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12/31/2007

小説とは関係のない休日(今年も大晦日)

12月31日(月)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

今年は、さすがに一日がかりで「おせち」をつくる時間がないので、7〜8品くらい煮物を作っただけで、あとは市販品を買ってきて、重箱に詰め込む。パソコンの前に座りたいのだが、やっぱりあれこれあって、ようやく落ち着いたのが6時である。やむを得ず、家族だけ先に自転車で十分ほどの義母の家に行ってもらう。私は紅白を片耳で聞きつつ、ぎりぎり十時までパソコンの前でがんばって、あとから年越しソバを食べに行く予定。

今年は、生徒さんもデビューしたり、最終候補に残ったり、あちこち成果もあったりしたので、十年やってきた小説講座もそれなりに苦労の甲斐があるのかなと思った一年。ま、いい年でした。

皆様、今年もありがとう。来年もよろしく。来年もデビューとか、ばっちり続けばいいなあ。

小説とは関係のない休日(やっぱり年末)

12月30日(日)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

先週、送ったはずのメールがどうやら届いてなかったのを今日ようやく知る。図表が多くて、データが重すぎたらしく、こっちのパソコンからサーバーにあげる時点で無理だったみたいだが、ずっとゆっくりメールをみるヒマもないから気づかなかった。いや、ホントは、返事がなかったのでうすうす気がついていたが、仕事の原稿ではないので、送らなければそれはそれで誰も困らない。困るのは自分だけだよん。くすんくすん。

さて、年末年始、やらなくちゃいけない仕事の原稿もあるのに、実は、それ以外にもプライベートで年明け提出の原稿を抱えている。この原稿ってのは、某大学の卒業論文である。実は、私はかなり長い間、なぜか通信制の大学に在籍していて、ずっと学籍があったりしたのである。というのも、この学校は学費がめちゃくちゃ安くて、私が入学した頃は在籍期間も「無期限」という、えらくステキな学校だったし、十年以上在籍している人も全然めずらしくなく(40年近く在籍してたという人も知っている)、先生も生徒も変わった人ばかりでめちゃくちゃ面白かったので、ずっと楽しく在籍していたのである。実は、なんなら私も数十年くらい在籍しようかと思っていたくらいなのだが、この数年の制度改革でしっかり在籍期間が設けられてしまい(ま、もともとずっとなぜか「無期限」だったのが変だったのかもしれないけど……)、学費もしっかり値上がりして、昨年には年4万から8万円となんと倍額になり、さらに長年在籍してたせいか、こんなに公私ともに忙しいのに、なぜか単位もいつの間にかとれてしまったので、あとは卒論を出すだけになってしまったのである。

ただ、この大学は卒論審査がやたら難しいとのウワサで、卒業率はほんの数%である。出しても毎年、半分以上落ちるらしい(就職が決まっている昼間生と違って、社会人が多い通信制は気軽に落とせるのもあるかもしれないが、通信制だと卒論指導もやっぱ色々と難しいのである)。

で、一昨年から3年計画で卒論研究をしていたのだが、あれこれ事情により、予定より1年早いけど、やっぱり今年で辞めることにしたのだった。だから。つまりこの年明けには出さないといけないのである。まあ、学歴も別に要らないわけだし、もともと卒業する気があまりなかったのだが、せっかく途中までやった卒論調査がやっぱり惜しいのである。また休日の空いた時間とか、この2年半ほどかけて、現地調査をしているので、かなりもったいないのである。未完成でもとにかく提出しとかんと、学会にも入ってない私はまったく発表機会もないしねえ(どっちみちかなり妙なテーマなので、受け付けてくれるとこがないかもしれんが……)。

しかし。うう、仕事の原稿もあるのに〜。

あと1年かけるつもりだったせいもあり、今さらだけど、完成度は低い。夏にはわかっていたので、ほとんど原稿はできているのだが、修正しだすとキリがないのよ〜。てか、書き直しだしたら、一から直してしまいそうになってるし。ま、仕事の原稿と違って、書いてるのはめちゃくちゃ楽しいだけなんだが、えらいこっちゃなのである。審査で通らないのは別にいいけど、色々な先生たちにもアレコレお世話になっているので、あんまりひどいのは気が悪いだろうし。

いやホント、昨日、飲みに行くのも実はかなり悩んだくらいなんで(でも、行くんかい)、たぶん明日の紅白もキーボード叩きながら見るんだろう(でも、見るんかい)、雑煮もあわてて作って、あわてて食うんだろうな(でも、食うんかい)

小説講座の皆さんも、原稿がんばってね。

12/30/2007

小説とは関係のない休日(嬉しい事件の多い一年でした)

12月29日(土)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

この年末は例年よりかなり忙しい。今日も朝から晩までバタバタしている。昨日も今日もあっという間に一日が終わってしまった。年内には完成予定だった原稿もずっとほとんど手つかずである。めちゃくちゃやばい。

夫も私も、実家がすぐ近くなので、わざわざ帰省もしなくていいし、引っ越したばかりだから大掃除もしなくていいんでラクなはずなのだが、今年はどうもいつもの年と違うな。

注文してある私の本棚が年内には来ないので、段ボールが山積みのまま、年越しになりそう。年明けに提出する原稿に必要なのに、どうしても本が見つからない。困ったぞ。

夕方、かたづいてない仕事や家族をほりだして、ミナミヘ行く。中学の頃、生徒会長をやっていたS君と副会長のKくんと飲み会である。私は書記だったのである。
Sクンは北海道で某外資系製薬会社に勤めていて、毎年、年末年始は帰省で大阪に帰って来る。他にも高校の同窓会、大学のゼミの同窓会など、連日、家族をほったらかしてあちこちの忘年会や新年会をやっているらしい。マメな男である。小学生の頃から口達者で、明石家さんま並みに何時間でも冗談トークをし続ける男だから、北海道では、
「大阪の人って、やっぱり、お笑いのレベルが高いんですね。違うんですねえ」
と驚かれているらしいが、彼はたぶん大阪でもレベルが高い方である。いや、別に大阪人がみんなこんなんじゃないけど。

ところで今日、Kクンはめずらしく女の子連れである。やせて背が高いSクンと太めのKくんは、ずっとボケとツッコミですっかり漫才コンビみたいだったのだが、学生時代からKくんには浮いたうわさがなく、今でも独身である。こういっちゃなんだけど、モテるタイプではない。そのKクンが女の子を連れてきたのだから、これは衝撃的。ってか、歴史的大事件だぜ。二十数年ぶり、三十年ぶりの快挙である。しかも、さすがKクンが見つけてきただけある、これまた、かなりお笑い偏差値の高い女の子である。

思わず私は「おい、オマエ、でかしたぞ」と、この一年でかなり薄くなってきたKクンの頭をバチンと、はたいてやりたかったのだが(あの頭、さぞかしイイ音がしそうだった)、いくら幼なじみと言っても恋人の目の前で叩かれては立場がないかもしれないから、ぐっと堪えて我慢した。異性の友達というのは同性の友達のようにはいかんこともある。どっちかというと、男友達が多いので、女連れの時は注意せんといかんのである。で、それくらいは気をつけないと、とは思ったけど、しかし、てっちりを食べている間じゅう、ずっと手がむずむずして困った。ああ、だって、おでこが誘惑。

しかし、すでに結婚十数年のSクンと私は、そんな若気の至り的状態は遠い遠い忘れられた過去ですっかり今更だから、まったく冷やかす気もないけど、爆笑なノロケっぷりである。しかし、この歳になるとお熱いのはどうでもよくなって、ホッとするだけ……なんだが、妙に……なんつーか、これって、自分が老けた気がするよなあ。いちいち、母親か姉のようにホッとするのは、なんでかなあ。

それにしても、今年は、そういう長年独身だった男友達があっちこっちで結婚した記念すべき年だったので(某作家さんもそうでしたね)、妙に納得したりしたのだった。

ああ、みんな、今年も来年もお幸せにね。

12/29/2007

小説とは関係のない休日(そろそろ年末)

12月28日(金)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

昨日まで出勤してたので、実質的には今日が冬休み初日。昨日まで仕事でめちゃくちゃ忙しかったのだが、この年末年始、公私ともに忙しいんだよね。今日は、ようやく年賀状を作ったり。

12/28/2007

小説講座の事務所は、冬休み中……なんだよん

12月27日(木)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

冬休み中……のはずなのだが、今日も事務所に出勤。
午後から小説講座の事務所。

明日から、この事務所のある大阪NPOプラザは休館に入るので、本日が年内最終日である。
午前中、また中央図書館に寄って、昼もめずらしくそこで食べる。地下鉄にて事務所へ。机に荷物を置いてから、歩いて5分ほどの福島図書館に予約本を取りに行く。冬ごもり準備である。今年は、4図書館で合計30数冊。それにしても図書館はありがたいなあ。そのうち3館が通勤途中にあるしね。ま、日頃はせいぜい週2回、家の近くの決まった地域図書館に行くだけなので、こんなに貸し出しするのは、毎年の年末年始だけである。

事務所で発送作業をしてたら、電話での問い合わせが一件。入学希望者じゃなく、どうもショートショートを書きたい人。あれこれ紹介などをしてあげる。あとは、年内最後の発送作業。しかし、ひょんなことから急に夕方から出かける用事ができる。明日から事務所が閉館なので、間に合わない発送物もあるが、もうどうしようもない。資料請求も、対応不可。明日から5日まで、事務所は完全閉鎖である。

12/27/2007

上方落語と大阪弁の卓袱料理

12月26日(水)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

冬休み中……だけど、やっぱり今日も午後から出勤。

ところで、自宅には今、TVアンテナがない。もともとテレビを見る習慣がないからそれほどは困らないのだが、「ちりとてちん」だけは見たい。長年、朝ドラだけはちゃっかり録画して見続けている幼なじみのTくんも、
「久々にええで。時々、思わず、うるっと泣いてまうもんなあ。オレ、NHKのスタジオまで撮影を見に行ったりしてるねんで」
とのことらしい(彼は、天満橋近くの会社でデザイナーをやっているのである)、やっぱ見たいなー。先週、夫が電気屋にアンテナを買いに行ったら売り切れだったけど、今日、入荷するそうだから、明日は見れるかなあ。それにしても上方落語がネタの朝ドラが毎日、テレビで放送されるなんて、夢のようだわ。

上方落語と言えば、このあいだ春団治についての本を読んでいたら、ちょっと面白いことが書いてあった。

「御一新以後エスペラントと堕した江戸弁は東京の落語の面白さを半減せしめたが、上方には独自の陰影を有つ市井語が現代近くまで遣っていたから、此を自由に駆使し得た上方落語は、大へんに幸福であった」

「……その陰影満ち溢るる大阪弁へ、酸を、胡椒を、醤油を、味の素を、砂糖を、蜜を、味醂を、葛粉を、時としてサッカリンを、クミチンキを、大胆奔放に投込んで、気随気儘の大阪弁の卓袱料理を創造した畸才縦横の料理人こそ、先代桂春団治であると云えよう」

「先代(初代)桂春団治研究」正岡容
(『桂春団治はなしの世界』(豊田善敬編)東方出版)

……うーん、なんだか大阪弁がものすごいことになっていそうな感じ。

もちろん「桂春団治」だから、この大阪弁っていうのは、書き言葉じゃなくて、話し言葉なんだけど(大阪弁の話し言葉を書き言葉にするっつーのはかなり難しい。ちなみにこの先代ってのは、字の読み書きはできなかった人らしいってのがたしか通説)、それにしても、「気随気儘の大阪弁の卓袱料理を創造した畸才縦横の料理人」である。ふええ、どんなんやそれ。卓袱料理。それにしても、この文章もすごいね。

上方落語については、うちの小説講座の講師の先生たちの中には、ものすごーく詳しい人がけっこうかいる。それに比べて、私は、落語についてはどういうわけか、何度聞いてもネタが覚えられない。古典落語などはどれを聞いても、なんかどこかで聞いた記憶はあったりするのだが、オチまで聞いてやっと「ああこれかあ」と思い出すくらいである。とくに大人になるまでに聞いたものは全部忘れているらしく、どこかにぼんやりと覚えているだけである。

実をいうと、翻訳ミステリなんかも、学生の頃かなり読んだはずなのだが、ほとんど忘れている。よく「浴びるほど読んだ」というが、私の場合、たぶん浴びるほど読んだけど、それをすっかり流してしまったらしい。翻訳ミステリなんかは読んでいて、「なんか読んだ気がするなあ」と思っていて、それでも最後まで読んで、ようやく探偵がトリック解説を始めてから、やっとこさ、「ああ、やっぱり。コレやっぱ読んだことあるわ」と思ったりする。読んだはずのミステリでも、最後にまたビックリしたりすることもある。一度読んだのをすっかり忘れていて、二度とも驚くのだから、かなりのバカかもしれない。正直、言うと、映画の『スティング』なんかもラストのあたりで3度もビックリした。やっぱ、アホかもしれない。たぶん子供の頃にテレビか何かで見て、すっかり忘れてたのだが、3度目なんかは驚いたことに自分で驚いた。やっぱりアホかも。私は映画のビデオは何度も同じものを繰り返し見る習慣があって、30回以上見た映画が数十本はある。ま、何度も同じもんを楽しめていいけどね。

映画も1回見たくらいだとあんまり覚えてないのは、もともと集中力がないせいと、後で「こうなったら面白いのにな」とか、ややこしいことをごちゃごちゃ考えすぎて、何がなんだかわからなくなるからである。もちろん今は、趣味半分、仕事半分だと思っているから、意識するので、一度見ただけでほとんど覚える。けど、こういう仕事でもしなかったら、今でもたぶんぼーっと見てるから、やっぱり覚えてないに決まっているな。

