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03/31/2007

作家は関西在住でも不利はなしだそうで

3月30日(金)
午前中、親類の告別式。午後から小説講座の事務所。

知り合いのライターの男性が、4月から東京に引っ越すらしいとの話を聞く。カメラマン、ライター、放送作家、デザイナー。あいかわらず、仕事がある東京に移転する人は、私の周囲でもかなり多い。ただし、プロ作家さんはそうでもないらしく、小説講座の講師の先生たちは、
「いや、関西在住でも不自由を感じることは全然ないけどなあ」
という人がほとんど。でも、ライターやカメラマンとなると、さすがに東京在住と大阪在住ではまったく仕事量が違うのである。

ところで、ふと、もし自分が独身だったら、あるいはライターの仕事をバリバリしたかったら、はたして東京に住んだのかなあ、と想像したりする。しかし、若い頃ならともかく、どうも最近はなぜだかピンと来ない。なんでかわからないが、ピンと来ないのである。

思うに、どうやら最近あまりに忙しいので、少しでも仕事を増やそうというよりは、できればなるべく時間をとって本当にやりたい仕事だけをしたいという気があるせいかもしれない。ライターは、むこうから来る仕事をうまく選ぶ、というのが正直かなり難しかったりするので、私みたいなタイプが東京で働いてたりすると、どうにもあまり本意でもない仕事ばかりをやりそうな気がする。今だってやりたいことができる時間はあまりないというのに。

いや、もしかして、そろそろ人生の残り時間を考えるようになってきたせいかもしれない。若い頃は、仕事さえあれば、無限に何でもいくらでもができそうな気がしたものだが、最近は、あと十年、あと二十年、あと三十年、どれくらいかわからないにしても、やっぱりそれなりにカウントするようになってきた。若い頃は時間などいくらでもずっと無限にあったような気がしたものだが、今、その自分の息子が青春真っ盛りだったりするわけである。そんなわけで「人生とは有限だ」ということに今頃になってあらためて気がついたりするのだった。

節分、ひな祭り、新学期など。子持ちというのは、独身の頃に較べて、季節の移り変わりは嫌でも認識させられるものだなと思っていたのだが、人生の長いスパン、十年、二十年という時間さえも、嫌でも痛烈に認識させられるものなのである。子供の成長というあきらかに目に見える形で、時の移り変わりがわかりやすく見えるから。

そういう、ただぼんやりと漠然と月日を過ごせないというのは、はたして不幸なのか幸福なのかよくわからない。でも、人生を味わえるという意味では、これも幸福のうちなんだろうけど。しかし、そういや、早婚で、37歳にして早くも初孫ができたという私の友人なんかは、一体どのような感覚でいるのだろうなあ。

それにしても、引っ越すのは、なぜだかみんな春なんだなあ。

03/30/2007

「ライティング講座」の開講準備中

3月29日(木)
朝から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

ポツポツ桜が咲き始め、どこに花見に行こうかなどと考える。それよりまず仕事仕事。うちのデスク近くの会議室で作業をしていたNPO法人「あすなろ」のスタッフの人からドーナツをもらう。

春に開講する文章教室「ライティング講座」の入学願書。本日の到着分はなし。ありゃりゃ、今年は人数がかなり少なそう。もともと少人数制のクラスだが、あまり生徒数が少ないと運営側としては赤字。生徒さんにとっては、少人数の方が先生と話す機会も増えたりもするのでそれはそれでいいんだけど。

とりあえず定員には達してないので、締切日を2週間ほど伸ばすことにして、4月上旬まで受け付けることに。文章教室は、秋の「エンターテインメントノベル講座」への編入制度を使うと、たいてい3〜4万くらいは学費が割引になる。文章教室は、もともと学費も安いので、結局、3〜4万くらいでかなりの講義(今年は50時間くらいあるけど)が受けられることになるわけである。初心者向けだから、時間的にはそれくらいでも足りないくらいなんだけど。

で、毎年、半年間こっちの講座を受けてから、小説講座へ進学する人がぽつぽついる。少ない年でも5人くらい、多い年だと十人以上が小説講座に進学する。そんなわけで秋から開講する「小説講座」の準備期間として文章教室に入学する人がいつも多いので、多少は赤字でも何とか開講するようにしているのである。

さて、文章教室は初心者向けだが、半年間のんびり作文を書いたりして、じっくりやれるので、かなりラクなカリキュラムである。実際には、初心者と言ってもかなり書いている人も入学してくることもあるのだけど、一応、初心者向けである。この講座から小説講座に進学した場合には、途中挫折する率は極めて少ないようだ。てか、文章教室から進学した人で、途中で挫折した人は今のところいない。基礎からの創作習慣ができているというのが有利に働くのだそうだ。それでも人数的には、文章教室ではなく、いきなり小説講座に入学する人の方が圧倒的に多いから、さほど目立たないけど。

うちの小説講座は、少人数制だし、原則的には学費も全納だから(途中退学すればいくらかは学費返納ありだが)、そのせいか、あまり途中挫折する人はいないのだけど、それでも毎年1〜2人は退学してしまう。まあ、誰でも入れる(もちろん入学試験というものもない)ので、入学だけして、ほとんど通学してこない人もまれにいる。

一方で、一年目はほとんど出席してなかったのに、そのまま専攻科に進学して、自分の作品指導の日だけ出席している人もいる。専攻科の学費はかなり安いから、自分の作品指導以外はほとんど来ない人がけっこういるし、年に数回だけ来るとか、在籍してるだけみたいな人も何人かいる(そのせいか専攻科のクラスは、出席率はだいたいいつも半数以下)

うちの講座は、学費だけが全納だと、出席がほとんどなくても専攻科に進学できるシステムだし(専攻科の学費が安いので、どうしても希望者が多いから)、専攻科の生徒は、自分のクラスの講義がない日なら、1年目のクラスの講義も好きなだけ受けられるので、欠席しがちだった人も専攻科に進学して、翌年度分の講義見学をするという人も多い。

まあ、プロ作家ばかり二十人くらいいる講師の先生たちは、毎年まったく同じ話をするとは限らないのだけど、専攻科に進学して、講義見学をすれば何年でも講義は受けられる。実は、プロ作家の先生たちというのは、けっこうみんな個性的で、創作ノウハウもかなり違う。ある先生は、こうやって書くといい、またある先生はこうやって書くと言い、かなり違うことを言う。ところが、生徒の方もみんな個性的で関心のあるジャンルも色々だから、そのせいか講師も、誰か一人に人気が集中するということがあまりなくて、なぜかきれいに分散する。このあたりは面白い。

もちろんどのコースも、他の学校などと違って、誰か一人の講師につきっきりで指導をしてもらうという形式ではないから、どの方法が自分にあっているのか、自分自身で判断しなくてはいけないし、どうしてもオンブにダッコというか、きめ細かい指導はしにくいのだけど、たくさんのプロの人のナマの話を聞いておくというのは、かなり重要なことだと思う。実際、細かい文章創作法だとか、小説作法なんかは、ある程度なら市販の本でも読める。やはり生徒さんは、本などでは読めないようなナマの話を聞きたがる。あ、「ライティング講座」は半年しかないので、講師数も少ないんだけどね。

03/29/2007

速達発送、リドル・ストーリー、バスの中

3月28日(水)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

ライティング講座の入学願書の受付など。ちなみに、なぜかまた男性。
昨日、発生したアクシデントで、「第10期生」全員に速達発送。

夕方、講師の先生から、ふいに電話。あわてて5時半に仕事をかたづけて、JR東西線で移動して、待ち合わせる。貴重な本を何冊かゆずっていただく。今日は、なんだかんだで朝から気が重く、春休みの子供たちに昼食の弁当を作る気力もなかったので(弁当代を渡してきたら、彼らはそっちの方が喜んでたが)ちょっと救われた気分。

もちろん他の小説コースなどの話題は、考えてみれば競合なので、もしかすると暗いニュースなのかもしれないが、うちの小説講座はどのみち営利目的でやっているわけではないし。意義があるなら続けるし、誰も入学希望者がいなければ続けないだけである。今のところ、専攻科も含めて現在3コース、これまで十年近く、合計すると百数十人か。とにかくずっと何十人かの生徒がいるから続いているだけで、これも別に社会的ニーズがなければ、無理にやらないでもかまわない。そういう意味では、入学したい人がいる限りは続けるし、いなければ、たとえば今年でもすぐにも廃止する覚悟である(無借金経営なので、一度開講したコースは最後まで開講するが、最低人数に達しなければもう不開講なのである)

ま、これでも一応、プロ作家養成(商業出版)というコンセプトなので、趣味としてやりたいみたいな人にはやっぱり多少は厳しく感じる講座らしいし、こういうやり方だと手間ばかりかかって、どのみち経営はラクではないのである。でも、今年は、やっと夢の「一年で3人同時、プロ作家デビュー!」が実現できそうなので、できれば今年はつぶしたくないが(いや、つぶす予定は全然ないんだけど)

どうやら二十人近い現役のプロ作家に話が聞ける、みたいなスタイルの小説講座が他にあるわけでもないらしいし、カルチャーセンターよりは少しは学費が高いかもしれないが、入学したい人はそれは自分で選ぶだろう。ただし、講師の数が多い分、毎月、誰か講師の著書が次々と出版されてしまうので、追いかけてる生徒には忙しいことかもしれないけど。

いや、実は、私もこういう小説講座の運営をやっているよりは、ライターの仕事やってる方がよほど儲かると思うのだが(笑)

さて、リドル・ストーリーなど色々な話をしてて、少し遅くなり、帰りに久しぶりにバスに乗る。満員だったのだが、その中にあきらかに不審な男性がいて、思わず緊張する。汚れた作業服に濃いサングラス、がっしりした50代くらいの男性だが、ずっとブツブツつぶやいていて、「覚えとけよ」「ぜったい許さへん」「あの運転手、殺したろか」などと言っている。

どうやら、あきらかにおかしい人なのだが、「大阪市長が悪いんや」「大阪市の役人を許したらあかん」などと言ったり、さらに「マスクなんかして、馬鹿にしとんのか」「アホやからマスクなんかするんや」「そんなマスクをしてるから、税金使うんや」(この『マスク』の意味がしばらくわからなかったのだが、あとで気がついたが、どうもこのバスの運転手が顔にマスクをしているのである)と言ったり、さらに「このバスで火をつけて暴れたろか」などと物騒なことを言っているわりに、若い女子高校生が乗ってきたら「気ィつけや、この運転手、ゆれるで」などと笑いかけたり。どこまでおかしいのかよくわからない。

なにせ混んでいるバスの中、周囲も見て見ぬふりをしているし、そりゃブツブツ言ってるだけでむろんどうしようもないのだが、内容的にちょっと妙なので、まさかと思うが、ヤク中の可能性も少しだけあり。子供連れも何人かいたりするので、念のため警戒モードでナナメ後ろで観察していたのだが、どうにも妙な雰囲気のまま、私が降りるバス停でも降りず、そのまま乗って行ってしまった。あのまま終点まで行ったんかなあ。

それにしても、おっさん。あの運転手のマスク、あれはたぶん花粉症だと思うが、なんであれがそんなに気になったのかな。

03/28/2007

アクシデントは重なるもの

3月27日(火)
都合により、本日、小説講座の事務所は臨時休業です。

事務所は、都合によりお休みで、本日は朝から外出。取材の下見をかねて(例によって、まだ仕事になるかどうかわからないのだが)、阪急宝塚線「中山寺」と「清荒神」あたりをあちこちウロウロ。昨日はあれほど天気がよかったのに今日はすっかり雨模様。清荒神で満開の薄墨桜を見ながら、しばらく迷ったけど、それほど強くない小雨だし、とりあえず行きたかった「中山寺奥の院」まで、山道を歩いて登る。近場とは言え、このところの忙しさでは、今度またいつ来れるかわからないから。ま、すっかり春なので冷たくはない。

奥の院でこのまま降りるか、そのまま中山連山を縦走するか、またちょっと悩む。距離的にはそのまま中山寺まで降りた方が早いに決まっているのだが、天気はパラパラの小雨だし、さてどうしたものか。縦走そのものはそれほど面倒ではないのだが、問題は、たぶんあと2〜3時間かかることで、この時点で昼の2時だから、山本駅まで歩くとたぶん5時頃になる。真冬よりは日が長いが、ああ、せめてもうちょっと天気がよければルンルンなんだけどなあ。

と言いつつ、小雨の中、やっぱり歩いて山本駅まで縦走して降りる。日頃、怠けている足がちょっと痛い。案の定、山本駅で5時。梅田でゆっくり夕食をとってから帰宅。

8時頃、自分の仕事部屋でちょっとのんびりしてたら、電話があり、「非常事態発生」を知らされる。先週、私が東京に行っているあいだ、事務の代行をお願いしていたOさんがどうやらかなり大きなミスをしたらしい。今日、たまたま私が休みだったので、なかなか連絡がとれなかったのだそうだ。一応、これでも山の中でも、ケータイの留守電はしばしばチェックしていたのだが(中山連山は、住宅地のすぐ近くなので、実際には、それほど山の中ってほどでもないのだが)、電波が届かない地点もけっこうあったようだ。しかし、すでに事務所もシャッターが閉まる時間帯なので、明日、対応をすることにする。それにしても、私が土曜日の講義を休んで代行を頼んだのは珍しいだけに、ちょっとクラクラ。落ち込みそうになる。

