« October 2007 | Main | December 2007 »

11/30/2007

想像力の出し惜しみ

11月29日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

実は、生徒作品を読んでいて、ふと思うことがあるのだが、それは、
「これって、ひょっとして、想像力の出し惜しみをしてんのかな」
ってことである。変な話なんだけど、時々思ってしまうのである。

もしかすると、めちゃくちゃ失礼な話かもしれんけど、でも、時々、ふと思ってしまうんである。

この場合、想像力というのは、読者じゃなくて、作者の、である。もちろん、そんなことを本人に聞いてみたって、「ええ、そうなんですよ〜わかりますぅ〜」なーんて言うわけないだろうから、たぶん本人としてはそんなつもりがないんだろうと思う。でも、なんでか、そういうふうに思ってしまうことがあるのだ。

どうしてかというと、たとえば「登場人物」だと、その性格がよくわからないとか、「どうも行動のつじつまが合わない」ということがよくあるからである。さすがに主人公まで何を考えているかわからないというほどの作品は少ないけど(それもあるけど)。脇役なんかはしょっちゅうある。

エンターテインメント系の小説の場合、もともとエキセントリックというか、妙なキャラクターというのはよくあることなのだが、変わった性格というのはそれはそれで、それなりに書いてもらわないとどんな人物なんだかさっぱりよくわからない。ただ、私が思うのは、むしろそうでもないような、ま、普通の人物として書かれているのに、なぜだか行動が突拍子もないというケースである。いきなり説明もなく、そう書かれている。

で、どうも書いた作者には、その行動がおかしいとは思ってないみたいなのである。

これは私の想像だけど、たぶん作者はストーリーを語るのに精一杯で、こうした脇役の心理状態にまで、細かく気を配る余裕がないのかもしれない。で、たぶんそういう描写がすっとばされているのだろう。その気持ちは何となくわかる。わかるんだけど、それでもよくわからない。

たとえば、ある人物が突然かなり深刻な事故に遭う。それにたまたま立ち会った肉親がなぜかまったく平然としている……とする。これは、普通に考えると、ちょっと妙な行動である。

そりゃ、世の中には実際そういう性格の人もいるにはいるし、それまでに作中でそういう人物として書かれているんならわかるけど、普通、肉親ならしない行動である。たいていは驚くなり、慌てるなり、心配するなり、あるいは喜ぶなり(愛憎関係?)、なんか反応はあるはずで、そんなに平然とはしてないハズである。

つまり、こういう普通ならしない行動をされると、
「あれれ、なんでだろう。この行動に何か意味があるのかな」
と読んでいる方は思う。
「もしかして、これにはこんな理由があるのかな。それともこんな理由かな」
とか、いろいろ考えたりする。
ところが、あとを読んでも、ストーリーは知らん顔して進んでいき、そのことはまったく書かれていないのである。それくらい忘れられたらいいんだけど、他にもナゾの行動があったりして、けっこう気になる。待って待って、あれって何!

なのに、作者がそれに気づいていない(ようである)。なんでなんで? 
あれ、もしかして作者には、この状況が「見えてない」の?

これが一カ所、二カ所くらいならまだいいんだけど、生徒作品の場合、けっこうあるのである。多いやつだと、ホントしょっちゅうある(まあ、実際には、生徒作品って、かなり意識的にこういうトコを「無視」して読まないと先が読めないんだが)

また、ある作品では、いい歳をした男性がいきなり路上でおいおい泣く。もちろん泣きじゃくる中年男がいてもいいし、そういう話なんだったらわかるんだけど、どう考えてもちょっと理由がわからない。それくらいでなんで急に泣くのかな。泣きっぽい性格? それにしては、他のシーンではけっこう普通で、そうは書かれてないんだけどなあ。うーん。あ、もしかしてこれってギャグのつもりなのかなあ……しかし、ギャグにしては笑えんしなあ。

小説の世界は、作者が全部作ったものなので、読者にそのすべてがわかるわけではないのだけど、読んでいる以上はなるべく理解しようとしてるのである。どんな世界なのか、そこに出てくる人物がどんな人なのか、一応、こっちは興味をもっている。

つまり「こういう人物なら、たぶんこういう行動をするだろう」という予想をして読んでいる。だから、突然そうじゃない行動をすると「あれ?」と思う。ところが、この「アレレ」な行動をしてるのに作者本人が気づいてないことがある。

まあ、生徒作品は、ストーリーに直接関係するような主人公の心理とか行動にしか気を配ってないことはよくある(実は、主人公に気を使うだけまだまし)

小説を書き始めたばかりの初心者の場合、話をとにかく終わりまで書くのにいっぱいいっぱいで、ほとんど余裕がないから、これも仕方ないといえば、仕方ないのだけど、でも、あとほんのちょっとの手間なんである。あと、ほんのちょっとだけ、そのシーンにいる人物たちが何を考えているか、その気持ちくらいは考えてくれてもいいんじゃないの。

もうちょっと、ほんの少し余計な想像力があれば、いいのにな、と思う。ああ、たっぷりの想像力が栄養なのになあ。

11/29/2007

ぎっくり?

11月28日(水)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

昨日から、どうも腰が痛い。もしかして、これって、ぎっくり腰というやつなのでは、と思う。でも、理由がまったく思いつかん。昨日じゃなくて、月曜にはすでに痛かったような気もするし。

来月上旬には引っ越し予定なのだが、それまでに治るかしらん。

11/28/2007

ちょっと作品を直してもらえれば

11月27日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

専攻科の講義スケジュールが決まらず、ちょっと頭が痛い。専攻科の講義は、提出された作品を講師に作品指導してもらうのだが、うちの小説講座の場合、講師が複数いる。だから、提出した作品を私が読んでから、その作品にあわせて、講師希望や日程などを調整して講師依頼をしている。けっこう手間がかかる。

さらに、作品の一部は、そのまま指導にまわす前に、「もう一度、修正してもらえないだろうか」とこちらから修正をお願いすることがある。誤字、脱字などが多いものとか、あるいは、そういう文章上のミスはなくても、内容があきらかに矛盾しているとか、不明点が多いとか。そういうものを事前にかるくチェックしているのである。なにせ講師指導は、せっかくのプロ作家に指導してもらう貴重な機会なので、ある程度ちゃんとした作品を見てもらう方がいい。だから、ちょっと面倒な作業なのだが、そうしているのである。

この「修正依頼」は、生徒さんにとってはえらく負担らしい。一度、書いてしまったものを書き直すというのは、かなり面倒な作業らしいのだ。だから一応、こちらも「オラオラ、書き直さんかーい」というよりは、「あのぅ、できれば直してもらえないかなあ〜」と、内心おそるおそるお願いしているつもりなのだけども(どっちにしても言われた方は同じかもしれないけど)、ま、とにかく面倒くさいらしい。

ただ「面倒くさい」という点では、こちらにとっても同じで、こんな「修正依頼」をするよりは、全部テキトーに講師指導にまわしてしまった方がホントはラクである。プロ作家さんたちは、どんな作品でもたいてい見事に指導してもらえるのはわかっているので、最初っから私なんかが口をはさまず、全部目をつぶって指導にまわした方がどんだけラクかと思う。

そんでもなあ。やっぱ、このまま講師指導をしてもらうより、事前に直してもらった方がいいと思うしなあ。

ところが、修正依頼というのは、必ずしも作品がマズイから簡単に依頼できる、というわけではなく、あるレベルの生徒さんにしか言えない。もともとプロデビュー直前というような、かなりうまい人は修正依頼するようなものはないし、かといって、初心者に近い人だと、またそれはそれで修正依頼をしにくい。依頼しても、修正できないだろうと思うからである。

たとえば、ミステリ作品で肝心のトリックそのものが、どうもあまりにも変だという場合(論理的に成立しないとか)、そこから「書き直す」というのは、かなり難しい。小説の場合、「どう見ても修正不可能」というものなんかほとんどないので、それでも大抵「なんとか工夫すればいいだけ」なのだが、あっちの設定をこうしたり、こっちの展開をこうしたりと、全体的にあちこち細かく変えないといけないハメになったりして、けっこう根気がいるのである。実際、作品中にちょっと見逃しにくい問題点とかがあった場合、けっこうあちこちいじらなくちゃいけないことが多い(生徒作品の場合、もともとウカツな設定だったりすることがけっこう多いので)

それほどでなくても、一度書いてしまった作品を書き直すというのは、やはり面倒くさい作業なので、「そんならいっそ新作を書いちゃった方がラク」と言われかねない。しかし、これはかなり困る。書いてからまったく修正しないというクセがついてしまうのも困るのである。プロ志望だと、やっぱり経験値を高くする必要があるというか、まあ、かなり原稿量を書かないといけないから、ひとつひとつの作品にあんまりこだわり続けるのもどうかと思うんだけど、一方で、それぞれの作品にあまりこだわらず、「とにかく新作、新作」となってしまうというのも、やっぱりよくないんである。

あんまりそればっかりすると、まるで「料理は作るがあとは知らない。自分でも味見はしないし、もはや誰にも食えない」というコックさんになりかねないので、それはきっとかなり危険である(ネットとかのぞいてみれば、たぶんそういう小説はいっぱいある。タダだし食えないこともないから、お世辞のひとつも言うけど、お金出してまではね、みたいな)

だけど、生徒さんのやる気がなくなるというのが私にとっては一番こわいことなので、やっぱり慎重になる。だから、ちゃんと直してくれて、それで前より作品がわかりやすくなるとか、そこんとこ直せばきっとよくなるだろうという人にしか依頼が出せないわけである。

というわけで、つまり、
「色々あるけど、たぶん本人にはこれで精一杯なんだろうな。もし修正依頼とかすると、もっと混乱するんだろうなあ」
とか、
「あきらかに話がおかしいところはあるけど、これはたぶん直しにくいだろうから、講師に言ってもらった方がいいだろうなあ」
とか、そういう場合は、依頼できない。

そんなわけで、「もう書き直すよりは、これは一回、講師に見てもらった方がいいだろうしな」と、あえて修正依頼をしないということも多いんである。また、クラス全体の提出本数にもよるしな。提出された作品数があまりに少ないと、いちいち「返品」してたら、全部が修正待ちばっかりになって、講義スケジュールが立たなくなるしねえ。だから、「とりあえず、これはこれで仕方ないかなあ」みたいなこともある。

で、今回、かなり悩んだ末、結局、5編ほど「修正依頼」をすることにした。うーん。まだ、悩んでんだけど。こんなに「返品」するのは初めてなんだが、いいんかなあ。てか、ちゃんと直してもらえるんかなあ。ああ、頭が痛い。

11/27/2007

たまには、小説家との作戦会議

11月26日(月)
午後から打合せ。4時頃から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

朝、かなり体調悪く、外出しようかどうか、ちょっと思案する。でも、結局、外出することに。

13時、弁天町にて。15時半からラジオ大阪で収録があるという、某ミステリ作家さんと待ち合わせ。「今、書いている長編について、ちょっと相談したいことがあって」という話だったのが、なんとなく気のせいか、電話の声がせっぱつまっている。長年のつきあいなので、「ははあ、こりゃ、締切間際で、何かつまって執筆が止まってんか何かしてんだろうな」という気がする。ちょっと体調が悪いがやむを得ず。こうなると、ちょっと断りにくい。ま、今はそれほどしょっしゅうあるわけでもないので、ちょっとは無理をするのである。

かれこれ、この十年ばかし、執筆のたびごとに「相談」にのっていて、多い時は週1〜2回。作品によっては、数十時間という膨大な時間を「相談」に費やしている。ちなみに、正式に「ブレーン」とかにはなった覚えはないのだが、いつの間にかブレーンということになっているらしい。まあ、別にいいけど。

考えてみれば、直接、自分の仕事でもないのに、いちいち相談にのって一緒に頭をひねっている私も私かもしれないが、やっぱり本人も熱心である。本日も「あーでもない、こーでもない」と2時間ほど。何を話しているかというと、ミステリだから、おもに設定とか、トリックとかの話である。話の展開上、ちょっと無理があるところをどうすれば不自然にならないか、とか。よほどせっぱつまっているのか、いつものように業界のウワサ話にそれたりせず、びっちり創作アイデア出しに集中する。ちょっとめずらしい。

それにしても、作品について「ちょっとでも面白くしよう」「できるだけベストの方法を探そう」という情熱は、やっぱりものすごいものがあると思う。まあ、プロ作家なんだから、あたりまえなのかもしれないけど。
でも、私だって、本人が熱心だからこそこういう「無料相談会」にも気軽に長年つきあっているわけで、書いている本人がいいかげんなら、そもそも長時間つきあうはずがない。これって熱心、というよりプロ根性? 

