« January 2006 | Main | March 2006 »

02/27/2006

小説講座は休日(好奇心があれば)

2月26日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

三人の子供たちが義母の家に泊まりに行っていて、一人でのんびり朝食。正午前に、雨の中、子供たちがビショビショで帰宅する。昼から子供たちが図書館へ行き、少し仕事。夕方、買い物に行って、超激安のイワシを購入。小さいけど、数十匹、ものすごい量で200円。一箱分だ。あまり大量なので、子供たちに「手開き」を手伝ってもらう。両手を血まみれにしながら、血まみれの小さな頭を数十個積み上げる。ピカピカのウロコに、大量の黒い目。臭くて汚くて、けっこう素敵な光景だ。キャアキャアと面白がる子供たち。それに粉をつけて、シンプルに油で揚げる。すごく美味しい。お腹もいっぱい。

夕食後、ふと、昨日の講義を思い出し、本棚から占いの本をとりだしてみる。占いはほとんど信じてないのに、本はけっこう持っている。これは、長く広報誌などを作る仕事をしていたせいなのよ。これでピンと来るのは、小さい編集プロダクションにいた人。小さな広報誌などでは、占いのコーナーを載せたくても、ギャラを払う費用がないんだよね。編集者の友達でも、「実は、占いくらい自分でやるで」という人はけっこういます。もちろんいいかげんじゃなくて、けっこう本格的なモンだそうだ。まあ、私は、あんまり難しいのはわかりません。持っている資料は、おもに東洋系だけど、西洋占星術の図やら表やら描くのだけは好きかも。だって天文だもん。

ま、小さな会社でコピーライターやると、ホントにけっこう一人で何でもやらないといけないので、取材に行って写真撮ったり、絵コンテ描いたり。みんなけっこう器用です。今は広報誌の仕事はほとんどしてないのだが、それでもいまだにクロスワードの制作とか、イラストとかをたまにやってる。簡単なデザインならMacでできるし、イラストレーターで地図作ったりする(これでもけっこう早くてきれいなのよ)。情報機器のシステム図とか、よく作ったもんなあ。

まあ、それはともかく、昨日の講義での話をちょっと思い出す。

昨日の講義では、占い師を描いた短編があり、その設定がちょっと不自然だったので、そこが講義後の飲み会でもちょっと話題になった。私も、最初読んだ時にアレと思ったのだが、とくに女性はそれなりに占いには興味がある人が多いので、やはり「なんかちょっとヘン」と思った人が多かったようだ。教室でも、堀先生が最初に「実際に占いをやってもらったことありますか?」と本人に確認していたくらいだから、やっぱりちょっと不自然なんだろう。

小説というのは、基本的に「ウソ」の世界だけど、「それなりに本当っぽく見せる技術」というのがけっこう大事だったりする。自分の知らない業界でも、やっぱりそれっぽく見せるのは必要なんですよね。

そのために、作家さんなどは、取材とか資料調べとかをけっこうやっている。もちろん「あんまり資料調べはほとんどやらないんですよ」という先生もいるが、それでも生徒さんの基準からいうと、かなりやっている人が多い。プロの先生には、日頃から、自分が好奇心があるものは気軽に調べたりする習慣がある。だから、プロの「取材はほとんどやってない」というレベルと、生徒さんが「やってない」というレベルとでは、実は、内容が違う。

もしかして、プロ作家だと資料調べといえば、「作品を書くたびにトラック一台ぶんの資料を揃えた」という伝説が基準になるせいかな。いや、わかんないけど。

で、なるほどと思ったのが、講義の時の堀先生。「実際の占いのブースがどうなっているか、今日ちょっと時間があれば見に寄りたかったんだけど」と残念そうにおっしゃるのだった。占い師を主人公にした作品だが、書いた本人には、一度ものぞいてみる気すらなかったようなのに、講師の先生の方は「今日は時間がなかったからのぞけなくて」と残念そうに言う。

ところで、私は、生徒さんに「プロの作家さんと生徒さんと、どう違うと思いますか」と聞かれることがよくあるので、十数人いる講師の先生たちに、なにか共通の傾向があるのかなあ、ちょっと考えてみたりすることがある。が、何か共通点と言われても、これは全然わからない(みんな個性的な人ばかりだしなあ)。ただ、なんとなく少し傾向は確かにあるような気もする。その一つは、「なんか好奇心の濃度が違うよなあ」ということ。

「好奇心」のせいだと思うけど、プロの作家さんは、ネタになるかならないか、ちょっとわからないようなものでも、少し調べたり、取材したりというのは、けっこうよく集めている気がする。どうも日常的に習慣になってるみたいだから、きっとクセのようなもんなんだろう。日頃、小さな子供があちこち走り回って、ドングリとか、ぴかぴか光る小石とか、草のタネとかを拾って、ポケットにむちゃくちゃいっぱいつっこんでるみたいに、作家さんのポケットって、なんだか、いつもパンパンに膨らんでいるみたい。(ただ、本人は宝物みたいに嬉しそうに集めているものかもしれないが、他人にはただのガラクタに見えちゃうこともあるんだけど)

一方、生徒さんの方が、あちこち作品のアイデアを探したり、ちょっと調べたりという手間をあまりしたがらないように見える。まあ、そりゃ、プロ作家なら、作品は「商品」なので、商品価値を高めるための努力を惜しまない覚悟があるのかもしんないけど、とにかく、生徒さんの方がアイデアも吟味しないし、資料調べもしない人が多いし、書く時間も、推敲も、あまりしない人が多いのだった。プロットも全く作らないし、推敲もしないという人もけっこういたりする。プロなら推敲もしないというのは、ちょっと考えられないけど。でも、なんだか、どっか反対であるべきなよな気がするんだけどなあ。生徒さんの方が、まだ文章表現力とか構成力がないのが普通だと思うし。

ただ、生徒さんは、どこにどういうふうに力を注げば、わからないものだったりする。この生徒さんにしても、好奇心がないというよりは、「あ、のぞいてみればいいんだ」というのが思いつかないとか、わからなかっただけじゃないかと思う。ちなみに、この生徒さんは、一見、キャリアウーマン風の颯爽とした女性なのだが、実は、案外ちょっとトボケたところがある。

講義中、先生に、占い師の設定が少し不自然だという指摘を受けると、
「でも、私、占いはまったく信じてないんです。キライなんです。興味がないから、知らないんです」ときっぱり言う。
「でも、これは占い師が主人公の小説だから……」と先生。
「たまたま都合がいいので、そういう設定で書いただけなんです。全然、信じてないんです」
「いや、それはいいんだけど、せっかく書くんだったら、わからないところは取材に……」
「でも私、全然、興味ないんです」
「いや、信じてなくてもいいんだけど、ただ、小説として書くんだったら」
「ホント、私、ちっとも興味ないんです」

たしか、なんかそんなやりとりがあり、先生は、作品の話をしているのに、「ぜんぜん興味ないんです。ちょっと書いてみただけなんです。信じてないんですよ!」となぜか必死で弁明(?)する生徒さんなのだった。ぷぷぷ。私は教室の一番うしろに座っていたのだけど、あんまり面白かったので、下を向いて、一人クククと笑いをこらえるのに必死。(私は笑い上戸)

まあ、この作品は短編なので、これくらいごまかせるなら、わざわざ取材に行かなくてもいいくらいなのだけど、ちょっと不自然だし、でもこの設定自体はけっこう面白くなりそうなので、せっかくだから取材に行ってみては、という提案なんである。(この生徒さんは、こういう題材の選び方など、なんだかちょっとセンスがいいところがあるのだった)

でも、飲み会では、
「でも考えてみたら、こういう機会でもないと、占いなんか一生行かなかったと思うし、せっかくだから一回行ってみよ」
と言ってたので、ちょっと楽しみ。書き直したら、ぜひまた読みたいです。
あ、ついでに、どんな占いの結果だったかも、ちょっぴり知りたかったりして。

小説講座とジャンル小説

2月25日(土)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。夕方は、小説専攻科の講義。

朝、9時半から心斎橋で打ち合わせ。昼からは事務所で、第9期の作品集など事務作業。
夕方から専攻科の講義と忙しい一日。本日は、長編一本、短編一本の作品指導。講師は、堀晃先生。本日は、第9期の講義がないので、私もゆっくりと専攻科の講義に参加。

いつも丁寧な指導で、生徒さんに人気がある堀先生。いつも問題点の指摘が的確で、論理的に説明されるので、誰にでもわかりやすい。最初に指導された短編は、占い師たちの話。内容的には、ホラーか、ミステリか、ちょっと判断に迷う作品。長編の方も、時代小説なのだが、前半は恋愛の話なのかなと思っていたら、後半はちょっと違う展開になる。でも、さすが堀先生。作者本人と色々話をしながら、うまく指導される。二人ともなかなか面白い作品なので、書き直せば、いい作品になるんじゃないかと思う。どっちもぜひ書き直して欲しいなあ。

そんでもって、今日はふと「ジャンル」について、ちょっと考えてみた。

うちの生徒さんの中には、作品を提出した時、私があらすじなどを見て、「あ、これホラー?」などというと、「いえ。違います。そりゃ、そうとってもらってもいいですけどね」と、ちょっとムッとした顔をする人がたまにいる。こちらは悪気がないのに、気のせいか、なぜかちょっと気に入らないらしく、ちょっと怒る。で、私があわてて、「あ、じゃ、ミステリ?」と言うと、もっとムッとした顔をして、「いえ、ミステリじゃありません。私は、ジャンルにはこだわってないんです」と言う。こういう人がたまにいる。

もちろん、いちいちジャンルにこだわる必要はないし、私も、実はジャンルなんかどうでもいいと思っているのだが、ただ、やっぱり生徒さんがこういう態度をとると、多少、警戒して、その作品を受け取る。というのは、「ジャンルにこだわってない」という作品は、実は、作者本人が何を書きたいのか、さっぱりわからない、または決められない、という場合がけっこう多いから。

この点、講師の先生たちは洞察力もあるので、なぜか見当がつくらしいが、作品指導で困るのが、作品を読んでも、本人が最終的にどういうものを書きたいのかわからないことだったりする。本人がどうしたいのかわからないと、こうしたらいいんじゃないか、と作品指導もしにくい。しかし、こういう作品って、けっこう多い。ただ講師の先生たちは、有能な作家さんたちなので、こういう作品を読んでも、「ああ、たぶん、本人はこうしたいんだろうな」とカンが働くらしく、どなたもうまく指導してくださるのだが、たいていの場合、どっちかわからないというのは、本人がどっちかわからない、または決められなかった場合が多いようだ。あれこれ色々つめこもうとして破綻したり、整理がつかなかったり。

しかし、やっぱり商業作家をめざすのなら、「ジャンル」の問題は、私はけっこう大事な問題だと思うんだけどな。生徒さんは、なぜかそうは思わない人が多いみたいだけど。もちろんプロ作家をめざしている人ばかりとは限らないし、いや、別にジャンルなんかどうでもいいじゃないか、という考え方もある。「エンターテインメント小説」は、すべて「ジャンル小説」だとは限らない。だいたいジャンルって、人によって、時代によって、定義がかなり違う。先生でも、SFとかミステリにこだわって作品を書いている人もいるけど、それぞれの定義がけっこう違っていたりするものね。

もちろん「ジャンル」の定義ってのも、私にはわからない。でも、例えば、そういう「一般的なジャンル」ではなくていいから、たとえば「宇宙ラブコメ」だとか、「妖怪サクセスストーリー」だとか、どんな言い方でもいいから(自分で決めたジャンルでいい)、「何か」を決めた方がいいんじゃないかなあ。そういうのがとくにない場合、ちょっと何が面白いのか、ちょっと判断に迷う作品になってしまう可能性が高い気がする。作者は、どうも「そういうふうに、決めつけられるのがイヤ」らしいんだけど。

実際、「ジャンルは決められない」という生徒さんはかなり多い。そりゃ、自分がこれから先、ずっと書くジャンル、となると、とくにあわてて決める必要はないかもしれないが、少なくとも、作品ごとには決めた方がいいとは思う。自分が書いていきたいジャンルも、もし決められるなら決めた方が『トク』なんじゃないかとは思うけどね。少なくともデビューをめざす生徒さんの場合、その方がかなりラクなんじゃないかと思う。

で、考えたのだけど、ジャンルって、たぶん「作者に必要」というよりは、もしかすると「購読者にとっても有効」なものなのじゃないのかしら。たとえば、スーパーに買い物に行って、こういうものが欲しいと思っても、膨大な数の商品から、欲しい商品を探し出すのは至難の技である。そのためにスーパーでは、「商品カテゴリー」ごとに棚を整理している。この方が買う人に便利である。だから、おそらくジャンルというのは、実はどう売るか、という問題であり、それが「どのジャンルか」という問題は、「店の都合」。最終的には、書き手のこだわりとは関係なく、読み手側に決定権がある。

無農薬栽培のニンジン、をどの棚で売るかは、消費者が「無農薬」に関心があれば、無農薬野菜のコーナーを店が作るかもしれないし、あまり関心がなければ、普通のニンジンの横に並べるかもしれない。どこに置くかは、実際には、店の戦略上の問題である。

本の場合、買う人は、たぶん「ジャンル」をそんなスーパーの「商品カテゴリー」みたいに、目印にして買う。すでに名前が売れている作家さんならともかく、新人作家の本を買うのなら、何か探しだすための目印がいる。

そして、ジャンルは、「商品価値」を少し保証してくれる。ホラーが好きな人は、本を読むからには「怖がらせてくれる」のを期待する。本格ミステリが好きな人は、新鮮なトリックで驚かされるのを望んでいる。恋愛小説が好きな人は、ドキドキするような、または、せつない気持ちになれることを。

だから、ジャンルがはっきりしている生徒さんの場合、自分の作品で「何をしなくてはいけないか」がはっきりする。ホラーを書くなら、どういうやり方でもいいから、とにかく怖がらさなくてはいけないわけだ。でも、目的がわかってれば、とるべき手段とか、そのために必要なものも揃えやすい。

だから、生徒さんは「ジャンル」とか、もう少し真剣に考えてみた方がいいんじゃないかな、と思ったりする。いや、ミステリとか、時代小説とか、そういう分類じゃなくてもいいわけで、たとえば「愛と涙の感動作」でも、「ハチャメチャカンフー小説」でも、何でもいいわけだけど。小説って、『マーケティング理論』でいうところの「競合が激しく、類似商品が多い」状態だし、いかに消費者に選ばれやすくするかという問題は、かなり大きい課題である。

一方、書き手側から考えたら、目的がはっきりするから、書き手が何をするべきか、整理しやすくなるし、迷いにくい。実際、入学した生徒さんのうち、何人かは、最初の頃「いろんなものに挑戦したい」と言ったりするんだけど、そのうち多くの人が「そうは言っても、年間に、長編をそう何十本も書けるわけではないから、そんなに色んな分野を書くのは難しそうだな」と気がつく。自分に合った、めざすべきジャンルを見つける。商業デビューをしたい人は、それが一番の近道かもしんないなあ。

たとえば、「もし、ホラーかミステリか、そのあたりなんだが、どっちか決められたくない」という場合があったとして、それはそれでもいいけど、少なくともどこに読者に「おいしい」とこなのかを、考えておいた方がいいんじゃないかと思う。残酷描写が読みどころ、という場合もあるかもしれないし、無気味な心理状態、それとも、断絶した家族関係の恐怖が読みどころ、かもしれないけど、なんでもいいから「どこが読者の満足してもらえるところか」自分自身ではっきりわかっている方が、書きやすいと思う。少なくとも、書き手本人が迷わずにすむしね。

