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01/31/2006

小説とは関係のない休日(ロイド、うわさのホテル)

1月30日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午前中、自宅で作業。午後から専門学校で非常勤講師。今日は、ちょっと毛色が変えて、ハロルド・ロイドの『要心無用』を映像資料にとりあげる。ただ、前半の新聞記事を使った「実習」に思いのほか、時間がかかったので、解説は次回の講義にまわす。

ところで、非常勤講師をするまでは、コメディなんてものは、誰でもある程度好きだと思っていたのだが、実際にはひどく好き嫌いがあるものらしい。もちろんコメディ好きも多いのだが、たまに「コメディは全くダメ」という人がいる。マンガ科なのだが、コメディがダメな人は、チャップリンだろうが、キートンだろうが、タイムボカンだろうが、最近のもの、あれこれ、とにかく笑いがメインになったものは、全部ダメらしい。

「こんなバカバカしいものが、何の勉強になるんですか」と怒る人さえいるので驚く。まさかマンガ科のクラスで、そんなことを言われるとは思わなかったので、ちょっと興味深かった。これでもメジャーなもんを選んだつもりなのだけどなあ。きっと、許せないのだなあ。こういうタイプの生徒さんは、名作感動モノが好きなことが多い。まあ、好き嫌いはあるので、しょうがないが、教材なんだけどなあ。

どうも男子では滅多にいないけど、どうも女子ではたまにいるらしい。まあ、真面目にマンガ家をめざしている人は、けっこうアセっているので、「ムダなことはやりたくない」というのである。まあ、ムダな授業をやっているつもりはないんだけど……。

……という状態なので、コメディなどは要注意なのだが、今日は学校行事の関係で、欠席者が多いため、ハロルド・ロイドをあえて使ってみる。で、「ヤバイくらい面白い」と気に入った生徒さんもいる一方で、3割くらいが寝ていた。ま、なにせ1923年の作品だからなあ。この作品は、以前作ったギャグの分類表などがあるのだが(チャップリンの作品のもいくつかある。なんでそんなものあるかというと、ただの趣味)、今回あんまり寝た人が多いので、次回は別のテーマにしようかな。

夜9時頃、講義を終えて、いつもならまっすぐ帰宅するのだが、今日は夕食を食べてから帰ろうと、ブラブラ歩く。そう言えば、このあたりに最近話題の「東横イン」があったなあと思って、ちょっと寄り道。ま、そう言われてみれば、点字ブロックはないようだが。ちょうど目の前をコロコロと荷物をひきずりながら、ビジネスマンが入って行った。宿泊料も安いらしいし、もともと人気はあるんだろうなあ。まあ、耐震偽装よりずっとマシなのかもしれないが、根本は同じ。

書店で買い物をしてから、夕食をとって帰宅。節分に巻き寿司を作ろうかどうしようか、ちょっと検討中。

小説とは関係のない休日(キーウィ、通天閣、串かつ定食、大河ドラマ)

1月29日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

朝、8時半起床。朝食時、なぜか小学2年の双子の娘たちが「今日は、動物園に行くねん!」と、まるですでに予定がぴったり決まっているかのように言う。ま、8時半起床では、ハイキングに行くには準備が間に合わない。だから、動物園や美術館くらいが精一杯なのだが、なぜ「ぜったい動物園」なのかはわからない。「なんで動物園?」と理由を聞くと、「動物おるから」「だから、動物園」という。まあ、天気がいいから、動物園でもいいけどね。

うちからよく行く動物園は、「王子」か「天王寺」である。王子ならパンダがいるのだが、天王寺の方が、地下鉄で40分ほどで近い。で、午前中は図書館などに行き、昼食後、のんびりと天王寺動物園へ。

天王寺動物園も、色々な改装が進んでいて、今は肉食動物のゾーンを改築中。動物園に着いたのは2時頃。動物園は広いし、4時で動物が収容になるところもけっこう多いので、じっくり見るには時間が足りない。そこで、子供たちに「これだけは見たい」という動物名を先に聞く。娘たちは「ゾウ、カバ」。小6の息子は、「うーん、キリンかな……」と案外、スタンダード。天王寺動物園なら、キーウィか、コアラなんだけどな。ちなみに、私のお気に入りは、「夜行性動物舎」と「鳥の楽園」です。「鳥の楽園」は、鳥のゲートに人間が入るスタイルなので、フンをかけられないように注意してください。

そういうわけで、正面ゲートから左へ、時計回りで見て回ることにする(これならカバからスタートして、ゾウで終わる)。天気がいいせいか、かなり人が多い。とにかくキーウィが見たい私は、「は虫類動物舎」も「しろくま舎」もあきらめて、「夜行性動物舎」へ。この変な鳥は、鳥のくせに夜行性なのです(飛べないしね)。しかし、何度、動物園に来ても、いつも丸まったまま寝ていて、動いたところをまだ見たことがないキーウィ。今日は、少し動いていた。土にくちばしを差し込んだりしてる(くちばしの先にある鼻で、ミミズを探すらしい)うう、感動。と思ったら、わずか5分ほどで、また丸まって寝てしまった。まあ、眠ったうしろ姿も可愛いけど(巨大なキーウィフルーツだ)。

最後は、お楽しみのゾウ。天王寺動物園のゾウは、二匹ともアジアゾウのメス。「春子さん」は、58才だそうで、超高齢のおばあちゃん(ゾウの寿命は60才)。若い方の「博子さん」も、大阪万博があった時にやってきたのだから、けっこうなオバサンですね。ちょうど4時半で、ゾウ舎で夕食を食べさせてもらっているところ。飼育係の人がいろいろ説明してくれたので、楽しかった。
サーカスのゾウと違って、調教されているゾウではないので、話を聞いていると、けっこう大変そうである。しかも、相当、頭のいい動物らしい。
「春子さんは、高齢なので、もういつ亡くなってもおかしくないんですが、今のところけっこう元気で……」と飼育係の人は、「さんづけ」で必ず呼ぶ。子供の頃の感動をもらった「春子さん」。また会いたい人は、早めに動物園へね。そのうちゆっくりと思っている間に、年寄りはポックリいくということもあるんでね。

動物園を出て、たまたま通天閣側の出口を出たので、そのまま通天閣へ。子供たちは「まだ登ったことがない」というので、そう言われてみればそうだったな、と、入場料を払って、上まで登ってみる(そういや、私も二十数年ぶりかもしんないが)。通天閣はせまいので、休日は混むのだが、幸い10分待ち程度である。観光客らしい巨大な白人の男性二人(ロシア人?)が、熱心にかがみこんで記念コインの刻印をしていた。赤い夕陽がしずみ、夕闇がせまってきて、みるみる夜景に変わっていく。あいかわらず、ごちゃごちゃした町だが、けっこういい町なんである。

フェスティバルゲート寄りに、韓国鍋のづぼらやという妙な店ができている。二階は座敷なので、子供連れでも入れそうだったので、そこで「串かつ定食」「韓国風のりまき」「ビーフン」など食べる。目の前の窓から、巨大フグがこっちを向いているのが見える。食事中、双子の娘たちが「チヨがチヨが」「早く食べて帰らないとチヨが」というので、なんのこっちゃと思ったら、8時までに家に帰って、どうも「功名が辻」を見たいらしいのであった。まあ「ごくせんファン」だったしな。結局、8時10分に帰宅。

小説講座は楽しい「かめくん」

1月28日(土)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。
夕方は、第9期の授業。本日の講師は、北野勇作先生。

昨日、梅田で食べた「創作中華」のランチがまあまあだったので、調子に乗って、本日は京橋のタイ料理のランチにチャレンジ。鶏肉カレーのランチだったが、けっこうボリュームあり。事務所の近くにはあまり食べるところがないので、「弁当」を持って行くことも多いけど、ランチも楽しい。

1時から丁稚どんが来て、作品集の印刷などの作業。作っても作ってもまだまだ終わらない専攻科の作品集も、そろそろ終わりが見えてきた。5時ギリギリまで作業をして、あわてて外出。天満橋の教室へ移動。夕方6時からは、小説講座の講義。

本日は、北野勇作先生。先日、眉村先生に紹介されて知り合ったばかりの作家の藤野さんが、わざわざ見学に来られる。「北野先生の作品は好きなので」とのこと。北野先生の話は、ユニークで面白いので、毎年、生徒さんの人気もけっこう高い。今年もざっくばらんにご自分の体験などを話していただいた。落研出身で、今も劇団で役者をやっているだけに、話し方も面白いのだが、やっぱり印象的なのは人柄のせいもあるかもしれない。後半は、「かめくん」などの作品を例に解説。先生の創作法はかなり独特なので、北野先生自身がおっしゃっているように、すごく参考になる人とならない人といるだろうが、「ひとつ大きなウソをついたら、あとはリアルに書く」とか、かなり重要なことをたくさん言っていただいていた。あとで、生徒さんに感想を聞くと、市販の小説創作本では聞けないような話もたくさん聞けたと喜んでいた。

講義後は、北野先生、藤野さんも一緒に、いつもの中華屋へ。9期は、なぜかビールを飲む人が少なくて、ほとんどウーロン茶。香港映画みたいな安い中華屋なので、もともと腹一杯食べて、ビールを飲んでも、かなり安いのだが、これでさらに安くつく(千円だった)。クラスによっては、ビールが何本も並ぶクラスもあるんだがな。それでもけっこう話がもりあがってましたが。北野先生は、ご自身のホームページの日記にいつも食事の様子を書かれていて、おいしそうなメニューがいつも並んでいるので、私はいつもよだれをたらしながら読んでいる。そこで、小説の話だけでなく、低コストで優雅な食生活を楽しんでいる話とか、年末のご家族でのパリ滞在の話などの話も聞いてみる。有益な生活情報なども話していただいて、ゲラゲラ笑い転げながら聞く。人間の子供は、カメより可愛いのだそうだ。

北野先生と藤野さんは、市内在住。二人とも自転車で来られたそうで、3人でエル大阪に自転車をとりにいく。たぶんお二人の性格のせいなんだろうか、なんだかホンワカした気分で帰る。深夜に帰宅。テレビでオンエアステージ、ERなどを見て、寝てしまう。

小説を書くのは、時間がかかる行為である

1月27日(金)
午前中、小説講座の事務所。午後から外出。
4時に事務所に戻り、6時過ぎまでまた作業。

打ち合わせで、少し外出しただけで貴重な時間が4時間くらい消失する。とにかくパソコンの前に5時間は座っていたいのだが、なかなか時間がとれないなあ。会社員と違って、自分で時間管理ができるのがありがたい面でもあるが、また、つらい面でもあるなあ。スケジュール管理をしないと、ズルズルして効率的に仕事ができないもんなあ。集中力の問題なのかな。

まあ、小説講座の生徒さんは、ほとんどが主婦とか社会人とか(大学生もいるが)時間のない人ばかりなので、時間の使い方は色々大変みたいだ。小説なんて、紙とペンさえあれば、実際どこでも書けるのだけど、なかなかそうはいかないのが難しい。気分が乗らなかったり、机に座ってもなかなか書けない人もいるし。

ただ、小説の場合は、やっぱり長く書き続けることが大事になるので、気分が乗らなければ何日も書けない……というクセがある人は、長編などを最後まで書くのが難しい。とにかく書くことを「習慣化」してしまった人がラクである。とにかく書く時間を決めてしまって、それを日常習慣にするのがいいようだ。たとえば、寝る前に1時間とか、朝起きてから1時間とか、あるいは休日の午前中とか。「その時間は書く」と決めてしまっている人が多いのだが、そういう人は、その時間になれば「条件反射」みたいに頭が切り替るんだそうだ。パブロフの犬である。確かに、ジョギングとか犬の散歩みたいなものかな。習慣になれば、それをしないでいる方が気持ち悪いくらいだもんね。とりあえず時間を決めている方が、家族の理解も得やすいみたいだしな。

しかし、時間というのは、使い方が難しいものだなあ。自分の寿命を考えれば、先は有限である。体力が衰え始めているのも確かだから、あんまり無理ができなくなったこともあるし。そのせいか、最近、飲みに行ったり、遊びに行ったりしたいという欲求がほとんどなくなってきた。その分、今は仕事したいという気持ちが強い。しかし、年齢的なもんもあるんだろうな。それだけ、もう若くはないということである。とくに5カ年計画とか10カ年計画の事業計画をたてるなんてことをすると(もちろん5年先、10年先のことはかなり未定の部分もあるのだが、事業計画というのは必要なのである)、ずっと先のようだが、案外、あと5年、あと10年もあっという間かもしれないと思う。

