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08/31/2006

小説講座も小さい秋

8月30日(水)
朝から小説講座の事務所。7時頃まで事務作業。

夕方、またOさんが来て、「ライティング講座」の作品指導の件で相談など。小説講座は、1年間のカリキュラムだが、ライティング講座はたった半年。週1回、この短い期間で、文章力がどれだけ上がるか、ってことだけど、このクラスはかなり上達したものである。そりゃ、まだまだと言えば、それはそうなんだけど。でも、私のひいき目かもしんないけど、みんな前途有望だよねえ。

文章って、たとえモノ書き商売のプロにならなくても、たとえどんな職業でも「書ける」ってのは、能力の一つだと思うし、会社勤めでもけっこう役に立つと思うのよね。もちろん職業に生かせなくても、少なくとも人生が豊かになると思うし。書くってことで、自分を見つめたり、考えを整理したり、伝えたり、いろいろ可能性はあると思うのだ。

趣味としても、他の趣味を考えると、これほど続けるのにコストがかからない趣味はないと思う。ゴルフとかパチンコとかに較べれば、ずっとお金がかからないもん。釣りだって、旅行だって、けっこう金かかるよね。文章ってのは、なにせ紙とペンさえあればできるわけで、原稿用紙もペンも百円均一で買ってくれば、たったの二百円。資料やら本を読むにしても、うまく図書館の利用をすればそれほどかからないはずだしね。

だから、卒業してもずっと続けてほしいんだけど、実際には「卒業」した人のほとんどはすぐに書かなくなるみたい。卒業直後は、まだ書く気があるみたいなんだけど、「いやあ、今、忙しいので、もう少しヒマになったら書きますよ」なんて言っている間に、あっと気がつくと数年たってる。「文章を書く」というのは、スポーツとか、ピアノの練習とかと少し似たところがあって、少しずつでも続けている人はまだ書けるのだが、しばらくやってないうちにすっかりカンがにぶるものだったりする。ずっとアイドリングかけてないと、すっかりバッテリーあがっちゃうみたいなのね。

(ま、もともとすっかりバッテリーあがっちゃってて、発進エネルギーをもらうために、うちの小説講座に来た、なんて人もいるかもしんないけど)

プロ志望も、正直、小説講座に入学して来る生徒さんを見てて思うんだけど、やっぱりほとんどの人がなぜか「やる前にあきらめちゃう」んだよね。ホント。実際、どんな職業でもおんなじだと思うけど、「なれたらいいな」だけではなれないと思うんだけどね。「なろう」と思って、行動しないと仕方ない。でも、なんでか皆「あきらめがいい」んだよねえ。すぐにあきらめちゃう。短編一作、書いただけであきらめちゃう人がけっこう多い。ホント、不思議なんだけど。

これが他の職業だったら、たとえばカメラマンとか美容師とかだったら、ま、なんでもいいんだけど、たぶんアシスタント期間があって、先輩に怒鳴られてる時期があって、数年経ってやっと一人前でプロになる。考えてみれば、写真なんて、今は誰でも撮るだけならカンタンに撮れるけど、それでプロとしてメシを食うなら、まあ数年かかってやっと「金がとれるレベル」になれるわけで、それを考えたら、小説を書くのでも、たった一本目でうまく書けないってことくらい、別に何でもない、あたりまえじゃないかと思うんだけどなあ。でも、まあ、他に楽しいこともいっぱいあるし、もっとラクして儲かることもけっこうあると思うから、あきらめたいならそれも仕方ないんだけど。人それぞれなんで。

こうして毎年、この時期に卒業間際の生徒さんたちの修了作品を見てると、入学した頃に比べて、ずっと上達しているのが嬉しい一方、せっかく書けるようになっても、卒業したらすぐ書かなくなる人がけっこういるので、それを思うとちょっと悲しい。

そう言えば、そろそろ秋。せつない季節である。

08/30/2006

ちょっとややこしい小説の視点の話

8月29日(火)
午後から小説講座の事務所。事務作業など。

午後から丁稚どんがまた「美少年同伴出勤」(息子さんである)。せっかくの夏休みなのに、ボランティア労働奉仕をしてもらう。

二人に作品集制作をまかせて、私の方は、先週の欠席者の発送物いろいろ。小説講座は、毎週土曜にあるのだが、日曜、月曜は事務所がお休みなので、欠席者に資料を発送するのはたいてい火曜日。今回は欠席者が多い。まあ、毎年8月は出席率が悪いんだよね。今、在籍している生徒さんは、昨年10月に入学して、この9月末には卒業。終了間際になると、たいてい出席率がちょっと上がるけど。しかし、作品指導が中心なので資料も多い。分厚い封筒が山積み、けっこうな量である。

6時頃にOさんが来館。7時近くまで相談いろいろ。

ところで、先週の講義でも「視点が混乱している」という注意を受けていた作品があったのだが、実をいうと「視点の混乱」というのは、専攻科の中でもかなり深刻な問題だと思っている。思っているが、「ちょっと困難」でもあるとも思っている。説明するのがややこしい問題なので、私が話題にするのもどうかとも思うし、なるべく口に出さないようにしている。

でも、今日、他の生徒さんの作品を読み返していて(9/9に作品指導予定の作品です)、やっぱり思うところがあったので、あえて言うことにする。
(ってのは、ある作品提出表に「そういうことに挑戦する前に、もっとやんなきゃいけないことがあるだろ〜!!」と言いたくなるよなコメントが書いてあったんである)
正直、やや気は進まないし、少し誤解をまねくかもしれないのだけど、あえて言う。
「ホント、視点は統一しろよ!」
マジで、なんでわざわざ多視点で書きたがるのか。

そりゃ、小説に「絶対こうしなきゃいけない」ってことはないし、多視点で書くという方法もあるにはある。アイデアによっては、視点をいくつか使い分ける作品もいくつもある。けど、少なくともうちの生徒さんの作品は、たいていの場合は、一視点で書こうと思ったら書けるはずのアイデアなのだ。

正直なところ、不思議に思うのは「どうしてそんなに視点を統一するのをイヤがるの?」

で、こういうことを言うと
「あー、でも、視点の混乱って、プロの人でもやっちゃうもんじゃないんですか。仕方ないんじゃないですか」
などとすぐ言い訳する生徒さんがいるかもしれないんで、これも先に言っとくけど、
「ついやっちゃう程度なら仕方ないけど、すぐ手を抜くから、やっぱり絶対ダメだと思って書け」
さらに「プロはいいけど、アマチュアでやるな」

実際、プロの作家さんは、文章が圧倒的にうまい。いや、うまくない人もいるのかもしれないが、それでもうちの生徒さんよりはずっとうまい。だから、ちょっとくらい視点が混乱しているところがあっても、そんなもんは些細なのである。つまり「程度」の問題である。いくらなんでも、最初から最後まで視点がグチャグチャという作家はまあいない。が、生徒さんの書く作品なら、そういうことがよくある。だから、プロよりもずっといくら気をつけても足りないほどなのに、プロより気を抜きまくり。というか、さほど気を使ってないのである。

さらに困ったことに、「ついやっちゃう」のではなく、むしろ「統一したがらない」のである。うーむ、なぜじゃ。たとえば、専攻科に進学して、「いくら書いても、なかなかデビューできないんですよね」みたいなことを言っているような人が、いつも統一するのをイヤがったりする。おいおい。なんで、そうイヤなんだ。

実際「視点の混乱」というのは、問題になる人とならない人の差が大きい。ひっかかる人はずっとひっかかるし、初心者でも視点が混乱しない人はまずしない。言われなくても、自然にやれる。でも、かなり書いている人でも、ずっとできない人もいる。不思議である。

私の場合、小説講座の生徒さんとか、コンテストの下読みの経験だけで判断するしかないのだが(一般的にはどれくらいの割合なのか知らないけど)、「視点」というのは、できている作品とできない作品とかなりぱっくり分かれる。なかなかしたがらない人というのは、実はけっこういる。

いくらストーリーが面白くても、それが原因で読みにくかったりする。まあ、読めなくはなくても、どうも作品が「ゆるい」とか「くっきりしない」とかの原因にはなる。だが、しつこく治らない。いくら注意されても、なぜか視点を統一したくないのである。
(実はひそかに、専攻科でも2〜3割の生徒さんは、この「視点」がなかなか上達しない原因ではないか、と私は思っている)

だが、このことは、講師がちょっとやそっと注意したくらいではなぜか治らない。もちろん「したがらない」のではなくて「意味がわかってない」という人もいる。どうも「視点」てのは、わからない人にはちょっとややこしいらしくて、たとえば「視点人物を決めて書く」みたいなことは、どこかで聞いてわかっているみたいなんだけど、「なら、その人物をどのシーンにも登場させておけばいいんだろう」としか考えてない人もけっこう多い。ありがちなケースである。

統一するべきなのは、「人物」ではなく「視点」なのだが、そういう生徒さんは、ただその人物さえどのシーンにも出しておけば済むと思っているものだから、その一場面でも視点があっちこっち行くのである。私も、生徒作品だからと思って、どんな作品でも愛情を込めて読んであげるつもりではいるのだが、あまりアッチコッチ移動されると、ぐるぐる目が回る。これはツライ。いつか平衡感覚がやられるもうやられてるかもしれない(いや、ホント)

でも、「『視点の統一』が何か知らない」という理由で、しないうちは、まだいいのだ。問題は、たぶん「わかってても、あえて視点を統一したがらない」という人の方で、こういう人は「あえてしたくない」ので、余計ややこしい。

ここで疑問なのが、どうして「したくない」のか、ってことである。私はこのことが前々からずっと不思議で、今でもちょっとナゾなのだけど、もしかして「これが原因と違うかな」と思うポイントが2つある。

一つは、「視点」というものの重要性が本人はわかっているつもりで、実はわかってない、というケース。人によっては、ただのルールだと思っており、「でも、たまには破ってもいいよね」としか思ってない。でも「視点を統一する」ってのは、たぶんルールではない。つまり視点というのは「統一すべき」ものではなくて、「統一した方が圧倒的に有利」なのである。つまりルールではなくて、いわばただのテクニックなのだが、ただ、これは「圧倒的にものすごく強力なテクニック」なのだ。感情移入を起こしやすいテクニック。たぶん「視点」って、「小説」を書くには、最大級の強力なコミュニケーションテクニックである。

だから、これを使わないというのは、かなりツライことなのだ。コレを使わないってのは、たとえば、すでにゲームに参加する前から大きなハンディキャップを背負っているようなものである。モンスターを倒しに行くのに、武器も魔法のアイテムもなしで、すっかり手ぶらで行くようなもの。賢明な騎士なら、そういうことはしないし、戦い慣れた人なら余計そういうことは怖くて絶対にやらないと思う。(もちろん「何か」持っているなら別よ)

ちょっとわかりにくいかもしれないので、前にもあげた「たとえ話」を一つ。たとえば「桃太郎」というストーリーがあったとして、起こる出来事は同じでも「視点人物」が違うだけで、まるで別の話になるのである。スタンダードな絵本なら、桃太郎が主人公だろうけど、もしかすると「イヌ」とか「サル」とか「キジ」を視点人物にして書く、なんてことは不可能じゃないのである。その場合、たとえばイヌが視点なら「ある日、のんびり散歩していると、桃太郎という若者がやってきて、『キビダンゴやるから、一緒に鬼が島に行こう』と誘った」というオープニングになるかもしれない。