が、そのあと11時近くになって、また今度は、自宅の電話が鳴る。子供の寝た時間帯、ケータイならともかく、この時間帯に鳴る電話は、ベルの音がすでに不審だ。

はたして、義母からの電話で、親類の人がついさっき亡くなったという連絡である。

たしかに入院がちではあったし、それなりの年齢の男性だが、先々月に会った時は元気だったがなあ。しかし、それはまたえらく急である。同居してた息子さんもこの数日たまたま海外出張に出かけているのだとか。帰りの飛行機は明後日になりそうなので、お通夜もたぶん一日ズレるんじゃないかな、と言う。

アクシデントというのは、どうやら重なる日は重なるものらしい。
しかし、今週は少しはのんびりできるかと思っていたのに。なるほど、まだまだ人生は甘くはないのであった。

03/27/2007

春開講の文章教室、入学願書受付など

3月26日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

……というわけで、公休日なのだが、本日は終日出勤。朝から夕方まで、事務作業。
明日、事務所の印刷機の入れ替えなどがあるのもあって、今週のみ、火曜日が臨時休業になるため。細かい発送物などで時間をとられる。

春の文章教室「第3期ライティング講座」の入学願書がちらほら。なぜか今年は男性の入学者が多いみたいだ。ライティング講座は、初心者向けの文章一般コースだが、このコースから小説講座への編入制度があるせいもあるのか、もともと「小説志望」が多いが、今年は今のところ、どうやら全員小説志望みたいである。

03/26/2007

小説とは関係のない休日(「枯れ家」の子供たち)


3月25日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

高速バスにて、朝6時過ぎに大阪着。7時半、帰宅してから朝食。
いつもなら深夜バスだろうが何だろうが、どこでものんびり寝ていられるタイプなのだが、今回はちょっと疲れ気味。春休みの増発便となると、さすがに満席だし、団体客や酔っ払いも多く、のんびり眠れないので、かなり疲れがたまっている。シーズンオフの平日便だと、へたすると1便にほんの数人ということも多いし、前後や隣に誰も座ってないことの方が多いんだけどな。東京〜大阪間は便数が多いので、いわゆる格安便じゃない限り、深夜バスが混むことはないのだが、春休みなんで仕方ないなあ。

夕方、実家に寄ってみたら、母が玄関横の鉢植えの花がらを摘みながら、沈んだ顔をしている。どうしたのか尋ねたら、「見てよ」というふうに黙って指をさす。

見ると、むこうに並んだプランターにやっとつぼみをつけていたヒヤシンスが、茎だけ残してすっぱり切られている。小さな青いつぼみが20本ばかりもあったはずで、もうじき咲くかと私も楽しみにしていたのに、それが全部、茎しか残っていない。チューリップのつぼみもない。これはびっくり。それ以外にもいくつか花があったはずなのに、花の部分だけがもぎ取られて茎だけ残っている。これはかなりひどい。

どうしたのか聞くと、全部、向かいの家の子たちがやったのだと言う。花だけ取ってままごとにしていたのだそうだ。あとで聞くと、たまたまうちの娘たちが発見して、あわてて注意して親を呼んでやっと止めたんだそうだ。

しかし、これは妙な話である。だって、その子なら、たしか小学生にはなっている年齢なのだ。

いや、小学低学年だって小さい子だから仕方ないだろうと思うかもしれないが、小さい子といっても、乳児と幼児、学童というのは、かなり違うものなのである。もちろん小さい子が、人の家の花を摘んでしまうということは全くないわけではない。よちよち歩きだとか、せいぜい2〜3歳くらいだと、いたづら盛りだし、どの花を摘んでいいのかがまだよくわからないから。

でも、散歩に連れて行ってもらったりするたびに、「これはタンポポだから摘んでもいいが、これは植えてある花だから摘んではいけないのだ」ということは、かなり早くから覚えるもので、まだ会話がまともにできないような年齢でも(つまり3歳くらいでも)どの花を摘んでいいのか、摘んではいけないのか、たいていの子供は案外と早くからわかっている。まあ、ストーブに触っていいかいけないか、を覚えるようなもので、そんなに難しいことではないし、4歳くらいならあまり間違える子供はいない。2歳児ですら、たんぽぽ(これは都会ではもっとも見分けがしやすいから、最初に覚える)以外で目立つ花を見つけ、摘んでいいかどうか迷ったら、親の顔を確かめるくらいはしたりする。

つまり、他人の家のプランターの花を何本も摘むなんてことは、ちゃんと散歩に連れて行ってもらっているような子供ならば、まあ、まず5歳児でもあまりしない(2〜3歳ならありうるけど)、小学生なら少なくとも6〜7歳なので、この年齢ではこういうことをするにしては、ちょっと年齢が行き過ぎているのだ。それに、1〜2本ならまだわかるが、これは何十本も、である。できごころにしても、ちょっと多すぎる。

小学生(たぶん1年生)というのは、やっていいか悪いかは、とっくに自覚しているはずの年齢なのである。それにしても、あのおとなしそうな奥さんの娘さんがこんな悪ガキだったのか、信じられないなあ、あちこち習いものをさせているらしく、よく子供を送っている姿を見たりするし、よほど教育熱心だと思っていたのになあ、と驚いたのだが、思わずふと向かいの家の玄関先を見て、なんとなく納得がいった。

この家は、小さい娘が2人いる家とは思えないほど、家の前がすっかりかたづいている。

こういう家のことを私はひそかに「枯れ家」と呼んでいる(あるいは「砂漠の家」)

つまり早い話、この家には玄関先に、植木鉢もプランターも何もないのだ。植え込みに細い庭木が飾りのように2、3本あるだけで、たった一つの植木鉢もない。なるほど、これは「枯れ家」だ。そうか、枯れ家の子かあ。それなら仕方ないかも。

私は、よく住宅地や町を散歩するのが好きで、ちょっとでも時間があると一駅くらい早く降りて、いつもと違う駅から歩いて帰ったりするのだが、その楽しみは、「住宅ウォッチング」である。自分ではあまり草花を育てるのは上手な方ではないのだが、他人の家の庭先や鉢植えなどを見るのはことのほか大好きで、家を見ると、建築そのものよりは、むしろ「住み方」というか、こうした植木だとか、鉢植えだとか、あるいは洗濯物の干し方だとか、小さなてるてる坊主の残骸だとか、そういう「暮らしの匂い」に興味があったりする。

実際、きれいなデザインだとか、新しい建築というのもあるのだが、そんなものは高い金をかければ誰でもできるだけで、どこにでもあったりするし、どうせ建築の本を読めばいくらでも載っているわけで、それよりは長屋暮らしだとか、古い家を大事に住んでいたりするのを見るのは、とても楽しい。ぶらぶら住宅地を歩くと、こういう家がけっこうある。

だいたい世の中には、口では、「古い建築を大切にしなければ、こういう文化を壊すなんてもってのほか」などとか言いながら、自分では快適な住宅に住んでいたり、「口だけの理想を言う文化人」が多い中で、こうした庶民の方がよほどエライのである。下町には「昭和保存会」みたいな家もあったりするのである。一方、すごくおしゃれな住宅だが、本当に人が住んでいるのかさっぱりわからないぐらいに片付いている家があったりする。よほど仕事で忙しいのか、昼間は誰もおらず、夜もかなり遅くまで灯りもついていない。こういう家の方が、よほど見てもつまらない。

町歩きをしてて嬉しく見るのは、やっぱり玄関先の植木鉢である。小さな長屋にも、丁寧に植えられた鉢植えが並んでいると、住む人の「品格」を感じることすらある。有名な建築家のデザインかもしれないが外見だけが優れた建築があっても、庭先を見たらまるでモデルハウスのように殺風景な家よりは、よほど面白くて人間味がある。草花が立派な家は、それだけで町の財産である。

しかし、あれはあれで手間もかかるし、面倒なものだから枯らしてしまうなんてことは誰にでもあるものだ。だが、うまく育てられなくて、ついつい枯らしてしまった植木鉢が2〜3個あっただけでも、これはこれで、ぐっと人間味が感じられる。「ああ、これ見た目はいいから、つい買ってしまうけど、ちょっと育てるのが難しいのよね、わかるわかる」なんて思ったり。

私はそれなりの花好きだから、個人的な偏見なんだろうが、それでもよほど忙しい独身者なんかならともかく、ごく普通の家庭で、庭先にたった一つの鉢植えもないような家は正直あまり好きではない。まるで、それは「砂漠」みたいである。それは何かしら、妙に違和感がある。庭先の鉢植えというのは、どうにも住んでいる人の人間的な感情を表しているような気がする。気のせいか、鉢植えの一つもないような家には、何か奇妙な感じは受ける。無駄なものをすべて捨てるといった感じ。余裕のない感じ、というか。だって、何年か住めば、やっぱり一つ二つはつい鉢を置いちゃうってことあるもの。

うちなんか、やたらめったら野菜とか観葉植物があったりして、あまりきれいではないのだが、それでも1個100円のパンジーを買ってきて(パンジーは次々増えるし、育て方も簡単。しかも花の期間が長いので、とってもビンボー人向けである)これまた100円均一で買ったプランターを並べている。しかし、これも寄せ植えなどすれば、それなりにけっこう見栄えはする。なるべくきれいに(と言ってもかなり汚いけど)

草花は、あればあったで、それなりに手間がかかるかもしれないが、ほんの少し花を飾ったりしてみるだけで、なんだか人間的な感じがするのである。

そりゃ、私の友人にも、「鉢植えなんか、育てたこともないわ。面倒くさいし、だいたい虫がつくでしょ」という人がいる。そういう気持ちはわからなくてもないのだが、これは育てられ方の問題でもあるのかもしれない。

まあ、私だって、とくにいきなり家の中に入ってくるようなムカデとかナメクジとかはさすがに嫌いだけど(都会の人はわからないでしょうが、田舎なら虫どころかたまにトカゲも)、子供がいてもいなくても、たぶん小さなプランターで簡単な野菜を育ててみるくらいはやるのである。

思うに、やはり子供の頃に、そういう経験をしておくことはけっこう大事だと思うのである。これも私が幼い頃、都会育ちの娘を心配した父が、家の近くに小さな畑を借りて、ずっと野菜やら花を育てていたおかげである。鉢植えのひとつも育てたことがないまま大きくなり、そういう心も育たないよりは、よほどよかったと思う。

なにしろ私の友人は、夏、スーパーで「曲がったきゅうり」が安売りされているのを見て、「奇形のきゅうり」と言ったほどである。「農薬で、曲がったんじゃないかしら」と思ったらしい。うーむ。

しかし、実際にきゅうりを育ててみればわかるだろうけど、曲がる方がわりと「普通」なのである。まあ、きゅうりは種類が多いのでちょっと一概に言えないのだが、市販のきゅうりはたいてい出荷しやすい種類なので、もともとまっすぐにはなるみたいなのだが(ハウス物ならわざと伸ばすことも多いし、曲がるのは早めに摘んでしまうらしいし)、真夏で露地モノなら、曲がっててもまあ普通である。曲がっているからと言っても、少なくとも農薬の影響ではない。

(農家をやっていたわけではないから詳しくないんだけど、曲がるか曲がらないかは、たぶん農薬には直接的には関係がない。肥料とか水が不足すると曲がりやすいらしいが、そうでなくても、何割かくらいは曲がるのが普通らしい。まあ、ほっといてもまっすぐになるのも「普通」だし、「曲がってるからいい、たぶん無農薬」というのもありえない。ただ、有機栽培とか無農薬だと、当然ながらどうしても育て方にムラができるだろうから、曲がる確率はたぶん上がると思われる。ただし、まっすぐだからといっても伸ばされたものかどうかを消費者に見分けるのは難しいとも思うけど)

たぶん種類自体が違うのだが、真夏のきゅうりは、冬場のハウス物よりよほど「安物」だが、旬のモノだし、むしろ栄養価は高いのだぞ(まあ、栄養価はもともとしれてる野菜だけどさ)。私は、まっすぐに伸ばされたきゅうりの方が、ある意味よほど「奇形」だと思うんだがなあ。(ちなみに家庭菜園でも筒に入れるか小さいうちに手で伸ばせば、まっすぐなきゅうりになるけど)何にしても知らぬということは、困ったことだもんなあ。

しかし、なにせ親がこれなのに、学校で今いくら「食育」とか言っても、大人の方がよほど問題だと思うがな。私の周囲でも「魚もさばいたことがない」のをむしろ自慢する人の方が多いような気がするが、あれはどうなんかなあ。