これが生徒さんだと、こうはいかない。作品を書いていてちょっとした無理が生じると「まあいいや」と無視するか、あるいは、作品そのものをあきらめたりすることがけっこう多い。トリックなどはそうだけど、ミステリじゃなくてもそういうことはしょっちゅうある。ちょっと目新しいアイデアだったりすると、それは作品としては必ずしも使いやすくはないものだったりすることが多い。そのために一つ一つ矛盾をつぶしていったり、長編とかだと、とくにあちこち設定を工夫したり、動機づけをしたりして、けっこう面倒くさい。

でも、この作業にはちょっと根気がいるので、生徒さんは面倒くさがって、手を抜いたりすることが多い。あるいは、最初からそういうアイデアがあってもそれをやらないか、書きやすいものを書きたがる傾向がある。せっかくのアイデアそのものを捨てることもある。または、矛盾があっても調整せず、手を抜く、とか。一番多いのは、途中で無理がきて、作品を書き続けたくなくなって、ぽいっと投げ出す。もったいないんだけど、そういうことはけっこうある。こっちが驚くほど、生徒さんはけっこう平気で作品を途中であきらめる(いや平気じゃないかもしれないけど)

こんなことをすると、本格ミステリじゃなくても、長編だと少々のミスでいつでも破綻する可能性はあるので、いつも「途中までしか書けない」という可能性がすごく高くなる。けっこう危険(ファンタジーでもちゃんと書かれてなきゃ話は破綻することはある。短編は、まあ、多少無理でもチカラ技が使えれば、何とかなるみたいだけども)

おかげさまでこの十年(たぶん長年のブレーン経験で鍛えられたおかげ)、解決策がすぐに頭に浮かぶことはなくても、とりあえず解決策が見つかるまではずっと考え続ける、という「態度」というか「度胸」はついた。だいたいそんな簡単な「課題」だったら、つまるはずがない。でも、しつこく考えれば、どうやらたいていの解決策は見つかる。必ず、見つかる。それが実感として何となくわかる。何となくだけど。

つまり、ショートショートではないけど、「今までアイデアが出たんだから、今回もどうにか出るだろうと信じるしかない」、ってのは、ホント信じれるってことくらいは。

ま、本格ミステリは、難問パズルなんかで頭をひねるのが好きなタイプには向いてるのかもしれんけど(構成が論理的なので破綻もしやすいが、問題点が露骨なので修正する甲斐もある。とくに斬新なトリックほど使うのが難しいから、準備もいる)、なににしろ、なにせ小説なんか、創作作業なんだから、頭なんぞひねるだけひねって「あたりまえ」である。

ミステリのことはわからないけど、たいていのトリックとか設定とか見ても、ビビらなくていいことはわかったし、あきらめずに考え続けることが一番大切だというのはわかる。つまり「頭から煙が出るくらい考える」のね。

とにかく考えるのをあきらめなければ、実は、たいてい問題は必ず解決策があるもんなのだ。頭をしぼれば、どんなに無理に見えても、何かしら方法はあるもんである。

ただ、ちょっと不思議なのは、すごく頭をひねって、「あ、こういう手があったか!」と思ったものほど、あとから見ると「あれれ、なぜ最初から気が付かなかったのかな」と思うほど、なんかフツーというか、なんか「あたりまえ」みたいに見えることなんだけど。これって、不思議。

さて、2時間ほど「会議」をしたあと、「おかげで、なんとかなりそう」と言って、去っていく某作家さんを見送りながら、ふと、
「ああ、うちの生徒さんが皆これくらい、決してあきらめずに、とことん熱心にアイデアを考えてくれたなら、もっといい作品ができるだろうになあ」
と思ったりする。

それにしても、プロだって誰だって、あまり手を抜いてはいい作品はできないだろうのに、どうして初心者ほど手を抜くのかなあ。あまり考えずに書くもんなあ。でも、「かるーく書いていい作品が書ける」とは限らないじゃないか。考え抜くってのは、そんなに大変なことでもないだろうに、なぜ頭を使いたがらないのか、ちょっとよくわからない。頭を使いすぎて、死んだ人はいない。多少しんどくても、作家なら誰でもやってると思うけどな。

11/26/2007

小説とは関係のない休日(編み物、テレビ)

11月25日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜、お休みです。

私は、たぶんできればずーっと働いていたいくらいの仕事大好き人間なのだが、3人の子持ちともなればなかなかそうもいかず、やっぱり自宅では、ダンナ優先、こども優先の主婦である(たぶん)。

でも、今朝は、夫が東京泊まり、子供たちは祖父母宅にお泊まり(中2の長男は、夫の実家。小4の双子の娘たちは、私の実家)。だから、めずらしく一人っきり。うう、嬉しい。

で、のんびりとできるだけ遅くまで寝てるつもりだったのに、子供たちが9時に帰宅。もうちょっとゆっくりしてればいいのに、と言ったら、子供たちはこれでも気を使って、かなりゆっくり帰ってきたのだと言う。なにせ祖父母宅は、どちらも毎朝6時には朝食なので。

さて、先週からなぜか急に、編み物にハマっている子供たち。棒針で、マフラーを3人が競って編んでいる。なぜか突然、編み物ブームである。そろそろ本格的な冬だから、時期としては正しいかもしらんけど。

昨夜から実家の母にも教えてもらっていたらしい。
「おばあちゃんは、おじいちゃんにセーターとかいっぱい編んであげたんだって」
と双子の娘が言う。そういえば、母は私にもあれこれよく編んでくれたものである。私もたまには夫にセーターのひとつでも編もうかとちょっとは思ったりはするのだけど、どっちみちそのヒマがないしなあ。

「大丈夫、コレができたら、パパにもあげるねん」
と双子の娘たち。

なるほど、それはいい考えである。実際、古女房からよりは、娘からの方がよっぽど喜ぶだろうし。娘への愛おしさというのは、どんなに夫婦仲がいいラブラブな夫婦でも、妻には勝るもんらしい。ま、どのみち娘って、だいたい妻にそっくりなわけだしな。その点、幸いなことに、うちの双子は、私の子供の頃によく似ていると評判である。つまり娘たちのものは、すなわち私のもの(そうなのか?)。いや、せいぜい娘たちのマフラー作りに協力してあげることにしよう。

まだ小4だからマフラーが限界だけど、通勤に使える程度には何とか仕上がりそうである。極太だから、ま、1週間くらい。飽きなきゃいいが……と思ってたら、双子の妹の方はもう飽きたらしい。わずか十センチ。

一方、長男はもともと器用なタチだから、マフラーくらいは編めるはずなのだが、今日ちょっとのぞいて見たら、極細糸で1列60目以上もあるような。5段でやっと2センチくらいか。これはちょっと無謀な挑戦じゃないかなあ。ま、がんばって。

夕方、録画しておいた某テレビ番組のビデオを見る。

先日、知り合いに頼まれて出演したものだが(放映は昨日だったのが、収録は一ヶ月前)、一応、自分が出演したものなので内容をチェックしておく。私はラジオ出演は2度、テレビはこれでたぶん2度目だが、そういえば放映時にナマで見たことはないな。ラジオは2回とも生放送だったし、テレビは収録だが、昨日も仕事だったし。放映時に自分がテレビに出てるのを見たら、けっこうおもしろいのかも、と、ふと思ったり。しかし、世間ではテレビに映ったりするのを自慢にする人がいるみたいだが、これってやっぱり自慢というよりは恥かもなあ(笑)。私は平気なんだが、中学生の息子にはいろいろ文句を言われた。ごめんごめん。

ちなみに、誰にも出演のことなどは言っていないのだが、昨日ひょっとしてたまたま誰か見てたかもしれないので、一応、忠告(ローカル番組なので、少ないとは思うけど)。番組中、「え? あれ、そうだったっけ?」という『演出』に気づいた人もいるかもしれないけど、それはそういうものなので、そこんところは大目に見ようね。ちなみに、そこはアレだけど、あとホントほとんど真実だし(笑)

11/25/2007

作家とレトリックの問題

11月24日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から「第11期エンターテインメントノベル講座」の講義。

連休である。世間では、三連休。
思ったよりも出席が多く、欠席者は2名だけ。教室実習と言っても、1時間ほど「小説創作用語の解説」みたいな話をしたから、あまりたいした実習はまだできない。社会人向けの小説講座は、生徒さんのレベル差が激しいから、どっちかというと初心者向けの用語説明みたいなものである。後半は、「原稿用紙の使い方」の話だけど、具体的な例をあげた方がいいので、自由課題で提出してもらった5枚ほどの作品集をみながら、何人かの作品を簡単な合評形式でかるく注意してもらう。生徒同士の合評は、多少の危険性もあると思っているので、ちょっと慎重だけど、「こうした方が読みやすいよ」というような、簡単な注意だけはしてみる。

終わってから、生徒さんたちと近くの中華屋で飲み会。まだ3回目の講義なので、生徒さんの名前と顔が一致しない。ある生徒さんと先週の飲み会での話になり、
「嘘ではないが、そのまんまホントとは言えない言い方がある」
という話題がまた出る。

たとえば、ある作家さんの
「生まれてはじめて書いた長編ミステリでデビューした」
という話は、「嘘」ではなくても、『演出』はあるかもしれないという話。

とくにミステリ志望の生徒さんなら、すぐ気がつくだろうけど、この文章には、いくつかの可能性がある。
つまり、これが事実だとしても、
「長編ミステリは書いたことはなかったが、短編や中編ミステリは書いたことがある」
のかもしれないし、
「長編ミステリは初めて書いたのだが、実は、長編ファンタジーなどは何度も書いたことがある」
のかもしれない。

でも、この文章だけ見ると、まるで
「生まれて初めて小説を書いてみたら、苦労なくさらさらと書けた」
みたいな印象を受けてしまう。でも、作家というのはそういう方が読者にウケるという言い方、つまり「読者サービス」を意図して(本能的に、かもしれないが)、言ったりすることがある。ま、「演出」である。

でも、これはこれで、嘘ではないのだ。つまりそういう言い方なのである。(本当どういう意味かわからんけど)

ま、作家ってのは、文章を操る仕事なので、そういう「うまく言っておく」ということくらいはやれる人種だし、もしもミステリ作家なんだったら余計にそうである(偏見?)。ミステリ作家なら素直じゃないはずだから、充分ありうる(やっぱり偏見?)。だって、ダブルミーニングやら、叙述トリックかもしれないしぃー。
ま、プロ作家志望なら、そこんところは、行間も読んでみるというのもね。

ちなみに、プロ作家の人は、
「思いついたまま、テキトーに書いたら、いい作品ができた」
とか
「登場人物が勝手に動いてくれた」
などということがある。

テキトーに書いたら、すばらしい作品ができたというのは、たしかに「嘘」ではないのだが、そのまんま、シロウトがやってできるかと言うと、普通は無理だと思う。

たとえて言えば、プロの料理人が、
「なんとなく材料を切って、とりあえず炒めてみたら、いい料理になってきた」
とか
「いい食材を見ているだけで、メニューが頭に浮かんで来た」
というようなもので、そもそも本当に「テキトー」なことはプロならたぶんやらないし、まあ、やったとしても、こうなればこうすればいいか、くらいの予想は立てている。そういうのは、もともと膨大な量の経験と知識があるから「テキトー」でもできるわけである。

まあ、主婦も長年やってれば、テキトーに材料を炒めたりするけど、ある程度「こういう感じでやれば、こうなるだろう」という「あたり」くらいは立てているし、だいたいよほど慣れてなきゃ、味の予測なんかつかないもんな。まるきりの初心者は、どれくらい炒めればいいかとか、材料をどんな形に切ればいいかとか、どれくらいの調味料を入れれば、どれくらいの味になるかというのは、慣れてないのでわからないはずである。

で、つまり、ほんまに「テキトー」かと言われれば、そうでもないわけである。締切があるようなプロ作家がいきなり本当に「テキトー」にやるわけないじゃん。万一、話がまとまんなかったら、めちゃくちゃ困るもの。

しかし、料理にたとえれば、あたりまえだと思うだろうけど、なぜだか小説というのは、「生まれて初めて書いてうまくいかなかったら、自分には才能がないのだと落ち込む」という人が多い。

スポーツや楽器や料理作り、あるいは、美容師だろうが、歯医者だろうが、
「いきなりやってみて、うまくできなくてもあたりまえ」
と思うだろうに、どうして小説だけは「いきなり書いて、名作が書けるもの」と信じられているのかは私にはよくわからない。が、もしかすると世の中のプロ作家さんたちが「読者サービス」でもしすぎているのかもな。

いや、案外、プロ作家さんというのは、
「いきなり書いてできなかったら、キミには才能がないからあきらめようね」
と思い込んでもらう方がいいのかもしれないな。少なくとも可能性としては、そうとも読める、しね。

とは言え、プロ作家にとっては、「テキトー」というのも、たぶん実感でもあるんだろうけどなあ。

ま、とにかく一切、訓練なしで、いきなりフルマラソンに出場するくらいの、かなりの危険を怖れなければ、シロウトでもやってやれなくはないだろうと思うし、ええ、決して、不可能だとは言いませんぜ。ええ、できますとも。いや、ほんと。私、レトリックは苦手でして。

