、十数年ぶりに始めた英語は、かなり大変で、あまりの記憶力のなさにあきれて、早くもちょっとメゲているだとか。

「基礎英語1も全然聞き取れなくて、ちんぷんかんぷん」
……なのだとか。

その気持ちはよーくわかる。私も、寝ぼけながら朝ラジオを聞いていることがあるけど、全然わからんもんな。

でも、これはちょっと考えてみれば、あたりまえである。学校を卒業して十数年間、とくに英語を使うこともなく、すっかり勉強もしてないとなれば、まったく英語を忘れているのはあたりまえである。むしろ、まだちょっと覚えている単語があるだけ、たぶん儲けものなんである。「そういえば、何かそういう単語があったかな」くらいでも、あたりまえと言えばあたりまえなのだ。

それに、今はラジオ英語を始めるには時期がずれていて、基礎英語1だって4月始まりだから、少しは難しくなっているもんだしね。

そもそも、私くらいの世代は、学校ではまったくリスニングというものをやったことがない世代だから、そもそも聞きとりが不得意な人が多い。学校卒業後、十数年ぶりなら、基礎英語でも聞き取れなくても別に仕方ない。「全然わからなくてあたりまえじゃ」だと思って、なんつーか、開き直ったくらいでもいいんじゃないかなあ。だって、別に大学受験とか目的じゃないわけだし。だから、そんなことで、いちいちメゲる必要なんてないのである。

ところで、そこで気がついたのだが、小説講座や専門学校でも、よく生徒さんたちからこれに似たような悩みを聞くことがある。

つまり、小説とかマンガを書きはじめて、
「あれもできない、これもできない、全然うまくできない」
と、いちいちメゲる人がけっこういるのである。まだ、書き始めて何作も書いてないのに、である。

でも、きっと、
「あれができない、これができない」
と、できないことをいちいち数えるよりも、
「これはわかる、これも覚えている」
と考えた方がいいに違いないのである。

まだ小説をあまりたくさん書いたことがない人が思ったようにうまく書けなかったりするのは、ある意味、あたりまえである。それでいちいちメゲる必要はないと思う。

だが、そういう人は、これができた、これができる……ということを数えずに、これができない、これができない……とできないことばかり考える。

しかし、それだったら、「どうやったらできるようになるのか」を考えるべきであって、できないことをただ数えるだけ数えているだけなら、そんなものはただメゲるだけで、何も役に立たない。やっても仕方ない。

ま、小説を書くという行為は、どうしてもかなり孤独を強いられる作業なので、最初はやる気があっても、すぐにやる気を失う人はけっこういる。そういう人の多くは、いきなりやってみて、なかなかうまくできないと、すぐにメゲてしまうみたいである。そりゃ、ちょっと面倒な作業であることは確かなので、別にイヤならムリにやる必要はないと思うけど、なんつーか、ちょっとやってみて、あきらめちゃうってのは、なんだか、完全主義者なのかなあ、なんて思ったりする。

大人のための英語学習もきっとそうなんだろうけど、なんだか、こういうのに何もかも完璧をめざすというか、減点法を持ち込むってのは、ちょっと違うんじゃないかなあと思う。ま、こんなもんは、加点法なんじゃないの。小説なんてのも、どっか最後には「面白ければ勝ち」みたいなもんがあると思うけど、英語だって、ある程度、通じれば勝ちなんじゃないのかしら。いや、そりゃ最終的にどうしたいかは人によるんだろうけどさ。

しかし、なんつーか、ホント、できないことを考えるよりは、これができるというのを数えた方がいいんじゃないかなあ、と思う。うまくなりたければ、たぶんそれを増やせばいいだけで、できることが増えるのは何だって楽しいしね。英語も、小説も、そこそこ伝わったりすると、こっちも嬉しいもんだろうし。で、そうやって、嬉しいなあ楽しいなあ面白いなあ、なーんて言いながら、うまくなっていっちゃったりするといいと思うんだけどな。