きっと、「書きたいものを書く」だけなら誰でもできるけど、「読みたいと思われるように書く」のは、意識しないとできないんじゃないのかな。

講義後、生徒さんたちといつもの飲み会。今日は、欠席者がかなり多いので、参加者もやや少なめ。11時半に帰宅。

02/24/2006

小説講座の作品指導は、おもしろい

2月24日(金)
朝から小説講座の事務所。13時から16時まで外出。夜9時まで作業。

9期生の前期課題を読む。

本科の前期の課題指導は、20枚以内の短編で、クラス全員一斉に同じ日に指導をする。当日、二人の講師に対談形式で、作品講評をお願いしている(草上先生と高井先生の対談形式)。作品を読んでから、それにあわせて講師を決める専攻科や修了課題とは違って、すでに講師は決まっている。だから、前期課題だけは、あわてて読む必要は実はあまりないのだが、まあ、なにせこのクラスはめずらしく「初めて小説を書いた」という人がかなり多かったので、ちょっと心配なんである。

初心者が半分以上という状態にしては、思ったよりは出来はいいかなあ。とりあえず提出率もよかったしね。

一方、修了課題や専攻科の作品指導は、提出された作品を見てから、十数人の講師の中から指導してくれそうな講師に依頼を出す形式になっている。
うちの講座は、一人の先生が専任講師みたいに指導しているわけではないので(プロ作家ばかりで、みな忙しいので、これがたぶんちょうどいい)、作品指導も、いろんな先生が指導されている。だいたい内容によって、ミステリならミステリの先生に、ファンタジーならファンタジーの先生という感じで、その作品に合った先生に依頼をしている。

講師選定は、一応、生徒さんからも希望講師も聞いているのだが、実際には「講師選定は、おまかせします」という生徒さんが多いので、こちらで選ぶことが多い。講師の先生も、誰でもが何でもみてくれるというわけではなくて、多少、指導のクセというか、好みがある。「長編はゴメン」という先生もけっこういる一方、「でも、ジャンルと内容によっては担当してもいい」という人もいる。プロ作家の先生方が十数人も揃っているのだから、組み合わせを考えないといけない。先生の側にも指導したい作品を選ぶ権利があると考えているし、一応、先生が「これなら指導してあげたい」という作品を選ぶように組み合わせを考えているつもり。

ただ、こういうスタイルにすると、この組み合わせを考えるのが、少し手間がかかる。誰かが読んで、そこんとこ判断しないといけないわけである。それくらい手間はどうってことないから、いいんだけど、誰か相談相手がいたらいいな、といつも思う。もちろん、たまに講師に相談することもあるけど、(まあ、私がやるしかないんだけど)。組み合わせが選べるのはメリットなんだが、生徒さんも先生も個性が色々だから、ちょっとばかり迷うことがあるんだもの。講師の先生たちは、みんな指導もうまいし、依頼してから断われることもほとんどないんだけど、それでも迷ってしまうことがけっこうある。だって、本格ミステリとか、わかりやすい小説ばっかりじゃないんだもん。

ちなみに、専攻科や本科の修了課題の場合、どういう作業を私がやっているかというと、
1 まず、提出された「作品」を読む。
2 それから、その作品のどこに問題点があるか、一応、考えてみる。
3 その作者の年齢や性格、志向、めざしている賞、指導ニーズなどを検討する。
 (できるだけ厳しくチェックしてもらいたい人とか、細かく文章を見て欲しい人とか、トリックなどアイデアをとくに見て欲しい人とか…)
4 どの先生が、その作品を指導してくれそうか、検討してみる。
5 どんな指導をされるか、一応、講義を頭の中でシミュレーションしてみる。
 (指導スタイルとか、相性とか、いろいろ)
6 生徒さんが、その先生指導内容を理解できそうか考えてみる。
7 講義スケジュールを調節する。
8 講師に依頼をしてみる。 
9 了解される→(作品を送付する)、了解されない→(再検討)
10 作品集を作る
11 生徒に配布する。

と、こういう手順。この方法は、たぶん生徒にも、先生にもメリットはある方法だと思うのだが、このやり方だと、「頭の中でシミュレーションしてみる」というところに、私の能力の限界があるんだけど。でも、誰かがやらないと判断つかないからね。

しかし、考えてみれば、やっぱ、けっこう手間のかかるスタイルだな。こんなことしてるから、儲からんのかしらん。

ところで、前期課題指導は、入学してから、約4ヵ月ほどたった時期に実施している。入学して来た生徒さんの中には、「前期の指導日まで待てない。一刻も早く作品指導してほしい」という人がいる。まあ、入学された人は、一刻も早くデビューしたいんだろうから、できれば早めに指導してあげたいのだが、うちの生徒さんは、レベルの差が激しく、まったくの初心者から、すでに長編を何本も書いて、コンテストにも何度も応募してる人もいる。生徒全員のレベルがあってないので、入学してすぐというのは、ちょっと難しいのである。入学したばかりの時期に、あまり急いで書かせると、ものすごく出来が悪い人もいる。指導以前に作品が完成しない人が続出するので、少し4ヵ月ほど待つようにしているのである。

初心者の人はそれでいいのだが、一方、すでに何本も書いていて、「なかなか賞がとれないだけだ」と思っている人は、「それはわかっているが、やっぱり、とにかく早く作品指導をしてもらいたい」と言う。第9期にも数人いる。

そういう場合は、毎年「じゃあ、とりあえず、今までに書いた長編をもってきてみて」と言うことにしている。で、毎年、2〜3人の生徒さんが、入学までに書いた作品を持って来られる。今年も、長編が三本、提出されている。

こうして生徒作品を読むことがあるのだが、これまでの経験からいうと、正直、この時期に見る作品は、あまりいいものが少ない。もちろん、いい作品があればいいな、とは思うだけど、やっぱり入学したばかりの人の作品は、うちの講座のレベルからいうと、どうしても低い。もちろん長編を何本も書いていたような人は、基礎体力というか、文章力はあるので、むちゃくちゃヒドイというのはないのだが(とりあえず量を書けば、基本的に誰でもそれなりにうまくなる、という法則)、でも、何ケ所もあきらかなミスの部分があったり、話が破綻していたり、あるいは「視点がグラグラすぎて、何だかめまいがする」とかいう場合だってある。

けど、こういう場合、その段階で作品指導してもらうのではなくて、「とにかく前期課題の指導日まで待ってね。それから指導して欲しかったら、その後するから」と言う。

というのは、こういう場合、あせってその作品だけ指導してもらっても、実はあまり効果がないからである。なんでかというと、本人に「体勢」がまだできてないのだ。まだ自分が書きたいものを書いているだけなので、他人に見てもらうことに慣れていない。で、たぶん、まだ「他人に作品を読んでもらう」というのが、どういうことなのかが、わかっていないのである。

「体勢」ができてないと、せっかく指導してもらっても本人が理解することができない。レクチャーでもそうだが、高いレベルの人と初心者では、同じような話を受けても、理解度がまったく違う。「作品指導」というのは、とにかく受ければいいというものではなくて、実はけっこう「受ける技術」もそれなりに必要なのかもしれない、と思う。とにかくそれができてないと、せっかく講評をもらっても、有効的に活かせなくて、たまに「そんなハズない」と反感をもったり、すっかり自信をなくしたり、そんなちょっとヤヤコシイことになったりする。実際、おおざっぱに言うと、小説を書くようなタイプの人は、みなけっこう繊細で、自分の作品を「あまりよくないね」と言われるだけで、ものすごーくショックに受け止めることもある。でも「受け身」ができれば、どんなにショックでも数週間あれば立ち直る。けど、体勢ができてないと、ダメージがでかい。まあ、講師の指導を絶対視する必要はないのだけど、うまく利用できるようにしないとムダなだけである。せっかく小説講座に入学して、効果がなかったら困るもん、やっぱり。

(もう一つは、小説にははっきりと「こうすれば正解」というものがないからちょっとヤヤコシイのだ。よりベターな方法はあっても、ベストという方法がない)

だから、だいたい4ヵ月くらい。前期課題の指導日がその4ヵ月後。その頃には、それまでにレクチャーを十数回受けているので、「プロが書く小説」と「これまで自分の書いていた小説」がどこがどう違うか、かなり気がついている。さらに、うちの前期課題の指導は、同じ日にまとめて二十本くらいするので、自分だけじゃなくて、他の生徒さんの講評も一緒に聞く。自分だけが注意されたわけじゃないから、やや落ち着いて聞けるみたいだ。しかも、講師が二人いる。一人の先生だけなら、「この人は、私の作品をわかってくれない」と思うかもしれないが、二人の先生に言われると(それぞれ意見も微妙に違うが、同じところはけっこう同じ)、ある程度は認めざるをえなくなるみたい。

それで、ようやく「何が作品を書く時に大事なのか」とか「ポイントとなるところ」とかが、わかってくるみたい(自分の作品指導もいいけど、他人の作品指導をたくさん聞くことの方が、けっこう効果がある、ってのがちょっと不思議。誰でも、自分の作品はよくわからなくても、他人の欠点はよく見えるからかも)

他人の作品を見て、「自分ならこう書き直すんだけど」と思いながら、講師がどんなふうに指導するかを聞く。たぶんそこで勉強するんじゃないかなあ。(ただし自分の作品にだけ関心をもっていて、他人の作品指導を聞かない人は気がつかないみたいで、あんまり効果がない)

で、「これまでの書いた作品があったら、提出してね」というと、「ちょっと自分で書き直してみます」と言われることが多い。どうも、自分で不足な部分が少し見えてくるんじゃないか、と思う。

で、それが4ヵ月から半年くらい。ほとんどの人が、この後、見違えるくらい作品がよくなる。案外、本人はなぜか自分ではあまり気がつかないみたいなのだけど、すごく作品がよくなるのである。

4ヵ月か半年。これを「まわり道」と思う人もいるかもしれないけど、私は、すごく早いような気がしている。


小説は、あきらめる人がほとんど

2月23日(木)
午前中、小説講座の事務所。午後から早退。

昼から早退して、検診のため、病院へ。定期検診だが、今年は総合検診の年なので、3時間近く時間がかかる。終わってから仕事に戻るつもりだったのだが、バリウムを飲んだのでゲロゲロになり、終わってからも夕方まで2時間たっぷり、病院のむかいのファミレスでダウン。ある程度は覚悟してたけど、そのあとの子宮がん検診が思いのほかダメージが大きかったのだ。ぐえぐえ。

結局、事務所には戻れず、そのまま帰宅。夕食も食べる気がないのだが、家族のために作らねばならないのがツライ主婦の身。今日は、息子のリクエストで、カレー鍋。これは、鶏肉と鮭、野菜の鍋をつくり、最後にうどんとカレールゥをほり込んだもの。定番料理というものがなくて「毎日創作料理」状態のうちの数少ない定番メニュー(?)。といっても、まだ3回しか作ったことがないのだが。去年、作ってみたら、長男がものすごく気に入ったらしく、また食べたいとうるさいのだった(長男以外には不評で、とくに夫はキライらしい)。私も食欲がないのだが、でも、あるとついつい食べてしまう。けっこう不思議なメニュ−。

ちなみに、私は、毎日、適当に食材を組み合わせて、和洋中、とにかく適当な料理を作るので、どうしても「創作料理」になってしまう。「チャレンジ料理」である。カレーでも、いつも適当な組み合わせで作るので、これといった組み合わせがないのだった。(鶏肉かミンチが多いけど、サバとかイカとか、オクラとかカボチャとか、シメジとか、厚揚げとか……)。ええかげんな性格である。ま、うちのたくましい家族は、何を作っても、たいてい何でもパクパク食べるから大丈夫(たまに意見が分かれるときもあるけど)。一応、食べられるものしか使ってないハズだし。

以前、ふと「こんなヘンな料理ばっかり毎日作っていたら、将来、子供たちは『おふくろの定番メニュー』というのがなくて困るのではないかしら」と不安になり、「おふくろの味って知ってる? 将来、おふくろの味って言われたら、何を思い出すと思う?」と夕食を食べている息子に聞いてみたことがある。

むしゃむしゃ食べながら「うーん。でも、きっと、パッとみても『何かようわからん料理』を見たら、『あ、ママの料理みたいやな』と思うんちゃうかな」と言う息子。「ボクおいしかったら、何でもええねん」「ウニと牡蠣さえ入ってなきゃ何でも」

ほほほ。うちは「何やようわからん料理」がママの味。

だって、たまたま買い物で、たとえば旬の野菜が安売りされていたりすると、「これは運命だわ。きっと私に料理をされたがっているのだわ」などといちいち思ってしまうんだもの。でも、それで、なぜかうまくいくのよね。

さて、これは言い訳なんだけど、料理であれ、趣味であれ、何でも、「これさえあれば、幸せ」というものがあれば、それは大変なラッキーだと思う。「定番」をもつことは、すごい幸福だ。ただ定番というのは、一方で、それなりに幸せを固定化する働きもあるから、新しいラッキーを呼び込むための障害になる場合だってある。もちろん「定番」はあった方がいいけど、それだけに頼ると、より大きな幸運を見失うことがある。これは注意しなくてはいけない。

それでもけっこう「運」というのを大事にしているのである。考えてみれば、これでも占いなどはほとんど信じない性格なのだが(雑誌で占いの連載をやっていたこともあるくせに)。でも、そのおかげか、ありがたいことに「運」だけにはけっこう恵まれているような気がする。これまでも困ったことがあっても、なぜか助けてくれる誰かに会えたり、急に道が開けたりするもの。

「運」というのは、何かしら「運命」というか、何か運不運の流れを読んでないといけないのではないか、と思っている。しかも、「運」というのは、ネガティブな考え方をしたり、嫉妬したり、そういう人からは逃げていくもので、けっこう繊細に扱わなくてはいけないものなのだ。とくに「私は、運が悪い」と思っていると、幸運が目の前にあっても、それが信じられなくて、むしろ自分の方から避けてしまう。そして、うまくいかないと、たとえば他人に対して嫉妬やら、余計なあせりなどを持ってしまう。

たまに「嫉妬も、負けん気につながるので、エネルギー源になる」という人がいるけど、これは基本的にネガティブな感情なので、自分自身も傷つける。エネルギー源になるかもしれないが、それが結局、自分自身のエネルギーを消費してしまうだけだから、やはりいい感情ではない。それで一番いけないのが、本来の自分の目的を見失ってしまうことである。他人をうらやましがったり嫉妬したりすると、それが目的化してしまう。そうなると、おそらく余計「運」が来なくなる。

生徒さんでも、(性格のせいだと思うが)たまに、なぜか「幸運」を避けて、やたら「不運」を呼び寄せる傾向のあるんじゃないかと思うような人がいる。不運とは言わないまでも、思い込みがあまりに強いために、自分の枠に閉じこもって、何か新しいことにチャレンジできない人がけっこういる。専攻科でも、けっこうよくできた作品なのに、「まだ未完成なので」と言って、コンテストにもいつまでも応募しない人などもいる。