11/24/2007

毎日、誰と食事を食べてるか

11月23日(金)
小説講座の事務所は、日曜、月曜、祝日お休みです。

午前中、家事いろいろ。12月上旬に引越予定なので、その見積もりなど。

毎月、子供たちは「保健だより」というプリントを持って帰ってくる。学校の「保健室」が発行しているプリントだが、健康に関することが子供たちにわかるようにわかりやすく書かれている。家庭の保護者を意識しているところもあるんだろう。先月は「個食」の話だった。

個食と言えば、家族一人一人で食事をとることだが、この食事スタイルが現代社会ではものすごく増えているのだという。5人家族で、朝夕、ワイワイと食事をしている我が家ではちょっとピンと来ない。もちろんごくたまに中学生の息子が、定期テストなんかで学校から早く帰ってくるということはある。そんときは昼食を一人で食べることもあるかもしれないけど、かなりめずらしい。双子の娘たちなんか、クラスは違っても同じ学年だし、ほぼ年中いつも一緒にいるから、たとえ親がいなくても、なかなか「個食」になる機会がないだろう。

ふと考えてみれば、私自身、あまり一人で食事をした覚えがない。実家の両親も共働きだったが、3人姉弟だったし、一人暮らしをしていた期間も短い。結婚前の20代前半も、外食産業で働いていた頃は店で食べてたりしたし、コピーライターの頃は、週4日くらい飲み歩いていたような生活していたので、あまり一人で食事をした覚えがないのである。

そういえば、今、事務所では一人で弁当を食べることもあるから、これが個食と言えば、個食である。ただレストランで食べることもかなり多いし、ここの事務所って、誰かしら周囲に人がいるんだけどね。

でもよく考えてみたら、私の場合、もしも家に一人でいたとして、ちゃんと食事を摂るということはほとんどない。今、もし子供たちが登校したあと、家に一人でいたとしても、まあ、体調が悪いか、仕事の原稿がたてこんでいるか、というどっちかの場合がほとんどだしな。どっちにしても食事を作らないよな。そもそもお腹がすかないことが多いし、もし腹が減っても、そのへんにあるパンでもかじっているだけだろう。

料理を作るのは好きだが、それは食べてくれる相手がいる時だけで、自分だけのために凝った料理をすることはまず滅多にない。まあ、朝食くらいはやるかもしれないけど、それは楽しみというよりは、目的は栄養補給のためだしな(極端な低血圧なので、何か無理にでも食べておかないと、日中動けない)

「個食」が苦手な体質とは思わないが、どうも一人で食べる食事というのは、「食事」というよりは「栄養摂取」という気がする。食事というからには、誰か一緒に食べる相手がほしい。そんな気がする。

ちなみに、「保健だより」によると、個食は健康上あまりよくないらしい。「ながら食べ」になりがちだし、栄養吸収もよくないのだそうだ。「楽しい会話」も食事のうちと言うものね。個食じゃ、会話はないし。

主婦としては、自分はともかく、家族に「個食」をさせるのにはかなり抵抗がある。生活時間帯がずれていたとしても、なんとかして一人で食べないようにできないかと考えてしまう。残業をせずに家に仕事を持ち帰ったり、なるべく出張に行かないようにするのも(一応、これでも家族のために仕事は控えているつもり)、家族には個食をさせたくないからである。毎朝、夫は出勤時間が少し早いのだが、できるだけそれに合わせて子供たちも起こしてしまうし。子供たちはもちろん、夫が一人で食事を摂るのにさえ、ちょっと抵抗がある。一緒の家に住んでいるだけが家族ではなくて、食事を楽しく一緒に食べるのが家族だという気がするから。

ところが、夫の場合、朝夕、うるさい子供たちが、
「あんなー、あんなー、パパ、今日、学校でな」
「それより、私のクラスでなー」
「ちょっと黙ってて。今、私がしゃべってんねんから」
「でも、私のクラスでな」
「うるさいってゆうてるやろ」
「わあああん。私の話も聞いてえやあ」
「うるさい。今、私が話してるんや」
「ほんで、今日、僕のクラスでなー」
「ああもう、兄ちゃんは黙っとってー」
「パパ、私の話を聞いてー」
「ああもう、頼むから順番にしゃべってくれ」
と、ゆっくり食事を楽しませてくれないわけである。

で、昼間は学校の美術準備室でゆっくり弁当を食ってるかと思いきや、
「あんなー、あんなー、先生、聞いて聞いて」
「先生、相談やねんけどな」
と、昼休みになったとたん、生徒らがわらわらとやってきて、毎日ゆっくりメシを食うヒマもないらしい。朝から晩まで、それこそトイレ以外、孤独になれる場所がないらしい。

「たまには、ゆっくり一人でメシを食ってみたい」
人によっては、「個食」も、あこがれのものなのだそうだ。
それが、ぜいたくな悩み……なのかどうかは私にはわからない。

11/23/2007

生徒さんの小説作品を読むと

11月22日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

こういう仕事をしていると、生徒作品を読む機会が多い。これも仕事のうちである。
ただこの「作品読み」は、読みながら色々考えこんでしまうことが多いので、かなり体力を消耗する作業である。小説コンテストの下読みなんかもけっこう疲れるが、あれは量があるからシンドイだけで、なんだかんだ言っても「これはダメ、これもダメ、これはまあまあ」と判断して分類しちゃえばいいだけだし、どうせ顔も知らない他人の原稿だから、どんなもんを読まされても、まだ気がラクである。

しかし、生徒作品となると、知らない相手ではもちろんないわけで、やっぱり色々思うところがある。気も使う。
そりゃ、うまく書けてれば嬉しいけど、そうでもなかったりするものも多いのだから、やはりけっこう大変である。もちろんプロ作家の作品というわけじゃないし、生徒作品とはそういうものなんだと思えばいいんだろうが、やっぱ、体力、気力のある時にしかできない。読みにくいんで、一気にも読めないし。

生徒作品を読んでいて、たぶんしんどいのは、作品にある問題点とか、欠陥というのがあったとして、それを「ほっとく」わけにもいかず、かといって、むやみに指摘するわけにもいかないことだと思う。ま、単純な誤字、脱字とか、日本語の間違いというレベルならいいんだけど、たいていの場合、それだけでは済まない。でも、何が問題かというのを本人に説明するのが困難なことが多い。

たとえば、生徒作品には、他人が読んで「よくわからない」、あるいは「ひどく読みにくい」だろうな、という作品がけっこうある。これは内容というよりは、まず「書き方」の問題である(正確に言えば、からみあってることの方が多いけど、そこはそれとして)。

こういう「書き方」の問題は、実際にはちょっと練習さえすればすぐ直るので、さほど深刻ではない。でも、最初の第一関門みたいなもんである。入学者のうち、6〜7割くらいはひっかかる。

ただし、小説講座に入学した頃は、「こりゃヒドい、何を書いてるかさっぱりわからん」というくらいの文章力だった人でも、根気よく勉強してもらえば、1〜2年でクリアする。大丈夫、不思議なほどけっこう直る。

でも、やっぱり人によっては直りにくい人もいる。初心者の場合は案外そういうことはなくて、入学前にすでに相当な量を書いていたという人の中にそういう人がいるようである。初心者だと、最初っから本人が自覚できるほどヘタなので、本人がかなり努力するし、努力すると目に見えて上達するので、本人も嬉しくなってまた努力する。思った以上に上達は早いのである。反対に、それまで大量に書いていた人というのは、どうも書き癖というのがあるらしく、あまりヒドいと直すのに時間がかかる人もいる。妙なクセがついていることがあるので。

「これまで、自分がラクになるような書き方をして書いていたので、急に、他人が読むのにラクになるように書こうとしても、どうしていいかわからず、混乱する」
とか、
「これまで書きたいように書いてきたのに、読み手を意識した書き方をしろと言われると、ひどく面倒くさいように感じるし、そういう書き方に強い抵抗感がある」
かららしいのだが、この「しんどい」のをちょっとがんばれば、なんとかなるみたいだけど。

とにかく努力すれば誰でもそれなりに書けるようにはなるのだが、でも、入学したばかりの生徒さんの場合、まずこの「文章力」が問題なことが多い。

で、この文章力、もうちょっと詳しく言うと、
(1)そもそも日本語として、表現が間違っている
(2)文章は間違いではないが、読者に与えるべき情報の選択と順番が間違っている
(3)情報の選択と順番はそれほど間違いとは言えないが、小説全体からみて、文章表現が効果的ではない……というようなレベルがある。で、このうち(3)はもうたぶん文体の問題だろうから、ちょっと高度なレベルだけど、ほとんどの生徒さんは(1)か(2)の問題である。

てか、うちの生徒さんの場合、小説講座に入学するような人ばかりなので、さすがに日本語のレベルで深刻な問題があるというようは人はまずいないから、ほとんどが(2)である。

しかし、これは意外に指摘が難しい。結論から言えば、どうやらこれは本人が気がつくかどうかが一番の問題で、ある日突然、すぐに改善する場合もあるけど、なかなか直らないこともある。もちろん時間さえかければ(数年やれば)、ほとんどの人がいつかは改善するみたいなので、決定的な問題ではないと思うのだが、「一日でも早くプロになりたい」と焦っている人は困るらしいのである。

ある程度、論理的に指摘することはできる。だが、10分でわかってもらえれば苦労しないのだが、わからない人にわかってもらうには、文章の基礎みたいなところから順番に説明しないといけないことが多いし(そんなにたいしたことではないと思うけど、なぜか勘違いされていることが多い)、指摘するには意外に時間がかかる。

経験上、わかってもらうには、根気よく口頭で説明したとしても、場合によっては、原稿用紙1枚で3時間近くかかることが多い。丁寧に一行一行細かく指摘してやればわかってもらえるのだけど、これって、よほど時間がないと難しい。

で、入学したばかりの生徒さんには、毎年、これはもう全員にいちいち説明してると面倒くさいから、
「なんとなく自分で悟ってね」
という方式にするのである。ま、うちはその点、なにかと放任主義である(でも、これでけっこう勝手に直るから不思議。いや、ほんま)。

もっとも初心者に対して、初期の頃に一つ一つ丁寧に指摘しないのは、かなり意図的である。
まずは、「何がおかしいのか、どこが伝わってないのか、それを自分で考えるクセ」をつけた方がいい、というのが私の考えである。小説を書く人の中には、不安のあまり(おそらく作家になれるかどうかという)、講師の指導に対して、なぜか精神的に依存してしまう人がたまにいて、自己判断をやや放棄しているような傾向の人がいる(いや、もともと受動的な性格なのかもしれないが)。

また、個性を重視しなくちゃいけない商売なのに、講師や仲間から何か指摘されると、それを必要以上にめちゃくちゃ気にしてしまって、その結果、自分自身を見失うというタイプもけっこういる。こういう仕事は、たとえデビューしたとしても、努力に終わりがない世界だし、ずっと自分で判断していかないといけないわけだから、そこんとこが難しい。もとより何の保証も、正解も、何もない世界だし。

とにかく、ここが違うと「指摘」してあげるのは簡単なのだが、自分自身で気づくようにしてやらなくちゃいけないので、そこんとこがなかなか大変である。

開講してすぐの今の時期、専攻科にしても11期にしても、なにかと悩める私。気を抜くと、すぐ年の瀬だしなあ。

11/22/2007

iPodの使い方

11月21日(水)
朝から小説講座の事務所。昼頃、外出。夕方まで、また事務作業。

先月の誕生日、夫に「iPod namo」をもらった。
事務所に置き忘れたMDプレーヤーを紛失したので、誕生プレゼントに「リクエスト」したのだが、このせっかくのiPod、忘れていたが、これはパソコンがないと使いこなせない。今、自宅の建て替えの都合で、自宅では自分のパソコンが使えないのである。

今、家では夫のパソコンを借りているので、ついでにCDを入れてくれと言ったら、どうも面倒くさいらしく、
「とりあえずオレのを聞いといたら? 今、パソコンの中にあるんで、つないだらどっちみち同調しちゃうだろうし。オレもiPod2台の使い分けって、どうやっていいのかまだよくわからんし、とりあえず今入ってるの、何分の1か、入れといたら? どう?」
と言う。で、それを入れてもらった。さすがiPod、これなら一発であった。
「とりあえず」で、989曲。えらい世の中だな。

どっちみち私は、CDを選んで聞くよりもラジオを流していることが多い体質だし、自分のパソコンが使えるようになるまで、とりあえずこのままにしておくことにする。シャッフル機能というのがあるので、これで聞いてみる。ま、夫の選曲だから半分以上がクラシックだったりするので、シャッフルなんかするにはあまり向いてないけど(クラシックの場合、楽章ごとにシャッフルされてしまうのだ。ある楽章だけ聴いてもね)。