02/08/2008

今日も仕事三昧

2月7日(木)
朝から小説講座の事務所。午後から外出。

夕方からまた事務所に戻り、9時半の閉館時間まであれこれ事務作業。読まなくてはいけない資料や本、生徒作品などがたまっていたので、閉館後もファミレスに2時間ほど。しかし、私はたぶん働き者なのではなくて、仕事の要領が悪いだけである。私は学生の頃、試験前になると、必ず、試験以外の勉強がしたくなるような性格だった。それが今でも直らないだけである。

でも、仕事が趣味みたいなもんなので、こういうのは別につらくはない。ただし、私は3人の子持ちで、すでに息子が中学生だ。そうそういつも残業ができるわけでもないので、もうちょっと集中して仕事をかたづけようと思うのであった。やっぱ、いかんよな。


02/07/2008

小説講座でも、演芸は人気あり

2月6日(水)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。提出作品のチェックなど。

午前中、久しぶりに大阪シナリオ学校から電話あり。

2月19日にあるイベントがあって、そのチラシをうちの生徒さんにも配付してもらえないかとの話。ある漫才コンビのコントライブの台本をシナリオ学校の生徒が書いたらしい。うちの小説講座「エンターテインメントノベル講座」は、現在は「創作サポートセンター」として独立運営しているが、もともと大阪シナリオ学校の中にあったコースである。3年半ほど前までは、私もシナリオ学校の運営に関わっていたので、何かとご縁はある。ま、入学式に手伝いに行くくらいしかしてないけど。

大阪シナリオ学校には、放送系の「シナリオ」や「演芸台本」などのコースがあるので、講師や生徒関係のイベントなどが多い。なにせ映画監督、シナリオライター、劇作家、放送作家、演芸作家などが百人近く講師になっていたりするから、その関係の映画やら舞台やらはしょっちゅうあるのである。学校自体もすでに創立50年が過ぎ、多くの生徒さんがすでにプロになっているので、それこそ卒業生関係のテレビ番組やらラジオ番組も毎日大量にやってるし、イベントだって、なんだかんだで週に何度もあるのである。

けど、今、チラシ配布の依頼があるのはめずらしい。

たぶん台本を書いたのは、大池晶先生のゼミの生徒である。私は、かつて大池ゼミの生徒でもあったので、なるほど、これはおそらく「ライブチケットの売上げアップに知恵を貸せ」ということではないか。うちの小説講座では、意外にも「漫才台本」がけっこう売れたりするので、コントライブのチケットも売れるかなと思ったのかも。

しかし、確かにうちの講座には演芸好きは多いけど(ちなみに、エンターテインメント系の小説家の先生たちも『お笑い』は好きだったりすることが多い)、ほとんどが社会人ばかりで、平日は忙しい人が多いから、あいにくイベント参加率はそれほど高くないのだった。テレビはけっこう見てるみたいだけど。

しかも、今回はあいにく、たまたまその前日2月18日(月)に、創作落語会「ハナシをノベル」がある。うちの講師の作家の先生たちが台本を書いているイベントで、客席にも人気作家がうじゃうじゃいるという、かなり変わった落語会なので、うちの生徒さんの場合、こっちに参加される可能性が高いのだ。

うちの生徒さんは社会人だし、年齢もけっこう高いので(20代後半から40代前半までが一番多いけど、50代60代もいる)、既婚者も多かったりして、さすがに2日続けて演芸イベントに参加する人はまずいないだろう。それに小説講座の生徒さんって、かなり人見知りだったり、どっちかというと出不精なタイプが多いから、いくら演芸好きでもまめにイベント参加する人はかなり少ないのだ。