しみじみ思うのだが、今という時間はなんと貴重なことなんだろうなあ。歳をとったってことなんだろうか。いや、若くてもそうだよな。

01/27/2006

小説なんか誰でも書けるのに

1月26日(木)
午前中、小説講座の事務所。午後から外出。

うちの小説講座は、わざわざ『エンターテインメントノベル講座』という名称を掲げているのだが、まあ、カンタンにいうと「娯楽小説講座」である。だから、担当者である私が「純文学系は、あまり積極的にやってない」と言っても、おそらく問題はないと思うのだが、実際には、ここから先は純文学、こっから先はエンターテインメント、という明確な境界線があるわけでもない。その辺は、かなり臨機応変というか、まあ、適当である。

ちなみに、大阪には『大阪文学学校』という老舗の学校もあるので、場合によっては、そっちを推薦することすらある。システムがだいぶ違うので、そこは、ご本人が判断することだが、ニーズにあう方に通ってもらう方が、社会的に見れば、その方がメリットがあると思う。

おおざっぱにいうと、うちの小説講座は、SF、ミステリ、ファンタジー、ホラー、時代小説、ライトノベルなど、「ジャンル小説」という分野が多い。だから、「いい文学をとことん探究したい」というような人とか、文学をただ楽しみたいとか、研究したいという人には向かないと思う。カリキュラムも商業作家養成ということにしていて、「創作」にしぼっているので、そもそも作品を書かない人には向かない。学費の元がとれないだろうし。

だけど、初心者かどうかは、あんまり問題はない。最初のうちは、まったく知らない人なら、「視点の統一」とか「一人称か三人称か」とか言われると、多少とまどうだろうけど、それくらいなら半年ほどすれば慣れてしまう。しかし、うちの講座の場合、慣れるか慣れないか、というのは、最終的には、作品を書き慣れるか書き慣れないかによるのである。

つまり、うまく泳げるためには、水に入るしかないわけで、スポーツでも、料理でも、絵画でも、手芸でも、まあ、何でもいいけど、実際にやってみなければ、うまくならない。やってみて、そこではじめて、色んなアドバイスなり、ノウハウなどが活きてくるわけで、やってみなければ、一生できないままなんである。こればっかりは仕方がない。

小説だって、当然、書けばたいていうまくなるし、書かなければずっと書けないままである。そんなことは、私は「あたりまえ」だと思うのだが、どうも入学した生徒さんを見ていても、「うまく書けないんですよ」と言って、実際には、ずっとほとんど書かない人がたまにいる。
「いや、最初は思ったようには、うまく書けないのが普通ですよ」
というんだけど、しばらく「書けない書けない」というばかりのこともある。「ヘタでもいいから、とにかく書いてみよう」という気になるまでに数カ月かかることもある。

たぶん手芸や料理、スポーツなどは、ヘタでもできれば、それなりに楽しいものだし、カンタンなことでもできれば、けっこうハマるものである。小説だって、作品を何作か書けば、けっこうハマる。だから、プロになるかならないかは、それから考えることで、「まあ、とにかく書いてみましょうよ」と言ったりするのだが、やっぱり生徒さんの中には「でも書けないんですよ」と悩む人がいる。

まあ、書きたくなければ、無理に書く必要もないのだが、せっかく小説講座に入学したので、書けないというのも苦しいだろうから、色々相談にのったりする。そこで思ったんだけど、どうも「なかなか書けない」という人は、実際、話を聞いてみると、なんだか小説技術の問題ではなくて、なんというか「気持ち」の問題らしい。まあ、わかりやすい例が「自分が頭で考えた時は面白いアイデアだったのに、書いてみるとぜんぜん違う」というパターンである。「もっとうまく書ければ、もっといい作品が書けるのに」と思うと、途中で書くのがイヤになったり、書き上がっても他人に見せることができなくなる。

しかし、「頭で考えたモノが、実際、書いてみると全然違う内容になった」というのは、モノを書く人なら多少なりとも皆、体験するようなことである。まあ、何度か体験すればわかることなのだが、どうも初心者は納得できないらしい。でも、スポーツや絵画なら「実際やってみたら、うまくできなかった」ということは、よくあることで、これは納得できるのかもしれないけど、文章だから納得できないのだろう。実際、「頭で考える」というのは、文字(言葉)で考えるし、文章は文字そのものなので、そこんとこを混同するのかもしれない。まあ、実際、文章も「頭の中で、一文字ずつ全部、イメージして作ったものを紙に書く」というスタイルなら、そこはズレないのだけど、俳句や短歌ならともかく、小説を全部、一字一句、ぜんぶ頭の中で作り上げてから書き始める人は、かなり少ない。人によっては、短編くらいならあるかもしんないけど、まあ、普通は、プロでも書いてみて、途中で調節しながら書くと思う。どんな料理人でも、途中で味見をしたりして、火加減などは調節する。そんな感じである。

小説は、文章の量がかなり多いので、工程が多い工作のようなものである。「だから、途中でおかしくなった」という場合はある。じゃあ、「なんだかおかしい。こんな話を書きたかったわけじゃないのに」と思ったとして、では、その生徒さんに、「じゃあ、最初どういう話を書きたかったのか説明してみて」と言って、ちょっと話をしてみると、どうも技術の問題ではないらしい、というのがわかったりする。最初に書きたかったことというのが、かなり曖昧だとか、そもそも自分でも忘れてしまった、わからない、という人がけっこういる。

まあ、何も考えずにいきなり文章を書きはじめる人はいないので、たぶん途中で迷ったり、忘れてしまうんだろうなあ、と思うのだけど、こういう場合の対応方法は、たぶん2通りしかない。道に迷ったのだから、一度引き返して、最初はどこに行きたかったのかを思い出す。あるいは、そのままじっとそこで待つ。どっちかである。まあ、幸い、作品というのはいくらでも書けるので、どっちでもいいのであるが、ただ「最後まで書けない病」にかかっている人の場合は、しんどかったり、面倒くさいかもしれないけど、そこはふんばって、どこかへ一度、たどりつくようにした方がいいと思う。あまりにも「中絶」を繰り返すと、母体への負担になるかもしれない。つまり流産しやすい体質になるかもしれないのである。

小説というのは、どうもセルフイメージの不一致とか、欲求とか、人生観というのが、顕著に出やすい「芸」のかもしれないなあ、と思う。実際、文章を書くというのは、素っ裸をさらすようなもので、かなり無防備なところがある。でも、人は注目されたいし、話を聞いてもらいたいものなので、それが「気持ちいい」。まあ、カラオケを歌うのとか、芝居を演じるとか、似たようなものなのかもしれない。もちろん人前に立つのは恥ずかしくても、注目されたいという欲求は誰にでもある。小説も、書くのは一人でもできるのだが、読んでもらうというのは他人が要るわけで、そういう意味では、他の芸能とよく似ている。

ただ、本人の人生観やら、思い込み、偏見などは、作品の中にぴょこぴょこ顔を出す。まあ、これは純文学系ではなくても、同じことである。ただ、エンターテインメント系の小説だと、けっこうアイデアの面白さやら、アクションやら、セリフやら、話の筋の面白さなどで読ませるところも大きいので、作者の偏見などは、よほど目立たなければ気がつかない時もある。ただ、プロのモノ書きとか、読書家など文章をかなり読み慣れている人は、文章表現に対する感覚もかなり鋭いので、それを見抜く力も強い。そういう人は、読む力があるので、しっかり見抜かれるのである。そりゃ、怖いくらいである。

たぶん、それが怖い。怖いけど、まあ、書くしかない。書いてみて、それから考えるようにしたらどうか(まあ、実際、怖くてもせいぜい恥をかくくらいで、実際にはたいしたことは起きないはずだが)。ダメだったら? その時は、また次の作品を書けばいいわけだし。いや、だから、それが売れるか売れないかは、また、それは別問題ですってば。

で、「作品がうまく書けない」とか、「なかなか面白いアイデアが浮かばなくて書けない」という生徒さんには、カンタンなアドバイスしかできないんだけど、でも、いつも私がちょっとだけ思うのは、「もうちょっと自分を信じてみようよ」ということだったりする。ところで、自分を信じるためにはさほどの根拠は要らない。まったく要らないというわけでもないが、(小説を書ける程度なら)あまりたいした根拠は要らないのである。まあ、とにかく「スペシャル」である必要はない。
(そんでもって、どうもスペシャルじゃないからダメと「自己評価」がやたら低い人は、結局、完璧主義だったり、極度の能力主義だったり、差別主義だったりするのが原因だったりするみたいなんだけど)

で、とりあえず自分を信じてもらえれば、ヘタだろうが、つまらなかろうが、自分を他人にさらすのは、あまり怖くはない。書いたものを他人に見せて、それが面白くなる。プロ作家になるとか、なれないとか、それを職業とするかどうかは、やっぱりあとで考えればよいことのように思うんだけどなあ。

しかし、カラオケで歌うのが好きだと言っても、「歌手になるつもりなの」などとは言われないのに「小説を書く」というと、周囲から「そんなもの書いてどうするの」と言われてしまう生徒さんたちがちょっと気の毒。小説講座に通っているのは、「友達や家族には内緒」という人もいたりする。やはり相当めずらしいのだろうなあ。

しかし、「小説が書けなくなった」という悩みに、万能な処方せんはないみたいだなあ。まあ、書けなくなっても、誰も困らないし、死にもしないわけで、たいしたことではないのだが、ただ、まあ、小説講座ではクラス内で感染してしまうということは、まれにあるので、やっぱり困ったことではある。

01/26/2006

地底探険、かさこじぞう

1月25日(水)
イベントのお仕事で、小説講座の事務所には入れず。

終日、外出。大阪国道事務所の「女性のための道づくりワークショップ」の取材。9月から実施されている連続ワークショップで、本日のテーマは「共同溝」。地底探険である。普段は一般の人が入れるものではないのだが、見学をさせてもらうというイベント。この共同溝は、直径8メートルの巨大なトンネルである。見かけが大きいので、「大阪の地下にこんなものがあるとは!」という感じで、かなりインパクトはあるシロモノ。ちょうど大和川を横断するところにあるので、大和川の真下まで、地下40メートルのあたりをテクテク歩く。工事現場だが、完成してしまうと、テロ対策などもあるかもしれないし、たぶん一般の人はまず入れない。参加者は、かなりみな感動してた。大きなトンネルだから、シンプルな驚きですね。これだけの大きな直径の共同溝はそれほど多くはないので、SFやミステリを書く作家さんなんかも、興味があるかもしんない。マスコミ関係も、使いようによっては、けっこういい情報ではないかと思いますが。

まあ、こういう公共事業は、もっと広報活動をすればいいのに、と思うのだが、なかなか予算も難しいみたいである。私が制作する予定の「広報パンフ」も、昨年からくらべれば、大きく予算が削られているようだ。まあ、予算が少ないのは仕方ないとして、もともと公共事業の広報は、国民への義務である。とはいえ、「広報」は、一般企業でも予算が削られやすいところではある。まあ、ちゃんとした広告屋なら、広報も費用対効果などは示すことができるし、必要以上にムダな仕事をすることはないはずなんだけど、どうもお役所関係の仕事は、毎年、入札で取引先が変わるし、キャリアの関係で、トップがよく交代するようで、どうもそこで方針も変わるらしい。こうなると、継続的な広報が難しいのかもしれないなあ。今日のイベントも、社会的に意義のある素晴らしいイベントだと思うのだが、来年度も継続されるかどうか、正直わからないそうだ。コンセプト的にはかなりいいイベントなので、もし本当なら、相当もったいない話である。

そんな状況なのだが、大阪国道事務所の女性職員たちは、とても仕事熱心で、意欲的。参加者の評判もみなとてもいい。土木関係で働く女性は、かなり少ないのだけど、こうした女性職員がもっと増えるといいんだけどね。ワークショップに参加した人の多くは、道路を見直したとか、これからボランティアをやりたいとか、とにかく勉強になったとか、まあ、それなりに効果は高いイベントである。ただ、毎回、大型のバスを使っていたのだが、もしこれを「現地集合」でやるとか、単発イベントにするとかすれば、かなり費用は削れる。せっかくなので、継続して実施してほしいんだけどね。だいたい金がかかるからしない、というのはお役所ではむしろ筋が通らない。なるべく金をかからないようにして、広報は続けるべきだと思うけど。まあ、方法はいろいろ考えるべきかもしれないけどね。

そういや、小学生向け、PTA向けの出前講座なんか、いいと思うけど、どうしてやらないのかなあ。インターネットで調べたら、大阪以外の国道事務所はけっこうやってるみたいなんだけど、なんで大阪だけあんまりやってないのかな。