しかし、大部分クラシックとは言っても、そうでないものもけっこう入っている。だから、モーツァルトのあとにサザン、ムーンライダースがかかったり。マイケル・ナイマンに松田聖子、武満徹にビートルズ、ベートーベンに佐野元春。シャッフルしたら、むちゃくちゃである。ぼんやり聴いているとあまりの変化にちょっとびっくりする。とくにクラシックは、第2楽章とかなら、当然ながら次はこういう展開だという予想をしてしまうから、そこから急に別の曲になってしまうとちょっとびっくりする。

でも、慣れたらなぜか面白い。妙な順番が、なんとなくなぜかギャグとか、めちゃくちゃな展開のドラマが目に浮かぶ気がする。シャッフルって面白い機能だなあ。ま、もともと夫の選曲だから、変なのかもしれないけど。

……と本人に言ったら、
「そんなええかげんな聴き方、よくできるなあ。けど、そんなら誕生日プレゼント、namoじゃなくてもよかったかなあ」
と言われた。シャッフルなんか、使ったことないらしい。で、iPod shuffleの方がだいぶ安いらしい。

でも、人のコレクションは曲名がわからんことが多いので、「なんだなんだこの曲は」とすぐに確認できるのがいいんだけどな。みんなは、どうやって聴いてるんかなあ。

11/21/2007

小説講座もあれこれ新学期

11月20日(火)
午後から小説講座の事務所。

お手伝いスタッフの丁稚どんとアレコレ事務作業。
専攻科には、12月1日の予定の資料発送。専攻科は、毎年、申込がギリギリになる人が多くて、なかなか人数が確定しないから、初回のあとの資料発送をいつも遅めにしているのだが、いくらなんでもそろそろ発送しないと。発送資料は、次の作品指導用のものなのだが、なにせ長編2本。414枚と333枚(あわせて747枚……そんな量の作品指導をするのは、もちろん青木先生である)。読むのが早い人でもそれなりに一仕事。ま、ほんのちょっとばかし量が多いみたいだけど、皆さんがんばって、がっちり読んできてね。ほほほ。もちろん長編レポートもちゃんと書きませう。

11期のクラスも、欠席者への発送。毎年、入学してしばらくは「自由課題」を連続して提出してもらっているので、今回も「課題2」の提出作品あり。作品集にまとめてもらう。

その2回とも提出していない人は3人。ま、そのうち一人は先週に入学したばかりだからこれは仕方ないとして、あとの2人が課題を出してくれるかなあ。自由課題は、本人がやりたいものだけ提出すればいいものだし、とくに指導もせず、作品集にまとめて配付するだけというものなので、出さなくていいと言えば、出さなくてもいいのだが、自由課題の提出率がいい人は、やっぱり早く文章がうまくなるものなのだ。

文章というのは、なぜか「他人に読んでもらう」と意識しただけで、自然にうまくなるものだし、自由課題の作品を見て、基礎的な文章力とか、原稿用紙の使い方などは、私もそれなりに何度もチェックすることにしているので、提出してもらった方がいいのである。

さすがに自由課題を一度も提出してない人は、やっぱり前期課題(講師指導あり)の時に「ありゃりゃ」という今さらなミスをすることがある。頭ではわかっているつもりでも、実際に何度かやってみないことには覚えられないこともある。うちの講師はプロ作家ばかりなのだが、作品指導であまりにも初歩的な指導をやってもらうというのはもったいない。だから、それまでに、そのあたりのレベルは私の段階で何とかしてあげたいのである。

今期のクラスは、入学時に書いてもらったアンケートでは「それなりに書いたことがある」という人が多かったのだが、全体的に見ると、文章力のレベルだけならどうもほぼ例年通りである。中には、長編を何本も書いたことがあるという人もいるのだが、5枚ほどの課題作品を見る限り、文章そのものがめちゃくちゃうまい人はいない。むしろこの文章力で、もしも長編を書かれたら最後まで読まされるのはちょっとツライかもね……というのはあるが。もちろん構成力とかはわからんので、どんなの書くかは知らんけども。

ただ、うちの小説講座の場合、文章力の方はさほど心配しなくても、そこそこ程度ならみんなすぐに追いついてしまうので、この段階ではあんまり関係ない。まあ、とくに「エンターテインメント系」の小説の場合、一般に作家に求められる文章力というのは、まず「読者にわかりやすい」ということが重要視されるので、いわゆる純文学みたいな微妙な表現力というのは、さほど重視しないという傾向がある(おおざっぱな概念なので、細かくつっこまないように)。

エンターテインメント系でも、むろんまったく高度な文章表現力が必要とされないというはずはないし、実はそれはそれで高度なテクニックはいるんだけど、相対的にアイデアの新鮮さとか、キャラクターの面白さとか、ストーリーテリングとか、そういうのが重視されることが多く、文章については、
「まあ、わかりやすければいいの」
みたいなものがある。そう、基本的に、さっと読んでみて、わかりやすければそれでいいのである。

ただ、この「わかりやすければいい」というのは、けっこう難しいもので、実際、そう簡単なものではない。初心者の場合、やはりこのあたりから意識しないと、とてもじゃないがちゃんとした文章にならない。内容が面白いかどうかの前に、そもそも文章の意味が解読できなかったりするしなあ。

しかし、文章はちょっと気をつければすぐうまくなるし、量を書きさえすれば、たいてい誰でもちゃんと書けるようになるので、あまり心配はいらない。ただ私にとっての問題は、書き続けてもらえるかどうかであって、それは「書くのが面白い、人に読んでもらうのって面白い」と思ってもらえるかどうかなのだが、それもまずは何度かやってもらわんとわからんしなあ。

開講したばかりの今の時期は、それなりに悩みの多い講座担当者なのであった。

11/20/2007

小説とは関係のない休日(「花」と来客は正比例、子供は反比例)

11月19日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

体調悪く、終日、自宅にて。
昨夜10時頃から、喘息の発作を起こして、夜通し眠れず。喘息は、子供の頃からの持病だが、割と軽いタイプ。喘息の発作は、年にせいぜい数回である。これまでは夜中に発作が起きても、せいぜい1時間くらいで自然におさまっていた。今日みたいに朝まで続いたのはめずらしい。二十歳過ぎにはかなり改善して、朝まで続かなかったはずだが。二十年以上ぶりかな?

病院に行こうかどうしようか悩んだ末、結局、やめにする。まあ、今回は特別だろうし。気管支喘息の発作は、気管支が急に収縮することで息が吸えず、呼吸が苦しくなるのが特徴なのだが、発作がおさまれば問題がない。私の場合、たいてい夜中に発作が起きるので、治療薬を持っていると安心だが、今回は、原因がかなりはっきりしている。夜10時頃に家族5人分の布団を敷いたのだが、その途端に息苦しくなったのである。ハウスダストである。

本来、気管支喘息などの持病があれば、布団類はできるだけ毎日、シーツを替え、直射日光にあててよく干したあと、掃除機を使って、こまめにホコリを吸い込んでやるのが大切である。床からの高さが少しあった方が吸い込む量が減るので、ベッドの方がいいのだが、それでもこまめにシーツを替え、マットレスやベッドの下などの掃除をかなりマメにやるのが大切である。

しかし、今は、自宅の建て替えでせまいアパート暮らし、家族まとめて布団を並べて寝ている。5人分の敷き布団、掛け布団のシーツ、枕カバー。それに布団干し。ベランダもせまいし、かなり面倒である。夏のあいだは、それでもマメにやるのだが、このところの寒さと天候不順、もちろん羽毛布団が登場しているので、ハウスダストの量が増えている。とは言え、引っ越ししないと無理である。

息子の弁当は、夫が適当に作ってくれたようで、子供たちはそれぞれ自分で用意をして登校していく。9時頃ようやく発作がおさまった。夜中、発作が続いていたので、ほとんど寝てないし、今日はどうせ公休日だし、無理せず午前中は布団に。昼前に起きだして、3時間ほどパソコンに向かい、原稿書き。そのあと家中あちこち拭き掃除。まあ、せまいアパートは、掃除だけはすぐ終わるからよいんだけども。

さて、久しぶりに終日ゆっくり自宅にいて、ふと気がついたんだけど、今、この家には「花」がない。いくつか花瓶があるけど、どれも空である。せまいアパートなのだが、どこにも花が飾られてない。花のない家である。もちろん夫や子供たちはもともと花を飾ったりしないので、これは私のせいなんだけど。

うちの夫は舞台などもやるので、たまに花をもらって帰ったりするけど、あれはもらいもんだし、うちでは「イベント花」は、実家や近所の人にあげてしまったり、職場や学校にもっていったりする習慣があるので(一度に大量に手に入って、一度に枯れてしまうからもったいないし、みんなに楽しんでもらった方がいいから)、かえって自分の家にはあまり残してなかったりするのだが。

ふと考えてみれば、私が花をよく買ったというのは、新婚の頃である。私の実家は、母や妹が華道を習っていたり、家庭菜園もあって、近所の人と交換したりすることもあるから、なんだかんだで花が絶えずあった。花瓶も複数あって、あれこれもらったりして、多い時には大量の花が家中に飾られているのが普通であった。だから、結婚した時にも、無意識に家には花を飾るものだと思っていたのである。

当時は、住吉区の我孫子駅の近くに住んでいたのだが、御堂筋沿線で交通が便利だったので、来客も多かった。毎週、夫の舞台関係の人が十人くらい来ていたし、彼は飲みに行って、遅くなったりすると友人を連れて帰ったりするので、しょっちゅうパーティをやっているみたいな毎日だった。夫と私は、高校の同級なので、もともと共通の友人が多いせいもあるし、歩いて十分くらいのところに大学があり、そこの学生が夫の舞台を手伝ったりして、飲み会をすると、学生がそのまた友達を何人か連れてくる。そんなわけで、多い時には、せいぜい9畳半くらいしかないLDKに20人以上がひしめきあっていた(いくらなんでも座れないだろうと思っていたら、押し入れの戸を開けて座ったり、テーブルの下にもぐりこんだりしていた)、料理も何皿も作ってたし、鍋をしても3つも4つもいるし、食べ足りなくてパスタを茹でたら、1キロも2キロもぺろりとなくなる。まあ、みんな若かったしね。

長男が産まれてからもけっこうそんな感じであった。赤ん坊の頃は、週末に泊まり込んでいる誰かに風呂に入れてもらったりしていたくらいだから、新婚時代、来客はずっと多かったのである。週末に誰も遊びに来ないというのは、むしろほとんどないくらいだった。

来客が減ったのは、鶴見区に引っ越しをして、たぶん双子が産まれてきた頃からである。さすがに双子が泣いていると、どうにも修羅場という感じだし、私も何人分もの料理を作る余裕がない。それで自宅での宴会の回数はずっと減り、今ではせいぜい誕生日とクリスマス、忘年会、新年会などに、親戚か親しい友人を招待するくらいである。

来客が減ったと同時に、なぜか家に花を飾る回数が減った。「花」が減ったかわりに増えたのは、子供の数である。そんだけ生活に余裕がなくなったってことなのだろうか。

しかし、ふとゴミ箱を見ると、ススキの穂が捨ててあった。たぶん家の近くにはないはずなので、子供が拾ってきたにしても、わざわざ鶴見緑地で探してきたのだろう。先日まで、娘たちが飾っていたものである。

花も飾ることなく、家の中は毎日子供たちのものでぐちゃぐちゃで片付かないわけだが、でも生活の豊かさというのは、もしかすると違うところにあるのかもしれないなあ。

花と来客は正比例、でも、花と子供の数は反比例……とは限らない。本当に豊かさは何か、やっぱり見かけではわからないもんかもしれない。ま、家には美しい花を絶やさず、豪華なレストランで優雅に食事をしているようなディンクスがうらやましくないわけでもないが、でも、本当の幸福って、きっとそこらへんの道端にも落ちていたりするもんだよね、とも思うのだった。

そう言えば、アパートの駐輪場のわきにたくさん咲いていた可愛らしいイヌタデも、先週すべて抜かれてしまったようだが、あれも、きっとまだどこかに咲いているだろうしな。よく似合いそうな小さなガラスの猪口があったしな。

ただ、そんなもんを飾っているとこを実家の母なんぞに見つかったら、
「もう、アカマンマなんか。また貧乏くさいことして!」
と絶対、怒られるだろうけど。


11/19/2007

小説とは関係のない休日(キャラ萌えドラマ)

11月18日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

私のまわりでは、朝ドラの『ちりとてちん』が大人気。私の場合、『芋たこなんきん』『どんど晴れ』がどちらも大阪シナリオ学校卒のシナリオライターだったので、この1年、すっかり朝ドラを見る習慣がついてしまっていたところに、この『ちりとてちん』である。上方落語をめざす女性の話だなんて、そんなもん、もうもちろん絶対見るのである。