すると、もしかすると「キビダンゴひとつで、家来になる」という真の動機が描かれたりするに違いない。だって、普通に考えて、初めて会ったはずの若者といきなり行動を共にして、命が危ないかもしれない鬼が島に一緒に行くなんて、誰が考えても、そもそも、ちょっとヘンである。きっとイヌには、なんか真の動機があったのである。もしかすると、桃太郎に一目惚れしたのかもしれないし、あるいは、こんな無鉄砲さを見届けたいだけなのかもしれないし、あるいは、もともとこのイヌは人生に絶望をしていて、別に捨ててもいい命だったのかもしれないし、あるいは実は悪党で、ちょうど追われていて、一緒に行くのは追っ手をごまかすためだったとか、いや、もしかすると桃太郎の知らないところで、実はサルとイヌは恋のライバルで、そこにキジが横恋慕してるかもしれない。ほら、これで別の角度で別の話になったな。ほら、視点って、なんて、便利なんでしょ〜(厳密に言うとちょっと違うけど、まあ、たとえ話である)。

「桃太郎が鬼退治に行く」というストーリー、「起きる出来事」や「話の流れ」は同じでも、見る角度が違うとぜんぜん違う話になっちゃう。しかも、読み手に感情移入してもらいやすく、感情をコントロールしやすい。

とにかく「視点人物」というのは、ものすごく強力で、かなり重要なツールなのである。

で、このような便利なものだとわかっていて、それでもあえて使いたがらない、という生徒さんがいることに注目。つまり「はたして、なぜそんなにイヤがるのか」という疑問が生まれる。でも、現にそういう生徒さんがいる。じゃ、なぜわかってて、そこまで視点を統一したくないのか。(たぶんこっちの方がより深刻だと思うけど)

それが二つめの原因。もちろん推測なんだけど、そういう人は、たぶん「視点人物の中に自分が入って(あるいは視点人物にひっついて)、その世界を体験するのが、めちゃくちゃイヤ」なのである。

これは、私の意見だから、「いや、違う」という人もいるだろうし、たぶん「該当する本人」が一番否定するだろうけど、こういうのはいくら本人が否定しても、作品を読めばわかるし、わかる人なら、これはその生徒さんの作品を読み返してみればわかるはずである。一般の人でも、おもしろい本を読んだら、「まるでホントにあったことのように、その世界に入り込んでしまう」という経験をしたことがあると思うけど、こういう作品はそのような感情はまず起きない。作品自体がかなり「冷めている」

たぶんこういうことなのではないかと思う。

小説を書いている時、たぶん熟練した小説書きは、まず最初に「二つの行動」を同時にやるんだと思う。まず最初に、その作品世界に「実際に自分が行ってみる」。まあ、もちろん架空世界だから、実際には行けないのだが、まず視点人物になりきって、その世界を疑似体験してみるのである。その次に、それを客観的に眺めてみて、(つまりキャラクターを演じている自分をもう一人の自分が外から見る)それを「どうやって伝えれば、他の第三者に同じ感覚を伝わるか」を考える。つまりキャラになりつつ、今、見ている景色や、今、体験していることを言語に変換する。これは同時にやる。次に、それを文字列にして並べつつ、「もし読者がこれを読んだら、はたしてその人の脳裏にどういう反応が起こるか」を予想する。

ところが、どうしても視点を統一したがらない生徒さんというのは、この「疑似体験する」というところを意識的にすっとばして、いきなり外側からその風景を見ている。「視点人物に入りこんで、作品世界を体験する」というのは、実はものすごく体力のいることなので、正直、外から見てただけの方がラクなのである。
ここがちょっとクセモノである。

こういうことをしてラクして書くと、どうも不自然なところがいくつもできてしまう。もちろん作者自身にとっては、自分の作品世界なのだけど、実際には本人が一番見えていない。つまり、どの人物にもさほど感情移入せずにいるから、作者自身は「その場にいない」のだ(一方、たいていの読者は、入り込まないと読み続けられない)。つまり本人は見えているつもりかもしれないけど、頭で考えているだけで、少しも「体感」はしてないのである。だから、たとえば聞こえているはずの「音」が聞こえなかったり、もちろん「臭い」もしない。痛い思いもしないし、驚いたり、喜んだり、苦しんだりもしないのである。

頭では「登場人物」を動かしたりして、計算しているつもりかもしれないが、それはガラスのむこうからただ見ているだけなのだ。作者が「世界の外」にずっといるのなら、読者が「世界の内」に入り込める確率はかなり少なくなる。なにせニオイのしない世界である。リアリティを感じさせるような世界を構築できるチャンスはぐっと減る。リアリティがない世界には、感情移入するのは無理だし、感情移入させられないと、とくに長編だと最後まで読ませるのはかなり難しい。

よっぽど熟練した書き手なら、ガラスの向こうからも書けるかもしれないが、まあ、普通はまず絶対に無理である。生徒さんなら、おそらく万に一つもムリだと思う。たぶんモンスターと手ぶらで戦って勝つのは無理なのである。チャレンジ精神は買うが、何度やっても食われてゲームオーバーである。こういうタイプの作品は、どうしても見えてないから不自然なミスが増えるし、かなりうまくやっても「ぼんやり」してしまう。文章はよく書けていても、ストーリーにもまったく破綻がなくても、どうやっても「ゆるく」になる。作者が気づかなくても、たぶん読者にはわかる。

そしてその原因は、たぶん「視点人物のところに、本当はちゃんと視点を置いてない」からである。はっきりと見えるはずのものが見えてない。

でも、なぜそうするのがそんなにイヤなんだろう。
このイヤだと思う原因は、ちょっと私にはわからない。ただどうもイヤがっているらしいことだけはわかる。ただ、私が推測するのは、もしかすると何か「怖い」のではないか、と思っているだけである。なにが「怖い」のか、私にはわからない。もしかすると自分自身をそこに置くことによって、自分をさらけ出すのがイヤなのかもしれない。いや、もっと他の理由があるのかもしれない。アイデンティティの問題だと(少なくとも本人は)そう思っているのかもしれない。

ま、本当の理由がわかったとしても、作者の問題だろうから私にはどうしようもないけど。

(だから、視点を話題にするのはイヤなのである。一行一行、もしチェックするなら治るのかもしれないけど、それが何かを追いつめないかという心配。何年もプロ志望でグダグダやってるなら、一か八かで誰かにやってもらうべきかもしれないが)

読者なら、いくらキャラに感情移入しても、どうせ作者の世界だし、おまかせしてれば進んでいけるが、作者は自分自身の足で、その世界の中を動き回らないといけない。いくら怖いからといって、本当に自分の足で冒険をしなければ、お宝も手に入らない。やってみれば、どってことないかもしれないのに、なぜやる前にあきらめるのかが、私にはわからない。もしかすると、その方が楽しいかもしれないのに。

とにかく多視点の作品を書くなら、それだけの覚悟で、そうとしか書けないようなアイデアがあるならいいけど、作者が「その方が書きやすいから」、などという理由では決して書いてはいけない。だいたい「読者が読みやすいかどうか」なら理由になるが、「作者が書きやすい」なんてのは、ぜんぜん選択理由にならないんだぞ。そういうトコを怠けたら、せっかく長時間かけて書いたものが全部ダメになっちゃうかもしんないんだぞー。そんなの、もったいないだろー。な、ちゃんと書こうよ。

08/29/2006

小説とも関係のありそうな休日

8月28日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

休日のはずだが、休日出勤。コツコツ事務作業。秋開講の「小説講座」のカリキュラム発送準備など。
夕方、Oさんが来て、ライティング講座の作品指導やカリキュラムの相談。6時半まで。

08/28/2006

小説とは関係のない休日(夏の終わり)

8月27日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

夏休み最後の日曜日。私の妹夫婦は、休日なのに仕事らしい。その子供たち(5歳の男の双子)が実家に預けられていた。うちの小3の双子の娘たちが「子守り」になり、あわせて2組の双子の孫を連れて、じーちゃんばーちゃんは緑地に遊びに行く。弁当をもってピクニック。娘たちは、どうも昨日から「子守り要請」をされてたらしく、朝から「今日も忙しいわ。がんばらなくっちゃ」と、はりきって出て行く。なんだか仕事にいくOLみたい。走り回る5歳児を追いかける役である。聞いたら、それなりに役にはたっているらしい。昼過ぎに激しい雨が降ったりしてちょっと心配するが、夕方まで楽しく遊んだようだ。

中1のアホ息子は、夏休みも終わりに近づき、お勉強を放棄して、一人ヤケになって昼寝(5時間もよく寝られるな)。私は読書などで一日のんびり。優雅な日曜日。

08/27/2006

小説が詰まったり、つまらなかったり

8月26日(土)
朝から小説講座の事務所。午後から「ライティング講座」の講義、夕方は「専攻科」の作品指導あり。

「ライティング講座」の講師は、藤野恵美先生。そういや、今日は、めずらしく「女性作家」の日なのだった。夕方は、黒崎緑先生なのだ。どだ。美人作家特集だぞ。ふっふっふ。

藤野先生は、実年齢もかなり若いのだが、見かけがさらに若い。だから、まだ学生に見えてしまう。しかし、若く見えても、やっぱりプロ作家さん。話をするとやはりビシッとした感じで、自分の経験とかデビュー体験などを色々。児童書を中心に書かれているので、その違いなども興味深くお聞きする。小説講座からの見学に来た生徒さんも数人。

講義後、近くのファミレスで、先生を囲んでしばらく歓談。いろんな質問にも、ニコニコと気軽に笑顔で答えてくれる先生、みんなかなり喜んでいた。この「ライティング講座」は、小説講座じゃないので、カリキュラム上「小説」の講義は数回しかないんだけど、小説にも興味のある生徒さんがけっこう多い。「今は、エッセイなどを書いているが、将来は小説を書いてみたい」という人がチラホラいる。学費割引もあるから、毎年、ライティング講座から「小説講座」に進学する人も多い(4割〜5割くらい)のだが、今年も何人か進学するのかな。

夕方は、専攻科の講義。講師は、ミステリ作家の黒崎緑先生。長編を含む4編の作品指導。全部ミステリ作品(本格じゃないかもしれないが、一応、サスペンス)。この4編は、すでに何作も書いたことがある専攻科の生徒さんばかりだけど、黒崎先生の指導ははじめてだ。

いつもキュートなファッションで、笑顔のすてきな先生。ちなみに、ベティちゃんコレクションの中でも今日の注目は、赤いスニーカー(ベッカム夫人で話題の限定品です。わお、さすが〜)。でも、ファッションはキュートだけど、作品指導の内容は、ビシっとされる先生。生徒さんの作品を長所と短所に分けて、スパスパ、ばっさばっさ、軽快に斬りまくり。作品の長所はしっかりほめつつ、短所については、それぞれ一作品一つにポイントをしぼって、詳しく解説。ある生徒さんは「構成のバランスが悪い」、別の生徒さんは「視点が混乱している」などなど。

「作品指導だからちょっとキツイこと言いましたけど、あとで闇討ちとかしないでね」
とにっこり微笑みつつ、袈裟がけでスコーンとまっぷたつ。でも、このようにスコンとぱっくり切られた方が、後の回復はかえって早いのよね。すぱっと切られたら、傷口がぐちゃぐちゃになるよりはずっとすぐ癒えるみたいで(「縫いやすい」からか?)。わかりやすく説明され、なによりお人柄のせいか、ユーモアも交えて話し方もとても面白く、また一番うれしいのが「愛」が感じられるコト。作品指導を受けながら、しっかり励まされていたみたいな生徒さんたち。

とにかく作品がうまくいかない理由をたった一つにしぼって、パッとあざやかに解説されるのはさすが。本人たちだけでなく、他の生徒さんも「わかりやすかった」と大好評。

講義後、いつものように飲み会へ。専攻科と9期生との合同講義だから、けっこうな人数。飲み会でもいろんな質問に気軽に答えてくれる黒崎先生。で、たまたま別の話をしてて、ふと「作品執筆中、詰まっちゃった時どうするか」という話になる。本格ミステリの作家さんに限らないとは思うけど、プロの作家さんでも、小説を書いているうちに急に筆が止まるということがけっこうあるらしい。とくにミステリなどでは、最初、構想した時にはうまくいくはずのトリックが書いてみるとうまくいかないとか。プロの作家さんでも結構あるらしい。