夕方、仕事が終わってから京橋をウロウロ。帰宅後、夕食を済ませてから、子供たちの「宿題」につきあう。国語の本読み「かさこじぞう」。
やれやれ、とうとう もちこなしの年こしだ。そんならひとつ、もちつきのまねごとでもしようかのう。じいさまは、
米のもちこ ひとうす ばったら 
と、いろりのふちをたたきました。すると、ばあさまも ほほとわらって、
あわのもちこ ひとうす ばったら 
と、あいどりのまねをしました。それから、二人は、つけなかみかみ、おゆをのんでやすみました。
 すると、ま夜中ごろ、雪の中を、
 じょいやさ じょいやさ
と、そりを引くかけ声がしてきました。

このところ、双子の娘たちが毎日のように「宿題」の本読みをするので、すっかり私まで覚えてしまった。はい、じょいやさ じょいやさ。


プロの料理人は、素材にもこだわる

1月24日(火)
午後から小説講座の事務所。夕方まで事務。

本日は、9期の欠席者への資料発送。あいかわらず専攻科の印刷物も色々。専攻科のうち、2名ほどまたしばらく講義に来れなくなったので、印刷部数をどうしようか、ちょっと悩む。専攻科の学費は年3〜4万と安いので、その分、仕事や家庭の都合などで、講義にはまず来れないという人でも在籍している場合も多い。で、そういう人の中には、指導作品集を欲しがる人と欲しがらない人といる。「まあ、どうせ読まないから要らないですよ」という人もいれば、「仲間の作品だから、ぜひ読んでおきたい」という人もいる。まあ、専攻科の作品集は、リソ印刷なので、一度「版」を作ってしまえば、3〜4部くらい余分に印刷するのは何でもないことなのだが(ほとんど紙代だけだから)、ページ帳合も面倒だし、わざわざ送っても読まずに紙ゴミになるのなら、確かにムダだしなあ。夕方遅くまで、雑用(事務というのは、はてしない雑用との戦いなのだなあ)。

帰り際、丁稚どんと話をしていて、9期の飲み会での会話を思い出す。先日、ある生徒さんと話をしていたのだが、同じような話題になったからだ。そういや、先々週の専攻科でも、似たようなことを聞かれた。「プロの先生たちと生徒さんの作品、どこが違うと思いますか?」と聞かれたのだった。で、そう聞かれて、とっさに「え? だって、全然違うやろ?」と聞き返したのだけど、「じゃあ、どこが違うんでしょうか」と言われたので、ちょっと考えてみた。

正直、小説講座の生徒さんの作品は、やっぱりプロの書くものとはだいぶ違う。まあ、いい作品もあるけど、やっぱり全然違うのである。で、どこがと聞かれると、全部である。全部が違う。最初の数行からして、すでに全然違う。まあ、書き方の問題もあるし、構成の問題もあるし、内容の問題もある。

だから、そんなこと聞かれても困るんだけどなあと思ったのだけど、「じゃあ、一番違うのはどこだと思いますか」などと言われて、うーんうーんと、それなりに考えてみると、もしかすると「アイデア」の部分なんじゃないかなあ、と思ったりした。気のせいか、生徒さんの多くが、アイデア、あるいはネタをよく吟味するということをほとんどしないように見える。つまり、「思いついたら、そのまますぐ書いてしまう」という人がかなり多いのである。これはかなり決定的だと思う。どうやってもプロと違って、文章力や構成力はないのだから、それなのに、ネタまで弱いと、やっぱり、これは全然違うものになるよね。

まあ、よく「書く前に、それがはたして面白い話かどうか、3分間、せめて1分考えてから書いてくれ」というのだが、やっぱりそこを考えてくれる人は案外少ない。アイデアを思いついた時に、すぐに書き出す前に、ほんのちょっとでいいから「もう少し面白くならないかな」と考えて欲しいと思うんだけど、案外、考えてくれないものなのである。で、一度「書いてしまった」ら、その作品そのものに愛着ができてしまうので、それからネタを思い直すのは無理である。まあ、一度書いてしまった作品を捨てられないのは人情だし、だから、書く前に、もうちょっとだけ考えて欲しいのだが、初心者の生徒さんほど、思いつきで作品を書き、かなりつまらないアイデアでも「文章力や構成力で何とかならないか」と考えてしまうものらしい。

まあ、文章力とか構成力とかは、本当に「そのうち上手くなる」のである。まあ、エンターテインメント系の小説しか知らないので、小説一般の傾向かどうかわからないけど、実際、文章力とか構成力とかは、たいてい1年、せいぜい2年でびっくりするくらい上手くなってしまう。で、当然、何年も書いているわけだから、プロならやっぱりかなりうまいもんである。ただ、そういううまいプロなら、ネタもそれなりにちゃんと選ぶ。そこがちょっと違う気がする。

料理にたとえるとわかりやすいかもしれない。家庭料理なら、さほど素材にこだわる理由はないかもしれないけど、一応、プロの料理人なら、いくら料理の腕がいいとか、センスがあったとしても、やっぱりそこで勝負するからには、素材にもこだわらないといけないわけで、できるかぎり新鮮なネタだとか、旬のネタだとか、お客さんに喜ばれるものを手に入れようとする。もちろん「ありあわせの材料」で作った家庭料理を否定しているわけでない。そういう料理だって、おいしく食べられることもあるんだしね。でも、商売で、料理人をやっている人の作るモノは、やっぱり違う。まあ、よしあしじゃなくて、別の次元だけど。

というわけで、プロの書く小説と、生徒さんなどのシロウトが書く小説と、どこが違うかと言われると、よくわからないのだけど、そういうアイデアとか、そういうところがかなり違う。まあ、文章力の違いもあるけど、それは程度の問題である。一番違うのは、ちょっとでも人を面白がらせようというような、ある種の「緊張感」みたいなところかなあ。で、どういうわけか、生徒さんの書く作品は、なぜか「油断しまくり」なのである。「もうちょっとネタを選んだ方が……」と思うような作品がけっこう多い。なぜか、適当なありあわせのネタで、むりやり書こうとする人が多い。でも、そういう場合、構成などで技術的に何とかしようとしても、かなり無理がある。ネタ自体の問題があると、とくにエンターテインメント系では、やっぱりかなり不利である。

で、前から不思議なのは、「アイデアが思いつかないんですよ」とけっこうカンタンに言う人が多いことだ。どうも世間では、小説のアイデアというのは(小説に限らないかもしれないけど)、どうも突然、空から降ってくるものだと信じられているようである。偶然を待っているのなら、なかなかやってこないのは無理もない。

ところで、アイデアやネタとは、本当に、偶然のように天から降ってくるようなものなのかなあ。いや、もしかすると、実際、降ってくるということもあるのかもしれないけど、ほとんどは、たぶん鉱山のように探し出したり、あるいは、植物のように育てたりしなくちゃいけないもので(なにせネタですよ。タネ)、いきなり落ちてきたりはしないんじゃないのかなあ、と私は思う。早い話、たぶん「ただ待っているだけ」では、ダメなんじゃないのかなあ。そりゃ適当に歩いて、そのへんのもんをただ拾って、適当に書いて、それで万事うまくいけばいいけどさ。

おおざっぱにいうと、生徒さんの作品は、「なんとなく思いついたから、ただ書いた」という感じの作品がけっこう多い。これがちょっと不思議なのだけど、探す気になれば、いくらでも他にもネタがあるのに、なぜかこだわりなく、その辺はあまり吟味もせずに、思いついたから書いてしまうらしいのである。で、いったん時間をかけて書いてしまうと、それでもう動かせなくなってしまう。もうなるべく書き直したくない。ひどい人だと一字も動かしたくないと思い込む(まあ、そこまでの人は小説講座にはいないが)これでも最初からうまくいけば、それでもいいんだろうけど。

ネタそのものが、さほど魅力的ではないと、正直、構成や文章をチェックしても、あまり向上するものでもないもんである。でも、「どう直せばいいのか教えて欲しい」というご本人は、文章さえ直せば作品がよくなると信じているわけだから、こういう場合、なかなか指導しにくい。まあ、どんな作品でも「絶対にどうしようもない」ということはなくて、何かやりようはあるはずだとは思うのだが、やっぱりそれを修正するエネルギーを考えると「新しく別の作品を書いたら」とつい言いたくなる場合もけっこうある。しかも、こういう人は、ネタではなくて、書き方にこだわっているので、どんないい指導をしてもらっても、なかなか理解してもらえなかったりする。で、話してみると、なぜそんな話を書いたのか、よくよく聞けば、ネタそのものにはなぜかこだわりがさほどなかったりする。不思議。

でも、もしかすると、どんなネタならよくてどんなネタなら悪いか、というよりは、この「こだわりなく書く」というのが困るのかもしれないなあ。自分ではこだわっているつもりかもしれないけど、なぜそれをわざわざ他人に読ませたいのかが、あんまりよくわかんないのである。

もちろん、ネタにこだわりすぎるのもよくないだろうと思う。まあ、プロならネタに気を使うのが当然なので、もうちょっと気を使った方がいいんじゃないかなあ、と思う程度である。

だから、「だって、思いつかない」とか「今、書きたいものがない」というのは、もっとちょっと変だという気がする。だって、ネタなんて探せば、やっぱりもっといいのがいっぱいあると思う。きっとどんな人も、面白い物語がいくつかは隠し持っているに違いない。自分では意識しなくても、絶対にいくつか持っているに決まっているのである。

で、せっかく小説講座に通っているのに、なぜそれを書かないで、わざわざつまらないネタを選んで書くのか、それだけがちょっと不思議なんだけどな。

小説とは関係のない休日(地球史学と奥様は魔女)

1月23日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

朝から外出。毎週月曜は、市大の『地球史学原論』の聴講をさせてもらっていたのだが、今日で講義が終了。後期のみの講義なので、ほんの十回ほどしか受けられなかったのだけど、八尾先生の講義を毎週とても楽しみにしていただけに、終わるのがとても寂しい。八尾先生は、『プレートテクトニクス』でも『古生物学原論』でもお世話になっていたのだが、専門的な話をわかりやすく説明されるので、たいへん面白い。本当に、毎回、まるで早く来週になってほしいという感じで、連続ドラマか、ミステリの結末を待つような楽しみだったような気がしている。うう、残念。学部の講義なので、それほど難しい内容ではないのだろうが、このあたりは入門書というのはかなり少なくて、最新の話題を調べようとしても、すぐに専門論文(もちろん英語)にぶちあたる。これを自力で、読もうとすると、かなり難しい

講義後、少しだけ話をする。「何か最近、関心のあるテーマとかありますか」と聞かれたのだけど、「うーん。3年ほど前は『地すべり』などに関心があって聴講を始めた覚えがあるんですが、今は、まだ地球学関連なら何でも面白いという感じですね」としか言えず。まだ、かなり知識に片寄りがあるので、何でもけっこう面白いという段階で、何か自分自身で研究テーマをもつような段階でもないんだよね。「でも、八尾先生が他の講義で話していた『放散虫革命』の話がとても面白かったので、今は、そのあたりに興味があるんですけど」と言うと、「まあ、がんばってくださいね」と言われた(八尾先生は、中生代の放散虫(まあ、プランクトンです)の研究がご専門)。わーい、がんばります。いや、何をどうがんばるのかもわかんないけど、とりあえず、もっと色々と勉強しよっと。

市大の地球学科の先生たちは、この歳になって、急に研究欲にとりつかれたオバサン(私)にみんな親切。ただ、仕事や家庭が忙しい社会人特有の悩みだが、勉強したくても時間がない。私の場合、このところ、月曜日の午前中しか時間がない。午後からは、専門学校で非常勤講師の仕事があるのだった。講義が終わったらすぐに、今度は、仕事の講義へ行かねばならない。昼からは教える側なのである。

というわけで、地下鉄へ乗って移動。今週で最後だけど、午前中は生徒、午後から先生。(もちろん非常勤講師の仕事もけっこう好きなのだけど、さすがに「今日は、何を教えてもらえるんだろう」というワクワク感はないもん)。

講義内容は、先日見た『101わんちゃん』と『101』のリメイク比較と解説。「ロジャー」の職業が変わっているのだが、小説(原作)での職業をあてるクイズは、正解者なしである(まあ、いつも誰も当たらないが)。後半は、『奥様は魔女』のモノクロ傑作選より『奥様は魔女だった』などを解説。

小説と関係がある休日(眉村先生、探偵講談)

1月22日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

午前中、雑用。午後から梅田で、眉村卓先生を囲む会があり、旭屋書店前で待ち合わせ。早く着いたので、地下街をぶらつく。アフタヌーンティで、雑貨を購入。眉村先生の楽しい話を聞きながら、2時間ほどビールと食事など。眉村先生は、いつも話題が豊富で、いろんな発想など、年齢を考えると不思議なのだけど、どこか少年みたいに楽しそうに様々な話をされるので聞いていて楽しい。たまたま私の席の前に座られたNさん。なんと大阪シナリオ学校の「演芸台本科」の1期生か2期生だったらしい(30年前である)。以前、知り合いのコピーライターとたまたま話をしてたら、その人も1期生だったとわかって驚いたことがある。どうも1期生は、50人ほどいたらしいのだが、放送作家としてプロになった人も多いが、いろんな分野で活躍している人も多いようだな。きっと面白そうなクラスだったのだなあ。