で、ほとんど毎回、見ているのだが、これが思った以上に面白い。毎回、笑いあり、涙ありの展開。言ってしまえば、人情喜劇なのだが、毎回ちゃんと泣かされるわりにさわやかな雰囲気だし、どのキャラもおもしろいし。

キャラとしては、「四草」という人物が一番おもしろいかな。
最初、「アイツは、『算段の平兵衛』みたいな男や」というフリがあったので、「おおっ、そ、それは!」と登場する前からすっかり興味津々、さらに役者さんもそれっぽくてホレてしまいましたわ。なにしろ『算段の平兵衛』みたいな男ですぜ。貧乏で、女癖が悪くて、ええかげんで、冷酷で、頭だけは誰よりも切れる男。こんな男、ほんまにおったら嫌な男ですが、キャラとしての魅力はあるよねえ。ちなみに、上方落語にはさほど詳しくない私だけど、『算段の平兵衛』という噺はたぶん一番好きかも。死体が出てくるブラックな話だけど、そこんところがたまりません。

小学生か中学生くらいの頃、たしかテレビでこのネタを見て(たぶん枝雀さん)、お腹がよじれるほど笑った覚えがあるのだけど、あとで「自分でもこんな冷酷な話、何がオモロいんかな」と思ったりしたが。でも、ブラックな話好きなんだよね。

しかし、NHKドラマなのに、けっこうキャラ萌えしますな。

そう思っていたら、今日、たまたま子供たちと夫がまた留守だったので、久しぶりに大河ドラマを見てみたら、これまたガクトの上杉謙信がものすごいことに。なんじゃこりゃ。いいのか、こんな萌えキャラ。このところ、子供にチャンネルを奪われていて、ずっと大河ドラマを見てなかったのだが、なるほどこりゃ揉めるわなあ。大河ドラマ史上最高の美青年武将。美しすぎる。戦国マニアの男どもがさぞかしご立腹だろうなあ。個人的には、好きですが。いいじゃん、美形キャラ。

しかし、朝ドラも大河ドラマもキャラ萌え。そう言えば、このクールのドラマで見てるのは、子供たちが見てる『ガリレオ』と『相棒』だけだが、マンガ原作のドラマの増える中、そうではないドラマでもキャラ立ちまくり。

ところで、うちの中2の息子は、ガリレオ様が書く「計算式」がやたら気になるそうな。このドラマでは、途中で計算式をかきまくるシーンがあるのだが、息子の意見では、どうも主人公が何を計算しているのか、ちょっとわからないらしいのである。
「変人やって設定やろ。だから、きっと、そういうドラマなんやで」
「でも、それにしても計算するタイミングが早すぎへん?」
「そうかな」
「だって、科学者やったら、もうちょっとデータ集めてから計算するやろ」
「まあな」
「あの時点やったら、仮説の式をたてるより、ボクやったら、まず測りたくなると思うねん。あの段階だったら、計算するより、科学者やったら、まずその現場のデータを集めたくなるはずやろ」
「ま、どうせただの演出やし」
「いや、それはわかるんやけど、でも、ちょっと早すぎへん?」

現場のデータを集めてちゃんと計算するとなると、目測だけじゃなくて、細かく測定しなきゃいけない。が、ま、そんなかっこ悪いシーンはカットすると思うけどな。だから、やっぱりあれは仮説をたててみているシーンだろうと思うのだが、
「でも、仮説ぐらいやったら、たぶん頭でやるやろ。そんな、道とかに書きたくなるほどすぐ計算したくなるもん?」

学者の知り合いなんかほとんどいないから、何を計算してるのかわからん。まして美形でスポーツ万能ってのは聞いたことない。いや、だからドラマなんだけどね。

11/18/2007

小説講座も、いよいよ講義スタート

11月17日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から、第11期の講義。講師は、黒崎緑先生。

午前中、専門学校にて非常勤講師。終わってから、事務所に移動。夕方の講義の準備などをしてから、また地下鉄で日本橋へ。某所でやっている小森先生の最終講義。バタバタして、今日もやっぱり15分遅刻。

本日は、まとめのお話。あいかわらず<セカイ系>小説の定義とか、なんやちょっとよおわからんかったけど、楽しい内容。

講義が終わってから、小森先生や他の受講生さんたちとお茶をする。2時間ほどワイワイ話をしてたら、時間を忘れていて、気がつくと17時20分。地下鉄で北浜まで移動して、そこから走ってエル大阪へ。17時35分着。

18時からは、11期エンターテインメントノベル講座の講義。本日の講師は、ミステリ作家の黒崎緑先生。ベテランの本格ミステリ作家に「キュート」という言葉がふさわしいのかよくわからないけど、いつもながら可愛らしい感じの黒崎先生。うちの生徒さんの人気も高く、本日も専攻科から5人ほど見学者あり。

いつも色々、生徒さんを励ましてくれる黒崎先生。昨年から、できるだけ初めの方の講義をお願いしているのだけど、今年も生徒さんに「ぜひプロ作家になりましょう」とやさしい励まし。使うのは本名でもいいから、とにかく「ペンネーム」を持とう、という話とか。「作家としての自分」を「読者の自分」の目で、厳しく見直しみようとか。ひとつひとつのアドバイスが具体的でわかりやすい。

さらに初回の講義なので、わかりやすいだけではなく、やる気がでる内容なのがありがたい。生徒さんも、興味深く聞いていたようだ。

ただ、まだ初めの講義なのに、4人も休んでいるのがちょっと心配。
講義後、生徒さんが8名ほど参加されて、いつもの中華屋へ。ここでも黒崎先生は、あれこれ生徒さんの質問に丁寧に答えてくれる。ちょっと体調が悪いとのことだったのだが、結局、2時間近く、いろんな話をしていただく。まだ私も顔と名前が一致しない生徒さんたちだが、なかなか熱心に質問されていたので、今後が楽しみ。

11/17/2007

案ずるより、産むが易し

11月16日(金)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

先日、弟からメールが来て、「来年の春に生まれそうだ」とのこと。第二子を懐妊したそうな。

さて。
女性にとって「どの年齢の時に出産をするか」というのは、おそらく人生においてかなり重要な問題だと思う。とくに仕事をもっている場合、どの年齢で子供を出産するか、というのは、かなり難問題なのである。いくら男女平等社会が進んで、男性の育児参加が進んだとしても、やっぱりその問題については女性の方が重要度がずっと高いだろうし、こればっかりは変わらない。

でも、
「そろそろ年齢的に、子供が欲しいんだけど、今は、やりたいこともあるし、やっぱり仕事も面白くなってきたところなので、どうしたらいいかなと迷ってる」
という相談をされたりすることがあると、
「相手がいるんだったら、生んじゃえば。仕事なんか何とかなるもんよ」
なんて、言ったりする(たいてい相談してくるのは未婚女性だが、もちろん相手の男の意見なんか知ったことではない)、産んじゃえ産んじゃえ。

実際、仕事をもつ女性にとっての「出産適齢期」がいつかなんて、たぶん誰だってよくわからない。女性でも一生仕事を続けるのが前提で、さらに子供も欲しいとなると、どのタイミングで出産をするのか理想なのか。あんまり若いうちというのは、まだキャリアもなかったりする。キャリアがないと「再就職」をするにしても難しいことがあるし、産休がとれたとしても、出産や育児などで苦労をした時、仕事を続けようという気にならないかもしれない。かと言って、年齢が高い女性の出産は、高年齢出産のリスクがある。女性の場合、出産適齢期というのもある。年齢が高いとそれだけ仕事の責任も大きかったりするし、いったん辞めて再就職するには年齢が高くなりすぎて不利である。だいたい出産したら、そのあと数年にわたる育児があるのだ。40歳以降になれば、誰でも少しずつ体力も衰えてくるし、出産も育児も体力がいる。

子供なんか、別に生みたくなければ、ムリに生まなくてもいいと思う。結婚しても子供を作らない夫婦もいっぱいいるし、仕事があって、やりたいこともあるのなら、育児はジャマになるかもしれない。

仕事を持ちつつ、小説も書いていきたい。だから、出産、育児というのはムリ。
そう思うかもしれない。けど、もし「できれば子供が欲しい」んだったら、なんとかなる。実際、うちの小説講座には、バリバリ仕事をしつつ、バリバリ小説も書いている子持ちの女性、という生徒さんもけっこういるしね。

子育ては数年かかるけど、ま、忙しいのはせいぜい数年、かかっても十数年。そんなもの、長い目で見れば、人生のうち短い期間である。

一方で、子供が欲しい時に必ず産めるわけではない。不妊で悩んでいる夫婦も多いし、そう考えたら、出産適齢期なんて、ぜんぜんアテにならない。

ちなみに、私は、26歳に結婚して、28歳で第1子出産、32歳の時に第2子&第3子出産(双子)である。私の年齢では、この26歳で結婚、28歳で第1子出産というのは、ぴったり女性の平均値に近い数字である(あれから15年たっているので、現在の女性の初婚平均年齢は28歳。)
結婚から第1子出産までの平均が1.6年(現在は、2年以上ある)、これも平均値。第2子出産は、たぶん30か31歳だったはずだが、下の娘は双子だから、第3子と考えればこれもほぼ平均値。

全部、平均値というのは、面白みに欠けるんだけどね。

ところで、出産率の低下が注目されて久しい。特殊出生率とかってのは今1.26とからしいのだが、この主原因は未婚化や晩婚化によって、生涯に一人も出産しない女性が増えたせいらしい。既婚女性に限れば、ここ20〜30年間、出生率はさほど下がってるわけではないのだそうだ。もちろん戦後すぐは5人くらい、そこから30年くらい前に急に下がって2.3人になったらしい。私の親の世代の話である。しかし、それから30年たった今も、あいかわらず2.2くらいだそうだ。都会に住んでいると、かなり一人っ子が多かったりするのだが、実際、割合を見ると、兄弟の数というのは、半数くらいは2人兄弟なのだそうで、あとは一人っ子、3人兄弟がそれに続く。

「作家志望」なんだったら、出産して育児をすること、親になる経験も、たぶんきっとムダにはならない。
子供が欲しいなら、とりあえず産んじゃえば。案ずるより産むが易し、って言うしね。

11/16/2007

すっかり鍋の季節

11月15日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

9時過ぎ、帰宅。家族が食べ終わった鍋の残りをつまみつつ、買ってきた寿司などを食べる。
しかし、やっぱり寒くなると、鍋がいいね。寄せ鍋、ちゃんこ鍋、牡蠣鍋、石狩鍋、鶏鍋、キムチ鍋……具もいろいろ。味付けは、こんぶダシ、醤油、ミソ、豆乳、カレー、トマトスープ……数えきれないほどのバリエーション。やっぱ、うちなんか5人家族だから、毎回、子供たちとのサバイバル競争になるけど、それも楽しいという感じだし。材料を切ればいいだけのものだったりするから、手抜き料理でもあったりして、すでに今週は二回も鍋料理だけど、食べるのも好きだから毎日でもいいな。鍋も、最近は、お一人様用の小鍋が売られているが、やっぱりワイワイ食べるのがいいよねえ。

さて、今月は、私が一人で福島へ旅行に行ったのだが、来週の連休は夫が東京行きの予定である。私は東京などに仕事で出かける時でも、ほんの数日、家を空けるのに、実家の両親やら義母、家族にかなり気を使うのだが、反対に、夫が不在の時はホッとする。
でも、それは、もちろんとくに日頃から夫を「ジャマだ」と思っているわけではなくて、やっぱり「主婦」だから、自分が不在だと、その間の家事が気になってしまうからである。

実家の母は、父が社員旅行などで不在の時は、
「おとうさんがおらんのやから、料理なんか別にせんでもええやんなあ」
と、冷凍食品や買ってきた総菜で済ませていた。子供たちだけしか家にいないと、途端にちゃんと料理をする気力がなくなるらしい。今では、私もその気持ちはわかる。なんとなく、主婦という仕事にとっては、夫というのはどこか仲間というよりも、なぜかお客様とか、上司みたいな感じがある。評価される相手なのよね。だから、おらんかったら、気をつかわんでええってのは、そんだけ「だんな様」として、日頃、大事にしているってことで。

「子供たちとは、もう切っても切れない血のつながりがあって、どこまで行っても親子だけど、夫婦はもともと他人やろ。それに、子供らはどうせ出て行って、一緒に墓に入るのは、おとうさんとやからな」
と母は言ってたのだが、やっぱ、その通り。子供には、そんな気ぃ使わんもんやし。