たぶん「枯れ家」の子供たちは、習い事などには忙しいのに、草花を育てている人の気持ちは誰にも教わったりしないのだろう。秋に球根を植えて、ようやく春になってつぼみが出た花を「ままごと」に使うというのは、ちゃんと生命だとか、草花だとか、そういうことがわかっている子供なら、ちょっとやらないのではないかなあ。4歳5歳ならまだしも、小学生にもなってそういうことをやるというのは、やはりよっぽどなんじゃないのかなあ。きれいな服、きれいな家、親は仕事、子供は習い事で忙しい。枯れた鉢もない代わりに、きれいな草花も一鉢もない庭先。

それにしても、一番被害が多かったヒヤシンスの球根は、この種類ならたぶん最低でも1個300円はするものなのである。それが20本以上被害にあっている。推定でも千円以上するだろうと思われる球根とか、もっと高い花も何本か被害にあっている。うちの父は70歳過ぎてまだ働いているが、収入的にはほとんど年金暮しなのに、こういうところが妙にリッチである。やっぱり子育て家庭に較べて、年金暮しの老人家庭はこういうところが違うなあ。

うちの庭なんか、100円のパンジーやらマリーゴールドとかばかりなので、こういうのを見ただけで思わずクラクラする。母は「子供のしたことだから」と言って、別に弁償とか何もいわなかったそうだが、うちの夫なんか、その話を聞いた途端、
「300円の球根を育てて、あんなふうに何十本も切られたら、オレだったら、裁判沙汰だぞ」
と、子供相手に大人げないことを言っていた。彼は、ブロッコリーの花(つまりは収穫せずにいたヤツ)が折られただけで怒ってたくらいだから、案外、本気かもしれない。いや、彼ならそもそも300円もする球根を何十本も買わんと思うが。

しかし、ままごとに使うんなら、どの花でもよさそうなものだ。何も高価なヒヤシンスやユリやらを使わずとも。いや、うちの庭なら、どうせ100円均一なのになあ。

「枯れ家」の子なら、どうせ300円も100円も、どの花が育てるのに難しいかも見分けがつかないだろうになあ。

03/25/2007

本日、小説講座は他のスタッフが事務代行

3月24日(土)
本日、小説講座の事務は、他のスタッフがやっております。

私は、朝から「のぞみ」にて東京へ。昼、飯田橋で降りたら、神楽坂で「さくら祭り」というのをやっていた。外堀の桜は2分咲きというくらいで、雨でも降りそうな空だが、あちこち席取りの人がブルーシートに座って、文庫本を読んでいた。大阪の人間もイラチが多いが、江戸っ子も花見に関してはせっかちなのかな。まだ寒いが。

夜、かなり遅くなりそうなので、あわてて新幹線ではなく、帰りだけ深夜バスに変更。春休みなので、深夜バスも席をとるのが大変。駅から走るようにギリギリで乗ったのが、新宿22:10発。しかし、シーズンオフの平日とは較べものにならず。これでも増便されているのだが、かなり混んでいてツライ。

03/24/2007

明日は事務代行よろしく

3月23日(金)
朝から小説講座の事務所。今日も事務あれこれ。

明日は、東京に行く予定だったのだが、実は、昨日までちょっとなかなか決心がつかず。明日の講義は、事務の代理をすでに依頼してあるし、講師の北野先生にも直接頼んであるので、それは別に心配はしてないのだが(私が、毎週土曜日の夜の「小説講座」の講義を休むというのは、この9年間、まだ1回しかないので、かなりめずらしいのだが)、このところ忙しすぎて、パワポのデータがまったく手つかずになっているから。東京では10分間の発表をする予定なのだが、さすがに手ぶらでやるわけにもいかんし、これではせっかく行っても何もできんしなあ。

しかし、次の機会というと、今度はいつになるかわからないし、他の人の発表を聞くだけでも顔を出すかなあ。しかし、日曜には帰って来ないといけないので、日帰りである。うーん。それに春休み。こんな時期に移動したくないのだがなあ。ううう。

03/23/2007

へたれ気味

3月22日(木)
午後から小説講座の事務所。あれやこれやで、へたれ気味。

本日も終日あれこれ作業。細かい事務がたまっているので、まとまった時間が欲しいが、なかなかとれない。日々の雑用に追われて、かたづかないの〜。ううう。ああ、子供たちも春休みになるう。

03/22/2007

天気のいい結婚式

3月21日(水)
小説講座の事務所は、日曜、月曜、祝日お休みです。

朝からすっかり天気もよく、今日は、結婚式に行く。私の周囲ではこのところすっかり晩婚ブームで、この数ヶ月、連続的にあちらこちらで結婚式があるのだが、式&披露宴に私が出席するのはコレだけだったりする。あれこれ書きたい気もあるけど、作家さんの結婚式だし、とくに2次会は他の作家さんもたくさんいたから、どうぞ詳しい内容はそちらでお読みくだされ(と言いつつちょっとは書くけど)

とにかく楽しい結婚式で、来賓のスピーチも皆やたら面白く、私なんか、主賓のスピーチからすでに笑いっぱなし。披露宴では、私のまわりの席が東京から来た編集者ばかりだったので、
「いやあ、関西の結婚式はなんか違うねえ」
「みんな話にオチがありますよね」
「こっちの人は笑いをとらずに終わらないのだなあ」
「さすが、これが西の結婚式ってやつですか」
「いや、その。関西が全部こんなふうというわけでもないと思うんですが」
などと楽しく会話をする。

ただ、せっかくビデオカメラを用意してたのだが、外の天気がよすぎて、ずっと逆光。まったく撮れず。何度も失敗していたら、すっかり電池容量も足りなくなった。おかげで2次会でも動画が使えず、カメラ専用になってしまったのがちょっと残念。ま、どうせ写真はあちこちいっぱい撮ってたみたいだけど。

2次会では、たくさんの作家さんたち。それに花嫁の高校時代の同級生、NさんとAさんがたまたま私の古い友人だったので(世の中はせまい)、8年ぶりに再会したり。2次会は一応、私が世話役ということだったのだが、人数の多い花嫁さんのご友人たちが大活躍。しかし、晩婚カップルなので、友人知人もさすがに20代はほとんどおらず。そのせいか、出席者はかなり多かったのに、華やかな中にもなんだか落ち着いたお祝いムード。「友人の結婚式なんて、十数年ぶり」と話す新郎のご友人たち。言われてみれば、私もその年齢なら長男がすでに成人しているはずだし、同級生ならそりゃ驚くかもなあ。それだけに「ホントにうれしい」と心から喜んでいたご友人の笑顔がとても印象的だった。

ああ、ホントにいい結婚式だった。おしあわせに。

03/21/2007

第6回ラクゴでノベルなど

3月20日(火)
午後から小説講座の事務所。
丁稚どんは、またまた美少年同伴出勤。夕方まで事務作業。

夕方、落語再生公開堂「ラクゴでノベル」に行く。来客があり、遅れそうになってかなりアセる。受付に来ると、すでにドアが閉まって、音が鳴ってるう。ギリギリセーフ。

本日の演し物は、林譲治原作「ロボット医者」と飯野文彦原作「戯作者の恋」の新作落語2作。トークは、いつもの田中啓文先生に、ゲストの林先生、飯野先生も。遠方から来られていた飯野先生とは、「エンターテインメントノベル講座」の第1期の時に講師をしていただいた時以来、およそ9年ぶりくらいの再会。田中先生もあいかわらずの楽しい司会トークで(むろん飯野先生もおもしろトーク炸裂)たいへん楽しいイベント。新作も毎回、内容が違っていて、あれこれ面白い。それにしても、新作を2作も覚えなくちゃいけない八天さんはエライ。しかも落語台本じゃなくて、作家さんの原作だし。どうやらあれこれ工夫されていて、かなり変えてるらしいけど。

それにしても面白いイベントだなあ。ぜひ続けて欲しいなあ。司会の田中啓文先生、水嶋さんなどはあれこれ大変だろうけど。あ、次回は5月、森奈津子先生の原作だそう。これも楽しみ。

客席を見回すとプロ作家さんたちもいっぱい。第10期の生徒さんや卒業生も何人か参加していた。早く帰るつもりだったけど、先生たちとお話がしたくて、2次会にも少しだけ参加させてもらう。せっかくの機会なのだが、明日の結婚式に出席予定なので、残念ながら早めに失礼する。

夜、帰宅してから、式に着ていく服を用意してたら、ストッキングがないことに気がつく。いや、なにせ日頃、スカートをはかないもんだから(笑)。いやストッキングを切らしてるくらいで、オンナをやめたとは言われたくないんだけど、あ、でも、ヒールでの歩き方を忘れたかも。いつもパンツスタイルなので、久しぶりのタイトスカートで歩けるのかなあ。いやそんなはずは。

03/20/2007

小説とは関係のない休日(お願い、まだ去らないで)

3月19日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

朝から夕方までバタバタ。あれもやらな、これもやらな、それもやらな。3月って忙しいなあ。
1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」だったっけ。

03/19/2007

小説とは関係のない休日(たぶん間違いなく風の強い日)

3月18日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

まったりとした休日。陽射しは暖かいが、風は冷たい。とっくに春は近いのに、残りの力を振り絞っているような寒さがする。冬の午前中。やっぱ、寒い。子供部屋から、サザンの曲が聞こえてくる。小三の双子の娘は、サザンオールスターズの曲が好きだ。今日も朝から「バラッド3」(1、2)をヘビーローテンション。同じ曲ばかり何度も聞くのは、父親ゆずりか。サザンがこんな微妙な天気の日にふさわしい曲なのかよくわからない。「サザンなら夏だろっ」と思うのは私が古い人間だからか。けど、サザンの恋なら、やっぱ夏だと思うけどなあ。

双子の娘と中学生の息子。家族に囲まれ、のどかな日曜日になぜだか奇妙な違和感。とくに理由はなくても、平和な家族の休日になぜだかふっと妙な違和感を感じるのが昔からの性分。ふっと自分の居場所はここではないような。妙な感覚。

それにしても、サザンの曲ってどこか妙な歌詞だなあ。

生まれく叙情詩(せりふ)とは、蒼き星の挿話
夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊

ほら、やっぱ、これも夏じゃん。
さて、家事をかたづけて、昼食前に近くの図書館へでかける。駅前にある地域図書館は、ゆっくり歩いても十分ほどだから、たまには歩いていく。よく晴れて、明るいけど風が少しきついかな。今年の冬は寒くなくて、まるで北風が来るタイミングを間違えて、ついそのままにしてしまったような冬だったよ。ここほんの数日、思い出したようにちょっとばかり寒いけど。終わりかけになって、ほんの少しだけがんばってるみたいだが、すでに梅も満開。桜も、すっかり花見スタンバイ完了みたいなんだけど。

風が冷たくても、天気がいいから気持ちはいい。こんな風の強い日、私は、きらいじゃない。ほら、映画“くまのプーさん”の歌をつい口ずさんじゃったりして。
「たーぶん、間違いなく………今日は〜、風の、強い日、かもね〜」
うんうん。飛ばされないように気をつけてね、ピグレット。

図書館は、区役所の裏。私は、区役所のナナメ前の交差点まで来て、点滅する信号をギリギリで渡る。あとからやってきたベビーカーの若いお母さんが立ち止まった。先に渡った私が、対角の信号が青に変わるのを待っていると、ひゅうと風が吹いた。ずいぶんキツい風である。するとそのあたりから何かがひゅんと飛んだ。風に飛ばされたものは、信号待ちのたくさんの人の前で、ふわっと高くあがって、「あれ、何だろ、黄色いもの」とみる間に、たくさんの車が通る四角い交差点のちょうど真ん中あたりに落ちた。どうも小さな赤ちゃんの帽子らしい。

コロコロ風にあっちやこっちにとばされて、まるで意思があるみたいに自動車の脇をすり抜けてく。ありゃりゃりゃ、これはひかれてしまうのも時間の問題だなあ、と思っているうちに、また風に吹かれて、くるくると帽子のつばで、うまいこと小さなタイヤのようにころがっていく。小さな帽子が片側二車線の道路の真ん中をあたりを自動車と並走して走って行こうとする。ちょっと面白い光景なので、つい見とれてしまう。あらあら。あんな小さい帽子なのに、何を考えているんだろ。

ああ、やっぱり今日はなんだか風の強い日。

私が待っている方の横断歩道を通り過ぎて、ずいぶんむこうに行ってしまう。そこで、やっと疲れたように立ち止まる。そりゃ、あんなに小さい帽子だもの、自動車と張り合うのはどうかと思うわ。自動車のタイヤよりずっとずっと小さいのに。

あ、でもそこなら、信号が青に変わったすきに私が走って行けば、取りにいけるかもしれない。人通りが多い大通りだけど、こっちの信号で待っているのは私だけだし。と思ったら、急に使命感を感じる私。ちょっと距離はあるけど、青信号で、走って往復すれば。うん、まかせておいて。で、信号が変わった途端に、道路の真ん中をダッシュして奪取。まるで正義の味方みたく、帽子を救う私。うっし! プーさん、今日はやっぱり、風の強い日かもね。

