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07/19/2005

小説と教育論、当事者の目、第三者の目

7月18日(月)
日曜、月曜は、小説講座の事務所はお休みです。

のんびりと休日。朝から子供たちは、大騒ぎをしながら、網を持って虫とりに。午前中、あれこれ家事。休日と言っても、朝は5時半起きだし、ラジオもいつも通り。夕方は、娘たちもスイミングがあるし、夫は休日出勤。あまり遠出もできない休日である。

彼はしばらく公演などがないので、少しは家にいるのかと思ったら、なんだかめちゃくちゃ忙しいようで、7月に入っても、やっぱり家にはほとんどいない。趣味にしろ、仕事にしろ、何かと一年中忙しい人である。今日は、わざわざ休日なのにネクタイを絞めて、仕事。こんな時期、この三連休というのに、それも、なぜか「家庭訪問」というのだから、こちらもそんな仕事のことは、少しも詳しく聞きたくないのである。ま、何かあったのだろう。彼は、高校の美術教員だが、この十数年間ずっと非常勤で、定職に就いているわけではなかったので、正規の職員になったのは昨年。で、初めてクラス担任をもったのが今年の4月である。ほんの3カ月、しかも、この時期に家庭訪問というのは、この学校ではかなり珍しいらしくて、ちょっと気の毒。

とはいうものの、新任教員とは言っても、彼は、産休、育休、代休、期限付……と、教員生活は十数年ある。ふつうなら、大学を出たての若い人がコレをやっているわけで、そう考えてみれば、教員というのは、けっこう大変な職業だなと思う。彼は、日頃は美術の教師なので、陶芸をやったり、シルバーリングを作ったり、ガラス工芸をやったり、どうみても私には、毎日、女子高生と一緒に「ただ遊んでいる」ように見えるのだが(専門は油絵だが、工芸の免許もある)、それなりに苦労はあるのだろうか。まあ、なぜか同じ学校に勤めている喜多さんが「ぼやいたるねん」で、もう「ぼやく体力」も残っていないくらい消耗しているのを見れば、それくらいの苦労はしてるんだろう。たぶん。

そう言えば、先週、講義後、飲んでいた時、テーブルの向こうの方で、なぜか「元教師」の生徒さんがめずらしく大きな声で話をしていた。いつもはびっくりするくらい温和な方なので、「一体なんだろうな」と思ったら、どうも「教育」についての議論になったらしいのであった。少し気になったが、私が座っている場所からは、全然、内容がわからなかったので、近くに座っていた女性の生徒さんに「あそこ、どんな話してるの?」と聞いたら、「うーん」と苦笑いをしている。どうやら「今の教育はこういうところがダメだ」という話をしていたらしいが、元教師は、教育現場のことをあれこれ知っているので「そうは言っても、こういう事情があるんですよ」という強く反論をしたらしい。でも、その女性は「お互い、話している前提が全然違うみたいだから、どうなんでしょうね」と笑っている。彼女は、自分自身にも年頃の子供がいるせいか、どうやら「元教員」の意見の方に共感しているものらしい。どっちみち、酒を飲みながらの話だから、すぐに別の話題に移ってしまったが、なんだか印象に残ってしまった。

教育というのは、みんな関心があることらしく、それぞれ色々思うところがあるものなのだろう。しかし、男性というのは、「政治」とか「教育」とか、「日頃、どれくらい関心があるねん」と思うのに、酒が入ると「こうあるべきだ」なんて、いきなり言いたがる傾向があるなあ。「今の教育はダメだ」なんて、百人いれば百人とも、当事者でなければ、おそらく平気で言える話である。面白いことに、男性というのは、「教育」って、なぜか自分には全く関係がないと思っているものらしい。たとえ自分自身の子供がいたとしても、それはそれで、「教育」にはかなり無責任なことが平気で言える人が多いのである。私は、広告業界に長くいたせいで、仕事上では、オッサンと一緒に飲むことが多いのだが、こういう男性の心理はいつも面白いと思う。やはり、どこか男性というのは、教育にしろ、子育てにしろ、多少は「協力」はするけれども、やはり「責任」はすべて母親にあって、自分自身は関係ないとどこか思い込んでいるものらしい。たぶん日頃、自分自身は「しつけ」に全然参加したこともない、自分の子供の誕生日、年齢すら忘れている、みたいなオヤジさんたちが、「最近の教育も、親も、全然なっていないぞ」なんてことを言いながら飲んでいる。自分自身のことは、まったく気がついていない。私は、なかなか面白いことだなと思いながら、飲んでいることがよくある。

「恋愛」などが話題になれば、まったくの他人事では言えないものだが、どうも「教育」なら(教育関係者を除けば)、男性は、誰でも好き勝手に「今の教育はダメだ」と言えるものらしい。もちろん、現場を知っている人は、なかなかシャレにならない話題を含んでいるので、たまには反論もしたくなるのかもしれないが。

結局、当事者ではない人は、無責任に気軽に発言がいくらでもできるのだが、教育関係者や年頃の子供を抱えた保護者だと、そうはいかない。酒の席だとわかっていても、ちょっと違うレベルで、ついつい話をしてしまう。とくに義務教育は、今、ややこしい話がいっぱいある。たとえば中学校でも、最近、高校の変革も進んでいて、進学問題だけでもかなりややこしくなっているらしい。でも、あんまりややこしすぎて、当事者以外には訳がわからない。私は、家族が教育関係者で、しかも年頃の子供がいて、それでもよくわからない。教育は、誰でも身近なのに、外からわからなくなっている世界である。でも、外からわからない世界ほど、当事者じゃない人は好き勝手に言える。テレビで話題になっている相撲関係の話なんか、どうせ、外からはわからない世界である。誰でも、いくらでも好きなことが言える。まあ、そういう話題の方が、やってて楽しいんだけど。

そういや、作家や編集者が集まって小説について話すのと、ファンが集まって話すのとでも、話のレベルは全然違うだろうな。ただのファンじゃなくて、小説家になりたい人も、ちょっと考え方が違う。ところで、私は、読者が作品について「とやかく言う」のは当然の権利であり、金をもらっている以上、どんな作品にだって「おもんない」「つまんない」という発言をする権利くらいはあると思っている。それが、ある程度「無責任」な態度でも、それが読者なんだから、しょうがない。だいたい「消費者」は、金を払っているだけにワガママである。小説家も、プロになれば、商品で金をもらっているわけで、「おもしろい!」と賛辞をもらうこともあれば、「つまんない」と言われることもある。「いや、何もわかっていないシロウトに『つまんない』と言われるのはプライドが許さない、絶対イヤだ」というのなら、それは書店で売らずに自分だけで持っていればいい。そういう意味では、プロになってしまえば、わかってくれない読者の目に触れてしまうのは、仕方のないことなのだ。でも、そういう読者がいるからこそ、誉めてくれる人もいるわけだ。むろん「そういう商品なんだから、それぐらい納得してから購入してよね」と言いたくなる消費者もいるにはいるけど、これは仕方がないと思う。メーカー側の論理と、消費者側の論理は、やはり違うものらしいからである。

ところで、女性というのは、たとえ子供がいない若い独身であっても、あるいは「もう産む気もないわ」なんて言っている年配のキャリアウーマンであっても、「教育」とか「子育て」の話をする時には、必ず「他人事」ではなく、「自分自身」に置き換えて考えるところが面白い。なんだか女性は、男性と違って、自分にはホントに関係のない話題には、全く関心がないものなのかもしれないな。なんだか、こういうところが少し不思議である。

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