いや、ほんま。
「自分の旅行は気を使うけど、夫の旅行は心待ちにする」
ってのは、別段、とくに夫をジャマにしてるわけじゃないってば。

ま、どんな時にも、鍋料理は、たいへん便利なもの。
来週末は、きっと鍋である。

11/15/2007

思うところありで

11月14日(水)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

事情により、7時過ぎまでちょっと残業。そのあと事務所を出て、中之島公会堂へ行く。
いろいろ思うことあるんだけども、何とも言えない。

11/14/2007

小説専攻科、最初の作品締切日

11月13日(火)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

さて、本日は専攻科の作品締切日。
郵送で数編。直接、持参してくる人もチラホラ。スタッフの丁稚どんに、作品の受付をしてもらって、あとは11期生の作品集の印刷など。専攻科の作品は、まだ内容をチェックしてないので、どの作品が先に指導になるかわからない。指導順が決まらんと、印刷順も決まらん。専攻科の欠席者への資料発送も、いろいろあって後回し。

11月は専攻科の講義がなく、12月までお休みなのである。専攻科は、月に2回くらい講義があるのだが、11月は提出作品がまだないので、次回は12月。次は長編作品の指導なので、早めに送らないと読むのが大変なのだが、まだ発送には間に合うだろうしね。てか、早めに作品を送っても、どうせみんなあんまり読んでないみたいだしぃ。むしろあんまり早いと、講義日までに紛失しちゃう危険性が大だったりして。

11期の講義は毎週あるわけだから、こっちが優先である。印刷あれこれ。

最初の提出作品は、とりあえず「作文」。基本的な文章力を見てみたいので、最初の課題はなるべく全員が提出してもらいたいのだが、提出してない人もちらほら。文章力なんか、たいていの場合、書いた量に比例するから、ちょっと書きグセをつけるためには、何かしら提出してくれるといいんだけどな。いきなり大作を書くってのは、やっぱり無理なので、ちょっとずつ書き慣れるのがいいんだけどな。

うちの小説講座では、最初の頃の課題はたいてい「自由課題」で、とくに講師の指導などをしない。提出された作品を作品集にまとめて、講師や生徒さんに配付するだけである。まあ、よほど原稿用紙の使い方とか、パソコンの印字が読みにくいとか、あまりにも日本語に問題があるようだったら、私が個別に注意することもあるけど、たいていの場合、とくに細かく注意しなくても、この自由課題を数回提出しているうちに、本人がそれなりに他人に読んでもらおうといろいろ気をつけようになるので、なぜかとくに指導しなくても、勝手に「うまくなる」のである。いわば、「獅子の子」育成法、別名「ほったらかし」(笑)

ええかげんな方法なのだが、他人に文章を読んでもらうってのは、それだけでも文章力がつくものなんで(ダマされたと思って、課題提出してみてね)

11/13/2007

小説とは関係のない休日(銭湯、温泉、ファミレス、大衆文化)

11月12日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午前中から2時頃まで、コツコツと書きモノ作業。小説講座の事務所の仕事が忙しくて、ある原稿が大幅に遅れているのだが、どうにもならないなあ。

2時から外出。自転車で近所を通ると、家の近くの「銭湯」の跡地がコイン駐車場に変わっていた。
この銭湯は、家から歩いて5分くらいのところにあるのだが、私はこの十年で2度くらいしか行ったことがない。夫は、「家の小さな風呂だけじゃ、疲れがとれない」とか言って、銭湯に行くことがあるので、ここにもたまに行ってたみたいなのだが、私自身は、子供の頃から風呂嫌いで、夏場なんか1〜2週間シャワーだけでもいいタイプなので、銭湯には自分から行くことはない。風呂には、それほどこだわりがないし。

それに、このあたりは、歩いて十分くらいのところにも2〜3の銭湯がある。そのうちの一つの銭湯には、子供たちを連れて私でも割とよく行くのである。そっちの銭湯なら、帰りに深夜営業のスーパーの前を通るので、買い物にも立ち寄れるし、その方向だと義母の家にも近いので、何かと行く機会がある。で、こちらの銭湯には滅多に来なかったのである。

このあたりは戦後に開発された住宅地で、歩いて十分くらいのところに2〜3の銭湯があるってのは、まだよく残っている方だろうと思うのだが、もともとは風呂などのない木造の市営住宅が多かったから、以前はもっとたくさんあったはずである。

知りあいの「大衆文化」の愛好者に言わせれば、町の「銭湯」ってのは大衆文化のシンボルなんだそうだ。が、このあたりは、ちょっと離れたところに、いわゆる「スーパー銭湯」なんてのもできたりしたわけで、つまりスーパーマーケットが進出して、街の小売店がつぶれ、全国チェーンのファミレスが進出して、小さなおばちゃん食堂がつぶれ……という図式は、時代の流れなのである。

時代の変化なんだから仕方ない。……と思うような人は、大衆文化の愛好者とは言えないよな。

ま、けど、この銭湯がつぶれたのは、スーパー銭湯やかつてのヘルスセンターなんぞの影響じゃなくて、やっぱ、単純に「内風呂の普及」がおもな原因だろうとは思うがね。ま、直接の理由はたぶん後継者難なんだろうが(そういう近所のうわさ)

しかし、そう言われてみれば、たしかにスーパー銭湯なんてのは、銭湯文化や温泉文化などの大衆文化とは言えなさそうである。ありゃ、たいてい大資本が入っていて、全国どこに行っても似たようなもんだしなあ。先日、福島県の飯坂温泉や東山温泉などに行ったりしたが、あーゆー古い温泉街は、住宅地化されてるのになぜか三味線屋があったり、古い共同湯があったり、あるいは昭和の臭いの漂うストリップ小屋があったりと、いろんな建物があってけっこう面白い。

もっとも、そんな建物が残っているところを見ると、それだけ温泉地そのものが、最近、全体的には低調で、あまり建て代わってないっていうのが原因かもしんないけどさ。今は、みんな休暇は温泉地に行かず、外国旅行に行くらしいからなあ。そりゃ、昭和の時代には、庶民は海外旅行なんぞ行けなかったから、温泉地に来たもんだろうけど、今は、誰でもみんな海外へ行くしね。なんだかんだで庶民文化というのは、こうやって消えていくものなのだろう、たぶんね。

しかし、なにせ風呂嫌いなので、あちこちの温泉地にも、銭湯にもさほど行かない方だが、たしかに銭湯も場所によって、それぞれ色々違いがある。それを見るのは嫌いではない。風呂嫌いと言いつつ、ホテルのユニットバスがもっと苦手だったりするので、東京で泊まったりすると、ぶらっと銭湯に行ったりすることもある。で、なんだなんだで年に数回は、温泉とか銭湯に行くわけである。温泉や町中の小さな銭湯に較べると、たしかにいわゆる「温泉ランド」とか「スーパー銭湯」は、どこも似たり寄ったりである。きれいだし、いろんな風呂があったり、サービスもあったりするから快適なんだけどな。

亡くなった義父は、銭湯が好きな人で、よく車に乗って孫たちを連れて出かけていた。いわゆる普通の銭湯なのだが、天然温泉を使っているので知られているのだが、当然ながら大阪市内だから、深層ボーリングで地下数百メートルからくみ出している温泉水である。大阪市内は、高度成長期に地下水のくみ上げ過ぎで、地盤沈下の被害がひどく、ずっと何年も地下水の汲み上げには厳しい規制がされていたのだが、ようやく地下水位は回復しているらしく、最近は大阪市内もこういう「温泉水」はめずらしくない。

ま、個人的には、都市部の平野なんぞ、堆積層なんだから、どこを掘ったって「水」は出るし、地下数百メートルも掘れば地熱のせいで暖かいに決まっているのだから、当然ながら「温泉水」なのだが、(別に成分の問題ではなく、単に温度が高いだけでも温泉)それを「源泉かけ流し」と威張られてもなあ、とか思ったりするんだけど、これって私だけ。あ、沿岸部で低層だとナトリウムとか入るんかな。でも温度が要るんだからやっぱ深層だよな。

個人的には、都市部の地下水(温泉水)の汲み上げについては、ちょっとよくわからない。地下水位の適正値については、以前、某大学の先生に聞いても、あいかわらずわかってないらしく、かなりテキトーなもんらしい。高度成長期の地盤沈下ではかなり懲りたはずなのに、大阪でも東京でも、水位回復したからとりあえず規制緩和したわけだが、その量にもいわゆるちゃんとした制限というのはあまりないみたいで、聞いた話では、どうも、とりあえず地下水位の変動を見つつ、利用してみようという感じらしいんだよね。

ただ、地下水位の問題だけじゃなくて、都市部ってのは工業地の土壌汚染の問題もあるから、あんまり地下の深層の水ばかり、あっちこっちで抜くってのも、やっぱ、どうなんかなーと思うんだけどねえ。どれだけあるかわからんけど、おそらく都市部には表層の土壌汚染があるところが相当多いだろうに、あれって深層から地下水を大量に汲み上げると、その影響で深層まで汚染が到達する速度とか、早くなりませんかね。いや、深層の土壌汚染なんかどうでもいいのかなあ。うちの近くの工場跡地も、先日めでたくショッピングセンターになったのだが、たしか土壌汚染がシャレにならんデータだったよん。あれって、せいぜい表層の土壌だけ、数メートル取り替えるだけなんだけど、汚染はもっと深いとこまで進行してんだよね。

もっとも都市型の温泉開発なんてのは、詳しいことは知らないけど、大阪よりも東京の方がすごいらしいが。ほんま、そんなに使って大丈夫なんかなーっと言いつつ、私、『大江戸温泉物語』にも行ったことがあったりするんだけど(かなりええかげんな性格)
え、大衆文化? 知らん知らんそんなもん。誰かが何とかするんやろ。
「大丈夫、地盤沈下なんかしたとしても、どうせ地盤の低い下町にしか被害はないんだから」
なーんて、役人どもが思っているかどうかは知らないけどね(地盤沈下するのは、大阪だと東大阪のあたりか、西淀川とか大正のあたり。東京でも、ま、たぶん東側ですな)

とりあえず、たまにはスーパー銭湯も行くけど、やっぱ、しょっちゅう通う気にはなれず。それよりは、なるべくなら温泉か銭湯に行きたいもんだし。ファミレスも、子供たちも大好きだから、もちろん否定なんかする気はないけど、これまた毎日通う気にはなれず(一応、家族の食事はなるべく地産地消を目標にしておりますんで。現実的にはかなり無理だけどさ。ま、でも、ファミレスは外国産が多いし、そもそもあれセントラルキッチン方式だしな)

でも、うちの近所の商店街は全滅しちゃったので、買い物だけは毎日スーパーに行くしかないんだよねえ。

コイン駐車場を見つつ、ふとそんなことを考えながら、自転車を走らせるのであった。

11/12/2007

小説とは関係のない休日(紅葉の秋、山科、東福寺、今熊野観音)

11月11日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

久しぶりにのんびりした休日。紅葉の季節である。
夫と子供たちは、義母と一緒に「紅葉狩り」だそうで、箕面に行くんだとか。午前中、京都に行かねばならない私は、一緒に行くことができず。さて、山科のレストランで昼食をとってから、どうしようかな、せっかくだから私も京都の紅葉でも見るかなと「東福寺」で途中下車。しかし、臥雲橋あたりから通天橋の方をのぞいてみるけど、どうもまだちょっと色づき始めたかな〜という程度のよう。ほとんどの葉はまだ青々としている。この時期、紅葉の名所であるこのあたりは、観光客の数がいつもものすごいのだが、「三門」の秋の特別公開などをやっているわりにはまだ少ないかも。

しかし、紅葉には早いが、散策にはいい季節。ぶらぶらと「今熊野観音寺」まで歩く。ここまで来るとさすがに静かで、年配の女性二人と若い男女一組だけ。暖かいコーヒーを飲みながら、のんびりと色づき始めた木々を見る。ところで、どうもこのカップル、朱印を集めているみたいだったのだが(この寺は、西国三十三カ所の15番所)、あとですれ違った軽自動車のナンバーをみたら『練馬』。え、まさか。

ずっと関西に住んでいると、とくに「西国巡礼」などやる気がなくても、そこらへんにハイキングに行けば、そこらへんに寺があったりして、なんとなく三十三カ所の半分くらいは行くとはなしに行ったりするもんである。周囲には、「四国巡礼」に行く人もいて(手軽なバスツアーとかもあるけど)巡礼そのものは、めずらしくはないし、若い人でも巡礼をする人もいるのは知っているのだが、関東からわざわざ西国巡礼に来る人なんかいるんかなあ。いや、お遍路ならまだわかるんだけど。

もっとも「秩父三十四」と「坂東三十三」であわせて「百観音」というのがあるらしいから、そういう人もいるのかなあ。逆に、関西だと百観音というのは、まず聞かない。「百観音」ってのは、東日本の習慣らしい(私も、東京の書店で本を見るまで知らんかった)