信号を渡って、向こう側に渡り、対角線のむこうの若いお母さんに帽子を振ったら、気がついたらしくて、手を振ってあわててベビーカーを押して来る。その時になって、人が多かったのに気がついて、妙に恥ずかしくなってきて、もう飛ばされないよう区役所の前の植え込みに帽子を置いて、「ここに置くね」と示してから、そそくさと逃げるように走ってしまう。

頭の中では、やっぱりプーさん、いやティガー。
オレ様はティガー、世界一のトラ。ぴょんぴょんぴょんぴょんジャンプする……。
家に帰ると、あいかわらずにぎやかな子供たち。聞こえてくるのは、まだサザン。あれから小一時間。ずっと同じCDかい。いいかげん飽きないのかなあ。ま、そろそろ昼ご飯。

釈迦堂も 闇や 宵や
鳶が湘南浪漫 風に舞っちゃって
縁の先や 黄泉の国や

ふーん。やっぱり不思議な歌詞。
子供たちと昼ご飯を食べながら、ふっとちょっと思い出す。
お、ひょっとして、あれはやっぱり北風小僧だったのかなあ。今年はぜんぜん暴れてること、でけへんかったもんなあ。

ああ、春はもうすぐだよなあ。

03/18/2007

10期の前期課題、小説作品指導

3月17日(土)
午後から小説講座の事務所。午後から基礎レッスン講座「第10期エンターテインメントノベル講座」の前期課題指導。講師は、作家の堀晃先生と編集者の青木治道先生。専攻科は、Aクラスのミステリの長編作品指導で、ミステリ作家の黒崎緑先生。

昨日から歯が痛くて、午前中は歯医者。午後からの基礎レッスン講座は、少人数のクラスで、半年間、簡単な教室実習だけをやってきただけなのに、なぜだかみんなうまくなったよねえ。ほーんと。このクラスは、次回で講義が終了なのだけど。

夕方からの小説講座は、いよいよ10期の前期作品指導。今年のクラスは、出席率がやや悪く、前期課題の提出率も悪い。そのせいか、本日の出席率もさほどよくないのだが、やはりプロ作家に自分の作品を見てもらってコメントをもらうのは初めてということで、緊張する生徒さんたち。前期課題は、2人の講師が対談形式でやるというのが、うちの小説講座の恒例のスタイルになっている。

ただし、クラス全員の作品を一度に扱うので、ショートショートとか短編が中心。昨年までは、高井信先生と草上仁先生というコンビだったのけど、今年は都合により、堀先生と青木先生に。どちらも前期指導ははじめて。編集者と作家という組み合わせだけど、お二人ともベテランで、SF関係では親交も長いので、対談もスムーズ。

さらにお二人ともいつも生徒さんには親身になって、うまく個性を見つけ、ほめて育ててくれるタイプの講師。私の印象では、実は、昨年までに較べたら相当やさしい評価だったんけど、緊張しきってる生徒さんたちには、どう聞こえたのかなあ。
「緊張し過ぎたせいか、ちょっと拍子抜けした」という意見もあったみたい。

前期指導は、全員の作品を2人のプロが対談形式でやる、ってのは、ここ数年のスタイルだけど、これはいろいろ自分の作品についてのコメントを聞くよりは、他の生徒さんの作品を見て、それぞれの作品と先生たちのコメントを較べることによって、全体的に
「ああ、プロの人たちとは、こういうふうに作品を読むのだな」
というのがわかるのが目的。実際には、ショートショートくらいの短い作品なので、せいぜい一人あたり十分くらいの短いコメントをもらっても、結果的に、それほど急激な上達につながるというものでもないわけだけど、トータルで「ああ、こうすればいいのか」というイメージくらいつかめるらしいのである。

でも、プロの人に口頭で作品コメントをもらう機会ってのは、かなり重要。口で話すってのは、文章の、たとえばコンテストの選評とか書かれるよりは、たった十分でもかなりの量にはなるのだが(文字数にすれば相当な分量)、次の作品になったら、また同じことをするというもんでもあるのよね。しかし、何十本もの他人の作品指導を聞いているうちに、なんとなく、
「こういうことに気をつけた方がいいのか」
とか
「なるほど、こういう作品は、そういうふうにすれば面白くなるのか」
などということがわかってくるみたい。

こういう作品指導は、とにかく自分のだけではなく、他人のも含めて「具体的」である。だから、参考になることばかり。前期課題をまとめて大量にやるというのは、そういう意味がある。だいたい私が見たところ、自分の作品指導は、その作品そのものを書き直すには有効なのだが、むしろ次の作品に生かせるとは限らなかったりするもんなあ。でも、他人の作品指導や作品を見て気がついたことは、実際には、次の作品で生かせたりするみたいなのよね。なんか妙な現象だけど。

そんなわけで、作品指導は、自分の作品のコメントだけではなく、他人の作品へのコメントもかなり大事。そうは言っても、他人の作品については、あまり興味がない人もいて、自分の作品指導が終わったら寝てたりする人もいるみたいけどね。今年は、青木先生から「ベスト1」「ベスト1」の作品の人には、ジャムのプレゼントあり。

10期の講義が終わって、いつものように飲み会へ。10期生で飲み会参加者は、なんとたったの3人。うーん。前期指導の日に、これくらい少ないのは前代未聞。こりゃ、このクラス。ここ数年で出席率も一番悪いけど、これもめずらしいクラスだなあ。ほとんどのクラスは、飲み会に来るのも、いくら少なくても6〜7人というくらいはいたんだけどね。30分近く、講義を延長したせいか、急いで帰る人が多かった。うーん。まあ、いいけど。専攻科の生徒さん(昨年の9期卒)がいて、
「うわ。今年はえらく少ないですね。今日って、前期指導なんでしょう? こりゃ、後期は何人残るかなあ」
と言われた。毎年、小説講座は、後期になると出席率は悪くなる。入学しても作品を書かない人もいて、そういう人はやっぱりなかなか続かないのである。でも、前期はほとんど9割以上出席率があるものなのになあ。今年は前期から出席率悪し。めずらしい。

一方、専攻科は、今日はAクラスだけの講義なのだが、そちらのテーブルは飲み会の参加率もそれなりに多い。

考えてみれば、専攻科のうちAクラスは、プロ志望向けのクラスなので、毎回、懇親会の参加率もそれなりにいいのである。講義後の飲み会は、単なる懇親会と言えば、そうなのだが、生徒さんにとっては、講師の先生と近くで話せる絶好の機会でもある。やはり、本気でプロになる気のある人は、ちゃんと講師の近くに座って、1時間か2時間、いろいろな話を聞いたりする。うちの講座では、二十人近いプロ作家がいるのだけど、かなりの先生があれこれ有効な話をしてくれる。たまには、教室では話せないような内容も。お酒を飲みながら、ざっくばらんに聞けるせっかくの機会なので、しっかり有効活用してる生徒さんも多い。時には1〜3時間くらい、追加講義みたいなものを話されている講師の先生もいる。

コックとか、美容師でも、やる気のある新人と言うのは、自分の仕事が終わっても残って、先輩の話を聞くよね。ああいう感じかな。ま、しかし、遠方からの通学生などは無理なんだけど。

それにしても、遠方からの通学生と言えば、9期生のクラスの方が「東京」「名古屋」「和歌山」というふうに遠方者が多かったのだが、10期生は遠方と言えば、岡山の人くらいだがなあ。ってことは、この10期生のクラスには、あんまり本気のプロ志望っていないのかもしれないなあ。

生徒さんにとっては、
「とにかく小説のコンテストで受賞さえすれば、プロ作家になれる」
と思うだろうし、それはそれで正解で、やはりそれが近道ではあるのだが、実際、出版社にも色々ウラ事情というか、どこのコンテストを選ぶかというのも、かなり重要なポイントでもあったりする。まあ、コンテストで受賞すれば、たいてい編集担当者はつくだろうけど、マジでプロ作家にやってくつもりなら、さらに作家仲間からの情報、とか、パーティであった時に紹介してもらった編集者からの情報みたいなものとか、けっこう人とのつながりも大切なものだったりするようである。まあ、実際、小説の注文というのは、「作品を読んだ編集者が、文書で依頼してくる」というものばかりではなく、むしろ「あ、あの作品を書いたコレコレさんですよ」「ああ」みたいな、いわゆる紹介というパターンもかなり多いのではないかと思うし。(てか、作家さんによっては、それがほとんどという先生もいたり)

ま、作家さんは、孤立すると孤独な職業でもあるし、デビューしたからといって、仕事というのはコンスタントにあるとは限らない。無理に社交的である必要もないけど、多少は業界の先輩後輩、友達などの話を聞く機会がそれなりにあった方が、戦略的にも精神衛生上も、何かといいみたいだよん。

どうやら新人作家というのは、自宅でじっと待ってても必ずしも仕事が来るものでもないみたいなので、
「大学時代にミステリ研究会に所属してたから、ほっといても、編集者や作家、書評家の友人知人先輩後輩がいっぱいいる」
というような人でないのだったら。まあ、そりゃよほど突出した才能あふれる大型新人なら別だろうけど、賞をとったからといって、出版業界というのは「先生、ぜひ書いて下さい」「うちにも書いて下さい」と編集者がわしゃわしゃ集まってくるというわけでもないらしいし。ま、賞もいくつかあるし、受賞者は毎年毎年増えていくし(というか、新人だとそんなに注文殺到しても困るかもしれないけど)

生徒さんは、あんまり出版業界の内情など知らないもんで、デビューさえすれば途端にあちこちから注文殺到、というイメージがどうもかなり強いらしいんだけど。いや、賞にもよりますが。あ、乱歩賞ならそれとかアリかも。

まだまだ作品そのものが書けない生徒さんの段階でどうのこうのはないのだが、専攻科は「そのうちデビューはできるのでは」とか「受賞は近いだろう」という人もいるので、こういう飲み会も色々な情報交換も含めて、それなりに重要だったり。

ま、デビューしたい人はできるだけすみやかに。そうでない人はできるだけ楽しく面白い作品を。まったく書けない人もそれなりに。

午前中、歯医者で神経を抜くために麻酔を打ってもらい、なんだかちょっと妙な感じで過ごした一日であった。

03/17/2007

こだわりをもった生活スタイル

3月16日(金)
朝、小説講座の事務所。昼から3時過ぎまで外出。夕方まで事務作業など。

Oさんが来て、生徒作品の件やらあれやこれや。パソコンが立ち上がらずちょっとあせるが、どうも接続コードが調子悪かっただけようで、呪いのDVDのせいでもなかったようだ。問題なし。少しあせったけど。

ところで、子供がいる我が家では、ヨーグルトやプリンを買うことも多い。大きいパックで買うことが多いけど、朝バタバタしている時などは、みんなにいちいちとり分けるよりは、ミニカップタイプの方が便利である。それで、よく3個でパックになっている「三連パック」というのを買ったりする。ゴミが増えるのが気がかりだけど、便利である。

さて、ここをお読みの皆さんは、この三個パックのプリンやヨーグルトに、この「フタをめくるところ」に小さな数字が書いてあることは、すでによくご存じのことであろう。私は子供たちに指摘されるまでそんなものぜんぜん知らなかったのだが、なぜか「三連パック」の商品には、このフタをめくる部分に1とか、2とか、3とか、あるいは7とか、8とか、9とか、いちいち小さな数字が書いてあるのである。

しかし、3個パックというのは、どうみても同じ商品が3個である。だから、気づかないくらいの数字が違うぐらい、ホントどうでもいいようなものだ。このどうでもいいような数字が、うちの子供たちは、ケンカの種なのである。いや、実際、本当にどうでもいいようなことで毎日ケンカをするのだが、これこそホントどうでもいいことだと思うんだけどねえ。え、どうよ。

「あっ。今日は、私、3番がよかったのに」
「じゃあ、ボク、2番とーった!」
「あーっ。私、1番はぜったいイヤやのに!」
「私も、今日は1番はいやなの」
「昨日は、1番がいいってゆうとったやろ!」
「あんたかって、昨日は1番食べたやん」
「でも、今日は、3番がええねん」
「だから私かて、今日は3番がええねん」
「ああっ、3番とった〜っ。うわああん」

……あほらしい。
「もう、まったく。数字なんてどうでもいいやろ。中身は一緒やん。だいたいフタなんて、食べる時にはめくって捨ててしまうやろっ」
「でも、3番がよかってん。それか2番」
「ボク、もう2番、食べちゃったも〜ん」
「ああーん。1番はぜったいイヤや〜っ」

バカっ。泣くほどのことかっ。しかし、子供って、どうしてそんなどうでもいいところに、泣くほどこだわりを持てるのかがわからん。そういや、小学校の時、給食のバナナについているシールをめぐって、大げんかをしている男子生徒がいたっけなあ。しかし、バナナについてるシールは、あるとないとでちょっと違う気もしなくもないんで(いや、あれだってどう考えても皮をむいてしまえば、中身は一緒だと思うが)、あれならまだわからなくもないけどさあ。いや、大人がもってるようなこだわりも、はたから見れば、似たようなもんかもしれないけどさ。