なので、
「そりゃ、チラシは配付しておくけど、あいにく今回は、参加ほとんど期待できないかもよ」
と言っておく。
「ええ。でも、今週の土曜に、教室までチラシを持って行きますよ」
とのこと。まだ、専攻科のクラスの方が来る可能性が高いかな。今週末は、専攻科のクラスも休みだし、ちらし配布は来週にするか。「ハナシをノベル」もここ数回、ずっと土曜日でこっちは講義があったので参加できなかった人が多いから、平日の次回に参加者が多そうだけどな。

ところで、イベントの参加率は高くないけど、小説講座の生徒さんたちの中には、たしかに演芸好きが多い。テレビ番組などはけっこうしっかり見ているみたいである。(「ケータイ大喜利」なんかも、ひそかに投稿してたりして…)

演芸作家協会の「漫才台本集」も、うちの生徒さんの中でも買う人がいる。「漫才台本集」ってのは、非売品なんだけど、大阪シナリオ学校の「演芸台本科」の教材用に使っているものをゆずってもらっているのである。うちの生徒さんでも欲しがる人も多いから、シナリオ学校から、第1集(ブルー表紙)は、三十冊ほど買って、第2集(ピンク表紙)も二十冊ほど購入させてもらった。
(ピンク表紙の第2集は、まだ在庫あり。生徒さんには、500円で販売してます)

この「台本集」、作家志望者でも、「笑い」に関心のある方には、何かとお勉強にもなるのでオススメ。漫才コンビがテレビ番組や舞台で、ここ1〜2年で実際に演じた台本ばかりで、漫才に興味のある人ならかなり面白い内容だし、実際に演じられたものと台本と微妙に違うところも必見である。ここに書いているのは、ベテランの演芸作家ばかりなのだが、台本を見ると、「漫才」ってのも、ちゃんと『起承転結』があって、テーマとか、構造とか、エンターテインメント的に綿密に組立てられているのがよくわかる。バラエティ番組などでは、せいぜい3〜5分くらいの漫才も多いのだが、漫才台本集に載っているのは、8分から十数分のネタばかりだから、けっこうしっかり組み立てらている。まあ、ちょっと慣れてないと、どこが「フリ」やら、何がなんだか、たぶんわからんだろうけど。

もし、これを「勉強のために読む」なら、一回目は気軽に読み、二回目はテーマや構成に注意しながら、赤ペンをもって、ここがネタフリ(小説だと伏線みたいなものですたぶん)とか、話題の展開部分はここ、とか、「なるほど、こういうフリしてから『コント』に入っているのか(漫才の中でコント風になっているところがあるものも多い)」とか、赤線を入れたりして、細かく気をつけながら読むのがオススメである。漫才台本の読み方がわからない人には、私が赤ペンで注釈を入れた手作りの解説版もあるので、希望されれば、お見せしますよん(笑)「どこがどういうタイプの笑いで構成されているのか」という分類つきだぜえ。

さて、とりあえず私は、個人的にイベントには参加することに。けっこう好きな漫才コンビだしな。このコンビなら、今でも私、漫才台本を書かせてもらいたいくらいなんだけどなあ。演じて欲しいネタがいくつかあるんだけどな。もっとも、私は、大池ゼミの落ちこぼれだったので、一度も漫才台本が採用されたことはないんだけどね。

でも、漫才台本ほど、文章力の勉強になるものはなかったし、あれはいろんな表現の勉強になる。笑いというのは、かなり文章力がないと書けないもんで、文章の役割とか、一語一語の働きとか、よくわかってないと書けないもんである。それに、笑えるか笑えないかというのは、わりと結果がわかりやすいしね。いくらアイデア自体がよくても、表現が工夫されてないと笑わなかったりするし。きっと泣かせる文章でも、怖がらせる文章でも、この笑わせる文章の訓練はたぶん役に立つんじゃないかなあと思う。

で、漫才台本が欲しい生徒さんは、まだ第2集(ピンク版)は残ってますので、メールにてご連絡を(早いもん勝ちだぞ)