また、講師の人に「こういう才能があると思うので、そういうものを書いてみたら?」と言われても、「自分は違うんです」とムキになってこだわる人とか。まあ、もちろん講師の先生も、もともと生徒すべてをわかるもんではないので、最終的には自分で判断するしかないから、そのアドバイスを無視しても全然かまわない。

ただ、そういう場合でも、「ちょっとやってみたけど」と、自分の適性を冷静に判断してみればいいのに、「そんなんムリですよ!」と、せっかくのアドバイスをアタマから否定してかかる人がいる。そういう人は、何か自分の決めた「定番」だけに頼っているような気がする。もしかしたら、そこにより大きな幸運への分かれ道があったかもしれないのに、自分から封をしているような気がする。

もちろん新人賞を受賞することだけが「幸運」だとは思わないし、自分で「これは」と満足できる作品が書けることの方がよほどのラッキーかもしれない。が、せっかくあなたのために目の前にやってきた「運」に目をつぶって、ただ他人をうらやましがっているのなら、それはたぶん「幸福」ではないのだろう。やたら自分を卑下したりする生徒さんを見ると「そんなことをしたら、幸運が逃げちゃうよ。だから、そんなヒマはないんだよ」と思ってしまう。

「そんなことできません」という生徒さんに、いつも「やればできるよ」と言っている(だって、実際、本当にそうなんだもーん)。ただし、「これなら安心」という自分だけの定番に頼るのだけが、必ずしも大きなラッキーにつながるとは限らない。

幸運は、来るべき人のところには必ず来るものだ。だから、ただやればいいだけのことなのに、自分から避けたり、あきらめたりする人がなぜ多いんだろう。不思議に思うんだけどな。

02/23/2006

セミナー、小説課題は全員提出

2月22日(水)
朝から小説講座の事務所へ。午後から夕方まで、研修セミナーに参加。

昼、最後の一人の作品が速達で届く。これで前期課題は、9期生全員、提出である。めでたいめでたい。

午後から大阪NPOプラザの3階で、無料のセミナーがいくつかあり、2つほど参加する。CB(コミュニティビジネス)関係のイベントなのだが、経営に関するものが中心で、面白い話もいくつか。関心があった「新会社法」などは、LLCとか、LLPとか、法人格の違いについて、けっこうわかりやすい説明が聞けた。融資の話など、小説講座をやっているうちみたいな団体にはあんまり関係ない話もあったけど。うちが入居している「大阪NPOプラザ」のブースにも、介護関係や福祉関係の団体がけっこういるが、介護関係は「運転資金」の問題などもあるから、融資にも関心が高いみたいだ。

講師の話では、新会社法の改正のあと、公益法人関係の法律も見直しになるらしく、今月には法案が出るとかで、そっちに関心が高い団体がけっこういた。財団法人、社団法人の中には、ちょっと何をやっているのかわからない団体(ただの役人の天下り先)もけっこうあるらしいし、一方で、本当に公益性の高い事業をしていても、法人格も何もない団体もあるのだった。

セミナー終了後、簡単な交流会。経営者協会の主催のせいか、商工会議所や金融関係者がいて、少し面白い。ここに入居中の「NPO」にも、有償サービスがメインで、その事業収入で、スタッフも有給で運営されている団体と、無償ボランティアが中心で、会費収入だけで運営されている団体がある。どちらがいいかは、それぞれ違うので、それだけでは判断がつかない。たとえ無償ボランティアが中心で、熱心な会員さんがたくさんいても、どれぐらい公益性があるかは、よく見てみないとわからない気がする。ただ、それぞれの判断だろうけどね。ま、企業でも、社会的な公益性をもてなければこれからはやっていけないだろうし、社団法人でも、何やっているかわからん団体もけっこうある。

いずれにしても、社会的な使命があるからには、その運営能力も、当然、高めなくてはいけないわけである。営利を目的をしないからこそ、そのためにも経営能力は必要だ。しかし、大阪NPOプラザに入居しているおかげで、いろんな団体の運営の実情も見たりする。うちと同じ時期に入居契約をして、そのままほとんど来ないままでいなくなった団体もある。いろいろ勉強になるなあ。

まあ、小説講座や文章講座など、うち以外の講座運営をやっている団体は、企業とかが多いみたいだけど、(「大阪シナリオ学校」は、実は、有限会社だったんだけど)非営利か、営利団体か、という問題ではなくて、とにかく学費をいただいているからには、それ以上のサービスを提供しないといけないわけで、そのための努力はするつもり。

夕方、ブースに戻り、前期課題をチェック。これで、第9期生は全員提出だわ。皆様ご苦労さま。

02/22/2006

小説講座の前期課題は、全員提出の見込み

2月21日(火)
午後から小説講座の事務所。

第9期生の前期課題の整理。本日、郵送や持参などがあり、「肺炎で提出が遅れるかも」という1名をのぞいて、全員の提出を確認。この人は、ずっと皆勤で出席されていた真面目な人なので、提出されるといいんだけどな。

うちの小説講座は、一応、プロ作家養成という前提なのだが、入学される生徒さんのレベル自体はかなりバラバラ。まだ一作も書いたことがない初心者から、常に小説コンテストの2次通過くらいはできているという人まで、かなりレベルの差がある。とくに今年はやや初心者が多く、かなり心配していたのだが、提出率はいい。本当に嬉しい。

しかし、冷静によく作品を見てみると、あれほど注意したのに原稿用紙に「ノンブル(ページナンバー)」を記載していない人が3人。いつも教室内で「提出作品には、必ずちゃんとページ数字を書いてくださいね」と注意すると、「そんなことわかってますよ」とばかりに、なぜか皆いつも笑うのだが、実際、毎回こういう作品があるんだよ〜。

ま、パソコン原稿なので、自動ページ数を印刷設定しない人は、いちいち手書きで書かなければならないので、修正したりして印刷し直すたびに忘れてしまうらしい。あと、提出作品は、原則的に「明朝体」で、「ゴシック体」の提出は基本的には禁止なのだが(ゴシック体は、一見きれいに見えるらしいのだが、小説はタテ書きで、大量の原稿を読まないといけないので、ゴシックだと疲れてしまうのだ)、丸ゴシックでかなり小さく印字された原稿もある。これは、本人はいいが、他人はまず読めない。というか、これを元版にして、作品集を印刷するのだが、その時点で小さい文字が全部つぶれてしまう。あと制限枚数をかなりオーバーしている原稿もある。

ちょっと驚いたのは、作品提出表に書いている「原稿枚数」と実際の字数とが違う人がけっこう多かったこと。ワープロ原稿が多いせいだろうが、「組み方」を変えると原稿枚数は変わる。ワープロ原稿の場合は、「400字詰め原稿の換算枚数」を記載してもらうのは基本的なルール。ところが、「原稿枚数」のところに、自分の組版の原稿換算で記載してあるのである。これだとこちらで字数を数えないといけなくなる。せめて30字×30行とか、自分で決めた組版の字数を目安にしてくれればわかるけどさ。そういう人が7〜8人。ちょっと多いな。

ま、ほとんどの人が制限枚数以内だったので、それくらいは別にいいのだが、中には完全に枚数を越えて書いている人もいる。たぶん枚数換算のミスだろう。それにしては、6割も増える。でも、今さら書き直しは無理だろうから、とりあえず本人に電話をして、「制限枚数超過」のまま、受理することにする。

「『原稿枚数』って言えば、400字詰め原稿用紙の換算だってことは、ジョーシキになんですけどねえ」
作品整理を手伝っていた丁稚どんが、笑いながらそう言う。いや、まあ、小説講座内では「常識」でも世間では「常識」ではないもんなあ。ただ、入学した時点で、注意もしているし、プリント等も配っているので、知らなかったわけではないと思う。たぶん「忘れてた」だけだと思うけど。

「頭でわかっているつもり」でも、実際にやってみたらできてない、ということはけっこうある。というか、わかっていてもできないのが人間なんだもんなあ。

プリントの印字が悪くて、読みにくい人もいる。こういう人がいると、つい講師の人に「印字方法とか、基本的な日本語の使い方などは、できれば作品指導の前に、事務の方から注意してあげておいてほしい」と言われてしまう。せっかくプロ作家の先生方に作品指導をしてもらうのだから、内容や構成、アイデアなどをみてもらいたいわけで、こういう初歩的なミスは、それ以前の問題。だから、事前にチェックできればいいんだけど。いや、ホント毎回、注意しているんですけどね。これでも。

前期課題の前に「自由課題」などもあるので、そこで提出してくれるような人には、注意もしやすいのだが、今年はなぜか「自由課題」の提出率も悪かったし。まあ、とにかく全員、提出できたから、よかったと思う。ただ、あまりに読みにくい作品を出した人には、一応、メールをしておく。作品集は、手書きの原稿を縮小しても、ギリギリ読めるという「B5版2段組」の両面印刷になるのだが、量が多いので、どうせ2分冊になる。本日は「1巻」のみの印刷で、「2巻」は土曜日に印刷するつもりだから、それまでなら原稿差し換えしてもギリギリ間に合うのである。肺炎の人からも「なんとか提出します」とメールが来ていたので、待ってあげたいしね。だから、今日は半分だけで、残りは土曜日。

まだ読む時間はないのだが、どうも内容的には、全体的には思ってたよりはよさそう。「とにかく作品を書く」、そんでもって「人に見てもらう」(生徒さんや講師の先生)というのは、けっこう大事なことなのである。ともかく全員、前期課題が提出見込みなので、ほっとした。あー、よかったよかった。

小説とは関係のない休日(永久就職は死語)

2月20日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午前中、資料のビデオなどのチェック。午後から専門学校の非常勤講師。
来週はテストなので、授業としては最後(あ、補講もあったんだっけ)。最後なので生徒さんには、辛口のコメントなどもちょっと。授業後、生徒さんと「専門学校は学費も高いし、やっぱり元をとらないとね」という話をしてたら、「でも、どうせ親の金やし、別にええねん」と、いかにも高校生みたいなご意見。つい昨年までみんな高校生だったんで仕方ないんだけど、「どうせ親の金」という、そのセリフの本当の意味がわかるには、まだまだ若すぎるのだった。
「そういうことノンキに言ってたら、あとが怖いかもよ」と私が笑っていたら、
「ええねん。将来なんか心配してへんねん。私は、どうせ結婚して主婦になるねんから」と、これまた、いかにも女子高生が言いそうなご意見。いや、中学生日記か。

「けど、これからの世の中、男性も格差社会やろうし、それなら、それなりの男をゲットせんとあかんのやろなあ。でも、それが一番大変かもなあ。ま、がんばって、いいオトコ見つけてね」
と、かなり無責任なアドバイス。ま、就職も結婚も長期プロジェクト。一流企業に就職しても倒産する世の中、たとえITベンチャーの若手経営者だって、明日はどうなるかわからない。いいオトコと結婚したつもりなのにとなりかねないし、ま、確かなものはない時代だし、今は「結婚=永久就職」も死語だしね。

このクラスはマンガ科で、女子生徒の方が多いのだけど、なんだかこの世代はどこかに「専業主婦志望」みたいなとこがあったりする。私みたいな「男女雇用均等法」時代では考えられないが、もしかして、「仕事に夢のもてない世代」なのかもなあ。ま、彼女たちの「専業主婦願望」も、実は本気というわけでもないんだけどね。

「どうせ確かなものがないのなら、好きなことをやってみるのもいいよ」とも言っておく。ただ実は、専門学校のマンガ科は、「マンガがどうしても好き」という生徒だけでもない。案外「とくにマンガが好きなわけでもない」という生徒もけっこう多いのだ。まあ、マンガは「読むのは楽だが、書くのは大変」という職業。どうやったって安定業種でもないから、「どうしてもやりたい」というくらい好きでないと、どのみち続かないと思うが。

ま、一見、気楽そうに見える専業主婦だが、色んな意味でキツイ面もあるのだ。裕福な家庭ならともかく、金銭的にも不自由はあるし、ダンナの地位や子供の成績や習い事などで細かく張り合ったり、けっこう人間関係も狭いから、お母さん同士とか近所づきあいも大変である。もちろん気楽に楽しんでいる人もいるけど、あれはあれで、けっこう大変なもの。

けど、そういや、「仕事を見つけるのがイヤだから、専業主婦になりたい」という考えは、私は一度も持ったことがなかったなあ。就職したのが、バブルの時だったからかもしれないけど、「自分の食い扶持くらい自分で稼いだ方が楽」と思っていたし、今もそうである。(ま、稼ぎは悪いが)
確かに、子供が3人もいるから、子育ての時は大変で、保育所を探すのもかなり苦労したが、今の世の中、便利な家電もスーパーもある。家事ぐらい、何とかなる。

ま、私の場合、専業主婦をやれと言われてもできない理由は、何より「狭い人間関係」がかなり苦手だからだけど。とくに女だけの集団は苦手。井戸端会議もたまに参加しないではないが、年に数回。

ただ、毎年、この季節になると「うーん、一度くらいは夫の扶養家族に入ってみたいものだ」とふと思ったりするけどね。もうすぐ確定申告をしなくてはいけないのだが、昨年度はあれこれあって、収入はかなり低いのだが、あいかわらず扶養家族に入れるほどではない。なぜじゃ。こんなに実収入が低いのに。しくしく(給与所得は低いんだけど、経費が多くて儲からない自営収入があるせいである)。扶養になれば、年金も保険料も免除なのになあ。

そういや、どうでもいいけど、国民健康保険は、私が保険料を払い、私しか使えない保険証で、どうしていちいち表紙に夫の名前が書いてあるのだ。どうも納得いかん(所帯主の名前が表紙なのだが、夫には職場の保険証がある)。役所に文句を言えば、変えてくれるらしいのだが、そのために行くのもなんだしな。ぶつぶつ。

授業後、講師控え室にて、スターウォーズについて、他の講師などと長々と熱く語ってしまう。なぜエピソード1、2、3はあんなにバランスが悪いのかとか、アニメ版の話とか、SFおたくな話題をいろいろ聞く。ま、そのうち「6巻DVDコレクションボックス」などが発売されて、どうせ豪華映像特典などもたんまりついてるだろうから、それ買お。夕食も食べずに帰宅したが、すっかり深夜。

小説とは関係のない休日(ハイキング、雛人形、お好み焼き)

2月19日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

朝ゆっくり起きて、電車で近くの山へハイキングへ。山には、小さな蕾や小さな芽。ほんの少し春の気配。山頂でひと休みして、熱い紅茶。駅前で買った「ドリアンクリーム入りクッキー」を食べてみる(子供たちは美味しいと言っていたが)。あいにく少し天気が悪くて、上から見る大阪平野はぼんやり曇り空。

夕方、帰宅してから、娘たちが雛人形を並べて、息子はお好み焼きの準備、キャベツなどを刻んでくれたので、その間30分ほど小説講座の作品のチェックなどをする。日頃、忙しい有職主婦なので、カレンダーが赤い日(日祝)だけはどんなにたとえ忙しくても、昼間は家で「仕事」をしないという約束なのだが、ちょっと気になっただけ。

夜、早めに就寝。


02/20/2006

小説講座の前期課題、締切

1月18日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方から第9期の講義。本日は、前期課題の締切日。

昼、PTAの会合があったので、かなり遅めの出勤。本日の実習課題を印刷したりして、講義準備をする。本日は、前期課題の締切日で、こういう重要な締切日には、できるだけ講師のレクチャー講義をせずに「実習日」にしている。その理由は、「締切日は、遅刻が多いから」です。