もちろんとくに「本格ミステリ」の場合は、書き出す前にきっちりプロットを作っているのだが、いざ書き出してみると、ちょっとしたところがうまくいかなかったりするものらしい。ある人物にたまたまあるセリフを言わせてみただけで、最初考えていたよりもちょっと性格が変わったりする。すると、そのあとのストーリーが微妙にズレてくる。ちょっとのズレのつもりが書くうちにどんどんズレてくる。もちろん本格ミステリに限らないが、ストーリー上はこうなってもらわないと話が進まないのに、その人物の性格とか状況から見て、どうしてもそうならない、なーんてことはけっこう起きてしまう。これは、プロットをきっちり作ってもやっぱり起こる現象で、とくに精密な「本格ミステリ」を書くような人だと微妙なズレが命とりになりかねない。進行すべき方向に進行してくれないと困るのである。段階では、まだ設計図というか、予定表なだけだから、必ずしもスムーズに行くとは限らない。実際の執筆「現場」では、予期しないことが起きてしまうのである。

こうなると、その解決方法を見つけるまで、ストーリーが進まない。場合によっては七転八倒になる。ただ、プロの作家さんの場合、それぞれ、それを打破する方法というか、スタイルみたいなものを持っているようだ。まあ、編集者にグチを聞いてもらうとか、友達と飲みに行くとか、散歩するとか、温泉に行くとか、料理をするとか、まあ、何気ないことかもしれないが、それぞれの「やりかた」があるようだ。

さて黒崎先生は、見かけはキュートな女性だが、書かれる作品は「バリバリの本格」、だからトリックとか詰まったときにどうするか、と聞いてみたら、先生の場合は、ダンナさんに相談するのだそうだ。(ちなみに、「先生のダンナさま」は、パズル作家として有名な三輪さん)すると、複雑に考えすぎているところもパッと指摘してもらえたりして、うまくことがあるらしい。

「なかなかうまく行かない……ってとこも、ずーっと考えていたら、なぜか必ず解決方法ってちゃんと見つかるのよね」
「そういうもんなんですか?」
「たいてい一行、せいぜい5行くらい、なにか足すだけでけっこう何とかなるのよね。ただ、その一行が見つかるまでが大変だけど。でもたいてい一行か、せいぜい5行くらい書けば、なんとかなる。そう考えた方がラクだし、実際、やってみるとたいていそうなのよね」

なるほど、そう言われてみれば、他の先生からも「ちょっと詰まっててね」なんて話をたまに聞いたことあるけど、そういうところも「ほんの数行」なのかも。あとでできあがった作品を読んで、「あの詰まってた部分って、ここかな」なんていうようなところを読んでも、たいてい2〜3行、ちょっと理由が書かれているだけとか、ほんの少しある行動が足してあったりするだけなのだが、たったそれだけで全体がすっきり不自然じゃない流れになっている。それこそ事前に話を聞いてるからわかるのだが、あんまり自然に流れているから、たぶん読者には、作家がそんなところで「詰まった」なんて絶対にわからない。

でも、ふと考えてみたら、あれれ。そういうのって、あまり生徒さんから聞いたこともないし、相談も受けたことないなあ。みんなどうやって解決してるのかしら。よく考えたら、プロ作家は詰まるけど、生徒さんはあまり詰まらないな。で、作品が「つまらない」…と。なんでかわかんないけど、生徒さんだと「飽きる」ということはあっても、「詰まる」人って少ないんだよね。

「そういや、先生。プロの作家の先生たちって、ちゃんと詰まりますよね。考えてみたら、生徒さんって、あまり詰まらないんですよ。不自然なところも、平気で書いちゃうんですよね。ぜんぜん悩まないというか、ちゃんと方法を考えたりしないで」
「あら、でも、がんばって考えたら、ホント絶対ちゃんと解決できるものなのよ。ほんの一行くらいで」
「そうですよね。でも、どうも何だか、そういう手間を惜しむというか……」
「それって、プロとアマチュアの違いってヤツですか?」と生徒さん。
まあ、プロなら絶対、いいかげんにはしないかもしれないけど。
すると先生、
「あら、そういうのって、プロもアマチュアも関係ないんじゃない? プロだからやるんじゃなくて、やる人はプロになる前からやるだろうし、そういうことできる人がプロになるんじゃないかしらね」
あ、それはその通りかも。
「だからそんなこと言わないでよ。だって私、みんなにプロになってほしいんだもの」
ああ、なんと愛情あふれるお言葉。生徒の皆さん、がんばってくださいね〜。

「でも、どうしても早くプロになりたい、と思うと、とにかく急いで大量に書かなくては、という気になって、ついつい書きばしてしまうんですよ。だから、そういう不自然なところも『ま、イイか』と書いてしまうのかも」という生徒さん。

たしかに初心者のうちは、書く量に比例して上達するから、「たくさん書く」というのが大事なのだが、実は、「ただ大量に書けばいい」というもんでもないのだ。いや、書かないよりは上達するのだろうが、ただたくさん書けばプロになれるかというと、そういうわけでもない。

私がそれを痛感するのが、小説コンテストの下読みをした時とか、新しく入学したばかりの人がこれまで書いていた作品を持参された時。「独学でたくさん書いてきた」という人の中には、すごいスピードで書きとばすクセがついていて、そういう「細かいトコかなりいいかげん」的な人がけっこう多い。(なんか、この話題は、先週もあったような気もするが)

たしかに細かいトコかもしれないが、それがいくつも積み重なると、とてもとても違和感があるわけで、小説の世界がすっかり不自然になってしまうのだ。

すると、先生が笑いながら、
「たくさん書くのはイイことよね。でも、300枚の作品を3本書くのもいいけど、300枚の作品を3回書き直すのも同じだけ書いたことになるかもしれないでしょ。だから、しっかり書き直すのも大切なのよ」
と、さらっと一言。

ああ、なるほど。ただ大量にやっても、それだけではダメだというのは、たとえばうちの息子がいい例で、彼は算数の問題集をやっても、「だって、面倒くさいもん」と、いくら注意しても、答えあわせというものをちゃんとしない。だから、見てみると、何度やっても同じところをミスしている。なにせ「答えあわせを知らない」のだから、これでは当然、永遠に間違え続けるはずである。いくらたくさん問題集を解いてもまるで意味がない。いつまでたってもアホのままである。

もちろん小説の場合、自由な形式のものだし、「これが正解」というものは全くないのだけど、それはそれで自分自身でちゃんと「答えあわせ」のようなものをしないと、いつも同じところでミスをするような気がする。小説だから「答えあわせ」っていっても、どういうものかわからないけど(もしかすると「自分自身の中の『想定読者』の目」で、客観的に見ることなのかもしれないな、なんて思うんだけど)、ただたくさん書くだけではダメなんだよね。きっちり自分で「答えあわせ」してくんないと、うん。そういう人は、なかなか伸びにくいもんな。

……ってことで、皆さん、書くのはいいけど、ちゃんと「答えあわせ」もしましょう。おかしいところは、ゼッタイ本人も気がついてるはずなので、それを「ま、いっか」にしないこと。「解決方法は、ちゃんと悩んで考え続けたら、絶対みつかる」ものらしいので、ちゃんと頭を使って考えましょう。そういうのは、プロになってからやるのではなくて、アマチュアのうちからやるべきものなのだ。もしプロ志望じゃなくたって、自分の作品をヒトサマに読んでもらいたいならやろうよ。だって、みんなやってることなんだからできるよそれくらい。

ま、専攻科は、どうしてもデビューねらいの長編を書く人が多い。もちろん人によっては、むやみやたらに大量に書く時期があってもいいだろうなとは思うのだけど、一つ一つを逃げないできっちりやっとく、ってのも大事かもしんない。まあ、もちろん、ドドッと早くみなデビューしてほしいんだけどね。

08/26/2006

先週土曜日の分のコメントを読め

8月25日(金)
朝から小説講座の事務所。午後から外出。4時過ぎに事務所に戻り、6時半まで作業のつづき。

ふと見ると、めずらしくブログにコメントがついている。このブログは、小説講座の生徒向けの内容で、なにせ「画像なしの長文」だし、内容が内容なので、どうやら相当「読む人を選ぶ」らしい。いや、そういうもんで、ま、生徒さん相手にだからなあ。
(生徒さんにまで「あんなに長いのを書くなんて、ひどいですよ。読むの大変じゃないですか。ボクが遅筆なのを知っていて、もしかして嫌がらせですか〜」とまで言われた。はて、そこまでムリして読まなくてもいいんだけど。読まなくていいってば。ちなみに私だって、ライターとして仕事で「インタビュー記事」とか、ちゃんとした文章はそれほど早い方でもないのだ。長文ってのは、構成も校正もしてないからだわさ。あ、でも、それが「遅筆」の生徒さんのプレッシャーになるなら、それはそれでイイかも〜)
だから、もともとアクセス数自体などは極端に少ないし、コメントを書く人は滅多にいないのだった。

で、なな、なんと、先週のブログ(8月19日の分)に、上田早夕里さんのコメントがついているっ!(※作品指導も、楽しい小説「家庭の事情」)
(上田先生と言えば、あの小松左京賞の、あのソリトンの、『異形コレクション進化論』の「魚舟・獣舟」の、あの上田早夕里先生ですねっ「ありがとうございます!!」)

生徒さんに創作アドバイスをいただきました〜。生徒の皆さんは、ぜひ一読! 


08/25/2006

小説講座も、鬼が笑う季節

8月24日(木)
朝から外出。夕方から、小説講座の事務所。

午後、心斎橋から西長堀あたりをウロウロ。赤バスを使い、安治川トンネル経由で西九条。西九条で用を済ませて、徒歩で事務所まで。

雑用いろいろ。そろそろ新しい入学資料の発送をしないといけないのに、どうにも忙しくて今日も時間がとれず。明日も忙しいので、発送は来週になりそう。資料請求者の名簿だけでも整理しなくちゃ。

今年度は、専攻科の人数が多くて、作品指導がけっこう大変だったのだが、来年度の進学者はどれくらいいるのかなあ。まあ、専攻科は春以降、欠席者が多いので、たぶん今年よりは少ないだろうけど。

本科は、カリキュラムは決まっているし、修了作品もせいぜい中編から短編だし、予定はたてやすいのだが、専攻科はプロデビューを目標にしている人が多いので、どうしても長編作品が多いんだよね。うちの小説講座は、講師が二十人くらいいるのだけど、全部の講師がどの作品でも指導できるというものではないし、作品指導の調整がけっこう大変である。まあ、「プロになりたい人には、できる限り早くプロに」「そうでない人もそれなりにいい作品を書こう」というのが専攻科の目標。生徒さんのためなら、できるのことはするつもりで、今後もそのつもりなのだが、それはそれ。忙しい講師にも無理いってお願いするわけだから、それなりにちゃんと予算もスケジュールも調整しないとね。けど、毎年なんだが、薄っぺらな私の脳みそでは、「来年の夏」のことまで予想をして計画をたてるなどというのは、限界ギリギリ。来年の夏かあ。うーん、ちょっと発熱が。ああ、鬼が笑っている。

08/24/2006

作家養成と鮭の放流

8月23日(水)
午後から小説講座の事務所。まだまだ暑い一日。

炎天下、銀行や郵便をまわる。まだまだ暑いの〜。
ふと、口座の残高を確認して、ちょっと考え込む。「思ったより残高が少ない」というわけではない。「思った通り、残高が少ない」からである。講座の運営というのは、非常にわかりやすいわけで、学費収入が入ったら、あとはずっと経費が出て行くだけ。うちは、生徒募集が春と秋だけなので、つまりそれ以外の季節はずーっと経費だけで、一切まったく収入はないのである。減る一方だ。とくに臨時の支出もないのだが、とくに臨時の収入もない。まったく計画通りである。