02/06/2008

小説講座の前期課題は、なるべく全員提出しましょう

2月5日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで、事務作業。

提出数が少ないので、心配していた11期生の前期課題だが、郵送でかなりの数が到着。あまり授業に来てない3人をのぞけば、あとは全員提出である。何はともあれ、ほっとする。

丁稚どんも、久しぶりに専攻科の作品を大量印刷。

02/05/2008

小説とは関係のない休日(境界トラブル)

2月4日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

自宅の隣は更地になっていて、1年以上、不動産屋のノボリが立っている。この不動産業者に、一昨年に会ったことがある。土地を購入した直後で、確かまだ古家をとりつぶす前だったのだが、30になるかならないかくらいの若い男性で、私が何に驚いたかというと、その乗りつけた車がピカピカの外車で、降りて来た彼を見たら、スーツの上に毛皮のロングコートに、先のとんがった白いエナメルの靴……ていう、あまりにあまりな、いかにもなファッションだったことである。
「ゔ!? 『ミナミの帝王』!? はたまた『ナニワ金融道』!?」
と一瞬で引いてしまった私。
しかも、これが「社長」らしいのである。どんな会社……。

こういうファッションの人物は、住宅街で見かけたことはないからビビった(ミナミの街角に行けばいないでもないだろうけど)。で、それ以降、彼は、
「こんな服、ドラマだけかと思ったけど、ほんまに実在するんや……」
というような、いつもすばらしいファッションで登場している。

で、この不動産業者から、あれこれ言われはじめたのが1年くらい前。どうもなかなか売れないせいから、八つ当たりかもしれないのだが、境界について10センチほどの差で、アレコレと文句を言われている。仕方がないので、うちは土地家屋調査士にお願いして、公図にあわせて測り直してもらったりしているのだが、それでも文句をつけてくるらしく、今はやむなく裁判所に境界調停の申請中である。見た目からして、かなり怖いので、私は顔を会わさず、全部、夫にやってもらっているので、詳しいことは知らないが。

ただ、そんなこんなで、自宅が建て終わっても、なかなか境界に納得してもらえず、玄関前の門柱も建てられない。しかし、いつまでも門柱なしというのも困るし(外灯もポストもないし)、わずかに30センチほどほっそり残している塀もいつ倒れてくるかわからず危険だし、とうとう大工さんに門柱をつくってもらっていたら、いきなり工事中にやってきて、その壊した塀は自分のものだと言い、
「どないなっとんねん、勝手につぶしたら、許さへんぞ。器物破損や!」
と、なんといきなり警察を呼びつけたのであった。

たしかに10センチの差でモメていたので、工事中、やむなく残していたのだが、これってもともとうちの塀だし、それは以前から知っていたくせに、取り壊した途端、急に「こっちのもんじゃい。これは器物破損や!」である。あきらかにイヤがらせだと思うのだが、こうして、こっちが逆に訴えられてしまったのであった。ああ、ややこしい。

そんでもって、警察から呼び出し状をもらい、今日、夫が仕事を休んで、警察まで出かけて行った。取調室で、あれこれ聞かれたらしい。

あんまりな出来事なので、私は
「あの塀って、考えたら、私が頼んだから壊したんやろ。大工さんに壊してもらったのも、門柱なくて危ないから、そもそも私がお願いしてた話やん。だから、私が、代わりに行った方がよかったんじゃない。だって、たまたま現場におっただけやろ」
と言ったのだが、夫は、
「まあ、ええよ。取調室なんか、滅多に入られへんし。ちゃんと図面も見せたし、きちんと説明もしたから、警察もわかってくれたと思うし。ま、滅多にでけへん体験やしな。なんでも人生経験や」
「でも、嫌がらせやん。こうして、学校の仕事を休まなあかんってのは、やっぱ困るやん」
「まあ、そうけどな。でも、境界争いって、話には聞くけど、こうやって実際にあるねんなあ。わずか10センチやのに、ホント面倒くさいもんやなあ」
と言う。