しかし、やっぱ、フタについてるそんな小さな数字なんか、ほんま、どうでもいいと思うんだがなあ。わたしゃ全然違いがわからんぞ。そんあもん。それも、この子たちは、毎日、欲しい番号がころころ変わるのである。ほんま、こだわるならこだわる、こだわらないならこだわらない、どっちかにしてしてほしいなあ。いや、ほんと、おまえら、ええかげんにせえよ。

さて、皆さんの中で(もろん大人で)、このこだわりがわかる人、手ぇあげて。

03/16/2007

原稿は、三歩進んで四歩さがる

3月15日(木)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

あいかわらずゲロゲロげーろの忙しさ。まあ、イヤでも16日には落ち着くと思うけど。ふう。

本日締切の原稿もあるのだが、なにせ帰宅したのがすでに夕方遅く。うーん。本日中って言われてたが、本日って、深夜12時までってわけじゃないよなあ。こういうのは時間指定がない限り、たいてい編集者の帰宅時間までっていう感じなんだけど、この人何時までいるのかなあ。どうしようか。

私は、取材とかしたら、もし締切日が翌日とかじゃなくても、とにかく当日か翌日には原稿を書くのだが、この時には発注原稿文字数をあまり気にせず書く。たいていめちゃくちゃ多い。ちゃんとした原稿というより、メモ書きというか、下書きである。でも箇条書きではなく、一応ちゃんと文章にはするので、やっぱり下書きである。いくら取材のメモをとっていても、あいにく3日も過ぎれば、雰囲気なんかは忘れてしまう。取材原稿の仕事は、少ないもんだと300字くらい、多いと3000字くらいまでいろいろだが、私の場合、下書きだと発注原稿の3倍から5倍ぐらいの量が書くのが普通で、もちろんこのままでは使えない。でも、これを早めに作っとくと、とりあえず下書きにはなるので、一応、安心なのである。

で、まあ、締切が近づくと、ここから原稿を作るのだが、これはコピーライターの時のクセなのだろうか、時間さえゆるせば、どんな時でもどうしても何パターンか書かないと気が済まないのである。まあ、2〜3パターン構成とか文章とかを変えて作る。こうして締切まであれやこれやずっと直している。で、締切直前にまた、できてたヤツを捨てて、また一から書き直したり。

考えてみれば、こういうやり方をしていると、いきなりちゃんとした原稿を書ける人から見たら、非常に効率が悪いように見えるかもしれないのだけど、これはこれで仕方ないのである。私には、こういう書き方が一番ラクなのである。下書きなら、構成も何も考えずにどんどん書けるので、まず書きたいことをだいたい全部書いてから、それからゆっくりどうしようか考えるのが好きなのだ。

たとえば、こういうブログとかは全然考えずに書くから、下書きもせず、むろんだらだらしているままだけど、仕事だとこういう文章はまだ下書きである。さあ、ここから何を書こうか、という感じ。あ、ここも日記というよりは「指の体操、頭の体操」みたいに思ってるんだろって? いや、まあ、そういう面もあるけど。

そりゃ、たまに私は「下書きを書かずに頭の中で原稿を作る」ということもする。これは、頭の中に鉛筆と消しゴムがあって、書かずに一字一句を頭の中で組立てるのだ。だが、これでやるには、500字くらいが限度である。原稿用紙でいうと、ほんの1枚ちょっとが限界。案外、私はメモリが少ないのである。いや、書いていいと言われれば、書けば書くだけ、その都度次々でてくるから、ほっといたら何字でも書くには書けるんだろうが、これは最初から全部できてたわけではない。「頭」でできたというよりは、これは書いているうちに「指」から出てきたのである。

これは、事前に考えられた「スピーチ」と「おしゃべり」の違いで、スピーチというのは、慣れた人なら、だいたいのテーマと構成ぐらい決めておけばすらすら話すが、慣れてない人は事前に原稿を用意するとか、実際に声に出して練習してみないと難しい。でも、友達とのおしゃべりで原稿を用意する人はいない。まあ、そんな感じの違いである。

ところで、結局、夜、一人で原稿を書いていたら、編集の人からメールが来て、できてるなら早く送れ、できてないなら明日中に、と言う。ってことは、なにやら明日でもいいってことか。みたいなことが書いてあるのである。おっ、ラッキー。いつもは締切厳守の私だが、どうにもこうにも年度末。さすがにどうにもならん。もちろんいつものように下書きはあるんだが、ここからが時間がかかる。昨日もちょっとやったのだが、2パターンつくったけど、結局、捨ててしまったよう。ダメだ。材料があっても、頭が働かん。今日中って、ちゃんと時間指定までしなかったからそっちが悪いのだ。

などと思って、「すみませんすみません。では明日」とメール。なんつーか、すでに捨てた原稿も含めて、何千字も書いとるというのに。もうちょっと効率のいい書き方はできないものかしらん。まあ、無理かもしれないが。それにしても、こんなことをしてたら、いくら時間があってもキリがないだろ、って? そうです。ヒマならヒマで手間かけてしまう。そう。わかっただろ。だからいつも忙しいのだよ、明智くん。ぐえ。


03/15/2007

小説講座の事務所は、3年目の春

3月14日(水)
午前中、小説講座の事務所。午後から外出。某専門学校の講師会議へ。夕方にもどって、再び小説講座の事務所。9時半、閉館ぎりぎりまで残業。

昨日、3月分の締切日だった専攻科。今回あんまり作品数が少ないもんだから、書き直し修正待ちの長編2編などを残して、あとは全部、昨日だけで印刷がすっかり終わってしまったよん。
(書き直し? いや、長編ならたいてい目を通してチェックするのだが、それはほとんどないし、今回は全部ほぼノーチェックで印刷まわしである)
うーむ。だって、短編ばっかなんだもんなあ。今月、私自身はめちゃくちゃ忙しいのだが、これでは、おもに印刷の手伝いに来ている丁稚ドン、見習丁稚さん(それぞれ週1日4時間だけ、印刷手伝いに来てるのだ)が、これから5月の締切までこの2ヶ月間、何をするのだ。
2人ともヒマに!? マジ? 
いつも2ヶ月かけて印刷してるのに、たったの1日かよっ(これで、どれくらい少ないかご理解いただけるであろう)そりゃ、私の仕事を手伝ってもらえればいいのだが、こっちは申請書類や決算書類、教材作成など、そうそう簡単に手伝ってもらえるもんでもなかったりするのだ。

これで、5月にどーんと長編が大量に来ても困るしねえ。そうだなあ。これから先、5月分は早期受付体制で、とくに長編指導は早いもん勝ちにする? どう?

ところで、13日に提出した書類。事務所ブースの継続使用申請の書類なのだが、それで担当者(大家サン)や他のブースの人たちとちょっと雑談など。うちの事務所は、大阪NPOセンターのインキュベーションスペースを使っているのだが、ここは単なるレンタルブースではなく、書類審査や面接による選考があって入居しているブースなのである。で、今年から申請書類に変更があったのだ。

ちなみに、ここに入居したのは、2005年1月。それまでは、大阪シナリオ学校内に事務局があったので。考えてみれば、かれこれ丸2年たつ。小説講座自体は10年ほど前からになるのだけど、運営が独立して、まだたったの2年半なのである。いや、もう2年半、というべきか。

で、今、ちょうど大阪場所。この時期、事務所の裏に「大島部屋」の土俵ができるのだが、これを見るのももう3回目なのであった。そろそろ春やなあ。

03/14/2007

専攻科の3月締切だったのだが

3月13日(火)
午後から小説講座の事務所。

本日は、専攻科の3月分の作品締切日。思ったより作品提出数が少ない。てか、めちゃくちゃ少ないぞこれは。どうしたの、みんな。あんまり少ないので、丁稚どんと二人でちょっと拍子抜け。さては、こりゃ、みんなが5月に長編作品をドバドバーッと提出する気でいるのではないだろうな。くわばらくらばら。ま、4月は作品指導回数が少ないので、別にいいんだけどさあ。なんかやっぱ拍子抜け。

03/13/2007

幸せ一杯、愛は勝つ

3月12日(月)
朝から小説講座の事務所。昼過ぎから、野田阪神でランチなど。

月曜は公休日なのだが、仕事がせっぱつまっているので、もちろん出勤。13日に提出しなくてはいけない事務所の使用継続申請書などをせっせと作成。1時過ぎに,もうすぐ結婚式を迎える人から電話。私がちょっとお手伝いをしているので、打合せする約束をしていたため。午前中、2人で披露宴の打ち合わせらしいので、そっちが終わってから、一緒に3人でランチをすることにしていたのだった。

私の周囲では、この数ヶ月、友人知人の結婚式が、まるでブームみたいに立て続け。なぜかこの十年近く、とんと減っていたのに、ホントめずらしいことである。いやはや、ホント、おめでたい。それにしても、20代ではなく、今ドキは新郎新婦が30代40代というのがトレンド。やっぱり晩婚ブームなのかしらね。

さて、このブログであんまり細かく話して、アレだと困るかもしれないのだが(ほとんどアクセス数はない地味なブログだが、知り合いが読んでいる可能性はあり)、これはなかなか微笑ましく、おもいっきり面白かったランチだったのだ。

さて、花婿側が知り合いなので、花嫁さんにお会いするのは初めて。あれこれ話には聞いていたのだが、すっきりとした上品な感じの美人である。かなり年下らしいけど、物怖じしないさっぱりした感じの女性。聞けば海外生活が長かったそうでちょっと納得。しかし、なんとなく意外な感じも。

花婿とはいわゆる仕事関係なので、けっこう長いつきあいになるのだろうけど、前までは家が近かったせいで、一時期はよく会っていた時期もあったので、ある意味、すっかり古い友人みたいな感覚なんだが、なにせ男性としては、ある種のいわゆる「仕事人間」の部類に入るタイプである。仕事のほか、とくに遊びやスポーツとかをアレコレするわけでもなく、ギャンブルにも興味はないし、むろん女遊びなんてまったく聞いたことがない。考えてみれば、真面目で誠実なタイプ。趣味といっても、映画や演劇などに関心あるくらいで、これも仕事を考えれば当然という感じ。ま、とにかく仕事が趣味というか、趣味が仕事というか。

さらに、こういっちゃなんだけど「仕事はできるが、家の中ではからきしダメ」なタイプである。男性では、それほど珍しいタイプではないんだろうけど、今も一人暮らしで、ほとんど連日すべて外食なはずだし。仕事ぶりはすごくクオリティの高いので知られているのだけど、準備も時間もかけて、けっこう根をつめて仕事をするタイプだ。とくに忙しい時期は仕事にものすごく集中するタイプである。

そんな男性なので、結婚するのなら、やっぱり内助の功というか、ちゃんと仕事を理解して、しっかり家庭を守ってくれそうな女性を選ぶのだろうなと、何となくてっきり思いこんでいたのだった。だから、まさか、結婚しても仕事をバリバリやって、相手の仕事にはあまり関わらないというタイプの女性を選ぶとは正直思わなかった。だから、ちょっと意外。てか、かなり意外。いや、あらかじめ聞いてはいたのだけど、あらためてちょっと驚き。ふーん、なるほど。やっぱり最後に愛が勝つのね。

けど、おそらく今だって、生活リズムもたぶん無茶苦茶だろうしなあ。で、
「合わせるの、けっこう大変でしょう。家事もそれほど得意な方じゃないだろうから、いろいろ手間もかかるかも」
と、つい笑って話したら、
「あら。お料理も、お掃除も、家事は一緒にしてくれることになってるんですよ。ねっ」
と、にっこり笑って、婚約者の手をしっかりと握る可愛い花嫁さん。きゃ〜、お熱いお熱い。

でも、えっ。それって、マジっすか。家事も何もかも仲よく全部一緒に? いや、私の知る限り、仕事以外ではけっして器用だとは思えない男なのに。そりゃ奥さんの仕事を理解して、むしろ支えてあげるとなれば、家事くらい当然かもしれないけど。いや、けど、それにしても人間も変われば変わるものだ、と、内心かなり驚いて、ちらりと顔色を見たら、顔を赤らめながら、ちと引きつった顔。思わず、つい笑ってしまう。おいおい、それは私じゃなくてもどのみち他のメンツにツッコまれるわよ。

ま、年齢的にも、これまでの生活ぶりからしても、はたして家事をホントにちゃんと無難にこなすかどうかは正直ちょっぴり疑問だけど(なんか息子に嫁を迎える母親の気分みたいなんだけど)、でも花嫁さんは教えこむのもうまいかもしれないし、やる気さえあれば誰でもやれるはずだし。いずれにしても、仕事をもつ女性としては、こんな理想的なダンナ様はいないわけで、これはかなり見直してしまう。本人の仕事もちょうど大変な時期みたいなのに。あ、そうか。それでこの前、例の映画監督の話が出たのか。ホントに愛は強し、だわ。

そんな2人のノロケぶりで、とっても微笑ましい風景。いや、実に面白いランチタイム。ああ、新婚っていいわねえ。式は来週かあ。楽しみ楽しみ。

ただ、個人的には、家事を夫婦でなかよく分担するといっても、何もかもすべて「一緒にやる」というのは、現実的には少々難しいような気はするんだけどなー。いや、ホント、そんなん余計な心配だけど。とくにこの職業は忙しい人はやっぱ忙しいからなあ。よほど新婚のうちはいいけど、何十年も、となると、けっこう大変である。うちも、家事はわりと夫婦分担している方なんだろうけど、実際には、掃除は夫、料理はおもに妻などと、担当をきっぱり細かく分けており、たぶん分担というよりは、分業スタイルである。

というのは、たとえば両方が料理をするなると、たまに冷蔵庫にあるものを完全に把握しきれなくなって、たとえばどっちの賞味期限が先かとか、どの野菜を使うかとか、お互いの献立プランとかまで、それなりに把握してないといけないのだが、ずっと一緒にいて、三食ともほとんど一緒に、というご夫婦なら別に問題ないのだが、お互いの仕事が忙しくて、なかなかスケジュールが合わない場合は、どうやっても生活のリズムにすれ違いが起こる。話をする時間が一日のうちで限られていれば、そうなると、細かい日常報告なんかはつい抜けてしまうし、
「あら、マヨネーズ。せっかく買い置きしてあるのに、食品棚もチェックしないで、わざわざ安売りでもない時に、高いのを買ってきたのね。これって切れたんなら、どうせなら、こっちから使って欲しかったのに」
などという、実にせこい、ちまちました、ほんの些細なことで、どうでもいいと言えばいいことなのだが、しかしこれが毎日の生活となればそれなりに重要な、日々の食い違いがしばしば起こるのである。いや、そういうもんよ。え、違う? そんなん我が家だけ?