その後、東梅田駅の近くの喫茶店に移動。この店は、大学時代に待ち合わせなどで、よく利用してい店だったので、ほとんど十数年ぶりである。「あ、まだ、あったのか!」とちょっと驚いた。よく見ると、どうも少しだけ見覚えのある調度品が置いてある。オーナーは変わったかどうかわからないが、とりあえず、雰囲気はそのままである。ちなみに、当時は、2店鋪になっていたのだが、今は、合わせた面積がそのまま1店鋪である。梅田ではめずらしく、あきらかにオーナーと思われる男性がやっているような愛想の悪い喫茶店だったのだが(住宅街ではよく見かけるが、繁華街では少ない)、いつも空いているし、長居しても案外イヤがらないので、便利だった。で、今でもそれは伝統なのか、あいかわらずなぜか愛想は悪い。でも、こういうヒマな店は(とくに4時頃は一日で一番ヒマな時間帯で、ふつうは遅番と早番のバイトが入れ替わる時間帯)、やむを得ない気もするけど。見ると、フロアのスタッフがたった一人しかいない。私だって、カップルから面倒なパフェの注文を聞いている最中に、十数人の団体が勝手に予約席に入ってきたら、ちょっとムッと来るかもしんないしなあ。

ちなみに、私は若い頃、勤めていたファミリーレストランで、超満席、全席オーダー待ち、料理待ち全開という状態で「フロアはたった一人」というヒサンな仕事をしたことがある。誰が見ても、どうやってもちゃんとしたサービスは無理、という状態で、もう限界なので、入り口でお客さんを断ると「でも、席が空いているじゃないか」と文句を言われ、勝手に席に着かれ、オーダーが遅い、料理が遅いと怒鳴られたことがある。ちなみに、調理場も一人しかいない状況なので、どう見ても、パニックである。みかねたお客さんは、コーヒーなど簡単なメニューに切り替えてくれたのだが、そうでないお客さんもけっこういた。飲食店の従業員というのは、けっこうヒサンな立場である。かといって、日本じゃチップも期待できない。まあ、私自身は滅多なことでは怒らない。

ちなみに、それほど忙しい目にあったのは、十数年前。それは「大葬の礼」の日であった。いつもヒマな時間帯に、おそろしい来店ラッシュになるとは、まさか店長も誰も想像もしなかったのであった。

夕方から、福島に移動して、南湖の探偵講談の会へ。黒岩涙香をやるというので、初めて参加される人もいたが、台本が間に合わなかったということで南湖さんは演れず。実際、私も、隔月で、毎回新作という会をたった一人でやるのは、正直、もともとかなり無理があると思っているし、常連客は、新作ネタ間に合わず、というのも、またかという感じだったようだ。でも、たまにしか参加できない私にはやはりかなり残念。代わりに演じたものも、後で聞いてみたら「南湖さんの同人誌」のネタだったそうで、なんのこっちゃわからず(身内ウケはしてたんだろうが)、さらに後の芦辺先生がやったラジオドラマも、ぶっつけ本番。その出来はともかく、「このあと解決編は、同人誌で」というので、ちょっとイヤな感じ。あれやこれや、こりゃ、常連客はいいだろうけど、それを知らずに来た客は、バカを見たという感じはするかもしんない、やっぱり。まあ、私はいいけど。

まあ、大阪シナリオ学校にいた頃は、小劇団やお笑いのライブなどにもつきあいで行ったりすることもあるのだが、私は「どうせ内輪だから」というのはキライで、内輪ネタばかりだと、いくらつきあいでも二度と行く気がなくなる。「はいはい、じゃあ、ずっと身内だけでやっててね」という気分になるのである。ただ、本日は、南湖さんも、ギリギリまで他の営業があったようで、かなり仕方ないだろうなという気はする。仕方ない時もあるというのは、飲食店の従業員と同じかも。やりようはまだあったかもしれないけど、一方で、それなら閉めればいいじゃないかと思うかもしれないけど、閉められない事情もまたあったりするしなあ。ただ、この会は、南湖の会ではあるが、半分くらいは芦辺先生の会でもあるわけだし。もともと芦辺先生も何か朗読をする予定だったらしいので、それがあれば、ある程度は雰囲気も違うのになあ。南湖さんの新作が間に合わないことも予測がついたので、その場合は、ラジオドラマなどはしなけれればよかったのではないかと思うんだけど。でも、作家なんだし、イベント慣れている方ではないので、会場の雰囲気をみて、とっさに切り替えるということはできないだろうなあ。

で、私も、途中の休憩で帰ろうかと思ったのだが、初めて参加した小森先生もいたしで、やむなく残る。休憩後、帰ったお客さんがいたせいだろうか、南湖さんが予定外の古典講談をされる。もともと真面目な人なので、古典もうまいのである。でも、たぶん昼間の営業のせいなのだろうけど、声に疲れも見える。若手の講談師としては、新作にも意欲的だし、昨年には結婚もされたそうだし、芸人さんとしては、正念場の年頃ではあるのだろうなあと思いつつ、ほとんど一年ぶりくらいに南湖さんの講談を聞いていた。疲れの部分があるので判断できないが、気のせいか、どうも声の張りが少しゆるい感じがする。芸人でも、俳優でも、ある程度、慣れてきて、中堅にさしかかった頃がけっこう難しい時期だったりする。慣れた分だけ緊張感がなくなり、とかく声が甘くなる。新人より、むしろこの時期の方が難しいのかもしれないなあ、と、いつも思う。あるいは作家でもそうかもしれないけど。

公演後、近くの居酒屋さんへ。小森先生から、翻案モノの探偵講談の「モト本」を見つけた話を聞く。「涙香の元本を探していて、たまたまあるアンソロジーを読んでいたら」とおっしゃるのだが、もちろん翻訳なんてないかなり古いミステリの原書である。そんなものを「たまたま読んだ」りする日本人が、はたしてどれだけいるかと思うと、それはかなり貴重な偶然ですね。まあ、そんなにはいないと思うんですが。

ミステリ作家にして、評論家で、翻訳もやる小森先生。なにせこの人は、ラテン語、サンスクリットも読めるという人ですから、とくに驚くべきことではないのかもしれませんけど。それにしても、大学で講師をやって、翻訳もやって、春にはミステリの新作も出すそうで、それで、どうやって週に30本もアニメを見るヒマがあるんでしょうか。なにが不思議と言って、それが一番のナゾ。

なんだかんだで、深夜12時に帰宅。寒いなと思ったら、大粒の雪が降る。電灯に照らされて降る夜の雪は、あいかわらず雪がない大阪では、やっぱりどこかロマンチックに見える。日本のどこかでは、同じ雪が、まるで悪魔のように見えているのだろうなとは思うけれど。

01/22/2006

理事会、小説講座の個人面談

1月21日(土)
朝から小説講座の事務所。1時より定例理事会。夕方は、9期の講義。

午前中、準備をして、午後から大阪NPOプラザの会議室<J>で、「理事会」を実施。堀先生、青木先生、高井先生、芦辺先生が出席して、業務報告など。小さな団体だし、今のところ、設立前の計画通りの業務しかやってないので、わざわざあらためて報告する内容もさほどの量がない。わざわざ集まってもらうほどのこともないのだが、年に一度は理事会を実施することになっておるので、そこはキチンとやらないといけない。創作サポートセンターはいわゆる総会主導型ではなく、理事会主導型を採用しているので、総会前にちゃんと理事会の決議がいるのです。まあ、忙しい人ばかりなので、わざわざ集まっていただくのは、ほんと恐縮なんですが。

しかし、ほとんどの理事の皆さんは、大阪NPOプラザに来館するのは今日が初めて。ちょっとわかりにくい場所にあるので、道に迷わないか、心配だったんだけど。理事の皆さんは全員、小説講座の講師でもあるので、エル大阪の教室ではよくお目にかかるわけだけど、事務所に来る用事はないからなあ。まあ、小説講座に何年も通っている生徒さんでも事務所に直接来る人は少ない。4月からの初心者向けの「文章教室」は、この大阪NPOプラザ内の教室でやるので、この生徒さんたちは別だろうけど。

で、報告自体は、30分もかからなくて、残り1時間の予定は、いろいろ雑談。まあ、私には有益な情報なので、ありがたいことです。ちなみに、4人とも大阪市在住。といっても、最近は、ほとんど東京在住の芦辺先生。昼食をまだ食べてなかったと見えて、途中で『腹へった』と打ち込んだケータイの画面を見せてきたので、そこで終了。堀先生が帰られてから、芦辺先生、青木先生、高井先生と隣のすかいらーくで昼食。食後のコーヒーを飲みながら、色々お話をお聞きする。

5時に、丁稚どんに頼んでいた印刷物を受け取る。ただし、プリンターの調子がちょっと悪く、お知らせなどは印刷できず。インク交換をしても、インク切れの表示が消えない。しかし、6時からの教室に移動するにはギリギリの時間だし、口頭連絡で済ませることにする。あわてて自転車を走らせる。ギリギリ5分前に到着。

本日は、とくに講師はなく、教室実習と面談の日。教室で、課題をやってもらいながら、ロビーで個人面談。年に1〜2度、個人面談というか、相談会のようなものをやるのである。といっても、たいてい前期の個人面談は、とくに相談することもないので、さっさと済ませるクラスが多く、最近は、後期しかやってなかったのだけど、やっぱり前期もやった方がいいらしい。入学したばかりの生徒さんの方が、いろいろ相談もあるようだ。まあ、前期ででてくる相談は、講義を聞いていくうちに、半年もたてば、そのうち解決しそうなものばかりなのだけど、生徒さんにはそういうことはわからないものだったりするし。一応、相談内容を聞いて、対応できるものはするのだが、まあ、私が解決するというより、そのうち自分で何とかなりそうことばかりなので、今のところ、簡単なアドバイスくらいしかできないものが多いんだけど。

実は、うちの小説講座に入学して、今まで何かしら作品が書けていた人なのに、「急に書けなくなる」という人がけっこういる。今までは、誰にも何も言われなかったわけで、だからむちゃくちゃでもいいからとにかく書けていたのだけど、入学してから、講師の人の話や周囲の同級生の作品を見たりすると、突然、自分の書いているものが急につまらなく見えて、作品が書けなくなるらしいのである。

まあ、こういう人は、毎年けっこういる。だから、なんとなくこうではないかと思っている。これはある意味「モノごころがついた状態」になったわけだから、どっちかというと「いい状態」なのである。小説を書く人の中で、一番の「困ったちゃん」というのは、ひどい作品を書いているのにもかかわらず、自分の作品が絶対的にいいと信じている人だったりする。(まあ、もちろん他人に読ませようと思わなければ、誰も困らないけど)。まあ、もちろん自信も持つ必要もあるので、「自分の書いた作品はいい作品だ」と信じられることも大事なんだけども、あまりに客観性を持って見れない場合は、作品の向上はないもの。結局、小説は、他人に読んでもらうことが前提なんだし。

というわけで、傾向としてはそんなに悪い傾向でもないのだが、それでそのまま「作品が書けなくなった」となると、それも困ったことである。ただ、これまでの経験でいうと、こういう人も、小説講座ではたいていはそのうち自然に書けるようになる。というのは、課題があるので書かざるを得ないし、周囲も書くので、そのうち書きたい衝動が押さえられなくなるから、たいてい書くようになる。いや、むしろ、ダメだからと言ってそのまま書かないでいると、ずっとダメなだけだし、「結局、書くしかないんだなあ」ということに気づくんだろうなあと思う。一種の「開き直り」みたいなものかなあ。まあ、エンターテインメント系の小説は、どっかに「むちゃくちゃでも面白ければいい」というのがあるから、結構、みんな立ち直りは早い。まあ、社会人の生徒さんばかりので、ずっと落ち込んでいる人もあまりいないのである。

で、私自身は、これまでの経験から「あと2ヵ月もすれば、自然にわかるんだし」と思うのだけど、生徒さんの中には「2ヵ月も待てません」なんていう人もいる。とくに今年は初心者が多いので、あまり多くはいないが、少しでも早くプロデビューをしたいと焦っている人もいるのである。まあ、そういや、大阪シナリオ学校の「演芸台本科」の担当をしていた時は、もっといたけどね。あのクラスは、入学してわずか数週間で「ボクは、プロになれるでしょうか」なんて心配をする人がけっこういた。いくらなんでも、数週間ではわかんないだろうに。でも、フリーターで、「お笑い」に人生を賭けてみたいと思っている生徒さんが多かったので、そういう質問をする気持ちもわかるんだけど。ちなみに、お笑い系の作家さんでも、早い人でもプロで食えるまでに、普通は数年はかかるものなので、わずか数週間でアセっても仕方ないと思うんだけどね。