夕方ギリギリまで事務作業。5時からあわてて自転車を走らせ、教室のあるエル大阪へ。キコキコ自転車を走らせていると、かんべ先生と道でばったりすれ違う。ひゃあ。
「おや、自転車で通ってるの。えらい働き者やな」と微笑まれる。いえいえ、生放送のラジオ番組を帯でやっている忙しい先生に言われるほど働き者じゃありません。なにせあわてていたので、「きゃーきゃー」と驚いただけで挨拶を済ませてしまう(スミマセン)。自宅のある鶴見区から、事務所のある福島区まで(それから天満橋まで移動するんだけど)十数キロ。でも、土曜日は自転車出勤の方が、荷物を運びやすいのです。なにせ専攻科の作品集なんか、数百枚、数千枚ありますから。いや、講義のある土曜日以外は、地下鉄通勤なんですけどね。土曜日だけです。

というわけで、15分前に教室へ到着。やはり、ギリギリまでやっている人が多かったようで、「さっきやっとパソコンで書き上げて、プリントしようと思ったら、紙づまり起こして、ホント冷や汗をかきましたよ〜」と言う人がいたり。いや、ホント気持ちはわかるけど、できれば前日までに仕上げるクセをつけてくださいね(無理かもしれんが)。修了課題はもうちょっと長い作品。初心者なので、たいてい計画通りにはなかなか仕上がらないんです。ギリギリにやるクセをつけると、ぜんぜん間に合わんかもよ。

しかし、今年は、遅刻者も少なく、作品提出もスムーズ。提出率は8割。あとは「火曜日にはゼッタイに提出します」という人が数人。まあ、ショートショート作品などは、火曜日着の郵送でも受け付けるので、あとは待つしかない。どうにか全員、提出できますように。修了課題は、出せない人は仕方ないと思っているのだけど、前期課題は全員提出できるようにかなり気を配っている。ただ、いくら気を配ると言っても、小説など代わりに書いてあげるわけにいかんので、大丈夫かなあ、と、やきもきするだけなんだけど。はあ、なんだか、受験生の母親みたいな心境ですね。

実習は、「一人称で書いてみよう」の簡単なAバージョン。途中、教室に広告の取材撮影がはいったり、個人面談もあったりして、バタバタしたけど、みんな集中して実習をされていたようだ。あいにく私がうまく時間配分ができず、個人面談がギリギリになってしまい、グループディスカッションもできなかったのは残念。なお、個人面談で聞いた要望などは(すぐにできないものもありますが)、できるだけ早めに対応しますね。

講義後、例の中華屋で食事。去年、専攻科を卒業したMさんとTさんをなぜか店内で発見。夜10時に店を出てから、寒空の下で、この2人と長時間にわたって立ち話。こんなことなら、店内でしゃべればよかったような気もするけどな。しかし、私は自転車だからいいけれど、あのお二人さんは、終電に間に合ったのかなあ。

文章講座の生徒募集と実習づくり

2月17日(金)
午前中、外出。午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

電話連絡があり、22日に予定していた起業相談の日程が変更になってしまった。セミナーには参加予定。
午後2時から、雑誌広告の担当者と打ち合わせ。生徒募集の広告の件。夕方まで事務作業。

現在、忙しいのは、文章教室(ライティング講座)が、春の生徒募集中だからである。文章教室には、実習中心の短期実戦コースと、「レクチャーと実習を組み合わせた総合コース」の2つがあるのだが、ライティング講座は、レクチャーと実習を組み合わせた半年間の総合コースである。

ところで、この文章教室、私は「幕の内講座」あるいは「懐石講座」だと説明している。作文とか、広告コピーとか、編集とか、取材とか、小説とか、まあ、いろんなジャンルをちょっとずつかじってみるように週変わりで受講できるからで(21講座ある)、コンセプトは「やりたいことをみつける」とか「自分の表現をみつける」である。「モノ書き」あるいは「活字関係」(もう死語?)と呼ばれる職業はいろいろあるけど、新聞記者、童話作家、シナリオライター、コピーライター、編集者などなど、実際には、やっている仕事の内容も違うし、書く文章もかなり違う。新聞、雑誌記事と小説、エッセイでは、書き方もターゲットも、まったく違うのだ。

でも、プロの人なら、それくらいわかっていることかもしれないが、まだ「何か書きたい」と思っているだけの人の中には、それがあんまりピンと来ない。(はっきりわかっているなら、とっくに自分で書いてるだろうしね)。だから、色んな分野のプロのライターさんや作家さんからちょっとずつ話を聞いて、自分で少し書いてみたりすることで、自分の可能性を考えられるような講座にしてあるんだよね。

ただ、実は、問い合わせなどは、文章教室よりは「小説講座」の方がけっこう多い(まあ、うちの小説講座は、人気作家さんたちが講師をしてくれているからかも)

でも、小説講座は秋期しか募集がなく、「春の生徒募集」がない。だから秋まで待つか、文章教室を受講しながら待つかである。文章のクラスから編入すると学費割引もあるし、こちらのコースの方が学費もかなり安いので、編入生もたぶんけっこう多いんじゃないかな。実は、昨年は、文章教室の開講がなかったので、現在、小説講座の第9期生には編入生が一人もいないのだが、7期生までのクラスは3〜5割ほどは文章教室からの編入生も混じっている。6期生などは、半分以上が文章講座からの編入生である。

まあ、文章教室の方は、いろいろなジャンルを試してみたい人向けのクラスで、小説だけでなく、取材の仕方を練習してルポを書いたり、カンタンな編集作業などもするので、「小説以外は、興味がない」とか「小説しか書きたくない」という人には向かない。ただ、初心者の方にはかなりオススメ。というのは、「何か、書いてみたい」という人の中には、必ずしもそれが「小説」かどうか、まだわからない人がけっこういるのである。というわけで、文章教室は、昨年度から全面的にリニューアル。個人的にはかなりいい講座になると思う。いい講師も揃ってるし。

さて、昨年からカリキュラムを全面的に変更したので、実質的には「第1期募集」なのだが、実は「大阪シナリオ学校」でやっていた文章講座(クリエイトルーム)に近い内容に戻っただけ。クリエイトは、8年ぐらい担当していたのだけど、割といろんな生徒さんがいて面白いクラスだった。うちの小説講座の方は、プロ作家養成というコンセプトなので、けっこうバリバリ書く生徒さんも混じっているのだけど、こっちのクラスは、ほとんどが初心者の生徒さんばかりなので、どこかのんびりした雰囲気でやれるのが魅力だと思う。これまでは主婦やOLの人が多いので、女性が7〜8割だったのだが、今年は、男性の資料請求もちらほら。生徒数は、二十人ほどの予定なんだけど、どんなクラスになるのか楽しみだな。

まあ、これまでは「天満橋」エル大阪の教室を使っていたので、そこが違うところ。大阪NPOプラザ内の教室を使うのは初めてだが、事務所の2階なので、それも便利だろう。最寄り駅も、駅から10分ほど歩かないといけないのだが、環状線のJR「野田」駅。あるいは「海老江」「野田阪神」。ただ天満橋と違って、地下鉄を利用せずに済むので、JR利用者とか、意外とアクセスは便利なんじゃないかなあ。とくに神戸方面だと圧倒的に便利になるしね。

けど、なにせこの教室を使うのは初めてなので、どれくらい生徒さんが集まるかはまだわからない。まあ、たとえ一人二人でも開講はするんだけど、やっぱり少ないと寂しいしなあ。現在はやっとゲスト講師のカリキュラム調節ができて、実習カリキュラムの制作中なんだけど、どのくらいのレベルの生徒さんが集まるかもわかんないし、途中で何度か修正しながら、臨機応変にやっていくつもり。

夕方、帰宅し、山のような仕事の続き。

02/17/2006

頭痛のため、早退しました

1月16日(木)
午前中、小説講座の事務所。午後から早退。

あまりにも頭痛がひどく、仕事にならないので、やむなく電話を転送にし、午後から早退する。うう、15年も経過したムチウチのせいで、こんなに苦しむとは。いや、日頃の運動不足のせいもあるんだよな。頭部は、けっこう重量があるもんらしいので、ちゃんと運動しないと肩こりになるのは当たり前。反省反省。執筆で忙しい小説講座の生徒さんも、どっちかつーと運動不足な人が多いので、みんな気をつけてね。健康で長生きして、いい作品いっぱい書くんだよ。

古いムチウチが痛む時は、お風呂が有効なんだけどな。けど、昼間っから銭湯に行ければいいが(それも風流なんだけど)、まだ仕事がある。自宅で首にタオルを巻きドライヤーを当てながら、パソコンに向かって仕事の続き。とほほ。こりゃ、風流とはほど遠い姿だわ。夕方、講師の方と電話などして、夜早めに休む。

02/16/2006

いつか書ける、とは思えない

2月15日(水)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

朝6時、目を覚ましたら、頭がズキズキ。目もあけられないくらい痛い。首がカチカチに痛く、ひどい吐き気がする。「まずい、風邪!?」と思ったが、どうも熱はなさそうだ。しばらく布団の中で我慢する。風邪がけっこう流行っているみたいだからなあ。子供たちが学校へ行ったあとも、しばらく布団の中でうんうん苦しむ。

が、ふと、「ん?」と、昨日の暖かさを思い出す。「もしかして……」と、はいだすようにしてキッチンに行き、テーブルの上にある新聞の天気図を見てみる。うーん、なるほど。これは、風邪ではないぞ。どうも、古いムチウチの後遺症らしい。頚椎捻挫である。こういう大きな気温や気圧の変化には、律儀に反応するのだった。昨日から今日、明日にかけて、くっきりすばらしい気圧の谷。数カ月に一度程度のことなので、自分でもすっかり忘れていたのだが、こうした天候だとムチウチが痛むのだった。昨日、あれだけ気温も上がっていたし、ま、当然だわね。しかし、つくづく見事なもんだなと感心するわ。まるで気圧計みたいだわね。ま、何の役にも立たんけど。

とにかく理由は判明。風邪ではないので、ホッとする。ま、理由がわかっても、パッと治るわけではなくて、頭痛はものすごくひどいのだが、これなら薬で何とかやりすごせるし。とりあえず朝食にする。ま、これなら今日、明日、頭痛薬で我慢すればいいだけである。しかし薬漬けだと頭がぼおっとして、頭脳労働ではパッとしないんだよなあ。ま、幸いというか、今、広告コピーの仕事は、全くないんだよね。

しかし、私が交通事故にあったのは、確か1990年11月のことだから、もう15年がたつ。なのに、まだ傷むとはなあ。ムチウチとはやっかいなもんだなあ。私の場合、事故の相手がそのまま逃亡して、今も見つかってないので、今さらどうしようもないけど、もし相手がいたとしても、15年もたった分の治療費はもらえないんだろうな。ま、こうして何とか生きてるし、ムチウチ以外の後遺症がないので、これくらいなんでもないけど。死亡事故とか、もっとひどい後遺症が残る人もいっぱいいる。そういう人は、15年というのは、まあ、もっと違う意味があるんだろうなあ。事故は起こした方にとっても、長い年月かもしれないが。

薬が効いたのは有り難いが、やはり頭はぼおっとする。でも、専攻科Nくんが、今日、原稿をもってきてくれるはずなので、講義準備をしないと。ま、風邪ではないから、多少の無理をしても、どうってことはない。気温や気圧の変化とムチウチとの関係は、血管の収縮とか、自律神経失調とか言われているらしいから、どんなにしんどくても、たぶん動いた方がいいんだろうな。ま、布団で寝ていろと言われても眠れないほど、まだ痛い。いっそ出歩いて、ばたばた仕事でもしていた方がよほど気がまぎれるみたいだな。

で、首に熱湯でぬくめたタオルを巻いたり、ドライヤーの熱風で肩を暖めたりしてみる。ちなみにドライヤーの熱風は、ひどい肩凝りにもよく効くのだ。長時間、小説を書き続けて、パンパンに肩がこった人はぜひお試しくださいまし。

体に何か不調があっても、「じゃあ、寝よう」と反射的に考えられるのは、風邪ぐらいしか病気したことがない健康な人かもしれない。私は、喘息の持病があるので、寝ていれば治るのは「風邪」だけで、それ以外の病気は寝ていても治らないと思っているところがある。だから、不調があっても、どうにも落ちついて寝込んだりする気にならない。どうも貧乏性なんだなあ。

そういえば、ずっと以前、まだ会社勤めをしていた頃、たいして持病もないのに、よく仕事を休む同僚がいた。ま、風邪が多かったが、頭痛とか、生理痛とかで、頻繁に休む。周囲の人たちには「あの子のはズル休みや」とよく言われていた。出勤してきて「ちょっと頭痛がする」と言っては、早退したりする日もあった。「私、体が弱くて」と頻繁に言う。もし本当に体が弱いなら、しっかり食事をとって、スポーツもした方がいいと思うが、偏食らしくて、昼食もいつもほんのちょっぴりしか食べなかったしなあ。

朝食も食べられないらしいから、毎日こういう生活なら、体調不良でも、当然だという気もする。こういう女性は、たぶん何か病気になりたがっているところもあるだろうけど。この人もどこか精神的な理由があったような感じである。どこかはわからなかったけど。

だが、私はちょっとそれがどこかうらやましい。私は、体調不調ぐらいではなかなか欠勤ができない。風邪だと早めに休んだ方がいい場合もあるんだけど、体調不調ではなかなか欠勤などできない。休むのが怖いのである。だから、私は会社勤めで「病欠」をしたことがない。仕事を休んだのは、交通事故の時くらいである。

もともと私は喘息の持病があるから、体調がかなり悪くても、怖くて休めない。明日には良くなっているという自信がない。なにせ子供の頃、喘息の発作を起こすたびに、母親によくこう言われたのである。
「今日、学校に行けそうなら、少し無理してでも行っときなさいよ。明日はもっとひどい発作が起きるかもしれないんだから」

だから、「いつか書きたい」と思っている小説があったら、今日書いておきなさいよ。明日書けるとは限らないんだから。

そういうわけで、午後から出勤。夕方まで事務作業。やっぱ、今日は、はかどらない。やっぱ、明日はヤバイかも。

02/15/2006

派手な文章(文体)を探そう

2月14日(火)
午後から小説講座の事務所。いつものように事務作業。

打合せのため、朝早くから外出していたが、とてもいい天気。4月並みの陽気。
午後から小説講座の事務所で、丁稚どんといつものように事務作業。専攻科への講義変更の連絡と資料請求者への発送準備。4月からの教室予約の確認など。雑用いろいろ。

先週、丁稚どんから「地味な文章」って何かとの質問があったので、ずっと考えていたのだが、正直よくわからない。その時は、あまり考えもせずに、
「さあ、よくわかんないけど、個性的な暗喩が、ピリッとほどいい感じで入ってたら『地味』じゃないだろうから、そういうのがなくて、なんか最低限の表現しかないって感じかな」
と、適当なコメントをしたのだが、どうも真面目な丁稚どんは真剣に考え込んでしまったようで、ちょっとマズイ。

で、今日は「こういうのが、個性的な表現でしょうか」と本を見せられてしまい、マジであせった。ヤバイヤバイ。はい、もうちょっと真面目に考えますです。
(いや、なにせ私自身は、小説を書かないんで……。シロウトのいうことですからあまり真剣に考えないで……。いや、ホント、いいかげんなコト言わん方がいいな。反省)。