要するに、9月末までは、実に計算通りに残高が減って行く。年度末だから、残高が減るのである。予定通りである。このままだと予定通り、9月の末には残高が少なくなる。そういう予算を組んだわけだし、別にあたりまえなのだが、数字を見るとあらためて「うーむ」となるのが人間というものなのよ。予想通りの経営と言えばそうなのだが、あんまり面白みはないのね。「予想通りに少ない残高」……いや、スリルは欲しくない。わかってますって。

もちろん、うちは非営利団体なので、さほど経営を大きくする予定はないのだが、それはそれで安定経営にはしなくちゃいけないので、そこんとこがちょっと難しい。
(小説講座は、どのみち少人数制なので、ずっとスレスレ経営なのですけど、案外、生徒数はずーっと安定してるんですよ)

ま、今年はドドッとデビューが続出する予定なので(だよね!)、来年にはもう少し生徒さんが集まるといいな。早くみんなデビューして、プロになってくれい。で、今度は「講師」になって戻って来てもらうのだ。コレを「鮭の放流方式」という。

ってか、それがどうも「今年の生徒募集」には、間に合いそうじゃないところがちとツライんだが。


08/23/2006

小説講座、文章教室もそろそろ卒業

8月22日(火)
午後から小説講座の事務所。作品集印刷、欠席者発送など。

あいかわらず、丁稚どんは作品集を印刷。うちの講座は、すべて9月が卒業なので、専攻科も、9期も、そろそろ卒業なんだけど、まだまだ印刷は続くのである。

さて、ライティング講座も半年だけだから、もうすぐ卒業。いや、半年や一年って、ほんと短い。あっという間だなあ。

この1年(あるいは半年)、皆さんそれなりにけっこう上達しているなあ、とつくづく思う。本人がどこまで自覚しているか、ちょっとわかんないけど(どうもみんな自分のことは、あんまりよくわかんないらしい)。そして、今年も8〜9割くらいはなんとか続いている。ま、毎年、なぜか最初の入学式しか来ないという変わった人が一人くらいはいるし(何のために入学したのかナゾ)、また家庭の事情やら、職場の都合や本人の体調不良やらで、泣く泣く辞めちゃった人もいたりするけど、それなりに優秀な出席率だと思うんだけどどうかな。カルチャーセンターや他の講座のうわさも聞くのだが、それに比べると、割合と「卒業率」もいいのでは。担当者の私が言うのもなんだけど、けっこういい講座ですね。

まあ、もうすぐ卒業だし、小説講座では、2年目の専攻科に進学するかしないかで、けっこう大きく分かれる時期でもある。専攻科は、例年、多い年なら5割、だいたい4割くらいの進学率。むろん専攻科に進学しなくても、自分でコツコツ書いているという人もいるのかもしれないが、専攻科の学費が安いので、たいてい書く人は進学するし、進学しない人はたいてい卒業と同時に書かなくなるようだ。「あきらめた」のか、「飽きた」のか、それは私も聞かないし、わかんないけど。

けど、いつも何だか不思議だなと思うのは、「あ、この人はもう少しやれば、きっとデビューできるだろうな」と思うような人が、必ずしも作家になるまで書き続けるとは限らない、ってことである。なぜか、あきらめがめちゃくちゃ早い人がけっこう多い。たぶん世間にn「作家志望」という人が百人いたとして、そのうちたぶん90人くらいは、たった一作書いたか、まだ最後まで書かないうちにあきらめる。そのあと、残りの10人のうち、そのまた9人が数作であきらめるくらいの割合かなあ。小説講座に入学するような人は、もちろんやる気はあるんだけど、それでもみんな驚くほど、けっこうあきらめが早いのだ。不思議。

たぶん、こうしてあきらめる人が多い理由の一つは、「作家になりたい」と考えるタイミングが、実際に「小説を書く」というタイミングに比べて、ちょっと早すぎるせいなのではないか、と私は考えている。こう考えれば、わかりやすいもんな。でも、たとえば、歌を歌うのが好きな人がいて、しょっちゅうカラオケに行くとしても、それだけで周囲が「まさか歌手になるつもりじゃないの」なんてことははあまり言わない。カラオケだけじゃなくて、バンドを組んで、相当な数のライブ活動をこなせば、「そろそろ本気でデビューする気なのかなあ」とは思われるかもしんないけど、たぶん歌を歌うくらい、趣味としては、あまりめずらしくもないのである。それと同じで、野球なんかもサッカーなんかも、とくにプロ志望じゃなくても、そこそこ熱中するくらいなら、かなりの人にそれなりの経験があったりするからね。

ところが、小説を書くというのは、ちょっとめずらしい。だから、そんなものを書くのにはきっと特殊な理由がいるのに違いない。だから本人も周囲も、小説を書くか書かないうちにすぐ「作家になりたいのか」などと考えちゃうんじゃないかと思うんだけど、どうだろうな。だいたい最近は、「読書」が趣味、というだけで、めずらしい人種らしいからなー。「本を買って読む」という行為そのものが、めずらしい趣味になりつつあるのかもしれない。「インターネットならいくらでもタダで読めるのに、なぜわざわざお金を出して本なんか読むの、変わってるね」なーんてね。

いや、それより、どうも「文章」ってのは、スポーツと違って、周囲から見て面白さがわかりにくいんじゃないのかなー。まあ、文章を書くのって、たぶん周りから冷静に見たら、ちょっと不気味な行為だろうしな。だったら、小説講座なんて、不気味な集団? え、そんなことは。いや、ま、ちょっと変わった人の集まりかもしれないけどさ。

08/22/2006

そろそろ小説講座の生徒募集など

8月21日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

お休みなのだが、休日出勤。といっても、さほど仕事ははかどらず。まだ休みボケなのかな〜。生徒作品など読んで過ごす。月曜日にしてはめずらしく電話数件。入学資料の請求もあるけど、9月締切の「ショートショート大賞」というコンテストをやっているので、その件など。

コンテストに応募してくれるのはウレシイけど、やっぱ入学のお問合せに比べるとちょっとウレシサが違う。コンクール応募者は、入賞でもしない限り、ほぼ全員、最後まで顔も知らないわけだけど、講座は、通学コースだから入学したら一年間、毎週会うことになるわけだから(正確には年35回だけど)、けっこう親密な間柄になっちゃうのだ。だから、なんつーか、あっちは通りすがりの他人、こっちは恋人候補みたいなもんだから。

ちなみに、うちの小説講座は、年に1回、毎年秋しか生徒募集をしていない。(すいませんねえ、商売っ気がなくて)。生徒募集は、春と秋と2回あるのだが、春は文章教室のみの募集なので、小説講座は秋しか募集がないのである。まあ、少数制だし、非営利団体だからということもあるけど、もともと広告を大量に打って、大量に生徒を集める講座でもないしねえ。数十人いる講師も、なにせみな現役作家さんばっかりで、本業に忙しいし、年に1回〜数回ずつご出講いただくので精一杯だもんな。

また「エンターテインメントノベル講座」という名前の講座なので、基本的には『純文学』志向の人には合わない、ってのもあるし(実際には、純文学志向の生徒さんはけっこういるけど)、講座内容も、ミステリだとか、ファンタジーだとか、SFだとか、ホラーだとか、時代小説だとか、いわゆる「大衆娯楽小説」というジャンルなので、あまり高尚な「文学論」をやっているという感じはないかもしれないし。いや、もちろん講義でも、終わってからの飲み会でもワイワイと、それなりに真剣に小説についての話はしているんですよモチロン。ただ、まあ、何と言いますか、「川端、三島、志賀直哉」というよりは、「日本沈没、スーパーマン、ゲド戦記」みたいな感じでして。いや、ちょっと違うか。

ま、とにかく「娯楽小説」なんである。また「プロ作家養成」というカリキュラムになっているので、「できれば商業出版をやりたい」という人向け。いわゆる文学志向の人の中には、「商業出版をめざすなんて、本来の芸術ではない」という人もいたりするから(むろん色々な考え方をされる人はいるのである)、そういう人にもあまりオススメできないしな。

もちろん実際には、入学者のうち「まだ一度も小説を書いたことがない」という人もけっこういる(とくになぜか今年のクラスは、初心者が多い。半分くらいかな。いつもは、3割くらい。ま、入学前に「自分では多少書けるつもりでいた」ような人も、けっこう「悪いクセ」がついていたりして、初心者に追いつかれてしまったりするから、一年やって卒業する頃にはわかんなくなっちゃってることも多い。だから、あんまり関係ないと思うけど)

まあ、どうやら書いたことがなくても、小説を読むのが好きで、けっこう読んでる人だったりすると、それはそれなりに上達もけっこう早いので、あんまり関係がなかったりするのである。だから、よく入学の問い合せなんかで、「まだほとんど作品を書いたことがないけど、講座についていけるでしょうか」なんてことを聞かれることがあるのだが、「書いたことがない」ってのはあんまり問題はなかったりする。もちろん初心者のうちは、どうしても書いた量に比例してうまくなるから、まったくの初心者に「一年以内に絶対にデビューしたい」と言われても、私は絶対に保証しないが(あ、もしかすると、量的には、月産数百枚ペースで書けば、必ずしも不可能でもないのかも)

だから、どんな人でも「小説を書いてみたい」という気さえあれば、書いて欲しいし、たぶんそれなりに訓練さえすれば、まず誰でも書けるはずだと思う(プロになるってのは、またもう少し努力がいると思うが、とりあえず書くだけなら誰でもできる)

でも、こういう人だけはあんまり入学してほしくないなー。つまり、「小説は読むのも書くのもキライだけど、作家になりたい」という人。ま、こういう人、電話の問い合せではたまにいるのよね。でも、有り難いことに、こういう人は、間違ってもわざわざ学費を払って入学して来ないみたいだから、別にいいんだけどね。

08/21/2006

小説とは関係のない休日(異形を読んで曼荼羅)

8月20日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

仕事はお休み。子供たちは、父親と「須磨」へ魚釣り。私は、のんびり休日。昼間は暑いので、数時間ほど図書館。夕方から自転車で3時間走りまくって、城北川をうろうろ現地調査。

夜、家族は梅田で食事をして帰るというので、一人で軽く食事をして、小さな缶ビールを片手に読書。昨日、堀先生に献本していただいたホラー短編集『異形コレクション 進化論』を読む。堀先生の新作短編あり。タイムマシン製作とか何かと忙しい先生だけど、やっぱ、私ももっと作品読みたいなー(純粋に個人的な願望!)まして世間ではもっと切実なハードSFファンもいっぱいいるだろうし、お願いします堀先生。

そのまま半分ほど読むが、私はホラーアンソロジーをまとめていっぱい読むと「ゲップ」が出る体質。実は、ホラー映画は怖くて見れないこともあるけど、ホラー小説はいくらでも読めて平気なのだが、それでもさすがに十数作を続けて読むと、まるで濃い目のメニューばっかり食べたみたいに腹もたれがする。寝る前だから、口直しに「軽めのエッセイ」でも読もうかなと本棚をのぞく。そうそう、進化論つながりで久しぶりにスティーブン・J・グールドの科学エッセイでも読もうかしら……と思ったら、本棚には一冊もない。

結局、エッセイがなぜか見つからず、『時間の矢、時間の輪』『人間の測りまちがい』『個体発生と系統発生』だけが見つかって、どう考えても、軽く読むにはややこしい本しかなく、仕方なく『人間の測りまちがい』を読んだら、なぜかゲップが出てきた。