しかし、そういう時の方が案外、幸福なんかもしれへんけどなあ。娯楽なんてのは、「お客さん」が一番気楽でええに決まってるもんな。

12/26/2007

小説講座の事務所も、冬ごもり準備中

12月25日(火)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

冬休み中……のはずなのだが、なんだかんだで事務所に出勤。
昼頃から、地下鉄で2駅目の「大阪市立中央図書館」へ。今は定期券を買ってない時期なので、行くと交通費がかかるんだけど(通勤途中にあるので、いつもなら定期券で行く)、年末年始の休みに備えて、あちこちの図書館で本を貸し出しまくり。先週、府立の中央図書館で7冊借りたのだが、福島区の図書館でもいっぱい借りていて、さらに今日は中央図書館のカードで2冊貸し出ししてもらう。かなり重い本なので2冊しか持って帰れず。明日の午前中にもちょっと寄る予定だからいいけど。各図書館で、カードを作ってあるとこういう時には便利。

3時過ぎ、卒業生の人から電話あり。事務所に戻ると、おいしそうなお菓子がイスの上に置いてある。わざわざ来てくれたらしい。御礼のために電話したら、まだ近くにいるということで、駅からもどってきてくれた。6時頃まであれこれ雑談。そういや、何期生なのか私はすっかり忘れていたけど、どうやら4期生らしい。今は11期生だから、けっこう前の卒業生なんだよなあ。

うちの小説講座は、専攻科だと継続受講が可能なので、何年も続けて在籍している人もいるけど、それでも3年以内の人が多いから、5年以上続ける人はかなり少ない。4期生なら、ココ数年、年1回くらいしか出席しない人が一人、ずっと在籍してるだけだ。社会人向けのクラスなので、子供の出産とか、仕事の都合などで、マイペースで続ける人もけっこういる。継続生は、年々学費がかなり割引になるので(コースにもよるけど、4期生だと年3〜4万だけ)、あまり出席しなくても継続してる人がいるのだ。

あ、あと今年度から専攻科に入り直した4期もいるけど。
しかし、ほんと、4〜5年くらいあっという間にたつよねえ。

事務所を出て、地下鉄で帰宅。鶴見図書館へ。駅から直結なので、7時5分前にギリギリ到着。予約本を貸し出し。小説はなくて、全部、専門書(私は小説は買うことが多いので、図書館で借りるのはたいてい専門書だけど)。めちゃくちゃ重かった。

12/25/2007

小説とは関係のない休日(クリスマスディナー)

12月24日(月)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

午前中、仕事部屋にて原稿書き。昼から、子供たちが帰宅。
夕方から、ローストチキン、ハンバーグ、スープ、フルーツ盛りなど、子供が好きそうなメニューを用意して、クリスマスディナー。ローストチキンは、市販の丸焼き。

パパから子供たちへのプレゼントは、中2の息子には、ミニヘリ。小4の双子の娘たちには、インラインスケート。私にはネックレス。おまけに、子供たちにはサンタも来る予定らしい。子供っていいなあ。もうすぐお年玉もあるもんなあ。

12/24/2007

小説とは関係のない休日(クリスマスとクリスト)

12月23日(日)
小説講座の事務所は、12月22日〜1月7日まで冬期休業中です。

終日、自宅の仕事場にて原稿書き。
夕方から夫の実家にて、クリスマスパーティ。5人の大人、6人のガキんちょが大騒ぎする中、ごちそうを食べたりする。私からは、ガキどもには恒例の「本」のプレゼント。毎年クリスマスには、私からは何か本を買ってやることにしているのだが、今年は、姪には幼児向け「かるた」、甥には紙ヒコーキの型紙本、あるいは、おしゃれなメッセージ本(格言集?)など、どう考えても読むところのない本ばかり。本屋で買ったにしては、「読めない」本ばかりかもしれないが、例年「クイズ本」とか「迷路集」とかなので、こんなもんである。

最近、小4の娘たちもダレン・シャンくらいは読むらしいのだが、好みが激しいから選んで買ってやる勇気はない。明らかに親とは趣味が違うしね。

で、子供たちは、
「明日はサンタが来るけど、今日は大丈夫だから」
と、そろっておばあちゃんちにお泊まり。で、夫と私は、子供たちを置いて10時頃に帰宅。

そんなわけで、新居でめずらしく夫婦二人だけ。うるさい3匹のガキがいない、たったそれだけで優雅な夜である。静かである。
二人で酒を飲みながら(ワインとかじゃなくて、焼酎お湯割りだが)、
「でも、独身とか、子供がいない夫婦なら、クリスマスといっても、毎年こんなに静かな夜なんだよね。だいたい毎日、自分たちのためだけに時間を使えるし」
などと話す。夫は、
「まあ、そうかもしれへんけど、オレはそんなこと考えたこともないなあ。もう、毎日おるもんはおるんやし、おらんかった時のこと、もう想像でけへんわ」
「ちょっとくらい、うらやましくはない?」
「子供がいない夫婦とか独身? いや、全然うらやましくはないけど。ま、静かでいいかもしれんけど、それはそれで、さびしいかもしれへんし」
「きれいなレストランとか」
「そんなん、つまらんやろ」
「きれいな夜景とか見たりしてさ」
「それって、毎年やってオモロイかなあ。ま、他にやることなかったらオレもやるかもしれへんけど。でも、やっぱ、クリスマスって、子供が主役やろ。だって、子供にはサンタ、ほんまにちゃんと来るやん。明日の夜。ほらな、今年も準備ばっちりや」
「そうなんや」
「大出費やぞ。だってパパからのプレゼントも、それはそれで、ちゃんとあるねんからな。オレってやっぱエライよな。ふふん」
「でも、子供って、おったらおったで、おらんかった時のこと想像でけへんかもしれんけど、おらんかったらおらんかったで、それも平気なんとちゃうんかなあ。そんなもんやろ」
「そうかなあ。でも、ま、それって、たぶんクリストなんやろな」
「クリスト?」
「だから、それって、きっと『こんぽう』なんやで」
「はあ?」
「あっちこっち、橋とか、梱包してるアーティストがおるやろ?」
「ああ、あのクリスト? 現代アートの? 梱包芸術?」
「そうそう、それそれ」
「何でもとにかく包んで、でっかい橋とか包んじゃうアートの?」
「あれってな、包んだりするだけやろ。そうすると、不自由やねんな。でも、包む前と包む後で、景色がな、違って見えるんよ」
「景色?」
「橋なんかずっとそこにあるけど、包むまでは意識されへんやろ。あたりまえになりすぎてて。でも、包むとそこで、橋が意識されるねん。風景変わるやろ」
「まあな」
「でな、何日かたって、梱包が終わるやろ。ほんなら、同じ風景のはずやのに、また前の風景とはぜんぜん違って見えるねん。きっとそういうアートやねん」
「私、なんで、あんなアホらしいのが芸術なんかなーとずっと思ってたけど」
「うん、アホらしいねんけどな。な、だからクリストやろ」
「どこが?」
「だから、それって、『子供』が『梱包』やねん」
「は? どういうこと?」
「つまり、今はおるはずの子供がおらんから、こういう感じがしてるけど、最初っから子供がおらんかったら、こんな感じはせえへんわけや。つまり、これは、ただの一度も『梱包』したことない橋と同じやろ」
「……ちょっと、それ、よくわからんけど」
「だから、梱包や。わかった?」
「ぜんぜん、わからへん」
「わからへんかなー」
「なあ……、あれって、梱包……って、人生訓なん?」
「いや、人生訓とは違うけどな。けど、しかし、そういや、今、オレの人生で初めて、クリストが役にたったなあ。あんなもん、ぜったい役に立たんもんやと思ってたけどな」
「役にたったの?」
「うん。やっぱ、現代アートって面白いよなあ」
「私にはちょっとようわからんけど」
「いや、ほんま、面白いよな」
「けど、アンタって、いつも人生満喫、前向きやなあ」
「はっはっは。人生いろいろあって、ほんま、愉快愉快」

……いや、やっぱ、現代美術作家の言うことは、よーわからんな。

そりゃ、ま、この先、子供たちの手が離れて、すっかり子育て期間が終わってヒマになったとしても、それはそうなんかもな。最初から子供がいない夫婦とは、同じように見えても、私ら、きっと見ている風景がぜんぜん違うんだろうなあ。
愉快愉快……なんかな?

12/23/2007

小説講座の事務所も冬休み……のはずなのだが

12月22日(土)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

講義がない日なので、朝からコツコツ一人で事務作業。
公式には、今日から冬休み……のはずなのだが、実質的には27日まで出勤予定である。

3時頃、小説講座の生徒さんが来館。「相談事がある」ということだったので、何かなあと思っていたら、
「私の作品を見て、文章の書き方でこれを注意した方がいいとか、何か気づいたことはありませんか」という話。これまで提出された自由課題を思い出したが、とくに問題があったという記憶もないし、まあ、初心者にしてはかなりよく書けている。こう言っちゃなんだが、このクラス、他の人の方がよほど心配だったりするし。どうやら慎重な性格らしい。
「まあ、文章はちゃんと書けてるみたいだし、まだまだ数枚の作品を数本書いただけなんだから、とりあえずもっと作品を書いてみたら? 30枚くらいの短編に挑戦してみるとか」
とアドバイス。

小説講座では、自由提出の課題をのぞけば、前期課題が15枚以内のショートショート、後期課題が50枚の短編である。ホントは、その間に30枚くらいの短編課題があった方がいいような気もするのだが、うちの小説講座の場合、もともと忙しい社会人が多いし、初心者の人もいるので、50枚を書くのに2ヶ月半くらいの期間を考えているのだが、前期課題を作品指導するのは3月で、そのあと6月には後期課題の締切になっているから、これだけでかなりギリギリ。どうしても30枚の短編を書いてもらう時間がないのである。

でも、50枚というのは意外にかなり難しいから(正確には、課題は『50枚以下』なのだが)、やっぱ、初心者なら一度30枚くらいを書いた方がいいだろうなと思うし。

小説講座に入学して2ヶ月、プロ作家の先生たちの講義もまだ数人しか聞いてないし、まだ2〜3枚の自由課題しかやっていないはずなのだが、他の人の作品がうまく見えたりして、ちょっと不安になる時期なのかもね。

けど、入学したばかりの頃の上手下手は、思っているよりは、あんまりアテにならんもんなんだけどな。まだ短い作品しか書いてないし。

だって、短い作品ならうまく書ける人が、ちょっと長くなると全然書けなかったり、要領よくカンがよさそうな人が、すぐに書くのに飽きちゃったりするし。もちろん小説講座に入学する生徒さんは、入学時にはかなりレベル差があるのだが、その程度の違いは、本人たちが思ってるよりもたぶんずっと小さくて、おそらくプロとシロウトの差に較べればずっと小さい。経験上、小説講座に在籍している人だと、それくらいなら1年後にはあんまり関係なくなる。

ま、入学するまでにそれなりに書いている人はいるにはいるんだろうけど、それくらいなら小説講座にいる1年くらいで、初心者の方が追いついてきちゃうみたいだし。

それよりも、案外、アテになるのは累積読書量かな。読書量が多い人だと、最初の何作かはヘタなのを書いても、すぐに見違えるほどうまくなったりするからね。

うちの小説講座はエンターテインメント系なんで、文章そのものよりは、どうしてもアイデアとかキャラとか、あるいは構成とか、むしろそっちを重視する傾向がやや高い。ま、何にしても、まだそんなに作品数を書いてない段階だし、それなりに文章が書けるなら、それ以上あんまり細かい文章力を気にするより、何作か書きさえすれば、たぶん文章はものすごく早く上達すると思うけど。

なんだなんだ3時間ほど色々な話をして、6時の閉館ぎりぎりまで。

12/22/2007

雉も鳴かずば

12月21日(金)
朝から小説講座の事務所。閉館時間まで、事務作業。

午後から、来春の生徒募集広告の件で、営業の人と打合せ。お手伝いスタッフの人は、専攻科の製本作業に発送準備。

生徒さんのmixi日記を見て、なぜか「ひさご伝説」を思い出す。仁徳期の人柱伝説。思い出したきっかけはあんまりロマンチックじゃないんだけど、人柱のついでに「長柄人柱」のことも連想した。
「ものいわじ 父は長柄の人柱 雉も鳴かずば射られざらまし」

なんというか、小説講座の運営は、どこまでも手間がかかるので、時々、ふと「ああ、この仕事、引き受けるべきだったんかなあ」と思ってしまう。雉も鳴かずば……。
ああ、あの3年前に、独立運営を提案したのが運のツキ。

いや、まあ、誰に射られたつもりがあるわけではないけどさ。


12/21/2007

小説の作り方、クロスワードの作り方

12月20日(木)
朝から小説講座の事務所、昼から外出。

ふと、もしかすると「パズル」と「小説」には、なにかしら共通点があるのかも、と思う。

私は、以前、ある新聞社系のミニコミ紙にクロスワードパズル連載の仕事をしていた。
掲載紙をほとんどもらってないから、何号から何号続いているのか知らないけど、たぶん5年以上の連載だったはずである。

私がクロスワードパズルを作るようになったのは、広告代理店にいた頃からである。当時のクライアントが隔月で出していたPR誌にクロスワードパズルを載せていたので、それを作っていた先輩に作り方を教えてもらったのである。「PR誌」は、広告代理店にとって必ずしも利益率は高くないのだが、定期的な売上げになるし、担当者から新製品情報などが入ってきやすくなるので、やっているとかなり有利である。利益率のいい「新製品キャンペーン広告」の競合プレゼンとかにも呼んでもらいやすいし。

で、この「PR誌」がちゃんと読まれているかを知りたいクライアントには、「クロスワードパズル」はわりと喜ばれる。「プレゼント」をつけとくと「ハガキ」が返ってくるし、ハガキにコメントを書かれたりすることが多いので、それなりに反応が返ってくるからだ。