ま、「地味」の反対は「派手」だろうなあ。「派手な文章」なら、何だか想像がつくんだけどな。文章にメリハリがあるかないか、なんじゃないかなあ。じゃあ、メリハリって、何かと考えたら、まあ、緊張感があるかないか、とか、あとは文章のリズムの問題とかもあるのかなあ。うーん、考えたら、けっこう高度な質問だよなあ。

というわけで、「地味な文章」とは何かを考えるために、今週はあちこちで「派手な文章」を探してみようと決心したのだった。で、皆さんも、ぜひ「これは、派手な文章だ〜」ってヤツを見つけたら教えてくださいまし。(結局、他力本願かよ)

早めに帰宅して、ゆっくり夕食。夜、夫が残業のため、少し遅く帰宅する。
風邪気味だと言って、風呂に入り、もう寝るのかと思ったら、ビデオを見ようとする。12時には必ず寝る習慣のヒトなので、11時からビデオを見るのはめずらしい。
「え、今から? 今からなら、12時過ぎるのに。めずらしいね」
「いや、途中まで。何回も見てるヤツやから、途中まででええねん」
「そんなムリしてビデオを見なくても、風邪気味なのに、早く寝たら?」
「いや、絶対見る! このまま寝たら、オレは一日、労働を搾取されただけで終わってしまう。ビデオぐらい見なかったら、ただのむなしい一日で終わってしまう。あかんあかん!」
「……。そ、そうなん?」
「ビデオくらい見な!」
「で、何見るの?」
「カリガリ」
「え」
「カリガリ博士」
「ああ、白黒の」
「1919年の無声映画。ドイツ表現主義の傑作」
「えっと、それ見たら、むなしくない一日になる?」
「いや、何でもいいから、何か見ないと。それまでは寝たら絶対あかんねん」
「ふーん。でも、それ、そんなに面白い?」
「傑作やで。でも、これ、眠たいから、これくらいがちょうどええねん。1時間くらいやし」
「よく寝れる傑作?」
「そう、寝やすいからいいの」

うーむ。「寝やすい傑作」というカテゴリーがあるのか。知らんかった。『ダイハード』とかばっかり見てる私には、とても理解できない概念だが。

彼は、うつらうつらしながら、がんばって最後まで見て(何度も見てるビデオなのに)、「やっぱり眠い」と夢遊病のようにふらふらと寝てしまった。そこまでしなくても。なんだが泣かせる。勤め人の哀愁だなあ。

しかし、よりによって、この作品なんかあ。


小説とは関係のない休日(自分なりの方法でいいのに)

2月13日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午後から専門学校の方へ、非常勤講師。本日の参考資料は、『ダイハード』。意外だったのは、3時限目のクラスでも、5時限目のクラスでもほとんど誰も見たことがなかったこと。けっこうテレビでよくやっているし、有名な作品なんで、けっこう見てる人が多いと思ったんだけどな。ま、確かに1988年の映画なので、専門学校生は生まれるか生まれないかの頃。古い映画なんだよね。

しかし、今回やっと気がついたのだが、ある部分の主人公の行動の理解が、どうも年代によって違うことに気がついた。生徒と話して、やっと気がついたのだけど、それがちょっとした発見だった。映画が始まって10分過ぎくらいの所にあるシーンなのだが、主人公(ジョン)が妻と少し口論になり、一人になった後、鏡に向かって「よし、言ってやったぞ」と自分に言うシーンである。若い人(とくに女性)は、これはちょっとヘンな行動に見えるのである。パッと見ると、この主人公は「単純でバカ」なのではないかと思うような行動なのである。

まあ、そう言われてみれば、私も当時は、そう解釈して見ていた気もする(なにせ二十年前のことなので忘れたが)、あらためて気がついたのだけど、よく見てみたら、このシーンでは、この主人公は、セリフとは反対に、妻に対して、つい余計な言ってしまったとかなり後悔しているのである。そう考えれば、なかなか微妙な表情で、うまいシーンなのだった。まあ、ここは役者の演技力なのか、ちょっとわかんないけど、今回、教材に使うので、あらためて何度も見てみたのだが、しみじみよくできたシナリオだなあ。

しかし、確かに、こういう微妙な表現は、若い女性にはちょっと理解しにくいかもなあ

ところで、毎回どんな作品をとりあげても、「こんなつまらない映画のどこがいいのかわからない」と怒る生徒が何人かいる。確かに誰でも好みというのがあるし、「お口に合わない」というのはあるが、まあ、教材として使っているわけで、そんなに怒られても困るんだけどなあ。それにいい作品だから見ているともとくに言ってないわけで、「既存の作品から、自分なりに構成表を作ってみよう」という課題の教材として、使っただけである。

まあ、この課題は、どのクラスでもやっているのだが、なかなかいい作品がない。人間関係があまりややこしかったり、ストーリーがはっきりしてないとうまくいかないので、まだいい教材が見つからない。シナリオがよくできていたりしても、ちょっと複雑だと、本筋がどこかわからないくらいなので、ムリである。アクションなら、敵味方がわかりやすいし、ストーリーの筋も一貫しているのでマシかと思ったんだけどな。ま、一滴の血でも画面に流れたらもうダメ、という人も中にはいたかもしれないので、そういう人には、ちょっと気の毒したと思ってますけどね。(ちなみに、ダイハードは、敵が何人死んでもあまり痛そうじゃないのに、みんな、足の傷のシーンが一番痛く感じるらしい。ちょっと面白いよね)

もっと短い単純な恋愛映画でもいいかもしれないが(恋愛モノは、もう一人の講師が扱っているので、ちょっと使えないのだが)、なかなかコレという作品がなくて、難しいもんである。

しかし、「私は、恋愛学園マンガしか書かないので、アクションは興味ありません」と最初から映像も見ない人がいたのはちょっと残念。ま、こういう生徒さんは、今まで十数本、何を見せてもすぐに寝ているんだけど(かなり許容幅が狭いようで、一体どんな映画なら好きなのかわからん。ま、2年生になると、そういう生徒さんは、そのうち授業にも来なくなるらしいので、ま、1年生だけらしいけど)。

本当に、かなり注意して、一応、ヒット作とか超有名作品しか、とり上げてないんだけどなあ。けど、思うんだが、もし本気でプロをめざすんなら、教養だと思って、もう少しくらいは幅広い作品を見た方がいい気はするんだけどね。

もちろん作品には好き嫌いはあるのはわかるが、なんだかもったいないなあ、と単純に思う。食べ物の好き嫌いと同じで、好き嫌いはやはりない方が、確かに食生活は豊かになる。まあ、一般ならいいが、コックになるつもりなら、あまりにひどい偏食は不利だと思う。ま、偏食も、治す気になればすぐに治るが、結局、コックになる気がないなら、偏食くらいあっても、別にかまわないわけで、要は、職業にしたいほど、その必要性とか関心があるかないかだけど。

しかし、それよりも面白かったのは、「構成表の作り方も教えてもらってないからわからない。穴あき問題にして欲しかった」という意見の人が一人いたこと(毎回、講義後に授業レポートを集めているのだが、そこにあった)。
さすがにこれは、ちょっと考えさせられてしまった。うーむ、穴あき問題かあ。

確かに、構成表は、いくつか例は示したのだが、「絶対にコレで作りなさい」というパターンは指示してない。まあ、なにせ教材が映画なので、構成表を実際に書いてみて、全体の関係などをちょっと考えてみるというのが目的である。そもそも15分でそんなものできるわけもないし、完璧に作ることを要求しているわけではない。(そんなことしても仕方ないしなあ)。

思うに、どうも高校生までの丸暗記教育がしみついているのかもしれない。何かというと「正解」を教えてもらいたがる人がいるのだ。もしかすると、真面目な生徒さんなのかもしれないけど。

しかし、なにせ科目名が、「アイデアテクニック」なのだが、自分の頭を使う習慣のない人に、アイデアテクニックを身につけさせるというのは、ちょっと難しいのだ。だいたい私はマンガ家ではないから、直接、マンガの構成表を手とり足とりで作らせるのはムリなのである。けど、思うのだが、プロの人でも、おそらくマンガのシナリオなどは、(まあ、原作者は別だろうけど)マンガ家って、自分のやり方で、それぞれプロットとか作ってるような気がするんですが、どうでしょう。こうすれば確実、って方法があるんでしょうか。高校の勉強みたいに。

けど、そんなもの、自分のやりやすいように書けばいいじゃないのかなあ。毎回、それなりに課題を考えて、できるだけ楽しい授業にしようとしているのだが、どうも「正解」とか、公式のような「安易な解法」を期待されている人がたまにいて、ちょっと面くらう。一応、これまでに百人以上のシナリオライターさんや作家さんから聞いた話の中から、なるべくヒントになりそうな話は紹介したりするのだが、私自身が教えられることと言えば、「こうすれば確実という正解はないが、方法はけっこう色々とあるのだ。みんなそれぞれ工夫しているのだ。だから、やりようも色々あるのだ」ということくらいである。だからこそ、人と違う見方や自分なりの方法を試したりするのが面白いわけで、そのために悩んだり考えたりするのが勉強なんだと思うんで、何か「解答」を暗記したり、安易な解決法を覚えたりするのが勉強ではないとは思うんだけどな。確かに、そんなものがあって、それさえあれば、面白いマンガが作れたり、小説がいくつも書けるんなら、すごくラクなんだろうがなあ。

どうも「自分の頭で考えてみる」という習慣がない人がいるような気がする。気のせいか?

まあ、このクラスも、あと2回しか講義がないんだけどね。けど、レクチャーだけの講義の方がラクなんだけど、こうして「実習」とかすると、こんな反応があるのが面白い。

いろんな意味で、私には「勉強」にはなってるな。


小説とは関係のない休日(双子と植物調査)

2月12日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

天気もいい日曜日。双子の甥たちが実家に預けられており、うちの双子の娘たちは「子守り係」でお手伝い。まあ、ばあちゃんじいちゃんでは、ものすごい早さで走りまわる「双子の男の子」の子守りができないのである。そこで、4歳違いの「双子のお姉ちゃんたち」の出番である。

天気もよいので、一日家にいるのも退屈だし、息子と『鶴見緑地』に「植物調査」に出かけることにする。植物調査と言っても、デジカメを持って行き、手あたりしだいに撮影をするだけなのだが、緑地は広いし、図鑑も持って行くので、けっこうなヒマつぶしである。で、二組の双子も、一緒に散歩に連れて行ってやることにする。

が、天気はいいが、風は冷たい。うちの子供たちは、なにせ雨でも平気で外で遊ぶという神経の図太いガキどもだが、双子の甥たちはさすがに「寒いから帰ろう」と文句を言う。予定では、100種類くらい撮影するつもりだったのだが、結局、「疲れた。歩けない」という甥たちをおんぶしながら(するのは娘たちだが)、1時間ほどで帰宅するハメになってしまった。デジカメは、野草を中心に30種類くらい。息子だけは、「熱いお茶も水筒にまだ残っているし、ボクはココに残って、まだ撮りたい」というのだが、あいにくデジカメも電池切れである。

風は冷たいが、梅もチラホラ咲いており、ハナミズキの枝に、ぷっくり丸いふくらみがあって、もうすぐ春の兆しである。

帰宅後、長男がドングリの分類などをして、パソコンで図鑑を作る。ところで、子供は、公園などに行っても、植栽などはまず関心が低く、勝手に生えているような雑草などが好きである。たぶん引き抜いたりできるからであるが、大人と視線の高さが違うせいもある。デジカメも、子供が撮るとちょっと面白い。ただ野草は、冬でもたくさんあるが、種類を見分けるのはちょっと大変。春になったら、植栽地図なんかを作ってみるのも面白いかもなあ。
夕方、図書館などへ行ったりして、のんびりした休日である。

小説とは関係のない休日(マンガ作品展、英会話)

2月11日(土)
小説講座の事務所は、祝日、日曜、月曜お休みです。

本日は祝日なので、小説講座はお休みなのだが、非常勤講師をやっている専門学校の合同作品展があるのだった。朝、家事を済ませ、9時半過ぎに外出。11時に一緒に講師をやっている友人と待ち合わせて食事をとってから、会場へ行く。アニメやCG、雑誌編集やプロダクトデザインなど、けっこうコースがあるので、来場者もかなりたくさんいる。

さて、教えているマンガ科の生徒数は、一学年100人もいるので、1〜3年までけっこうな人数。イラスト専攻などと違って、展示物の作品を読むのにかなり時間がかかる。まあ、2、3年生になると作品数ががくんと減るので、ほとんど1年生なのだが、一人8ページから40ページという作品を数十点も見るのはさすがに無理。実技を担当されている先生ならいいが、私は教養科目なので、ほとんど生徒作品を見るのは初めてである。しかし、書いたものを見て欲しいのは、生徒全員同じなので、とりあえず全部の作品ファイルをパラパラとめくって、超スピードでチェック。しかし、ページをめくるだけで、1時間以上かかるけど。ざっと全部の作品に目を通したが、1年生は、ノミネート作品以外に3点ほど、面白みのある作品がある。でも、「初めてペンを持ちました」という作品も多い。ま、これからだしね。

ただ、2年生になると、もうあきめてしまう人もいて、出展数もかなり少ない。マンガは、読むのはラクだが、描くのは非常に大変。一学年に100人も生徒がいると、当然、自分の実力もだいたいわかるものだから、2〜3年になる頃には、「めちゃくちゃうまい」か「それなりにうまい」かのどっちかだけになる。まあ、実際には「面倒くさいから、あきらめる」が多いだろうが、そういう人の作品はそもそもないのでわからないのである。

もちろん「最初からうまい人」もかなりいて、2年になるとものすごく、うまくなる。が、面白いのは、なぜか、「かなりヘタとしかいいようがない人」でも、2年になると、それなりに味があったり、うまくなったりする。描き続けていれば、確実にうまくなる。でも、たぶんそこまでやらない人が圧倒的に多いんだろうなあ。だいたい学生ってのは、バイトとか遊びとか、けっこう忙しい人種なので、案外、コツコツと一人でマンガを書き続けるというのは、地味でつまらないと思うのかもしれない。たとえ専門学校のマンガ科であっても、本人が描くのが好きじゃないと続かないもんである。

3時半頃に会場を出て、本屋へ。二万五千分の一の地図やら本やらを買い込んだりしているうちに、足が疲れて来たので、6時頃まで喫茶店で休憩。7時頃に帰宅。子供たちは、義母の家に泊まりにいっていて、例によって夫も留守。めずらしく自宅で一人で夕食。ビデオなど見て過ごす。

深夜、アイホールに行っていた夫が帰宅。彼は、毎年この時期に、ロリーナさんのダンスのワークショップを見に行くのだが、いつも帰宅するなり「ああ、やっぱり英会話は必要やで」と嘆くのが習慣なのであった。彼は、コンテンポラリーダンスをやっているのだが、こういう業界は、けっこう国際交流が盛んである(というか、国内よりは人気があるみたいだが)。海外公演をする人も多い。

彼は、他の仕事もあるので、海外公演もしないし、さほど英語を必要とすることはない。で、年に一回くらい、この時くらいが英語が必要な唯一の機会である。だから、毎年、帰宅すると「ああ、英語をもっと勉強しとけばよかった」と必ず言う。まあ、けど、海外旅行へ行った人と同じで、言うだけで、実行はされないものだが、年に一回だけ、毎年必ずそう言う。英語嫌いの彼にしては珍しい。