ヤバイので適当に「とにかく別の関係のないジャンル」と手を伸ばしたら、今度はなぜか『曼荼羅』関係の本が目に入ってしまい、手にとってパラパラ見てたら、「真言宗の寺院 中山寺」などという字が目に入る。え、中山寺って、よくハイキングなんかで立ち寄るあの宝塚の中山寺? あれって真言宗だったっけ? 出産祈祷しか印象になかったけど、そういや、たしか上の息子の時も、双子の時も、実家の母が私のために腹帯をもらいに行ったはずだが……真言宗だったっけ。知らんかった。でも、あれって開祖が聖徳太子っていう……ええっと、空海って何世紀の人だったっけ……などと興味をもってしまい、しばらく曼荼羅を見ていたら、ホラー短編十数本のあとだったせいか、それともピールがまわってたのか、くらくら目眩がしてきてすっかり「ゲップ」状態。頭がぼおーっとトリップしそう。なるほど、疲労した体にアルコール摂取して、「異形して曼荼羅」ってのはけっこうキケンなのかあ。知らんかった(皆さんも、ぜひ一度お試しください)

けど、トリップするというよりは、ただの悪酔い状態で、家族の帰宅を待たずに9時過ぎにダウン。

08/20/2006

作品指導も、楽しい小説「家庭の事情」

8月19日(土)
朝から小説講座の事務所へ。午後からは、ライティング講座の講義。夕方は、第9期の修了課題指導あり。本日の講師は、堀晃先生。

事務担当のOさんもお休み。ライティング講座も欠席者多し。もしかして、夏バテかな。

夕方、小説講座の教室まで移動しようと、いつものように自転車のカゴに大量の作品を詰め込んでいると、にわかに空が曇ってきた。ざあっと降られるとヤバイかな、と思ったのだが、時間的にはギリギリだし、作品集などが濡れないように小さな傘をカゴにかけ、自分は濡れて走ってゆく。高井先生にお借りしたブラッドベリのビデオも持っていたので、濡れるとヤバイ。かなりヒヤヒヤ。なんとか天満橋へ着く。

本日の講師は、SF作家の堀先生。作品5編。そのうちいわゆるSF小説というのは1編だけで、あと2編は「まあSF」という感じ。残り2編は、恋愛小説。

うちの小説講座は、講師が十数人もいるので、提出された作品は、たいていその作品にあった講師をあとから依頼する形をとっている。だから、ミステリはミステリ、ファンタジーならファンタジーの先生が指導することになる場合が多いのだけど、実際にはそう簡単に判断できるわけではなくて、まだ初心者なのでどんなジャンルなのかわからないような作品も多いし、生徒ご本人の希望もあるし、講師のスケジュールの問題もあるし、あるいは生徒さんの性格的な問題(ちょっとでもギビしく言われるとすぐメゲちゃうタイプとか、逆にあんまりホメられすぎると気持ち悪いからビシビシ言われたい人とか)も色々あったりして、必ずしもジャンルだけで、指導講師を決めているわけではないのだった。

堀先生はハードSFで有名だけど、読書範囲がかなり広くて、的確な作品指導には定評がある。ちょっと他の先生でも難しいような作品をお願いしたりすることもあり、なにせ話し方もとても優しい感じなので、繊細な生徒さんには人気が高い。で、今回の「恋愛小説」も、そのうち一人は「ぜひ堀先生に」というご本人の希望である。私も、堀先生がベストだろうと判断したので、お願いしたのだった。

さて、一番SFっぽい作品(近未来SF)を書いていた生徒さんは、突然の急用(どなたかご不幸か何かあったらしい)で残念ながら欠席。この生徒さんは、「第2の人生を目前にして、何かやりたいことは何か考えたら、若い頃にSFが好きだったのを思い出し、小説を書いたことはないけど、今後の余暇利用のために、小説講座に入学してみた」という男性。9期生では一番年上。かなり前から「修了作品はもちろんSFを書きたい。ぜひ堀先生に指導してもらいたい」と楽しみにしていた人なので、せっかくの指導日に欠席とは、本当に気の毒である。毎年、自分の作品指導日に欠席される人は(専攻科も含めてだけど)、年に一人くらいはいる。そんな時、いつもなら私が聞き取りして、後日本人にメモを渡すことにしているのだが、今回はやさしい堀先生が「じゃあ、何か文書にしてあげますよ」と言ってくれたので、ちょっとホッとした。きっと喜ぶだろう。

本日の作品は、初心者が多いのだが、それぞれ面白いので、今後が楽しみ。もちろん書き慣れてない部分が目につくものもあるけど、何作か書けばすぐうまくなるだろう。ただ、堀先生もおっしゃっていたのだが、けっこうアイデアは面白いし、構成も変わっているのだが、それは本人たちはほとんど自覚してない。たとえば、ある「恋愛作品」は少し変わった構成になっていて、先生がホワイトボードに「この作品は、全体はこういう構成になっているわけですが……」と図解してくれて、私もやっと改めて「やっぱりそうなのか」と理解できたくらい。最初読んでみて、ちょっとよくわかんなかったから何度か読んで、「あ、そうなのか」という感じだった。たぶん他の生徒さんも少しは迷ったんじゃないかと思うんだけど、どうなんかな。

で、先生が「これは、このように、ある種のメタ・フィクションの形になっているんですが、これ、意識して書かれましたか?」と本人に質問される。初めての50枚作品を書いたわけだし、たぶん計算づくでできる人ではない。日頃、私は、生徒さんと話す機会が先生よりもよほど多いので、この作品の後半の展開も、たぶん本人が「ああ、どうしよう。このままじゃ作品がまとまらないわ。なんとかしないと」と七転八倒した末に、あのような形式になったのではないかと予想していたのだが。はたして本人も「え? メタ・フィクションって何ですか?」とちょっと驚いていた。それにしても、それもこれも、なぜか堀先生にはみんなお見通しなのだなあ。さすがだなあ。

まあ、別に「メタ・フィクション」って何かとかも知らなくてもいいし、プロの作家さんも、いつも形式を意識して書いているとは限らないし、カンで書いててもいいのだが、そういうのって知っていてもソンはないし、知ってた方がやっぱ得なんじゃないかな。

けど、ふと思ったのだが、自分がちょっと難しいパターンを使っているという自覚もないのは、チャレンジするには、むしろいいことなのかも。専攻科などになると、危険を避けようとすることがあるもんな。ま、自分の苦手も含めて知ってて使いこなす、というのは、かなりのワザとカクゴがいるのかな。それとも好奇心か、チャレンジ精神がいるのか。あ、プロだからサービス精神か。

クリアな作品指導が終わったあと、忙しい先生は帰られて、生徒さんたちといつもの飲み会へ。
作品指導を受けた生徒さんを囲んで、ビール片手に少し話をする。講義中、先生が、書かれるべきところがあまり書かれてないという指摘をされ、
「たとえば、同窓会のために東京から帰省した主人公が『家庭の事情があるから』と実家には泊まらず、わざわざウイークリーマンションを借りて一人で泊まっているという場面があるのですが、この『家庭の事情』って何なんですか? どこにも書かれてませんよね」と質問されていたのだが、それに関して、
「ねえ、ホントはどんな事情があったの? ホントに考えてなかったの?」と質問される生徒さん。
「えー、考えてない。あんな細かいとこ、そんなに気になるかしら。面倒だから、適当に『家庭の事情』って書いたのに」
「いや、普通、『家庭の事情』って言われるとなんか気になるよ」
「うん。私も、絶対、何か事情があって、あとで書いてくれるだろうな〜って気になってたもん」
「ああ書かれると、たいていは何かの『伏線』かと思うよね」
「私、全然、考えてなかったわあ。そんなこと」
「作者が気にならなくても、ふつうは気になるよね」
「実家に泊まれない事情……っていうと、ほら、もともと父子家庭だったのに再婚してて、遠慮して……とか?」
「で、新しいお母さんがかえって気をつかったりしてね」
「じゃ、こういうのどう。父の再婚相手が男性」
「きゃー、いいかもー。でも、それってもう別の話」
「それよりも、父親そのものの性別が変わっちゃったりして」
「お父さんがお母さんに」
「うわあ、そんな実家には帰りたくない〜」
「ギャグ小説?」
「それよりも、もっと恐ろしい事情が隠されてるとか。誰か死んでる…」
「呪われた事情?」
「そろそろ恋愛小説じゃなくなってきたな」
「実際、帰省しても実家に泊まりたくない理由ってのも色々あるかもね」
「実家じゃ、タバコが吸えないのよ」
「タバコくらいで、実家に帰らないのってヘンじゃない?」
「いやいや。たぶんお母さんがキレイ好きで、極端な潔癖性」
「それぐらいベランダで吸えば」
「ダメダメ。若い女がベランダでタバコなんて、あたしゃ恥ずかしい。ご近所に何言われるか」
「現実的には、私の友達でも、兄か弟が結婚してたりして、もう自分の部屋がなくて、甥っ子の子供部屋になっちゃってたりして、帰っても泊まる部屋もない、ってコト、実際あるらしいよ」
「え、そうなの? でも、みんな、そんなに私の作品、『家庭の事情』なんか気になる?」
「そら、主人公やしなあ」
「そんな細かいトコくらい。かるく読みトバしてくれればいいのに」
「いや、オレはトバさない。じっくり読んだ」
「私だってちゃんと読んだわよ〜」
「そうよ。今さら何言ってるの。作品指導なんだから、みんなアンタの作品じっくり読んだに決まってんじゃないの〜」
「そうそう。やっぱ、先生はさすがよね。めちゃくちゃ勉強になったもんね」
「えー、なんだか恥ずかしい〜」
「今さら何を」

……などと人の作品を肴にワイワイと話をした後、10時半頃、解散。雨上がりの夜を自転車で帰宅。

08/19/2006

家に帰ると、ヤシの木

8月18日(金)
朝から小説講座の事務所。あいかわらず、休みボケであまり仕事ははかどらず。このところ、ほぼ2週間ほどほとんどインターネット環境になかったものだから、あちこち見たりして目が疲れる。

夕方、帰宅すると、なぜかリビングに、背の高さくらいのでっかいヤシの木があった。ふさふさと葉がしげって、なかなか立派なヤシの木である。
「あ、それ、すごいやろ。パパが昼間、買ってきてん。安売りやねん。千円やってん」
「千円?」
「うん。ほんでパパが自転車で持って帰ってん。ほら、あのおっきなホームセンターから」
「え、東大阪の? けっこう遠いのに」
「うん、私らのカラーボックス買ってあげるって、ママの自転車借りてパパと一緒に行ってん。ほんならパパがついでにヤシの木も買うって、全部まとめて自転車に乗せて帰ってきてん」

どうも「3段のカラーボックス2個」と「大きなヤシの木」を自転車の荷台に乗せて持って帰ったらしい。がんばるな。ま、あの人は、本棚や机まで、自転車に乗せて帰って来るからな。日頃から、わけのわからん作品(現代美術)を作るからといって、巨大なパネルとか、けっこうあやしいもんを自転車で運んどったりするから、それくらい平気なのである。

ふと、何か思い出したぞ。そういや、先日の旅行で、うちの息子が「海岸で拾った何十個もの石」と「パンパンに砂をつめたペットボトル数本」を入れた何キロにもなるリュックサックを「やっぱ、けっこう重いわ」とふうふう言いながらも、自宅まで汗だくで持って帰る姿。ああ、なるほど、そういうことだわね。欲しいと思ったらそれしか考えられないタイプで、たぶん「重い」というのにはまったく気がつかないのだな。なんか「遺伝」という文字が頭をよぎる。この親子はなにかと性格が似てるからなあ。 

案の定、「ほら、立派だろう。これが、たったの千円だったんだぞ。信じられんよなあ」とうれしそうにいう夫。
「ふーん。一般家庭には大きすぎるから、売れ残ってたんじゃないの」
と、それとなくイヤミをいう私。ただでさえ他人の家よりずーっと狭い我が家にも、これはもちろん大きすぎると思うぞ。