でも、ま、秩父のはわりとすぐらしいから、なんとなくドライブがてらデートで二人で行って、そのあと坂東三十三観音を巡って、さらに親しくなってから、旅行ついでに「西国巡礼」というケースもあったりするのかなあ。そう考えたら、紅葉の時期に、古寺を巡る旅。こんな旅行をするなんて、けっこうしゃれたデートである。ロマンチックなカップルなのかもしれない。百観音で満願成就。いや、知らんけど。

そのあとは、日曜だからどうせ満員だろうけど、七条にある「京都国立博物館」までぶらぶら歩く。案の定、「狩野永徳」は、50分待ちである。招待券を忘れてきたのだが、来週はもっと混むだろうなあと迷ったりする。今回の展示は、必見らしいんだがなあ。でも、やっぱ、歩き疲れたので、そのまま京阪電車で大阪に戻る。京橋の旭屋書店にて本を数冊買い込んで帰宅。
子供たちは、箕面で温泉に入ってきたそうで、8時頃に帰宅。

11/11/2007

これから1年間、がんばろう

11月10日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から11期、専攻科の講義。

今日は、朝から大忙し。
朝8時に家を出て、専門学校で2コマの非常勤講師。講義が終わってから、走って地下鉄に乗り、小説講座の事務所へ。昼食を食べながら、印刷機をまわしたりして、小説講座の準備。けっこう忙しいのだが、日本橋でやっている近大コミュニティカレッジの小森先生の連続講座に、ゲストとして東京から芦辺先生が来ているので、挨拶がてら30分だけ顔を出すことに。
「東京からでも遠慮しなくて、またいつでも講義には呼んでくれていいからね」
と、あいかわらず優しいお言葉。

大量の荷物を抱えて、またまた地下鉄で移動。早めに教室に着いて、教室の予約確認や来月分の教室代払い込みなど。ロビーのテーブルで、残りの事務作業も。

本日の専攻科は、教室実習&ミーティング。専攻科は、毎週、作品指導の講義だから、教室実習もミーティングもめずらしい。てか、年に1回、最初の講義だけである。今年度から専攻科も3クラスになったのだが、専攻科の運営の方法も毎年、変更を加えているので、最初の講義で、なるべくお互い希望や意見調整などをある程度してもらうことにしている。専攻科では、なるべく作品指導の希望を受けているのだが、さすがにすべての提出作品を希望通り、作品指導できないこともある。で、第1回の講義で今年の抱負というか、「創作計画の宣言」を述べてもらうことにしているのだが、これは小説コンテストの応募都合などがあって、指導希望などがある場合は生徒さん同士でお互い調整してもらうことしているからなのである。スケジュールがブッキングした場合は、この宣言した人を優先する。指導希望などは、なるべく参考にして運営することにしているのだが、いろんな事情もあって、全部を受け入れるのは難しい。それでもかなり対応してる方だとは自負しているのだが。

ま、専攻科は、学費を安くしているだけに運営はラクではない。とくに長編指導は、印刷物の制作費を考えたりすると、ほとんど赤字である。長編作品は印刷費もかかるし、発送代も高くつくのだ(専攻科の生徒さんは欠席が多いので、欠席資料の発送だけで、数千円以上かかることもある)

生徒さんは気をつかって、
「場合によっては、諸費の追加徴収も仕方ないと思いますよ」
と言ってもらったりするのだけど、どのみち長編作品指導については、印刷費の問題だけではなく、指導してくれる講師がそれほど何人もいないっていうスケジュールの問題もあるんだけどね。かなり節約して運営しているので、金銭的にはなんとかなるだけど、スケジュール調整は別問題だし。

うちの講師は二十人近くいるけど、たいていは現役バリバリのプロ作家なので、講師業を専業にやっているような人がいない。ご自分の執筆活動に忙しい合間をぬってご出講いただいている。講師料もめちゃくちゃ安いし。だから、あまり何度もご出講もお願いできないのである。まあ、それと、せっかく多くの講師がいるので、なるべくミステリはミステリ、SFならSFを書いている作家さんに見てもらったりするようにしているので、生徒さんが提出する作品の内容とか、あるいは講師のスケジュールがぴったり合わないとこれまた困るわけで。

それでも専攻科の生徒さんにはバリバリ書いてもらわないと、もちろんデビューもできないわけなんだけど。

11期のクラスは、最初の講義なので、前期ガイダンスと教室実習。受講上の注意やアドバイスなど。あとはグループ実習など。うちは社会人向けの講座なので、皆けっこうそれなりのいい年齢だったりするのだが、小説講座に通ってくる生徒さんは、もともとそれほど社交的なタイプの人間はいないようで、何ヶ月も通っていても誰とも口をきかないという人がけっこういる。だから、教室実習はなるべく最初のうちは、グループでやれるような実習をしたりしている。教室実習でなくても、小説も一人で書いていると煮詰まってしまったり、作品が小さくなってしまったりすることがあるので、たまに違う考え方をする他人とブレストなどやるといいかも。いろんな職業の人が集まってるので、いろんな情報も聞けて便利だよね。

小説を書くのは、内向的な傾向がある場合が多い。授業は週1回だけだし、2時間の講義を黙って受けるだけなら、誰とも話をしなくても通えてしまう。まあ、小説好きな人が集まっているので、だいたいは本の貸し借りをやったり、それなりに仲良くなる人がほとんどなのだが、まれに講義前にはずっと本を読んでいて、講義が終わったらさっと走るように帰る人もいるので、1年間、通っていても誰とも話したことがない、って人もたまにいるけど。でも、最低限の人間というものへの興味とゆうか、好奇心は、小説を書くにはあった方がいいと思うけどね。

実質的には、次回から初講義。とにかくこれから1年間、がんばってね。

11/10/2007

いよいよ明日、開講です

11月9日(金)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

あれやこれやで大忙し。お手伝いスタッフも、山のような印刷物を前に大奮闘。残業したけど、最後まで印刷が終わらず。

11/09/2007

芸術の秋とか、「ちりとてちん」とか

11月6日(木)
朝から小説講座の事務所。昼から外出。

夜、帰宅すると、双子の娘(小4)の姉の方が、テレビの前に一人座って、『おいしいごはん』を見ていた。
「おもしろい?」
と聞いたら、
「うん」
と言う。子供のナレーションが入るから、面白いのかな。でも、妹は見てないようだ。娘たちは、一卵性双生児だが、ちょっとずつ趣味が違うのだ。姉は、ドラマ好きなのだが、とくに2時間サスペンスとか、ホームドラマとかが好き。何となく「おばちゃんドラマ」が好みらしい。韓国ドラマも、この子なら好きかもなあ。まだ一度も見せたことないけど。妹はあまりドラマを見なくて、歌番組が好きである。

この秋のクールで、他にうちの子供たちが見ているのは『ガリレオ』と『相棒』。基本的にあまりテレビを見ない家庭なので、週2本もドラマを見るのはめずらしいんだけどね。子供たちは9時半には就寝のはずなので(実質的には10時過ぎだが)、布団に寝っころがりながら見ている。

遅い晩ごはんを食べながら、一緒に見ていると、ドラマ中で登場人物が何度も同じ歌を歌っている。こうした懐かしめの歌が登場するドラマらしい。娘が、
「ママ、この歌知ってる?」
と聞くので、「知ってるよ」とちょっと歌ってやったら、
「ママって、何でも知ってるねえ」
と感心された。いや、何でも知ってるわけじゃないぞ。この年齢なら誰でも知ってるのだ。つまり、たまたまそういうドラマなだけである。そら、ま、まだたった9年間と11ヶ月しか生きてないガキに比べたら、知っていることは若干多いかもしらんけどさ。

「でも、パパは知らんねんで」
「ああ、あれは特別。パパって昔から、俗世間の娯楽にはあんまり関心ないねん」
その代わり、前衛芸術なんかにはやたら詳しいが。

ところで、子供たちは、このところ芸術の秋を満喫しているらしい。
「ママ、今日は、学校で韓国朝鮮の踊りを見たで!」
と嬉しそう。
「踊り?」
「うん。頭にこんな長い紙つけて、踊るねん」
「ああ、もしかしてサムルノリ?」
「なんか、よおわからんけど、扇とかめっちゃきれいやねん」
「そら、ええもん見せてもらったなあ」
「あ、ボクは落語、見たで。オモロかったで!」
「ふーん、中学校でも芸術鑑賞があったんか。芸術の秋やな。落語家、誰が来たん?」
「ええっと、確か、ツクシとかゆう」
「つく枝?」
「あと、あやめとか…。あ、これプログラム」
「ああ、曲独楽もあるやん。けっこういい内容やってくれるねんなあ。ほんまや、あやめさんやん」
「え、知ってるの。ママ、やっぱり何でも知ってるなあ」
「ちゃうちゃう。有名有名。これくらいは誰でも知ってるねん。そら、うちのパパは別やけど」
「ふーん」
「落語家かていっぱいおるけど、でも女性の落語家さんは珍しいし」
「え、そうなん?」
「歌舞伎とか文楽は、女性はおらんけど、落語やったら女の人もおるねん」
「えっ、文楽って、夏に見たヤツ?」(この夏、国立文楽劇場でやっていた親子文楽の公演を見たのである)
「そうそう」
「あれって、女の人、やったらあかんの?」
「あかんというか、ま、普通は女の人はやらへんことになってるわな。裏方とかは別かもしれへんけど」
「落語家も女の人おらんのん?」
「まあ、せやな。おらんわけじゃないけど、かなり珍しい」
「でも、今テレビでやってんねんやろ?」
「えっ? あ、ああ。それって『ちりとてちん』のこと?」
「ママ、あれ、毎日見てるねんやろ?」
「うーん、そらだいたい見てるけど、あれはお話やからなあ」

言われてみれば、あれってめずらしいケースの話やったんやなあ。ま、どうせ「芋たこなんきん」も個人的なケースやから、珍しいと言えば、そうなんやろけど。そういや、先日、東京在住のある先生が、
「朝ドラの大阪制作は、変わったヤツしてくれるから、見る価値あるよね」
などと言ってたが、やっぱ、そうなんかな。にしても、あの人って、たぶん東京の変わった人なんやろな。あんまり全国的な視聴率は高そうじゃないんだがなあ。聞いた話では、東京の落語ファンでも、上方落語は受けつけない人っているらしいしなあ。ま、そう言わんと、みんな『ちりとてちん』見てね。酢豆腐もちりとてちんも、どっちも面白いのよん。

それにしても、学校の「芸術鑑賞」もなかなか面白そうだなあ。

11/08/2007

芸術の秋、食欲の秋

11月7日(水)
朝から小説講座の事務所。昼ごろ、外出。2時過ぎに戻り、夕方まで事務作業。

小説講座も、今週末からいよいよ授業開始。生徒数は少ないけど、今年も無事なんとか開講できたので、ホッと一息だ。非営利団体ではあるのだが、事業を存続させるには、赤字を出さないことが条件だからなあ。

あいかわらずメールでの問い合わせ数件。しかし、時々、もらったメールに返信メールを出しても、どうも戻ってくることがあるんだけどね。届かないメールってどうしたらいいのかな。そういや、「ショートショート大賞」の落選通知も、毎年十通近く、宛先不明で帰ってくる。これも、どうしようもないんだよねえ。

非常勤講師をやらせてもらっている専門学校の方も、後期の講義開始。
前期講義と違って、後期は「映画解説」なので、講義時間中はラクなのだが(作品上映の時間が多いから)、話す時間がとれない分、プリント教材を増やさなくてはいけない。講義準備が大変なんだったら、去年と同じ「作品」を選べばいいのだが、私の場合、半分は昨年と同じ、半分は昨年と違う作品にしている。昨年の講義と同じ内容をやってもいいのだが、映画解説は自分自身の「勉強」にもなるので、あえて半分以上は入れ替えているのである。でも教養講座なんで、大事と思われるのは残すけど。

ま、専門学校では、まったく同じ内容の講義を3教室でやらないといけないから、講義は3回やるわけで、3年やったのとやったのと同じみたいなもんだけど。

それはいいのだが、講義準備にはやっぱ時間がかかる。解説をしようと思うと、資料作りも1週間がかりである。時間表を作ったり、関連作品をチェックしたり、文献を調べたり……。

しかし、映画も何気なく見ているとあんまり気がつかなかったことも、いざ解説する気であらためてじっくり調べると、いろいろ知らなかったことがわかって、なるほどと感心することも多い。私が講義でとりあげるような作品は、すでに自分では数十回以上見たようなものばかりだけど、最初のうちはストーリーやセリフや俳優に気をとられているので、あんまり全体が見えてないのだが、何度もみるうちに、衣装とかあるいはカメラワークやカットとか照明とか、細かいとこにまで見る余裕がでてくると、
「あれ、こんな工夫がされていたのか」
とか、
「ありゃ、ここはこんなふうにごまかされてたのか」
と、いろんなところに気がつくことがある。なかなか面白い。