講義後、いつものように中華屋で飲み会をやってから帰宅。深夜番組を見て(チャングムがなくなって寂しくなったけど)3時に就寝。
明日は雪かな。

小説講座の事務所は、年に一度の忙しさ

1月20日(金)
朝から小説講座の事務所。夜まで事務作業。

明日、定例理事会なので、経理のチェック。昨年の夏、経理データがふっとんだので、すべて手書きの伝票と帳簿になっている部分があるのだが、決算時に完全復旧されていないので、照合にちょっと手間がかかる。といっても、うちの事務所の経理はどうやっても明朗会計、こうして一日がかりでやれば終わる程度の量しかないけど。なにせ収入も学費収入しかないし、支出の項目もしれている。

しかし、平日の閉館時間まで作業をするのは久しぶり。この大阪NPOプラザは、9時半で閉館になるので、それ以上作業をすることはできない「でも、閉館時間があるおかげで、残業せずに済みますからね」と他の席で働いている人が笑っている。ここは、スタッフを数人かかえ、いつも忙しそうにしている団体さん。この団体の人たちは、朝9時の開館時間から、閉館ギリギリまで毎日働いている。しかし、大阪NPOプラザは、年末年始以外は日祝も開館している。残業はしなくて済むかもしれないけど、休日が少なくなりがちなんだそうだ。そういや、医療関係の仕事らしいし、病院はどこも年中無休だしね。それに比べれば、うちは、今の季節は、講義も土曜日しかないし。こうして残業するのも、年に一度の定例理事会の前日だけ。かなりのんびりしてますな。

来週はわからんけど、今週は忙しい

1月19日(木)
午後から小説講座の事務所。遅くまで事務作業。

長男が学校を休んだので、午前中は自宅で作業。幸い昼には回復したようで、午後から事務所へ。土曜日に定例理事会を控えているので、書類の作成など。一方、広告がらみの仕事も抱えているので、帰宅後もバタバタする。

たまたま仕事が集中しているので、バタバタしているのだが、こうして忙しくしていると、友人から心配されたりする。まあ、専業主婦の友人から見ると、なにをやっているんだろうという感じだろうなあ。まあ、しかし、「忙しい」と言っても、私の場合、まず、仕事ばかりとは限らない。だいたい仕事といっても、小説講座の事務所は、実質経営者なので、仕事はある程度調節できるわけで、広告の仕事もフリーランスだから、自分の判断でできる。会社員などは「働かされている」部分が大きいだろうけど、私の場合、そういう意味でのストレスはないもんなあ。ただこういうスタイルだと、忙しい時とヒマな時のバランスが悪くなることはあるからけど。

まあ、だいたい忙しいのは仕事ばかりでないし、もともと好きな仕事で、誰かに命令されて働いているわけでもないから、あんまり同情されても、なんか申し訳ない気がするなあ。あんまり忙しいとか、言わんとこ。

01/19/2006

古い文化も、新しい技術で学ぶのである

1月18日(水)
終日、自宅で作業。小説講座の事務所には入れず。

あまりに仕事が多いので、自宅の仕事場に、終日こもって作業をすることに。……と思っていたのだが、午前中は電話だけで、昼になってしまう。あわてて、パンをかじりながら昼食にして、キーボードと格闘。2時にメールで一件、仕事をすませ、また別の書類作成。

4時頃、長男が帰宅。図書カードを渡し、インターネット予約した本を図書館で借りてきてもらうことに。地域図書館は、自転車ならたった5分なのだが、行くヒマがない。郵便物は、娘に郵便局まで出してもらう。しかし、寸暇を惜しんで働いているはずなのだが、あまり片づかないなあ。

夕方、図書館から帰った息子が体調悪く、そのまま寝込んでしまう。風邪のようである。夜、疲れて、ぼんやりと『その時、歴史が』などを見てたら、娘たちが通りかかり、ちらっと飛鳥寺のCG復元図を見ながら、「これ、シージーやろ。本物と違うやんなあ」などと言う。彼女たちは、小さい頃からCGか実写かを見分ける訓練をしているらしい。CGを見て育つ新しい映像世代なのかもなあ。

小説講座の事務所は、まだまだ多忙です

1月17日(火)
午後から小説講座の事務所。

11時半、野田で、Kさんと待ち合わせて、昼食をとってから事務所。2月から週1回、金曜日に事務の手伝いに来てくれるそうだけど、毎週来れるかわからないらしい。

Kさんが帰った後、丁稚どんと一緒に、専攻科の欠席者への発送物、9期への発送物など用意してバタバタ過ごす。今週末の理事会の準備があるのだが、手がつけられない。残業をしたいのだが、最近、夫の仕事も忙しく、そっちもアテにならない。やむなく子供たちを実家に預かってもらうが、夕食は8時になってしまった。これだけ夕食時間が遅いと、つい就寝時間が遅くなりがち。起床時間は早いのだから、睡眠時間が減る。風邪が流行っているので、まずい傾向だなあ。

小説とは関係のない休日(手芸あそび)

1月16日(月)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

8時過ぎに外出。午後からは、専門学校で非常勤講師。
夜、帰宅してから、娘がハマっている『ビーズ手芸』の本をパラパラ見る。私は、ビーズ手芸をやったことがない。ネックレスやブレスレットにはあまり興味がなかったからだけど、こうしてみると、ビーズと糸でかなり立体的なものを作っている。作り方が載っていて、その構造がちょっと面白い。折り紙も、高度なものは「展開図」がかなり面白い。高校生の頃つきあっていた男の子は、「折り紙」が趣味で、当時はまだめずらしいパソコンで、自分でプログラミングをして(CADソフトなんぞ市販されてない時代である)展開図を作ろうとしていたのを覚えている。見慣れた折り紙も、展開図だけを見るとけっこう面白かったりする。

それにしても、手芸は、種類が多い。私は、編み物は苦手だが、刺繍は好き。ミシンは嫌いで、手縫いが好きだから、パッチワークなどは好き。どうもわざわざ材料を広げてやるようなものが嫌いで、家事の合間やテレビを見ている間に、短時間で、ちょっと暇つぶし程度にするのが好きらしい。だから、染色とか、陶芸はやったことがないなあ。切り絵、藤手芸もあんまり興味がないし。しかし、手芸というのは、どれもどこか子供の遊びと似ている。

美術と工芸の教師をやっている夫は、家で、木工だけでなく、トンボ玉やシルバーリングを作ったりするが、どうもアレは、油絵のヌトヌトした感じに似ている。トンボ玉も、ガラスが溶ける時はヌルヌルしているし、シルバーリングも銀粘土である。工芸も、手芸も、子供の遊びも、どこか原始的な感覚と知的な喜びとが同じみたいである。

娘たちの作った小さなビーズの指輪を見ながら、人類の文化について考えたりする冬の夜である。

小説とは関係のない休日(マグカップ供養)

1月15日(日)
小説講座の事務所は、日曜、月曜お休みです。

やや体調悪し。午前中、雑用。
午後から図書館へ行き、夜、クロスワード制作の仕事を片づける。

息子は、先日、割れたマグカップを捨てられないらしい。2歳の頃からずっと使っていた「おさるのジョージ」のマグカップ。割れたところを貼りつけて、ミニ観葉を入れて、鉢カバー代わりにしてみる。明るい窓際の数十鉢の観葉植物の中に、古ぼけた黄色いマグカップを並べてみる。けっこう似合う。なんだかちょっと供養しているかのようである。

01/18/2006

雨の日、小説講座の専攻科

1月14日(土)
朝から小説講座の事務所。夕方から専攻科の講義。講師は、小森健太朗先生。

1時から丁稚どんが来て、専攻科の作品集作成。Hさん来館。作品数が多いので、見かねてお手伝いしてくれた。ボランティアありがとうございます〜。夕方、ギリギリまで作業。結局、雨が止まず、大量の印刷物を運ぶため、やむなくタクシー利用。
(タクシーに乗ると、なぜか急に話題が妙な方へ。ナマな出産体験談など。女三人、まさに「姦しい」を絵に書いたような状況に)

本日は、専攻科の作品指導。作品は、長編一本とショートショート3本。長編は、60代の男性の作品で、ショートショートは20代。両方ともミステリではないので、小森先生にお願いするべきかどうか悩んだのだが、長編に関しては、構造的な問題点がありそうなので、それをうまく説明してくれそうな期待があったのと、短編については、作者がアニメやファンタジー好きな若い人なので、講義中、教室から抜けて、エル大阪を出る。天満橋を渡り、大阪シナリオ学校の事務所へ。事務所内のワークルームで関西演芸作家協会の例会があるので、放送作家の高見先生と7時に待ち合わせしていたのだが、ちょうどNHKで審査員の作業があり、長引いているようでまだ来られないらしい。結局、ギリギリまで待って、7時半に帰ろうとしたところ、お顔だけ拝見。ほとんど話ができなかったので、肝心の用件は、後日またお時間をいただくことにする。

走って教室に戻ってみると、まだ講義中。今回はじめて、長編レポートを集めてみたのだが、なかなか興味深い。つい苦笑。まさに「自分の作品には甘く、他人の作品には冷たい」。ほとんどたいした内容を書いていない人も多いし、だいぶ書いていても批判だけで、参考になるようなアドバイスまで思い至らない人が多い。一方で、中にはハッとするようなコメントを書いている人もいる。「これはちゃんとしたレポートだな」と思う人はほんの数人。しかし、どうやら生徒さんを見る限り、作品を読む力と書く力は比例するみたいだな。レポートの書き方については、もう少し考えないといけないな。今後、本人にも見せて、全員にもコピー配布をした方がいいみたいだなあ。

いつものように講義後、飲み会。11時半過ぎの地下鉄終電で帰宅。

小説講座の事務所も、雑用だらけ

1月13日(金)
午後から小説講座の事務所。2時過ぎには外出。

娘の体調が悪く、学校お休み。昼頃にはかなり元気になり、昼食を食べさせてから私は仕事へ。事務所に寄り、打ち合わせなどをして7時過ぎに帰宅。

正月明けから多忙。外出が続くと、原稿などは手がつけられない。実際には、外出するのは半日ほどなのだが、帰宅するとぐったりして、その日は効率が悪い。他の人はどうかわからないけど、私の場合、は一度外出すると、ライトな文章や単純作業ならやれるのだが、企画を考えたりとか、集中力を必要とする内容のものはさすがに難しい。もしかすると、若い頃より集中力が落ちているのかもしれないなあ。

けど、私は、書くといっても、長文でも、せいぜい数千字どまりなので、そう考えたら、集中力の必要な執筆を常にかかえている作家さんや生徒さんは、こういった切り替えは、どうやっているんだろうなあ。専業作家さんだって、何かしら用事があるだろうし、家ばかりこもっていられないかもしれないし。

でも、年齢のせいよりは、こういった仕事は「慣れてくる」と悪い面もあるから、それもあるだろうなあ。気をつけているつもりでも、どこか手抜きが起きるのだ。いや、仕事の手を抜くわけではないのだが、やはり初心者の頃よりも準備をいいかげんにしたり、忙しいと「まあ、こんなもんでいいだろう」と適当なところで、妥協したりするのである。それよりは「もっと良くならないか」と貪欲に考えていないとダメなんだろうなあ。

仕事を始めた頃は、先輩などの仕事ぶりを見て、「ああ、私も早くあんなふうに、いい仕事ができるようになりたい」と思っていたわけなのだし、十数年仕事をしても、まだまだスゴイ人がいっぱいいるわけである。そりゃ、ライバルや他人と較べて、イライラしたり、嫉妬したりしてもそれは仕方がないけど、もっといい仕事をしている人を目標にするのは大事なのかも。「初心忘れず」というか、「ああなりたい」「もっといい仕事がしたい」という気持ちがなきゃ、ダメなのかもしれないわ。仕事に慣れれば慣れるほど、ある意味、新鮮さが薄れてくるからなあ。あまり慣れ過ぎると、プロでも、「あの人は、ソツはないがツマラナイ仕事しかしないよ」といわれるようになる。デザイナーでも、コピーライターでも、こういうような噂が立つようになると、もちろんそれでも、そこそこ実績はあって、仕事は来るのではあるが、あまり面白みはないから、いい仕事とか、勢いのある仕事というのは少なくなっていく。