共通一次世代の彼は、よほど受験の時の怨念でもあるのか、すっかり英語アレルギーである。おそろしくヒアリングが苦手で、とくに英会話は毛嫌いしている。まあ、受験英語のおかげか、単語などは丸暗記していて、メールなどはどうも読めるらしい。どうやら話す方も、何とかはなるようで、以前、日韓交流でソウルで公演した時も、通訳なしで、演出などの指示をしなくちゃいけなかったらしいが、「こっちの意思を伝えるくらいなら何とかなる」らしい。でも、とにかく聴き取りが難しいので、英語はイヤらしい。毎朝、息子がラジオで聞く『基礎英語』が、二階の寝室にモレ聞こえてくるのでさえ、「毎朝、相当、我慢している」のだそうだ。こりゃ、どうも『受験英語の功罪』ってヤツなんじゃないのかな。ま、私なんか、英語は中学1年のアルファベットから嫌いだったので(英語の先生がキライだったせい)、わからないのは当たり前。おかげで英語アレルギーもさほどないんだけど。

なので、なんだか面白いので、また今年も同じことを言うか、ちょっと期待していたのである。

でも今年は、なぜか何も言わず、機嫌よく冷蔵庫をのぞき込んでいる。おや、めずらしく英語に問題がなかったのだろうか、と思ったが、聞いてみたら、今日は、隣の席に「フランス語通訳」が座っていたから、全然問題なかったんだそうだ。相手がフランス語が母語の人だから、お互いたどたどしい英語でコミュニケーションするより、ずっと楽だったそうだ。
「な、通訳おったら、英語は要らんで」

ま、確かに、年に1回だけの機会しかないようでは、要らんだろうが。
でも、何もそこまで嫌わなくてもいいのになあ。

02/13/2006

小説を書くのも、ラクじゃないし

2月10日(金)
朝から小説講座の事務所。9時半まで残業。

今日も、長時間労働の働き者のワタクシ。専攻科の講義変更があるので、その発送準備など。終日、事務作業にあけくれる。我ながら、働き者かもしれない。ま、子供たちが、この週末また義母の家に泊まりに行っているので、思う存分、残業ができるのだった。

働くのはキライじゃないが、さすがに忙しいので「手伝いに来ないか」と何人かの友人に声をかけてみる。もちろんバイト代も出すのだが、なかなかぴったりの人がいない。週2〜3回というのは、どうも面倒くさいらしい。先月も、友人の一人が見学に来たのだが、結局、「たとえ週1回でも、京都から通うのは大変」と断られたくらいである。十数年前までは出版社に勤めていたのだが、ずっと専業主婦をやっていて、「子供も今年は中学生になるし、そろそろパートでも」という話をしてたから、誘ってみたのである。週1〜2回くらいならちょうどいいかと思ったんだけど。「週2日以上は働きたくない、何か用事があったらいつでも休める職場がいい」という話をしていたので、それならちょうどいいかと思ったのだけどなあ。まあ、大阪NPOプラザでは、人材バンクというのがあるはずだから、来月になったら相談してみよう。

しかし、他にいいパートでも見つけたのかなと思っていたのだが、それとはどうも違うらしい。で、どうも見学に来た時に、私と丁稚どんが資料発送をしていたのがいけなかったような気がする。なにせ「奥様」なので、お金に困っているわけではない。どうも仕事にあこがれの部分もあったのではないか、という気もしている。昔、外食産業で働いていた頃、よくバイトの面接をしたのだが、女性というのは、そういうイメージを大事にしたものである。

もしかすると「こんな雑用ならイヤだ」と思ったんじゃないのかなあ。まあ、ただの発送作業だもんなあ。確かにそんなにカッコイイ職場じゃないですしね。

ところで、私は、ずっと友人なので気がつかなかったのだが、やはり十数年も専業主婦に専念していると、どこか仕事に対して、すっかり感覚が違っているものらしい。もしかすると女性にとって、大事なのは「自己実現」なのではないだろうか。私は、「仕事は、お金にもなるし、人の役にも立つし、楽しい」と単純に考えているタイプで、「自己実現」なんぞあまり真剣に考えたことがないんだけど。とくに、これまで一度もパートにも出たことがないような主婦にとっては、たぶんそれはかなり大事なんじゃないかなあと思ったりしたのだった。

だいたい本人は、自分の前のキャリアのことがあるので、それが何か生かせるはずだと思ってくれていたのかもしれないなあ。それなのに私は、たまたま友人の気安さから「今、忙しいから時間があるなら手伝って」と頼んだだけなので、もしかすると、それが逆に傷つけてしまったのかも、という気はする。なんかヘンに誘って悪いことしちゃったかも。しかし、頼んだからわかったことで、言わなきゃわかんないもん。ま、久しぶりに会って、ゆっくり食事もできたからいいや。

けど、こうして、あらためて主婦の再就職の問題について、けっこう大変そうだな。大企業と中小企業の格差の問題もあるが、私の世代は案外、『男女雇用均等法』やら『バブル』やらと言っていた割に、出産退職者が多いのだった。けど、子育て期間によっては、かなり長いブランクがあったりすると、以前のキャリアが生かせるとは限らない。だいたいどんなキャリアでも、転職して勤務先が変われば、使い物にならないということもあるもんなあ。看護婦をやっている友人も、出産と育児で5年ほどブランクがあったらしいが、やっぱり5年も違えば、専門的な知識や治療方法なども変化がある。慣れるまでが、けっこう大変だったそうだ。

まあ、私は、たまたま仕事を続けていたので、(一人目の出産の時は、産前6週、産後8週の産休だったし、2回目も、生後3ヵ月で保育所に預けている。自宅でできる仕事は、双子の出産直後もやっていたし)あまり休んだことはないが、そういうブランクがあるような立場になっていたら、そもそも再就職する気になっていたかわからない。もともとは怠け者の部分もあるから、習慣になってないと続かないに決まっている。一度、怠けグセがついたら、よっぽど金銭的に切羽詰まらない限り、もう働かないだろうなあ。というか、働く気がなくなるかもしれないし、働けるかどうか自信がなくなってたかもしんないなあ。

けど、そう考えてみたら、小説を書くのも同じかもしれないなあ。小説を書くってのは、やったことあない人にはわかると思うが、憧れだけではなかなか書けない。まあ、面倒なこともあるし、続けるのは大変なのである。でも、ずっと書いていた人は本当の楽しさも知っている。周囲からは、雑用に見えたり、つまらないことでも、必要があると思えば、それをやるのはさほど苦ではないのである。

時々、思うのだが、本当にやりたいと思ったことで、「できない」というものは、世の中にはないのではないだろうか。いや、本当はいくらかあるのかもしれないけど、それは、もしかすると「できたらいいな」という程度で、本当に「やりたい」というものではないのである。「できないできない」というのは、実は「やりたいとはボンヤリ思っていたが、どうすればいいか、真剣に考えたことはない」か、「できないに決まっているから、やりたくない」か、たいていは、そのどっちかである。

確かに、いきなり私が「フィギュアスケートで、4回転ジャンプを跳びたい」と思ったとしても、それは無理である。でも、もし真剣に跳びたいと思ったら(そう思い込むのは難しいが)、何かしら現実的な解決方法はあるのではないだろうか。たとえば、いきなり4回転は誰だって無理だから、まず1回転でもできるように訓練する。それだけでも、年齢が年齢だし、まず体重を減らさないと無理だろうな。まあ、15キロくらいダイエットしなくちゃ。それと筋力も衰えているから、それも鍛えないとね。あと、トランポリンなどの練習もやらないとね。

そうやって考えてみたら、大変そうだけど、もしこれを本当にやりとげられたら、5〜6年かければ、けっこうやれるのではないかと思えるんだけどな。それでもできるかどうかわからないけど、それはそれで楽しいかもしれないじゃないか。(まあ、スケートはやらないけど)

だから、仕事も、結局は、本当にやりたいかどうかが一番問題なんじゃないかしら。もちろん最初からはバリバリ無理かもしれないけど、自分のできることを一つ一つやっていれば、いつかきっと到達する。どうも人は、本人が望んだようにしかならないようである。だから、小説を書きたいと思うなら、たぶん書けるはずだろうと私は思う。もし、本当に書きたいなら、絶対に何かできるはずだろうと思う。ま、やりたいかやりたくないか、の問題だろうなあ。


02/10/2006

専攻科は、講義変更あり

2月9日(木)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務。

昼ごろ、講師の先生から電話があり。専攻科の講義を2月25日に予定していた先生だけど、ご都合が急に悪くなったとのこと。あわてて他の先生にメールして、講師変更をする。4月頃に予定していた作品指導を先にしてもらうことに。で、この日に予定していた分は、4月15日にまわす。講義用のレポート用紙も送付しなくちゃいけないので、来週、全員に「お知らせ」を郵送することにする。

うちの小説講座では、講師が変更するのはかなりめずらしい。まあ、年に1〜2回くらい。だいたいエンターテインメントノベル講座の方は、十数人の講師が順番に話をしにくる形式なので、講師の日程変更をしても、生徒さんにはあまり影響はない。でも、専攻科は、作品指導なので、代わりの講師のスケジュール調整や、その作品を書いた生徒さんの日程調整がちょっとややこしい。まあ、たいした手間ではないんだけど。でも、自分の作品指導を楽しみにしていた生徒さんには悪いなあ。4月だと2ヵ月後になっちゃうもんなあ。

本科は、年35回講義があるのでけっこう多いが、専攻科の講義は、年20回ほどしかない。月に1〜2回。うちの生徒さんは社会人が多いし、中には、職場でローテーション調整をしてわざわざ休みをとってくる人もいる。だから、休講にするのは申し訳ない。土曜日の夜なので、他の日は、旅行や家族との予定を入れている人もいるしね。だから、なるべく日程変更だけで済ませるようにして、誰か代わりの講師の人を探すようにしてる。けど、実際は、ほとんど予定通りなんで、変更をする機会がないけどね。

夕方、遅くまでごちゃごちゃと雑用。なんだか、仕事が片づかないなあ。

02/09/2006

小説の「視点」は、簡単そうで難しい

2月8日(水)
朝から小説講座の事務所。9時半過ぎ、閉館ギリギリまで事務作業。

1時半頃に映像ディレクターのKさん来館。おみやげに美味しいシュークリームとチョコレートケーキをいただく。ケーキと紅茶で、色々情報交換など。その間、募集広告の業者さんが来館。担当者が異動になり、引き継ぎで挨拶に来られたのだった。今度は、若い美人ですね。

家に帰ってから、「小説の文体」について考えてみる。生徒さんに説明するための資料をどう作ろうか。エンターテインメント系の小説は、純文学系にくらべれば、さほど文体などは大きな問題にしないことが多い。たぶんストーリーの構成やアイデアの問題の方が大きいことが多いからだろうけど。だから、いま「文体」というのは、そのレベルの問題ではなくて、「小説としての文章かどうか」というレベルの問題である。

小説講座の生徒さんの作品を読むと、とくに初期の頃は、「いわゆる小説の文体」になっていないものがある。「文章表現上の問題」じゃないかしら。

「小説の文体」というのは、けっこう特別である。小説講座には、毎年、プロのライターや編集者の人が入学して来る。こういう人は、日本語そのものはまず問題ないが、小説の文章が書けるかはまた別である(むろんそれ以外にも、アイデアとか、ストーリーとか、別の要素もいっぱいあるが)。文体の違いを書き分けないといけないし、そもそも「正しい日本語」が書けるかどうか、と、「小説の文章として魅力があるか」かはまた別である。

で、どこが違うかを考えてみたのだが、前にも言ったけど、やっぱり「視点」じゃないのかなあ。いわゆる作文や雑誌記事と「小説」の、たぶん最大の違いはここじゃないかしら。たいていの小説には、これがある(まあ、小説は自由な形式なので、ほとんどない文体もあるかもしれないが、まあ例外)
視点というのは、非常に便利なシロモノなんじゃないかしら。たぶん読者はこのおかげで、小説世界を把握し、感情移入ができるんだろう。

ところで、インタビュー原稿などでも、「視点」はある。私は、ライターもやるので、取材記事を書く事もあるが、文体でも「一人称文体」(まるで本人が語っているかのように書く原稿)と「三人称文体」を使い分けることがある。おおざっぱにいうと、女性誌などでは、一人称を使うことが多いけど、女性誌だと「三人称」でも、意識的にかなり一人称に近いようなカタチで書く。(ちなみに広告コピーで多いのは、事実上の二人称だったりするけどね)。

一方、専門誌などでは客観性を出すために、取材対象を外側から冷静に眺めるように書く。さらに、対象から思いっきり離れてしまったら、そうなると今度はむしろ書き手の視線が出る。そこまで離れれば、別の視点が読み手に意識されるくらいになるわけだけど。

ところで、小説が「読みにくい」とか、「ストーリーはわかるけど、何だかどこか冷めていて、感情移入しにくい」というような生徒作品は、もしかすると、この「視点」に問題があるんではないかと思う。とくに初心者は、「視点」というのが何なのか、どうもよくわからないようだ。まあ、かなりたくさん書いている人でも、視点がグラグラして読みにくい作品もあるけど。

ほとんどの小説は、視点人物を設定する。だから、小説って、どうやってもクールではないと思う。なにせ視点人物は、その世界ではまぎれもなく生きているわけで、見たり聞いたり体験する。感情もあるはずである。で、思うに、たぶん文章というのは、クールに書くのが一番ラクなのである。クールじゃない小説は、ちょっと大変だ。

よく生徒さんに聞かれるんだけど、「ストーリーは浮かぶのだけど、画像で思いつくから、どう文章にしていいかわからない」という話がある。
もちろん、それを書くのが小説なので、私にはどう書けばいいのかは全然わからん。
けど、たぶん視点人物がいる。同じストーリーでも、視点人物が違うと全然違った話になってしまうもんね。で、「今、画像で思いついたストーリー」でも、それは視点人物を通して見えているはずである。とすれば、そこで見えている風景も、ただ見えているのではなく、人間ならどこかに「焦点」をあわせるはずで、画像で言えば、そこだけアップになったりするはずだろうと思う。
(で、ストーリーによっては、サッと画面転換したり、フェードアウトしたり)

だから、まずは視点人物が見えたもの、感じたもの、どんな臭いがするのか、どんなふうに見えるのか、を書いていけばいいのではないのかしら。たいていのストーリーなら、それで書けるんじゃないんじゃないのかな。ま、小説はかなり自在な表現方法なので、テクニックも無限にあるんだろうけど。

ああ、もしかすると、やっぱり「怖い」のかなあ。
視点人物の視点で書くというのは、実際には、作者が、自分自身を視点人物の内側に入れてしまうから、そこだけはクールではいられない(けど、どうせあらゆる登場人物にはどうせ作者が投影されるんだが)。どうも人によっては、これはかなり怖いことらしいなあ。でも、個性って、そういうことなんじゃないかと思うし、個性のない作品は読んでもおもしろくないもんなあ。

もちろん書くという行為自体は、もともとクールなんだけど。きっと作家って、クールじゃない自分をそこに見ながら、クールに計算して書くんだろうなあ。でも、そもそも作者がその世界の中にいて、見たり体験したりしてくれないと、読み手は読みにくくて困る。そういう作品は、どこかハリボテの作りごとみたいで、知的な部分では理解はできても、感情的には理解できなかったりするもの。