でも、たぶん「夫婦の日常」というのは、案外そういう些細なことの積み重ねが大事だったりするのである。ま、そりゃ、ラブラブな新婚時代ならば、いつも一緒、買い物もいつも一緒に行くから大丈夫〜、というのもあるかもしれないが、実際、それを続けるには、お互いそれなりに時間的な余裕がいるので、どちらも仕事が忙しくて、時間的にややすれちがい気味な夫婦だと、あまり現実的ではないような気も。いや、これで子供なんぞ生まれれば、もっと大変だし。

で、結局、それを調整するために、料理ならどっちかがおもにやるスタイルで落ち着いたりするのである。つまり、日常的には、どっちかがメインで、どっちかが「たまにはやるからね」みたいなフォローになるスタイル。周囲の友人夫婦でも、料理がうまいダンナ様もいっぱいいるが、日頃はもっぱら妻、というパタ−ンがほとんどである。ま、両方とも器用で、それなりに要領がよければ全然問題はないんだろうけど。あと、むろんお互いの仕事の忙しさの差にもよるしね。で、うちはそういう分業スタイル(ま、結局、なんだかんだで、オンナの私の方が家事の分担量は多くなっちゃうのだが)

でも、とにかくいろんな夫婦がいるし、みんな何とか楽しくやってるわけで、微笑ましく乗り切っていけるはず。ま、楽しい新婚生活。どうせ両方が働いている場合は、収入的にはかなり余裕がある家も多いはずだから、それこそ家事なんか、外食やら、家政婦さんやら、色々うまく利用すれば、あっさり解決する問題だし。

しかし、これは当分の間、変貌ぶりが楽しみかも〜(完全におもしろがってる私)

でも、もちろん仕事もがんばってね。どこかの映画監督みたいに、いくら傑作でも11年ぶりというのはファンには寂しいもんだし。いや、そりゃ幸せならいいんだろうけど。でも、やっぱ、仕事のできる人なんで。

ホント、2人ならきっと素敵なご夫婦に。いや、ま、やっぱ、愛は勝つのよ。

03/12/2007

小説とは関係のない休日(スケジュールは余裕をもちましょう)

3月11日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

本日中に投函しなくては間に合わないリポート3本のうち、2本はすでに完成して発送もしているのだが、1本は未完成。ここに来て、まだ資料が足りずに午前中、図書館へ行く。日頃、小説講座の生徒さんには、
「締切には、なるべく余裕を見て、早めに投函しましょうね」
などと言っているくせに、自分のこととなったら、やはりギリギリになるんだよねえ。わかるわかるわかる。いや、わかってててもダメだってば。

なんとか2時に完成。自宅近くのポストの集荷時間は、休日は1時半。過ぎてしまったので、見直しなどをして、4時過ぎに2キロ離れた郵便局まで、自転車で出しに行く。一応、速達。だから、もう少し早めに完成しろってば。

03/11/2007

あせらず、続けてほしいのに

3月10日(土)
朝から小説講座の事務所。夕方は、エンターテインメントノベル講座。講師は、田中哲弥先生。

昼から、事務所で作品を見て欲しいという生徒さんが来館予定だったので、待っていたが結局来ず。連絡もなし。例の件で、ちょっと不安を覚える面もあったので、こっちから連絡をとろうかどうか、ちょっと悩む。生徒さんの中には、文章がなかなか上達しないと、やたら書けないと悩んだり、落ち込んだりするタイプの人がいて、そういう人が自分を追い込んだりすると、ついに「完全に筆を断つ」みたいな状況になることがまれにある。どうしたものかなあ。

実際、文章は、自分が思ったほど目に見えては急速に上達するものではない。が、他人から見たら、数ヶ月もたてば、けっこううまくなっているものなのだが、具体的な数字となって見えるわけでもなく、どうしても本人には実感できず。あるいは、完全主義とは言わないものの、自分ではもっと上達しなくては納得できないというか、向上心が不必要なめちゃくちゃ強すぎるみたいな人は、その気負いだけで、たまに自分をつぶすことがある。たいていマジメで思い込みが強いタイプの人なので、他人の評価に対してもけっこうデリケートである。あんまりデリケートすぎると、プロまで精神的にもたない気もするけど、まだ初心者なので、いくらなんでも今の段階で、書けなくなるのはもったいないんだがなあ。野球でもサッカーでも、あるいは楽器や料理でも、どんなもんでも一気にうまくなるというのは、どうしても無理なのだが、どういうわけか文章だけは、
「頭の中では、けっこうすごい話ができてるんです」
と、頭の中ではできていたりするらしいので、それが「書けない」ことが納得いかないものらしいのだ。しかし、頭の中でできている、というのと、実際に、文章に書くというのは、一見似ているようで全然違うものなのである。そんなもの、テレビで見ていただけなら、「それくらい打てそうな球」としても、実際にプロの野球選手の投球を打てるかというと、それはそれで別の要素が必要なわけで、文章だって、同じなのである。とくに小説は、非常に微妙な文字表現の技術も必要だったりする。正直、「てにをは」が違うとか、単に情報伝達ができればいいわけではなくて、日本語表現だけで、テンポとか、雰囲気とか、感性とかを表現しなくてはいけないわけで、ま、微妙な技術もけっこう使うわけである。エンターテインメント系の小説に関しては、文章技術の部分が非常に多いと思うのだが、まあ、書けばどんどんうまくなることも確かである。

しかし、実際にそれなりに経験のあるプロの作家でさえ、「思ったようにいかない」という話をよく聞くわけで、文章経験の乏しいシロウトが「やれると思ったけど、実際にやってみたらできない」のはあたりまえ。むしろ珍しくないのだが、それはそれで、それくらい技術をつけるというのは、ある程度、練習をつめばそれなりには上達するので、練習もしないうちから、できない、才能がない、とかというのは、ちょっと妙なのである。

そんなもの、今は書けなくてもそのうち書ける。うまく書けなくても、一生懸命書けば、案外、人間というのは「行間」なども読み取ったりもしてくれるものなので、伝えたい、という気持ちがあれば、文章なんて怖れることはない。できなければ、やれるように工夫すればいいだけである。ちょっとしんどいちょっとうまくいかないくらいで、辞めてしまうのはもったいないのだぞ。あせらなくても、面白いものを書こう書きたいと思って書き続けたら、必ずいつかは書けるようになるもんなんだぞ。そりゃ、たった1年くらいじゃ、なかなかうまくいかないかもしれないけど(まったくの初心者なのだったら、どうしても3年くらいあっというまだったりするけど)、少しずつでも上達はしていく。

そう思うのだが、けっこう多くの生徒があせって悩みを抱える。そしてあきらめて行く。ま、気持ちはわかるんだけどね。

小説講座の10期は、そろそろ開講5ヶ月目に突入。来週が前期課題の指導だが、そろそろ脱落する人も出てきたのか、あとは病欠なども含めて、本日の出席者は半数ほど。入学すれば誰でも小説が書ける、というのはなくて、どうしても作品は家で書いてもらわなくてはいけないし、たとえ一人で家で書くのは無理でも、とにかく出席だけでもしてもらえれば教室実習もあるのだが、社会人で、月に3回ほどの土曜日を続けるのはけっこう大変なのよね。ま、出席できる時にぼちぼち続けてくれればいいけど。

それにしても、去年は、皆勤の出席者が多くて、前期課題も全員提出だったので、脱落率も高くなかったのだが、今年は前期課題を出してない人がけっこういるし、欠席率も高い。なぜか出席率は、かっちり一年おきに交互によくなったり悪くなったりするなあ。不思議。

田中哲弥先生の講義は、ユーモア小説の書き方。終わってから、飲み会に来たのもほんの数人で、専攻科のクラスの講義もいなかったので、いつもよりも静かな中華屋さんで、私も先生と久しぶりにゆっくりと話ができたのだった。

03/10/2007

15日までちょいと忙しい

3月9日(金)
朝から小説講座の事務所。

明後日までに提出しなくちゃいけないリポート3本、13日までに提出しなくちゃいけない事務所の継続使用申請書類、それに15日提出の取材原稿もあり。そんなこんなで、個人の確定申告にも手が付けられずという状態で、どうやったってノンキにもしてられないのだが、そのうえ専門学校の後期成績提出が明日10日までなのだった。もう無茶苦茶な状態である。むろんなるべく前もっていくらか準備はしているのだが、せっぱつまっていることは確かで、専門学校も1年生だけだが、百数十人分も受け持っていて、毎回レポートを提出してもらっているわけだから、点数計算だけでけっこう大変な量。15日までに全部やれるのかしら来週の火曜には、専攻科の作品締切もあるしなあ。ぐえ。

てなわけで、はい、15日頃までけっこうせっぱつまってます。

03/09/2007

年賀状で、うるさい家族

3月8日(木)
午後から小説講座の事務所。

お手伝いスタッフに印刷などしてもらう(コードネーム丁稚見習さん)。講師の先生から電話問い合わせなど。夕方まで事務作業。

棚のスミに放置されていた夫あての年賀状。うちは、夫婦でまったく別の年賀状を出すので、年賀状の管理も親戚や共通の友人以外のものは個人管理である。日常の雑貨や書類の整理に関してはマメな彼なのだが、「年賀状の当選番号チェック」が面倒なので、1月から置きっぱなしになっていたらしい。当選チェックをしないまま、忘れてしまい込んでしまうのもイヤなのだろう。