それにしてもリモコン片手に(いろいろチェックしないといけないので、一時停止が多いので)長時間ビデオ見まくり。やっぱ、目が悪くなりそう。

小説も、細かく読むといろんな発見があるんだけど、どっちにしても好きな作品じゃないと難しい。

さて、食欲の秋、味覚の秋。果物がおいしいし、野菜もうまい。今しか食べられないものやら、今が旬のものがあるから、食べる方もけっこう大忙し。なんだかんだで今日も鍋料理。

11/07/2007

小説講座は、今週末から授業開始です

11月6日(火)
午後から小説講座の事務所。

朝7時すぎ、高速バスで梅田に着く。午前中、自宅に荷物を置いてから、午後から事務所に出勤。

先週の10月27日、小説講座の入学式を済ませたのだが、なぜか資料請求がまだまだ続くのであった。連休中に、数件の問い合わせメールあり。まあ、講義そのものは11月10日から開始だし、まだ定員に達してないから、追加入学は受付けている。たしかに間に合うと言えば、まだ間に合うのだが、なんでか毎年、入学式が済んでから入学してくる人がいるのだなあ。中には、年が明けて、2〜3月になってから入学する人もいるので、これも恒例なのかも。小説講座「エンターテインメントノベル講座」は、秋の開講しかないので、1年間待つくらいなら、さっさと入学しちゃった方がいいと思うけど。とりあえず、数件、資料送付。

丁稚どんは、専攻科の作品印刷。私はメール処理など、たまった事務作業など。

11/06/2007

小説とは関係のない休日(鶴ヶ城、飯盛山)

11月5日(月)
小説講座の事務所は、11/1(木)〜11/5(月)の間、秋の臨時休業です。

4日間の福島滞在だが、昨日までの3日間と違って、本日は終日オフ。まあ、昨日までもすっかり観光気分だったのだが、今日は完全な観光モード。早朝、東山温泉あたりを散策。あちこちに古い旅館もけっこうある。川沿いの渓谷にある飯坂温泉と較べてしまうな。朝風呂にも入ってから、市内の循環バスの「ハイカラさんフリーチケット」というのを買って、市内観光へ。まずは若松駅で朝食を済ませて、若松城(鶴ヶ城)へ。

私は、日本史、とくに幕末にはさほど興味がない方なのだが、若松城といえば、当然ながら幕末。戊辰戦争、会津戦争である。個人的には、会津戦争後に撮影されたという「損傷した若松城」の写真の拡大みたいなのがちょっと面白い。そうか、幕末というのは写真が残っているのである。しかし、小説講座の生徒さんも幕末ファンがいるみたいだけど、幕末は資料がいっぱいありそうだから、けっこう大変そうだなあ。

幕末にあまりロマンを感じないので、実は、本当のおめあては、この横の県立博物館だったのだが、あいにく月曜だから休館である。せっかくだから、飯盛山にも行く。白虎隊の墓があるのだけど、こちらも正直言うと、私のおめあては、「さざえ堂」。江戸時代に建てられた「二重らせん構造」の妙なお堂である。こういう建物はたまらなく好き。

遅めの昼食を食べてから、明るいうちに磐越西線で「郡山」へ移動。車中で見えるかと楽しみにしていた「猪苗代湖」は、見える場所がほんのちょっとしかない。高速道路(磐越自動車道)がジャマである。途中下車しようかと思ったのだが、連日うろうろしていて疲れたので、そのまま郡山駅へ。

しばらく郡山駅前をうろうろして、日本一高いプラネタリウム(月曜なので残念ながら休館である)がある駅前のビルの展望ホールで、アイスクリームを食べながら夕陽と夜景を見る。

夕食を食べて、おみやげを買ってから、8時40分発の高速バスに乗る。

11/05/2007

小説とは関係のない休日(東山温泉)

11月4日(日)
小説講座の事務所は、11/1(木)〜11/5(月)の間、秋の臨時休業です。

3日間にわたる福島市内の滞在を終えて、夕方、福島駅から郡山経由で、会津若松駅へ移動。さすが福島県。県内の移動だが、これだけで110キロ。さすがは東北地方である。地元の人なら当然なのだろうが、大阪だと110キロも移動したら、絶対にもう他府県だもんなー。大阪に較べると面積比9倍くらいはあるもんな、福島県って。ギョーザみたいな大阪府なら、5〜6個くらいはかるく横に並べられる「お皿」の大きさである。

7時頃に駅に着き、駅前からバスで「東山温泉」に移動。駅前のバスのロータリーで、立ち話をしていた運転手さんらしき人に「東山温泉に行くには、どのバスに乗ればいいんですか?」と聞いたら、
「山さ、行くってか。おらのバスでもいいんだけんど、20分くらい余分にかかるしぃ。そしたらば、あのバスさ乗れば。今、出たところだからぁ」
と走っていって、すでに出発して赤信号待ちしてたバスを呼び止めてくれる。
「待って、この人、山さ、行くって。乗せてちょお」
このバスの乗客は私一人。で、この運転手さんとも、ちょっとおしゃべり。
さらに、
「お客さん、宿はドコね?」
と言われ、ちょうど旅館の真正面で下ろしてもらう。もちろんバス停ではないのだが。
「ほしたら、帰りのバスの停留所は、ここさ、下りたとこだからね」
なんだか会津若松の人は親切である。観光客慣れしているだけかもしれないけど。

さて、せっかく福島まで行くのだから、多少、無理しても会津若松に寄ろうと思っていたのだが、もともとはもっと遅く到着予定だったので、かなり無理があるスケジュール。夕食つきじゃない旅館を探したのだが、旅館の長期滞在客用の部屋しかない。旅館の別館なのだが、どう見てもワンルームマンションである。温泉気分を味わうにはいい部屋とは言いがたいが、本館の大浴場はつかえるので、私にはこれで充分。夕食は、郡山駅で買った「福島牛の駅弁」である。ロビーでは、東山芸者の踊りも見られた。うつらうつら、深夜のNHKアーカイブとか見ながら寝る。

11/04/2007

小説とは関係のない休日(阿武隈川)

11月3日(土)
小説講座の事務所は、11/1(木)〜11/5(月)の間、秋の臨時休業です。

福島2日目。
昼頃、阿武隈川を散策。
県庁の駐車場裏にある「土塁」を見る。福島県庁は、どうやら福島城の跡らしいのだが、すっかり影も形も残ってなくて、城らしいなごりはコレだけらしい。城の「庭園」のあとらしい公園もあって、一応、説明する看板もあるが、当時をしのぶのはかなり困難。阿武隈川のほとりには、当時の船着き場を再現したところがあり、「隈畔」のあかりとかいう「ライトアップ」のための電灯も整備されている。その横には、水害の慰霊碑もあり。隈畔近くで茶会をやっていて、お着物の女性たちに誘われるが庭園だけ見せてもらう。

夕方までに用を済ませ、早めにホテルに戻る。ホテル内で、原稿作成など。テレビで「大阪のメロディ」を見る。

11/03/2007

小説とは関係のない休日(福島、飯坂温泉)

11月2日(金)
小説講座の事務所は、11/1(木)〜11/5(月)の間、秋の臨時休業です。

昨夜の高速バスで、福島へ移動。
毎週木曜は、夜8時まで専門学校の非常勤講師の仕事がある。翌朝の9時半までに福島駅にたどりつこうと思ったら、深夜バスしか手がない。新幹線で東京まで移動して、そこで一泊して早朝にまた新幹線という方法もあるにはあるけど、そっちの方が金も体力もいる。乗り換え回数も多い。高速バスは、ちゃんと寝られさえすれば快適である。ただし、約10時間。ヘタすると飛行機なら、ヨーロッパまで行くけどね。
「でも、日本の高速バスは、飛行機のエコノミーに比べてもラク」
などと言ったのは、以前、知り合った世界中を放浪したバックパッカーの女性。海外でのバス旅はとんでもない体力がいるらしい。もちろん私にはそこまでの体力はないけどね。

今回は福島駅まで行かず、手前の「郡山駅」でバスを降りる。福島駅までは東北本線で移動。バスがちょっと遅れて、7時半頃の電車には間に合わなかったが、のんびり朝食を食べて、8時半過ぎの電車に乗る。発車を待っていると、プラットホームの向かい側に寝台車「北斗星」が停車。私は「鉄分」などほとんどない人間だが、これはちょっと嬉しい。東日本に住んでいる人には、「北斗星」もめずらしくもないかもしれないが、私は長年、大阪に住んでいるのでさほど見る機会がない。しかもちょうど正面が食堂車の車両である。食堂車を連結している寝台車を見るのは初めて。ちょっと嬉しい。いや、鉄道マニアじゃないので、よくは知らないが(そういや確か松川事件の現場もこのあたりだったような……)

朝9時すぎに福島駅に着き、用を済ませたあと、夕方、ホテルにチェックイン。まだ5時頃なので、今度は飯坂線に乗って「飯坂温泉」に行くことに。せっかく東北まで来たからには、「奥の細道」で有名な「飯坂温泉」には入らねばなるまい。飯坂線は、福島駅から出ている10キロ足らずのローカル線。車内の風景は、しっかり通勤電車である。20分ちょっとで、飯坂温泉まで着く。片道360円。

駅前は、半分が温泉街みたいで、半分が住宅地。駅前の商店街らしい舗装がされているけど、建っているのは住宅が多い。そのあいだに「津軽三味線」の店があるけど。どうもよくわからないが、ここ20年くらいで駅前も住宅地になったのかな。観光客もマイカー客だろうし、福島駅から20分だと住宅地としても便利だし。

おめあての「鯖湖湯」は、共同浴場で入浴料200円。木造の建物もクラシックだが、脱衣場との壁もなく、カランも一つもない。むろんシャワーもない。カランがない風呂というのはさすがに久しぶりである。おばあさんが2人、おしゃべりしながら入っていたのと、小さな子供を二人連れた母親がいて、観光客らしいのは私だけ。母親らしい女性が洗面器に長い髪の毛を浸しながら洗髪している風景を見て、ふいに子供の頃を思い出した。

たぶんかなり小さな頃の記憶だが、いつも行く銭湯にカランがなかったような記憶がある。私は、6歳になるまでは風呂のない家に住んでいたのだが、たしか家の近くには、カランがある銭湯と、カランがない銭湯と二つの銭湯があったような記憶がある。まったく無いわけではなかったが、2〜3コしかなかったような。私の生家は、大阪の「空心町」のあたり(今の西天満)だったはずだが、さて、そんな古いタイプの銭湯がそのあたりにまだあったのかなあ。35年くらい前の話。

のんびり湯につかってから福島駅前に戻り、蕎麦屋を探して、そこで夕食。

11/02/2007

ちょっとお休み

11月1日(木)
小説講座の事務所は、11/1(木)〜11/5(月)の間、秋の臨時休業です。
(11月6日(火)より平常通り)

11/01/2007

しろがねもこがねも玉も

10月31日(水)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。
(小説講座の事務所は、11/1〜11/5、秋の臨時休業です)

バタバタとした月末。細々とした事務作業いろいろ。
14時半ごろ、ネット広告がらみで営業の人と打合せ。先週、入学式が済んだばかりなのだけど、ボツボツ来年の春募集の準備も考え始めないといけないのだった。

自宅の建て替えのため、今はアパート住まいなので、2DKの広さに5人家族。かなりせまくるしいのだけど、毎日が合宿みたいで、けっこう楽しい。親子でずらっと布団を並べて、ごろごろする。それに嬉しいのは、掃除がしやすいこと。広い家だと毎日掃除するのは大変なんだけど、部屋がせまいから掃除もすぐ済むしね。とくに玄関はせまい。昔気質の実家の父などは、この玄関が片づけられてないと小言を言うのだが、子供たちはついつい靴を出しっぱなしにする。でも、せまいアパートだと玄関もせまいから、靴を片づけるのもラク(5人家族で、もし5足を出しっ放しにしてたら、せまいから通れなくなるだけだが)。小さなホウキで掃いても、あっという間なので、娘が毎日、掃除を手伝ってくれる。ああ、ラクちんラクちん。

そういや先日、ある友人と電話で話をして、
「『ラッキーな日』とか『幸福な日』って、けっこういろいろあるかもしれないけど、『人生最良の日は?』って聞かれたら、それは、結婚した日でも、大学の合格発表の日でも、仕事で成功した日でもない感じがする。そりゃ、それぞれそれなりにメデタイけど、『どれが最良の日』って聞かれたら、やっぱり上の子が無事に生まれた日だと思うのよね。たぶんこれから先、どんないいことがあったとしても、やっぱりそうだと思うわ」
という。

自分もそうなのかどうか、私にはよくわからないけど、子供たちと一緒に、こうしてごろごろ布団のうえにころがっていると、なんだか山上憶良な気分になったりして、
「しろがねもこがねも玉もなにせむに…」とか。
なんか、ふと、ちょっと、思ったりする。

« October 2007 | Main | December 2007 »

無料ブログはココログ
July 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31