たしかに「クロスワードパズル」を解く方は、大学生の頃、演芸場(前の梅田花月)の出札に勤めていた時によくやっていた。当時は、今みたいにパズル雑誌なんかいっぱいなくて、たしか「ニコリ」が創刊されたばかりだった。あいにく「不定期雑誌」だったし、他のパズル雑誌もなかったので、毎号、全ページのパズルを解いていた覚えがある。全部、勤務中である。演芸場の出札係というのは、なかなかヒマな仕事である。お客からは完全には見えないし、舞台が始まってしまうと「入れ替え時間帯」(バレ)以外の時間は、お客はほとんど来ない。

そして、その当時の出札室は、支配人室とは別のところにあった。つまり、何時間もせまい個室に一人きり。いくら本を読んでいても怒られない。私の場合、週6日も昼間働いていたのだが(大学は夜学である)、ずっと毎日、本を読み、クロスワードパズルを解いたりしていた。買って持っていた文庫を読んでしまって、休憩時間に東通りにあった古本屋に100円の古本をよく買いに行った。

演芸場だから、モニターのスイッチを入れれば漫才などが聞ける。時給はやたら安かった記憶があるが、いい職場であった。夜学生だった私は「トリちゃん(旧姓によるアダ名)、ちゃんと勉強せえよ」と、仕事中に本を読むのもほとんど公認(?)してもらったてたし。

本当にパズルを解くのが好きだったのか、それともヒマだっただけかよくわからない。そんなに好きじゃなかったような気もする。

ただ、「たくさんパズルを解いたから、作れるようになった」とは絶対に思えない。たしかに当時はパズル雑誌なんかこんなにたくさん出版されてなかったから、解くパズルが手もとになくなって、自分でも作ってみようと思ったことはある。でも、実際に作り始めたのは、大学を卒業して、外食産業から広告業界に転職してから、その先輩に教えてもらってからだ。

つまり「自分でも作れるとは思ってもみなかった」のである。

思うに、クロスワードパズルというのは、いくらたくさん解いても、自然に作れるようにはならないのではないかと思う。まあ、「感覚」くらいはわかるかもしれないけど。

ちなみに、「クロスワードパズル」は、完成度さえあまり問わないのなら、『クロスワード辞典』(ニコリ発行)というものさえ持っていれば、誰にでも作れる。これは、何文字の言葉で、何文字目に「どの文字」かを、ただあいうえお順にひたすら並べただけの辞典である。クロスワードを作りたい人にしか必要のないものだが、作りたい人にはものすごく便利なもので、これさえあれば誰にでもそこそこのクロスワードが作れるのである。今は絶版かもしれないが、たまに古本屋でも見かけることがあるし、以前、どこかでコンピュータソフトを見たことがあるので、もしかして手に入るのなら、そっちの方が便利かもしれないけど。

クロスワードの作り方は、実は、かなり簡単である。あたりまえだが、「答」から考えていく。解くのとは、逆の順に作っていくのである。まず最初に何マス×何マスにするかを考える。ほんでもって、その格子を書いて、私の場合、まず黒くなるマスを塗ってしまう。ここんとこは、もしかすると作る人によるかもしれないけど、クロスワードパズルは「問題」が白黒のマス目になるから、どこを塗るかで見かけの印象が違う。私の場合、この白黒の「美観」にこだわりたいので、こっちを先にする。

それから「答」をハガキで応募させるようなパズルだと、この「キーワード」をバランスよく配置する。それから、全体を順番に埋めていく。その場合、出しやすい文字(たとえば、「た」「つ」「う」「か」「き」など)は、どこに入れてもいいから後回しにして、出しにくい文字(「ぬ」「る」「へ」など、あるいは濁点とか)など、そのあたりを先に「言葉」にして文字を埋めていく。

『クロスワード辞典』は便利で、これさえあれば、文字を埋める作業は、コツコツ時間さえあれば、たいてい誰でもできる。タテヨコ順番にやれば、いいだけである。ちょっと注意しなくてはいけないのは、「難易度」にあわせて「言葉」を選ばないといけないことくらいである。

実際、クロスワードパズルは「難易度」が高い方が作るのはラクなのである。なぜかというと、難易度が低いとなると、それだけボキャブラリーが限定されるので、使えない言葉が増えるからだ。使える言葉が限定されると、それだけ作るのはちょっと手間になる。

で、最後に「ヒント」を作る。このヒントを考えるのは、一番ラクだし、楽しい。

つまりクロスワードパズルは、このように作るのだが(作り手によって違うかもしれないけど)、こうしてみると、パズルというのは、作るのと解く作業がちょうど逆になるわけである。

さて、そこで「小説」と「パズル」の共通点ということをちょっと考えてみる。

まず、パズルをたくさん「解く人」が「作る人」になるとは限らない、と思う。これは、小説も同じだ。

現在、「パズル雑誌」がたくさん出版されているみたいなので、クロスワードパズルを作る人も、解きたがる人もかなりの数がいるのだろうけど、やっぱり大多数の「パズル好き」の人は、自分で作るなんて思わないだろう。

ひょっとすると「パズル好き」な人の何割かは、「パズルを解く」のも「別に好きじゃない」くらいかもしれない。「作る」どころか、「実は、別にクロスワードがめちゃくちゃ好きなわけじゃないけど、ちょっとヒマだからね」と思ってるだけなんじゃないかな。ヒマつぶしである。

こう考えてみると、やっぱりパズルって、ちょっと小説に似ているような気がする。とくに「ミステリ」なんかに似ているかもしれない。なんとなく「ミステリ」が一番、「読むのはけっこう好きだけど、自分で作ろうと思ったことはない」という人が多そうな感じだから。「本格ミステリ」はパズル小説とも言われることがあるくらいだし。

考えてみたら、これも「答」から作る人がほとんどだろうな、と思う。密室殺人を書いて、トリックの解決方法を考えてない人はいないだろうから。たぶんほとんどのミステリは、逆向きに「作る」んだろうと思う。

ただ「ミステリ」の場合(パズルでもあるかもしれないけど)、これは構成だけ。なにせ「小説」なので、実際に書くのは、たぶん前から順番に書くはずである。あたりまえだけど、文章そのものを逆向きに書くことはできない。でも、クロスワードパズルは、解く人は必ずしもヒントの順番通りに解いてくれないんだけど、小説の場合は、読者は必ず頭から順に読んでいく。だから、作る人も頭から順に書くんである。

ところで、よく「ミステリは書いてみたいんだけど、トリックが思いつかなくて」と言う生徒さんがいるのだが、あれって「ホントにそうなのかな」と思うことが多い。

ま、確かに、ある種の「ミステリ」(いわゆる「ガチガチの本格ミステリ」)では、トリックの「斬新さ」というのはきわめて大事だろう。が、これも個人的な考えかもしれないが、一般に「ミステリ」と呼ばれる範囲はけっこう広くて、必ずしもその全部が「本格」ってわけでもないし、また実際、その「ガチガチの」というもんだって、トリックの「斬新さ」という意味では、何がホントに革新的かということに関しては、いろいろビミョーなものがある。いや、まあ、その、内容とか作り方とか使い方とか、そういう意味だけど。

もちろん「本格ミステリ」をめざす人には、「志」は高くあって欲しいものだと思うし、「本格ミステリ」ならやっぱり目新しいトリックはいるだろうけど、「本格」じゃない「ミステリ」なら(こっちの方が「定義」が難しいな)、それを書くのに、必ずしも「『トリック』を思いつく必要はないんじゃ……」と思ったりするのだ。もしかすると(やっぱり私の思い違いなのかもしれないけど)、既製のトリックのバリエーションでも、ある程度は作れそうな気がするし、それよりは「構造」というか、逆向きに作る手順、使い方の方が大事なような気がする。

それさえわかれば、ミステリでも、つまり作り方がわかれば誰でも作れるような気がするのである。ま、どうせ斬新なトリックを思いついたとしても、使いこなせなきゃ意味がないしさ。

つまり、どういうことかというと、あの、
「ミステリは書いてみたいんだけど、トリックが思いつかなくてね」
というのは、たぶん本当に「トリックが思いつかない」のではなくて、それを「作る手順」がわからないだけ、かもしれないのだ(いや、「どういうアイデアならトリックになるのか」がわかってないだけかもしれないけど)

やっぱ、ホントに「したい」と思ってるなら、それが「できない」なんて人がいるのかな。方法がわからない、ってことはあるだろうけど、方法さえわかれば、やっぱ、できるんじゃないんかなあ。あとは、「すればいい」だけなんじゃないのかな。

ああ、でも、ミステリに限らず、そういうことを言う人はいるよな。
「小説を書いてみたいとは思っているんだけど、いいネタが思いつかなくて」

それとも、そういう人は「解く」方が好きで、別に「問題を考えたい」とは思わない「体質」なのかもしれない。体質? いや、嗜好かな。

でも、もちろんどっちがエライとか、どっちがどうと言うつもりは全然ない。ただ「できない」わけじゃなくて、「できるのにできないと思い込んでるだけじゃないか」と思ったのだった。いや、別にしたくないならそれでいいんだけど。

けど、やっぱ、頭の向きをちょっと角度を変えてみたら、あるいは、もしかして、たとえばある手順に気づきさえすけば、誰にでもできることなんじゃないのかな、と、ふと、思ったりしたのだった。

12/20/2007

新年の足音にも気づかないフリして

12月19日(水)
終日、外出。小説講座の事務所には入れず。

師走!

しかも、この忙しいのに、自宅も引っ越ししたばかり、と来た。ああ、もう。

家が広くなったのはいいが、私にとっては掃除面積が増えたばかりである。夫の好みで、内装はどこも真っ白。明るく広いフローリングは、毎日、モップかけても細かいホコリが目立つ。私は、家で原稿を書く仕事もあるけど、外にいる方が多いし、自宅の家事はなるべく省力化したいと思っている。だから家なんか、最低限の面積でいい。個人的には、帆船とか飛行機のコックピットみたいな省スペースで機能的な家が理想である。ああ、それなのに。

フローリングなんか、あたしゃ大嫌いだー。

以前、住んでいた家は、4畳半の台所以外は全部「和室」だったから、モップなんか、どうせ短い廊下と玄関しか使えない。古くて暗いから、ちょっとくらい掃除をサボっても誰も気がつかない。せまいからそこだけちょいちょいとホウキをかけ、せいぜい週1「雑巾水拭き」くらいで済んでいたのだが、あいにく新しい家はフローリングだらけ。2階はブチ抜きのLDK。狭くて細い敷地で圧迫感があるから2階だけブチ抜きになっているのだが、こう広いと雑巾では無理。

で、とりあえず使い捨ての紙ワイパーを買ったら、子供がおもしろがってやってくれるのはいいが、一日で10枚も使う。「両面、使えるんだよ」と言っても、「わかってるよ。でも、自分たちの部屋も階段もあるんだから仕方ないよ」と言ってきかない。今度は、洗えるヤツを買って来なくては。

しかし、自分たちの部屋っていっても、毎日、床掃除までやるようなのは一人だけである。3人の子供のうち、なぜか双子の妹の方だけが几帳面な性格でキレイ好き。部屋もぴっちり整理している。だから、姉はいつも散らかっているのに、妹の部屋だけはいつもピッカピカ。同じ面積でも広く見える。学習机も一見まったく同じ机を買ったとは思えない。
(一卵性双生児の娘。まったく同じように育てたつもりなのに、なぜなのじゃ)

ちなみに、中2の息子の部屋はもちろんすでに床が見えないほど散らかっている。ダンボールとか、マンガとか、新聞の切り抜きとか、工作に使うつもりらしい輪ゴムとか、棒とか、テープとか、針金とか、もっとなんかよくわからんもんとか。わずか10日ほどでここまで散らかった部屋を作れるのは、もはや「才能」というべきかも。もともと「精神散漫力」とか「放心力」がえらく発達した少年なのだが、不整理不整頓の能力もスゴイかもね(未整理じゃなくて不整理!)

そういや、先日、中学校の三者懇談に行った時も、「忘れ物に注意!」と言われてた息子。彼は、この期末テストで、自己平均20点アップという奇跡を起こしたのだが(もともと全体平均よりはかなり下回っていたので、それでも上位ではないのだが)、あいかわらず通知簿には「アヒル」がガアガアと「耳たぶ」(眼鏡を外した「のび太の目」とも言う)ばかりが並んでいた。理科だけは唯一の得意科目らしく、90点以下をとったことがないらしいのに、それも「3」である。

「お母さん、忘れ物ですよ、忘れ物」
「それ、小学校の時の懇談から、毎回言われ続けてるんです」
「もう中学生だから、本人の心がけですけどね」

ただ、一応、父親が「美術教師」なのでカッコ悪いから、美術の「2」だけは勘弁してくれと夫にも言われてたみたいだから、今回、美術がやっと「3」になっていたので、そこだけはちょっとホッとした。

12/19/2007

年末で、テレビドラマも最終回

12月18日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

本日は、専攻科からの提出作品(修正分)があり、丁稚どんがあいかわらずのミラクルな印刷テクニックで大量印刷。そのほか、欠席者への資料発送準備など。今週は、金曜日発送予定。

昨日は,忘年会で父親の帰りが遅いのをいいことに、かなり遅くまで起きていた子供たち。本日は、早めに就寝。

そういや、昨日放送の「ガリレオ」も、なんとかうまく電波をつかまえてテレビを見てたようだが、中2の息子には、「最終回が今までで一番おもしろくなかった」とご不満。
「今回、式を書くタイミングは一番納得できたけどさあ」
「ま、器物破損とかせんと、紙に書いてたしね。それに裏紙」
「でも、なんかなあ。がっかり」
「ま、敵役の久米さんも俳優さんじゃないので、そのあたりは大目に見たら?」
「ほんでも、いまいち」
「最終回やし、ベタな話でも仕方ないんとちゃうの。けど、なんかな、演出の問題かな?」

ところが、小4の娘たちは「けっこう面白かった!」とまんざらでもない。それがどうも「ピンク」と、あの微妙なささやかなラブラブシーンがウケたらしい。……うーむ、そ、そうなのかラブコメか!?