で、私にはあきらかにあっちの世界の人に見える例の業者にも、
「確かにファッションはアレやけど、売れへんのも事実やし。ま、イラつく気もわかるよ」
などと、人のイイことを言うのだった。

しかし、ホント家を建てるのは大変なことである。そもそも土地自体は借地なので、うちの一存で10センチ削ったりもできないのだ。ややこしいぞ。

でも、某テレビ番組で、うちが新築したのもけっこう知られているので、
「新しい家が完成して、嬉しいでしょう」
と言われることがあるのだが、私がイマイチなのは、このような事情があるからである。

しかし、私が一番心配なのは、こうして警察沙汰になったりしたら、隣の土地はむしろますます売れなくなるのではないか、ということなのだった。そうなると、ますますソンだろうに、なんだかなあ。実際、この土地は「いわくつき」だったりするので、こうなるとちゃんとした購買者が現れてくれるのか、ホントそれが心配。

ちゃんといい人が住んでくれればいいのだけどなあと、寒々とした隣の空き地を毎日びくびくながめている。

02/04/2008

小説とは関係のない休日(ありふれた節分)

2月3日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午前中、アレコレ家事。青じそがあったので、昼食は、野菜とベーコンの和風スパゲッティ。

正月にいただいた佐賀の高級海苔で、節分用の巻き寿司を作る。今年は、ツナと蒲鉾、レタスなどでサラダ巻き。子供たちに2本ずつ巻いてもらう。みんな巻くのがヘタだから、見た目もぐちゃぐちゃなのだが、どうせ自分たちで食べるんだから別にいいのである。ちなみに、私の実家では、節分の巻き寿司は、母ではなく父が作っていた。うちでは、全部、子供たちが巻く。

豆まきもしようと思っていたのに、気がついたら、子供たちが全部食ってしまっていた。あわてて、歳の数だけ確保する。豆まきにはこだわりはないが、豆は食うのにこだわる私。
夕食は、イワシではなくて、サバ味噌。

02/03/2008

小説創作の初心者とか中級者とか

2月2日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から講義。

専攻科のクラスは、堀先生の作品指導。短編1編と長編1編。どうも風邪気味らしいので、ちょっと心配していたのだが、時代小説の長編作品に時間をかけて指導してもらう。この生徒さん、さすがにそろそろデビューもしてもらいたいし、できればこの作品ももうちょっと煮詰めてもらいたいなあ、と思っている。これまでにかなり長編も書いているのだが、あまり修正は重ねたりしないらしい。でも、これまですでに何編か長編も書いたのだから、習作ではなく、ここぞという作品に自分のできるだけの力を注いでもらえたらいいなと思う。今回は、かなりじっくり細かい指摘をもらったらしいので、アドバイスを生かして、しっかり修正してもらえればいいのだが。

11期のクラスは、前期課題の締切日。思ったよりも提出数が少なくて、ちょっとビビる。が、半数の人が「火曜日までに郵送します」とのこと。自由課題の提出率はかなりいい方なので、余計な心配はしないでおく。

講義は、小森健太朗先生。「ミステリのトリック」という内容だけど、今年はストーリーの骨格など一般的な創作法についての解説。ただ、めずらしくトリックについてはほとんど触れなかったので、数少ない本格ミステリ志望者が後でちょっとぼやく。たまたま先週の芦辺先生の講義でもめずらしく「赤い密室」解説だけで、ミステリ全般についてほとんど触れなかったので、さすがに残念なのだろう。彼らは、けっこう各講師の話を楽しみにしているのだった。もっともミステリ志望者は、今年も少数派なんだけど。うちの講座は、みんなジャンルはバラバラ。SFやら、時代小説やら、恋愛小説やら……。今年は、ライトノベル系の志望が多いかな。ちょっとわからないが。