でも、遠回しの妻のイヤミなんぞ、どのみち気がつくはずがないマイペースな夫。
「でも、せっかく重い目をして持って帰ったのに、ほかの鉢と並べたら、あんまり目立たないんだよなあ。もっとジャングルみたいになるかと思って、喜んで持って帰ったのに」

そう言われてみれば、うちの観葉植物はすでに数十鉢あるので(たぶん小さいのを入れると今は60〜70個くらい。これでもだいぶ人にあげたりして減ったのに)、それらと一緒に並べていると、あまり目立たないように見える……だって、うちの窓際は、天井に吊った鉢からも、もう何本もツタが垂れているし……。

けど、それって、すでにジャングルみたいになってるからなのでは……。

まあ、すべて彼が世話をしているので、私が文句をいうわけではないのだが……ま、そりゃ、石とか、砂とか、アルミホイルの切れっぱしとか、牛乳瓶のフタとか、ガラクタまみれの息子の部屋よりはいいけど、でも、なんで部屋をジャングルにしたいのかなあ。

夕食は、夫の手作りの「ゴーヤカレー」を食べる。コレが意外に美味しいのだが、庭で獲れたゴーヤはすでに黄色くなりかけていたらしく、カレーの中で保護色。最初、気づかずにかなりビックリした。やっぱ、ゴーヤは緑色がいいぞ。

08/17/2006

小説講座の事務所は、お休み明けです

8月17日(木)
朝から小説講座の事務所。今日から仕事再開。

2週間のお休みで、さすがに休みボケである。なかなか仕事モードに戻らず。資料請求などの作業がたまっていたりして、終日、雑用など。ついでに休み中のブログもまとめてアップする(ホントにすっかり小説とはまったく関係のない日々を過ごしていた)
遊びすぎたんで、夏バテかな。
明日から、がんばります。

小説とは関係のない休日(平等院と淀川)

8月16日(水)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業の最終日。明日から私も仕事なので、子供たちを連れてどこかへ行こうと思ったのだが、息子は盆休みにも関わらず、クラブの練習。娘たちだけを連れて、2時過ぎからのんびり宇治の平等院へ。めずらしく夫が行きたがったせいである。私も、宇治はつい最近も来たばかりだが、その日は夕方だったせいで、中に入れなかったしね。今日は4時に着き、鳳凰堂の中もしっかり見学して、5時半の閉門までのんびり過ごす。

平等院の中に入ったのは「たぶん小学校の遠足以来」という夫は、「雲中供養菩薩像」がめちゃくちゃ気にいったらしく、ちゃっかり写真集を2冊も買い込む。彼は美大卒だが、洋画専攻で、日本画にはまったく興味がないはずだが、木彫は好きなのかな。踊ったり楽器をもってる像なので、いいのかもしれない。ちなみに私は、仏像など、彫刻には昔からさほど興味がないのだが、娘たちも「あの鳳凰、とってもかわいい!」とわざわざおこづかいで絵ハガキを買っていた。国宝かどうか知らなくても、「かわいい」からいいらしい。シブイ趣味だ。『雲中供養菩薩像』も、どれが一番よかったか、父親と「好きな像」が一致したらしい。親子で「やっぱりアレが一番イイよな!」と盛り上がっていた。正直、平等院で盛り上がるとは思わなかったが、ちょっと変わった親子である。

正門前のお店で、宇治抹茶ソフトを食べる。ひきたての抹茶をふりかけてくれて250円。なかなかおいしい。赤とんぼが飛ぶ宇治川沿いをちょっと散歩する。先日、私が宇治に立ち寄ったのは、確か祇園祭の日だったのだが、今日も、京都の送り火。そのせいか人もあまりいない静かな川辺。「いやあ、大阪から近いのに、けっこう風情があるなあ。川もきれいだし」と夫が言うので、「そうだねえ。淀川になるとまるで違うのにね」と言うと、「え。宇治川と淀川は全然違うやろ」と言う。
「淀川になるんは、もっと京都の東の方を流れている川やろ? ここ宇治川やで」
「ああ、桂川? ま、三つの川が合流してから、やっと淀川ってゆうからなあ」
「ほら、ぜんぜん違うやんか」
「でも、琵琶湖から流れてるんは、この川やで。ほら、よく淀川の源は、琵琶湖やってゆうやろ。国の指定でも、ここが本流なわけやし。水系だって、淀川水系」
「ええっ、そうなん? だって、ほら、こんなにきれいなのに?」
「そりゃ、淀川は下流やからなあ。その分、よどんでるかもしれへんけど」
「えー、この川、淀川になるの。こんなにきれいやのに、そんなん、かわいそうやなあ」
「かわいそう?」
「いやあ、もったいないよなあ」

……そんなんゆうたら淀川もかわいそうなんちゃうのかなあ。まあ、ええけど。そういや、最近、私が調べてる寝屋川なんか、もっとかわいそうだよな。

08/16/2006

小説とは関係のない休日(お盆)

8月15日(火)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

まだまだ夏期休業中。今日は、夫の実家へ。昨年亡くなった義父。超スピードでお経をあげる若い坊さんは、わずか10分。相当な早業である。しかし、声がいいので、なかなかの聞きごたえ。やっぱ、声質は重要だな。

短いお経が終わってから、久しぶりで会ったイトコたち(うちの子供たちと義弟の子供たち)が騒ぎまくり。あんまりにもうるさくて、「ちょっとは静かにしなさい」と怒鳴って、一階の一室に子供たちを閉じ込めていたら、仏壇のある二階で、チーンチンという音がする。また誰かがいたずらしてるわ、と笑って、義母が見に行くと誰もいない。子供たちも「全員、いっしょに一階にいたよ」と言うので、やっぱり誰も鳴らしてないらしい。近所に仏壇がある家もなし。義母は「ほら、お盆やから、おじいさん帰ってきてるんやわ」と言い、「おじいさん、酒飲みやったから、酒が足らんって怒ってるんかしら」と日本酒をグラスにたっぷり入れて、二階に持って行った。なるほど、お盆である。

08/15/2006

小説とは関係のない休日(坊主頭の九州男児)

8月14日(月)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中。子供たちと一緒に、弟のマンションへ。5月に生まれた彼らの息子(私の甥っ子)は、お嫁さんの里帰り出産で、佐賀県生まれの九州男児。先月、大阪に来たばかり。生まれつき髪の毛が多く、さすがに暑そうなのでハサミで切ったら、シマシマ頭になったそうで、通りかかりのオバサンに「おや、こんなに小さいのに、阪神ファンかい?」と言われてしまい、今はボウズ頭である。

天満宮でのお宮参りのビデオを見せてもらったら、赤ん坊の額に「犬」と書いてある。天満宮には「『大』とか『小』は間違いで、『犬』と書くのが正式です」と張り紙があったそうだが、こういうのはどうせ神社などによって違うんだろうね、という話になる。そういや、赤ん坊のお初参りで、なぜ額に赤い字を書くんだろうなあ。
ふと以前、読んだ本を思い出し、「そう言えば、たしか赤ん坊が生まれたら、額に生きたカニを這わせるという風習があったはずだけど」と言ったら、弟には「犬じゃなくて、カニ?」「そんなものどこにでもおらんやろ」とゲラゲラ笑われた。いや、たしか人類学の本か何かで読んだんだけどな。そりゃ、どこにでもあった風習でもないだろうが、海岸沿いじゃなくても、昔はサワガニくらいならけっこういるんじゃないのかなあ。

そりゃ、今は精一杯探しても、せいぜいカエルしかいない、なんてこともあるだろうしな。ま、生きたカエル……ってのは、やっぱ、いやかも。

08/14/2006

小説とは関係のない休日(梅田ジュンクなど)

8月13日(日)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中。子供たちは、義母の家にそのままお泊まり。私は、昨日まで、なんだかんだで10日間もずっと自宅を離れていたので、たまった家事をかたづける。図書館の予約本を引き取り、午後から梅田に行き、ジュンクでまた地図やら本などを買い込む。帰る間際になって、『旗振り山』という本を発見。関西あたりでハイキングに行くと、たまにお目にかかるのがこの「旗振り山」というヤツ。江戸時代頃、米相場を全国に知らせるために旗信号を使った連絡網が整備されていたらしいのである。そのための山が旗振り山。あちこちにあるのだが、一体どういうルートを使ったのか、ちょっとわからない。私も気になって調べてみようと思ったのだけど、いい資料がなかったのであきらめていたのだった。連載があったのは知っていたけど、本が出ていたのかあ。

「うわお、欲しい〜」と思ったけど、もはやわずか3000円すらも財布にない(本屋に入ると財布が全部カラになるまで買うタイプ。きりがないのでカード使用は禁止)。泣く泣くあきらめる。立ち読みしてみたら、どうも「お江戸」まで十数時間で情報が届くらしい。飛脚なら4〜7日はかかるだろうから、たいしたものである。いつの時代も、相場関係は情報が大事だからなあ。しかし、こうしたことをちゃんと調べてくれる人がいるので助かるなあ。

08/13/2006

小説とは関係のない休日(加賀3日目)

8月12日(土)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、「加賀温泉」3日目。午前中、こおろぎ橋まで、鶴仙渓を散策。昼頃までのんびりして、加賀温泉駅に戻る。午後は、東尋坊に寄る予定だったのだが、義母が疲れたらしいので、そのまま電車で帰ることに。駅前のショッピングセンターで義母たちが休憩するらしいので、息子たちと一緒に巡回バスに乗って、尼御前岬あたりでブラブラ歩く。どこに行っても海岸の砂と石を拾う息子。集めているので、またペットボトルいっぱいに砂をつめこみ。さらに、10センチ以上もある大きな石をごろごろ拾う。ズボンの両ポケットにパンパンにつっこみ、重すぎてズボンがずりさがっている。アホ丸出しである。

「ちょっと重すぎるやろ。減らしたら? 昨日も塩屋海岸でめちゃくちゃいっぱい拾ってるやろ?」と言ったのだが、
「大丈夫、大丈夫。いくら重くても、思い出の重さやから平気やねん」と言う息子。そんな兄につられて、娘たちも大きな石をゴロゴロ拾う。子供たちの荷物は、自分たちのリュックに入れるはずなので、いくら重くても、どうせ本人の自由だからほっとくことにする。

夕方、落雷と豪雨の影響らしく、60分以上も電車が遅れているらしいので、乗る予定だった「サンダーバード」を待たずに、早めの「雷鳥」で大阪に。

08/12/2006

小説とは関係のない休日(加賀2日目)

8月11日(金)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、「加賀温泉」あたり。今日は、塩屋海岸へ。義母の故郷がこのあたりなので、海水浴の前に墓参りに行く。すぐ近くには吉崎御坊があり、ちょうど石川と福井の県境である。ついでに、有名な「鹿島の森」を見物。小さな森なのだが、いわゆる鎮守の森で、数百年ほど人手が入ってないらしい。私と息子は「アカテガニがうようよいる」と聞いていたのでけっこう楽しみにしていたが、海水浴にしか興味のない双子の娘たちは行きたがらない。しかたなく、義母にまかせて置いて行く。鳥居をくぐった途端、地面全体がわらわらと動く。木の下に一面、何百匹もカニだらけである。喜んだ息子が飛び跳ねると、無数のカニが驚いてまたワラワラ。めちゃくちゃいっぱいいる。あんまり面白いので、追いかけ回してみる。ちょっと山を登ってみるが、ずっとカニだらけである。あっちにもこっちにもカニだらけ。めちゃくちゃ面白い。私は面白いが、こんなに多いと気持ち悪がるだろうから、これなら娘たちを連れて来なくて正解である。