そら、月9ドラマなんだから、もともと中高〜OL、そんなあたりのターゲット、とくに「女子」かもしれんから、その方が正しい鑑賞法なのかもなあ。

そうだよなあ、だいたい中高〜20代前半ってのは、私の歳よりも、もう10歳の双子の娘たちの方がずっと近いんだよなあ。ふう。

ぷん、悪かったわね。

12/18/2007

小説実習で考えたこと

12月17日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

さて、うちの小説講座では、毎週プロの作家さんが来て講義をする。とくに前半は、十数人の作家さんが入れ替わりにやってくるスタイルである。
でも、講座の前期に、たまに「教室実習」の日を設けてある。小説の訓練というよりは、頭の体操みたいな内容が多いけど、一応、教室内で課題のようなものをする。ただし、時間があまりないので、どっちみち遊びのような簡単なものしかできないんだが。

で、先日の11期の講義は、その教室実習。今回は短いビデオ作品を見て、あらすじを抜き出し、さらに骨格をとりだして、他の舞台にもっていくという実習。早い話が、「換骨奪胎」をやってストーリーを考えるというヤツである。簡単で手っとり早い実習なので、わりとここ数年ずっとやっている。

実習課題も、ここ数年で20〜30パターンくらい色々やってみたが、とくに専門学校の方でウケたヤツをチョイスして、小説講座でもやることが多い。ビデオのヤツは誰にでもできる初心者向けだし、割とウケもいいから使いやすい。専門学校でも毎年やっていて、高校生向けの体験入学でもやったりするから、考えてみれば、これはかれこれ数百人も同じ内容をやったことになる。で、今年も同じビデオを使ってやってみた。

この実習は、あるビデオ作品のストーリーのあらすじをとりだし、そこからさらに「骨格」を抜け出して、他の適当な舞台に移すものである。そんなに難しい作業ではなく、誰でもカンタンにできる……はずなのだが、意外なことに、何人かはなぜか違うストーリー展開にしてしまう。そこんところがちょっと面白い。

最初は、わざとパターンを無視をしてるんだろうなと思っていたのだが(もちろん型にはめるのを嫌う人は多いので)、どうもそういうわけでもなく、流れにそっているつもりなのに、なぜか話がそれてしまうらしい。どうやら話の「筋」というのがよくわかってないみたいである。こういうタイプの人は、自分で書いた長編小説などを見せてもらっても、けっこうそういう傾向がある。

ちなみに、今回使った「課題ビデオ」は、いつもと同じ6分半くらいのアニメで、
「ある集団に属している主人公が、ある事情により(ビデオ上では、ヒロインのミスをかばって)追放されるのだが、もといた集団の危機を知り、あれこれあって(ビデオ上では、信用されずにやむなく自己犠牲的な方法をとるが)、その危機を回避し、集団を救う」
という話である。

ま、よくある話と言えば、これほどベタな話はないというような話(少年マンガなんか、たいていこんな話)なのだが、これは、手っとり早く、とりあえずストーリーみたいなものを考えてみるにはちょうどいいシンプルさなので、ちょうどいいのである。

実は、これは以前、堀先生の講義で、ある短編を使った「換骨奪胎」の実習があって、それならビデオのアレを使うとやりやすいだろうなと思って、やりはじめた実習なので(だから元のアイデアは、堀先生です)、その短編にストーリーが似たのを探したのである。

けど、他にも色々な作品を使った結果、やっぱりこれが一番手頃なので、ここ数年はずっとコレである。

さて、このようなベタな展開だと、とにかく設定だけ変えれば、それなりに別の話が作れる。「いつ」「どこで」を変えればいいだけで、それなりには別の話になるのである。たとえば、火星行きの宇宙船だとか、妖怪に襲われている村だとか、甲子園をめざす野球部だとか、株式公開をめざすベンチャー企業だとか、どこを選んでも、そこそこ、一見それなりの話っぽくなる。初心者にはわかりやすい。

とにかく「いつ」「どこで」「だれが」というのをテキトーに設定にするだけ。それだけで、それなりに何かの話ができる。ただし、もちろん「どのように」とか「なぜ」とかは、それに合わせて考えないといけない。それでも実習としては、手頃なストーリーだ。もちろん、これだけで小説が書けるかというと、それはムリかもしれないが、30分くらいの実習なので、誰でもそこそこ考えられるストーリーとなると、こういうくらいのパターンが一番である。これ以上、複雑だと「話がそれた」のがわからなくなるし。
(でも、ちゃんと作れば、たぶん充分これでも作品が書けるハズだと思うんだけどね)

ただし、これは「骨格」をそのまま使うのがポイント。あちこちいじると、たいていは、むしろ面白くなくなる。なぜかというと、骨格のままだと構造上、もともと勝手に話が盛り上がるようになっているからである。なにしろ自分を追放した仲間たちの危機を救うために戻ってくるわけである。自分の危機じゃなくて、仲間の危機。だから、嫌でもストーリーは盛り上がるハズなのだ。

つまり、せいぜい20分とかの短い実習時間で考える場合、このまま、シンプルなまま使った方がまずうまくいく。たぶんその方が「盛り上がる」はずである。

だから、まずテキトーな舞台を考え出したら、その危機を「どうやって救うか」という「手段」に頭をひねるのがコツ。

で,この場合、何度も言うけど、その舞台そのものは意外とホントにどこでもいい。何でもそれなりにはできるハズなのである(嘘だと思うかもしれないが、数百パターン考えてもらっても、それなりにはなるのである。もちろんアイデアによるけれども)

ちなみに、なぜこういう実習をしてるかというと、マンガとか小説を書く人の中には、なかなかストーリーの骨格というか、話の筋というのがよくわからないという人もいるらしいからである。でも、エンターテインメント系の小説は、あいにくこの話の筋というのが重要である。

なにか作品を書いて「ぜんぜん完結しない」とか「話が盛り上がらない」という人は、よく聞くと、「本人がどんな話を書いているつもりなのか、話の筋というのが実はよくわかってない」というケースがけっこう多い。どうも初心者の人は、些細なことに気をとられて、ストーリーの構造とか、話の「筋」というものを忘れがちらしい。

で、生徒さんにこの実習をしてもらうと、
「この実習は、骨格を別の舞台に移すだけがポイントなので、話の展開は変えないでくださいね」
と注意しても、わざわざ「骨格」をめちゃくちゃに変えちゃう人が毎回いる。「話の『骨格』は維持したまま、そのまんま使うのがミソ」なのだから、「変えないでね」とお願いしているのだが、どういうわけか、やたら長いエンディングをひっつけたり、話がどんどん横道へ行って、戻ってこなかったりする。
「あまり大長編にしないで」
とお願いしていても、どんどんやたら複雑にして、訳が分からなくなる人がけっこういる。

そりゃあ、「話をふくらませる」ってのならいいんだけど、どうもやはり「話を複雑にした」だけで、面白くはなってない。訳わからなくなって、むしろつまらなくなっている。肝心のところが盛り上がらなくなっている。

これには、どうやら色々な原因があるらしい。

一番よくあるパターンは、よく見ると「危機」がちゃんと「危機」になってないケースである。このパターンの話だと、ピンチがちゃんとピンチになってないと話にならない。カンのいい人だと、この骨組みを見たらすぐ、どこがこの話のポイントで、どういう舞台ならどういう見せ場を配置して、どこにアイデアを投入すればいいか、パッとわかるみたいなんだけど、生徒さんの中にはそれができない人も多い。

実はストーリーというのは様々なエピソードをただ並べたものではなくて、何かしら構造を持っているのだが、生徒さんの書く小説の中には、エピソードをただ並んだだけに見えるのもけっこうある。「起承転結」とかがないのである。

だいたい「危機」というのは、「回避不能」だから危機なのであって、簡単に回避できるのなら、そもそも「危機」でも何でもないのである。すぐに解決できそうな危機なら、そんなもの回避できても、たぶんあまり盛り上がらない。

で、それを考えた生徒さんは、
「あれ? せっかく考えてみたけど、なんか面白くないストーリーだな」
とか
「なんか終わった気がしないな」
と思うらしい(そこには、ちゃんと気がつく)

で、なんとか面白くしようとして、あれこれ付け足して、複雑にしようとする。

でも、設定とかストーリーというのは、「詳しく」考えるのはいいけど、「複雑」なのはいけないのである。「複雑」でもやりようによっては悪くはないのだが、この場合ダメなのは、それだとわかりにくいだけだからである。

そういう理由で「盛り上がらない」のは、別のところをグダグダいじっても、たいてい、さほど面白くはならない。この話で、危機が危機じゃないんだったら、ストーリーに緊張感がなくなって、全体の起伏がなくなってしまう。それだと、せっかく考えても「話が終わらない感じ」になるのは当然である。

不思議なもので、エンターテインメントのストーリーというのは、盛り上がるだけ盛り上がれば、あとはちゃんと「終わった感じ」にストンと落ちる感じになるみたいで、全然盛り上がらないといつまでたっても終わらない感じになるらしいのである。

だから、できるだけ「回避不可能」な「危機」を作ってやり、作ったら、何かちょっと頭をひねって、この不可能を可能にする「作戦」というか、「アイデア」をひねりだせばいいのである。

シンプルなストーリーには「ここぞ」というポイントがあって、そこが面白くできなければ、後をいくらごちゃごちゃいじっても、あんまり面白くならない。だいたい余分なエピソードというのは(もちろんストーリーの本筋に関係があるものならいいけど、そうでなければ)、読者にはただジャマなだけである。さほど関係のない余計なエピソードをいくら加えても、ただ退屈なだけである。

ところで、この実習では、適当に「いつ」「どこで」「だれが」を決めさえすれば、それなりには話が作れるはずなのだが、少なくとも、危機を回避する『作戦』(アイデア)を考えなくてはいけない。ここは、それなりに頭をひねる必要がある。

だから、そのポイントは、自分がよく知っている世界で考えてみることである。「甲子園をめざす高校野球部」を設定したとして、自分に多少なりとも野球の知識があれば、野球部の「危機」を何にするかとか、それを回避する意外な方法を考えることもそれほど困難ではないが、野球の経験もなければ、知識もほとんどない、ルールすらあまり知らないとなると、そういうアイデアを考えるのはかなり難しい。

だから、こういった実習課題があったとして、それを楽しんで考えるコツは、好きな舞台でと言われたら、やっぱり自分の興味のある得意な範囲で考えること、だったりする。

どんな人にも、いろいろな好みとか、趣味とか、体験とかがある。歴史に興味のある人もいれば、スポーツの経験がある人、バイトや仕事での知識、あるいはPTA活動やら、親戚関係など、いろんなものがある。また、近未来SFが好きとか、吸血鬼がやたら好きとか、まあ、その人ならではのものは、たいてい持っているはずである。

ところが、どういうわけか、こういう実習とかをしてもらうと、いきなり野球の知識もなく、興味もないのに「野球部」みたいな設定を考えようとする人が必ずいる。今回の実習でも、「製薬会社」という設定を考えた人がいて(もちろんそれ自体は面白そうなのだが)、全然「危機」が思いつかないと言うので、
「製薬なんだから、やっぱ特許関係だとか、いろいろ危機とかあるんじゃないの?」
と話をしてたのだが、よくよく聞いたら、実は本人は「製薬会社」には関心も知識もないそうで、
「それだったら思いつかないのは当然やん。せめて他の業種にするとかしたら? なんで製薬なの?」
と聞いたら、
「いや、ちょっと人とは違う設定にしないと、話がカブっちゃうかと思って」
と言うのである。ふーん。

結論から言えば、これくらいのストーリーでも、ちゃんと考えれば、意外に「話」がカブらないもんである。数百人にこの実習をしてもらったが、カブるとしたら極端にベタな設定で、それもよほど頭を使わずに考えるんならカブるかもしれないけど、案外、数十人くらいではカブらないもんである。

しかし、どうも「話がうまく作れない」という人に限って、最初っから「とにかく人と違うことを考えなくちゃ」と考えているらしい。

ま、たしかに小説なんてのは、個性がとても大事である。オリジナリティ。人とは違う何か。

しかし、まあ、私が思うに、最初から「他人とは違うことをしろ」というのは、ある意味、不可能である。つまり、だいたい「他人のやる」ことをまず「基準」にして、それをやらないというのが「無理」なのである。なんでかっというと、「他人」というのは、ものすごーくたくさんいるからだ。小説なんてのは、すでにおそろしく大量に書かれている。そういう中で、「他人」を基準にして、それをやらないというのは難しい。そら、もちろんプロ作家だと、同業者とカブらないように気をつけるだろうけども、たぶんシロウトがいちいち気にしたら、何も書けなくなる。じゃあ、どうするべきか。どうすればいいのか。

まあ、オリジナリティは難しい問題なので、私にはよくわからんけど、でも、まずは、
「他人と違うかどうかはとりあえずどうでもいい。とにかく自分らしいコトをやろうよ」
とか、
「これなら多少、人より好きだとか、自信があるとか、知ってるとか、自分ならではと思えるモノをみつける」
とか、ま、そんなところではないかと思ったりするのよね。