しかし、当選番号表は、私が郵便局でもらったものがあるし、「そんなもの、子供たちにやってもらえばいいじゃないの、喜んでやるわよ」などと言ったら、
「そういやそうだった、ここに置いたのをすっかり忘れていた、でもオレは自慢じゃないがクジ運はおそろしく悪いからなあ。去年は、切手シート一枚も当たらなかったからなあ。確率から考えたら、数枚は当たるはずなんだけど。今年は1枚くらいあるんかなあ、でも、そのままにしとくのもなあ」
などと言いながら、小3の双子の娘たちを呼ぶ。
「年賀状の当たり探しする?」
「うん。やるやる」
「この番号があったら、当たりやねんで」
「うん、わかった」
「ええっと、まず……」
「ああ、そんな1等の最初から見てもダメやねん。いちいち見てたら面倒やろ。どうせ下2桁があわなあかんから、下2桁だけ見ればいいねん」
「しも2けたって?」
「うしろから二つの数字」
「ああ、そうなん。あ、これ当たってるで、88」
「これは違うねん。3等やったら、その2桁だけでええねんんけど、1等やったら、その数字全部が当たらなアカンから、まず下2桁を見て、それから後の数字を見る」
「あ、そうかあ。それは違うわ。パパ、惜しいねえ」
「いや、全然ちがうやん。別に惜しくないで」
「あ、これも90。残念やなあパパ。あかんなあ」
「いや、1等は難しいねん、6桁全部合わないとあかんねんから。100万枚にたった2枚の確率やで。そんなん、この枚数からゆうて、絶対ムリや。ま、3等を探してよ」
「それもないなあ。あかんな、パパは」
「あのな、これはパパがもらった年賀状で、パパがどうこうしたわけじゃないの。だから、こっちに責任があるわけじゃないねんぞ」
「ほら、これも。全然ないなあ、ダメやでパパ」
「ほんま、全然あかんなあ、パパは」
「おまえら、さっきからあかんあかんて、パパは何も悪くないねんぞ」
「これもダメ、これもダメ。ああ、全然あかんでパパ」
「なんか、ちょっと不愉快になってきた。おまえら、もうええわ。自分で見るわ」
「あー、これもダメ。ほんまダメやな」
「ええからもう返せ」
「ええってええって全部みたげるって」
「これもダメこれもダメ」
「もうええ。自分でやる。残りの分、返せってば」
「あ、これ合ってる!」
「だから、1等とか、2等とかは、それだけじゃあかんねん。もうええ、返せ」
「でも、合ってるねん」
「だから、もうええって」
と、家族が何やらわいわい騒いでいたので、
「何、アホなことで、モメてるの」
と、私がひょいと娘の手元をのぞいてみたら、
「あら、ほんまやわ。ちゃんと当たってるわ。2等」
というわけで、めでたく4桁とも合っていたのであった。2等当選(ちなみに、当選はこれ一枚。切手シートもなし)
「パパ、よかったやん」
「おお、これはオレの生涯、最大最高の当たりや」
「年賀状くらいでそこまでゆうと、なんかしょぼい気もするねんけど」
「でも、2等やぞ。毎年、切手シートも当たらないオレが。あまりにもクジ運が悪くて、宝くじも買う気もしないオレが」
「ああ、そう。ま、よかったんじゃないの。それより『地域の特産品小包』って何かなあ。きっと食べ物よね」
「オレのおかげやぞ」
「でもパパ、さっき、オレのせいじゃないってゆうとったやん」
「当たったのは、オレのおかげなの。だってオレあての年賀状やねんから」
「でも、見つけたのは私らや!」
「でも、オレに権利があるの」
「見つけたんは、私やのに!」
「ほら、パパも、どっちでもええやん。どうせ食べ物やねんから、みんなで食べよ」
「え、なんか食べるもんなん? 何、何?」
「あ、兄ちゃんは、何もやってないやろ。私らが見つけたんやで」
「食べ物やってゆうただけで、聞きつけてきたな」

……などと、実に微笑ましい(いじきたない)家族の光景が先週あったのだが、ついに今日その当選商品「和牛ヒレステーキ」(カタログから選ぶのである。何を選ぶのか決めるのも大変で、これも延々と家族会議が続いていた)が届いたのだった。
「わーい、ステーキステーキ。ステーキだ」
「私らが当たったんやで」
「だから、オレのやって」
「違うの、私らが見つけたの!」
「もう、どっちでもええやん。みんなで食べたらええねんから。ほら、5枚あるやん」
「あ、そうか。でもオレ、もしかしてこれで、生涯のくじ運、全部使い果たしてもたんと違うかな、うわ、どうしよう」
なんつーか。ステーキくらいで、大騒ぎの我が家。真剣に心配してる夫。そりゃあ、滅多に和牛ステーキ肉なんか買わないけどねえ。

まったく「庶民」とは、実にせちがらいものなのであった。

03/08/2007

ケータイ小説デビューのゆくえ

3月7日(水)
取材等のため、終日、外出。小説講座の事務所には入れず。

昨日、事務所に「ケータイサイト」の営業マンが来て、ケータイスクール情報の広告について、あれこれ話を聞く。こちらの会社のサイトには、ケータイ小説のサイトがあり、すごい数のユーザーがいるそうで、そこに「小説講座」の広告を出せばいいのではないかと言う。
「大阪の文学系の某学校さんも、今月から広告を出されますよ」
などと巧みな営業。そこは、大阪の老舗学校である。
「そりゃ、あそこの学校は、生徒数も多いし、広告費もあるだろうけど。それに聞いたとところによると、今は年配の生徒さんが多いようだから、若返りを図って、ケータイ小説に興味をもつのはいいことだと思うんだけどねえ」
「これからはケータイ小説の時代ですよ」
と、軽快なトークで、べらべらと話す若い営業マン。
「そうかもしれないけども、うちは小説講座の方は、一応、プロ作家志望向けの講座だからなあ。あっちの学校は、どっちかというと、なにがなんでもプロ、という感じではない人が多いから広告も有効なんだろうけど、うちは、プロ向けの少数制のクラスがメインだし、ちょっと書いてみようって感じの人向けなんではないからなあ」
としぶる私。

そりゃ、けっして広告費がべらぼうに高いわけでもないのだが、現実問題として、何万人もの人々がケータイ小説を書いているとしても、その人たちが即、プロ作家志望かというと、そういうわけでもないわけで、そこのところが気になるところである。さらにもしプロ志望だったとしても、そこでどれだけ本気かどうかもよくわからない。さらに、うちの生徒さんとなるかどうかとなると、どうしたって、
「お金を払って、小説講座に通学してでも、なれるものならぜひプロになりたい」
という人になるわけで、なにせ運営がきついくらいだから、学費も高いつもりではないけど、年間学費となると、それなりだし、プロ養成というコンセプトだから、がっぽり大量の生徒さんを集めて、というのも難しいわけで、むしろ本気でやる気のあるプロ志望の人がしっかり来てくれた方がいいわけで、それにしても、ケータイ小説はどうかなあ。ちょっとわからないなあ。

うちも、小説講座をやっていたりする関係で、
「インターネットで小説を発表しています。で、書くのが好きだし、プロ作家になりたいんですが」
という人からメールや電話で問い合わせをもらったりすることは、わりとあるのだけど(そういや、ケータイ小説の人からの問い合わせはないな。あ、うちがサイトがないせいか)、そういう人の相談に乗ったりするのは、別にいくらでもいいのだけど(でも、できればヒマな時にしてほしいが)、それで入学してくるような人のはまずいないわけで、ちょっと違う感じがするのである。

どう違うかというと、話を聞いていると、まずインターネットで小説を書いている人の多くは、書くのは好きだが、本はあまり読まないタイプの人が非常に多く、たとえあったとしても
「たまには読みますよ。図書館やネットとかで」
と言ったりして、なぜか「自分で本を買わない」タイプの人が多い気がするのである。ま、うちの講座に入学する生徒さんの多くは、相当な本好きの人ばかりなので、ちょっと目立つだけかもしれないが、「自分では本にはまったく金を使ったことがない」タイプの人が、「わざわざ金を払って読んでもらう商業出版」が何かわかっているのかどうか、という点で、少々疑問を持ってしまうことがしばしばある。作家でプロになるということは、売れる本を書く、というのに等しいので。

正直、自分ではほとんど本を買ったことがない人に、本を買って読む人の気持ちにぴったりくるような作品を書けるのかなあ、と疑問がある、だから、たいてい
「ネットでけっこう人気があるのなら、ぜひ続けていただいたらいいのではないでしょうか。うちに入学するには学費も要りますから」
みたいな話になってしまうんだよねえ。むりに紙媒体で商業デビューをめざす必要もないと思うんだがなあ。これからは、きっとケータイ小説も金がとれる時代になるんだろうけどなあ。

ただ、とりあえずネット小説も、ビジネスとして大収益をおさめたという例はそれほど多くないわけで(ネットで読める情報というのは、ほとんどが「無料」というのがよかったりするわけだから)、ネット小説で大成功、というのも、基本的に「出版」という形を経てたりするし、それも「話題」になるくらいだから、総数から言えばかなり稀少なのである。

それに現在、うちの講師の先生たちも、プロ作家とは言っても、ほとんどが紙ベースでの出版ビジネスで仕事されているので、そこのところのノウハウはあっても、基本的に「これからのケータイ小説」のノウハウはないわけだし。まあ、ケータイサイトのソフトとして、小説を提供している講師もいるようだけど、基本的に「これからのケータイ小説」って、これまでの文章表現とちょっと違う何かがあるような気もするしなあ。教えてもらうというよりは、自分で切り開く方がいいかも。

私自身は、人間というのは、誰でもたぶん自己表現の本能みたいなものがあって、絵だって、小説だって、別にプロじゃなくても書く権利もあると思うし、同人誌も、ネット小説も「楽しくやろう、人生を楽しもう」という主義なので、小説講座でもそういう「プロ絶対主義」ではないと思うのだが、一方で「本気でプロ作家になりたい」という人にはなってほしいし、そういう人が好きである。しかし、プロというからには、なんつーか、「せっかく買ってもらったからには、絶対に読ませて楽しませてやるぞ」というか、まあ、プロ意識というのではないが、読者に対する責任感というか、サービス精神というか、そういう意識が欲しいもんなあという気はするのだった。

それにしても、ケータイ小説がビックビジネスになるのかどうか。すでにケータイ小説デビューの作家もいるし、そりゃ大ヒットの作品も今後あれこれあるだろうけど、はたして継続的なビジネスとしては将来どうなんかなあ。そりゃ私としては、何にしても「書くことで食える仕事」が増えることは嬉しいのだが、可能性はネット小説よりもあるのかなあ。さてはて。

なににしても、新人作家は次々出てくるわ、あっちの出版社でどうの、こっちでどうの、さらにライトノベル業界の激変などただでさえ出版業界の話だけでついて行くのがやっとなので、ケータイ小説のことにはまだまだなかなか頭がついてこないのであった。わたしゃ古い活字人間じゃわい。

03/07/2007

中学生と中年、弁当と私

3月6日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

丁稚どんは、美少年同伴出勤。専攻科の作品締切が来週なので、今週はのんびりモード。来週までの「平和な時間」(笑)。専攻科の作品締切後は、山積みの作品にしばらく印刷の嵐だから。夕方まで、あれこれ事務作業。

ところで、昨年から、長男が中学校に進学したので、毎日、弁当を作るようになった。そこで、1つ作るのも2つ作るのも同じだろうと思い、「ついで」と言っちゃなんだけど、ついでに夫のも毎日作っている。

ところがこの1年近く、毎朝つくってみると、これはこれで、けっこう面倒くさい。中学生の息子の弁当となると、けっこう気楽に作れるのだが、夫のもとなると、メニューの問題もあって少々面倒である。実際、中学生の男の子というのは、わりとラクである。ちょっとミンチでもこねて、手作りハンバーグでもドーンと入れて、野菜はそれなりに入れておけば満足、みたいなもんがあって、質より量とまではいかないが、品数は少なくても、それなりに食べごたえがあればいいという、わりとわかりやすいメニューでいいのだ。

けど、同じ男性でも夫はそろそろ40代になってしまったので、毎日毎日のことだから、どーんどーんというメニューでは、身体によくない。量よりも質というか、肉というより、どっちかというと魚、とか。品数も多少は増やさないと困るし、年齢を考えればそろそろ成人病も気にした方がいいし、できれば体にいいものを、ということで(夫は、ダンサーもやっているので、食生活や健康管理にはそれなりにうるさい)、正直、「1つ作るのも2つ作るのも同じ」という軽い感じではなかったのだった。

さらに、夫の方が30分も早く外出する、という事情があり、息子よりも先に弁当をつくってしまわないといけない、というのもあって、なんだか余計に面倒な気がする。けど、いったんはじめてみると、「やっぱ、あんたのは無しね」みたいなことはとても言えなかったり、なかなか微妙である。ちょっと後悔。

いや、結婚して15年、これまで学校講師で働いている夫に弁当を作った機会は、正直あまりなかったので(高校なので、たいてい「学食」があって、300円くらいで適当に食べられるのだ)、まったく気がつかなかったのだが、実際のところ、彼には「弁当」はたいへん快適らしいのである。仕事中は忙しいので、学食へわざわざ行って、さしてうまくもないし、あまり栄養的にもバランスがいいわけでもないもの(学食なので、基本的には、若者向けメニュー)を食べるよりは、弁当を持参した方がラクだしうまいし、いいことばかりらしい。よっぽど嬉しいようで、毎日夜にはちゃんと空っぽの弁当箱を持って帰ってくる。このところ寒かったので、インスタントのみそ汁を入れておいたりして、ストーブの前で弁当を食べるのがことのほか嬉しいようで、これでは私もなかなか理由をつけて「辞めちゃう」わけにもいかず。

しかし、いったん「楽しい愛妻(?)弁当」習慣がすっかり身についてしまってウキウキな夫を見ると、やはり私はいわゆる主婦の模範的な主婦業をさぼってきたものだなあとふと思ったり。なるほど結婚以来、自分を「いい奥さん」と思ったことは一度もないし、これからもなれそうもないのだが、彼もけっこう大変なのだなあ、とちょっと同情したり。男女平等社会で、女性の社会進出も進んでいるが、一方で、専業主婦の奥さんにしっかり支えられている男どももいるわけで、それが同じところで、同じレベルで一緒に働くのは、きっと大変なんだろうなあ。自分の表現活動も忙しいのに、妻が働いているとそれなりに家事も引受けないといけないわけだが、考えようによっては、激しい競争がある社会なんかだと、それなりの「ハンディキャップ」かもしれないわけである。

私は、仕事で週2日くらい帰宅が夜遅くなるので、その間の家事は彼が全部しているわけである。とくに土曜日なんかは、専門学校の非常勤も、小説講座の事務もあるので、朝8時から外出してしまうし、夜帰宅するのはたいてい午前様だったりするのである。つまり毎週2日は、3人の子供たちの昼食やら夕食、お風呂などなど、全部やってたりしなくちゃいけないわけで、自分の時間なんかほとんどとれないらしいのである。