だから、どうしてもうまくいかない人は、一人称文体を書いてみたらいいんじゃないのかなあ。一人称だと視点がぐらつくことがまずないし、視点がヘンだとすぐにわかるし。でも、そういう人に限って、「私は、一人称文体ではうまく書けないんですよ〜」なんて言うんだけど。けど、「一人称文体ではうまくいかなくて、三人称文体ならすぐにうまく行くのかな、ホントに」と思うんだけどな。三人称の方が一人称よりも視点がグラつきやすい。そりゃ三人称だと、視点人物の中に完全に入り込んでいる場合と、肩の上あたりにあるぐらいとか、かなり頭の上の方にあるとか、まあ、いろいろあるが、章などが変われば視点人物も切り替えられるし、便利は便利。だけど、やっぱり初心者は難しいみたいだ。とくにファンタジーとか、時代モノとか、群像劇風の作品だと、「視点の問題で読みにくいのでは?」と思うものも多い。まあ、時代小説なんかだと、なにせ司馬作品みたいに、視点が完全に外側にあったりするようなタイプもあるけど、そういう形式で読者におもしろく読ませるのは、技術的にはかなり難しいのかもしれないなあ。まあ、書く人の個性だから、作家の好きなように書けばいいんだけど、読み手に読みやすく書きたければ、少なくとも初心者のうちは、一人称の方が無難かもしれないんだけどな。

とにかく「視点」については、混乱する生徒さんはけっこう多いから、かなり難しい技術なんだろうなあ。

02/08/2006

また小説専攻科のおかげで数時間

2月7日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務作業。

朝、電話があり、昨日送ったクロスワードパズルのヒントが2個ぬけているので、確認のうえ再送信せよ、とのこと。クロスワードパズルの連載を、数年続けてやっているのだが(つまり内職である)、このところ確認ミスが多くなっているみたいだ。クロスワードパズルの原稿は、手書きで作った後で、Macのイラストレータで画像ファイルを作成してから送信している。パソコンで清書する時にミスするようだ。あわてて、修正して送信する。

午後から、小説講座の事務所。で、専攻科の欠席者への発送をしようとして、えらく困る。先週は、3クラス同時に授業があったので、専攻科の教室には、私はほとんど顔を出していない。9期の教室にいたせいである。そのせいで、専攻科の出席簿が2クラスとも、きちんとつけられていない。出席簿に記載がないと、誰が欠席か全くわからないので、欠席者への資料発送もできない。専攻科では欠席者は、メールか電話連絡を入れてもらうことにしているのだが、連絡もなく休む人も多いのである。

しかたなく5〜6人に電話して、ようやく聞き出したのだが、正直かなりがっくり疲れる。作品集の配布も行き渡ってないこともわかり、丁稚どんと発送を済ませるまでになんだかんだで2〜3時間がかり。ふう。

専攻科は、作品集などの印刷費以外にも、郵送費もかかるし、こうして発送や印刷の手間がかかる。人件費まで含めると、かなり維持費がかかる。しかし、出席簿くらいどうしてきちんとつけてくれないのだろうなあ。欠席者を把握するのに何件か電話して、それだけで、少しがっくりしてしまった。専攻科の生徒さんなら、名簿がないと困ることくらい、ある程度わかっているはずなのになあ。もちろん、きちんと欠席連絡をくれたり、出席もきちんとする人も多いのだけど、残った資料の数と名簿の出席者数が合わないと、誰に発送したらいいかわからなくてホント困るのだ。まあ、今は、日直係を決めてないから仕方ないせいもあるけど、私がチェックできないことがわかっている時くらい、これくらい誰かが気を使ってくれてもよさそうなものだがなあ。こんなに少人数のクラスなのに出席者がわからないとは。まあ、飲み会の時に「名簿」を確認しなかった私のミスかもしれないけど。

しかし、めずらしく頭に来たので、丁稚どんにちょっと当たってしまう。専攻科の2クラスのうち、丁稚どんが出席していた星組の出席簿さえも、何人か確定できなかった人がいたせいもあるけど(丁稚どんもさすがに生徒全員の顔と名前が一致しない)、実は、機嫌が悪い理由は、他にある。せっかく2クラス制にした日に限って、十数人が欠席したせいである。いつもなら長期欠席の人を入れても、3〜4人しか休まないのになあ。どうしちゃったんだろうなあ。

実際、欠席時の資料郵送費は、年に6回分しか計算してないので、それ以上は欠席されるほど、郵送費は赤字になる。ま、あらかじめ長期欠席するのがわかっていれば、まとめて郵送したりするので、それほど赤字にはならないが、やはり数千円の赤字である。実際、長期欠席の人は、作品も提出されてない場合が多いから、印刷費もかからないのでまあいいのだが。でも、専攻科は、なにせ学費も安いから、印刷代、教室代、講師代などで、もともと赤字トントンなのである。ホントは、事務の人件費も出せないくらいなのである。だから、それくらいの手間はかからないようにして欲しいんだがなあ。もちろん「学費があまりにも安すぎるので、もう少し値上げしてもいいんじゃないか」といってくれる生徒さんもけっこういるのだが、せっかくだから、できれば値上げはしたくないのである。こういう手間さえかからなければいいんだけどなあ。

そんなこんなで、2時間ほど機嫌が悪かったのだが、まあ、よく考えたら、出席簿くらいたまたま忘れただけだから、いつまでもブツブツ怒っていても仕方ない。しかし、こんだけ手間がかかるんだから、これは絶対、今年だけでも数人は、ちゃんと新人賞をとってもらいたいもんである。うちの講座では、出版デビューを伴わない地方の小さな賞やシロウト向けの賞は、いくらとってもノーカウントになっている。というか、とくに公表していないのだが(もちろんどんな小さな賞だって、とるにこしたことはないんだけど、いちいち公表するのが面倒なので)、公表できるような新人賞が数人は欲しいんだけど。こんだけ新人賞がいっぱいあるんだから、専攻科の生徒の半分くらいが受賞しても大丈夫なんだけどな。

夕方、所用があるので、5時には仕事を切り上げて帰宅。

小説とは関係のない休日(ただキーボードをたたくだけの一日)

2月6日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午前中、出かける予定だったのだが、事情により中止。いつもなら、午後からの専門学校の非常勤講師も、今日は作品展の準備で休講である。結局、自宅で終日いろいろ作業。パソコンの前に座っていただけの一日である。仕事はかなりはかどったが。夕方、めまいがするので風邪かもしれないと思って、そのまま早めに寝る。

小説とは関係のない休日(生駒山脈を半周)

2月5日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

やっと晴れた日曜日。と思ったら、あいにく丁度いいタイミングというか、神戸電鉄の脱線事故があり、今日は電車が使えなくなっている。うーむ、呪われた日曜日だ。実は、先日から、家族は「六甲ハイキング〜有馬温泉ツアー」というのに行きたがっていたのだった。でも、うちは自動車がないので、神戸電鉄が使えないのでは、ちとムリがある。たしか梅田からの有馬温泉行きのバスもあったはずなのだが、ま、今日でないとダメというわけでもないので、行き先を変更することにする。

で、私の希望で、生駒山の北半分一周ツアーに行くことに。ご存知のように、生駒山は、大阪府と奈良県の県境に南北に伸びていた山である。奈良と大阪は、JRと近鉄電車で結ばれているのだけど、そのうち近鉄はトンネルがあるのだが、JRは、この生駒山の北側と南側をぐるっと迂回しているのだ。だから、電車を使えばぐるり一周できるのだ。で、前から私は、生駒を電車で一周したかったのだが、さすがに長時間電車に乗るだけというのは好き嫌いがある(私は平気だが、子供たちは嫌い)。とくにまだ小さい子供たちは退屈なので、ムリだろうとあきらめていたのだった。

でも、よく考えてみれば、近鉄なら、生駒の中央部にトンネルがあるので、途中で乗り換えれば、半周ずつならできるはずだ。むろん「そんなことをして、何が嬉しいのか」と聞かれたら困るのだが(息子にそう聞かれた。彼は山登りには興味があっても、鉄道にはまったく興味のない少年なのだった)、ま、とにかく一度やってみたかったのである。

で、「なんでそんなとこ行くん?」と不思議がる子供たちを説き伏せて、11時頃に「学研都市線」に乗る。同志社前行きの快速で、ぐるっと生駒のふもとをまわり込んで、京都の南端にある同志社前の駅で乗り換える。プラットフォームで気がついたのだが、ここは単線である。もちろん木津あたりは単線だと思っていたのだが、数年前に同志社ができたし、けいはんな地区の都市開発で、なんとなくもうすっかり複線になったのだと思い込んでいたのだった。子供たちは「自分でボタンを押して開ける電車のドア」に少し喜ぶ。田舎の電車ではめずらしくないだろうけど、うちの子供たちが一番よく利用するのは地下鉄なのである。

JRは「祝園(ほうその)」で降りて、一応の目的地である「けいはんな記念公園」方面へ、ぶらぶら歩く。バスに乗らなかったので、けっこう距離があり、すっかり退屈したらしく、子供たちは「お山登りの方がよかった」とブツブツ。結局、公園でもほとんど遊ぶことなく、国会図書館(もちろん関西館)の前のレストランで、かなり遅い昼食をとっただけで、バスで駅に戻る。今度は近鉄の新祝園から、西大寺で乗り換えて大阪方面へ。トンネルをくぐって、生駒山の向こう側へ帰る。

私は、近鉄の生駒駅から石切駅の途中、ちょうどトンネルを抜けたあたりの景色がかなり好きである。けっこう高いところを走っているので、大阪の町が一望できるのだ(奈良側からだと右手に見えます)。ちょうど夕暮れ時で、空が赤く染まり、小さな灯りがチラホラとつき始めている。なかなか美しい光景である。(この線はけっこう高いところにあるので、下界から見ると、ちょうど夜の闇にまるで銀河鉄道のように見えるのである)

「でも、今日は全然おもしろくなかった」「山登りがよかった」と、ぶつぶつ文句を言う子供たちのために、上本町のデパートに寄り、本を一冊ずつ買う。夕食を食べて帰宅。たしかに何もしてないかもしれないが、けっこう高くついた休日であった。でも、次は、南半分一周したいな。ムリかな。

小説専攻科の欠席者多く、9期の出席率は高い

2月4日(土)
午後から小説講座の事務所。夕方は、小説講座3クラス。第9期(金井貴一先生)、専攻科2クラス(星:五代ゆう先生)(花:堀晃先生)の講義。

夕方から3クラス同時なので、なんだかバタバタ忙しい。専攻科はもともと講師だけで、事務は日直当番制のはずなのだが、実際には欠席率も高いし、日直だけでは難しいのである。専攻科は、学費は安くて(年に3〜5万程度)しかも作品数が多く、作品集を作る費用も時間もかかるが、欠席者も多く、資料発送も多い。しかも遅刻者も多いので、出席簿もきちんとつけてくれない人も多い。なかなか難儀なことである。

結局、専攻科は、2クラス合わせると十数人が欠席。専攻科は、作品指導が中心なので、年に長編を何作も書く人や一作も書かない人もいて、けっこう皆マイペースである。講義でも、長編指導が多いので、「興味がない作品の指導日は欠席する」という人もけっこういる。でも、これだけ欠席者が多いのも、さすがにめずらしい。とくに花組は欠席者が多かったようで、授業開始時にわずか6人いるだけだった(遅刻者がいたので、最終的には十人いたそうだが)。これじゃ2クラスに分けるほどではないな。

一方、9期のクラスは、出席率はかなりいい。例年、今頃の時期になると教室に来なくなる生徒さんが一人くらいはいるのだが、今年は完全に来なくなるような人がまだ誰もいない。社会人クラスなので、退学するのも自由である。退学者は少ないのだが、例年1〜2人はいる。だいたい2月まで出席されるとやっと顔を覚えるくらいなのだけど、これまでの経験で、2月くらいまで出席されている人は、卒業されることが多い。ま、辞める人の多くは、会社の転勤が理由だったりするけど、中には最初の1〜2回で来なくなる人もいる(入学式だけしか来ない人もいるが)。まあ、欠席が続くと、欠席分の資料を郵送する時に手紙を入れたり、いろいろ気を使うのだけど、社会人向けなので、どの程度、心配するのが適当かは微妙。

たまに「作家になりたいです!」と入学して来て、「じゃあ、作品を」と言うと、「えっと、作家って、やっぱり小説を書けないとダメなんですかねえ」などというノンキな人もいるわけである。専攻科は数万だが、小説講座の本コースは、年に十数万する。この学費が安いか高いかは実は私にもよくわからない。たいていの生徒は安いと言ってくれるのだけど、欠席が続ければ、安いはずはないだろうしなあ。でも、「何か他に楽しいことを見つけたに違いない」と思って、気にしすぎないようにしている。なにせ社会人なのである。

ちなみに少し意外かもしれないが、社会人より大学生の退学率の方がやや高い気がする。うちの生徒さんの平均年齢は30歳代くらいで、主婦や社会人がほとんどだから、大学生の生徒さんはかなり少ないのだが、やや退学率が多いのである。どうやら1〜2月にテストで出席できなくなり、3月に帰省や旅行で欠席が続き、年度が変わると来る気がなくなるようだ。就職活動とかあるのかもしれない。社会人から見れば、時間がたっぷりあるようでいて、大学生は色々と他にやることが多いらしい(わかんないけど、たぶん合コンとか)。どうも途中で「小説なんか書いているヒマがない」と思うらしいなあ。その点、忙しい社会人の方が遊んでいるヒマがないだけ、有利なのかもしれない。まあ、社会人の方が、入学までに色々覚悟がいるのかもしれないけど。とにかく小説講座の生徒さんは、入学するまでに色々と葛藤があるようで、決心するまでに半年かかる人もいるみたいだし。

ま、それでも、かなり途中脱落者の少ない講座なんじゃないかなあ。8〜9割くらいはなんだかんだで卒業するし、卒業生の7〜8割くらいは専攻科に進学するし、とりあえず評判はかなりいい講座なのである。

金井貴一先生は、今年もまた全く違う講義内容。講師によっては、毎年同じレジュメを使って同じ講義をする先生もいるが、金井先生は毎年内容が違う。もちろん生徒さんは毎年新しい人が入学してくるので、毎年ほとんど同じ講義でもちろんいいのだけど、金井先生みたいに、毎年、内容を変える先生もいる。とくに金井先生は、どうも毎年そのためのレジュメを作って来てくださるので、私はいつもびっくりする。今年も、けっこうな量のレジュメを作り、ご自分で人数分コピーして綴じて持参されていた。わざわざ今回に作られたレジュメなのだけど、これだけのテキストを打ち込むだけでも大変である。

事務担当の私は、それはそれで嬉しいのだが、そのための準備が大変だろうと思うとえらい恐縮である。うちの講師料は、ほとんど交通費程度の薄礼なので、遠方からわざわざ来ていただくだけでも有り難い。小説講座の講師は十数人いるのだけど、みな忙しいプロ作家の人ばかりなのに、本当に有り難いことである。今回も「経営が苦しかったら、講師料など何ならいいんですよ」とニコニコと言われ、誠に恐縮である。「いえ、薄礼ですから」。