きっと「青い鳥」は、自分とは関係のないような、遠くに探しに行っても見つからない。

それにしても、毎回、実習というのは、うまくいかない人の方が勉強になるな。

ところで、今回、おもしろかったのは、現実の町を舞台にしているのだが、いきなり「魔法使い」の少女が主人公で、町に出没する「連続殺人犯」が「危機」だというパターンである。なにしろ魔法使いなのに「いい解決方法がみつからない」と言うので、それはちょっと変だなあと思って、見せてもらったら、面白いことに「魔法使い」の詳細設定が一切ない。
「ええっと、これ、魔法使いの町なの? それともこの子だけが魔法使いなの?」
「ああ、そうか。いや、現実的な町だというイメージなんで、魔法が使えるのはこの子だけです」
「でも、魔法使いにも色々あるやん。魔法が使える理由も、生まれつきとか、修行とか、何かアイテムを拾ったとか、もらったとか」
「そう言えばそうですね」
「能力だって、いろいろあるよ。変身とか、テレポートとか、発火能力とか」
「ああ」
「それに、魔法って、お話で使う場合、普通こういう場合なら使えるとか、使えないとか、使用制限があるように設定してあるよね」
「それもそうですね」
「ところで、現実的な設定なんだったら、なんでこの子だけ使えるの?」
「ああ、そこも、そうなんですよね」

けど、そこらへん何も考えてへんかったら、魔法使いというだけで、そら、もうオールマイティだよね。無制限のジョーカーのカードを先に配ったみたいなことになってしまうから、あとで連続殺人が起きようが、銀行強盗がやってこようが、「どうせ魔法が使えるんだから、何が起きても、ぜんぜん怖くないわよーん」ってなるかもな。何が起きても全然「危機」じゃないし、解決できても、盛り上がらんわな(ちなみにこの場合、たとえ「無制限」でも相手の連続殺人犯も「魔法使い」なら危機になるかも)

ストーリーがうまくいかない、アイデアが思いつかない、とかいう場合は、たいてい設定が「まだ考えられてない」ことが多い。案外、主人公の性別も決まってなかったり、年齢もどれくらいかさっぱりわからないってことは、生徒作品でもけっこう多い。でも、実は、人間というのは、抽象的なイメージをずっと考え続けるのは苦手なのである。

だから、
「ある青年がある事情によって、追われる身になる」
と考えるよりは、
「アメリカ大富豪の御曹司クリス(23歳)が、神戸の暴力団組長の一人娘みどり(19歳)と恋に落ちて、追われる身になる」
と考える方がまだずっとラクである。これなら、同じ「追われる」にしても、誰から逃げるのか、どうやって逃げるのか、なんだか見当がつくから、どうすれば面白くなるかも考え続けられる。

実習ではよく「『少年』には要注意」と言うのだが、話の主人公がただの「少年」に設定しただけだと、そのストーリーがちゃんとできないという傾向があるからである。なぜかというと「少年」というのは、5歳から16歳くらいと年齢幅が広いし、しかもその年齢だと2歳くらい違うとすごく行動パターンが違うからである。ストーリーを考えている人が「少年」としか考えてなかったら、家出をしたとしても、それが7歳児なのか、それとも15歳なのかでだいぶ行動の意味が違う。ところが、生徒さんというのは、ストーリーを考える時によくこういうことをする。背景人物の一人ならそれでもいいが、主人公の設定が固定されてなかったら、話がつくりにくいのはたぶん当然だろう。だから、とりあえずでいいから、何か決めとこうよ。

けど、生徒さんというのは、せっかく考えた話の「可能性」を限定したくないという意識が働くので、わざと抽象化したままにしたがるのである。

けど、アイデアを考える時は、設定を抽象的にしたままで、可能性を限定しないというのは、むしろ無理なのである。そもそもこれは考え続けるのが困難だし、きっと何も思いつかない。というのは、たぶんアイデアというのは、ある限定された可能性を突破するところにあるようなものなので、そもそも「抽象的」なもんではないのである。

それにしても、お話を考えるのは楽しいし、これくらいなら誰にでもできるわけなんだから(そりゃ、これを小説に書くのは大変なんだが)、とにかく「ネタ」が思いつかないなどとは言わないようにね。ネタはきっとあるよ。いっぱいね。ないように見えるのは、きっとただ探してないからだよん。

12/17/2007

小説とは関係のない休日(洗濯とスリッパ)

12月16日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

引っ越しして、一週間。自宅はまだまだ片付かない。まだTVアンテナもないので、この一週間テレビが見られない。もともとテレビをほとんど見ない夫はまったく平気だが、子供たちは我慢できず。アレコレ工夫して、なんとか電波を拾っている。アンテナにつないでないアンテナコードだが、角度を変えるとそれなりに映る角度があるらしい。なるほど、人間とは適応する生き物である。

私にはTVアンテナよりも、洗濯干し場がないことの方が不便。乾燥機は絶対に使わない主義なので、もちろん天日干しだが、まだ2階のベランダが完成してないので、乾きにくい3階の外階段の下しか干す場所がない。それなら屋外に干すよりは屋内の方が乾くだろうと、3階の吹抜け部分にバスタオルを干したらこれがよく乾く。天窓のある明るい家だし、2階に暖房を入れると吹抜けだから3階に暖気が上がる。うちは5人家族だし、洗濯物はいつもいっぱいだ。

しかし、リビングダイニングの側から見上げたら、なんか妙な感じ。子供たちが、
「ママ、なんかお外で、ご飯食べているみたいだねえ」
などと言う。

なるほど、まるで下町の路地のようである。3階の吹抜け部分は、娘たちの部屋側は格子の柵がついた渡り廊下になっているのでベランダのように見えるし、反対側の3階の和室には窓がついている。そういや、なんだか下町の路地のベランダや窓から洗濯物を干しているような感じである。

この家は、内装も夫が全部注文したから、全体的にモダンなデザインでリビングも吹抜けのおしゃれな作りである。そこに洗濯物など干せば、美観的には台無しだろうが、正直、根っからの庶民派の私には、この方がずっといいかも。おしゃれな感じがちょっと落ち着かなかったので。

調子に乗って、中2の息子には「ぬいぐるみスリッパ」を買ってくる。ずっと木造住宅に住んでいたせいか、子供たちがフローリングを歩き回る音が気になって仕方ない。モコモコかわいい犬の顔がついていて、歩くたびに「耳」がぴょんぴょんするようなスリッパを息子に履かせたら、ドンドンという音も小さくなって、家の中を走りまわる姿を見ても、微妙になごむことができたりして。

いや、よかったよかった。
なぜか夫は、微妙な表情をしているけど。

12/16/2007

小説講座も、年内最後の講義

12月15日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から、11期&小説専攻科の講義。

本日、専攻科の講師は、堀晃先生。
ベテランの堀先生だから、全面的におまかせ。専攻科のクラスは何年か通っている生徒さんが多いので、講師紹介なども不要。講義後も、自分たちで資料を配布して帰ってくれるから、私は教室のセッティングだけして、ほとんどほったらかしである。

本日の作品指導は3編で、そのうち1編は、ユーモラスな雰囲気の短編。それから、某コンテストの最終審査まで残ったが、惜しくも受賞はしなかったという長編の児童小説。もう1編は、異世界ファンタジーっぽい作品。私はかなり判断に迷ってたのだけど、ブライアン・オーディスにジャック・ヴァンス。地球の長い午後。懐かしの異世界。あいにく私は聞けなかったが、作品指導の内容も「なるほど」という興味深い内容だったそうだ。(詳細は、先生のサイト日記をご参照のこと)

一方、11期のクラスは、教室実習。
終わってから、またいつものように飲み会へ。年内、最後の講義とあって、かなりの人数でワイワイ。専攻科も一緒なので、声を上げないと話ができないほど賑やかだった。

新年は、1月12日より講義開始予定。

12/15/2007

「焼け跡」になってない

12月14日(金)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

生徒作品を読んでいて、時々、
「ああ、これはちゃんと『焼け跡』になってないなあ」
と思うことがある。

この場合、もちろん『焼け跡』は、抽象的な意味である。実際には「焼け跡」ではなく、「それっぽく見えないなあ」という意味である。

しかし、これまで、なんで「こりゃ『焼け跡』じゃないな」と思うのかが自分ではわからなかった。

さて、先日、『何か映画か』という本を読んでいたら、「ああ、これかあ」というところを発見した。黒澤明と宮崎駿の対談集(十年以上前のテレビ番組の再録)なのだが、ウワサには聞いていたけど、読んだのははじめてである。で、モロにそういう会話が出てくる。

「焼け跡を作るのも、みんな最初は焼けぼっくい持ってきたり、焼けトタンを持ってきたりして、それをただぶちまけているわけ。それじゃだめだ。そこにどういう家があったんだと…………そういう具合にしていくと、なんか、あるリアリティが出てくるでしょう」

「それから『ここは何、煉瓦の家? 煉瓦の家が崩れたとしたら、どうなる』といって、どういう格好の家という具合にやっていく。例えば電信柱でも、一応焼いているんだけど、火事のときは突風も起こるし、第一、電線がちぎれてることが多い。『ちぎれてると、どうなる』『それを垂らしてごらん』という具合に作っていく。そうするとだんだん感じが出てくるんです。ここはこうだからこうと、いろいろ工夫していくと、だんだん面白くなってくる。そういうことが肝心なんですよ。お客はべつにその部分を注視しているわけじゃないけど、感じてますからね、全体を」

ああ、この話だったのかもしれない。

でも、テレビ放送も見た記憶がない。

それよりも誰か、どこかの映画屋さんにずっと昔に聞いた覚えがある。なんだか年配の人に、20年くらい前に。スタッフの人だったのかもしれないけど。

もしかすると、映画関係者だと、そんな話はよく聞く話になってしまっているのかもしれない。いや、実際、私も、複数の人から似たような話を聞いた気もする。

ただ、やっぱり、どこで誰に最初に聞いたのかが思い出せない。

12/14/2007

小説における視点の統一とツジツマ

12月13日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

小説における「視点の統一」という問題は、いつも、ちょっとややこしい。
なぜなら、小説講座の生徒さんの中には「説明してもよくわからない」あるいは「極端に嫌がる」という人がけっこういるからである。けっこういる……というか、必ず数名はいる。

そのうち「わからない」という人は、一応、説明などをしてみて、「ぴんとこない」というだけなら、何作か書いているうちに、そのうちわかるかもしれないから、しばらく様子を見る。

ところが、あきらかに「極端に嫌がる」という人がいて、こういう人の多くは、うちの小説講座に入学するまでに何作か書いたことがあって、たいていの場合、コンテストへの応募経験もあることが多い。自分で長編を書いてみて何度か応募もしたけど、1次選考も通過しなかったという人がなぜか多いのだ。

「1次選考も通過しなかった」という作品を見せてもらうと、正直「でも、これなら、それは仕方ないだろうな」と思うことの方が多い。

たいていの場合、最初の10枚〜20枚とか、前半がものすごく読みにくいのである。文章そのものがわからないことも多いけど、そもそも内容もよくわからない。が、意識してそうなっているわけでもなさそうである。

なんだか描写されている内容がよくわからない。気のせいか、つじつまがあってないような気がする。どういう場面なのかわからない。「絵」に浮かべるのが困難である(まあ、小説だから「絵にもならない」のは必ずしもいけないわけではないのだが、場面がさっぱりわからないのは困るので)

しかし、それでも「視点の統一」をしない人というのはかなり多い。あえてしない主義なのか、できればしたくないだけなのか、それとも本人は統一してるつもりなのかは、本人に聞かないとわからない。こちらにわかるのは、読んだ作品において、視点が頻繁に(たいていの場合、ほんの数行おきに)ブレているから読みにくいことだけである。

もっとも私は、絶対に視点を統一をしないとダメとは思わない。ただ「できるだけ統一した方がいいよ」とは言う。損得の問題である。視点を統一しない文体は、読者に対して、戦略的にめちゃくちゃ不利である。場面を理解させることや感情移入させるのが何倍も難しくなる。

生徒の日本語表現能力は、実際、さほど高くないのである。でも、視点が統一されていれば、多少、文章がまずくても、不思議なことにそれなりにわかりやすいのである。ところが、視点が統一されてないと、リーダビリティが極端に下がる。何が書いてあるのか、さっぱりわからないことがしばしば起こる。

つまり、初心者の書く「神の視点」ってのは、とくに「神の視点」に固定されているわけでもなくて、実際にはあっちの人物、こっちの人物に視点が出たり入ったりするのだ。たいてい「語り手視点」というもんとも、ちょっと違う。ブレるのである。だから「会話文」とか、しばしば「誰の発言」なのかわからない。下手すると「地の文」で、平気で「心情描写」とか書いてあるのだが、それが誰のものかもわからない。どうも書いている本人はまったく気にならないらしいのだが、読んでいるこっちは混乱する。

「これって誰!? ……ええっと、ああ、これがこうだから、たぶんこの人のことのつもりなんだろうなあ」
いちいち何行かさかのぼって、推理しながら読まなくちゃいけない。難業である。

ま、こういうことを言うと必ず
「プロの作品でも、視点がブレているものがけっこうありますよ!」
と反論する人がいるのだが、プロが書く文章というのは一般的に生徒さんのレベルよりずっと面白く読めるから、ちょっとくらいブレていても「許す!」のである。まあ、それほどは読みにくくならないし。けど、そもそもブレる回数が極端に違うでしょうが。

しかし、生徒作品の場合、視点が統一されていない場合、もっとややこしい問題が起こることが多い。

ただ「文章が読みにくい」という文章の技術だけではなく、そういう文章を書く人の場合、かなりの確率で「状況的にツジツマがあわない」ことが多いのである。

たとえば、若い男性が恋人と家の中で一緒にいた時に、いきなり巨大モンスターに襲われたとする。まあ、現実的にはそんなことはまず起こらないはずだが(だよね?)、エンターテインメント系の小説では、巨大モンスターもそれほど極端にめずらしいもんでもないので、いきなり襲われるということもめずらしくはないのだ。(むろん小説世界にもよるけどさ)

さて、その先のストーリー展開では、この事件で恋人は死に、その若い男性はこのモンスターを追跡して、戦う運命にあったとする。

で、、この人物は、家がくずされるやいなや、ガレキの中から這い出して、「ちきしょーっ!」とか叫んだりして、すぐさまモンスターを追いかける。「絶対、ぶっころしてやる!!」とか言ったりして。