「あの人に頼めば、まず大丈夫。失敗はない」というのがプロの最低条件なんだろうけど、でもやっぱり「あの人に頼めば、他の人ではできないような、おもしろい仕事をしてくれるかもしれない」と思ってもらえるのがいいな。で、「あの人と一緒に仕事をすると、あっと驚くようないい仕事も出るし、いつも楽しくてワクワクする」と、いつまでも思ってもらえるといいんだけどなあ。

01/13/2006

ラジオのゲスト出演で、小説講座の話をする

1月12日(木)
朝から外出。午後から小説講座の事務所。3時半に朝日放送。ラジオ番組のゲスト出演。収録後、天満橋の大阪シナリオ学校の事務所へ。

午前中、某役所関係のお仕事で打ち合わせ。昼に急いで移動して、天満橋のジュンク堂へ。ラジオ番組に「創作サポートセンター」として、ゲスト出演するので「おみやげ」のため、目についた講師の著書を7冊、購入。一度、事務所に寄ってから、朝日放送へ。同じ福島区のうちの事務所からは、自転車なら10分ちょっと。

ラジオディレクターの上ノ薗さん。直接お会いするのは久しぶり。関西では、ラジオのフリーディレクターはめずらしいらしいのだけど、とても優秀なディレクターさんである。パーソナリティーは、桂吉弥さん。実際にお会いすると、やっぱりなかなかのハンサム。パーソナリティーのお二人は、かなりの読書家らしくて、ミステリなどもよく読んでいるそうだ。収録前の桂吉弥さんからは、落語関係の方たちと仲がよかった小松左京先生のお話なども聞いたりして、楽しいムード。枝雀さんがかんべむさし先生をびっくりさせたエピソードもチラっと聞けて、たいへん面白かった。というか、ゲスト出演さえなければ、反対に色々聞きたいことがたくさんあったんだけど……。まあ、私の出演はほんの10分ほどなんだけど、女性プロデューサーも、ざっくばらんな雰囲気でワイワイと話をして、楽しそうな番組でした(ま、私の出演は聞かなくてもいいです。いや、お願いホント聞かないで…)

桂吉弥さんは、ブログを続けておられるみたいで、文章の書き方について質問を受けたけど、うまいアドバイスが思い浮かばない。「なるべく短い文章で、毎日書くようにしているんですけどね」 はい、それがいいと思いますよ〜。ブログは、「とにかく長すぎる」と、よく文句を言われている私。いや、ほんと。実際、桂吉弥さん、ブログを見ても、文章がとってもうまいんですよ。

まあ、でも、それで、どんなブログを読みたいのか、ちょっと考えてみた。桂吉弥さんだったら、男前だし、ファンも多いだろうから、日常のちょっとしたことでも、面白く読めるような気がするなあ。三谷幸喜さんの「ありふれた日常」もそうだけど、有名人の日常は、私たち一般人には非日常。落語家さんが「ありふれた日常」だと思っていても、それがのぞけるだけで面白いもんね。

そういえば、私が、コピーライターになった頃、いろんな勉強法をたくさん教えてもらったのだが、その中に、「落語を聞いて、何か面白いさわりがあったら、なぜそれが面白いのか考えてみる」というのがあった気がする。たしか「共感性」と「新鮮(情報性)」を持つネタが広告コピーにも有効だから、という理由だったと思うけど。

夕方、大阪シナリオ学校の事務所へ。11月から、また事務局長が交代し、井上事務局長。1時間半ほど色々話して、帰宅。

小説は一日にしてならず。締切は守りましょう

1月11日(水)
終日外出。小説講座の事務所には入れず。

朝から外出。早めに自宅にもどり、夕方、専攻科の生徒さんと待ち合わせ。昨日の締切に間に合わなかった原稿である。地下鉄の京橋駅の改札口で作品を受け取る。自転車で自宅から20分ほど走って来たので、けっこう寒い。寒いっちゅうのに、1時間くらい雑談。そのあと自転車で自宅にとんで帰って夕食。

最近、スーパーに行くと野菜の値段が高い。今日は、キャベツ一玉、385円。これでも安売り価格である。レタスも350円。いくらなんでも400円を越えると、さらに買う主婦ががくんと減るだろうから、たぶんこれでもギリギリなんだろうなあ。チンゲンサイ、ほうれんそうなど、葉モノは、軒並み高値である。まあ、私は、冬にレタスはあんまり買わないけど、お好み焼き屋は大打撃だろうなあ。

もともと国産で旬のものしか買わない主義(とくに健康を考えているわけではなく、その方がコストパフォーマンスがいいと思うからだけ)なので、だいたい冬は毎年、野菜不足にはなってい。仕方ないんだけど、真冬はどうしても「大根」「かぶ」「白菜」が中心である。まあ、どうせ鍋やら関東炊き(おでん)やシチューなど多いので、なんだかんだで、気がつくと春になっているのである。どうせ料理に凝っても、冬に作るのは、どうせドイツ料理だとか、ロシア料理だとかだもの。

しかし、最近のスーパーは、まるで毎日、世界大会をやっているみたいである。中国産、韓国産、タイ産……。つい数年前までは、外国産の野菜といっても、種類が限られたのだが、輸送技術の向上で、ものすごい勢いで、外国産の野菜が増えている。里芋、ごぼう、ネギ、いんげんなど、中国産も目立つけど、人参やトマトなどは韓国産、オクラは、タイ産など。かぼちゃは、ニュージランド。

果物はともかく、魚や肉だって、メキシコ、ノルウェー、カナダ、モロッコ、ロシア、オーストラリアなど。「白書」を見ても、ここ数年で、輸入野菜の推移などはすごいらしい。まあ、これだけたくさん並んでいると、主婦だって、世界情勢に思いをはせずにいられないよなあ。

子供たちが学校から、「防犯情報」の配信システムについてのお知らせを持って帰る。リアルタイムで防犯情報をケータイやパソコンにメールで送ってくれるシステムだ。はあ。世の中の動きについていくのが大変な今日この頃である。

01/11/2006

小説講座の事務所は、今日からです

1月10日(火)
昼前から小説講座の事務所。夕方6時半まで事務作業。

本日から冬休み明け。
今日の13時に専攻科の作品締切があるので、原稿がどどっと集まっている。直接、事務所まで提出しにきた人が数名(仕事を抜けて来た人もいるらしい)。作品を出しに来たHさんが「何かお手伝いしましょうか」と言ってくれて、ボランティア労働をしてくれる。しかも、おみやげ持参。ああ、なんて、いい人なんでしょう。スタッフの丁稚どんと一緒に印刷作業。みんな主婦ばかりなんで、優雅な作業ができるところなんだろうけど、なにせ作品枚数が多い。今週末にある講義で配布する作品も決めなくてはいけない。いきなり作品提出一覧とにらめっこである。

全20編、長編の割合が予想より多い。
小説講座の掲示板にも書いたのだが、今日提出された作品は、下記の通り。
短編:
僕と愛(20枚)、逆蛍(6)、ねぼけ勘兵衛(47)、雲人間(16)、黄色いリボンと奇跡の一回(24)、彼女の職業(18)、夜の獣ークレオン(10)、シスターズ・デュエル(37)、ともだち(44)、水晶の夜(50)、天使が起こした奇跡(53)、肝臓同盟(100)
中〜長編:
神州黄金卿伝説(201)、手の中の果実(240)、ライフ・マン(長編版)(250)、自由への失踪(460)、華、美しく散りてこそ(425)、チョッパーベース(457)、拉致(331)、夢渡り人(358)

うーん、みんなやればできるのね。去年までこんなに提出枚数が多かったかなあ。隔月で締切があるのに、3月もこんなに提出されるのかしら。あれ? 今まで出し惜しみしてたのかしら。
「反動で、3月は短編ばっかりになるのかなあ」と心配してたら、「まあ、私はまた長編出すと思いますけど」とニコニコ笑っているHさん。ひええ。彼女は、仕事も子供もいる主婦でもあるのに、ど、どこにそのパワーが……。

作品が多いのは嬉しいけど、それはそれで、事務所は大変。長編の作品指導をしてくれる講師はやや少ないので(さすがに長編は、全講師がみてくれるわけではない)、スケジュールの調整がややこしい。ま、でも長編ばかりだと、むしろ組み合わせであれこれ悩むことがないからいいかも。

どっちみち、数回の補講日を設定しなくちゃいけないなあ。カレンダーと色々とにらめっこする私。先生たちにお願いするにしても、まず一度、私が目を通して読むのがルール。でも、日程だけは決めておかないとなあ。

結局、Hさんが5時過ぎまで手伝ってくれて、いつもよりも大量に印刷ができた。感謝!
でも、丁稚どんに土曜出勤を頼みこむ。

しかし、この専攻科の作品枚数。でも、作品指導の講義に出る皆さんも、ぜ〜んぶ、読むわけだから。覚悟しておいてね〜。

どうしても1時に間に合わないと電話してきた生徒さんがいたので、5時過ぎてもずっと待っていたのだが、どうも連絡もないので、こちらから電話してみる。
「えー、もう間に合わないと思ったので、あきらめました」
「でも、星組だから、作品提出がないと2月からクラス変更だよー」
「えー、それは困ります〜」
「でも、ルールだから、みんなギリギリで提出してるよー。まあ、今回だけは大目に見るけど、一体、いつ来るの」
「えー、今からですか」
「だって、明日には、作品指導スケジュール立てちゃうもの」
で、結局、「明日の夕方、京橋で」ということになった。やれやれ。一応、ギリギリセーフということで。
ま、生徒さんのためなら、それくらいの手間は惜しくないけど、締切に遅れるタイプの生徒さんは、毎回、なぜか同じ人だなあ。あ、いやいや、Sくんは、今回は間に合ってました(数十分遅れたけど)。ちょっとホッとした。

でも、専攻科は、何年かかけて、ゆっくりと長編を書く人もいれば、プロをめざしてバリバリ書く人もいる。まあ、それはそれで、色んな人がいていいんじゃないのかと思っている。まあ、うまく活用してくれればいいんだけどね。

6時半に事務所を出て、急いで帰宅。7時半に家に着き、腹をすかせた子供にあわててメシを作る。大きなはまぐりをもらったので、すまし汁にする。あとは、浅漬けや野菜のトマトスープ煮で軽く済ませる。

トマトスープ煮は、肉と野菜を炒めて、トマト缶かトマトジュースを入れ、バターや塩で作るスピード料理だが(しょうゆが隠し味です)、今日は、白菜と豚肉ベースなので、トマトジュースで軽めに作る。すっかり食べ終わってから、たまたま「これは、トマトジュースで」と言うと、実は、トマトジュースが嫌いな子供たちがえらく大騒ぎ。いつも「おいしいおいしい」と言って食べてるのに「だまされた!」などと言う。

で、帰宅した夫にその話をしたら、「えっ、そうなの!」と言う。大人のくせにトマトジュースが飲めない夫もショックを受けたらしい。おや、夫も、知らなかったのか。でも、なぜそんなにショック? どう考えても、最初からトマトジュース味だと思うが。まあ、バターとしょうゆ、スパイスは入っているけど。ああ、キライだから何十年もまったく飲まないし、わからないのか。
「えー、そんなもの、いつも飲まされていたのか。なんだかだまされたなあ」
と言う。さっきまで「これはウマイなあ」と言って食べてたのに。だいたい今まで何が入っているか知らんかったんかい。彼はスパゲッティもトマトソースが好きなクセに、なぜかトマトジュースだけ飲めない。「だって、全然違うじゃないか」。まあ、そうなんだろうけどさ。

そういや『おじゃる丸』の家のパパさんは「カレーに竹輪が入っているのが許せない」んだそうだけど、「竹輪だけをよけてカレーを食べ、それからカレー味の竹輪をアテにビールを飲むとおいしい」のだそうだ。人間て、ホントなんだか細かいことにこだわって生きてるんだなあ。(いつも『おじゃる丸』で人生の教訓を学ぶワタクシ)。
まあ、しかし、こんなのは、たぶん縄文時代からそうなんだろうなあ。少なくとも料理がこれだけ多様に発展したところを見ると、飽食の時代ならではの問題でもなさそうだが。

小説とは関係のない休日(なみはや、ブロッサム)

1月9日(月)
小説講座の事務所は、明日まで、冬休みです。

冬休み最後の日。昨年、亡くなった義父は、毎年「えべっさん」だけは欠かさずに参ってたそうで、義母は「今年はぜひ行っておきたい」と言う。昨年は、義父が亡くなったばかりで、行けなかったのである。もちろん大阪の自営業の人にはおなじみの「商売繁昌」のえべっさんである。で、今日の宵宮に行こうと思っていたのだが、親戚の法事で義母が行けないそうで、結局、明日の本宮に長男と義母が行くことになった。で、急にヒマになったので、昼頃からなみはやドームにスケートに来ている妹の家族と合流する。