小森先生は、講義後も飲み会につきあって、生徒さんたちの質問にも色々答えてくれる。今年の生徒さんは、たまたま若い年齢の人が多いので、小森先生もすっかり先生らしく見えるのだった。近大でも毎週教えているせいだろうけど、年齢よりは若く見えるタイプだから、つい数年まで学生っぽかったのになあ。

飲み会では、だいぶ遅くなってから、専攻科の生徒さんたちのテーブルでmixiの話題。専攻科の講義は本科よりも回数が少なく、月にせいぜい2回しかない。学費が安いせいもあるが、在籍だけしておいて、あまり出席しない人も多い。なので、物足りない生徒さんたちは、自主的に合評会とかやっていたりするのだが、最近はmixiで情報交換をするのが流行っているらしい。うちの小説講座は、ほとんどが忙しい社会人だし、集まるよりははるかにラクかもしれない。便利な世の中である。

飲み会の席で、本日、提出された作品の、ある短編について、本人に相談。いろいろ思うところがあって、あえて書き直してもらうことに。文章力はあるし、かなり実力のある生徒さんなのだが、書きとばしたのがあきらかで、読んでいて惜しいのである。しかし、もともと書ける人なのに、なんでこんなに書きとばしたのだろうと思ったら、早くデビューするために、何が何でも量を書こうと思ったらしい。うーん。ま、ライトノベル志望みたいだしね。

しかし。

どうなんかなあ。もともと大量に書いていた人みたいだし、こういう、すでにそこそこ量を書ける人の場合は、むしろ一作ずつちゃんと煮詰めて書いた方がいいってこともあると思う。いや、どっちがいいかは、本当はよくわからんし、日頃は「とにかく量を書けば、うまくなる」と言っているので、矛盾しているみたいに見えるかもしれないが、たぶんこういうのは人によって違うのである。

そこそこ器用なタイプで、それなりに書けるような生徒さんが、なかなかそれ以上の作品が書けないようになるというのは、なんというか、どうも「書きとばしグセ」みたいなもんがあるような気がする。一度、書きとばすクセがつくと、妙な書きグセみたいなのがつくみたいなのだ。これは気のせいか、同人誌とかネットなど、すでに入学までに大量に書いていた人に多いみたいである。まるきりの初心者というわけではないのだが、何を書いても、つい書きとばしてしまって、そこそこのレベル書けるのだが、コレという作品ができなくなる。で、この連鎖にハマると、書いても書いても、なかなかうまくならない。

それなりには読めるのだが、イマイチおもしろくないというか、作品のテンションがなんだか低い。エンターテインメント系の商業作品ってのは、文章やら構成がいくらうまくても、結局、面白くなきゃ意味がないわけで、これって困るのである。「面白いけど、ヘタ」と「うまいけど、つまらない」となら、「面白いけど、ヘタ」な方がまだましなのだ(表現技術と内容などは、実際にはホントは分けることができないのだが、まあ、なんとなく)

ちょっとキツイようだが、やっぱりプロデビューがしたいなら、いつでもその作品を出版するつもりで緊張感をもって書いてもらいたいなあと思っている。本科とか、専攻科のBクラスとかだったら、まだ初心者だから仕方ないし、「まあ、習作だよね。がんばってるよね」って作品でいいと思う。こういう段階では、とにかく書き慣れて欲しいし、もっと量を書いてほしい。でも、Aクラスって、一応、プロ作家養成クラスなんだし。

指導作品も、ある程度の緊張感を持って書いてもらわないと。せっかく忙しいプロ作家に見てもらうわけなのだから、一つ一つの作品を真剣に書いて、それでデビューする気で提出してもらいたいのね。

ちょっと厳しい気もするのだけど、でも、プロと違って、まだシロウトだからこそ、手を抜いちゃダメじゃないかなあと思うのだった。

しかし、専攻科の修正依頼は、ホント毎回、色々と悩むなあ。


02/02/2008

ラーメン屋の餃子は、店の手作りなのだが

2月1日(金)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

あまり行かないのだが、事務所の近くのラーメン屋があって、今日、昼食を食べていたら、従業員の女性が、
「今日は、ホント、餃子の注文が出ないわあ」
とぼやいていた。手作り餃子なので、例の事件にはまったく関係ないわけだが、これも風評被害というヤツなのかな。