しかし、この部分を読んだ読者は、「おい、ちょっと待てよ」と思う。
「えっ、恋人は? どうなったの、さっきまで話をしてた恋人は!?」

実は、この時、恋人はガレキの下敷きになって死んでしまったのだが、つまり、そこんとこを作者が書くのをすっかり忘れとるのである。

たぶんベタなドラマだと、
「玉子さん、玉子さーん。どこだあー! あーっ、こ、こんなところに!」
「……ああ、黄身男さん」
「大丈夫か!? 今、救急車を!」
「……黄身男さん、私、もうダメ……」
「何を言ってるんだ、玉子さん。死ぬなっ、死んじゃダメだ」
「……あのね、ホントは私、あなたのこと……、す…き…(がく)」
「うわああー、玉子さん、玉子さあああん!……ち、ちきしょーっ! 怪物め!」
……などという、何かしらの展開があるはずなのだが、それが抜け落ちていて、ただ、いきなりモンスターを追いかける登場人物が書かれている。

つまりモンスターを追いかける前に、何か書いておいて欲しいわけなのであるが、生徒作品ではこういうことが書いてないことはけっこう多い。それなりに重要なことがポンポンと忘れられているのである。

こんな話をすると、
「ええっ、いくらなんでも、そんなことを書き忘れるはずがないだろう」
と思うかもしれないが、実は、生徒作品ではこういうことは割とよくあることである。てか、全然めずらしくもないのである。

これは、どういうことかというと、どうも小説を書いている作者が早くストーリーの先を書きたいから、あせってそこらへんの描写を忘れてしまうらしいのである。

実は、小説を書き慣れてない初心者だとそんなにめずらしい現象でもないので、私も「ああ、またか」とは思うのだけど、こういうことは、作者は「ごめんごめん。ちょっと書き忘れてたんだけど」と気軽に書き忘れられるかもしれないが、まず、読者は見逃さない。

こういう「それは、おかしいやろ!」というようなことは、どうも視点を統一しないタイプの文章を書く人に圧倒的に多い。

つまり、どうも視点を統一しないタイプの文章を書く人というのは、特定の「視点人物」が固定されてない分、ストーリーだけを追いかけて、その場面にあまり感情移入してないらしい。そのためしばしば「状況が見えてない」みたいなのである。

だから、読めば何だか変だということにわかるはずなのだが、これくらいわかりやすいミスさえしばしばやってしまう。こんなにわかりやすくなくても(むしろわかりやすいミスの方が指摘しやすいから、まだいいんだけど)、もっと何行かさかのぼって、何度か読み返さないとわからないような「矛盾」もけっこうある。

つまりどうも視点の問題というのは、なぜか「ツジツマのあわない小説世界」とセットだったりするわけなのである。

(小説世界だから、もちろん無茶な設定もあったりするので、必ずしもきれいにツジツマがあっている必要はないけど、でも、やっぱ、それなりにホントっぽい世界ではないと困るのである)

どうも「ストーリーを書くのに夢中で、登場人物を無理矢理に動かしてしまう」のは、「どうしても視点を統一したがらないタイプ」の生徒さんに多いような気がする。

たぶん視点が統一されていると、作者も「視点人物」くらいはちゃんとわかっているので、変なことがないように「見える」んだろうし、また、もしかすると、同じようなことを書かれていてもこっちも妙に説得されてしまうこともあるんだろう。

ちなみに、「視点を統一する」ということを勘違いして、ある特定の人物の行動を書き続ければいいと思っている人がかなりいるのだが、これは、アニメみたいにカメラを人物の前とか横に置いて、「横から」描写するという意味ではない。

んじゃなくて、小説の場合、これで言えば、カメラを視点人物そのものに置く。つまり視点人物の内部から、あるいは背後から描写するのである(カメラの位置は、作者や作品によっては微妙に違うかもしれないけど)。小説の場合、視点人物の真横にカメラを置くというのは、まあ、あまりない。たぶん(絶対、不可能じゃないかもしれないが)

どうもそこんとこで困っている人が多いみたいだけど、たぶん、おそらく、きっと、ぜんぜん違うもんなので、
「自分では視点も統一してつもりだし、めちゃくちゃおもしろいストーリーを考えたはずなのに、いまいちシーンが伝わんないんだよね〜」
というような人はちょっと考えてみてね。

12/13/2007

読むための技術

12月12日(水)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。そのまま直帰。

私はかれこれ20年近く、文章を扱う仕事をしているけど、実はあいかわらず自分の文章力にはさっぱり自信なんかなかったりする。書く方はもちろん、読む方もだ。そりゃ、毎日、「仕事だから」と思って、生徒作品を読んでいるのだけど、ホントは読解力に自信などないから、実はおそるおそる読んでいる。

だから、
「この文章、やっぱ、おかしいんじゃないかなあ……」
とか、
「何を書いてるのか、さっぱりわからないなあ……」
と思っても、それが自分の読解力がないせいなのか、それとも書き方がおかしいのか、ってのは、すぐにはわからない。

だから、わからないところがあると、何度も読み返す。で、
「どうやら、やっぱり、これは何か書き方が変らしい」
と判断する。ちょっと時間がかかる。

日頃、新聞とか、あるいは趣味などで本を読んでいても、そういう読み方はまずしないから、仕事上の必要にせまられてする「読み方」だけど、つくづく自分には読解力がないのだなあ、と思う。作家や編集者の人などと雑談したりすると、やっぱり違うなあと思うことが多い。読書量も違うが、何か、読むための技術、というのがあるのだろうな。

ところで、自分の一連の作業を改めて考えてみると、わからない時は、読み返しながらどうも全体的に字面を眺めて、なんかこのあたりが変かなーとカンで鼻を利かせているようなところもある。ちょっと説明しにくいけど、あまりうまくない生徒作品というのは、なんというか、視覚的にヘンな感じがする。原稿のところどころが微妙に歪んでいる感じがする。ある数行だけがボコッと落ち込んでいる……みたいに。かなりわかりにくい感覚かもしれないけど、なんだかそんな感じだったりするのだ。もちろん字がうまくないとか、ワープロの出力がよくないとか、そういう問題ではない。

文章って、単に文字が並んでいるだけじゃなくて、微妙に色がついていたり、音がしたり、匂いがしたりするような気がする。

さて、そういう読解力に自信のない私としては、どうしても判断がつかない時、たまに他の人にちょっと数行だけ読んでもらったりもする。かるく読んでもらったり、あるいは目の前でさっと見てもらって、その人の目の動きから「そこでひっかかるかどうか」を見たりする。

ちなみに、こういう場合、多読家よりは、それほど読書家でなくはなくてもいいから、ちゃんと精読してくれるような、きちんと一行ずつ読む人の方がいい。速読とか、ナナメ読みをするような人は、もともと文章をトビトビに読む傾向があるので、文章がひっかかっても場合によってはポンポン読んでしまって、あんまり参考にならない。いや、もちろん多読する人の方が読解力はあるのだが、必要以上に「わかってあげる」読み方をしても参考にはならない。
エンターテインメント小説は、
「夢中になって読んで、あっという間に読んでしまった」
とか
「思わず寝るのも忘れて、一晩で一気に読んでしまいましたよ」
くらいのリーダビリティが理想なんだけど、それって、やっぱ、ナナメ読みが前提ではないので。

実際、商業出版をして買ってもらう購読者は、必ずしもものすごい読書家とは限らない。まあ、エンターテインメント系の商業小説は、たいていジャンル小説だったりするから、こういう読者は概ねたくさん読む傾向にあるものなので(たとえばミステリファンとか、SFファンという人は、好きなジャンルに関してはそれなりに読むから)、それだけ目が肥えてるという面はあるだろうけど。

「この文章表現って、もしもコレを商業出版をしたとして、はたして読者にわかるものなのかな」

文章って、書くのも大変だけど、読むのもけっこう大変なのだ。


12/12/2007

体調回復、あいかわらず事務作業

12月11日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

今日はやや回復。やはり風邪らしい。午後からボチボチ事務作業。
欠席者への資料発送をしようとしたら、11期の出席簿の出欠人数が合わず。資料が一人分残る。11期生はまだ出席簿の記載がいいかげん。こうなると、誰が出欠してたかがわからなくなるので、欠席連絡をしてくれた人にしか送付できないのである。慣れてないから仕方ないけど、けっこう手間である。もっとも専攻科でも出席簿の記載がいいかげんな人はずっといいかげんなので、発送に困ることが多いんだけどね。

残った配布資料と欠席者数が合わない場合、発送ができない。ちゃんと欠席連絡をくれた人には資料を発送できるんで、もし資料など届いてない人は私を恨まないように。出席簿を記載してない生徒さんのせいだよん。

帰宅してから、引っ越しの続き。あいかわらず、家の中はぐちゃぐちゃ。まだ運ぶ荷物があるのだけど、体調が悪いので、屋内整理のみで勘弁してもらう。それでも少しは体調がもどったので、階段を走りまわるのにはかなり慣れた。慣れてみたら、そこそこ面白い。今だけかもしれないけど、毎日ダイエットだと思えばいいかもね。けど、なにかとシャカシャカ走りまわらないといけないので、なんだかハムスターになったような気分である。1階で洗濯して、2階の物干し場が完成してないので、3階まで干しに行く。面倒だけど、食器洗い洗浄機が導入されたので、我慢しましょう。

ちょっと変な家なので、玄関のところの天井に穴が開いていて、そこから2階によじのぼれるようになっている。そこから子供がちょこまかハムスターのように顔を出す。私も体調が戻ったらやってみよう。しかし、やっぱ、毎日、運動になりそうな。

12/11/2007

小説とは関係のない休日(風邪)

12月10日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

引っ越しの翌日でまだ色々やることがあるのだが、深夜から体調悪く、朝には吐いたりして、ひどい風邪。息子の弁当を作る気力もなく、業者弁当代を持ってってもらう。中学校の業者弁当は、入学以来、初めてである。300円でそこそこイイ内容の弁当が食べられるのだが、母親の手作り弁当にこだわる私としては、ほとんど買わせたことがなかったのである。しかし、本人はたまには食べたかったらしいから、むしろ大喜び。ファミレス料理を食べるくらいなら、年に1度くらいしか食べられないインスタントラーメンの方がよっぽど御馳走らしいんだが、ま、日頃、食べられないものが食べてみたいだけなんだろうな。

朝、子供たちを送り出してからそのまま11時半まで寝る。食欲もないので、かるくパンを食べただけ。終日、布団の中。

夕方、私の分の荷物の運び出しを子供たちだけでやってもらう。せいぜい100メートルくらいの距離なのだが、1個20円と言ってもなかなかやってくれなかったのに、「5個100円だよ」というと、なぜか3人ともやる気に。台車に乗るのが5個くらいなので、1回運んで100円だとやる気になるらしい。あとで3人あわせて2200円ナリの請求。今日の子供たちの働き分らしい。

一昨日まで住んでいたのが6畳2間&キッチン3畳のアパートだから、それに較べれば、新しくて(リビングだけは)広い家だが、めちゃくちゃ落ち着かないので、リビングの隅っこの畳スペース(ここも3畳)に布団を運び込んで閉じこもる。ここにこもると、なんだか落ち着く。夜も8時には就寝。

12/10/2007

小説とは関係のない休日(引っ越し)

12月9日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

本日は、自宅の引っ越し。

夫や子供たちは毎夜、工事現場に忍び込んでいたのだが、私はほとんど行ったことがなく、今日が初めて。細かいところも全部、夫が注文していたので、ちょっとばかり妙な家である。トイレのタイル貼りや和室の漆喰などは、彼が自分でやるつもりで、まだ未完成のところがいっぱいある。庭なんかも全然手つかずだから、工事用の黄色い柵が立ったまま。その柵をよけて引っ越しである。

細長くて狭い敷地に建てたから、細長い3階建てである。3階建て住宅は、大阪市内ではめずらしくはない。しかし、間取りのせいか、階段がやたら遠い。それぞれ上がり口がフロアの反対側にあるので、3階まで上がるとかなりクタクタ。屋根の上は「屋上緑化」になっている。大阪市内は、ヒートアイランド対策だか何だかで、助成金がもらえるんだそうだ。夏は涼しいらしい。でも、毎日水をやらないといけないんだそうだ。3階建ての屋上だから、もちろん4階分の高さ。一日中、階段を走りまくって、なんだか足腰が鍛えられそうな家である。

敷地も狭いので、各自の部屋は、全部3.5畳以下の広さである。私の仕事場も、やはり3畳である(せますぎて、図面上では「納戸」になっている)
でも、夫の作業場だけはけっこう広い。10畳ぐらいある。ま、彼が建てた家だから仕方ないが、私の場合、仕事場がせまくなったので(前には6畳分あった)ちょっとばかり微妙である。掃除面積は増えたし、家事導線が5倍くらい長くなったし。ずっと個室がなかった子供たちは大喜びだが。

さて、「リビングだけは広い」のが自慢なのだそうだが、あいにく私は「広い部屋」は苦手である(そういう意味では、仕事部屋が3畳しかなくても一向に平気なのだが、本棚を置く場所がないのである。いずれ夫の隙を見て、どっかに置くつもり)

私は、どっちかというと、古くて狭くて暗いところが好きな体質らしい。広いと落ち着かない。そんなことを言うと、まるでハムスターみたいだと子供たちにも言われた。夫の趣味で、外観は銀色、内装は真っ白の家。そうそう、私は白い部屋も苦手だ。そりゃ清潔感があるけど、掃除に気を使うし。

さて、なんでも自分でやりたがる夫は、引っ越しも自分でやりたがったのだが、さすがに3階まで子供たちの机などを上げるのは無理と判断して、今日、家具だけ業者に頼んで運んでもらった。あとは自分たちで毎日ちょっとずつ運ばなくてはいけないのである。つまり、今日だけでは終わらず、今日から来週の日曜日までが引っ越し期間なのである。しかし、初日なのにやたら疲れた。どこかに早く居場所を作らねば。