妹には、4歳の双子の男の子がおり、生まれてはじめてスケートに挑戦。こちらの双子は、ニ卵性双生児で、顔も兄弟にしてはあまり似てないのだが、性格もかなり違う。兄の方は「口から生まれた」と呼ばれるほどのおしゃべりで、ひょうきんな性格(こういう子は、大阪では「いちびり」という)。弟は、おとなしい性格で無口である。スケートも兄の方は、なぜかやる気満々で、コロコロころがってはケラケラ笑っていたのだが、弟の方は、母親にしがみついて離れない。
「もう帰ろう」と半泣きである。

そこで、うちの双子の娘たちが、彼らの両手をにぎってやり、「ほら、こうして、歩くみたいにするんやで」などと言って、教えてあげてやる。さて、それをよく見ると、彼女たちは彼らの両手を握って、すいすい後ろ向きに滑りながら、一人前に教えているのである。うーむ。おまえたち、いつの間にそんなに上手にバックで滑れるようになったのだ。なにしろ、去年2回、今年はまだ3回目だぞ。つまり、娘たちは、合計5回しか滑ってないはずなのだ。え、大人の私は何度来ても、ほとんどバックでは滑れないのだぞ。なぜじゃ。

もちろん私は、前向きでももはやついて行けないのだが、どうして子供はこんなにスイスイ滑るようになるのだろうなあ。まあ、しかし、聞いた話だと、大人も努力すればスケートはうまく滑れるようになるそうで、がんばればシングルならジャンプもできるそうですが。いや、そこまでは望んでませんけど、なんだか納得いかんなあ。いや、仕方ないけどさ。

おにぎり、バナナ、クッキーと食べ物を食べたりなどして、一般開放の時間終了の4時までのんびりと一人でリンクを回る私。双子の甥っこは、双子の娘たちがしっかりサポート。後半には、弟の方も「もっと滑る!」と気に入ったようで、歩行程度だが、わずか数時間で一人で滑れるようになった4歳児たち。

しかし、リンクのすみっこで考えたのだが、こういう感覚は、小さい頃にはいつも感じてた感覚に近いものがあるな。私は、子供の頃から運動神経がかなりにぶかったのだけど、小学校低学年の時、たまたま卓球だけはうまかったんで、ある時、公民館かどこかでやってたら、同じクラスの友達が来て「卓球って、どうやるの? 教えて」って言うので、教えてあげて、一緒に遊んだら、ほんの3時間ほどで、あっという間にうまくなってしまって、その日の最後には勝てなくなったのよね〜。

そういや、こういうこともあったっけ。ピアノも私は子供の頃、1年ほど習っていたのだが、近所の友達が、自分ちにピアノをもってなくて習わせてもらえないからと、家に遊びに来たんだけど、彼女がたった2週間くらいで、自分よりもうまくなった時のショック! 今から考えれば、その友だちはピアノは持っていなくても、家にステレオセットがあったりして、けっこう音楽好きだったので、ピアノに慣れるのも早かったんだと思うけど、私が一年がかりだったレッスンなどわずか数日だもんなあ。

しかし、あの時ほどショックではないのは、もはや大人だからである。大人になっていいことは、もはや、他人といちいち較べても、やたらと落ち込んだりせずに済むことだな、と思ったり。人よりペースが遅いことだって、さほど気にしなくて済む。まあ、大人になっても、なにかと他人とくらべないと気が済まない人もいるけどねえ。

それにしても、何度もこけてもケラケラ笑ってすぐに起き上がってくる子供たち(大人は、一度こけるとダメージがでかいのに、子供はへっちゃらである)
その姿を遠くに見ながら、リンクのすみっこで、なんだかちょっと複雑な気分で一人すべる母親であった。いや、一人で気楽だけど。

4時にスケート場を出て、すぐ隣にある「はなぽーとブロッサム」へ。アウトレットショップが集まっているところだが、妹ははじめて来たそうで、ぐるりと一周する。「mont-bell」で、防寒帽を購入。大人用だが、息子が気にいって欲しがる。夕食を食べてから帰宅。

小説とは関係のない休日(娘のホットケーキ)

1月8日(日)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休みです。

朝からごちゃごちゃ雑用。午後から地域の図書館へ。私は地域図書館では、小説を借りることも多いのだが(専門書は少ないけど)10日から一週間ほど超多忙になる予定なので、小説などは借りず。まあ、読んでない文庫の山もまだあるし。で、料理の本、手芸の本、地図の本、登山の本、あとはCDとビデオを借りる。図書館は、読書の楽しみだけでなく、生活にも役立つんですよ。

一緒に図書館に行った双子の娘たち。妹の方が、年末から急にフェルト手芸に凝りだし、大人向けだが、「マスコット作り」の本を借りる。家に帰るとさっそく一人で自分の部屋にこもって、ちくちく手芸。小学2年生もけっこう器用なものだなあ。姉の方は、フェルト手芸には興味はなく、彼女はビーズ手芸。100円均一で売っているビーズセットでも、そこそこのアクセサリーができるものらしい。うーむ。ビーズ手芸はほとんどやったことないから私にはわからん。そういや、私の子供の頃は「リリアン手芸」ってのがあったんですが、今はやらんのでしょうか。

帰宅後、長男と姉は、ホームセンターに行く夫(またまた家の改装をしている。イベントで不在がちな夫だが、家にいる時もじっとしてられない体質である)と一緒に外出。
妹だけが残り、「おやつにホットケーキを一人で作りたい」という。「まだ、一度も一人で作ったことないから、一人で全部やりたい」のだそうだ。
ホットケーキミックスという便利なものがあるので、子供でも充分できるのだが、よく考えれば、うちは長男が割と料理好きなので、あまり双子にはさせてなかったのだ。長男は、たしか5歳の時にはホットケーキを焼いてたもんなあ。まあ、ホットケーキミックスは、焼き方によっては、クッキーにもケーキにもクレープにもなる便利なシロモノ。マーマレードや人参やホウレンソウのすりおろしなどを入れれば、味のバリエーションも手軽に楽しめて、男の一人暮らしにも便利(たぶん)

そんなわけで、娘のホットケーキ作りを見守りながら、火加減だけアドバイス(弱火にしとけば、さほど失敗はないんだけど)。余談ですが、子供に火を使わせて料理をさせる場合は、途中で何度も火を止めてしまうのがコツかも。主婦の人って、料理の時、ほとんどコンロの火を止めないんだけど、料理が不得意な時はあわてたりするので、そういう時はマメに火を止めた方がいいよん。慣れてない時には何時間かかってもいいんだから、ゆっくり楽しんでやる方がいいのだ。子供たちは、包丁を使うのはうまいのだが、平日の夕食時は忙しいので、なかなかコンロを扱う作業をさせてなかったし。

子供たちに手伝ってもらう時は、ある部分だけやるよりは全部やってもらう方が、こっちもラクだし、本人も達成感がある。そういう意味ではホットケーキミックスは偉大だなあ。


01/08/2006

小説とは関係のない休日(京都大学総合博物館)

1月7日(土)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休みです。

午後から「京都大学総合博物館」へ。新聞の案内欄に載っていた企画展「日本の動物はいつどこからきたのか」を見に行く。一人で行くつもりだったのだが、子供たちも「行きたい」というので、連れていったのだが、小六の長男はともかく、小二の双子は、さすがにちょっと理解が難しいだろうなあ。まあ、「動物地理学」というジャンルなので、子供じゃなくても一般的にも興味ない人が多いだろうけど。とりあえず子供たちは、ビワコオオナマズの標本に感動してた。クニマスの標本もあり、こういうジャンルに興味ある人にはオススメ。非常にいい展示でした。寒さのせいか、館内はほとんど人がいない。もう少しゆっくり見たかったけど、4時半閉館。うーん、4時半は早い。5時にしてほしいなあ。売店で、ミュージアム特製の「フィールドノート」を500円で買う。布製の表紙にロゴつき。恐竜マグカップも欲しかったのだが(上野の博物館のロゴ入りを持っていたのだけど、割ってしまった)これは、また上野に行ったら買おう。

京都は、大阪よりは1〜2度寒いので、雪がちらほら。下鴨神社あたりの川沿いをちょっとぶらぶらして、京阪電車で大阪に戻る。京橋で、またショッピングなどして帰宅。

01/07/2006

まだ冬休み(ですが小説講座の事務所に初出勤)

1月6日(金)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休みです。

というわけで、冬休み中ですが、今日は出勤日。午後から4時間ほど作業。専攻科の作品締切は10日なので、早めの提出はまだ4編ほど。年賀状も少し。年末にバタバタして大掃除ができなかったので、せめて机の上だけでも片づける(昨年度の資料もまだ整理できてない)。4月から新しく開講する予定の「新文章教室」のカリキュラムの準備など。21日には「理事会」もあるし、専攻科のスケジュール調整プランもまだできてないし。事務も山積みじゃ〜。うーん。さすがにそろそろ誰か助っ人を雇わないとどうしようもないかも。

しかし、この大阪NPOプラザに入居してから、この1月でやっと1年(正確に言えば、引越したのは1月下旬だが)。この1年間、なんかバタバタしてただけという気もするけど、生徒数は少しずつ増えたわけだし、これからの運営もカタチができつつ、ということで、とりあえず今年もがんばりましょう。

年賀状、メール等から少しだけご紹介。

●ディレクター大橋守さんからの年賀メール
(大橋さんはNHKのディレクターで、中学生日記や少年ドラマ「料理少年Kタロー」など)
ウルトラマンの円谷プロのスタッフが参加されたハイビジョン特撮ドラマ「生物彗星WoO」(30分番組×13本)完成。2006年4月9日(日)スタート19時30分〜19時58分(デジタル衛星ハイビジョン)。BS2や地上波でも順次、放送予定だそうです。
大橋さんは、往年の「少年ドラマ」を愛してやまない(ちょっとマニアっく?)優秀な(貴重な?)映像ディレクターです。かつて制作された「料理少年Kタロー」も、うちの小説講座の講師や生徒のSFマニア間で、すごく話題になったほどの面白い作品。最新作が見れるのが楽しみ。

●編集者・中野晴行さんからの年賀状
『マンガ産業論』が日本出版学会奨励賞、日本児童文学学会奨励賞の二賞を受賞!
『そうだったのか手塚治虫』も出版されて、ますますご活躍の中野さん。
私も『マンガ産業論』は、すごく勉強になりました。マンガ業界研究には、必読書。専門学校での講義でも、「参考図書」として、マンガ科コースの生徒さんたちに勧めてます。

●CMディレクター・筏万州彦さんからの年賀状
アイシア、黒缶CM好評。ネットでも見れるそうです。

……私は、今年は喪中で年賀状を出してませんが、皆さんご活躍のようで嬉しいです。

しかし、とくに学生時代の友人などは、年に一度の年賀状でしか消息がわからなくなっている人も多くいんですよね(ちょうど私のような世代は、あまり同窓会をしないし)小中学生の時の同級生で、今、年賀状のやりとりがある人は……、うーん、10人もいないかなあ。

一方、一度しか会ったことがないのに、なぜか年賀状をもらって、それから長年ずっと年賀状のやりとりだけはある人がいたりするんですよね。旅先で一回会っただけの人もいるし。まあ、何年かすると出さなくなる人もいるけど、不思議と続く人もいたり。まあ、消息くらいは知りたいってことはあるんだけど、最近は年賀状出さない人も多いみたいだしね。

しかし、個人的には「喪中」ってのは、ここ数年なかったのだけど、妙な「システム」ですね。喪中だと年賀状を出さないってのは、日本だけだろうなあ。まあ、キリスト教圏だと年賀よりはメリークリスマスでしょうけど。あ、イスラム教圏は年賀状ってあるんでしょうか。ちなみに、うちに届いた外国からの「メリークリスマス&ハッピーニューイヤー」カードは、今年はスイスからの1通だけ(ロンドン在住の友人が、今度はスイスに引越したのです)。

ところで、今年も、SF評論とか色々やっておられる喜多さんからの年賀状が届いたのだが、今年は宛先が「夫との連名」になっていた。昨年まで、夫の同僚だとは知らなかったので、私から年賀状を出していたのだが(喜多さん自身も知らなかった)、義父の葬式で気がついたそうだ。しかし、連名になると夫に取られる。うちでは、夫と私の年賀状は、親戚以外はほぼ完全に別になっており(親戚用は、家族写真だけの別バージョン)、お互いの年賀状をのぞくことも、ほとんどない。まあ、うちの夫婦は、趣味も違うし、交友関係もさほど重ならないのである(まあ、同じ高校だったので、そのあたりは重なるけど)