3時頃まで海水浴をして、今度は、山中温泉に移動。塩屋海岸は、大聖寺川が日本海に注ぐところにあるのだが、山中温泉は、山の中。大聖寺側の上流である。鶴仙渓沿いの旅館。今度は、渓流を見ながら入れる露天風呂。夕食は、アワビやステーキ等。体重が気になるくせに、ムリに食べてしまうのが貧乏性。楽しいはずの旅行でもつい気になるのが、太る体重、やせる財布。ちなみに今回、旅行費はすべて夫が支払っているので、よくわからない。でも、義母がいつまで元気で旅行に来れるかわからないしねえ。

08/11/2006

小説とは関係のない休日(加賀1日目)

8月10日(木)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、今日から3日ほど「加賀温泉」周辺。昨日の夜、東京から帰ったばかりなのだが、朝からサンダーバードで加賀温泉へ。今度は、家族旅行である。義母の故郷で、目的は墓参り。心臓の悪い義母と一緒ということで、我が家にしてはリッチな旅館。サンダーバードで2時間。一日目は、片山津温泉泊まり。盆休みにはちょっと早いせいか、ホテルにあるプールもうちの家族だけ。貸し切りである。せっかくの25メートルプールなので、子供たちと競争してみる。が、中1の息子には何メートルも引き離され、小3の双子の娘たちにもすっかり負ける。くやしい。マジにスイミングでも習いに行こうかしら。運動不足だし、肩こりにもいいらしいし(夫は「25メートルも泳げる自信がない」らしいので泳がず)

夕方、ホテルで自転車を借りて、息子と柴山潟を一周する。地図を見ると、ぱっくり半分が干拓地になっている。水質はあまりよくなさそうだなあ。途中、「中谷宇吉郎 雪の科学館」というのがあったので、立ち寄ってみる。中谷宇吉郎と言えば、なんか子供の頃、本で読んだ覚えがあるが、私みたいにずっと大阪に住んでいるととかく「雪」には縁遠い。キレイな雪の結晶をナマで見たことがあるのも、これまでの人生で、わずかに2回だけである。閉館間際で、あまり人がおらず、息子は、氷を溶かしてチンダル像を観察するという装置が気に入って、何度も繰り返しやっていた。館長さんらしき人が「家でもやれますよ」とリーフレットをくれたけど、こんなにきれいには見えないだろうしね。

旅館に戻って、夕食。露天風呂からあがり、浴衣のまま、庭にある「足湯」につかって、花火を見る。

08/10/2006

小説とは関係のない休日(東京7日目、最終日)

8月9日(水)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、一週間ほど東京滞在中。今日が最終日。地形図を教えてくれた先生も大変おもしろい先生で、ホントに楽しい一週間だったなあ。先生には、今度ぜひまた現地研究に同行させて欲しいと頼んでおく。趣味のお勉強も、いろいろな人と会えるから楽しいなあ。夕方、6時過ぎの新幹線で大阪に帰る。

08/09/2006

小説とは関係のない休日(東京6日目、二子玉川)

8月8日(火)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、一週間ほど東京滞在中。昼から「二子玉川」周辺の現地研究に同行。その前にちょっと時間があったので、2駅離れたところにある長谷川町子美術館へ。夏休みのせいか、収蔵展ではなくて、特別企画展。ミニチュアの家に色を塗って、花沢不動産の分譲地に家を建ててもらう。ダーツをやると「特製サザエさん巾着袋」が当たる。非売品だそうで、一番人気らしいぞ。現地研究は、河岸段丘とか測定とかカンタンな水質検査など。夕方、解散してから、先生と助手の学生さんたちとお茶。そのあと、院生の学生さんと一緒に、百貨店の11階から夕日を見る。多摩川もなかなか素敵である。

08/08/2006

小説とは関係のない休日(東京5日目、イタリアン冷麺)

8月7日(月)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、一週間ほど東京滞在中。一般の人には、たぶん何が面白いのかわからない接峰面図など。夜は、図書館で雑誌検索とか。10時に図書館を出てホテルに戻る途中、夕食を食べてないのを思い出し、入った定食屋で変わった冷麺を発見。ほうれん草だか入った緑色の麺を使って、「イタリアントマトソース」(バジル風味)の冷麺である。トッピングはレタスなどのサラダ風。かなり変わった味で、なんだか面白い。けど、どう考えてももはや「冷麺」ではないよなあ。そういや、冷麺の定義って、何なのかな。

08/07/2006

小説とは関係のない休日(東京4日目、つくば)

8月6日(日)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、一週間ほど東京滞在中。日曜日なので、お勉強もお休みして、一日のんびりすることに。昨年できたばかりの「つくばエクスプレス」に乗ってみたかったので、秋葉原から「フリーチケット」を購入して、つくばへちょっと観光へ行ってみる。「サイエンスツアーバス」というボランティアガイドつきの巡回バスが出ていて、こちらは500円で一日乗り放題。一番のおめあては、宇宙センターではなくて(もちろんしっかり行きましたが)、私の場合は、地質標本館。なかなか面白い展示で、思わず興奮。専門的なんで、子供にはちょっと難しすぎだろうけど(国土地理院は子供向け)、大人にはオススメ。

夕方まであちこち回り、帰りは、浅草で夕食。で、ふと気がついたのだが、どうも大阪でも東側に住んでいるせいか、東京でもついつい東側にころがっていくみたいだなあ。下町体質なのかなあ。

08/06/2006

小説とは関係のない休日(東京3日目、神田川)

8月5日(土)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、一週間ほど東京滞在中。この1年ほど、寝屋川を調べているのだが、寝屋川との対比で、この一週間、神田川も調査中。今日は、午前中、都電荒川線で「面影橋」下車。神田川沿いを「飯田橋」まで歩く。途中、駒塚橋のあたりで「水神社」という古い神社が目に入り、地図を見るとその横の坂が「胸突坂」と書いてあったので、本当に胸が突くほどの坂かどうか、走って駆け上がってみる。雲一つない晴天で、夏真っ盛り。実際には、神戸の「オランダ坂」みたいに、正直、何の変哲もないただの細い坂である。それを走って登ったら、目白台の親子連れにちょっと白い目で見られた。わざわざ汗だくになっただけで、我ながらアホだと思うが、高低差がけっこう面白い。

坂をもどって降りたところで、自転車に乗ったオジサンに「この川、神田川ですか?」と声をかけられる。普段着のオッサンに、大阪から来た私がなんでそんなことを聞かれるのか。ちょっと面食らう。ちなみに、私はどうも「道聞かれ顔」(かんべ先生のホームページ参照)というヤツらしく、東京でもよく道を聞かれるのである。ま、東京ならいつでも地図を持ち歩いているので、何を聞かれても、案外答えられたりするのだけど。

聞くと、どうも多摩から自転車できたらしい。地図も持っているらしいので、「ああ、このあたりですよ」と指差して教えたら、「ああ、椿山荘の近くか。けっこう来たなあ」と言う。まあ、多摩の方といっても色々だし、あちこち回ってきたみたいだけど、推定15〜20キロくらいかな。ママチャリではけっこうな距離である。

「この坂、見晴らしはいいの?」と聞くので、「あまりよくないですよ」と言ったのだが、「ま、いいや。ちょっと登ってみよ」と自転車を置いて、坂を駆け上がって行った。「毎日、日曜日の身分」と言ってたので、定年した歳らしいが、なかなか元気なオッサンである。まあ、とにかく、これで真夏に坂を駆け上がるアホは、大阪から来たオバサン(私)だけでないわけだな。ホッとしたぞ。

この付近(新江戸川公園〜江戸川橋付近)は、神田川の河床が起伏にとんでいて、鯉なんかが優雅に泳いでいて、ちょっと驚く。下流とエライ違いである。この場所は、たしか上流側に下水処理場があるから、処理済みのキレイな水が流れて、相対的に水質がきれいになっている可能性があるのだが、それにしてもすぐ近くの江戸川橋を過ぎた途端に、よどんだイメージになるのに同じ川とは思えないほどだなあ。流速もかなり違っていてきれいに見えるのだが、川自体がゴツゴツした岩が削れているみたいな風景なので、まるで印象が違う。神田川は三面コンクリートだと思っていたのだが、違うのかなあ。護岸の資料は、まだ調べてないからなあ。平均6メートルくらいの高いコンクリートの壁に閉ざされていて、川には近寄れないので、橋の上からながめてみるけれど、どうも1〜2メートルくらい削れているところもあるから、岩盤のようである。はて、こんなところにこんな固い岩盤なんてあったかな。東京の地盤は、どうなってんだったっけな。たしか、東京礫層という固い岩盤があったはずだが、新宿の駅のあたりで、東側はガクンと何十メートルか下がってるはずなんだけどな。

まあ、神田川は何度もつけ変わったりしたややこしい川だし、目白台も段丘なので、ひょっとすると「東京層」というヤツが現れているのかしら。大阪なら、どの資料を調べればいいか検討がつくのだが、東京はなかなか検討がつかない。もうちょっと東側か、もっと西側なら、どっかの論文か本で見た覚えがあるのだが。ま、地下鉄があるから、ボーリングデータくらい何とかして手に入りそうだけどなあ。関東平野は広いけど、河岸段丘があちこちにボコボコあって、ちょっとヤヤこしい。誰か知っている人いないかな。

そのまま、神田川沿いを飯田橋まで歩く。午後から講義を受けて、夕方、東京在住の作家さんと新宿で夕食。1時頃まで、地図とにらめっこ。とりあえず、江戸川公園あたりは、この周囲だけが標高が5メートルくらいと低い。神田川も地面よりも数メートル低いところを流れているから、たぶんマイナス5〜6メートルくらいと検討をつけてみる。うーん。

08/05/2006

小説とは関係のない休日(東京2日目)

8月4日(金)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、私は恒例の東京滞在中。今回は、仕事もほとんどなくて、完全にプライベート。家族を大阪に置き、一人でホテル暮らしをして、趣味の「お勉強」。地理学と地学(地球学)関係。

こういう時は、職業も、社会的な立場も関係なく話ができるので、けっこう面白い。そういえば、小説講座の生徒さんは、社会人の方がほとんどなのだが、「ここに来れば、好きな小説や映画(時には特撮やアニメ)の話が好きなだけできるから楽しい」という人がけっこういるのだった。

しかし、せっかく東京に一週間もいるので、小説講座の生徒さんのためには、出版社の編集者にご意見など聞きに行ったりもしてあげたい気もするのだが。でも、毎年けっこう忙しいのである。朝は7時半にホテルを出発して、せっせと都内のフィールドワーク、大学のスクーリングして、夜10時まで図書館。夕食を食べてホテルに帰るのは11時半だからなあ。それから1時頃まで、資料の整理をして寝るというハードスケジュール。なかなかゆっくりした時間はないのだった。それにしても、子供たちを実家と夫に預けているので、年にたとえ一週間でも、朝から晩まで好きな勉強ができるのはとっても貴重なのだった。

08/04/2006

小説講座の事務所は、夏期休暇(夏休み企画、落ち込まないコツ」

8月3日(木)
小説講座の事務所は、8月3日〜16日まで、夏期休業中です。

夏期休業中にて、一週間ほど不在です。

ところで、小説を書く人に捧げる「落ち込まないための秘訣」を考えてみました。
(別名、作家になる前に、あきらめちゃわないための秘訣)