12/09/2007

ホラー小説の書き方、描写など

12月8日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から、11期エンターテインメントノベル講座。

本日は、「ホラー小説の書き方」
講師の著書が映画化されていたりすると、生徒さんの関心も高いのか、本日も出席率高し。まあ、講師によるレクチャー講義もまだ3人目だし。わかりやすい講義で、さくさくとホラーのあれこれを話してもらう。今年も、詳細なレジュメを配付して、これって、やはり保存版。前半は、ホラー小説の説明。後半は「ホラー小説における描写について」は、ホラー小説を書いてみたい人だけじゃなく、いろんな小説を書いてみたい人にも役立つ内容。例文として掲載されている牧野修先生の小説の一節、ほんの数行、引用されているだけなのに、またも「読んで、気分が悪くなった」という生徒さんあり。文章表現のスゴイ威力。
教室には、『お見世出し』で知られるホラー作家の森山東先生も講義をのぞきに来られる。

講義中、専攻科の生徒さんが教室に作品を持ってきたので、ロビーで色々話す。1章だけだけど、書き直しをすばやく持ってきてくれた。構成はとてもよくなっている。ただ、そこを直した分、余計に他のことが気にかかるようになってしまったので、どう言ったものかとちょっと迷ったり。ただ、やっぱり視点のブレが気にかかるので、1時間ほどアレコレ。

講義後、いつもの飲み会。作家さん2人に生徒さんも数名。特撮やら、ホラーやら、業界の話など、終電近くの11時半頃まで、あれこれ話をする。

12/08/2007

小説の文章は、伝わるように書いてね

12月7日(金)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

うちの小説講座の生徒さんたちは、ほとんど社会人なので(1〜2人ほど大学生もいるが)、そのせいか「小説はほとんど書いたことがない」という初心者の人でも、そうそう「日本語もむちゃくちゃひどい」という人はほとんど見たことがない。もちろん「文章がかなり読みにくい、わかりにくい」という人はいるし、実際、7割くらいは読みにくいのだが、それはほぼ書き慣れてないのが原因だから、数編書くだけでぐんとうまくなる。

ところが、その数本を書いても「なかなかうまくならない」という人は確かにいる。あるいは、生徒さんでなく、「何度も新人賞に応募しているのだが、一次も通過したことがない」という人がいて、ごくたまに「相談」されたりする。そういう人の作品は、どうも私が見た限りでは、かなりの割合で文章が読みにくいのが原因のようだ。なぜなら、最初の10行を読んだだけでめちゃくちゃ読みにくいのだ。何が書いてあるかよくわからない。わずか10行中に何度もつっかかるところがあったりする。

文章がそこそこ書けているんだったら、たぶん内容やアイデアがそれなりでも、それなり読めることは多いのだが、長編で文章がヒドイと最後まで読むのが困難である。文章が悪くて、悪戦苦闘しても内容がよほど面白ければ別にいいんだけど、やっぱり、それだけ苦労するんだったら(しかも長編で長ければ長いほど)、やはりそれなりに面白くないと満足できない。つまり「がんばったら、御褒美が欲しい」んである。ああ、御褒美ちょうだい。

しかし、文章がそれなりに読めるんだったら、少なくとも一次も通過せずに全部落ち続けるというのはあまりないんじゃないかと思う。まあ、むろん多いにコンテストの難易度にもよることだろうけど。

ただ、「文章の技術」というのは、速攻でうまくなるというのは難しい。とくに一度、自分の「書きグセ」がついてしまっているような人は余計に遅くなるみたいだ。たぶん本人はそれが一番書きやすいのだろうが、他人は読みにくいという「書きクセ」である。それがあった場合は、いったん身についたバッティングフォームを変えるくらいに本人にはやたら面倒である。もちろん、小説創作にはとくにフォーマットもないし、変えたくないのなら変えないという手もある。いくら「それはやめた方がいいよ」と講師にアドバイスされても、絶対に変えないという手もある。

つまり本人が、
「他の人とは違うやり方で、普通なら不利な方法かもしれないし、多少困難かもしれないけど、この方法が自分には合っているのだ」
と自覚してればいい。まあ、自分のやり方が一番だし。

けど、やっぱり何かを選択するということは、何かを選ばないということである。つまりそれで捨てるものもあるわけだ。

どうも文章の書き方というのは、「好み」の問題ではなく、むしろ「戦略」ではないかと思う。いや、もちろん読むのには「好み」の問題はあるが、書くのには「好み」は関係ない。人に読ませるための文章を書くことは、書く人の好みとはちょっとばかり別問題(むろん体質とかはあるだろうけど)

つまり「好み」ではなく、それが「やりやすいかどうか」である。「やりやすい」というのは、もちろんそれで「効果的」だということでもある。まあ、どのみち文章表現、コミュニケーション手段としての威力を発揮できるのならどんな表現だっていいのだ。それが小説という自由な表現の可能性なのだろうし。

でも、やっぱり商業出版をめざすなら、たとえ全員がわからなくても、せめて商業的に成立する程度の割合で、せめて何人かにはわかってもらう必要はあるわけで。

まあ、どっちみち、あまりにも孤高の努力ってのは、ちょっとエンターテインメント向きではないような気もするけど。

もうちょっとわかるように、伝わるように書いて欲しいなあ。この描写は、はたして必要なのか、とか。ほんのちょっとだけ、文章表現を工夫してみる。
「その小さな家には、不思議な子どもが住んでいた」
がいいのか、あるいは
「その黒い家には、呪われた子が棲んでいた」
がいいのか、とか。同じようなことを表すにしても、表現って色々あるわけだし。

それぞれの狙いがあったりするわけだろうし。だから、ひとつひとつ、ただパッっと思いついた表現を書くんじゃなくて、どれが効果的なのか、ちょっとよく考えてみてね。

12/07/2007

映画解説も大変

12月6日(木)
朝から小説講座の事務所。午後から外出。

事務所の暖房が暑すぎて、毎日ぼおーっとする。
この事務所は全館冷暖房なので、調節ができないんだそうな。

小説講座のほか、某専門学校の非常勤講師をしているのだが、後期の授業は「映画解説」という内容だ。「キャラクター」とか「アクション」だとか、あれこれ創作に役立ちそうな作品を選んで、ポイントごとに解説をするのだが、これは準備にかなり手間がかかる。専門学校なので、実作中心であり、教養課程などというものはなく(実際には英語や情報処理などはある)、私の授業だけが1年生の教養科目のようなものらしいので、つい色々と欲張ってしまうのが余計いけない。

限られた時間で、教材選定が難しい。他の先生たちからも「あの作品をぜひ」と言われたりする。バランスもあるし、全体のカリキュラム作りが大変。そこが面白いといえば面白いんだけど。

ところで、先生からも生徒からも、なぜか一番リクエストが多いのが、クロサワ映画である。

生徒たちは、どこかのマンガ家のインタビューでもちょくちょくタイトルを見るかららしいが、ちょっと困るのは、クロサワ作品は資料が山ほどあることだ。研究者も多いので、文献資料もいっぱい。おまけに、リメイクも多い。リメイクは色んな意味で勉強になるので、私も年に数本とりあげる。

しかし、そうなると、たとえば『七人の侍』だけで資料がたくさんあるし、『荒野の七人』やら『バグズライフ』も見直さなくてはいけないし、あれもこれも目を通しとかんと……というハメになってしまう。

さらに、最近の映画のあそこのシーンにもどうも引用されていたようだ……などという話を聞き込んでしまうと、それも見なくちゃいけないし、これは相当な手間である。

どのみち映画が好きだからいいけど、毎回こんだけ多くの資料を用意しても使うのはわずか。ま、これが大学の非常勤なら「論文」のひとつでも書けるから元がとれるのかもしれないけど、ほとんどムダ。っつーか、これって、ただの趣味?

ま、ムダだとわかっていてもやるというのは、やはり「趣味」なのかもしれないけど。しかし、あれですね。作家さんもそうだろうけど、どこから趣味でどこから仕事というのは、どっちみち、よくわからんもんな。

それにしても最近、以前なら見られなかったような古い映画が500円DVDで売っているので嬉しいやら悲しいやら。そんなこんなで、私は毎日いくら時間があっても足りないのだった。

12/06/2007

かくなるうえは

12月5日(水)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。

あいかわらずコツコツ事務作業。あんまり作業進まず。
帰宅して、家族と夕食。
食事のあと、息子がテレビを見ながら、
「そういや、『かくなるうえは』って、アニメとかではたいてい悪役が使うよね」
と急に言いだす。
「かくなるうえは?」
「そう。ほら、アニメとか」
「そういや、そうかな。アニメの悪役って、『かくなるうえは』とか『おのれ〜』とか、言うよね」
「考えたら『おのれ〜』って、あんまり日常では言わへんよな。ボク、聞いたことないわ。あれって、悪役だけやし。アニメの『ええもん』も言わんもんな」
「アニメの主人公は、たいてい若いやろ。『おのれ〜』とか、若い人は言わへんよ。敵はそれなりの歳やしな」
「歳でも言わんよ、普通の人は」
「アニメの敵は、たいていしゃべり方がおかしいねん」
「なんでおかしいの?」
「そりゃ、『敵』やからやろ」
「ふーん。でも、なんでアニメやのに『敵』の話し方だけが、なんで時代劇なんやろ」

つまり登場人物のセリフというのは、その意味するところよりも、案外、キャラクターを表わすっていうか。

けど、ってことは、つまりアニメっぽい悪役を書きたければ、時代劇っぽいセリフまわしを使いこなせればいいということなんかしらん。 

そういや、たしかにライトノベル系の生徒作品には、悪役のセリフがダサすぎるってのがけっこうあるけどなあ。話し方は個性を表すもんね。ま、でもそこが難しいところ。

12/05/2007

今日は、孤独な事務作業

12月4日(火)
朝から小説講座の事務所。閉館時間まで事務作業。

スタッフの体調悪く、本日はお休み。作品印刷できず。どっちみち今ちょうど印刷物が少ないからいいんだけど、先週、金曜担当の別のスタッフも風邪でお休みだったせいか、なんだかんだと事務作業がたまってしまう。せっせと孤独な作業。皆様も風邪に注意してね。

今のところ印刷中心のお手伝いスタッフだけしかいないのだが、やっぱり、こういうことがあるとちょっと不安かも。講義の事務とかやってくれる人がいるといいかもなあ。印刷だけなら充分、手が足りているのだが、来年以降のこともあるしなあ。講義日の事務作業も、時々なら丁稚どんもやってはくれるんだけど、毎週土曜に来れる人がいるといいんだが。

生徒作品を読んだり、2時間ほどネット作業など。結局、9時半過ぎまで残業。11期の作品は、なんか初々しくって面白い。問い合わせ葉書が一件。メールでも資料請求2件。先月、開講したばっかりだし、来春まで生徒募集はやってないんだけどね。なんだかいつも募集時期が終わってから資料請求が増える気がするな。

帰宅後、子供のことで、心配なことあり。明日、夫に頼んで病院に連れて行ってもらうことにする。

12/04/2007

小説とは関係のない休日(ガリレオとどこでもドア)

12月3日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

昨夜、また喘息の発作を起こして、ほとんど寝られず。朝まで呼吸困難でずっと苦しむ。やっぱ、一度、病院に行って、薬をもらった方がいいかも。十数年、あまりひどい発作がなかったので、ずっと気管支拡張剤も使ったことがないのである。でも、来週引っ越ししたら、何もせんでもおさまりそうな気がするんだけどなあ。

朝9時頃、やっと落ち着き、午前中は何とか眠る。体調が悪いので、今日は外出しないことにして、双子の娘たちとゆっくり昼食。彼女たちは、土曜参観だったので代休である。朝、長男の弁当も作ってくれたし、昼食の「煮込みうどん」の準備も手伝ってくれる。ガキどもに日頃から「芸」を仕込んでおくと、こんな時は便利。

昼頃、テレビで和久井映見など見て(「ちりとてちん」のベストキャラ糸子。つくづくよくできたキャラだと思う)、半分くたばりつつ、ポツポツ原稿書き。昨日のショックで、あまり進まず。今からだと到底間に合わないんじゃないかとつい弱気に。あきらめたら負けなのだが、つい弱気。

夕食も、中学生の息子にシチューをつくってもらう。子供たちがやたら楽しみにしている『ガリレオ』は、彼の友達もみんな見てるそうで、どうやら小中学生に大人気。今週はあまり面白いトリックがなく、「計算」の理由もまた不明になったので、中学生の息子にはやや不評。私は、今回はステレオの波長の計算をしてたという説を主張し、テレポーテーションのエピソードで出てきた「ドラえもんのポケット」の構造について、1時間ほど息子と議論。

彼いわく、「ドラえもん百科」には、「どこでもドア」のドアノブに手で持ったときの汗や体温、握力などを感知して、行きたい目的地を察知できる心理測定機がついていると書いてあるそうな。たしかに空間移動なら「四次元ポケット」ではなく、「どこでもドア」でしょうな。

「でも、肝心のドアの仕組みについては、空間移動装置がついてるとしか書いてないんだよね」
「そりゃあ、もちろん企業秘密だろうから、ドラえもん辞典なんかには書けないわよ」

それと「タイムマシン」は、空間移動とはとりあえず関係ないのでは、と突っ込んだのも私だけではないでしょう。けど、つっこみどころが面白いかもね。双子の娘たちはとにかくカッコイイから全部どうでもいいんだそうで(早くもイケメン好き?)