まあ、それもあるので、それ以外の日はなるべく食事やら洗濯やら、家事はできるだけ全部私が引受けるようにしているのだけど(そうでないと、彼に自分の時間がなくなる)、それでもけっこう大変である。

そんなこんなをつらつら考えてみると、いくら面倒といっても、弁当ぐらいなら愛をこめて作ってあげてもせいぜい20〜30分だしなあ。慣れないとなあ。でも、もうすぐ1年になるのに、まだ慣れないなあ。それにしても、小3の下の娘たちが高校を卒業するのは、あと十年先である。ああ、この先、私は十年も弁当を作り続けるのかなあ。なんだか途方もないなあ。いや、それまでみんな元気で楽しい弁当生活ができるのが一番なんだけど。

以前、夫の定年まで40年近く弁当を作り続けたというバリバリの主婦の人に話を聞いたことがあるけど、ああ、尊敬するなあ。主婦ってえらいよなあ。ちゃんと暮らす、ってのは、けっこう大変なんだよなあ。

03/06/2007

小説とは関係のない休日(市立中央図書館)

3月5日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

専門学校の講義は、春休み。午後から「大阪市立中央図書館」へ行く。地下鉄「西長堀」から、駅直結。雨でも傘をささずに行けるので便利。市立の他の地域図書館や「大阪府立中央図書館」は、月曜がお休みなのだけど、ここは定休日が金曜で、月曜は開館なのが便利。鶴見区の図書館でも、予約すれば、あれば3日もしないうちに本を取り寄せできるので、わざわざ来る必要はないのだけど、郷土関係の資料が山ほど開架であったりして便利なので、何かと利用する。ここはちょっと面白い資料があるので、生徒さんの中でもけっこう知られている。

ただ、市立中央図書館の不便なところは、ケータイが使えるところが少ないこと。私は、けっこう数時間図書館にいることも多いので、その間、電源を切っておかないといけないから、ちょっと不便。府立なら「空中庭園」もあるので、バイブにしとけば、いそいで出ることもできるので通話可能なんだけど。

最近、時代モノを書いている生徒さんが数人いるのだけど、大阪を舞台にした作品もあったりする。ま、作品の予定がなくても、ネタが拾えるところでもあるみたいだから、まだ一度も来てない人は、ぜひ。ま、ネタに困ったら、こちらの郷土コーナーへ。

03/05/2007

今、話題の金属ドロ!?

3月4日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

昨日の朝、新聞をとりに行くと、玄関先に夫の自転車(黒いマウンティンバイク)がない。彼は、駅前の駐輪場に置きっぱなしにすることも滅多にないので、変だなと思いながら、すっかり忘れていたのだが、家を出てから電話があり、「俺の自転車、知らん?」と言う。どうやら夜のうちに盗まれたらしい。一応、門もあるのだが、ちゃんと閉めてなかったし、鍵もかけてなかったので、そっと盗っていったらしいのである。気に入った自転車なので、くやしいのはくやしいらしいが、相当なボロなので、むしろ
「そのままどこかに捨てられているのではないか」
というのが心配らしい。
「かわいそうなオレの自転車」と悲しそうだが、たしかに元はそれなりにいい自転車かもしれないが、中古自転車のパーツを組み立てたという妙な自転車だから、あれを盗っていくとは思わなかった。考えてみれば、今は、隣にあった家(幽霊屋敷だったところ)が解体されていて、空き地になっており、ちょっと殺風景。犯罪者には好都合なのかも。

さて、そして、今朝なのだが。

夫と子供たちは、すぐ近くの夫の実家に行き、昨夜そのまま一緒に泊まって、今朝、早く帰宅したのだが、ワイワイと帰ってきたかと思ったら、
「うわああ」
「わ、風景が変わってる!」
という声がする。玄関から出ると、子供たちが
「ほら、ママ。今度は、お花の柵がない!」
と、叫びながら、ゲラゲラ笑っている。言われてみれば、庭先で、パンジーの鉢をひっかけていたアルミの柵がなくなっている。もとはアルミ製の大きな窓の柵なのだが、不要になったので、横おきにして、パンジーの鉢をいくつもひっかけるのに使っていたのであった。
「しかし、あんなもん、盗っていくかなあ。あれも、すごいボロやのに」
「でも、昨日、自転車泥棒にあったばかりやで」
「あんなもん盗っていくとは思わんかったなあ。けっこう大きいで。2メートルくらいあったから」
「トラックとかないと無理やで。ぜったいアレやで。ほら、流行ってる、金属ドロ」
「うーん。どうせボロやから、きっと要らんやろと、パクリやすかったんかなあ。ほら、花の鉢とかひっくり返してるやん」
「ほんまやなあ」
「アルミも高く売れるんかなあ」
「あれもボロやから、別に盗られてもあんまりくやしくないけど」
「盗っていくところ、見たかったなあ」
なぜかゲラゲラ笑う子供たち。けど、連続やしなあ。それにしても、同一犯なんかなあ。けど、こんなんたまたま連続ってことはないやろしなあ。まさかと思うけど、今夜、また何か盗られたらどうしよう、なんて、私はかなり心配いたのだが、夫だけは、
「やっぱ、俺の自転車、ただの金属として持ってったんかなあ」
と、寂しそうな顔をした。

03/04/2007

教室実習もけっこう大事みたいね

3月3日(土)
午後から小説講座の事務所。午後から「基礎レッスン講座」。夕方からは「エンターテインメントノベル講座」は、教室実習。専攻科の作品指導は、4編。講師は、青木治道先生。

レッスン講座は、あいかわらずの教室実習。文章上達のコツは「とにかく書くこと」なのは確かなのだけど、どうも生徒さんを見る限り、2パターンあって、
「やたら量は書くけれど、あまり考えずに書くし、ほとんど見直さないので、たくさん書く割にはそれほどは上達しない」
というタイプと、
「いちいち考え込んでしまうので、なかなか筆が進まない」
というタイプの人がいるみたい。

実際には、たくさん書いて、たくさん指導を受けて、いろいろ工夫しながら書く、というのが一番上達の近道だと思うのだが、
「最近、なかなか書けない」
という人もけっこういる。よくあるパターンだと、入学前は、何も考えずに(ってことはないと思うけど)好きに書けたのに、何度か指導を受けたりすると、読者の反応とか、文章の構成とか、表現方法とか、あれこれ考えることが多くなって、急に筆が進まない、ということが起きたりする。

小説を書くようなタイプの人に、まあ、考えすぎるな、というのもヘンなのだけど、とにかく考えすぎて書けないのも困るので、課題とかで「強制的に書かせてみる」というのもいいような気がする。

しかし、びっちり3時間あるはずなのだけど、あっという間に時間がたつような気がするのはなぜ。

夕方、エンターテインメントノベル講座は、教室実習。物語パターンの分類とかのグループ実習と、いわゆる「間違いやすい文章」の実習。小説講座の生徒さんの作品は、意外に「日本語として間違いです」ということが案外多いので、とりあえず「たまには辞書をひきましょう」という啓蒙活動を実施中。小説コンテストの下読みをしたら、あまりにも誤字が多いので驚いたりするけど、漢字変換の間違いとか、いわゆる誤字じゃなくて、むしろ思い違い、たぶん国語辞書とか持ってないな、みたいな。

ま、なにせエンターテインメント小説だから、「美しく正しい日本語」ってのは、決して求めてはいないのだが、最低限、できるかぎり間違ってない日本語で、意味が正しく伝わるようにね。

講義後、いつものように中華屋さんへ。専攻科のテーブルには、講師の青木先生がいて、11時頃まであれこれ。帰り際に、例の件とか、例の件とか、ちょっと相談してから帰宅。

03/03/2007

インフルエンザで学級閉鎖

3月2日(金)
午前中、取材の下見にて、大阪市内をうろうろ。午後から小説講座の事務所。

インフルエンザが流行っているらしく、双子の娘のクラスは、2日間の学級閉鎖。妹のクラスだけなのだが、三十数人在籍しているクラスで、9人欠席。全員どうもインフルエンザらしい。しかし、うちの娘は、元気いっぱいなので、2日間とも同じクラスの友人と外で遊ぶという。
「学級閉鎖中は、むやみに外出しないように、ってプリントに書いてあるよ」
「いやや。ずっと一人で家におるだけなんて、めっちゃヒマやん。私、元気やのに」
「でも、ええんかなあ」
「だって、ホントは学校休みたくないねんで! 私、学校好きやのに。休みなんはうれしいけど、4組だけ休みなんてつまんないわ。しかも今日の給食、フルーツ出るねんで。楽しみにしてたのに」
「給食も食べられへんわな」
「せっかくいい献立やったのに」
「給食の献立も、けっこう当たりハズレあるんやなあ」
「しかも、6年生とのお別れ会もあるねんで! お歌もずっと練習したのに。せっかく覚えたのに意味ないやん」
「ふーん。なんかタイミング悪かったみたいね。まあ、でも学級閉鎖やから仕方ないで」
学級閉鎖なのは、妹のクラス、3年4組だけらしい。姉は、2組である。
「そうそう、2組はどうなん?」
「へ? 私のクラス? ああ、今日は全員出席やったで」
「一人もお休みなし?」
「うん。みんな元気やなあ、ってゆうとった」
「クラスによって、えらいちゃうなあ。なんでそんな極端なんかなあ」
「でも、お歌なんか一回も練習してへんで。何それ」
「3年生は、お別れ会で歌わなあかんねんで! うちのクラスは、ずっと練習してたで!」
「あー、私の先生、それ、忘れてるんと違うかなあ。あの先生、しょちゅう忘れんねん。また、ちゃんと注意しとかなあかんわ」
姉のクラスは、新任の若い女の先生で、どうも要領が悪いらしく、しっかり者の女の子たちがいろいろ注意しないといけないらしいのである。小学3年ってのは、どうも女の子たちはやたらしっかりしているのだが、男の子たちはやたらアホである。やさしい女の先生らしいので、男の子連中がナメて暴れるそうなので、
「先生が注意しても全然きかへんから、いっつも女の子たちが注意してんねん。毎日、忙しいねん」
ということらしいのである。いや、先生も大変だわな。

というわけで、皆さん、インフルエンザには注意しましょうね。

03/02/2007

春の生徒募集は、文章教室のみ

3月1日(木)
午前中、打合せ1件。午後から事務所。

3月に入って、なんだかんだバタバタ。春の時間割の発送などの準備。春の生徒募集は、「土曜ライティング講座」のみ。少人数制の初心者向けのコースなので、定員も15名くらい。

うちの講座で、人気があるのは「エンターテインメントノベル講座」などだが、これらの小説講座の生徒募集は秋しかないので、春の生徒募集は、けっこうのんびりモード。他の学校とちがって、ハデな広告をしてないので、知る人ぞ知る、みたいな講座だもんで、入学生も
「たまたまネットで見かけた」
とか、
「友達に聞いた」
とか、口コミが多かったりする。春は、あちこちの学校でハデに広告を打っているので、どのみち、うちみたいな小さな講座では、宣伝費で負けるから、まあね。ま、別に利益を追求している講座でもないので、いいんだけど。ま、少数でも、やる気のあるいい生徒さんが来てくれればいいなあ。

03/01/2007

バビロニア・ウェーブ

2月28日(水)
午前中、外出。夕方より、自宅にて事務作業など。小説講座の事務所には入れず。

堀先生の新刊『バビロニア・ウエーブ』が文庫化。同名の短編なら『地球環』で読めるけど、長編の『バビロニア・ウエーブ』は、古本屋さんでもなかなか手に入りにくく、生徒さんたちによく「どうすれば読めますか?」とか聞かれたりする作品だったので、たいへん嬉しい。

「エンターテインメントノベル講座」の開講した9年前、第1期開講記念対談「名探偵とマッドサイエンティスト」(堀晃&芦辺拓)というのがあって、私はそのイベント直前に読んだので、なんとなく思い出の作品でもある。

バリバリのハードSFなので、正直、最初はなかなかとっつきにくかったのだけど、読みはじめたら、意外と一気に読んだ作品。とにかく一番驚いたのは、皆さんそうだろうけど、やっぱりラスト。あまりの壮大なイメージに目がくらむような衝撃を受けて(あ、見えないんでしたっけ)、クラクラして鳥肌がたった覚えがあるのだった。といっても、実は、いまだに理屈はわかってないんで、くわしい感想は聞かないで(笑)。

ま、うまく説明できないんで、皆さん、とりあえず読みましょうね。

「日本ハードSFの最高峰」という作品なので、ちょっと苦手というような方もいるとは思うんだけど、私のように「なんかわからんのだけど、とにかく鳥肌」ということもあるかも、なのね。

わざわざ高井先生が古本屋で探してくれたハードカバーをもらった時もすごく嬉しかったが、これは新本。わーい、サインもらおうっと。

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