さて、金井先生は、かなり遠方にお住まいなので、いつも講義が終わったらすぐ帰宅される。今日も、講義終了後の事務連絡をしている間にサッと帰られてしまい、あとで生徒さんに「あ〜っ、せめて著書にサインもらおうと思っていたのに! もう帰られたんですか!」と残念がられた。せめてもう数分ひきとめればよかったのだが、もう帰られた後だった。うう、ごめんなさい。

専攻科も、忙しいスケジュールをぬってご出講いただいた堀先生は、講義後、急いで帰宅されたそうで、結局、ほとんどお会いすることもできず。五代先生だけ、いつもの中華屋に。専攻科も十数人、9期のクラスも十数人ほど残って、それぞれアニメ、ドラマ、小説の話で盛り上がる。9期には、東京からと名古屋からの通学生がいるのだが(和歌山、滋賀もいるけど)、個性的な生徒さんたちばかり。前期課題の締切日(2月18日)にどんな作品が集まるか楽しみ。

専攻科のテーブルで料理を注文しすぎたらしく、食事があまっていたので、そのまま一部の生徒さんたちと終電ギリギリ、11時半頃まで飲む。深夜、帰宅。テレビを見て、3時に就寝。

趣味も、小説も、家族の理解がないと続かない

2月3日(金)
朝から小説講座の事務所。事情により、早めに帰宅して自宅で作業。

朝、子供部屋から夫の叫び声がする。「なんだなんだ」と思ったら、子供部屋に「ゲーム機」を発見したらしい。うちの夫は、子供にゲーム機を与えるのはよくないと考える主義で(大学生ならいいらしい)ゲーム機などはないはずなのである。「どうしたんだ!?」と聞いたら、小学6年の息子が「先週、内緒で買った」のだそうだ。夫は、高額の買い物は、たとえ夫婦間でも一言くらい相談する主義である(まあ、たいてい特に反対することはないのだが、一声かけるのである)。小学生のレベルなら、ゲーム機は充分「高額商品」である。

「そんなものを一人で買いに行ったのか」と聞いたら、「おばあちゃんと買いに行った」という。義母は、6人の孫全員に「たまごっち」を2個ずつ買ってしまうタチの人なので、まあ、それは充分ありうることである。「でも、自分のこづかいで買ってん。買ってもらったんじゃないで」と息子は言う。

こんなことは世間ではよくあることなのかもしれないが、正直、私はかなりショックだった。あまりショックなので、子供たちが登校してしまうまで、どうしていいかわからない。でも、自分でも何がこんなにショックなのかわからなかったのだが、どうも「自分のこづかいで内緒で買った」ということがショックだったらしい。

まあ、うちの夫は自分が好き勝手やっているだけに、リベラルな人なので、たぶん正直に息子が「ゲーム機を買いたい」と言えば、ルールを決めたうえで承認したかもしれない。そう思えば、内緒で買ったことだけがよくなかったのだが、私がショックだったのは、息子は、昨年の秋まで「ロボットを作るためにこづかいを貯めていた」からである。つまりゲーム機を買ったのは、ロボット制作を完全にあきらめたという意味なのだった。

彼がロボット制作に興味を失ったのは、昨年頃である。どうも「ロボカップジュニア」というのがあるのだが、その観戦に行って、レベルの違いに圧倒されたらしい。どうも技術的なレベルではなくて、かなりの部分が金銭的な理由なのであった。今から考えたらそうなのだが、あまり重要視してなかったのである。

小学6年生の息子には、月に千円しかこづかいを渡していない。確かに全額をロボット制作に費やしてもかなり難しい。ロボット制作に熱心な子供たちを見ると、やはりけっこう親のフォローがある。なかなか子供の意思だけでは難しい。確かに、金銭的な問題は大きい。スポーツでも、スケート選手というのは親の理解とフォローがないと続かないのである。

私の弟は、子供の頃は、工作大好き少年だったので、幼稚園の頃にはすでに電池じかけのおもちゃを自分で作って遊んでいた。小学1年生の時に「電動の紙ずもうマシン」を作ったりして、息子の年齢には、自分のパソコン(当時は、マイコン。『MSX』である)でプログラミングしたシューティングゲームをするために、市販の商用ゲーム機のボタンを改造して、自分仕様にカスタマイズしていたくらいである。

しかし、それは父親の影響が大きい。うちの父は技術屋だから、機械部品も自宅にあったりするし、日本橋にもくわしい。当時を思い出してみると、大型ゴミの日になると、よく弟と父が「部品拾い」と言って、粗大ゴミを探しに行き、よく壊れたテレビとかラジオとかを拾って、分解していたことである。テレビの部品や商用ゲーム機の部品などは、いつも弟の部屋にたくさん山積みになっていた。

うちの夫は、工芸や美術関係なら、陶芸だろうが、木工だろうが、何でも器用にこなすし、プラモデル作りも得意だが、なぜか機械類は一切興味がないらしい。どうやらおもちゃでも動力のあるものは興味がないようだ。

去年の秋頃から、息子はロボット制作に興味を失っている。結局は、お金が足りないのが理由らしい。どんなに安いものを探しても、部品類はそれなりにするし、彼のこづかいでは日本橋に行く交通費すらままならない。工夫しようにも、工具類が足りないようである。祖父である私の父が相談にのっていたようだが、父の仕事が今めちゃくちゃ忙しくて、親身に相談に乗れなかったようだ。

どのみち技術的なことは、私がフォローするのはムリなのだが、それにしても理解がなさすぎたのではないかとちょっとショックである。それにどうもゲーム機が欲しいわけではないらしいのが、余計に親としては複雑である。ヤケになって使ったらしいのである。微妙である。とにかくどうも相当に理解のない家族だったらしい。

結局、しばらくゲーム機をとりあげることにしたのだが、夕方にはケロっとしていた。まあ、買ってまだ一週間だからハマってもいないようだ。さて、このゲーム機を彼の「新しい趣味」として理解すべきかどうか、まだよくわからない。たぶん本人もよくわかっていない。

02/03/2006

生徒の書いた小説、プロの書いた小説

2月2日(木)
朝から小説講座の事務所。昼前から3時まで外出。

昼過ぎ、エル大阪に教室代を払込みに行くと、いつもと様子が違う。掲示板を見たら、全室、大学の入試会場になっていた。受験シーズンである。皆さんご苦労さま。

3時前くらいに事務所に戻る。自転車なので、片道20分ほど。
9期の生徒さんから預かった長編作品を読む。
この9期生は昨秋に入学したばかりで、まだ前期課題の提出も済んでいないのだが、「自由提出」の分である。これまでに書いた作品で見て欲しいものがあれば、いくらでも持って来てもいいことにしている。ものすごくいい作品があれば、特別に編集者や講師にも見てもらったりできるのだが、実際には、入学したばかりの生徒さんの作品でもあるので、それほどいい作品にはまだ出会ったことがないのだった。

この作品はファンタジー作品で、数百枚ある長編。数十枚読んだ感じでは、いわゆる「初心者が書いたファンタジー」。といっても、一般の人の中には、なんのこっちゃわからない人もいるだろうが、まあ、専攻科の生徒さんなら、だいたい想像がつくだろう。まあ、そういう感じの作品。アニメのシノプシスやマンガの原作なら面白いのだろうけど、どうも小説としては読みにくい。書き出しから、文章表現上のミスがいくつか目立つ。しばしば視点の混乱があり、さすがにかなり読みにくい。何が起こっているのかちょっと理解しづらく、数行ごとに「アレ?」とひっかかってしまった。内容は、ちょっと面白そうなんだけど、さすがにこれは注意した方がいいような。

まあ、エンターテインメント系の小説だと、文体とか、表現上の個性とか、それほど凝ったものを要求しているわけではないと思うけど、最低限の表現力は要るだろうし。

専攻科の作品も、あいかわらず手元にたまっていて、まだ読んでない作品がけっこうある。18日には、9期の前期課題の締切日なので、それまでには読まないとね。しかし、こうして生徒さんの作品を読んで、家に帰ってから、プロの人の作品を読むとやっぱりついホッとするなあ。

何が違うと言っても、やっぱ、違うもん。


02/02/2006

ファンタジー、雑談、残業、ベタな話

2月1日(水)
朝から小説講座の事務所。9時半まで残業。

昼からお手伝いスタッフの丁稚どんが来て、またまた専攻科の作品集づくり。いったいいつになったら終わるんだ〜っと思っていたが、ようやく終盤へ。今週末の2月4日には、大量の作品を配布することになるでしょう。あまり量が多いので、できればなるべく欠席しないようにね。でもって、欠席者は前もって連絡していただけますように。教室へ持って行く荷物がやたら重いだろうから。

昼過ぎ、専攻科のNくんが作品提出。専攻科の作品締切は、次回は3月なのだが、とりあえず中編ができたから見てくれ、ということなので、作品を預かって、しばらく雑談。私が、専門学校の方の生徒さんのアホな失敗エピソードを話すと、笑い話のつもりが、丁稚どんとNくんが「笑い事じゃない」となぜか二人とも考え込む様子。うーん、真面目なお二人である。

なんの話だったかというと、ストーリーのアイデアを考えたという生徒さんに、私が
「この話も面白いけど、作品全体を支えるのにはちょっと弱い気がするので、もう少しひねるか、何か別のアイデアを足せばいいんじゃない?」
というと、ストーリーそのもの、つまりアイデアをひねるのでも、足すのではなく、ただ関係のない設定を入れてただ複雑にするだけだ、というエピソード。

うちの小説講座の生徒さんは、社会人ばかりなので、そんな顕著な人はまずいないが、専門学校の方の生徒さんは、ほとんど十代の若者。書きたい作品も、ほとんどがファンタジー(8割くらい。あとはの2割はギャグか学園モノ)なので、やたらと複雑な設定が好きなのである。設定ばかり考えて、「で、ストーリーは?」「それは、これから考えます」という人が多かったりするくらいなので、ストーリーを支えるアイデアと設定の区別なんてつかない。もちろんファンタジーの場合、「世界設定」そのものがアイデアという場合もあるし、それならそれで別にいいのだが(まあ、そういう例はほとんどないけど)、実際にはやたら設定が増えてややこしくなっただけで、残念ながら、ストーリー自体はあいかわらず面白くはならないのだった。

(アイデアだけでなく、モチーフとかテーマとか、そういう言葉なども使い分けた方がいいのかもしれないけど、そうなると「モチーフって何ですか?」という人が出るので、あえて「モチーフ」とか「テーマ」などという言葉はなるべく避けています)

というような話だったのだが、二人とも「うーん、思い当たるところがなくもないし」と苦笑い。いやいや、ファンタジーのヒトに「設定を考えちゃダメ」なんぞ絶対に言うわけではないのでして、そりゃ、ファンタジーと言っても、そりゃもう色々あって、もちろんストーリーなども色々で、たぶん「魔王の宮殿の庭で、美しい妖精がただはかなく死ぬだけの話」とか(いや知らないけど)、そんなものもアリだと思う。ただ、まあ、読む側にとっては、ストーリーに関係する以外の設定はややこしいだけで、さほど関心はないだろうから、すっかりその世界にハマるまでは書かないで欲しいなあというくらいなんだけど。

仕事がたまっているのに雑談をしてしまったので、家の者に電話で子供たちのことを頼み、閉館時間ギリギリまで残業をする。文章教室の講師依頼のため、電話数本。フリーライターのYさん、映画プロデューサーのSさん、編集者のMさん、元新聞記者のKさんなどなど。いい講師がそろいそうで、「新土曜文章講座」も楽しみです。生徒さんが集まるといいな。

夕食をすませてから地下鉄で家に帰ると、もう11時頃。夫がDVDを見ている。モノクロ映画である。『素晴らしき哉、人生!』である。昨日は、ヒッチコックだったんだが、モノクロ続きだな。私はまだ仕事があるのだが、うちのテレビはパソコンの真横にあるので(ビデオ編集をパソコンでやるので)、彼が見終わらないと仕事ができない。キッチンでのんびりとコーヒーを飲む。

見終わってから、たまたまバラエティ番組をぼんやりつけていたらしく、「ベタ」な展開は何かを当てるコーナーをやっている。なぜか「やっぱベタだよな。ベタはいいようん」などと妙に納得している。ふーん、いつも読むのは純文学ばっかりで、ベタな話はダメなんじゃないのか。そんな男でも、フランク・キャプラを見た後はベタがいいのかベタが。うーん、ベタは偉大だなあ。

「そういや、このあいだ、専門学校の生徒さんに『べタって、何ですか』って聞かれたよ」と私が言うと、
「そりゃ、ステレオパターンってことじゃないの?」と言う。
「ベタが何かわからないのに、『ステレオパターン』と言われてもわかんないよ」
「そうかな」
「ありがちなストーリー、ってことなのかなあ」
「いや、『やっぱ、こうじゃなくっちゃ!』なんじゃないの」
そうなのか。ああ、そうかもなあ。

新講座「新土曜文章教室」のカリキュラムなど

1月31日(火)
午前中、小説講座の事務所。午後から外出。

月末なので、毎週火曜日に来てもらっているスタッフの丁稚どんは、事情によりお休み。明日の水曜日に代わりに来てもらう。午後から外出なので、またまた事務所が不在になる。春の開講は、4月22日からなのだが、なかなか体制がとれず。25日から生徒募集の広告が一部出ている。こんな時期に留守電なのは困るのだが。資料請求の方にも、ご迷惑おかけしてます。募集資料も、今週中には何とかします。もう少しお待ちを。

募集体制がなかなかとれないのは、人手不足もあるが、新講座をたちあげるから。もともとあった「文章講座」をリニューアルして、「新土曜文章教室」として再編。昨年度とくらべると、カリキュラムがかなり変更している。というか、ほとんど別コースみたいである。結局、土曜昼の半年コースは、大阪シナリオ学校でやっていた「土曜文章講座<クリエイトルーム>」の内容にかなり近くなってしまった。作文からドキュメンタリー、小説、編集、広告コピー、企画書作成など、文章一般から出版関係を幅広く学ぶ「入門講座」。十数人のプロが順番に出講する総合スタイルだから、「何か書きたいけど、まだ何をどう書いていいかわからない」というような初心者にオススメ。

ちなみに、大阪シナリオ学校の方では、この春はクリエイトルームの募集はしない。代わりに「ショートストーリー講座」が新設されている。映像関係、シナリオに興味がある方は、ぜひあちらへ。もちろん協力校です。今後は、合同講座なども企画していきたいと思ってるのだ。(ただ、なにせアチラも人手不足なので、いつになるかわかんないけど)

で、実力養成の「実戦文章コース」は、そのまま別の講座として残すことに。3〜6人程度の少人数の講座として、土曜や平日の昼と夜に実施する予定。こちらは、レクチャー授業ではなく実習中心。文章技術のレッスン講座で、どちらかというと、エッセイや小説などの「作品創作力」というよりは、文章表現能力アップ、という感じのコース。作品も授業中に書くスタイルなので、「一人で机に向かっても全然書けない!」という人、「途中まで書いてみたけど、どうしていいかわからない」という人、「仕事や試験などでレポートなどを書かないといけないんだけど、ぜんぜん文章力がなくて」という人向き。

そんなわけで、小説講座の事務所は、あいかわらず忙しいのでした。

« January 2006 | Main | March 2006 »

無料ブログはココログ
June 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30