12/03/2007

小説とは関係のない休日(友がみな)

12月2日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

朝から外出。昼、長居公園近くのイタリア料理店「Trattoria Bellezza」にてランチ。初めてだし、おしゃれな店だったので、ちょっと警戒して(おしゃれなイタリアンは、料理がハズれるところがけっこうあるんだもん)、一番安いランチを頼んだら、前菜サラダのクオリティにびっくり。一見ありふれた野菜サラダで、食材もよくあるものなのだが、カットといい、盛りつけといい、かなりレベル高し(つまりたとえて言えば、大衆食堂に入って注文したら、定食のみそ汁が料亭レベルだったという……)
「う、しまった。これならしっかりコースを注文しとけばよかった」
と悔やむ。私はセレッソファンでもないから、滅多に長居には行かんので。パスタは驚愕というほどではなかったのだが、いずれにしてもこの値段なら超お得でしょう。

帰宅後、自宅にてせっせと某原稿を見直し。この数ヶ月、あれこれ努力したことがほとんどムダになったことに気づき、かなり落ち込む。原稿も百数十枚近くムダになったらしい。構成を根本的にやり直さないと。ああ、あとせめて2〜3ヶ月あればなあ。

でも、これはもともとの計画がかなり甘かったせいだから、身からでたサビ。けど、これでは、「プロットも立てずに書き始めて、結局、長編が破綻する」生徒さんたちと同じである。あーん、もう生徒さんを叱れないわ〜ん。

ま、やってみないとわからないということもあるし(言い訳)。ホントは先月から「こりゃ、まずいな」と思っていたのだが、これまで書いたものがもったいなくて、何とかならないかと見苦しくジタバタしておったのである。わかってても、なかなか見捨てられないってことあるよね。でも、やっぱダメなもんはダメだ〜。くすん。もう時間もないし、覚悟を決めて、一から構成を立て直さないと。ああ、これで今年の年末年始は完全になくなったな。

あきらめはついたが、さすがに『啄木』な気分。もちろん「友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買ひきて妻としたしむ」である……しかし、世の男どもはいいよな。けっ、わたしゃ意地でも花なんか買わないぜ。焼肉買ってガキと食ってやる〜。えらくなくても生き残ってやるう〜。

けど、ふと、だから私はいつも太るのか……苦労太り……ああ、友がみな我よりほそくみゆる日よ……。

12/02/2007

小説講座は、あっちもこっちも

12月1日(土)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。
夕方から、第11期講義(五代ゆう先生)、専攻科講義(青木治道先生)

専攻科は、事実上、今年度の第1回講義。いきなり長編2編の作品指導で、講師はおなじみの青心社社長・編集者の青木先生である。青心社からは、今年、うちの卒業生の著書が2冊出版されていて、どちらも好評だそうだ。さすがベテラン編集者である。

注)『ヴィズ・ゼロ』福田和代さん、『アップルシード外伝1 オリュンポス・アイ』大武完(こっちはノベライズ)
ちなみに福田さんは、今月のミステリマガジンに短編掲載。

久しぶりの講義ということで、いつも欠席者が多い専攻科だが、教室はけっこういっぱい。欠席者を見込んで、教室の席がもともと足りないのもあるけど(おいおい)。あとで、ロビーには赤ちゃん連れの生徒さんも。一昨年の卒業生で、この1年間は「産休」、この秋から専攻科に復帰した生徒さん。社会人向けの講座なので、いろんな生徒さんがいる。ま、専攻科の教室はワイワイいつもにぎやかである。

11期の教室は、まだ4回目の講義で、お互いの顔も覚えたかどうかというところ。それなりに慣れてきた雰囲気も出てきたけど、教室は全体的にまだ緊張気味。
本日の講師は、五代先生。講義タイトルは「ファンタジーの書き方」だったのだが、生徒さんの顔ぶれにあわせて、いつも臨機応変に講義内容を変えて話される。どうやら今年は「ライトノベル志望」が多いということで、前半は、ライトノベル業界のサバイバル術(?)とか。一般小説とライトノベルの違いとか、趣味で書くこととプロ作家として書くことの違いとか。オフレコの業界ぶっちゃけ話やら、作家の心構えのようなことなどなど。
後半は、小説を書くときの注意点など。とりあえず量を書くこと、最後まで書きあげることの重要性の話などはつい「思いあたる生徒さんの顔」を連想してしまう。やっぱ、書いてなんぼ、だもんなあ。あれこれ、小説を書く技術を習得するための秘訣、のような話。

ところで、講師の先生はプロ作家ばかりなので、仕事でやっている経験、自分が実感している感覚とかコツのような話をしてくれることが多い。こういう話は、ただ聞いてても「ふーん」というくらいはわかるから、誰が聞いてもわかったような気にはなるのだが、ちゃんと理解するには自分で経験してみないと本当にはわかってなかったりする。一見、難しい言葉を使っているわけではないんで、わかったような気になるんだけど、実際には生徒さんのレベルによって、理解に差がけっこうつくもんである。

まあ、でも、今はちゃんとわかんなくても何年かたってから、
「あ、そうか。あの時、あの先生が言ってたのは、これのことだったのか」
なーんて思うこともあるらしいから、とりあえず何でも聞いておくことも大事だよね。

でも、今年はどうやらライトノベル志望が多いらしいことがわかって、ちょっと驚く。ライトノベル業界もここ数年このバブル。さすがにピークは過ぎつつあるだろうけど、それを読んで面白いと思った人が作家志望になるわけだから、当然、予想はつくのだが。まあ、しかし、これは実は新人作家がこれからデビューするというチャンスとしては、ちとばかり、タイミングがずれていると言っていいわけで。

ま、こういうのはうちの小説講座の傾向としてはあるからなあ。新本格とか、ホラーとか、あるジャンルがさすがにブームの頂点はそろそろ過ぎたかな、という頃にさしかかると、そういうジャンルを志望する生徒さんが増えたりするんだよねえ。

損得で考えれば、ブームが過ぎてからの新人デビューしてはやっぱり不利なのだが、しかし、かといって、どうせ誰でも基本的には、自分の好きなもんしか書けなかったりするしな。ま、ジャンルの区分とかはどうせ出版社のマーケティングの都合で適当だったりするし、SFのつもりで書いたらホラーで売られた……ということもあったりするらしいから、あんまり関係ないかもしれないけど。ああ、でも、そうか、今年はけっこうライトノベル志望なんかあ。ミステリは少なそうだったからなあ。

講義中、「描写がうまく書けない」「架空世界をどう書けばいいのか」というような質問あり。先生がわかりやすく説明してくれたのだが、「原則的には、その人物が見えたように書くんです」というのは、わかるんかなあ、とちょっと思ったり。内容的には「視点の問題」に関わる話だったりするので、これが生徒さんの何割に伝わったか微妙。わかる人はわかるんだけど、わからん人にはわからんみたいだから。

けど、小説のおける「視点」の話は、毎年、生徒さんによって、わかる人にはわかるけど、わからない人はずっとわからないもんらしくて、かなりの人がここでひっかかる。てか、そういう人は自分ではわかってるつもりだったりするみたいで、わかってないことがわからんみたいなんだけど。
(1年間の講座が終わるころには普通さすがにわかるはずなのだが、まれに1年間皆勤で通ってても勘違いしてる人もいたりするようなんで)

ちなみに、これまでの経験上、視点の混乱があまりにも激しくて、文章が読みにくくてたまらないほど問題がある人は、なぜかファンタジーが多くて、ライトノベル志望って人がけっこう多い。そりゃライトノベルはある意味、極度に高度な文章レベルはたぶん要求されないかもしれないけど、それでも逆に、最低限の「読みやすさ」は要求されると思うしなあ。少なくとも何が書いているかわかる程度には。

講義後、先生といつものように飲み会へ。11期も飲み会に来る顔ぶれも増えて、五代先生に積極的に話しかけていた。専攻科のテーブルがあまりにもにぎやかだから、なかなか声が聞き取りにくいみたいだったけど。とりあえず、11期はまだ講座が始まったばかり。楽しく続けられるといいな。

さて、にぎやかな専攻科や11期のテーブルから離れて、私は専攻科の生徒さんと作品について話し込む。前回提出分の専攻科の作品だが、結局、本日6編を修正依頼しているのである(先日のブログで5編と言ったような気もするが、1編増えた)。そのうち3編は、講義の前後に教室内で説明したし、2編はとある事情から「交換チェック」という生徒チェックを先にしてもらうことにしたのだが(両方とも極めて狭いターゲットで、ほぼ近い読者層なので)、残り1編が長編。小説コンテストに応募予定があるということで、酒も飲まずに真剣な話。

しかし、400枚以上の長編の修正部分をちゃんと説明しようとすると、たぶん2〜3時間では済まないので、とりあえず1章のところだけにしぼって説明をしてみる。書き方の話をすると、キャラの途中の行動矛盾までたどりつかなくなる。あとせっかくなので、五代先生にも、あらすじと書き出し部分だけ読んでもらって、応募先についてのアドバイスももらう。けど、ファンタジー志望の人って、ホントなぜかあまり視点を統一しないのね。なんでかな。

それで思い出したが、生徒さんに借りた本の感想を言わずに返却したので、この場で感想をひとこと。ええっと、たぶん特定の人にしかわからんので、他の人は気にしないでくだされ(Tさんが貸してくれた本。Yさんも読まされたらしいけど)

いわゆる「架空戦記」なので、視点がこうなるのはわからいではないけど、どうもデビュー作は一人称だったんだよね。こういっちゃ何だが、個人的には、間違いなくこの作品からはデビューしてないんじゃないかと。だって、なにせコレ話が終わってないし。設定はそそるので、そこは好きだけど(架空戦記は何はともあれソコが命)

それにしても、どうしてそこまで視点を統一するのがイヤなんかな? ま、それはそれでイヤでもいいと思うから、それならとにかく多少読みにくくても面白くってたまらないように書いたらいいんじゃないかな、と。視点の不統一が問題なのではなく、とにかく読みにくいってのが問題なんだし。文体とかリズムの問題とかもあるしね。

でも、読みやすくわかりやすい文章ってのはどんな文章なのか、いい文章ってのはどんな文章なのかってのはやっぱり真剣に考えた方がいいと思う。これくらいなら読んでもらえるだろう、と読者に甘えっぱなしだと、やっぱ、よくないんとちゃうかと思うし。やっぱ、文章はそれなりに磨かないとあかんよ。ホント怖いもんなんよ。それって。だって、敵が誰もいないならいいけど、戦場の戦士どもはみんな刀、きっと研ぎまくりなんだから。いくらすごい戦略、戦術でも、肝心の刀が切れんとね。それ以外の方法を苦心して探すヒマがあったら、さっさと刀を研いだ方が効率的なのでは。

12/01/2007

便利で、快適

11月30日(金)
朝から外出。昼から小説講座の事務所。

午前中、銀行に行くと窓口は17人待ち。どれくらい待たされるのか心配したけど、でも、20分ほど待っただけだった。月末だから待ち時間は覚悟していたのだけど、最近は早いモノである。最近は、どこの銀行でも窓口で待たせない。以前なら倍は待たないといけなかったような気がする。私が社会人になったばかりの頃、20年前ならたぶんもっと待たされただろう。

利用者としては窓口で待たされないで済むのは便利だけど、これって、機械化とかだけじゃなくて、銀行の窓口がほぼ派遣社員になったせいなんかもあったりするんかな。やたら派遣らしい女性が増えたもんなあ。派遣を増やした分だけ、きっと社員は減っただろうけど、それっていいことばっかりでもないんだろうなあ。

今年は、やっぱり新卒の採用状況はかなりいいらしいけど、この十年あまりの就職氷河期のあおりをくらった30代はどこに行くのかなあ。景気がよくなったらしいことは聞くのに、気のせいかワーキングプアというか、格差ってのは増えているような気がするんだがなあ。

学生の頃、演芸場の出札係をしていて、札束を扱う仕事をしながら、
「こんだけ毎日、お金を数えていても、自分のお金ってほんのちょっとなんだよなあ」
と思ったもんである。自分のお金ではない大金を扱う仕事とか、自分では決して食べることができない高級レストランの給仕とか、そういうバイトをやると、時々、ふと複雑な気持ちになったりしたものである。

銀行窓口の派遣社員って、その点、どうなんだろうなあ。便利な世の中になっていくのは嬉しいんだけど、なんかちょっとだけ「いいんかな」みたいなところが、どこか心にひっかかったりしている。いいんかな。

ひっかかると言えば、食品偽装。確かにどうもかなりヒドいらしい例がちらほら続いたから仕方ないとは言え、その中に、シュウマイを大量に破棄した某老舗メーカーがあって、その理由が「内容表示の順序が違っていたから」というものがあった。丁寧な謝罪会見はいいけど、あれってなんで「廃棄」なんかなあ。賞味期限を書き直していたりというのは、健康被害の可能性もあるし、偽装とかなら信頼できないのはわかるけど、これって偽装というわけでもないみたいだし、ちょっとおかしい感じがする。掲載順の間違いって、それってどうなんでっしゃろ。そら、よくないけど、店頭でちゃんと謝るかなんかして、それはそれで販売すりゃあいいんじゃないのかなあ。だって、もったいないでしょうやっぱり。賞味期限とちがって、原材料表示の順番なんか、いちいち気にしてない人も多かっただろうし、自分の舌でうすうす見当くらいついてるだろうしさ。消費者だって、許すよねえそれくらい。

ブランドの信頼を守るために大量廃棄もやむを得なかったと思ったのかもしれないけど、なんとなくそれってどこか違うかも、という感じがする。そこまで神経質なもんなのかなあ?、ああ、それとも何か他に隠したことでもあったりして!? とにかく回収された商品があのあとどうなったのかが、今でも私はちょっと気になってたりするのだが。

便利で、快適で、効率的でクリーンな世の中。でも、ふと、どこかひっかかる。あんまり便利すぎると、なんだかどこかお天道様に恥ずかしいような気がして、私は時々不安になる。だからといって、快適さには逆らえないんだけど。

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