で、たまに「夫婦連名」のがあると、「どっちがより親しいか」で、分けるのである。喜多さんは「同僚だから」と言われて、夫にとられた。なんだか微妙。まあ、喜多さんのは仕方ないんだけど、こうして数少ない連名の年賀状は、ほとんど夫の取り分になっていくな。まあ、夫婦で連名の年賀状を出す家が多いだろうし、こういうのは気にしない「妻」もいるのだろうが、私は年賀状を出す場合は、完全に別々に作っているからなあ。

まあ、私は、夫の公演やら個展の紹介などは、自分の知り合いにはさほど積極的に宣伝をしてないのだが、たまに紹介すると、頻繁にイベントをやっている夫に「友人」を取られる。公演やら個展やらをするから、案内状を送ったり、実際に会ったりするからである。で、もともとは私の友人なのに、私は何年も会わなくなり、そのうち彼に年賀状が届くようになる。で、彼から「消息」を聞くようになる。まあ、いいんだけど、たまにちょっぴり微妙な気分。まあ、彼も「え、君が出すんなら、それでもいいけど?」と気にしてないし、私もさほどこだわっているわけでもないが、少し「微妙な感じ」がするだけである。

ちなみに、うちの夫は、現代美術の方は「本名」でやっていて、ダンスの方は「芸名」である。で、年賀状も、絵柄が違う別バージョンになっているようだ。というわけで、彼は、家族連名の年賀状である「親戚バージョン」と合わせると3種類の違うデザインの年賀状を使いわけている。世間の人は、年賀状ってのはどうしてるのかなあ。最近は、年賀状を出さない人が増えてるみたいだし、手紙が電話やメールに変わったみたいに、年賀状もそのうち消えてなくなる運命にあるのかもしれないなあ。

01/05/2006

小説とは関係のない休日(明日は事務所)

1月5日(木)
小説講座の事務所は、冬休みです。

ほとんど一週間ぶりのネット接続(自宅のパソコンの調子が悪く、通常使うパソコンはネット接続してないのです)ブログもまとめてアップ。冬休み中ですが、明日は、事務所に初出勤の予定。

小説とは関係のない休日(スケート)

1月4日(水)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休みです。

なみはやドームの「スケートフェスティバル」に出かける。このところ、毎年、このイベントに参加している。まあ、イベントなので回数券は使えないし(子供3人、大人1人で、イベント料金4100円)、人が多いので、あまりすべれないんだけど、今年も、子供たちが楽しみにしていたし。

やはり年末に来た時にくらべると、かなり混んでいる。長男と双子の娘たちは、さっそく勝手にスケート靴をはいて、バラバラと滑りに行く。まだ3〜4回しかスケートはしたことがないはずの娘たちだが、案外うまい。友だちにローラーブレードを借りて、いつも遊んでいるから慣れているんだそうだ。

13時から、メインリンクでスケート選手が滑るのを見る。ナント、あの織田信成クンが登場。先日のSPで滑ったスーパーマリオ。私はけっこうファンなので、リンクかぶりつきで、あのスピンやジャンプが見れて感激。

結局、4時半の終了まで子供たちにつきあう。まだスケート4回目くらいの娘(双子の姉)だが、いきなりバックや少し回転したりするので、ちょっとびっくり。うーん、いくらローラーブレードで慣れていると言っても、スピンはしないだろうけどなあ。子供は、こういうのに慣れるのがホント早いのねえ。大人の私は、ほとんど上達しませんがねえ。まあ、いつもリンクのすみで、ゆっくりのんびり滑っているので、私はあまり疲れないけど、はしゃぐ子供たちはさすがにクタクタみたい。いやはや、正月って大変ですな(遊んでばっかりで)

帰宅後、家の玄関が勝手に改装されていた。正月も「日曜大工」。じっとしてられない男である。

小説とは関係のない正月(勝尾寺)

1月3日(火)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休みです。

一年前の1月4日に亡くなった義父は、毎年、正月には箕面の「勝尾寺」に行くことにしていた。義父は、前厄の年から、ほとんど毎年欠かさずに行っていたそうである。その息子である夫も、子供の頃からタクシーで毎年、連れていってもらっていたらしい(なにせ義父は、個人タクシーの運転手だったのである)。

義弟は自家用車を持っているが、うちの夫は車を持っていない。なので、「今年は、歩いて登っていけば?」と私が提案すると、夫はえらく驚いて「えっ、歩いて登るの!?」と言う。
「でも、秋に箕面の滝に行ったやろ。あそこから1時間半くらいやで」
「ええっ。そんな大変なことしてまで行くことないで」
「でも、行きたいんやろ」
「駅からタクシーかバスでいいやん」
「でも、天気よかったら、ハイキングみたいやし。地図みたら、標高530Mって。箕面からなら、傾斜もきつくないし、8キロちょっとやもん。たぶん大丈夫」
「8キロって、登るんやろ」

私と息子は、ハイキングが好きなのだが、夫はどうも苦手なのである。子供の頃から、どこに行くのにも「タクシーでおでかけ」だったらしいので、仕方ない。
だいたい夫の実家では、銭湯に行くにも、どこに行くにも車で行く。ちなみに、タクシー運転手歴の長い義父は、「人間の価値を『乗っている車』で判断する主義」の人であった。だから、自分の長男が「車を持っていない」なんて信じられないみたいだった。でも、うちの夫はほとんど家にいないのだから、車なんか持っていても仕方ないのである。

しかし、箕面駅を11時半に出発して、2時間半ほどで勝尾寺に着く。雪もないし、天気もよくて、山嫌いの夫も、8歳になったばかりの娘たちも、なんとか機嫌よく登る。ちょっぴり寒いけど、いい気分である。まあ、これで車道を歩くのさえなければ、いいんだけどなあ。帰りは二キロほど下まで車道を歩き、バスに乗って、千里中央へ出る。地下鉄で、夫の実家に寄って、夕食を一緒にとってから帰宅。


小説とは関係のない正月(何のことはない二日)

1月2日(月)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休みです。

昨日、早めに寝たせいか、体調は回復。今日も一日のんびり過ごす。夫の実家では、白ミソの雑煮なのだが、今日は、しょうゆ仕立ての雑煮である。あいにくスルメがないので、こんぶとかつおだしである。私の実家は、スルメを1センチほどに割いたもので「だし」をとり、ネギと人参、大根を入れ、しょうゆで味つけしたシンプルな雑煮である。食べる直前にお椀に直接、かつおぶしをどっさりかけるのがポイント。肉や魚はないのだが、だしをとったスルメをそのまま入れておくので、ぽよよんと水を吸ってふやけている。これが、けっこう美味しかったりする。ちょっと変わった雑煮だが、このスルメを使うのは、実父の故郷の風習。ちなみに、父は、岡山の津山出身である。

夕方、実家に呼ばれて、妹夫婦と弟夫婦とカニ鍋をごちそうになる。子供達は、お年玉がもらえて大騒ぎ。

小説とは関係のない正月(あけましておめでとう)

1月1日(日)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休み中です。

あけましておめでとうございます。
皆様、今年もよろしくお願いします。

大晦日は義母の家に泊まったので、そのまま近所の神社に寄ってから、昼頃に帰宅。義母の家は、自転車で10分ほどの帰省である。うちは、両方の実家がすぐ近くなので、帰省の苦労は全くない。ま、ちょっと寂しい気もするが。昨日、遅くまで起きていた子供達は、そのまま義母の家でお昼寝して、夕方に帰宅。家のかたづけ、洗濯など。なんだか少し悪寒がするので、無理せずにのんびり過ごす。まあ、のんびりとした正月である。

小説とは関係のない大晦日(おせちと格闘)

12月31日(土)
小説講座の事務所は、1月9日まで、冬休み中です。

朝から子供たちは、義母の家に大掃除のお手伝いとお餅つき。私は、家に一人残って、午前中は買い物。午後からせっせとおせち作り。どんなに忙しくても、なぜか「おせち」だけは絶対に作る主義なのだ。といっても、家族は誰もあんまり喜ばないんだけどね。子供達もさほど食べたがらない。で、毎年、大量の「おせち」を作る実家に様子をうかがいにいく。なにか分けてもらえるものがあれば、それで済まそうという魂胆である。まあ、分担して作れば安上がりだし。

すると、父の仕事が忙しく、今年は「おせち」はめずらしく作らないという。ちなみに、うちの実家は、「おせち」も「お雑煮」も父が作るものと決まっている。だいたい元旦は、主婦は台所に入れないから、「戸主」がお雑煮を作るのである。父は、都会に出てきた農家の次男なのだが、やっぱり正月の雑煮だけは、自分が作っていた。どうやら、もともとは、正月の朝に戸主が井戸から水を汲む儀式のようなものがあったらしい。さすがに井戸はないので、蛇口から水道水で作ってたけどね。

しかし、今年は、年末ぎりぎりまで仕事が忙しいらしい。行事を大事にする父なので、よほどのことである。母に「今年はおせち作るの?」と聞かれ、「うん。でも、みんな喜ばないから、カンタンにしようと思っていたんだけど、まったくないんだったら、小さくまとめたものを分けようか?」と言ったら、「そうしてくれる? やっぱりあった方がお父さんが喜ぶから」と言う。
「でも、もともと煮しめくらいの予定だったんだけど」
「あら、どうせだったら、ちゃんとしたのを作りなさいよ。あちらのお母さんももう作らないでしょうから、持っていくんでしょ?」
「うーん。お義母さんちは、もともと正月におせち作らないから。あっちは、正月はすき焼きだからなあ」
「そうなの? でも、うちは、ちゃんとしたおせち欲しいわ」
「ええっ。そうなん? いや、実は、材料費2千円のつもりで、簡単な野菜の煮しめだけのつもりで」
「2千円!? そんなん、ダメダメ! うちなんか、いつも材料費2〜3万使うわよ。2千円なんて」
「えっ、もしかしてカズノコとか、コブ巻きとかないとダメなん?」
「そんなもんは要らないけど、2千円じゃダメよ。とりあえず、これカンパするから、もうちょっといいものを作ってちょうだい」
と、母がお金をくれたのだが、それが2千円。おいおい。予算4千円かよ。あんまり変わらん気もするぞ。

まあ、そういうわけで、予算4千円。さっそく昼に買い物に行く。大晦日の昼過ぎに行くと、すでにスーパーは安売りモードである。三ケ所まわって、野菜など大量に買い込む。かぼちゃ80円、レンコン150円、里芋128円、人参98円……。子供達がみんな嫌いなので、カズノコも買う気はなかったのだが、父が好きなので、やむなく480円の味付きを買う。ところが別の店で、どれでも2パック500円で売っていたので、ちょっとショック。年末の買い物は、難しいなあ。

そのあとたっぷり6時間以上かけて、おせちと格闘。家にあるすべての鍋をフル回転して、煮しめを作る。おせちの野菜は、全部をひとつひとつ別の鍋で煮る主義だが、鍋は5個しかないので、うまく頭を使って鍋を使い回さないといけないのである。結局、おせちの野菜は、かぼしゃ、レンコン、こいも、人参、ゆり根、いんげん。あとは、面倒なので、水煮のふき、冷凍のそら豆を代用。煮豆も、今年は市販のものを使う。こんにゃく、こうや豆腐、ちくわ、さつまあげ、えびを煮て、鶏肉しょうが煮、ぶりの照焼き、砂ずりと干しぶどうのしょうゆ煮、骨付きチキンのコーラ煮、豚肉のごま焼き、たこ塩辛きゅうりなます、紅白なます、長芋の短冊(ごま酢あえ)を作る。ウインナーを焼き、いただきもののローストビーフを切る。あとは、市販のにしんのコブ巻き、かずのこ、甘鯛…。

まあ、実家の分もあわせて、なんとか予算内で三十数品。かなり見栄えのするものができた。ああ、疲れた。重箱(五段)に詰めて、夫の実家へ。自転車で、わずか10分の帰省である。

01/01/2006

やっぱり大掃除

12月30日(金)
小説講座の事務所は、冬休み中です。

午前中、仕事部屋の片づけ。午後からは、家の大そうじ。年末なのに、実家の父はまだ仕事らしい。3月まで仕事がびっしりつまってンだそうだ。70才を越えたのに、ご苦労なことである。いわゆる町工場の職人である。雇われ工場長をして勤続52年。もう引退したはずなのだが、パート勤務である。といっても、忙しすぎて、やっぱり当分、引退は無理らしいなあ。

喪中なので、年賀状ではなく、寒中見舞いを用意する。一応、全部準備しておいて、5日に投函することにする。義父が亡くなったのは、1月4日だ。そういや、去年は正月らしい正月がなかったもんなあ。けど、あれから1年たつんだなあ。早いもんである。


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