私は、普段、ラーメン屋で「餃子セット」というものを食べることはまずないので(ラーメンだけで腹一杯だし、毎週、土曜に中華屋で飲み会をしているので、平日に食べる気にならない)、「餃子」を注文しなかった理由はとくにないのだが、ふと考えてみたら、私の場合、急にラーメンを食べたくなることは滅多にないわけで、ふと、こうしてめずらしくラーメン屋に入った理由を考えてみると、どうやら、そういうこと、らしいのであった。ずるずる食いながら、それに気がついた。オバチャンのぼやきを聞くまで、あんまり意識してなかったのだが。

てことは、世間でも、何割かの人は、こういう報道があると、反対に、急にどうしても食べたくなるタイプの人もけっこういるに違いない。そういや、とあるブログでも、冷凍餃子を食べたくなったという話があったし。

でも、餃子の話題を聞いて、無意識にラーメンを食いたくなるという人がどれくらいあるのか知らないけどね。

02/01/2008

ロミジュリで、死亡フラグのお勉強

1月31日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

ここ数年、専門学校で「映画解説」みたいな講義をやっているので、アニメ史とか映画史などをとりあげたりすることもあるのだが、毎年、シェイクスピアと近松などは、とりあげるべきかどうかで、ちょっと悩む。

手塚治虫とか宮崎駿とか、あるいは黒澤とか小津とか溝口とか、チャップリンとかヒッチコックとか、こういうのは漫画家志望とか小説家志望の人だと、一般教養というか、常識なんだろうから、少しずつはとりあえず解説しておくのだが(平均的な専門学校生だとジブリだけしか知らんので)、シェイクスピアと近松は別にいいかと思う。

ただ、この学校では、教養的な講義ってのはあまり多くない。悩んだ末、とりあえず今年もシェイクスピアはちょっとだけやることにして、「ロミオとジュリエット」だけ。今年は『死亡フラグ』と『キャラ造形』について、萌え的(?)な名作解説をやる。でも、今年は2コマだけなので、演出の違いや他の作品について解説するヒマなし。近松は……まあ、こっちはもういいや。

ところで、専門学校の学生さんたちは、全員若いし、社会経験も豊富じゃないし、「教養」もあまり高くないけど、専門学校は即戦力養成を重視するし、大学と違って実習中心。全日制だし、絶対的な訓練量が多いのである。だもんで、その効果は素晴らしく、入学して半年もたつと、マンガや小説も、全員そこそこかなり書けるようになる。なにせ教室で強制的に書かされて、一つ一つ細かく添削してもらえるわけだから、授業に参加してれば、イヤでもうまくなる。

それを思うと、うちの小説講座の生徒さんは社会人ばかりで、講義は土曜日の夜2時間だけ。あまり時間がないので、講義中に実習をすることもできない。とくに前期は、十数人いるプロ作家の講師の話を聞くのがメインだから、実際の創作は、自宅で一人でやってきてもらうことになるので、結局、本人のやる気次第である。こういうやり方だと、やっぱり個人差はかなりつく。とくにうちの小説講座の場合、前半はレクチャ−講義が中心なので、ムリに書かなくても在籍はできるし、まあ、いくら欠席しても単位がとれないということもない。まあ、さすがに出席しない人は辞めちゃうことが多いけど、とにかく気がつくとあっという間に半年たつ。

文章表現力、構成力などは、やっぱり量さえ書けば、誰でも確実にうまくなるし、書いた作品を細かく指導される方がやっぱり上達は早いから、専門学校生の方が文章的にはよほど早く上手くなるみたいである。