1  「才能」のあるなしで、悩まない。
小説講座の生徒さんで、なぜか、やたらこだわる人が多いのは、「私には才能があるのかしら」ってこと。ヒドイ人になると、まだ一度も作品を書いたこともないのに、「私には才能がありますかね」と聞いてきたりするのよね。
「才能」って、それは何なのか、自分で一度くらいちゃんと考えてみたりしたのかなあ〜と思うんだけど、たいていの人は、なんだかよくわかんないままで、とにかく「才能」が必要だと思い込んでるんだよねえ。
まあ、小説を書くのに何らかの「才能」が、はたして要るか要らないかはともかくとして、プロ作家になるのは特別な人ではない。とりあえず、そういうものがあったとしても、誰にどんな才能があるか、やってみなくちゃわかんないのだから、とりあえず才能のあるなしは考えない方がいいと思うよ。

2 最初からうまく書こうと思わない。
一作目、二作目から、プロ顔負けの作品が書ける、なんて人はそういない。まだ、何作も書いてないのなら、うまく書けないのは仕方ない。そのうちうまくなると思えばいい。なかなかうまくならないからといって、やたら自分を追い込んだりしないこと。

3 語彙のなさ、テクニックのなさを言い訳にしない。
語彙のなくたって、なんとかカバーできるし、ハウツーやテクニックは、実践しながらしか身につかないんだから、なければ身につければいいので、

4 プロ作家になることに、過大な期待をしない。
プロ作家になれば、すべてがうまくいって幸せになるとは限らない。プロ作家にならなくても、幸福になることはできるわけだし、必ずしも作家になりさえすれば、「名誉とお金が手に入る」ということはない。もし作家になることに、不必要なほどの期待をすると、自分自身が追い込まれてしまう。

5 とにかく早く作家になろうと、やたらにあせらない。
一般的な職業は、一人前になるまでに数年かかるけど、作家はコンテストに応募して、入選さえすれば即プロデビュー。そういう意味では、普通は一人前のプロになるまでに、実践トレーニングを積めるのだけど、作家は自分で自分自身をトレーニングするしかない。医者になるには、まず医学部で最低6年かかるし、弁護士だって、コックだって、カメラマンだって、とにかく一人前になるには、ある程度の訓練は必要だ。だから、まだあまり作品を書いてもないうちから、「何が何でも、今年中に作家にならなくては」と自分を追い込むと、反対に焦ったり気負ったりして、あまりいいものが書けなくなってしまう人もいる。早く早くとあせっても、実力が育ってないうちは、あせるだけでむしろ逆効果。

6 書く習慣を身につけておく。
あの時間帯とか、ある場所とか、一日一時間、あるいは週末に数時間など、決まった時間に書く習慣があれば、書くのが習慣になって、特別な習慣ではなくなる。

7 家族に理解してもらう。
社会人が挫折するきっかけは、転勤、結婚、出産などが多い。転勤は、自分の意志ではどうしようもないかもしれないけど、日頃から家族の理解を得るようにしておかないと、いくらいい小説が書ける能力があっても、なかなか続かない。家族に理解してもらうように、日頃から説得しておく(まあ、理解でもアキラメでもどっちでもいいが)

8 賞金を思い描く
小説コンテストに応募する場合は、賞金を具体的に思い描くのも楽しい。

9 読んでくれる人をみつけておく。
書き終わったら必ず読んでくれる人をもつ。小説講座なら、作品提出をすれば、作品集にもなるし、講師も読むけど、とにかく書き終わったら必ず読んでくれる人をみつけておく。そうすれば、最後まで書こうという気にもなるわけだから、途中で面倒になってきたりしても、書ききることができるかもしれない。

10 他人と較べない。
他人と自分とは個性が違うのだから、やたら他人と較べたりしないこと。

で、秘訣でもなんでもないけど。とにかく書くこと。
何も書かないでいると、余計に落ち込むのだ。

08/02/2006

やっぱ、書かずにはいられない

8月2日(水)
午前中から外出。昼すぎ、大阪シナリオ学校の事務所に寄って、アイスクリームを食べながら雑談。エル大阪に寄って8月分の教室代支払い。それから、小説講座の事務所。

発送作業いくつか。専攻科の発送分をかなり悩んだ末、2週間後の8月17日にすることに。早めに送付してしまった方が気が楽なのだが、予定変更があると面倒なことになるし。
ま、専攻科の作品集は、長編が多いので、これまではなるべく早めに渡すようにしていたのだが、あまり早めに配布すると2ヶ月ほどの間に紛失する人が続出。早く配っても、結局みんな読むのは直前らしいからなあ。

夕方、ライティング講座担当のOさんが来て、修了課題の話など。小説講座も、専攻科も、1年コースなので、修了課題は7月に締め切っているのだが、文章教室は、講座期間が短いので、締切は8月なのである。Oさんは、欠席者へのフォローもマメで、生徒さん一人ひとりにすごく気を使っていて、私なんかよりもよほどマメである。まあ、事務作業に関しては、丁稚どんのマメさにも、私はとてもかなわないしな。まあ、人件費がもう少し余裕があればいいんだけどね。

作業をしながら、Oさんと出版の企画などイロイロ。私は、明日から東京に一週間の予定。ここ数年、毎年、夏には一週間ほど東京にいるのだが、その間、なんやかんやで、ほとんど仕事らしい仕事もせずにいたのだが、今年は諸事情により、ちょっとは仕事の打ち合わせもするかもしれない。(でも、しないかも)

しかし、マンガも小説も映画も、もともとは趣味だったはずなのに、小説講座の運営やら、専門学校の非常勤やら、こんな仕事をしている以上、もはや趣味とは言いがたくなってしまったのである。(とは言っても、小説やら映画やら、やっぱり趣味だったりもするのだが)
考えてみれば、なんだか妙な感じである。

同じような感覚は、かつて外食産業に勤めていた時にもあって、「おいしいものを食べる」のは趣味だったのに、外食を仕事にすると、半分趣味で半分仕事になってしまうのだった。コピーライターになった時も、同じような感じがあったもんなあ。趣味と仕事をはっきり区別する習慣がないのは、好きなことしかたまたま仕事にしなかったおかげかもしれないけど、おかげさまで、小説やマンガを読むのも、映画を見るのも、あいかわらず趣味だけど、どこか仕事のうち。

さて、最近、そういう意味で、純粋に「趣味」と言えるのは、子供とロボット作ったり、サバずし作ったり、地理学関係の勉強だったりするんだよね。私はけっこう仕事人間なので、仕事以外の時間とか、人間関係とか、それはそれで、貴重だから大切にしないとね。ま、たまに仕事に役立ったりするけどね。

小説講座の生徒さんの中には、専業作家を志望する人もいれば、「二足のわらじ」の志望もいるのだが、たいていの人は、今は別の仕事を持ちながら、小説を書いている。うちの場合、専業にしても、二足にわらじにしても、とにかくプロ作家志望が多いので、小説を書くといっても、のんびり趣味として楽しむ……という人は少ないのだが、ただ、小説を書く時間は、ある種の気持ちの切りかえになる、とか、自分を取り戻す時間になっている、という人が多い。まあ、小説を書いちゃう人というのは、小説を書くことによって、なんとか精神バランスを保てるみたいなところがあるからなあ。あ、そう考えると「作家になるのをあきらめる」なんて言って、「あっさりあきらめられる」人というのは、もしかすると、そもそも書かなくても大丈夫な人なのかな。やっぱ、書かずにいられない人しか、続かんもんなあ。

ま、「小説を書く」なんて行為は、けっこう面倒くさいし、コツコツ一人でやる孤独な作業だし、やらないで済むならやらない方がいいのかもよ。小説は読むだけの方がぜったいラクだし、楽しいと思うぞ〜。それなのに、軽く書くだけならともかく、たくさんの人に読ませるために商業出版だなんて、ああ、そんな手間ひまかけて、血みどろになっても書きたがるなんて、うちの生徒さんは、ホンマみんなメデたい奴だなあ。いや、ホント、みんなモノ好きだわね。

ま、もちろんそういうアホな人が(ええ、むろん、ほめてますとも)、私は、どうしようもなく、めちゃくちゃ好きなんだけどねえ。


秋の小説講座の準備中

8月1日(火)
昼から小説講座の事務所。

丁稚どんは、専攻科の作品印刷などで忙しい。ライティング講座の担当者のOさんも来て、欠席者への資料発送など。私は、3日からの夏期休暇に備えて、あれやこれや事務作業。

夏期休業あけは、ショートショート大賞の告知チラシの送付があったり、けっこう忙しい。秋募集は、第10期エンターテインメントノベル講座(土曜夜)、第2期ライティング講座(火曜夜)、小説専攻科(土曜夜)、文章実践コース(土曜昼)など。このうち、専攻科と実践コースは、ほとんどが内部進学だから、一般募集は、エンターテインメントノベル講座とライティング講座だけなんだけどね。

たしかに利益を追求しない団体なのだが、運営は続けるためにはそれなりの経営もしなくちゃいけないんで、けっこう大変。まあ、現役プロ作家が数十人、こんな学校は滅多にないと思うけど、バンバン広告をうつわけでもないし、地味な学校だしね。でも、今年はなんとか数人はデビューできそうな感じだし(え、そうでしょ)、デビューできないまでも、そこそこ成果は出てきてるので、ちょっと楽しみでもあるノダ。

とにかく、うちの講座は、9月末が年度末。卒業しちゃう人も、秋からもう1年がんばってみようかな〜って人も、夏休みがあけたら、あっと言う間に9月。もうちょっとです。

08/01/2006

キャラ立ちも、人間が描けてないのも

7月31日(月)
朝から小説講座の事務所。ボチボチと事務作業。

たまりまくった雑用をボチボチとかたづける。専攻科の作品も整理しないとなあ。
ところで、先日の専攻科の作品指導で、気づいたことがいくつか。

いわゆるキャラクターが書き分けられてない、とか、人間が描けてない、みたいな問題は、小説を書く生徒さんでは割とよくあるケースなので、いまさらという気もするのだが、先週の講義で、ちょっと気がついた点があった(ウトウトしてただけじゃありませんわ〜)

作品指導などで、キャラクターが描けてない、なんてことを言われるタイプの生徒さんは、大きく分けると2パターンいるのかもしれないな、なんて思ったわけです。

一つは、まず人間に対する観察力、想像力がもともと少し弱いタイプ。
小説はウソの世界だから、その中でホントらしく書こうとすると、どう書けばホンモノっぽく見えるかというポイントを書かないといけないのだが、日頃から自分とは違う立場の人間には、あまり興味がなくて、観察などもしたことがなく、そんな人の立場を想像したことがあまりないタイプ。
他の小説や映画などを参考にして、類型化されたキャラクターをそれなりに描けるのだけど、どうしてもホンモノぽく見えなくて困っている人。

もう一つは、視点人物の中には絶対に入らないタイプ。
多くの作家さんは、小説の視点人物の中に作者自身を入れ込んで、視点人物になりきって、そこで体験するものや見えるもの、感じるものを書いているパターンが多いようだが、小説講座の生徒さんの中には、絶対に視点人物の中に、作者自身の視点を入れたがらない人がけっこういるのだ。
もちろん「視点人物」といっても、視点は中に入っている場合ばっかりじゃなくて、実際には出たり入ったりすることが多いし、場合によっては、ずっと中には入らないということもあると思う(ずっとその人物の肩のあたりとか、頭の上のあたりに視点が固定されているような場合だってあると思う)
でも、とにかく中に入れた方がいい場合でも、絶対に視点人物の中に入らない。読者はその方がわかりやすいのだけど、理由はわからないが、作者は絶対にやりたがらないのである。本人には、自覚があんまりないみたいだけど。(もしかして深層心理に何かあるのかしらん。でも、どっちにしても、文章はアレやコレや、隠しても出てくるもんだからなあ)

けど、この2つのパターンは全然違う原因なのかなあ。よくわからないけど、ちょっと違うのかもしれない。ただ、まあ、どっちにしても解決方法は、もしかして、人間に対する信頼だとか、愛、だったりするんだろうなあ。結局、人の心を動かすものなのだから、やっぱ、テクニックじゃないのかもしれないもんな。

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