ただ社会人の場合、それほど細かく指導されなくても、周囲の話などを聞いて自分で気がつくことが多い。小説講座の生徒さんたちは、大人なので、他人の様子をみて、我がふり直すのである。で、量さえ書いてくれればほっといてもそれなりに上手くなるから、そこが違うところである。

ただ、小説というのは難しいもんで、「そこそこ書ける」というのは、プロ作家としてはそれだけで充分ではないわけで、そこそこ書けていても、内容的にはつまらない、ということもあるし、早く上達したからと言って、すぐデビューできるとは限らないところが難しい。

そんでもって、今年も「ロミオとジュリエット」。しかし、これってのは、やっぱ、人によって好き嫌いが激しいタイプの物語らしいなあ。男性の中には、「女性なら恋愛話なら何でも好きなんだろう」と思っている人もいるかもしれないが、よく見たら、かなり変な話だしなあ。なにせ悲劇だから、恋愛話にしても好き嫌いがある。男性でも女性でも、これで「泣ける人」と「泣けない人」はきっぱり分かれる傾向がある。

おバカな恋愛話なのだが、多少なりともこれに感情移入できるかどうかというのは、男女差よりもむしろ、なんか過去に「こっぱずかしいような恋愛体験」があるかないかってのもあるみたいだなー。13歳の箱入り娘なんて、今なら中2でアホなお年頃である。前半のバカップルぶり、たとえ片思いでもいいから、過去にそういうアホで一途な思いの経験があると、なんつーか、ちょっとは「わかる」らしい。いや、ありえない話だけどさ。それなりに泣けるのは、どこか「わかる」ってことだし。

物語を味わうには、くだらないような体験やら、愚かな体験をしておいた方がいいんだねえ。

ところで、こういう名作の面白さってのは、観客によって、あるいは年齢や立場によって、見えてくるところが違うところである。わたしゃ、今年も「おまえの歳には、私はもう母親だった」というジュリエット母に感情移入してしまう。ジュリエットの両親に関心をもつようになったのは、最近になってからである。彼らには他にも子供はいたようだが、ジュリエットしか育たなかったようで、大事な一人娘である。

このジュリエット母、「おまえの歳」ってのが13歳なのだから、ってことは、せいぜい27、28歳のわけで、それよりずーっと年上な私。そんな年齢をとっくに過ぎても、まだ自分の子供が結婚する年代に達してない(うちの双子の娘は、まだ10歳)。だから、娘の嫁入り前夜の母親の気持ちは、まだわからないんだが、なんとなくわからなくはなかったりするのは、きっと自分に娘がいるせい。

しかし、なんつーか、晩婚、高齢出産があたりまえの今日は、むしろ恋も人生も薄くなってくのかもなあ。

というわけで、私も、最近シェイクスピアがやっとオモロなってきたのである。複雑で深い人生の面白さは、やっぱり家族やら親子関係にあるのかも。いや、人の親になってホントよかった。

ロミオとジュリエットも、死亡フラグに注目すると、やっぱり恋愛というよりは、神の罰を受ける愚かな家族の話。つーか、やっぱサスペンス(妙なトリックもあるし。しかもラストは納骨堂)

「子育てが大変で、なかなか小説を書く時間がとれないわー」なんて言ってる主婦の生徒さんたちも、それもこれも、けっしてムダではないのだぞ。子供をもつというのは人生の最大の貴重な体験なんだよね。人の親になったおかげで、やっと味わうことができるようになった物語も多いはずだ。そうした物語をちゃんと味わうことができるというだけでも、子供って貴重な存在かもよ。まあ、子供なんかいなきゃいなくてもいいと思うけど、子供がいるから大変だということも、それはそれで大事な体験なんだし、決して人生にジャマとかムダなものはないのよね。きっと。

てか、たぶん作家にムダな体験なんかたぶんないんだろうなあ。ほら、感動がわからないものに感動が書けるわけないんだし。

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